まことのことばはうしなはれ 雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
宮沢賢治「春と修羅」
「今まで剣道で覚えたことはすべて忘れてください! まだ腕に頼って振っています!」
ある剣道の道場で、剣道着を着た少女が隅に位置し素振りをしている。
その少女に対し、白の小袖に黒の袴を着た一人の女性が叱咤しながら肩や足に蟇肌竹刀を叩きつけている。
「まだ肩や腕に力みが出ています! 身体の芯で振るのです! 足で振るのです!」
女性の叱咤は激しさを増す。
「全くなっていません! 肚の内で撃つのです!」
その言葉に憤然とした少女は、女性に対し面を打ち込んだ。
「こうですか⁉」
瞬間、少女の身体は一転し、床に背中から叩きつけられた。手にしていた竹刀はいつの間にか女性の手の中にある。
「今のはまずまずです」
女性は少女を投げる前に空中に放った竹刀を片手で取りながら言った。
周囲がざわめく。おい、見たか? 無刀取りだ。本物は初めて見た。
周りの道場生には驚きの出来事だが、少女たち二人にとっては当然のことだった。
なぜなら指導をつけていた女性こそ、日本剣術史においても柳生一族においても屈指の剣聖とされる柳生連也斎厳包その人なのだから。
この東京でサーヴァント、アサシンとして召喚された彼女は、自身のマスターである少女、七月刹那に頼まれて稽古をつけていたのだ。
「不思議ですね。本来感情のままに剣を振るうと力みが生じ太刀筋が乱れるものですが、なぜか貴女は激情に身を任せた方が無駄な力が抜け、剣が冴える」
立ち上がる刹那に竹刀を返し、連也は微笑んだ。
「次は斬釘の打ちです。私の打ちを見て、続いてください」
連也は顔を引き締め、竹刀を緩やかに振り上げ、正中線から外れた右膝への軌道を正確に直線に振り下ろした。
再び周囲がどよめく。おい、見えたか。いや、分からない。
剣を上げ、振り下ろす。ただそれだけの動きが現代剣道のそれとあまりにも異質なため、目にした映像を脳が解析できず、結果見えなくなっているのだ。
連也に続き、刹那が同様の動きで、竹刀を振り上げ、振り下ろす。
三度目のざわめき。刹那は完璧とは言えないが、それでも道場生には同様の異質さを感じさせるほどに動きができていたのだ。
「先ほどで骨をつかんだようですがまだまだです! 右足の軸を意識して撃つのです! また力みが出ています!」
その後、袈裟、足切りなどの基礎の振りに無形の位、雷刀、影の太刀などの基礎の構え。正眼からの歩法「立帆の位」、「浮沈の位」。参学円之太刀、九箇之太刀の型稽古。
叱責を受けながらたっぷり12時間の稽古を終え、夜になる頃ロールとして与えられたアパートの自室に二人は戻った。
「牛炊作ったよ。稽古の事前に牛筋下処理して炊飯器で煮込んでおいたの。食べてみて」
刹那は炊飯器から米を茶碗によそい、その中に鍋の汁を注ぎ葱を散らして連也に箸と一緒に差し出した。
連也がそれを一口すすると、芳醇な牛のうまみが口中を満たした。
「この透き通った汁。牛筋という食材でこうも臭みを取り去り、旨味のみを引き出しているとは。見事です」
「うん、この作り方は初めてだけど上手くいったね」
同じく牛炊をすすり、刹那は満足げにうなずく。
「何と、初めてとは。驚きです」
「牛筋余ってるから明日は同じ作り方でポトフにしよっと」
刹那は一気に牛炊をかきこんだ。
「ところで、これから聖杯戦争についてですが、ご相談よろしいでしょうか。我が主」
刹那は牛炊の二杯目をよそい、改めて連也に向き合った。
「そこなんだけど、無理言って新陰流を教えてもらっているけど、どう? 私の感じ」
「そうですね。筋は悪くありません。何より没入の境地に入れるのが素晴らしい。このまま一週間も続ければ付け焼刃としては上等なものになるでしょう」
刹那の顔がぱあぁっと明るくなった。
「ですが、心構えはまだなっていません。まだ己のみ生きようとする執着があります」
「それって、悪いこと?」
「勝ちたい、生き残りたいというのは欲。敵の裏をかきたいというのもまた欲。その欲心、囚われこそが平常心を失わせ、剣を歪めます。剣者の戦いにおける勝敗生死は常に紙一重の差。故に生命に執着しない心構えが必要なのですが……」
連也は一つ息を吐いた。
「この聖杯戦争ではそうもいきませんか」
刹那は牛炊を一口すする。
「師匠は何回か刺客から襲われた記録があるけど、そういう囚われから自由だったってこと?」
「それは……難しいものです。私とて剣を極めたいという囚われ、欲心から終生逃れられなかったのですから。
それに今の私には欲があります。人生を賭して磨き、極めたこの技。使う機会も乏しくまたその必要もないと思っていましたが、サーヴァントの身になってどの程度通ずるかわが身を賭して試したいという思いが芽生えています」
連也は自分に対する昂りを感じ取っていた。
「なによりの大欲は主、貴女を生きて元の世界へ貸すことです」
そう言って連也は刹那を見つめる。
「……私だって死にたくないよ」
刹那は茶碗と箸をテーブルに置いた。
「だけどこの東京に召喚された以上、行われるのはただ一人が生き残る生存競争。聖杯戦争に逃げても乗っても待っているのは死しかない地獄しかないのなら、私は先に進む。そして必ず生き残る」
「そのために貴女は人を斬れますか?」
「――私は斬れるよ」
刹那は力みも高揚も不安感もなくさらりといった。その言葉で連也は息をのんだ。
いくらマスターとはいえ平和に生きた15歳の少女が本当の覚悟など出来ないものだ。
だが、彼女は違う。生き残るためなら人を斬るその決意がひしひしと伝わってくる。
思えばマスターである七月刹那という少女は没入の境地に剣術八戒の心を消さぬまま無心ならざる心持で容易く入ってきていた。
この聖杯戦争という場においても日常生活を保っていた。
そして今の言葉。この普通の少女が経験するにしては異常すぎる環境に適応しすぎている。否、喜びさえ感じている。
「――なるべくそのような事態が訪れないよう尽力しましょう。貴女は一度人を斬ってしまえば人が変わってしまいかねません」
それを言うのが連也にとって精いっぱいの思いやりであった。
実際聖杯戦争でマスター同士のやり取りで、相手を斬らざるを得ない事態は発生するだろう。
だからこそ、刹那という少女がそのままであること、手を汚さないことは、連也にとって望ましいことであった。
◇◇
夜中、閑静な住宅街に規則正しい音が鳴り響いている。それは木を打つ音だ。
「ねえ、お父さん。あの子まだ続けているわ」
「立ち木打ちって剣道の稽古だろ? いいじゃないか、集中できるものがあるっていうのは」
「あの子は度が過ぎているのよ。この前も――」
二人が話している最中、突然立ち木打ちの音が途絶えた。
「……刹那!」
慌てて女性は庭につながるドアを開け、外に飛び出る。
その先には荒い息をはき、地面に倒れている刹那の姿があった。近くにある打ち込み用の木からは煙が出ている。
「なんであんたはそこまでやるの⁉ いくら好きだからだって変よ!」
抱き起こす母親に向かい、刹那はつぶやいた。
「……分かんない……」
そうして刹那の意識は闇に溶けた。
刹那が気付くと、そこは暗闇の中だった。少し目が慣れると、自分の部屋と分かった。
手探りで蛍光灯のスイッチ紐を引き、点灯させる。体を眺めるとパジャマに着替えさせられていた。
刹那は自分の手をじっと見つめる。ごつごつと剣だこだらけの己の掌を。
「何でこんなにできてしまうんだろ……」
刹那自身も分からない。なぜ自分はここまでやるのか、やれてしまうのか。
別に他に集中できる物事はある。その中で剣術が一番好みだから。それだけでなぜ気を失うまで何時間でも没頭できるのだろう。
人を斬りたいわけじゃない。そこまで倫理観がぶっ飛んでるわけじゃない。
ただ、一度始めればどんな物事でも満足するまで没頭できたことがない。
「……師匠が欲しいなあ……」
欲しいのは剣道じゃなくて、剣術の師だ。剣道では部活の剣道五段の顧問がいるが、剣術家は近所にいない。
そこで示現流の稽古の立ち木打ちは、独学でもある程度いけるというので家で行っていた。
「……いや、おかしいよね私。別に人を斬りたいわけじゃないのに……」
現代で人を斬れる技なんて必要ないし、本当に行ったら殺人だ。
なのになぜ、それを求めてしまうのか。刹那には分からなかった。
二階にある自分の部屋を降り、庭の倉庫に足音を立てずに向かう。
こんなどうしようもない思いの時、刹那は倉庫にある先祖代々伝わる刀を眺めに行くのだ。
倉庫は月明りで照らされ、入るのに何はなかった。
刹那は中で日本刀を取り、一気に抜き放つ。
刀身を眺める。相変わらず美しい。親によると銘はないようだが、だからこそ普通の刀匠でも極めればここまでの領域にたどり着けることを刹那はうらやましいと思う。
刹那は自分に才能があるとは思っていない。ただ生まれ落ちたときくっついてきた異常な集中力でできないことを何時間でも続けて無理やり克服してきたと思っている。
先ほど剣の修行のやりすぎで気絶するほどの没入がなければ、自分はなにものにもなれない。そう思いこの剣と自分を照らし合わせる。
一つの極みにたどり着きたい。満足できるまで没頭したい。なにものかになれる程に集中できる何かを見つけたい。
気分が落ち着いた刹那が刀を収めると、刀が元あった場所に懐中時計と手紙が一枚あった。
文面は「全てが叶う願望器があるならば、君はそれに何を願う」。
刹那は怪訝に思いながら、一つの願いを思い、懐中時計を手にした。
もしも、この世が真剣勝負の場であれば――
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
つばきし はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
宮沢賢治「春と修羅」
【CLASS】
アサシン
【真名】
柳生連也斎厳包
【ステータス】
筋力B 耐久D 敏捷A++ 魔力E 幸運C 宝具A
【属性】
中立・中庸
【クラススキル】
気配遮断:-
アサシンのクラスが持つ共通スキルだが、このサーヴァントが持つ気配遮断はそれらのどれにも該当しない。
【保有スキル】
新陰流:A++
しんかげりゅう。
柳生新陰流の奥義を修めている。
十才の頃から剣術の修行を始め、父・利厳から一切の相伝免許を受けて道統を継いだ。
本スキルをAランク以上で有するアサシンは、剣の技のみならず、精神攻撃への耐性をも有している。
参禅を必須とする新陰流の達人は、惑わず、迷わない。
無刀取り:A+
剣聖・上泉信綱が考案し、柳生石舟斎が解明した奥義。
たとえ刀を持たずとも、新陰流の達人は武装した相手に勝つという。
アサシンは座った状態で刀を奪う坐奪刀法技を導入している。
武の求道:B
地位も名誉も富も女も無視して、ただ一心に武を磨いた者たちに付与されるスキルの一つ。
アサシンは刀剣を持つ限り、戦闘能力が向上し、精神攻撃に対する耐性をある程度獲得する。
水月:A+
柳生新陰流に於ける極意の一つ。心境山中湖面の月影の如し。
極まったアサシンのそれは、気配心気を断ち天地自然の中に溶けて同化する。
対魔力:C
魔術詠唱が二節以下のものを無効化する。
大魔術・儀礼呪法のような大掛かりなものは防げないはずだが、
剣聖は妖術魔術をしばしば一閃する。
【宝具】
『転(まろばし)』
ランク:A 種別:対人奥義 レンジ:0~10 最大捕捉:1人
敵のあらゆる動きに因って、自らの動きを敵に捉えさせず、転化の動きを為す。
アサシンが求めた剣の極意。あらゆる敵、武具、技への対応を可能にする。
意より先に躰が無心に反応し、後より乗りて先に勝つ。
【Weapon】
『籠釣瓶』
名工・肥後守秦光代の作である佩刀。
銘は籠で編まれた釣瓶のように水をも漏らさぬ切れ味を意味する。
アサシンの技量を以ってすればその銘の通り流水をも分つほど。
『風鎮切光代』
別名を「鬼の包丁」。
肥後守秦光代が六度に渡る打ち直しの果てに完成させた脇差。
四つに重ねた風鎮を一度に両断した切れ味からその銘を付けられた。
【人物背景】
寛永2年(1625年)尾張藩剣術指南役柳生利厳(兵庫助)と、その室である島清興(左近)の末娘・珠との間に生まれる。
10歳の時に剣術の修行を始め、その才能は早くから表れ、弱冠13歳の時に父・利厳から習った口述をまとめた武芸書(通称『御秘書』)を残している。
18歳の頃、次期尾張藩主・光友の剣術指南役を務める兄・利方の推薦を受け、光友に御目見を果たす。厳包が江戸に到着すると、その日の内に光友は厳包に柳生流と一刀流の剣士30名と試合するように命じ、厳包はことごとくこれを打ち破ったという。
新陰流においてははじめに学ぶ勢法(型)である「三学円太刀」と「九箇」について、初心者が習得しやすいように、いったん上段に振り上げてから行う「高揚勢(取り上げ使いともいう)」という使い方を考案し参学円之太刀の一手「一刀両断」を現在の「合撃打ち」の型に変更した。
また、転(まろばし)を「大転(おおまろばし)」小刀を使った「小転(こまろばし)」に分けて制定した。
生涯女犯と伝えられているがそれも同然。実は女性だった。
遺言状に「沐浴決して無用。着服のまま乗物に入れ焼き申す可く候」とある。最後まで性を秘密にしたまま世を去ったのだ。
【外見・性格】
茶筅髷をポニーテールに変え、月代は剃っていない。中世的な美形。地声も低めで一見して女性とは判明しがたい。
武芸者の倫理と人間の倫理が併存しており、対人戦の結果としての殺人には何の感慨も覚えないが、非道、外道は決して許しはしない。
生前は剣の求道、己自身を極める事のみに修練を重ね生涯を終えたが、サーヴァントの身になってその業がいかなるものか試したい欲が芽生えている。
【身長・体重】
165cm・58kg
【聖杯への願い】
マスターを無事に元の世界へ帰す。
【マスターへの態度】
剣の弟子で今生において使えるべき主。聖杯戦争になじみすぎていることに何やら不安を感じる。
【名前】
七月刹那/Nanatsuki setsuna
【性別】
女性
【年齢】
15
【属性】
中立・中庸
【外見・性格】
紅い髪を腰まで伸ばしており、うなじと髪先で束ねている。
性格はさっぱりと明るく、余計なことに悩まないタイプ。
集中力が異常にあり、他人から気味が悪いといわれることもしばしば。
そのため他人事にはあまり口出ししないが、自分が筋が違うと感じたときははっきり言う。
とはいえ、あまり人付き合いが良いとは言えず、物事を行わない普段はアンニュイな雰囲気。
剣道全国大会2位。学年成績7位と文武両道だが、資質が飛びぬけて優れているわけではなく、極度の集中力による没頭でそこまでなった。
なお、聖杯戦争では生き残ることに集中しているため、普段よりテンションが高い。
召喚時に家にある日本刀が持ち込まれた。先祖代々からの刀で銘は不明ながら切れ味鋭い凡匠の名刀。
【身長・体重】
162cm・55kg
【魔術回路・特性】
質:C 量:C
特性:収束
【魔術・異能】
起源『収束』により下手に考えて動く、作るより感じるままに動いた方が全てが一点に収斂されよい動き、創造になる。
また、集中力が尋常ではなく、他人が止めなければ同じ作業を何時間でもぶっ続けで行える。いわゆる超集中状態、ゾーンにもたやすく入れる。
召喚時に与えられた固有魔術は例えるなら収束魔術。全ての能力、太刀は斬る一点に強化、収束し、自分自身の存在を対象の存在に叩きつけて粉砕する。
【備考・設定】
生まれながらにして起源に限りなく近い人間。起源『収束』により得られた集中力は他人から浮いていて、わざと手を抜き他人と歩調を合わせることを強要されてきた。
剣道は自分の全てを刹那の瞬間に収束できることから一番好んでいたが、それでも集中のあまり尿を漏らしながら剣を振りつづける姿は異常とみなされた。
それらのことに苛立ちを覚える日々だった。世間一般に言う情熱とは異なるこの感覚は何なのか。なぜ自分はあるがままに生きられないのか。
そんな中、喚ばれた聖杯戦争という場は生き残ることに思う存分集中でき、死の恐怖はあるがそれ以上に思うままにふるまえることに喜びを感じている。
【聖杯への願い】
生き残る。邪魔するなら――斬る。
【サーヴァントへの態度】
信頼できる剣の師匠。気味悪がれた異常な集中力にも肯定的なため好感。
最終更新:2024年07月28日 15:33