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理論部 仮

本研究では、観光という産業(本研究では海外旅行)を以下のように位置づけたい。海外旅行が一般的な物となり、マスツーリズムが拡大していったのはジャンボジェット機の登場以降である。このジャンボジェット機の登場と普及は1970年代からである。これと足並みをそろえる形で、世界経済の状況も大きく変わっていく。1960年代、1970年代にいては、国際分業体制のもとで、多国籍企業が世界的に進出し、新たな労働のヒエラルキー構造ができあがっていった。しかし、1980年代から1990年以降は世界経済の動きがこれまでのものと大きく変動を遂げていく。それまでの世界経済は有形な財の生産を軸に据えていた。資本投下は具体的には工場などの一定の場所に固着されていた。しかし、1980年代からは、財ではなく、記号が生産されるようになっていった。財の生産とその流通が飽和状態になっていく中で、最大の収益源となっていったのは、金融商品や不動産投資など、投機的な分野となった。この記号の生産は、伊豫谷によれば、グローバル・ドリームの生産となる。記号の生産においては、これまでの価値増殖における工場での財の生産を必要としなくなった。この財の生産を伴わない投機的な経済構造への転換の中で、資本が資本を生む状況が生み出されていった。資本はよりフレキシビリティを回復していき、世界的な規制緩和の動きの中で資本は少なくとも自国内の国境を越えて自由に移動するようになった。
このような自由な資本、フレキシブルな資本蓄積な体制のもとでの記号生産は、観光業をも含む。この新たな記号価値を求めて、それぞれの場所はそのシンボル的な価値に元図いて、序列化されていくことになる。ここにおいて、各都市や町は、みずからの比較優位?をもとめて、競争化していくことになる。(entrepreneurism各自治体はその町の魅力、売りを求められる。自治体の関心はこれまでのような自治ではなく、町おこしへと変わっていく。)。いわゆるグローバル資本が自由に稼働する中で、これまで看過されてきたような場所に急激な資本投下が起こるといった事象が発生する。フレキシブルに動き回る資本は、時に農村にも急速な都市化と生活様式の変容を迫る。

このようにして発見された農村には雇用構造を初めとした大きな変化が訪れる。しかし、観光業自体は、新たな開発と経済発展の機会をもたらすように見えながらも、実際は一部の推進側にもたらされる多大な利益と、他方での貧困の拡大である。観光は、テーマパーク建設やインフラ整備などの事業をもたらしはするが、財の生産による経済発展の道筋を採らない。観光業においては、町それ自体が、一つの財であるかのような性質を持つ。各人の労働は、その財への付加価値であるかのような様相を呈する。観光地の盛衰をプロダクトサイクル論の観点から説明したButlerによれば、観光地は通常の財と同様に、萌芽期に次ぐブーム、さらに成熟を経て衰退へと向かっていく。このような観光地の一次性から見ると、観光による雇用創出や経済成長策はきわめて短期的な視野に立った物であり、実際の成長は、期待できないことになる。都市間競争の果てに発見された場所は、精進されて、捨てられていく運命にある。
このような立論において、ケアンズで箱の枠組みがキレイに当てはまる。…….


第4章の反対運動の章で

これまで、第三章においては、ケアンズにおける観光開発を巡る政治的な動きを考察してきた。そして、それをめぐる文化的な要因にも言及をしてきた。このような一連の動きは以下のように表されるだろう。Gregory(1994)は図★に示される、権力の目、とされるモデルを提示している。(グレゴリーのモデルの説明をここに。)このケアンズの観光開発に向けた動きは、場の官僚制化、そして、スペクタクル化、そして、さらには一定のイメージ像の反映であった。このような外部からの力によるケアンズという空間への作用は、その場所の意味合いを大きく買えることになった。個々において起こるのは、人々のいきられた空間を取り戻す試みである。
そして、ケアンズの観光開発に向けた動きは、そして、一連の観光課に向けた動きは、州政府による道徳的支援の着いた象徴暴力であると言っても良いかもしれない。ここでは、観光が経済成長のためには不可欠であるとされ、その妥当性は自明の物として、流布することになる。個々で人々はその規範の正当性に気づくことなく、その規範を内面化していく。この様な意識の植民地化に対して、反対運動勢力がその異議を唱えていったと考えても良いはずだ。
最終更新:2009年10月15日 02:42