◆◆◆

 産まれそだったその小さな村で、楠枝義央(くすえだ よしお)はまさに神の如き存在だった。
 村の成立の頃から村長の地位にあり、明治の頃から事業家として成功した、地方でも有数の名家の長男としてに産まれた義央は、小さな共同体の中とはいえ、何不自由無く育った。

 産まれついて明晰な頭脳を有し、言葉を話せる様になるのも、両親の教育を理解するのも、同年代の者たちはおろか、歳上の児童すらも凌駕し、10歳の時には、高校生クラスのカリキュラムもこなせる頭脳を発揮した。
 肉体面に於いても、小学校高学年の時点で170cmを超える身長と、背丈に相応しい体格を有し、体躯に相応しい優れた運動能力を発揮。
 小六の時に、十種競技で中学生の全国記録に迫る数字を叩き出し、周囲の大人達に、将来は五輪で金メダルを取る事も夢では無いと期待させた。
 小学生の時から始めた野球は、17歳の時に、春夏の甲子園出場という結果となって現れ、夏の選抜では、投手としてマウンドに立ち続け、所属校を優勝へと導いた。
 頭脳でも、身体でも、共に才能に満ち溢れ、容姿に於いても優れた義央は、天才、神童と持て囃され、周囲からは常に称賛と羨望を浴びる存在だった。
 為人(ひととなり)も謙虚であり、産まれながらにしてこれだけ恵まれたものを持ちえながらも、周囲に礼節を持って接し、驕ることなく真摯に野球に打ち込む姿は、見る者全てに好印象を与えた。
 将来はプロ野球選手となり、活躍する事が確実視され、引退後は実家と自分の看板を背負い、国政入りするだろうと誰しもが思い、誰しもが認める輝かしい未来図。
 凡そ非の打ちどころの無い人間の、粗の探し様のない人生。楠枝義央のこてまでの人生を語ればそうなるし、今後の人生を語ってもそうなるだろう。
 順当に義央が人生の道程を歩む事が出来ればの話だが。


◆◆◆

 硬いものが肉を抉る音を残し、泥で汚れた服装の少年が吐瀉物を撒き散らしながら、夜の公園を転がった。
 地面にうつ伏せに倒れて痙攣する少年の頭を、ついさっき少年の腹を蹴り抜いた革靴が踏み躙る。

 「や…やめて、くだ……さい」

 か細い懇願の声を無視して、頭を踏む力が更に強まる。
 短い、意味を為さない呻き声を、三分間の間たっぷりと吐き出させ、靴は少年の頭から離れた。

 少しの間、加害者の様子を伺う様に、地面と密着したまま動かなかった少年の頭部が、震えながら僅かに上がる。
 途端に勢いよく落とされた靴により、盛大に地面と少年の顔がぶつかった。
 短い悲鳴を上げて、動かなくなった少年の鼻の辺りから、鮮血が周囲に広がる。

 「鼻ぁ、折れちまったか」

 血を流す少年に、加害者の声が降ってくる。嫌な声だった。悪意と侮蔑で出来た声。こんな声を出す者は、腐り切った性根と精神を持つに違いないと、聞いた者全てに悟らせる声。

 「死んでないよな。まだ」

 嫌悪感を抱かせる笑顔で、一方的な暴力を愉しんでいるのは、楠枝義央その人だった。
 眉目秀麗と言って良い顔立ちを、暴力と加虐の愉悦に歪めて醜悪に笑いながら、地面に転がる少年を蹴り続けている。
 地位と財のある名家に産まれ、産まれ持った個人としての資質も又、自ら天才と称しても誰からも意を唱えられない程に秀でている。
 周囲を見下しても、仕方がないと認められ。
 傲慢尊大に振る舞っても、彼ならばと許され。
 野球を始めて、甲子園で優勝し、全国に名を轟かせた後は、地元の希望の星として、地域ぐるみで彼の行為を擁護し、隠蔽した。
 この環境下に於いて、増長せず歪まない人間など、極々一部でしか無く。楠枝義央は大多数に属する存在だったというだけだ。
 実家の名前と財力、周囲の人間の思惑。最悪殺しても実家の力で何とか揉み消せる相手を選んでいる事もあり、未だ世間には発覚してはいないものの、
 齢十七にして既に十人以上を自殺させ、その10倍以上の数の人間に、生涯消えない心身の傷を負わせた凶悪極まりない精神を、楠枝義央は有している。
 傷害、窃盗、放火、恐喝、強姦…。凡そ殺人以外の事はやり尽くしたと言っても良い。


 この公園は高台に在り、やって来る為には結構な長さの階段を登る必要があった。深夜ともなれば、来る者など先ず居ない。
 義央が暴力を存分に振るう為にある様な場所であり、事実数えきれない人間が、此処で義央のサンドバッグになってきた。

 「今日はさぁ、お前を殺そうと思って呼んだんだよ。今まで人殺した事無かったしな。けどまぁ…。初めて人殺すのを『童貞を捨てる』っていうだろ。おまえが童貞捨てる相手とか嫌だしなぁ。許してやるよ」

 地面に転がる少年を、踏みつけ、蹴り飛ばし、馬乗りになって殴りつけ、首を絞めて血泡を噴かせての、この言葉。少年を自分と同じ人間と、欠片も認識していない事が明確に理解出来る言葉だった。
 義央の言葉を理解したのだろう、強張っていた少年の身体から力が抜けていく。
 短く、小刻みに行われていた呼吸が、徐々に長く緩やかなものへと変わっていく。
 今日はもう、これ以上の恐怖と苦痛を与えられる事はない────少年がそう思って、深い深い安堵の息を吐き終えるところで。

 「だからさぁ、おまえ女居ただろ。連れて来いよ。あのメスブタで勘弁してやるよ」

 まだ終わっていないと告げる無情の宣告。

  「え……」

 鈍い音と共に、再び踏み落とされた足により、少年の顔が地面にめり込む。
 呼吸が出来ない苦しみにもがく少年へと、義央の嘲りが降り注ぐ。

 「え……じゃねえよ。お前で童貞捨てるの嫌だから、お前と付き合ってるあのメスブタにするんだよ。理解しろや、ボケが」

 「そ、そんブギャッ」

 「じゃあここで死ぬかぁ!?」

 怒声と共に繰り出した爪先蹴りは、少年の顔にクリーンヒットし、盛大に歯を飛び散らせながら、少年の頭部が背筋ごと大きく仰け反った。

 「良く考えとけよゴミ。メスブタと自分の命、どっちにするか」

 吐き捨てて、義央は階段へと向かって歩いて行く。
 無論、少年がどちらを選ぼうが知った事ではない。少年はどの道殺すし、メスブタも殺す。
 どう殺そうか考えながら、階段の最初の階に足を掛け───義央は背中に衝撃を感じた。

 「えっ」

 気付いた時には身体が宙を舞い。呆然としたまま義央は階段の角に顔から落ち、そのまま下まで転がり落ちる。
 最初に落ちた際に、折れた鼻から盛大に血を噴き出し、砕けた歯を階段上にばら撒きながら、義央の身体は止まらず、四分の三ほど転がり落ちたところで漸く停止した。

 「一体────何が」

 全身が痛む。頬骨が折れてまともに声が出ない。肋骨が複数本折れて、呼吸をするだけで激痛が走る。

 「いてぇ……。いてぇ……!」

 常人ならば動けなくなる程の痛みと怪我でありながら、立ち上がる事ができたのは、義央の日頃の鍛錬の賜物だ。
 ヨロヨロと立ち上がり、歩き出そうとして一歩を踏み出す。捻挫した右足首から生じた激痛が義央の下半身から力を奪い、義央は地面に倒れ込んだ。

 「ギッ…イイイイイイイイイ!!!!!」

 倒れ込んだ際に咄嗟に伸ばした右腕の肘の部分から、乾いた音が聞こえた気がした。体重と勢いを支えられずに壊れた右肘のたてる悲鳴だとは知る由もなく。
 全身の痛みと、右肘から聞こえた音の意味を悟った事による絶望とに、義央は地面を転がり廻り、泣き叫ぶ。
 耳障りな鳴き声を、義央の背中に炸裂した衝撃が断ち切った。


◆◆◆

 十一年後。義央は車椅子生活を余儀なくされていた。
 あの日、公園に呼び出して、思う存分に甚振った少年に突き飛ばされ、階段の上から飛び降りた少年に背中を思い切り踏みつけられ、脊椎に重大な傷を負い。
 義央は二度と立つ事が出来なくなり、野球生命を絶たれた。
 下半身が動かなくなっただけで、上半身の機能は健在。頭脳もそのままであったの事は幸いといえた。
 野球を断念し、優秀な頭脳を活かして父の会社に就職。幾つもの事業を成功させ、大きく発展させる事に成功した。
 実家の名と、かつて将来を嘱望されていた悲劇の高校野球の名選手。その二つを有用に活用し、政界の大物とも繋がり、未来の政界入りも確実なものとした。
 野球生命を絶たれた事は、義央の人生の大きな瑕疵ではあったが、義央が恵まれた天分を活かしに活かし、己が人生を歩んで行く事には何一つ変わらなかった。
 それでも、義央は満足していなかった。

 手に入る筈だったもの全てを、手に入れる事が出来なくされた。
 大企業の次期社長としての現在。将来の政界での確固たる地位。
 此処に、不世出の野球選手としての名声と栄光が加わる筈だったのだ。
 己の人生は欠けてしまった。その想いは、二度と立つ事は出来ないと、医者に告げられた時から常に義夫の胸を抉り続けている。
 己をこんな目に遭わせてくれた屑を、一家纏めて徹底的に虐げ、弾圧し、全員揃っての心中に追い込んでも溜飲は下がる事はない。
 己の輝かしい人生を永遠に毀損した罪と、あの屑と屑の家族の命では、天秤に乗せることすら有り得ない。
 数十億の金が動き、数万人が関わる巨大プロジェクトの指揮を執っているときも。
 政界の大物たちと会談し、大企業のトップと会食している時も。
 義央の胸には、空虚な穴が空き、その中で渇望が燃え盛っていた。
 決して満たされぬ渇望に灼かれ、決して埋められぬ空虚を抱え。
 義央がこの先どれだけのものを得ても、決して満たされる事は無い欠落。
 元より凶悪この上なかった歪んだ精神が、さらに歪み狂っていったのは至極当然の事と言えた。
 金で身柄を買った人間を犯し、苛み、獣に生きたまま食わせ、射的の的にし、人としての形がなくなるまで暴行を加えて惨殺した。
 事業の、或いは政治家としての活動の邪魔になる人物は徹底的に攻撃して、一族諸共消し去る事が多々あった。
 だからこれは只の応報。
 今に至るまで義央が作ってきた無数の悪因の内の一つが齎した、只の応報。


◆◆◆


 息を吸っただけで、肺腑が赤く染まりそうな程の血臭が室内に満ちていた、
 部屋の一角に鎮座する巨大なベッドで、楠枝義夫は死に瀕していた。
 鮮血で赤く染まったシーツの上で、陸に打ち上げられた魚の様に、力無く口を開閉させる姿は、義夫の生命がもう尽きることを如実に物語っている。
 力無く仰向けに転がり、焦点の合わない虚な視線を彷徨わせる義央の上で、全裸の女が何度目かになるかも分からない位に、繰り返した行為を実行する。
 能面の様な無表情で、ナイフを振り上げ、振り下ろす。義夫の身体が刃で穿たれ、鮮血が噴き出す。
 義央に跨った女は、返り血で全身血塗れだったが、全く意に介した風も無く、刃を振り上げ、振り下ろす。
 義央には判らない。自分を滅多刺しにしている女が、かつて自分の人生に永遠の傷をつけ、義央により一家心中に追い込まれた少年の恋人だったという事が。
 義央は知る由もない。自分の身体に無数の穴を穿った刃が、かつて義央により破滅させられれ、義央への復讐を誓い、義央の警護となって機を窺う者から、女へと渡された事を。
 義央が積み上げて来た憎しみが、今この瞬間に、義央を押しつぶしているだけだという事を。
 義央は何も知らぬまま、その生を終える。

 「しに…たく…ない……」

 それでも義央は生にしがみつく。生きてもっと快楽を味わいたい。栄誉と名声を手に入れたい。
 その一念で、致命傷を負った身体を無理矢理生かし続けている、
 全身から抜けて行く力を掴みとろうとする様に、助けを求める様に、伸ばした左腕が、何かに触れて────。


 ◆◆◆

 “俺達は生まれも育ちも何もかもが違う。けれども、一つの共通項が有る。それは『被害者』だという事だ”

 “幸いな事に、君と俺のサーヴァントは、戦う意思の無いマスターを駆り立ててまで、己の願望を叶えようとする手合いでは無い”

 “俺達は手を組める。此処から脱出する為に”

 “志を共にする陣営で結託し、我欲のままに聖杯を狙う奴等を全員排除する”

 “その上で残った陣営のサーヴァント同士で戦い、勝ち残った最後の一騎のマスターが、全員の生還を願う”

 “サーヴァントを失えば、数時間でマスターは消える。だが、この方法ならばマスターは消える前に此処から脱出が出来る”

 肉体の裡に漲る力と意志とを感じさせる視線と声。どんな困難であったとしても、この男と共にあれば越えていける。そう、信じさせる声。
 産まれながらにして、人の上に立つ才を────否、人の上に君臨する天運を持って産まれたと確信出来る男だった。
 政界に身を投じれば一国の頂点に上り詰め、経済界に身を投じれば、世界そのものを支配し動かす大企業の長となれる。
 そう信じさせるだけの、力と圧とを身に纏った言葉を、少女は信じた。信じてしまった。

 そして今に至る。
 聖杯を求めて、他の主従を皆殺しにしようとする魔術師とサーヴァント。とある廃ビルを工房として、人間を狩り集めては、悍ましい実験の素材としているという。
そんな存在が居ると聞かされ、結んだ同盟の初戦だとサーヴァントを従え、同盟を持ちかけて来た男と共に、意気揚々と出陣し。廃ビルの中に転がる無数の死体を見て。
 そのあとは良く分からない。床と壁と天井が黒く波打ち、無数の死体から赤い帯が自分とサーヴァントに伸びたのは記憶している。
 気がつけば床に転がり、サーヴァントの姿は見えず。自分は頭蓋を叩き割りたくなる様な頭痛に苛まれている。

 薄い赤の色の床に横たわり、心臓が頭蓋骨の内側に移動したかの様な頭痛に苛まれながら、少女は甘言を信じた過去の自分を呪っていた。
 脈動により脳の血管を血が巡る。その度に意識を失うことすら出来ない苦痛が襲ってkjる。
 少女が従えていたサーヴァントの姿は、とうに見えなくなっている。念話にも、応えることは無い。生きてはいる。まだ死んでいない。只それだけだ。

 「先ず一体」

 激痛という言葉ですら言い表せぬ痛みの中にあってなお、鮮明に聞こえる女の声。

 「凡人ではあるが、ないよりはマシというもの」

 冷たいというよりも無機質な声。声そのものは、何時でも何時迄も聴いていたいと思う程の美声だが、一切の感情が存在しない。
 声を聞いただけで理解出来る。この声の主は情など持たぬ化物だと。

 「だ…だれ……」

 肉体の存在すら知覚出来ない程の痛みに苛まれながら、少女は声の方へと目線を向けようとして───否出来なかった。
 既に身体を動かす事すら能わない。痛み以外が意識のうちに存在しない。至近の死が確定していても、恐怖を感じることは無かった。

 「ガギッ!?イイイイアアアアアアアアあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 頭部七穴から鮮血を流し、絶叫しながら痙攣する少女を、女は無感情に見下ろしていた。
 赤い、血で染め上げたかの様な赤い衣服を纏った女だった。見るものが見れば、中国は唐代の貴人の装束と判るだろう。
 最上級の絹糸で織られたといっても信じられる、僅かに赤みを帯びた黒い髪。ブラックダイヤを思わせる輝きを放つ感情の無い黒瞳。
 顔の中心にあって造形美の極致とは何であるかを主張する鼻梁。色の薄い朱唇は男であれば────女であっても吸い付きたいと思う魅了を放っている。

 凡そ美女という概念の擬人化ともいうべき容姿の女だった。

「存外に早いな。私の時は、もう少し掛かったが、素になった人間の差か?」

 少女の眼球が、内側から圧されたかの様に迫り出す。全身が激しく痙攣し、背骨が折れそうな程に体を退け反らせる。
 頭蓋骨の内側に何かが潜み、外に出ようとしているかの様に、頭部が膨張する。
 もはや声ですらなく、奇怪な音を発するだけになって少女に向けていた視線を外し、女は右へと顔を向けた。

 「ご足労頂き、有難う御座います。“母上”」

 女の向けた目線の先、埃の積もったソファーに腰を下ろすのは、鍛えられた身体を持つ長身の“男”。第二次聖杯戦争のマスターとしてこの偽りの東京に在る楠枝義央その人だ。
 少女と少女の従えるサーヴァントを欺き、死地に誘い込んで平然としている精神性は、楠枝義央その人だが、何処かで“違う”と感じさせるモノがある。
 “母上”と呼ばれた義央は、その事について何も反応を示さず、ただ鷹揚に頷いただけだった。

 「あまり出来は良く有りませんね。我が婿と違い、所詮は凡人で有る以上は仕方がありなせんが。それでも、貴女の“妹”ですよ」

 「理解していますよ」

 そっけなく答えて、女は脚で義夫の前にオフィスチェアを動かすと腰を下ろした。無作法な振る舞いに義夫の眉が顰められる。

 「行儀が悪いですよ」

 「素が素ですので…。取り繕う事は出来ますので良しとして頂きたく」

 義央に窘められて、女は淡々と答えた。

 「今まで他のマスターが見つからなかったので、貴女に任せ切りでしたが、こうして身体を動かすというのも、中々に悪くは無いですね」

 「母上、あまり単独で行動されては、我等の大願成就の為には、貴女は生きていなければなりません。我等と違って、変わりは居ない身なのですよ」

 「分かっています。貴女の、貴女達の為にも、私は在り続けなければならないのですから」

 楠枝義央を知る者全てが我が目を疑うであろう、慈愛に満ちた笑みを浮かべて、義央は痙攣するだけの少女を見下ろした。

 「産まれますよ」

 義央の声と同時、元の大きさから数倍にまで膨れ上がっていた少女の頭部、その頭蓋の部分が爆ぜ、脳の収まっている部位から、一匹の巨大な蟻が這い出て来た。

 「……私もこの様に産まれたのですか?母上」

 「いえ、最初に産まれる貴女は別ですよ。婿殿の臓物で育ちました。婿殿が優秀であった為か、倍の時間を要しましたが」

 頭蓋が破裂して死んだ少女から産まれた巨大蟻を、愛おしくてたまらぬといった風情であやしながら、蟻へと義夫が語る。

 「さぁ、貴女の群れを率いなさい」

 床が壁が天井が波打ち、複数の薄い赤い色の帯が蟻へと伸びて、身体に纏わりつき、姿形を変えていく。
 数分後。死んだ少女の骸は何処にも無く。死んだ少女そっくりの姿の“モノ”が立っていた。

 「服を着なさい。そのなりでは外を出歩けませんよ」

 「はい…かあさま」

 死んだ少女の姿をした“ナニカ”は応え、身体の表面が波打ち、変化する。数秒で、二十一世紀の日本の、私服姿の女子高生といった風情の衣服を身につけていた。

 「それでは…妹が出来た以上、これまでの様に名無しというわけには参りませぬ。母上、名を賜りたく存じます」

 「そうですね……。ではこの子の名前は追々考えるとして、貴女の名前は“槐(えんじゅ)とします。良いですか?」

 「エンジュ。エンジュですか……ええ、私たちに縁深い名ですね」

 「かあさま、食べても良いですか」

 生まれたばかりの少女が、如何にも物欲しげな風情で、東部の爆ぜた骸を指差していた。

 「構いませんよ」

 「有難う御座います」

 少女の口元が歪んで裂けると、昆虫の顎を思わせるモノが迫り出す。二、三度確かめる様に顎を開閉させた少女は。

 「頂きます」

 死体に齧り付いた。


◆◆◆


 楠枝義央は得意の絶頂にあった。
 一国の女帝に娘婿として乞われ、公主(皇女)と結婚して玉座に座り、階(きざはし)の下を睥睨すれば、遥かに望む地平線。更にはその先の見果てぬ大地の悉く。大海を渡った先にある大陸すらもが彼の領土だった。
 領土を巡幸すれば、地の果てまでをも埋め尽くす大群衆が歓声を以って迎えた。
 義央の下知ひとつで百万の軍勢が動き、義央の指し示した国を灰燼と帰さしめた。

 此れこそが。と思う。
 此れこそが俺の求めていたものだと。
 富。名声。力。この世の全てが義央のものだった。

 「主上(マスター)」

 義央が今まで抱き、嬲り、責め苛んできた女達が、カボチャの山にしか見えない美女が、義央の足元に跪き。義央の求めに応じて肢体を捧げる。

 この世の全てを手中に収め。楠枝義央は口元を醜く歪めて笑っていた。


◆◆◆

 「如何なる夢を見ているのか」

 東京都は千代田区にある大豪邸。初見では森と勘違いする者が後を経たない広大な敷地に囲まれた邸宅。
 使用人が数十人派住んでいてもおかしくは無いその邸宅に、現在住まうのは僅かに一人。
 実際のところ、人数という点で言えば数十人を数えるが。

 屈強な男が5人は横たわれる巨大ベッドに眠る男。楠枝義央だけが、この屋敷の“生きた”住人だった。

 「母上が活動なさる為に修復したか。此処に連れて来ればその様な必要は無かった。無駄と言えば無駄な事をしたな。まぁ、母上が楽しめたのであればそれで良い」

 ベッドの上で、死んだ様に眠る義央を見下ろしているのは、槐という名を得た美女だった。

 「母上。動かさぬのであれば、部下を戻して頂きたく」

 義央以外の誰かに向かって呟くと、目を閉じて二、三度頷き。義央に向かって右手を伸ばす。

 「おいで」

 義央の皮膚が波立ち、無数の薄赤い点となって槐の右手へと動き出す。
 良く見れば、無数の点は蟻、イエアリと呼ばれる蟻だと判るだろう。
 槐の右手へと伸びる蟻の列が途切れると、後に残されたのは無惨を晒す義央だった。
 四肢は無く、残った胴は肉がろくに無い骨と皮だけという惨状。顔は鼻と唇が存在せず、左右の眼球の部分は黒々とした穴が空いている。
 一見すれば、骸としか見えぬ。
 だが、肉がすっかり落ちた胸部は、目を凝らさずとも弱々しく脈動する心臓が確認できる。僅かに膨らみ、そして萎む胸部は、義央が呼吸をしている事を物語っている、
 楠枝義央は生きている。だが、それは只、死んでいないというだけだ。

槐が手を打ち合わせる。一度。二度。三度を数える前に、二人のメイドが室内へと入ってくる

 「主上(マスター)の世話を」

 それだけを言うと、首を垂れて主人への礼節を示す従僕達を残して、槐は部屋から出て行く。後は任せておいて問題は無い。
 この屋敷に使える者達は、決して裏切らないし、ミスもしない。
 この屋敷に“生きている人間”と呼べるのは義央のみ。他のものは、“母”が槐を産み落としたその日の内に、槐の産み出した蟻により全員が殺され、傀儡と変えられた。
 必要がある為に肉体は生かしてはあるが、人としては死んでいる。何より槐の“母”が消えれば彼等は死ぬ。

 「群れを増やし、妹を増やし、数をどれだけ揃えても過剰ということは有り得ない」

 “群れ“を増やす為に人を用意し。“妹”を増やす為にマスターを探し。
 今回は“母”の協力もあって上手くいったが、あなり“母”を他のサーヴァントの前に晒すのは避けたいところ。

 「やはり先ずは群れを大きくして…。他の者どもに気付かれても厄介だが……。気付かれにくい手合いを見繕うか」

 例えば反社。例えばホームレス。消えても気付かれにくい人間というものは確かに存在する。東京ともなればその数は膨大だ。

 「慎重を第一に。我等の大願成就の為に」

 屋敷の廊下を歩きながら、槐は聖杯戦争を勝ち抜く算段を組み上げていた。

 「あの時夢見た、人としての生。是が非でも掴んで見せる」

◆◆◆


 『南柯之夢』という言葉が有る。人の生の儚いことを表す言葉だ。

  一人の男が酔って槐の木の下で眠り、大槐安国という国招かれ、国王に南柯群の太守となるよう頼まれ、王女の婿となって栄華を極め、二十年を過ごした後に、目が覚めた。
 目が覚めた後に周囲を調べると、槐の樹の下に二つの穴が有り、中には大きな蟻が営巣していた。
 この巣が大槐安国であり、もう一つは槐の木の南に向いた枝へと通じていた、この穴が南柯であった。
 男は夢に蟻となり、二十年の時を一睡の内に過ごしたのだ。


 楠枝義央が召喚したサーヴァントは、この『南柯之夢』が、蟻を依代として実態を得たもの。
 絵本のジャンルがサーヴァントとなったナーサリー・ライムの亜種。
 特定の物語に依らないナーサリー・ライムと違い、たった一つの物語に依る『南柯之夢』は、一つの姿、一つのカタチしか取り得ない。
 蟻を核とし、マスターに夢を見せるサーヴァント。それが楠枝義央の召喚したモノ。
 楠枝義央は己が現状に気づくこと無く。夢の中で栄養栄華を恣にし続ける。


サーヴァント
【クラス】
キャスター

【真名】
『南柯之夢』

【属性】
中立・中庸

【ステータス】
筋力 A 耐久 D 敏捷 B 魔力 D 幸運 B. 宝具B

【クラススキル】
陣地作成:C
魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。
“巣”を作る出す事が可能。


道具作成:D
魔術的な道具を作成する技能。
軍隊蟻の行進に際して、蟻が集まって橋を作るのと同じ要領で道具を作成できる。
その使用上、簡易な構造のものしか作成出来ない。


【保有スキル】

増殖:A
女王及び公主が血肉を喰い、喰った分だけ卵を産む事で爆発的に増殖する。
通常は『南柯之夢』の核となったイエアリが産まれるが、通常よりも多くのリソースを割く事で、バクダンアリの様な異なる蟻を産む事が可能。
なおシロアリは蟻でない為に当然の事だが産めない


陣地侵食:B
イエアリとしての性質。陣地の中に侵入し、何らペナルティーを受ける事なく活動出来る。
蓄積してある魔力リソースを奪うことも可能。
陣地そのものは食い潰せない。


魔力放出(毒):C
要は蟻酸を魔力をリソースとして生成。直接撃ち込むなり水鉄砲の要領で飛ばすなり出来る。
仲間の蜂と違って毒がウリでは無い為このランク。


怪力:A
一時的に筋力を増幅させる。魔物、魔獣のみが持つ攻撃特性。
使用する事で筋力をワンランク向上させる。持続時間は“怪力”のランクによる。
蟻の力持ちっぷりは有名である為にランクは高い。

【宝具】

大槐安国(巣)
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:ー 最大捕捉:一人

物語に於いて夢の中の国であった大槐安国を作成する。
女王若しくは公主が作成できる。
適当な人間の頭蓋の中にに入り込み、脳を喰らい尽くして自身が脳機能の代わりとなり、入り込んだ人間の血肉を喰らって卵を産む。
当然営巣された人間は生体的には生きているが、脳が喰われ尽くす為に、人としては死んでいる。

卵から孵った蟻の能力は、営巣された人間の能力に比例する。つまり優秀な人間を巣にすれば優秀な蟻が産まれる。
群れを構成する蟻は、人しか食えず、一万匹の群ならば、一日に成人を二人消費する。
女王及び公主はサーヴァントも喰える。餌としては人間よりも上質との事。

ある程度蟻を産めば、産んだ蟻に脳機能の代行を任せ、後述の宝具を用いて活動する事が出来る。

女王はこの陣地の中でのみ、“公主”の卵を産む事が出来る。



公主
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:ー 最大捕捉:一人

女王が産み落とす“次代の女王”となる蟻。
聖杯戦争を戦うマスターの身体に埋め込む事で孵化し、脳を喰らい尽くして人としての知識を獲得して、頭蓋を破砕して誕生する。
公主は営巣し、新たな大槐安国を築いて卵を産み、新たな群れを築いてゆく。
公主の能力および性格は、苗床となったマスターに依る。
公主はそれぞれが独立して群れの主人であるが、互いに対立したりはしない。
女王、若しくはその代理である第一公主の命令に対しては忠実に従う。



蟻装
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:ー 最大捕捉:一人

産み出した蟻を用いて、人の世界で活動する宝具。
蟻を人の頭蓋の内側に入れて、脳を食い尽くさせ、蟻に脳機能を代行させる事で、蟻を入れた人間を自身の傀儡とするものと。
公主が産み出した蟻を纏う事で、人に擬態するものとがある。

前者は人間の肉体を乗っ乗っ取っているだけだが、痛みを感じず、肉体の崩壊を全く気にせずに活動できる為に、人外じみた身体能力と耐久性を持つ。
更には肉体の損傷を蟻により補う事が可能な為、撃破は困難を極める。

後者は、蟻の群れの制御を司る公主を殺さない限り、幾ら身体を粉砕しても、蟻が尽きない限りは再生し続ける。肉体の形を変化させる事や、蟻を用いて武器を製作することも可能。




『南柯之夢』

ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:ー 最大捕捉:マスター

マスターに『自身が王となり、一国を意のままに支配する』夢を見せる宝具。
宝具の中に捉えられたマスターは、王として国に君臨する。
現実で群れを構成する蟻が増える程に、夢の王国の住人は増えて行く。
女王の産み出した公主は、全て夢の中でマスターに侍る後宮の美女となる。
つまり公主が増えるほどにハーレム度合いが増して行く。


【weapon】
軍隊蟻の組体操の要領で作り上げる武器。空気鉄砲の要領で銃も作れる。射出される弾丸は蟻の塊である為に、当たると標的の血肉を喰らい出す。

【人物背景】

一人の男が酔って槐の木の下で眠り、大槐安国という国へ招かれ、国王に南柯群の太守となるよう頼まれ、王女の婿となって栄華を極め、二十年を過ごした後に、目が覚めた。
 目が覚めた後に周囲を調べると、槐の樹の下に二つの穴が有り、中には大きな蟻が営巣していた。
 この巣が大槐安国であり、もう一つは槐の木の南に向いた枝へと通じていた、この穴が南柯であった。
 男は夢に蟻となり、二十年の時を一睡の内に過ごしたのだ。

この物語がサーヴァントとなったもの。
召喚された『南柯之夢』は、手近にいた蟻を核として現界し、マスターに栄養栄華を恣にする夢を見せる。
マスターは何も知らずに眠ったまま。『南柯之夢』はサーヴァントとして、マスターの血肉を以って群れを増やしながら聖杯戦争を戦う。

【外見・性格】
女王は楠枝義央の体内に潜む巨大蟻。行動する時は義央の身体を蟻で修復して、楠枝義央として振る舞う。
義央の精神や記憶を把握して、知識や技能を全て用いる事が出来る為に、大抵の事は高水準でこなせる。
素の性格は、公主達や群れの蟻に対しては慈母の様に接し振る舞う。人間を始めとする他の生物は資源としか見ていない。

槐(えんじゅ)
第一公主。楠枝義央の臓物悉くを食い尽くして産まれた最初の公主。
性格は義央のそれを強く受け継ぎ、嗜虐的で冷酷傲慢。
義央の脳力も受け継いでいる為に、身体能力も知能も高い。
尊大に振る舞うが、女王に対しては敬意と礼節と娘としての情愛を持って接する。
妹達には尊大ではあるが確かな情愛と、姉としての義務感を持っている。
人としての外見は、僅かに赤みを帯びた黒髪黒瞳の美女。

なお白蟻呼ばわりされるとガチギレする。


【身長・体重】
槐:『本体』15cm (蟻装)181cm・72kg(可変)
女王:25cm


【聖杯への願い】
女王【娘(公主)達を人としたい】
槐【人になりたい】


【マスターへの態度】
女王【良い娘が産まれました】
槐【良質な資源】


マスター
【名前】楠枝義央/Kusueda Yoshio

【性別】男

【年齢】28歳

【属性】秩序・悪

【外見・性格】
見た感じは日焼けした鍛え込んだ身体の美青年。
性格は外面は礼儀正しく品行方正で正義感の強い好青年。
実際は暴力を好み、人をいたぶり殺す事を何よりも愉しみとする。

【身長・体重】
193cm・78kg

【魔術回路・特性】
質・C 量・B

【魔術・異能】
不明。

【備考・設定】
ある地方の有数の名家に生まれ、知力体力共に冠絶し、容姿にも優れた神童として育つ。
将来を嘱望されていた高校野球の名選手だったが、不幸な事故により野球生命が絶たれる。
それでも冠絶した頭脳を活かして、親の会社に就職。幾つもの事業を成功させ、悲運の高校野球の名選手という経歴と合わせて政界入りを目指していた。
誰に対しても礼儀正しく、誠実に振る舞う爽やかな好青年。産まれ持った才能と、実家の権力財力に驕らず、研鑽と自省を怠らない努力家。


というのは表向きの顔であり、実際には実家の力を傘に、自身の名声を隠れ蓑に、およそ犯罪という行為は大抵の事をやり、暴虐を恣にした暴君。
家族込みで、反撃出来ない相手を選ぶ為に、今まで発覚した事はないが、学生の時点で10人以上を自殺に追い込んでいる。
十七の時に、人を殺してみようと思い立ち、暴行を日常的に加えていた少年に、恋人を連れてくる様に要求するも、少年の逆襲に遭い下半身付随となる。
それでも明晰な頭脳と自身の境遇を活かして、親の会社で活発に働き、幾つもの事業を成功させる。
だが、完璧な筈だった人生が損なわれた。永遠に消えぬ傷がついたという事実が、元より凶悪だった義央を狂気へと駆り立てる。
裏で無数の人間を惨殺し、その十倍の人数に生涯癒えぬ傷をつけた義央は、かつて彼が一家心中に追い込んだ少年の恋人により殺害されたのだった。






【聖杯への願い】
そもそもが聖杯戦争に臨んでいるという意識が無い。
更に言えば彼の願いは夢中とは言え叶っている。


【サーヴァントへの態度】
(槐に対する感想)俺の欲望を全て受け入れてくれる極上の女。
女王とは面識が無い。

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最終更新:2024年07月06日 00:24