ごうごう、ぱちぱち、めらめら。

 燃えている。
 全身が炎に巻かれて燃えていた。

 一体何が起こったのか全くわからない。
 どんな不条理、どんな反則によってこんな事態に陥ったのか、まるで理解することが出来なかった。 

「………ァァァ」

 声が出ない。
 吐く息は口から漏れた瞬間に火に炙られ、言語を構成する前に燃え尽きる。
 髪の毛の一本から爪先に至るまで、全てを覆い尽くした炎は容赦なく皮膚を焼き肉を焦がし骨を溶かす。

 死ぬ。僕は死ぬ。
 助からない。だけど諦めきれない。やっと分かったのに。やっと見つけたのに。
 前方に伸ばした手も、腕ごとボロボロと焼け落ちていくのが真っ赤な視界の端に映っている。

「……ァ……ェ」

 待て。待ってくれ。言葉にならない叫びが届くことはない。
 もはや、その後姿を見つめることしか出来ない。
 美しい、彼女の姿。
 隣の誰かに笑いかける、その横顔。

 見ている、じっと見ている、もはや見ることしか出来ないから。
 触れることの許されない、本物の太陽。去りゆく彗星。
 そして、僕の、やっと見つけた僕の―――

「………ァ」

 見てくれ、僕を、僕を見てくれ。
 焼けた瞳をあらん限りの力で見開き、離れていく彼女の笑顔を凝視する。
 もうすぐそれすら出来なくなる。
 だから、どうか、僕を、僕を見て。

「……」

 ああ、眩しい。
 焼け落ちる僕を振り返りもしない彼女の横顔が眩しすぎて、片目の眼球が潰れ、砕け散った。

 君は僕にとっての唯一無二。
 初めて感じた熱源体。
 なのに、君にとっての僕は―――

 そうして、僕は、赤坂亜切は焼け死んだ。 






 初めて寒さを自覚したのは12歳の冬の日だった。

 僕の住んでいた町は東北の片田舎にあって、年末年始にもなると強烈な吹雪に見舞われる、いわゆる雪国だった。
 積雪が多い時は電車もバスも運行中止となり、外に出る人は誰もいなくなって、地域全体が死んだように静まり返ってしまう。
 もっと酷い時は停電が起こって暖房が停止、毛布に包まって寒波が過ぎるのを待つしかなくなる。
 そんな寂れた町に、僕は小学校の頃まで父と二人で住んでいた。

 寒いばかりでなにもない町から人口はどんどん減っていったけど、実際のところ僕は環境に対して不満を持ったことはない。
 酒に酔った父は頻繁に暴力を振るい、寝間着姿の僕を家の外へ、吹雪の中へ放りだしたけど、それだって別に辛くはなかった。
 涙と鼻水が凍りつくほどの低温の中、皮膚の感覚がなくなっても、凍傷で指の先が腫れ上がっても、僕はまるで寒く感じない。
 生まれつき、僕は寒いと思うことがなかった。
 そして、内臓を引き抜かれたような喪失感と虚無感を常に抱えていた。
 別に痛みは正常に感じるし、命の危険だって察知できたけど、寒さと実感を欠いた僕の感性は何があっても他人事で、状況を変えたいとも逃げ出したいとも思うことはない。

 だから、その日が普段と違ったのは、やっと家に入れてもらえた僕を待ち受ける父の手に握られていた物が、いつものベルトじゃなくて出刃包丁だったという、ただそれだけのことだった。

『あのとき、お前の方を殺せばよかった』

 洗面所の床に倒れた黒焦げ死体の隣で立ち尽くす僕は、死ぬ寸前の父が喚いた言葉の意味を考えた。

『俺は育てるなら女児の方が都合が良いと言ったのに。頭の硬い老害どもが男を残せと言いやがるから、仕方なく今日まで生かしてやったのに』

 灰になって崩れる父の輪郭を、僕はじっと見ている。
 火元など何処にもなかった筈なのに、父の全身はひとりでに発火し、どれだけ暴れても炎が消えることはなかった。
 それは実に奇妙な燃え方で、火にかけられたというよりも、身体の内側から炎が吹き出すような、異様な光景だった。

『お前の母親が悪いんだぞ。双子なんて孕むから、全部台無しになったんだ』

 なるほど、そうだったのかと僕は納得を得る。
 いま、全てに合点がいったのだ。

『畜生。なのに、なんで、なんで今さらお前が、その眼を―――』

 どうりで冬を寒く感じないわけだ。
 だって僕は元からずっと寒かったんだから。
 身体の外側に吹き付ける吹雪なんてなにも感じないくらい、生まれつき身体の内側が冷たかった。

 常に抱えていた、内蔵を引き抜かれたような喪失感と虚無感。
 つまりはそういうこと。

『死ね。死んで姉か妹のところへ逝け』

 僕の半身(きょうだい)は、生まれる前に殺されていた。

 崩れきった父の死体から視線を切り、顔を上げて洗面所の鏡を見る。
 片方だけ炎のように真っ赤に変色した僕の瞳が、無感動にこちらを見返していた。




 出自についての詳細を知ったのは、ずいぶん後になってからだった。

『いやあ、赤坂家の遺産とは拾い物だねえ。あんな僻地に期待などしていなかったが、思わぬ収穫があったものだよ』

 電気が止まり冷え切ったあの家に、ふらりと男が訪ねて来たのは、父が死んで数日後のことだった。
 実の親を焼き殺し天涯孤独になった僕を、その男は快活に大笑しながら自分の屋敷に連れ帰った。
 その後、養子のような関係になるわけだが、結局、僕が彼の苗字を貰うことはなかった。

『これらは私のことを親だと思って構わないよ、アギリ』

 言葉ではそんなふうに言っていたけど、男が僕と親子関係になりたいなんて微塵も思っていないことは、なんとなく分かっていた。
 男に引き取られた後、温かい屋敷の柔らかいベッドで眠れるようになっても、豪華な食事を毎日提供してもらっても。

『そのうえで、君の姓も、名も変えることはない、馴染み深い名を使うといいさ』

 赤坂亜切。
 僕の名前も、胸の真中に穴の空いたような喪失感も、常に感じ続ける寒気も、何一つ変わることは無かった。

『自由に生きるといい。だけど、僕のお願いも聞いてくれるね?』

 男は僕の他にもたくさん子供を屋敷に連れてきては衣食住を提供していた。
 学校に通わせ、遊ぶことも自由にさせていた。
 その子達の全員に同じお願いをしていたのかは分からないけど、男はある日僕にそう言って白い紙切れを手渡した。

 これはずいぶん後になって知ったことなのだけど、男は所謂、悪い魔術師と呼ばれる存在だった。
 魔術、超能力、魔眼。特殊な能力を持った子供を引き取って、殺し屋として育成する。
 そして僕には、その才能があった。

『素晴らしいよアギリ。君の眼は、実に便利な暴力装置だ』

 僕は見るだけで人を燃やすことが出来る。
 父親を殺すときに目覚めた能力であり、成長と共にその制御を掴んだ。
 パイロキネシスト。人を燃やす特殊な眼。男曰く『嚇炎の魔眼』だそうだ。
 超能力と魔術の中間だとか、男の言ってる理論はよく分からなかったけど。

 とにかく僕はその力で、そこそこ有能な殺し屋になった。
 国内外問わず、誰かが邪魔だと思っている存在を消去する殺人マシーン。
 男は仲介役であり、僕は実行役。

 紙に書かれた人物を見つけ出し、じっと見つめるだけの簡単な仕事だった。
 それだけで標的は燃えて炭になり、僕の役目は終わる。
 標的の中には僕よりずっと凄くて特殊な能力を扱う人もいたけれど、使う前に燃えてしまうから呆気なかった。

 正直言って、人を殺して心が痛んだことは一度もない。
 自分の父親を炭に変えたときと同じく、淡々と実行することが出来た。
 何人燃やしても、心の内には虚無と隙間風が生み出す寒気があるだけ。

 だから僕は成長して男の屋敷を離れた後も、生活費を稼ぐために殺しの依頼を受け続けた。
 殺すのは好きでも嫌いでもないけど、自分にとって一番手慣れた仕事だったという、それだけの話だ。

『赤坂家のことかい? ふむ……まあ、別に構わないか、話してあげよう』 

 たった一度だけ、僕から男に頼み事をしたことがある。
 僕の実家について知っていることを教えてほしいと。
 男は少し考えた後、成人した僕への影響はないと判断したのか、ゆっくりと話し始めた。



 赤坂家。
 自然の流れを歪める魔と敵対する退魔の一族。
 その中でも退魔四家と呼ばれる名家の一つ、浅神の分家筋。

 彼らは代々発火能力を継承する一族であったらしい。
 パイロキネシス。念発火能力と呼ばれる超能力は本来的には次代に遺伝する類の力ではない。
 それを彼らは人ならざるモノの混血と交わり、退魔でありながら自らに魔を取り込むことで繋いでいった。

 いずれ、本家の浅神が行き当たる陥穽。
 純血種の継承によって成り立っていた退魔が、混血の魔を取り込む矛盾。
 それを続けた先にある衰退は本家が証明していたけど、赤坂の一族も気づいたときには既に後戻りが不可能な有り様だったという。

 純血は薄まり超能力の発現率は低まるばかり、かといってこれ以上混血を取り込めば人の精神を保つことが難しくなる。
 本家を凌ぐほどに苛烈に混血と交わった赤坂は進退窮まり、本家のように分家の浅上に取り込まれる道すら絶たれてしまう。
 もはや緩やかな凋落を待つのみなった彼らが最後に望んだのは、赤坂の退魔、その完成形の生産。
 即ち、一族の最高傑作というトロフィーを抱えて消えることだった。

 鬼子と呼ばれる強力な超能力者と、絶大な力を持つ混血のかけ合わせ。
 消せぬ炎、嚇炎に至る赤子を作るべく、交配と出産、産後の育成に至るまで、すべて綿密に計画された。
 タイミングは今、この年代を逃せば次はない。衰退に至る直前であり、純血の質と混血の濃さがピークを迎える今だからこそ生まれ得る鬼子。

 その筈だった。
 しかし、それは母体が予想外の双子を宿したことにより頓挫する。
 生まれてくる子が男でも女でも良かった。たとえ未熟児でも、長く生きられなかったとしても、一瞬でも一族の悲願が成就されるならば。
 だが、双子だけは駄目だ。一つに宿るべき才覚が裂かれ、計画が破綻する。少なくとも当時の家長はそう判断したらしい。

 最後のチャンスを逸した以上、もう何をしても無駄。赤坂の悲願は破れ、家は緩やかに滅び解体されるのみ。
 家長はそう告げて隠居し、しかし一部の老人たちはどうしても諦めることが出来なかった。
 そして単純な解決法を実践する。双子が駄目なら、生まれる前に双子でなくしてしまえばいい。

 可能なら跡取りとして男を残したい。
 僕が赤坂家の長男として生まれ、僕の姉、あるいは妹が殺された理由はそれだけ。
 結果、産まれたばかりの僕に能力は発現せず、目論見の潰えた家は失意の内に取り潰される。
 皮肉なことに僕の魔眼が力を発揮したのはその12年後、父親を殺す日になってからだった。

 この世に生まれ落ちて以来、僕はずっと得体のしれない喪失感と寒気に苛まれてきた。
 生きていても、生きる実感を得ることが出来ない。
 色々試したけど駄目だった。何を食べても、何を見ても、誰と関わっても、誰を殺しても。
 やはり、なんとも思わない。
 きっと僕の心の大事な部分、熱を感じる重要な臓器は全て、僕の半身(きょうだい)と共に母親の胎内で殺されてしまったのだ。


 空虚な日々を生きる内に、ふと妄想することがあった。
 僕の姉、あるいは妹。彼女がもし産まれていたら、どんな女の子になっていたのだろう。

 何にも興味を示さない僕の心が、唯一感じ取った感情の食指。
 成長した彼女は優しかったろうか、厳しかったろうか、美人だったろうか、可愛かったろうか、身長はどれくらいか、ヘアスタイルは、ファッションセンスは、体つきは、匂いは、使ってるシャンプーの種類は、そもそも姉だったのか、妹だったのか。
 僕は良いお兄ちゃんになれたのだろうか、良いお姉ちゃんを得ることが出来たのだろうか。
 もしも、もしも、もしも―――もしも、生きていたのなら。

 いや、ひょっとすると、生きているのではないか。
 僕が物心つく前に、僕を捨てて家を出ていったという母親が、密かに彼女を育てていた、なんてストーリーはどうだろう。
 遥か昔に失われた僕の半身は、今も何処かで僕が会いに来るのを待っているんじゃないか。
 僕に備わった魔眼は片目だけ。もう片方の行き先があるとすれば、きっと―――

 なんて妄想することが、いつの間にか僕のささやかな心の癒やしになっていた。
 いや分かってる。姉(妹)が生きてるなんて、あり得ない。あまりにも子供じみたバカバカしい妄想だ。
 自分でも十分理解している。

『アギリ、これはいつもの殺しとは少し違う依頼なんだが、やってくれるかい?』

 だから、まあ、僕はこの寒気を生涯抱えながら、空虚でつまらない人生を続けるのだろう。
 一度目の参加の時だって、そんなふうに考えつつ、諦観と共に引き受けたんだ。

『聖杯戦争の参加、いや君にとって分かりやすく言おうか。六人の魔術師を見つけて、燃やしてくれ』

 せいぜいささやかな妄想だけを慰めに送る空虚な人生。
 そう、思っていた。

 あの日、本物の太陽に焼かれるまでは―――






「というわけで、僕は聖杯が欲しいんだ。協力してくれるね、アーチャー?」

 都内某所。薄汚れた貸倉庫の中で、一組の男女が向き合っていた。
 男の方はよれたダークスーツを着た痩せ型の体型、若白髪の混じった黒髪を短く切りそろえている。
 年齢は二十代前半、成人男性の平均的な身長。あまり目立った特徴のない男だった。
 糸のように細い両目の右側から、炎のように赤い瞳が僅かに覗いていること以外は。

「いや、アタシはまだ肝心な動機を聞いてないような気がするんだが」 

 対して女の方は非常にわかりやすい特徴を備えていた。
 倉庫内に積み上げられた廃材の上、オールバックの長髪をかき上げながら、尊大に足を組んで座る彼女の体躯は男のそれを遥かに上回る。
 つまり、デカい。全てがデカい。身長2メートル超えの大女だった。
 全身磨き上げられた彫刻のような筋肉に覆われ、更に狼毛皮のコートと金のアクセを身にまとったその姿に無骨さはまるで無く、不思議と神々しい気品に満ち溢れている。

「それは最初に言っただろ? 僕はお兄(弟)ちゃんとして、お姉(妹)ちゃんを見つけて、迎えに行かなきゃいけないんだよ!」
「はあ、そうかい。よく分からないけど、変わってるねぇアギリは」

 アーチャーと呼ばれた彼女は呆れたような口調でありつつも、目の前で興奮気味に話す男を興味深そうに眺めていた。

「というかアンタ、さっきまで自分で語ってた根暗なキャラクターと違くないかい? ずいぶん元気一杯じゃないか」 
「そりゃあそうさ! 僕は生まれ変わったんだよ! この黄泉返りは、彼女が僕に与えたチャンスなんだ!」

 アギリと呼ばれた男、赤坂亜切は熱を込めた声で語る。
 それは元来、彼が持ち得なかったはずの、血の通った言葉だった。

「ああ、お姉(妹)ちゃん、お姉(妹)ちゃん! すぐにお兄(弟)ちゃんが迎えに行くからね! 今度こそ、僕が君の半身(とくべつ)だって証明する! 邪魔な奴らは全部燃やして、今度こそ兄妹(姉弟)として再会しよう」

 唄うように恍惚と語る男の状態は見るからに人として正常ではない。
 しかしアーチャーは微笑んでいた。それは彼女が好む人間の性質の一つに相違なかったから。

 目を閉じると浮かび上がる雪原の景色。
 己の足が響かせる地響き、山合に潜む巨人たちの咆哮。

 荘厳なる神々の地とその滅亡。
 終末の火、世界を焼き尽くす炎の色。

 その後に残った愛すべき小さな者たち。
 彼もまた、人の一つであるならば。

「水を差すようで悪いけどねえ、アンタが言う、そのフツハだっけか。その女はアンタより年下だったんだろ? 双子の片割れなら同い年じゃなきゃ成り立たなくないかい?」
「おいおい、なにをつまらないコト言ってるんだ女神のくせに。なあスカディ、ここは君のような神の降りる地。一度死んだ僕のやり直しがまかり通るような世界だよ? 年齢なんて概念に縛られてちゃ駄目だろう」
「へぇ、なるほど、イカれたアンタに常識は通じないってわけだ。ま、確かに常識の通じない舞台ではあるけどね。アタシが召喚されてる時点で滅茶苦茶だ」
「そうだよ、今までの僕は常識に囚われていたんだ。これからはどんなに僅かな可能性でも確かめなきゃいけない。太陽に触れるために、彗星を掴むために、僕はなんだってやるさ」



 愚かな男だ。そしてどうしようもなく壊れている。
 赤坂亜切は間違いなく、狂った悪人に分類されよう。
 だが、その愚昧すら愛してしまえる。

 彼女は猛き霜の巨人であり、美しき凍原の女神、その両方の側面を併せ持つ神霊。
 醜悪な愚かさもまた、神から人へ残された可愛らしい性だと知っている故に。

「でも年の差が関係ないってんなら、ひょっとしてアタシも候補になったりするのかい? アンタの半身(きょうだい)ってやつのさ」
「……あ? おい、調子に乗るなよ従者(サーヴァント)」 

 そして戯れに放った諧謔にはしかし、冷え切った回答が返された。

「不合格だ。そんなコト、最初に確認したに決まってるだろうが」

 赤い眼が、見開かれる。

「ああ、なるほど、それでか。アンタやっぱり変わってるね。見境なしってことかい」
「当たり前だろう。神寂祓葉こそ僕の半身。だけど彼女以外の可能性を廃することも、また彼女に辿り着く道なんだ。彼女以外の全員が違うなら、それは彼女しかいないって証明なんだからさ」

 アーチャーの全身が燃えている。
 それは召喚された瞬間、サーヴァントが女性と分かるや否や言葉を交わすよりも早く、出会い頭に放たれた炎だった。
 普通のサーヴァントならば、マスターの乱心と捉え殺しにかかってもおかしくない蛮行を受けて尚、彼女は涼し気な顔で受け流すのみ。
 狼毛皮のコートも、金のアクセサリーも、燃えるままにしている。

「ムスペルのやつらになったみたいで可笑しいね、これ。火をつければ半身(きょうだい)かどうか分かるってのかい?」
「違う。僕はただよく見て確認している。そしたらいつも勝手に燃えるだけだ。あと君の姉力、妹力、共に神寂祓葉の足元にも及ばない。不合格。比べることすら烏滸がましい」
「そりゃ残念。アタシはアンタの火、嫌いじゃないけどね。なかなか暖かくて良いじゃないか」
「……まあ君は、姉としても、妹としても、落第だが。僕も、君の眼は嫌いじゃない、勝手に燃え尽きないところもね」

 彼らのやり取りは傍目には奇妙に映るだろう。
 危ういようで穏やかな。成り立っているのかいないのか微妙な、奇跡的なバランスで交わされる神と狂人のコミュニケーション。
 しかしそれは、唐突に打ち切られた。

 不意に、女の人差し指が上向く。
 貸倉庫の天井ではなく、それを突き抜けた上空にある何かを指して。

「客か、アーチャー」
「ああ、親父の眼が捉えた」
「女か?」
「みたいだね」
「じゃあ、一応は確認しないとだ」






 初めて熱を感じたのは24歳の春の日だった。

 六人の魔術師を燃やす単純な仕事。
 今回はそこに、強力な使い魔の召喚という要素を加えただけの、いつも通りの殺しだと。
 そう思っていた。
 事実、殆どの敵は手強かったが、勝てない勝負じゃなかった筈だ。 

 僕の中の何かが狂い始めたのは、否、何かが整い始めたのは、きっと彼女と出会ったあの日から。
 敵対する六陣営の中で、僕が唯一脅威と見做さなかった一人の少女。
 あまりに脆弱で、吹けば飛ぶような戦力しか持ち得なかったはずの一般人。
 当時、愚かな僕の節穴は彼女をそう評していて、だからこそあの日、仕事中の僕らしからぬ気まぐれを引き起こした。

 なんのことはない前哨戦以下の小競り合いで、彼女は窮地に陥っていた。
 偶然居合わせた僕が、ふとした思いつきで助けなければ死んでいた筈の、無力な少女。
 いつでも殺せるくらい弱い奴なら、適当に生かしておいたほうが周りを撹乱するのに利用できるかもしれない。
 そんな打算と侮りから結んだ、僕と彼女の一時的な協力関係。

 邪魔になったら適当に見捨てるか殺せばいいだろう。
 乱戦で肉の盾か弾除けとして機能すれば上々、所詮いつか切り捨てる囮のようなもの。
 最初はそんなふうに考えていたはずだった。

 だけど気がついたときには、僕はもうおかしくなっていた。
 なんてことない、ただの脆弱な少女だと思っていた筈の存在を、無意識に目で追ってしまう。
 気づけば、もっと話したい、もっと彼女を知りたいと思ってしまう。
 彼女の明るい笑みを目にするたびに、彼女と関わる度に湧き上がる経験したことのない感情に戸惑いながら。

 僕は初めて、空洞のような己の胸の中に熱を感じた。
 永遠に僕を苛むと思われた寒気を吹き飛ばす熱の火種。
 生まれて初めて、特別な存在を見出すことができたのだと歓喜した。

 彼女を守りたい。一緒にいたい。太陽のような笑顔をもっと見ていたい。
 願わくば、彼女にとっての何者かになりたい。
 そう願っている己を自覚したある日の乱戦にて、それはそれは呆気なく、僕のほうが彼女に切り捨てられた。

 自分でも笑えるほど間抜けだったと思う。
 ありえないくらい馬鹿げだ隙を晒した結果、無様に致命傷を負った僕を置いて、あっさり去っていく彼女の後ろ姿を憶えている。

 美しい横顔だった。
 もう僕にはまるで興味がない様子で歩き去りながら、隣りにいる誰かに微笑みかける少女。

 ―――待て、待ってくれ。

 届かない。声は言葉になる前に燃焼する。 
 一体いつ、どうして引火したのかも分からない炎に全身を巻かれ、彗星に向かって伸ばした腕は灰になって崩れた。

 ―――僕を見てくれ、僕を。

 今際の際、僕は太陽の輝きに瞳(のう)を焼かれながら。
 それでも見る。彼女を見ている。眼球が罅割れ、砕け散っても凝視する。
 僕が知る限り最も美しい魂のカタチを、赤熱するプロミネンスを、じっと見ることしか許されない。
 見ることすら、もうすぐ許されない。

 ―――行かないでくれ。やっと見つけたのに。

 臨界を超えて熱された右の眼球が爆ぜ、視界が吹き飛ぶ。
 僕にとっての唯一無二。
 だけど、彼女にとっての僕とは、果たしてなんだったのか。

 君のとっての僕も、特別でなきゃいけないのに。
 結局最後まで、君にとって僕は何者でもなかったなんて。
 そんなこと、ありえない、あってはならないんだ、絶対に。

 ―――おいて行かないで、お姉(妹)ちゃん。

 だから、きっと僕は、君のお兄(弟)ちゃん、なんだ。そうだろう。




 僕は祝福を受けている。
 この眼はもう、過日の世界を映さない。
 太陽を見つめすぎると、燃えてしまうから。
 僕は、太陽を知っている。
 太陽に魅入られ、そして再生された過去の戦影。


 ――今は。
 ――凍原の悪鬼。






 ごうごう、ぱちぱち、めらめら。

 どこかで炎が燃えている。

 この日、一組の主従の命運が絶たれた。
 彼女の犯した最大のミスは敵サーヴァントの索敵範囲を見誤ったことだ。
 自身の契約したサーヴァントが隠匿に優れていたことも、結果的に逆に不運だったと言えるだろう。
 古びた貸倉庫に潜む敵陣営を威力偵察すべく接近した彼女達は、敷地内に踏み込むより相当前から逆に補足されている事実に気付けなかった。

「隠れる以前に見つかっちまえば世話ないねえ。お嬢ちゃん、慎重さが足りないよ」

 何もかも一瞬の出来事、撤退を決めたときには全てが遅きに失していた。
 前方から飛来した吹雪が瞬く間に地面を雪原に塗り替え足を取られた僅かな隙に、弓兵とは思えぬ挙動で急接近した敵サーヴァントにこちらの従者を撃破された。

「加えて言うと時間も悪い。今夜は雲も少なくてよく見えたよ」

 敗北したサーヴァントを踏みつける大女、その足には先程の高速移動を実現したスキー板が装着されている。
 そして女の腕には成人男性の身長ほどもあるイチイの大弓が握られていた。
 恐ろしき巨人の女、そして美しき凍原の女神。

「さて、と」

 気さくな口調に相反して、矢を番え弦を引き絞る一連の動作に一切の情はない。
 引き分けに隆起する太腕の筋肉と獲物を見下ろす玲瓏な横顔は、力と美の織りなす完璧な調和。
 恐ろしき巨人は、美しき女神は、優雅に、冷徹に、足元の英霊の頭を吹き飛ばした。

「アタシの狩りはここまで、後はアンタの番だ、アギリ」

 しかし突然、女サーヴァントの姿が霊体化して消える。
 降って湧いた好機に、サーヴァントを失った直後にありながら、魔術師である彼女は動くことが出来た。
 目の前には、一人の男が立っている。

 状況からして敵のマスターに間違いなく、彼を殺害する以外に己の生きる可能性は残されていないと分かっていた。
 彼女は既に令呪の失われた手で素早く隠し持った刃物を掴み、無警戒に立ち尽くす男に向け突き出して、しかし―――

「ああ、君、まだ諦めてないんだ、良いね」

 やめろ、みるな。
 総毛立つ程の寒気と共に、彼女は己の破滅を理解した。
 高温によってナイフの刃が溶けている。男の身体に触れる直前、いや正確には男の身体を包み込む炎に触れた瞬間に。

「これはね、確認なんだ」

 狂ってる。
 この男は、自分の状態を理解していないのか。

「ね、もっとよく見せてよ、顔」

 やめろ。やめろ、みるな。
 その赤い眼で私を見るな。喉から絞り出そうとした声は、か細く震えて言葉にならない。
 燃える男がゆっくりと顔を近づけてくる。常に笑っているような、糸のように細い目が、彼女の顔面に触れんばかりに突き出される。

「見せてよ、君の眼、確認したいんだ」   

 熱い。熱い。見られている。
 見られていはいけない場所に、燃える鬼の視線が注がれている。
 文字通り穴が空くほど凝視された熱線は肉を突き破り、決して晒してはならない大事な場所に着火する。

「ほら、ちゃんと見なきゃさあ、分からないだろう」

 やめて、見ないで。
 肉体の最奥、魂魄の内側から吹き昇る火炎が爆ぜる。
 あまりの恐怖に悲鳴を上げた彼女の眼前で、鬼の右眼が捲れ上がるように見開かれた。




「ねえ君、僕のお姉(妹)ちゃん?」




 天上の眼。
 統べるは、悪鬼。
 〈はじまりの六人〉。
 抱く狂気は〈妄信〉。


 赤坂亜切。統べるサーヴァントは、凍原の女神。



【クラス】
 アーチャー

【真名】
 スカディ

【属性】
 中立・悪

【ステータス】
 筋力A+ 耐久B 敏捷A+ 魔力C 幸運B 宝具C

【クラススキル】
 対魔力:A
  A以下の魔術は全てキャンセル。
  事実上、現代の魔術師ではスカディに傷をつけられない。

 単独行動:A
  マスター不在でも行動できる。
  ただし宝具の使用などの膨大な魔力を必要とする場合はマスターのバックアップが必要。


【保有スキル】
 怪力:B+
  一時的に筋力を増幅させる。巨人の肉体が誇る規格外の暴力。
  使用する事で筋力をワンランク向上させる。持続時間はランクによる。


 巨人外殻:B+
  巨人種の肉体を構成する強靭な外殻。
  きわめて特殊な組成を有しており、攻撃的エネルギーを吸収して魔力へと変換する。
  吸収限界を上回る攻撃(一定ランク以上の通常攻撃や宝具攻撃など)については魔力変換できず、そのままダメージを受けることになる。
  此度は女神としての一面を少し備えた顕現であるため、通常時はランクAに及ばない。

 雪靴の女神:C
  神性、女神の神核を包括するスキル。
  精神干渉をほとんど緩和し、どれだけカロリーを摂取しても体型が変化しない。
  加えて雪原フィールド上では敏捷ステータスにプラス補正が掛かる。
  此度は巨人としての一面を強く備えた顕現であるためランクはC止まりとなる。


 千里眼(狩猟):A+
  視力の良さ。遠方の標的の捕捉、動体視力の向上。
  本来備わった狩猟の千里眼に、後述する宝具の副次効果が加わってランクアップを遂げている。
  動物の心理状態を把握する超感覚と先読み、そして天の眼はあらゆる敵対者を見逃さない。

 蛇の毒:C
  アースガルズの神、ロキを苦しませた大蛇の毒を所持している。
  父の仇とでもさらっと関係をもつ彼女の奔放さと、関係を持った相手でも容赦なく毒を垂らす冷酷さを現した逸話。
  刃物や矢に塗ったりと応用方法は多々あり。北欧の神性に対して若干の特攻効果がある。


【宝具】
『夜天輝く巨人の瞳(スリング・スィアチ)』
 ランク:D~B 種別:対人宝具 レンジ:1~999 最大捕捉:1
 かつてスカディが神々から奪い返し、天に奉じさせた亡き父の両眼。
 それは今も夜空に2つの星として輝き、上空から地上の女神を庇護する死線と化している。
 広範囲の索敵機構であると同時に、敵対者の急所を見抜く射撃統制装置。昼でも使えるが星である特性上、夜の方が効力は強まる。

 真名開放時は、アースガルズの神々を恐れさせたスカディの猛烈な怒りと進撃を再現する伝承再現宝具に変貌する。
 索敵範囲が一時的に縮小される代わりに敏捷と筋力のステータスが1ランク上昇。
 発見した対敵の霊核に向け、巨人としての本領を発揮した剛力の射撃を叩き込む。


『狼吼轟く女神の館(ヨトゥン・トリルヘイム)』
 ランク:B+ 種別:対陣宝具 レンジ:99 最大捕捉:99
 巨人の地、厳しい冬の世界。
 その山合いにある彼女の館、スリュムヘイムとその環境を再現する。
 常に猛烈な吹雪が止まず打ち付け、大狼の遠吠えが木霊する轟きの山館。

 世界の上に環境を建築する、固有結界とは似て非なる大魔法。
 発現中はスカディの全ステータスランク上昇に加え、効果範囲内のフィード判定は常に雪原、スキルによる敏捷補正が得られる。
 この空間でのみ、彼女は女神と巨人、両方の権能をフルに発揮することが可能。つまりいくらでもデカくなれる。
 ただし固有結界やどこかの黄金劇場とは違い、空間的にも物理的にも敵の退路を断つ意図は希薄と言える。
 よって逃げ出すことは不可能ではない。本気を出した巨人の手から逃れられるものならば。
 ちなみに館の生活環境が悪すぎて前夫とは破局しているが、「ヤツの家の環境も大概最悪」とはスカディの談。

【weapon】
 イチイの弓。
 スキー板。

 スキー走行による高速移動を得意とする。
 また巨人の体躯から放たれる射撃は、一発一発が大地を吹き飛ばす程の凄まじい破壊力を誇る。
 イチイの弓は後夫に作って貰ったらしい。


【人物背景】
 北欧神話に登場する巨人であり女神。巨人の地ヨトュンヘイムの山合いある館、スリュムヘイムに住む麗しき花嫁。
 スキーの女神、狩猟の女神としても知られている。
 アースガルズの神々の計略によって父スィアチを殺害された彼女は仇を討つべく怒れるままに神の地へ単身で進撃。
 その殺気は神をしても恐れを禁じ得ず、和解を提案された結果、紆余曲折の末、彼女は神と婚姻し自身も神族の一員となった。
 スカディの容姿は書物や場面によって大きく形容に開きがあり、ある時は獰猛で冷酷な巨人族の女戦士、ある時は美しき女神として描かれる。
 此度の現界では、逞しき巨人としての側面が少し強めに現れているようだ。

 狩猟とスキーの神としての逸話からアーチャーの他にランサーとライダーの適正を持つが、そもそも女神・巨人スカディは通常の聖杯戦争では単一霊基で召喚可能な英霊ではない。
 これは異質な環境と偶発的な要因が重なったエラーのような現界である。

【外見・性格】
 身長2メートルを超える筋骨逞しい巨体でありながら、どこか優雅な所作で気品を感じさせる女性。
 クセの強い黒髪ロングをオールバックにした姉御なヘアスタイル。服装は狼毛皮のコートにデニムパンツ、金のアクセを多数身につけている。
 4月の街では少し暑苦しく見えるが本人に気にした様子はない。

 性格は基本的に非常に大雑把でサバサバ気質。
 人間の悪も愚昧もまた良しと受け入れるが、一方で酷薄な面もあり、死ぬなら死ぬでそれまでの存在なのだろうと突き放す。
 かと思えば一度怒ると手が付けられない暴走状態に突入する激情家の側面もあり、正に巨人の獰猛と女神の品格を両立させた存在として君臨している。


【身長・体重】
 221cm・95kg
 第2宝具発動時に可変。


【聖杯への願い】
 ああ、そういや考えてなかったね。いい男でもいりゃ紹介してちょうだいな。


【マスターへの態度】
 愚かな悪党としてそれなりに気に入っている。
 見ていて退屈しない馬鹿は結構好み。せいぜい笑わせてほしいと期待している。


【名前】赤坂亜切/Akasaka Agiri
【性別】男性
【年齢】24
【属性】混沌・悪
【外見・性格】
 上下ともによれよれのダークスーツを着用した、痩せ気味の青年。
 長く履いた革靴は摩耗気味、短めに切りそろえた黒髪に若白髪が目立つ、ノーネクタイ。
 基本は糸目でへらっとした表情を浮かべているが、興味の対象を見つけると目を大きく見開いて凝視する癖がある。
 その際の瞼の開き幅、顕になる瞳の大きさと強烈な眼光は異様であり、視線を向けられた者をぎょっとさせる。
 現在における彼の興味は己の姉(妹)足り得る存在にのみ向けられており、それ以外の対象は心底どうでも良いと思っている。
 <一回目>開始時点では冷めきった厭世家だったが、現在は燃えながら暴走する妄想家。
 己が半身はかの少女と確信しているが、それはそれとしてそれっぽい子がいたら確認(もやさ)ずにはいられない。
 兄を名乗る不審者にして弟を名乗る異常者。

【身長・体重】
 174cm/56kg
【魔術回路・特性】
 質:C 量:C
 特性:『嚇炎の魔眼』

 魔術師としては非才だが、魔の混血によってマスターとして立ち回るに十分な回路は備えている。
 また後述する超能力と魔眼によって、平均的魔術師を遥かに凌ぐ殺傷力を持つ。

【魔術・異能】
 ◇念発火能力者
  パイロキネシスト。
  基は超能力に分類される異能の一種。
  視界に捉えた対象を火炎に包み、焼殺するシンプルな暴力装置。
  発火能力者は制御が難しいことで知られているが、アギリは生まれつき備えた『嚇炎の魔眼』によって、強い指向性を得ることに成功していた。
  その火炎の本質は人体発火現象として一般的な芯燃焼ではなく、強烈な眼光束による肉体テクスチャを突き破る収斂火災。
  魂に着火した嚇炎は肉体を水に浸けるような真っ当な手段では消火することが出来ず、魂に引きづられ肉が炭化するまで燃え続ける。
  間違いなく強力な魔眼であるが、現在この力は暴走状態にあり正常な機能を失っている。

 ◇嚇炎の悪鬼
  ブロークンカラー。
  神寂祓葉という逆光によって眼球(レンズ)ごと焼き切れたアギリの精神は、肉体の再生を経ても修復されることはなく、魔眼の機能に深刻な故障を発生させている。
  破損した魔眼の罅割れから漏れ出した嚇炎が自己の精神と魂にまで引火、現在ではアギリの肉体そのものが火元と化している。
  精神的高ぶりが臨界を超えると能力の制御を失い、自身と周囲を燃焼させるはた迷惑男となってしまったのだが、自己能力の副産物で炎に耐性を持つ彼はこの事実に全く気づいていない。
  また、この状態に移行したアギリは全身を包む炎の鎧によって防御されており、生半な攻撃では傷つくことはない。
  つまり制御を手放すことと引き換えに、飛躍的に性能と殺傷性を引き上げた強化状態とも言える。


【備考・設定】
 瞳を焼かれたパイロキネシスト。
 超能力者にして嚇炎の魔眼の持ち主。
 退魔四家と呼ばれた名家、浅神の分家筋、発火能力を継承する一族の生まれ。

 本家と同様に混血との交わりを繰り返した結果、凋落の一途をたどる赤坂家の悪足掻きによって、魔と退魔のハイブリットとしてアギリは生産された。
 最後に退魔血族としての最高傑作を残すべく。交配から産後まで完璧に計算された育成計画はしかし、予想外の双子の誕生により頓挫する。

 自身の姉、あるいは妹が、自身の才能を完成させるためにだけに、生まれる前に母親の腹の中で殺害されていた事実を、アギリが知ったのは12歳の冬の日だった。
 そのとき彼は自身の生まれつき抱える喪失感、どんなに暑い日でも感じていた寒気の正体について合点がいく。
 なるほど自分の半身は、生を受ける前に引き裂かれていたのだと。

 赤坂の家が完全に没落した後、自身を引き取った男の手引きによって、成長したアギリは裏稼業に手を染めていく。
 魔なるものを討つ、とは名ばかりの実際は依頼された魔術師を殺害する暗殺業紛いの汚れ仕事。
 空虚な心持ちで淡々と仕事をこなしながら、彼はいつしか一つの空想に救いを求め始める。

 殺されたという双子の姉(妹)が何処かで今も生きているという可能性。
 物心つく前にアギリを捨てて家を出た母親が、密かに彼女を産み育てていたとしたら。
 時折浮かぶそんな子供じみた妄想を、自分でもバカバカしいと自嘲し。
 しかし幾つかの偶然が重なって用意された舞台、〈第一次聖杯戦争〉にて、彼は"それ"と出会ってしまう。

 小規模な戦闘に居合わせ、偶然助けたひとりの少女。見るからに殺し合いの場にそぐわない無力な一般人。
 一時的に協力関係を結び適当なタイミングで見捨てるか切り捨てるかするつもりだった筈が、気づけばもっと関わっていたいと思ってしまう。
 少女の明るく朗らかな笑みを目にするたびに、彼女と関わる内に少しずつ変化していく自分の心に戸惑いながら、生まれて初めて胸の満ちるような熱を得た。
 そうしてあるとき、ごく当たり前のように、あっさりと彼のほうが切り捨てられた。

 今際の際、輝きに瞳(のう)を焼かれながら、アギリは去りゆく少女を凝視する。
 既にアギリのことなど全く眼中にない、別の誰かに笑いかける、その美しい横顔を網膜が燃え尽きるまで凝視する。
 こうして太陽からの逆光を浴びすぎた彼の精神は眼球ごと焼き切れ、空想の姉(妹)を追い求め火熱する悪鬼として新生した。

 それは逆転の理論であり狂人の発想。
 僕にとって初めて特別な誰かになった君。
 なのに君にとっての僕が、何者でもないなんて、そんなことはあり得ない、あっちゃならない絶対に。
 だから、きっと僕は、君のお兄(弟)ちゃんなんだ。そうだろう。


 〈はじまりの六人〉、そのひとり。
 抱く狂気は〈妄信〉。
 赤坂亜切。サーヴァントは、凍原の女神。


【聖杯への願い】
 お姉(妹)ちゃんを見つけ、認知してもらう。


【サーヴァントへの態度】
 姉判定バツ、妹判定バツ、不合格。
 でもその眼は嫌いじゃない、勝手に燃え尽きないところもね。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2024年08月30日 03:00