このようなケアンズの景観の変化と産業にとって、最も大きな役割を果たしたのは、Daikyo(大京観光、現在はオリックスグループ。代表:横山修二)である。Daikyoは当時、いわゆる「ライオンズマンション」の建設と展開などによって、巨額の富をなしていた。Daikyoはケアンズの不動産投資を行う1980年代以前からオーストラリアに進出を図っていた。Daikyoはブリスベン郊外のXXに牛肉出荷用の牧場用地を購入していた。Daikyoはケアンズに投資すると同時に、ゴールドコーストに集中的に投資活動を行っていった。(大京のゴールドコーストでの活動は、ホテルの建設【ゴールドコーストインターナショナルホテル、マトソンプラザ、など】、ゴルフ場の建設【パラダイスパームス】、さらにはカシノ【ジュピターズカジノ】への出資である。他にも数多くのゴールドコースト地区内の土地を購入していったとされている)。
Daikyoはクィーンズランド州の観光事業に最も早くから参入していた日本企業の一つである。また、日本のバブル経済の時期になると、日本から他にも数多くの企業が不動産投資に参入するようになる。他の企業が投資活動に関して反感を買っていく中で、Daikyoは、その批判を上手くかわしていった。ここでdaikyoがとった方策は以下の通りである。
まず第一に、Daikyoは常に政治家(連邦政府、州政府、地元議会)や開発業者との「人脈構築networking」を怠らなかった。先にも述べたように、海外直接投資の認可に対しては、州政府首相や財務大臣との関係を良好にすることが最大の課題になる。海外直接投資受け入れに関する体系的な枠組みがない中で、このような政治的な代表者を味方に付けることは、自らの計画を推進する上で最も重要であった。のちのFitzgerald Inquiryにて明らかになることであるが、DaikyoはBjelke-Petersen率いる国民党に10万ドル?の政治献金を行うなど、地元政治家との関係を深めていった。また当時の新聞記事によればDaikyoは背景にやくざを付けており、それによって交渉を進めていったとされる説も存在する。
しかし、Daikyoは地元住民に対する反対感情の懐柔も怠ることがなかった。ケアンズにおいては、ゴルフ場(Palm Cove)が完成した折りには、地元住民に対してゴルフ場を開放した。さらに、ホテルが建設されたときには、地域住民に朝食を振る舞ったりもした。そのホテルの振る舞いを求めて、ケアンズでまれに見る交通渋滞が起きたりもした。
また、大京は現地法人を設立し、自らはコミュニティの一員であると主張し続けた。現地法人の代表はSyd Schubert、そして、Nev Bultesであった。とくに前者のSchubertは州議会議員出身であり、クィーンズランド州内の要人に対して幅広い人脈を有していた。
さて、このようなDaikyoは実際にケアンズにおいてはどのような展開を見せたのだろうか。
(ここからは大京論文の要約を参照しながら、厚く展開していく。)
この大京がケアンズにおいて投資をする契機となったのは、1984年に開港されたケアンズ国際空港の建設決定である。このケアンズの観光地としての潜在可能性に目を付けた横山はケアンズにおいて投資活動を開始していく。ケアンズにおいて、大京が手を付けたのはホテルの買収であった(どのホテルか。初期の段階ではCairns International Hotelなどを所有)。そして、ケアンズにおいては、以下のような活動を展開する。まず第一に、ホテルの買収につづいて、住宅地用の土地を購入する。これは、ケアンズ南西部のCannon Familyの所有するサトウキビ畑、243haである。この大規模な土地の買収と住宅地の造成に関しては、全国的に大きく報道されることになった。しかし、この土地自体は何年間も売りに出されており、偶然大京が買い手となったのである(現在、この住宅地はForest Gardenという住宅地になっている。サトウキビを運搬する線路が住宅地の中心を走っている。)。そして、さらに、大京はPalm Coveの建設(順番不明。順番をただして厚く記述する)、さらに、Captain Cook Highway沿いにリゾート地造成に向けて大規模な土地を購入する。(地図を参照。大京論文より引用)。
そして、大京がケアンズの Four Seasons Hotel (現在のAll seasons hotel?)を買収する際には、オーストラリア国内で大きな論争を呼ぶことになる(このときの)ポートダグラスの開発などを脚注に入れる。ケアンズ北部に位置するポートダグラスでは、このときに三井と日本信販、そして、QTTCが軸となって、リゾート地(Mirage Hotel)を建設していった。)このホテルは既に建てられた物件に過ぎず、生産性は低い物であった。この時期、南部シドニーにおいては、奈良建設のリゾート地建設が環境保護などの理由から却下されていた(奈良建設はハネムーン客向けのリゾート地点買いをしていた企業であり、新聞によれば、このリゾート地の建設が実際に行われれば、日本から多くのハネムーン客が訪れたのではないかと推測されている)。全国的な論争にもかかわらず、財務大臣であったKeatingは許可を出すことになる。
次に大京が大きな論争を巻き起こした投資活動は、近隣の無人島であるグリーン島とフィッツロイ島である。(象徴資本の買い取りの意味も。)。この無人島を管理していたのは、Great Adventuresというオーストラリア国内のクルーズ運営業者であった。この企業はこの両島へのクルーズ運航権とクルーズ発着設備、そして、この島の永代借地権を取得していた。Daikyoによるこの島の永代借地権を取得しようと試み、このGreat Adventureの買収に乗り出した。しかし、この島の買収にあたっては再び大きな論争が巻き起こることになる。とりわけ、グリーン島は戦前から日帰り観光地として親しまれてきた場所である。このグリーン島は地元住民にとってのアイコンであり、ケアンズという場所の象徴資本を形成する上での重要な役割を果たしてきたと言える。
このグリーン島とフィッツロイ島の買収にあたり、FIRBからの出資50%の規定に基づき大京はオーストラリア側からの出資者を募らなくてはならなかった。個々において、OST Friendly societyが50%の出資をすることに合意し、大京はこの二つの無人島の永代借地権を取得することになる。
確かに、この島の買収に対しては、多くの反感を買うことにはなった。しかし、前市長によれば、大京の買収によって、グリーン島の船着き場の設備は大幅に改善され、浜辺の浸食を食い止めることができたとされている。また、Quicksilverと提携し、グリーン島とケアンズを往復する船舶を一から設計し、島にもホテルを建設した。しかし、このような開発は確かにグリーン島の浜の浸食を食い止めたかもしれないが、ホテル建設とその排出物などによる環境への影響は否めない。(大京は現在はフィッツロイ島の借地権は手放しており、ケアンズからの観光はグリーン島への観光に特化されている。)
次に大きな出資を行ったのは、Trinity InletとTrinityWharf地区での大規模な開発計画である。それには、ホテル建設、カジノ建設、そして、町の港の改良工事が含まれていた。これらの開発にも論争が巻き起こることになる。(Harveyで相当に拡大できる)
まず第一に、カジノ建設においては、以下のような懸念が生まれた。第一に、カジノは治安悪化に繋がるとされた。カジノは一部の客が大量の資金を落としていくことから、地域経済への良い影響をもたらすかもしれない。カジノにおいては数多くの雇用が生まれ、そこから派生する需要も様々に期待が出来る(例えば、カジノ内への食品の需要、周辺の飲食業などへの顧客の増大など)しかし、ギャングややくざなどの進出が常に伴うものであるとされた。
このケアンズのカジノの建設以前に、同州内のゴールドコーストにおいては、すでにカジノが大京の出資によって完成し、操業を開始していた。しかし、ゴールドコーストのカジノにおいては、日本からのやくざの進出が常に噂され、地域住民を不安にさせていた。
また、カジノの最大の顧客は観光客ではなく、地元住民であるとの指摘がなされている。確かに、カジノは開発側の言うように、「洗練された娯楽」をもたらすのかもしれない。しかし、多くの住民の間から、このカジノによって、経済的な困窮に陥る住民が多く生じることが懸念された。具体的には、家庭の崩壊、ホームレスの増大、青少年犯罪の拡大、道徳的な頽廃が危惧されることになった。
町の港の開発工事であるTrinity Wharf地区の他の開発に関しては、Daikyoは海外からのクルーズ船などが停泊するTrinity Wharfの改良工事に50%?出資した。
このように、大京の行った活動は、単なる一企業の投資活動の範囲を大きく逸脱していると言えるだろう。まず第一は、住宅地の造成である。この住宅地は1991年?に完成し、現在ではForest Gardenという名で、~~人の住民が住むようになっている。また、第二は、グリーン島における侵食防止工事、ケアンズと島側の発着場の改良、船舶の近代化である。また、第三は町の港の改良である。このような分野は、自治体あるいは国の予算でなされることが通常の場合は多いであろう。しかし、このような分野に私企業が投資を行ったのである。(Harvey? Harveyはこのような自治体の姿を、Entrepreneural cityと呼んでいる。)
最終更新:2009年10月02日 14:10