以上のような観点から本研究を進めていく。この中での先行研究の状況は以下の通りである。ここでは、主として日本とオーストラリアでの研究の状況に注目する。
まず第一に、日本国内におけるオーストラリア研究は蓄積が極めて少ない状況にある。特に、日本でのオーストラリア研究においては、本研究の主題である「異質な他者」との交流の議論は数多くなされてきている。しかし、そのような研究は以下の3つの潮流にわけられる。まず第一は、オーストラリアの多文化主義の政策的な検討である。しかし、ここでは、連邦政府レベルでの政策分析が主たるものである。各政府におけるその政策の検討はなされてきていない。また、異質な他者との関係に関する、コミュニティ調査などもなされてきている(代表的な研究には塩原()、そして、OO(OO)が挙げられる。塩原の研究ではミクロレベルでのコミュニティ調査と、連邦レベルでの政策検討をつなげる試みがなされている。)飯笹さんとかはどうする
また、本研究の主題である観光に関しては、日本国内での研究は皆無に等しい。一応、先行する成果を上げるとすれば、朝水()()、遠山()であろう。まず、朝水の研究に関しては、連邦政府の観光政策の変遷という形で研究が展開されている。しかし、朝水の研究において用いられている研究資料は極めて数が限定されており、明らかな事実誤認に基づく情報が誤った形で提供されている。また、彼の研究には、メルボルンにおいて、いわゆるエスニック料理店がどれだけの数が存在しているかといった研究もあるが、このエスニック料理店の数の分析が発展されることはなく、研究の方向性が見えてこない。
また、遠山の研究は、オーストラリアにおける投資の研究という形を取っている。クィーンズランド州の投資に関しても論考が発行されている。しかし、朝水の研究と同様、用いられている資料が非常に限定されており、推測レベルでの立論が目立っている。このように、日本国内においては、オーストラリア研究の領域は限定されている。とくに、オーストラリアが観光地として周知されているにもかかわらず、このような研究は全くなされていないに等しいのである。(恩地?ここは少し調べておく必要があるか。)
また、日本国内での観光に関する研究は、主として二つの類型に大別されると考える。まず第一は、観光学としての研究である。これには、マーケティング調査、地域振興策としての観光のあり方などを研究する分野である。ここでの観光学は功利主義としての観光学である。第二は、観光社会学、あるいは観光人類学である。代表的な研究には吉原直樹、山下晋司の研究が挙げられる。吉原の場合ではバリ、さらに、山下の場合には~~という地域・場所を事例として、研究がなされている。しかし、彼らの研究は主として文化的な枠組みでの分析である。全体として、日本の観光に関する議論においては、ポリティカル・エコノミーの観点を用いた研究はほとんど見あたらない。
一方で、本稿で示すように、オーストラリア国内においては、日本からの観光客の到来と、観光業の進展、さらに、地元住民の反応に関しては、かなりの研究の蓄積がある。しかし、それらは主に全国レベルでの議論が多いことを指摘しておく。特に、海外直接投資の到来に関しては数多くの研究がなされている(誰がどんな風に?)。この全国レベルでの日本からの投資の研究はオーストラリア国立大学のAustralia-Japan Research Instituteが先駆的に行ってきた。日本からの投資データを用いた、オーストラリア経済への効果を分析する論文、さらには、やや浅い形ではあれ、海外直接投資に関する日本の研究の蓄積がある。
特に、同大学にて行われたPokarierの研究は、オーストラリアにおける海外直接投資受け入れに関する政治的な決定要因を1960年代から1996年まで主として新聞記事の検討を軸に据えて考察している。彼によれば、(1960年代のメンジーズ政権期を除いて)オーストラリアの海外直接投資受け入れ政策は歴史的に常に開放的であった。そして、本研究で取り上げる1980年代における、クィーンズランド州ゴールドコーストでの海外直接投資に関する住民の反対運動についても言及がなされている。
またHajduの研究には、筆者がこの論文を執筆する上での大きな影響を受けている。Hajduは主としてゴールドコーストを対象とし、海外直接投資の流入と都市景観の変化、さらには、住民の反応に関する研究を行っている。ゴールドコーストにおける日本企業の活動や関係する人物が精細に記述されている。また、海外直接投資が及ぼした都市の土地に関して、メルボルンとシドニーを取り上げた研究もある。
このケアンズにおける観光に関する研究は、周辺の観光名所とされている場所を取り上げて、主として自然科学の観点からの研究がなされてきた。特に、周辺のグレート・バリア・リーフにおいては、その生態や気候に関する研究が朱となっており、その社会史的な側面を扱った研究は非常に限定されている(誰だっけ)。さらに、周辺の熱帯雨林に関しては、森林の性質や保全に関わる研究の蓄積がある。また、Tjapukai Dance Theatreにおけるアボリジニのツーリズムに関する研究も行われてきた。
しかし、本研究にて取り上げるように、行政区画としてのケアンズという町は、急速な社会変化を遂げ、多くの観光客を毎年受け入れている。それにもかかわらず、この町の研究を取り上げたものは皆無である。
まず、この町を取り上げた公刊された研究として、Thorp(2007)がある。この論文はThorp2004が元になっている。彼女の論文では、ケアンズの町のイメージ、どのようにケアンズが国内の住民に見られてきたかに関し、1900年から1970年までをその対象にしている。(主な内容は本論文第O章を参照)。しかし、残念なことにこの論文の主眼は戦前期におけるケアンズという場所のイメージの誕生にあり、1970年以降の海外旅行客が到来する時代の社会変動についてはほとんど言及がなされていない。
この他にも、地域の研究者によってなされている研究は存在する。しかし、それらの研究は戦時中の戦争の歴史、あるいは戦前のヨーロッパ人による開拓の歴史の研究が主である。このような研究に関しては、Cairns Historical Societyが、ケアンズの戦時中以前の歴史を中心に、隔週で紀要Bulletinを発行している。また、同研究会はケアンズの戦時中以前の町の歴史に関する文献を数冊発行している。彼らの歴史は、いわゆる「白人の歴史」であり、彼らの研究には、時折アジア人に対する言及はあるが、アボリジニのことに関しては言及されることは少ない。この中で、アボリジニの歴史を描くのは地元の歴史家Tim Bottoms である。彼は地元議会の委託を受け、ケアンズの歴史をヨーロッパ人入植以前の阿保理事の時代から現代に描くまでの包括的な歴史を描いている。この他にも、彼は地元のBamaコミュニティを題材にしたアボリジニ研究を発行している。また、驚くことに、ケアンズは、市史あるいは町史を作成しておらず、Bottoms氏に町史としてのケアンズの歴史の執筆を依頼するという形を取った。しかし、Bottomsの関心はアボリジニにあり、本研究の題材とする観光開発に関する叙述はほとんど見られない。この他に、刊行された歴史書として、Jonesがある。彼女の描く歴史は戦前のケアンズの歴史が題材となっている。このような研究状況の中で、唯一刊行に関するデータを発行しているのは、地元の経済研究所Compass Economic Researchの代表、Bill Cummingsである。彼が2001年に発行したCairns Business Manualは過去50年間の産業の歴史と、今後の展望を記しており、観光開発に関連した次章を扱った、唯一の文献であるといって良い。
そのほかにも、クィーンズランド州の刊行を扱った主要な研究蓄積は、クィーンズランド大学、ジェームズクック大学、グリフィス大学にて所蔵されている。また、政府系の資料に関しては、オーストラリア国内の規定により、2009年時点で1978年以前のもののみ閲覧することが可能であった。したがって、本研究では連邦政府や州政府の発行した公文書に当たることは不可能であった。その代替手段として、新聞記事の検討から、政策的な変化、それに伴う実際の変化と人々の反応を析出することに努めた。情報の不足分は、観光開発の関係者による聞き取り調査によって補填した。
最終更新:2009年10月05日 00:11