『てっちゃんはさ、神様って信じる?』

見惚れるほど可憐な流し目と一緒に送られたその問いに、自分が何と答えたのか。
雪村鉄志はもはや思い出す事は出来なかった。
それでも、続けて彼女が言ったことは、鮮明に思い返すことができる。
これからも、ずっと憶えているのだろうと思う。

『ふぅん……あたしはね、信じてるよ。だって運命があるんだもん。
 神様だってちゃんといるよ。ちゃんとあたしたちを見守ってくれてる』

雪村と出会ったことを、彼女は運命と呼んだ。
照れくさくて、ぶっきらぼうな返事をしてしまった気もするが、きっと雪村も同じ気持ちだった。
世界的に有名な宗教の、敬虔な信徒の家に生まれた彼女と違って、神の存在など一度も感じたことのない自分でさえ、
彼女との出会いは、運命を信じるに値する奇跡であると思えたから。

『もう、だめだよ、てっちゃん。乱暴な言い方して。
 いつも言ってるでしょ? 終わりよければ何でもいいわけじゃないの、そこに至る過程が大事なんだから』

物事の結末ではなく、そこに向かう流れを重視する彼女の性格。
神様なんて肝心な時に何もしてくれないじゃないか。
なんて、雪村が不貞腐れて云う度に、彼女は笑ってこう返した。

『確かに神様は私達の目の前に現れない。悲劇から救ってはくださらない。でもね、それで良いんだよ。
 たとえ、悲劇で終わるとしても、美しい物語なら、私はそれでいいと思うな』

どこまでも結果主義の雪村とは正反対で、だからこそ強く惹かれたのかもしれない。

『私達の出会いは運命だけど、出会ったのは当たり前じゃない。
 奇跡は神様じゃなくて、私達が起こしたんだって思いたいんだ。
 なんてね……もし納得できないならさ、一緒にもっと良い答えを探そうよ。……あたしたち、ずっと一緒なんだから』

ずっと一緒にいられる。
雪村もそう信じていた。
そう望んでいた。
なのに、彼女はいま、夏の空に一本の煙となって登っていく。

けたたましくセミの鳴く日だった。
火葬場の上に広がる空は呆れるほどに晴れ渡り、茹だるような熱気に流れた汗が顎髭の先から落下して地面を濡らす。


「ねえ、お父さん、神さまって本当にいるのかな?」


こちらを見上げて問いかける娘の表情を、雪村は見ることができない。
娘にだけは、今の顔を見られたくなかった。
だから代わりに、繋いだ手を強く握りながら答えた。

「いるよ、お母さんが、いつも言ってただろ」
「うん、だけど、じゃあどうして、お母さんは死んじゃったの? なにも悪いことしてないのに、どうして?」

あどけない疑問に、すぐに答えることが出来なかった。
それはまさに雪村が思っていたことだから。
どうして、妻は殺されたのだろう。
どうして、理不尽に命を奪われたのだろう。

「どうして、神さまは助けてくれなかったの?」


言葉に詰まる。同じ気持ちだ。
その通りだと、神様なんていないのだと、感情のままに吐き出したい気持ちが迫り上がる。
歯を食いしばって堪えたのは、誰よりも愛した彼女の信仰を、否定したくなかったからだ。

「過程……が大事なんだってさ。結果だけ求めたってだめなんだ。過程を無視した結果なんて、認めてはならない。
 神様は……だからお母さんを助ける事はできない、けど、天国で、きっと、お母さんの魂を救って……」

震える声で、いつか彼女が語った説法を口にする。

「わかんないよ」

娘の理解は得られない。
それは駄々をこねる子供の感情だろう。

「過程とか、どうでもいいよ。
 わたしは、そんなこと、どうでもいいから、お母さんを助けてほしかった……」

しかしそれすら、同じ気持ちだったから。

「そうだよな」

腕を引き寄せ、10歳で母を亡くした小さな娘の身体を抱きしめる。
過程なんて、運命なんて、道理なんて、全てどうでも良いと思っていた。
誰だっていい、神でも悪魔でも、最愛の人を救えるなら何にだって縋るだろう。
たとえそれが、生前の彼女が否定していた、"理屈に合わない奇跡"にしか為せない事象であったとしても。

右の拳の内側でグシャリと、メモの切れ端の潰れる音が鳴る。
彼女は全てお見通しだったのか。だからこんな遺書を残したのか。
遺体の左手に握られていた紙切れが、彼女の残した最後の言葉になった。

『恨むために生きちゃ駄目だよ。絵里をお願いね』

復讐を、その言葉が留めるまでも無く、雪村に機会は与えられなかった。
雪村の妻を含めた無数の市民を一度に殺害した凶悪犯。
国家を震かんさせたテロ事件の犯人は、既に拘束されている。

極秘とされた事件の詳細を知ることが出来たのは、雪村が普通の市民より少しだけ多くの情報を得られる職に就いていたからにすぎない。
だから、犯人の正体が魔術師と呼ばれる超常の異物だった事すら、彼は知っていた。
そして既に魔術協会と呼ばれる国外組織によって拘束されたことも。
知っていて、それは何の救いにもならなかった。

いつだったか、彼女に聞いたことがある。
理屈に合わない奇跡が否定されるのなら、どうして不条理な悲劇ばかりがまかり通るのだろう。
それに、彼女は寂しそうに笑って答えた。

『神様もさ、それは悔しいんじゃないかな。
 何とかしたくて、今も頑張ってるのかもね。だからさ、あたしたちも頑張らないと!』

いや、俺らが何を頑張るんだよと。
あの時は呆れて言ったものだ。
けど今は、何かを成さねばならないと、強く思う。

彼女の残した娘、愛する人の面影を守るために。
この日、雪村鉄志は、不条理と戦う道を選んだ。

その筈だった―――






「ところで先輩、カミサマって信じます?」

 3年ぶりに会った元同僚の第一声に、雪村は早くも席を立ちたくなった。
 今日は厄日だと確信する。何か大きな揉め事に巻き込まれる予感。
 私立探偵を始める以前、さらに前職を始める以前から、この手の勘を外したことはない。

 昼下がりの喫茶店。炎天下の路上を歩いてきた雪村には、天国のように見えたものだ。
 しかしいざ入店して座ってみれば、みるみる内に雲行きが怪しくなってきた。
 落ち着いた雰囲気に見えた店内は意外と若者だらけで騒がしい。
 しかも隣のテーブルのカップルは喧嘩中のようで、先程からずっと聞くに絶えない罵声を浴びせ合っている。
 極めつけに、ここで待ち合わせていた筈の依頼主は現れず。

「いやあ、僕は今日、ちょっと信じてもいいのかなって思いましたね。
 だってこんな偶然ありますか? 正に運命っすねえ。せっかくですからお話しましょうよ」

 代わりに、3年前に退職した職場の、元同僚に絡まれていた。
 正面の椅子に遠慮なく腰掛けた男は、共に働いていたときと変わらない、ニヒルな笑みを浮かべている。

「なあ山里、悪いが早いこと帰ってくれねぇかな。俺はこの後、見目麗しき人妻から猫探しの相談をお受けする予定でね」
「あー大丈夫っす。その人妻なら依頼キャンセルするらしいんで。つか先輩、ホントに探偵やってんすね」
「やっぱりそういうことかよ。何が運命だ馬鹿野郎。回りくどいことしやがって、話があるなら直接連絡しやがれ」
「連絡しても無視するから、こういう手段に出てるんすよ。自業自得っす」

 嵌められたことがハッキリ分かったところで、雪村は肩の力を抜いて椅子に深く腰掛ける。
 わざわざ今日、この喫茶店を指定してきた時点で、ただの依頼じゃないことは分かっていた。

 隣のテーブルが煩い。
 カップルの口論のトーンが一段階上がったようだ。

 傍らの窓から見える国道を挟んで、奥の雑木林の更に向こう、木陰から先端のみ僅かに突き出た煙突から登る灰色。
 あの火葬場で妻を見送ってから、今日で丁度10年になる。

「いまさら死人になんの用だよ」

 あの日から7年間、死にものぐるいで生きた。 
 そして残りの3年間、屍のように腐っていった。

 既に四十代も折り返し。
 あの日、心に刻んだ誓いも、守ると誓った唯一の光も。
 もう全て失って、今の雪村鉄志は死んでいるも同然だった。

「死人っすか……」

 山里はじろっとこちらを見据え、暫く後、姿勢と表情を正す。
 笑みを消したことによって、3年前には無かった目元の皺を見つけることが出来た。
 ――俺が逃げた後、苦労したのだろうか。
 ――あの若々しかった山里が老いるんだ、俺なんかミイラみてえなもんだろうな。
 雪村の胸に去来する諸々の思いを知ってか知らずか、意を決した山里は正面から声を発した。

「先輩、帰ってきてくれませんか」
「ハムに……って意味で言ってんのか?」
「上には僕が掛け合います」
「おいおい……」

 悪い冗談は止めろよと笑い飛ばそうとして、その真剣な眼差しに暫し閉口する。

「俺なんかもう使い物になんねぇよ。つか復職なんて認められるわけねぇだろ、隊の奴らだって納得しねえさ」
「いいえ、先輩は死んでません。今日、それは確認できました。ああ、それと……」

 そこで山里は一度言葉を切り、目を伏せて言った。

「特務隊は解体が決まりましたから。残ってるのは、もう僕だけです」
「……そうか」

 それ以上、雪村は何も言えなかった。
 よく保ったほうだ、と思う。俺のせいだ、とも思う。
 何を言っても白々しく、無責任な言葉になってしまう気がした。

 10年前、ここの喫茶店に集まった初期メンバー、そこに山里もいた。
 全員が職務に対する熱意に満ちていたあの頃。今は遠く、枯れた自分には眩しすぎる日々。

 しかし、ならばなぜ、山里はここに来て、雪村を呼び戻そうとするのだろう。
 もはやあの場所は、警視庁公安部機動特務隊は、存在しないというのなら。

「……先輩」

 僅かに震えを含んだ山里の声。
 隠しきれない恐怖に濡れたそれを聞いたとき、やっと雪村は察することが出来た。
 きっと、本題はここからなのだと。

「蛇の尾に、手が届くかもしれないんです」

 そして、あまりにも信じがたいその言葉を聞いた瞬間だった。
 雪村の胸に去来したのは、この10年間に渡る嵐のような熱と絶望。

 そして――――

『お父さん、カミサマに会いに行くね』

 3年前、全てを失った日の、尽きせぬ後悔の痛みだった。






 警視庁公安部機動特務隊。
 対国際テロ、国内過激派、組織犯罪等に対応する公安警察の内部において唯一、
 魔術と呼ばれる超常現象扱う犯罪者をメインの捜査対象に据え、極秘に活動したとされる秘密警察である。
 発足当初の公安機動捜査隊と同じく、その存在は徹底して伏せられ、実働隊は本庁とは別の場所に置かれた。
 よって公安の内部ですら、存在を知るものはごく一部であったという。

 国家上層、官僚や警察組織の上層部は、魔術の存在を把握している。
 警視庁公安部の人員ともなれば、理から外れた現象が存在することを、知るものは決して少なくない。

 しかし通常、魔術師の犯罪行為に公的機関が対処することはない。
 聖堂協会の代行者。魔術協会から派遣された封印指定執行者。
 このどちらか、或いは両方の人員に対処を委ねるのが基本原則である。

 逆に言えば、彼らが来なければ犯罪者は永遠に野放しになることを意味する。
 例えば、教会と協会、どちらも捨て置くような魔術使いもどきの小悪党。
 例えば、決して表に痕跡を残さず犯罪行為を継続する、狡猾な魔術師。

 特務隊は、この2つのパターンに対処するべく組織された、公的退魔組織と言える。
 少なくとも前者への対応は概ね良い結果が得られていた。
 魔術を利用した軽犯罪。無知な一般人が呪具を手にすることで発生する事件の解決には、目覚ましいものがあったという。

 雪村鉄志は、この特務隊結成メンバーであり、発起人と言っても過言ではなかった。
 若くして公安警察のエリートコースを歩んでいた彼の人生は10年前、国内で発生したテロ事件によって一変する。

 犯人は魔術師であった。詳しい動機は今に至るも不明。身柄は魔術協会の執行者が確保し、報道では現場で自爆したことになっている。
 何れにせよ、仕掛けられた危険物も、振るわれた凶器も、普通の警察では手に余るものばかり。
 そのため事件を防ぐ事はおろか、発生から長時間に渡り現場に近づく事すらできなかった。
 結果、執行者との戦闘の巻き添えを含め、事件の犠牲者は数百人に上り、そこに雪村鉄志の妻、雪村美沙も含まれていた。

 妻の死後、雪村は公安上層部に対し、魔術に対処可能な部署の必要性を訴え続けた。
 アンタッチャブルな神秘の領域に対し、公的組織の介入は原則タブーであり、時計塔や教会との摩擦を鑑みれば、如何に至難を極めたかは言うまでもない。
 しかし出世の路をかなぐり捨ててまで、鬼気迫る様子で訴える彼の熱意に、賛同する者も少なくはなかった。
 魔術が絡んでしまえば途端に実行力を無くす警察の正義、魔術師によって容易く歪められる真実に、公安内部でも不満を抱えていた者たちが、雪村を筆頭に立ち上がったのである。

 そして紆余曲折の末、遂に上層の人間を説き伏せ、機動特務隊は結成された。
 人員は極少数、組織の極秘性を保つこと、捜査対象を魔術使い以下の軽犯罪者予備軍に絞り、決して本流の魔術師には手を出さないこと。
 制限こそ多く課せられたものの、雪村は構わず結果を出し続けた。

 持ち前の推理力で、常識的な物理法則では対処し得ない魔術犯罪の捜査手法を独自に組み立てた。
 国内の穏健派魔術師を講師として招き、対魔術使いの実戦訓練を行い、現場で通用する逮捕術を完成させた。
 魔術の素人であっても扱える通常兵器の応用や、簡易的魔具、礼装の開発を行い、捜査に臨む下地を整えた。

 勿論、全て雪村たった一人による功績ではない。
 少数ながら、それぞれの分野で知見を齎すメンバーが揃っていたからこそ実現した、まさに奇跡のようなチームであった。
 誰にも知られぬ活動であり、彼らの功績が世に認められることはない。
 しかし魔術絡みの犯罪を調査し、取り締まる日々の中で、チームは確実に力を付けていった。

 特務隊発足から7年間。
 チームにとっての黄金期であり、雪村は自らの目的に着実に近づいていることを実感していた。
 いずれは、妻を失ったテロ事件のような、大規模な魔術犯罪にも対処できるチームを作りたい。
 あんな悲劇を、二度と生まないために。理不尽な悪意に、二度と大切な人を奪われないように。
 その願いは、貫き通すと誓った筈の志は、しかし果たされることはなかった。

 ある時を境に、特務隊は呪われた。
 呪いという表現は当時のメンバーが冗談半分で口にしたものであったが、
 実際のところ果たして何者かの悪意による攻撃があったのか、偶然の不運が重なったに過ぎないのか。
 今に至るも不明なままである。
 しかし事実として、順調に結果を出していた筈のチームは、ある存在を追い始めた時期から暫くして、その活躍に陰りを見せ始める。


 ニシキヘビ。
 それは特務隊の中でそう呼称された、何ら実態のない仮定の存在にすぎない。
 国内で発生する行方不明事例。 
 その傾向と経緯を魔術という概念を想定したうえで俯瞰したとき、薄っすらと雪村の脳裏に思い浮かんだ架空の存在。

 切欠は別の事件の参考資料として、近年の失踪事例を引用した際に覚えた違和感だった。
 10代の少女の失踪事例、それ自体は珍しいものではない。この国では十代だけで毎年一万人以上が行方不明になっている。
 失踪というものは得てして突然起こるものだが、しかし捜査すれば大なり小なり足取りを追えるものだ。
 どこかでぷつりと消える導線の先は見えなくとも、そこに至るまでの痕跡は残り、故に後味の悪い案件になることが多い。
 中途半端に伺える当日の行動履歴が様々な想像を掻き立て、資料を読むといつも胸に苦みが滲んだ。

 だがその案件には驚くほど後味がなかった。
 あまりにも自然に、鮮やかなまでに姿を消している。
 まるで最初から居なかったように、事件性を匂わせる要素が無さすぎる。
 他の案件と違って、気にならない。その気にならさが、気になった。

 雪村は捜査に引っかかりを覚えると、納得いくまで没頭する性格であった。
 この時も、似たような読み味を覚える失踪事例を時間をかけて探し、列挙し、少しずつ統計した。
 そして数ヶ月にも及ぶ地道な捜査を続けた末、完成したデータを見て、彼は直感したのだ。


 ―――何か、居る。


 ロールシャッハ・テストのように、それらを俯瞰した時に、雪村の頭に浮かび上がる像があった。
 全国の膨大な事例から感覚のみで統計した集計基準は、自身にも上手く説明する事ができない。
 敢えて、後付でも統一した基準を与えるならば以下3点。
 極端なまでに痕跡の残らない事案であること、事件性がないと結論付けられていること、そして年若い少年少女の事案であること。

 加えて、物理的に、それらの事案を人為的に起こすことは不可能だ。
 通常の捜査、感覚では結びつける筈もない、日本全国各地に散らばる失踪案件の数々。
 だが、魔術師であれば。
 物理法則を歪める怪物を前提にしたプロファイルであればどうか。

 実在の裏付け、物理的痕跡は一つもない。
 特務隊の捜査とは、物証を追っていては成り立たない。
 魔術絡みの犯罪を追う雪村は、常に通常の手順とは逆の捜査を実践する。
 つまり直感した犯人像から逆算した現象の組み立て、そのインクの染みが表した像の形とは。


 ―――蛇が居る。


 人を丸呑みにして消し去る蛇。
 社会の闇の隙間に蠢き、誰にも見つからずに移動する巨大な蛇。
 そんな怪物が、この国に巣食っているとしたら。

 ―――野放しにはできない。

 もはや感覚としか言いようがなかったが、雪村はこの手の勘を外したことがなかった。
 しかし、それを追い始めた時期から程なくして、立て続けにメンバーの家族や本人の様子に異変が現れた。
 公安上層部からの締め付けが急に苛烈になり、取り返しのつかない事態が進行しているような不穏な空気が流れ始める。


 特務隊の誰かが言った。
 呪われてる、手を引くべきだと。
 そもそも、蛇なんて妄想に過ぎないと。

 事実、どれだけ調べたところで、手掛かりは何一つ見つからない。
 だがそれでも雪村は捜査の継続を強く主張し続けた。

 そしてある日、決定的な事態が起こる。
 雪村鉄志の一人娘、雪村絵里の失踪である。

 魔術犯罪に対抗できる組織の完成。
 妻の墓前に誓ったその大願を前に、彼は致命的な見落としに気づくことが出来なかった。
 己にとって、最も大事な存在を守るために、生きると誓った筈なのに。
 仕事に明け暮れ、数日家に帰っていなかった彼は、確認の遅れた娘からのメッセージを目にした瞬間から、尽きせぬ後悔の念に焼かれ続ける事になる。


『お父さん、カミサマに会いに行くね』


 意味が分からなかった。
 あまりにも自然に、あまりにも鮮やかに、まるで最初から居なかったかのように。
 ―――巨大な蛇に丸呑みにされたかのように。
 絶望的なほど完璧に、たった一人の娘は姿を消した。

 心当たりなんて一つも無い。
 ただ、何かを見落としてしまったのだと、取り返しのつかない失敗をしてしまったのだと。
 そして、今度こそ何もかもを失ってしまったのだと、雪村は理解した。

 もし本当に雪村の想定した蛇が、この世界に潜んでいたとすれば、尻尾すら捉えることも叶わず敗北したことになる。
 失意の内に彼が公安を退職して以後、特務隊はまるで功績を上げることが出来ず、その三年後に解体された。

 それは雪村美沙の死から、ちょうど十年が経つ頃だった。




「先輩が辞めた後も、ずっと蛇を追ってきました。
 もちろん他の特務隊メンバーには内緒っす。僕が勝手に調べてただけなんで」
「何いってんだ……お前……」

 山里の発した信じがたい言葉に、雪村は必死に平静を取り繕った。
 表情を崩さず口を開き、しかし声の震えを抑えきることは出来ない。

「未だにあんな……バカみてえな与太を追ってんのか?」
「与太じゃないことは、先輩が一番分かってた筈ですよ。
 だから、公安から抜けたんでしょう? 一人でも、蛇を追うために。絵里ちゃんの行方を知――」
「関係ねえよ! 俺は……ただ……!」

 雪村は叫ぶようにして言葉を遮った。
 ただ逃げただけなのだ。守るべきものを失って、何もかもを放りだして、一人で死ぬことも出来ず。
 探偵業を営みながら彷徨うように娘の足跡を追い続けた。
 それは希望を捨てなかったからではない、絶望に塗れた自傷行為でしかなかった。

「最近やっと、全部俺の妄想だったんじゃねえかって、思えるようになったんだ」

 3年の月日をかけて、まるで掴めない娘の消息。
 その追走が、蛇を追う行為と同義であると、心の奥底では分かっている。
 だからこそ、何の成果も上げられない現状に、ほっとしていた。何を知っても、傷つくことが分かっていたから。

「もう俺みてえな死人にかまうなよ。
 お前も、バカなこと調べるのは止めろ」

 加齢による肉体と脳の鈍化。記憶の摩耗。薄らいでいく、己の中の妻と娘の姿。
 擦り切れた精神が、やがて限界を迎え始めたのを感じて。
 ああ、ようやく楽になれるのかと。そう思っていたのに、なぜ。

「いいえ、先輩はまだ死んでません」

 なぜ、今更、こんな。

「まだ、身体は動くでしょう?」

 こんな、現場に、立会う羽目になるのだろう。

「―――通電(スパークル)」

 雪村の隣のテーブルと椅子が跳ね上がる。
 一組のカップルが口論していた席だ。

 激情に駆られた女がコップを引っ掴む。
 水をかけられた男が勢いよく立ち上がる。
 怒号、怒号、ヒステリックな悲鳴。金属音。
 店内の雑音。有線から流れる気の抜けたBGM。

 女がプラスチックのトレーを投げる―――構わない。
 男がフォークを振り上げる―――それも構わない。
 近くに居た店員が止めに入る―――好きにすればいい。

 女が首からぶら下げた宝石を握りしめ口を開き―――しかし、それは看過できない。 

「―――点火(シュート)」

 瞬間、爆竹の炸裂するような鋭い音が鳴り響いた。
 拡散する煙と閃光。店内に居た全員が視覚と聴覚を奪われ。

「ほらね」

 少し遅れてゆっくりと音、視界、時間間隔が戻って来る。
 煙が晴れたとき、山里は気絶した女を拘束した体制のまま、肩をすくめていた。

「まだ死んでない。今でも僕より速いじゃないですか」

 雪村は呆然と自分の右手を見た。
 真っ直ぐに突き出されたその指に、一本のタバコが挟まれている。

 それは"杖"と呼ばれる、特務隊の技術者が開発した武器。
 僅かな魔力を通すことで先端から一発限りのガンドを射出する、使い捨ての礼装であった。
 タバコに見せかけた最期の一本を、胸元のケースに忍ばせた暗器を、3年前、自決用に持ち出していたそれを。
 何らかの魔術を行使しようとした女に向かって今、彼は無意識に抜いたのだった。
 それは雪村が培ってきた現場の戦闘勘であり、山里曰く、まだ死んでいない証左であると。

「この女は前からマークしてましてね。
 交際相手に何度も被害を出しては証拠不十分で検挙出来なかったわけです。
 今日で最期のひと仕事と、思っていたのですが。いやはや、犯人逮捕にご協力ありがとうございます」

 言葉もない雪村に、山里はあの頃と同じように、ニヒルに笑いながら言った。

「だから言ったでしょ。
 僕は今日、先輩に会えたこと、本当に運命だと思ってます」

 そして、それが雪村の見た、彼の最後の姿になった。

「明日、この場所に来てください。
 蛇について、僕の調べた全てを話します」

 散々迷った末、向かった待ち合わせ場所に、山里が現れる事はなく。
 しかし雪村の予想に反して、彼が失踪することはなかった。

 同日、きちんと死体が発見され、警察の捜査の結果、それは自殺であると結論付けられた。





「―――貴方は、神を信じますか?」


 雪村の前に現れた少女の、それが第一声だった。

 針音響く夜の摩天楼、仮想の街の路地裏にて。
 絹糸のようなプラチナブロンドの長髪が、外灯の光を反射して眩い光沢を拡散させている。
 露出した肌の部分は陶器のように白く、幼い形相と華奢な腰回り。
 ひらひらと翻る純白のドレスを身に纏う、その部分だけを見れば14歳くらいの小柄な女の子と言っていいだろう。
 そう、その部分だけを見れば。

 少女の姿を異形足らしめているのは、肩部と鼠径部に接続された大型の四肢だった。
 見るからに人の手足ではない。蛮神の如き荘重、巨人の如き強健を備えた二対。
 それは鋼鉄で出来ていた。それは機械仕掛けで動いていた。それは、硬質な黒で塗装されていた。
 少女の白き清廉、機械の黒き武骨、それらを融合させたような存在は、異質な神気を放っている。

 よく観察すれば瞳も、網膜ではなくカメラのレンズであることが分かるだろう。
 触れてみればその美しい肌も、冷たく血の通っていないことが分かるだろう。
 身体の内側を見れば、全身が機械と人工筋肉で出来ていることも知れるだろう。
 それは、異形なる、清光なる、機構の少女であった。

 異様な状況、異質な対面、その姿に対する様々な疑問。
 つい先程、頭の中に押し込まれた聖杯戦争の知識と、それによる混乱。
 だが、雪村はそのどれよりも、先程の問いかけに答えることを優先した。

「―――は、神だって?」

 手の内には、古びた懐中時計が握られている。
 それは山里の部屋に残されていた、彼の遺留品であった。
 あの日、待ち合わせ場所に来なかった彼の家を訪れた際、遺体と共に発見した物だった。

「どいつもこいつも、そんなに俺に言わせてえのか」 

 総身の怒りを込めて時計を握りしめながら。
 吐き捨てるように、雪村は言い切った。

「そんなもん、いるわけねえだろッ!」

 今ならば、雪村は確信することができた。
 世界に善良なる神はいない。
 いるはずがない、あれ程の悲劇を、悪を、許容する世界において。

「いるとすりゃあ、神を名乗るクソ野郎だけだ」

 そして、今ならハッキリと断言できる。
 その悪は存在する。
 カミサマの名を騙って人を喰らう、許しがたい悪党が。

「これが答えだよ、お嬢ちゃん。悪いな」

 雪村は目の前に立つ少女が、己のサーヴァントであることを理解していた。
 今の問いかけが、おそらく重要な意味を持つことも。
 最初に聞く程のことだ。「お前がマスターか」と聞かれたに等しい。
 それを今、己は「違う」と、言ってしまったかも知れない。

 だが、悔いは無かった。己の全てにかけて、今の問に嘘は付けない。
 何度聞かれたとしても、きっと同じ答えを返しただろうから。

「理解。なる、なる……」

 しかし意外なことに、少女の反応は否定的な物ではなかった。 

「なるなる。よき解答です。ますた」

「え?」 

 聞き返したのは、単純に意味が汲み取れなかったのと。
 少女の言葉が急に辿々しい、舌足らずなものに変わったからだ。

「こほん。―――であれば我々は共に並び立つ事が可能でしょう。
 当機は、これより貴方の指揮の下、聖杯収得に向けて駆動を開始いたします。
 どうか、懸命な判断と選択を行い―――」

 再び堅苦しい言い回しに戻り、表情を消してみせた少女に、もしかしたらと雪村は考える。
 試しに、手を差し出して言ってみた。

「……じゃあ、よろしくな。ほい、握手だ」

「肯定。いえす……よろです。ますた……あっ……ええっと」

 すると再び声の調子が崩れ、雪村の手と自分の手を何度か視線で往復した後、固まってしまった。
 己の腕のサイズでは、それは上手く行かないと気づいたのだろう。

「……ふむ」 

 雪村の脳裏に浮かんだのは、娘が小さい頃、劇の台詞を家で練習していた時のことだ。
 最初は拙かったが、本番では立派な名乗りを上げ、ちょっと感動したものだ。

「なるほど、お嬢ちゃん、アドリブが聞かないのか」

 話し方が急に幼くなったのではない。おそらくこっちが彼女の素だ。
 流暢で堅苦しい話し方は、事前に練習してきた台詞なのだろう。

「ななっ!! 否定! の、のん! のんですよ! 
 サイズ調整に、ちょと時間をいただければ、だいじょぶです!」

 少女は目を瞑り、むむむと気合を込めるように踏ん張り始める。
 すると、みるみる内に少女の腕の装甲板が剥がれ落ち、普通の人間大のサイズに近付いていった。
 凄いなコレどうなってんだと、雪村は感心する反面、じゃあ最初からその腕にして出てこいよとも思う。
 マスターとの初対面に、見栄を張っていたのだろうか。

「変わったやつだ」

 小さな少女に年相応な一面を見せられると、少し辛いことを思い出しそうになる。
 だから雪村は、そっぽを見ながら、別の話題を口にした。

「俺は……雪村鉄志だ。
 なあ、さっき言った通り、俺は神を信じていない」

 雪村は神を信じない。神の実在を否定する。
 その答えを、先程、少女は良いと言った。
 それが共に戦う前提条件であると。

「だったら、嬢ちゃんも、なんつーんだっけ、ああ、あれだ」

 ならば、彼女もまた、そうなのだろうか。

「嬢ちゃんも、無神論者、なのかい?」

 無神論。
 神を否定するもの。
 その不在を証明するもの。
 機械の身体は、あるいはその現れなのか。

「―――のん。否定します。当機の目的は、神の存在を否定する事ではありません。
 ですが、当機は勿論、特定の神を信仰する事などありえません」

 無表情で首を振る少女はしかし、同時に少し嬉しそうにも見えた。
 まるで、よくぞ聞いてくれましたと、えっへんと胸を張るように。

「名乗り遅れました。
 当機の銘は『Deus Ex Machina Mk-Ⅴ』製造記号『エウリピデス』。
 よければ"マキナ"と、呼称してください」

 雪村は結局のところ、今日に至るまで理解していなかったのだろう。

「当機の提唱する信仰対象こそ、当機―――デウス・エクス・マキナです」

 神、その存在の不条理さを。

「当機こそ、人による神の意思、人の為の神の器。
 その殲滅目標は世界全ての悲劇、全ての不幸。
 至るべきは、全ての人類を幸福にする、機械仕掛けの神。
 人造神霊である当機はここに、最新鋭の神として、旧代の神からの脱却と、真なる機神の創造を宣言します」

 運命と呼ばれる、己が巻き込まれていく、不可解な路の底知れなさを。

「以上―――それが当機、マキナの『創神論』です」

 どうしてか、いつか妻が口にした言葉が思い出された。

『神様もさ、頑張ってるのかもね』

 その時、雪村は己の内側に確かに聞いたのだ。
 止まっていた時計の針が、動き出す音を。
 目の前では、少女のガラスで出来た瞳が、冷たく激しい輝きを湛えながら、じっと雪村を見上げている。

「―――まい、ますたー。いっしょに、神をめざしてくれますか?」


【クラス】
 アルターエゴ

【真名】
 デウス・エクス・マキナ

【属性】
 中立・中庸

【ステータス】
 筋力B 耐久A 敏捷B+ 魔力E- 幸運D 宝具EX

【クラススキル】
騎乗:EX
 乗り物を乗りこなす能力。
 最上位のランクを誇るが、マキナにとっては己の肉体こそ乗りこなすべき最上機構であり、スキルはそれを駆動させる為に発揮される。
 また彼女は騎乗"するもの"であると同時に"されるもの"、その場合のナビゲート性能も一流の自負を持つ。

【保有スキル】
神性:E-
 神霊適正の有無。
 人に造られし神としてまだまだ新参者であり、ランクは非常に低い。
 真なる神を目標とする彼女は現状に甘んじるつもりなど毛頭なく、どんどんランクを上げていきたいと思っている。

鋼鉄の躰:A
 機械の体。
 戦闘続行と勇猛のスキルを複合したような特性を持つスキル。
 その鋼鉄のボディにより、瀕死の傷を負ってなお戦闘可能。同時に精神干渉を無効化し、格闘ダメージを向上させる。

魔力放出(機構):A
 武器・自身の肉体に魔力を帯びさせ、瞬間的に放出する事によって能力を向上させるスキル。
 魔力によるジェット噴射。
 マキナの場合、背中から放出することで推進力を得るスラスター機動、肘から放出することで実現するロケットパンチ等が主な使い道。

自己改造:EX
 自己を改造するスキル。加えて学習し続ける機能。
 戦闘予測または結果から敵戦力を攻略する為の改善点を算出し、攻防ともに有効なパーツに換装する。
 後述する第2宝具と併せ、スキルを応用することでパーツの自律分散や小型化、一部外見を変更することも可能。
 例えば本体を霊体化する際には緊急時に備え、一部のパーツを腕時計に変形させて残し、マスターの腕に装着するなど。

【宝具】
『起動する心想機構(エクス・マーキナー)』
ランク:B- 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1
 マキナの機体。新しき神を目指す機械の身体そのもの。
 そして内に込められた、全ての悲劇を否定する鉄の意思。

 鋼腕の破壊力、装甲の防御力、魔力放出を活かした高機動の実現。
 自律機動モードであっても十分な出力、戦闘能力を発揮可能。

 しかし当機体には一点看過できない懸念が存在する。
 それは魔力のステータスが非常に低いことである。

 魔力出力、正確に言えば"魔力を、機体を動かす運動エネルギーに変換する効率"が著しく悪い。
 変換効率はマスターから距離が空くほどに悪化し、自律機動モードでの長時間戦闘は熟練魔術師をマスターとした場合においても至難であろう。
 魔力をもって神秘に乏しい鉄の機体を駆動させるにおいて、これは避けられぬ課題であり、根本的な解決を図るには無尽蔵のエネルギーを手に入れる他ない。
 マキナが未だ神に至れない理由の一つであり、彼女が聖杯を求める所以でもある。
 しかし、あくまで聖杯戦争のシチュエーションに限定すれば、下記の第2宝具をもって代案とすることも不可能ではない。


『熱し、覚醒する戦闘機構(デア・エクス・チェンジ)』
ランク:B+ 種別:対軍宝具 レンジ:1 最大捕捉:1
 マキナの機械四肢を分離分解、再構築した漆黒の装甲。
 変形によって製造したそれを、他ならぬマスターの全身に装着する。
 マスターとマキナの一体化によって魔力変換効率を最大まで高め、マスターを守る鎧を構築することで長期戦闘を成す。
 それは神機融合モードへの移行である。

 畢竟、庇護すべきマスターを最前線に送ってしまうという事実は無視できない。
 マキナのガイドサポートこそ得られるものの、このモードにおいては戦闘にマスターのセンスが大きく影響する。
 逆に、そういった懸念こそ飲み込んでしまえば、魔力効率の問題解決に加え更に副次的なメリットが見込まれる。

 本来、デウス・エクス・マキナは無銘の機械神であるが故に、自己を象徴する逸話を持たない。
 その代わり、常に英雄の名と姿を借りて物語の調停と悲劇の撃退を執り行った。
 例えば、ギリシャ悲劇『アルケスティス』におけるヘラクレス、時代劇における徳川将軍、現代作劇に登場する多くのヒーロー達。

 他の英雄や神の名、躰を借りて事を成す機能は第2宝具の根幹を担っており、これら英霊外装をインストールすることで、
 神機融合モード時限定ではあるが、マキナの胴体(コア)を本来持ち得ない筈の主武装(メインウェポン)に変換できる。
 現在のところ、当機に搭載が確認されている英霊外装は下記の三種。

 中距離バランス型、フォーム:ヘラクレス(主武装:棍棒) 
 遠距離特化型、フォーム:アポロン(主武装:弓)
 防御特化型、フォーム:アテネ(主武装:盾)

 何故かギリシャ悲劇に登場する英雄に偏っているが、理由は後述する当機依代の出自が影響している可能性が高い。 



『律し、顕現する神鋼機構(デウス・エクス・マキナ)』
ランク:EX 種別:対界宝具 レンジ:999 最大捕捉:999
 座に封じられた機械仕掛けの神、その本体の完全顕現。
 マキナが目指す神の御姿、霊基に刻むべき理想の到達。

 通常の運用ではまず発動自体が不可能。
 それは理論上存在するとされているだけの、実態のない仮想宝具であるが、彼女はそれが必ず在ると信じている。

 少女の思い描く空想の具現。
 マスターとマキナのコアを核とした、救世機械神の降臨。
 それは巨大であり、破壊的であり、破綻している。

 果たして、故なき幸運を幸福と呼べるのか。
 彼女が真の意味で自らの創神論を完成させない限り、この宝具が開帳されることはない。


【weapon】
 鋼鉄の四肢。
 神機融合モードにおける各主武装。
 ある意味では、マスターの身体。


【人物背景】

 Deus Ex Machina Mk-Ⅴ(エウリピデス)

 機械仕掛けの神。
 全ての悲劇の迎撃者。
 或いは、それに至らんとする鋼鉄の少女。

 人造神霊。コードネーム"Machina-type:E"とも呼称される。
 それは無論、純真なる神ではない。
 神代の奇跡として生まれ落ちた神格にあらず、明確な人意によって神たれと願われ、創作された人造の神霊、その一機である。

 信仰を砕かれ道に迷いながらも神を求めた多くの作家、音楽家、哲学者等によって"在る"と定義された存在。
 何より幸福な終わりを望む大衆から"在れ"と望まれた存在。
 絡み合う因果によって収集のつかない悲劇と化した行き詰まりの物語、そのクライマックスに英霊の名を借りて介入し、盤上をひっくり返す。
 ハッピーエンドの立役者にして、ご都合主義の体現者。
 機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)という、空想の設計図を基に作劇機能を概念武装として機械の身体に搭載した、それは地上で最新の神とされる。

 出自の特性上、彼女"達"には多くの兄弟機と姉妹機、多くの父と母がいる。
 しかしあくまで元は作劇概念でしかない機械神の霊基には自我も性も宿る筈はなく、単一で存在する事ができない。
 以上の問題を解決するために、マキナはある一人の少女の身体を依代とし、疑似サーヴァントとして顕現している。

 今回出撃した機体(よりしろ)は古代アテナイ三大悲劇詩人の一人エウリピデス、その名すら歴史に刻まれることのなかった彼の娘である。
 エウリピデスは悲劇作家であると同時に、革新的な演出を多く取り入れる事で有名な人物であった。
 中でも機械によって舞台に現れる神による物語の調停。今日のデウス・エクス・マキナを多用したことで知られている。
 彼は熱心な愛国者でありながらも自国の悪行と直面し、愛にまつわる造詣を深くしながら度々愛の裏切りに合うなど。
 移り変わる世界の正義や流転し続ける善悪の概念に生涯苦悩し、人が救われる為の答えを物語に求め続けた。
 まだ神秘の多く残存した古代アテナイの時代に、彼の探究が人造神霊を完成させる大きなファクターになった事は論を待たない。

 よって当機体"type-E"が彼の思想の影響を色濃く受けている事は自明であろう。
 もっとも、その行動規範は依代となった少女による解釈であるため、父の理想をどれだけ忠実に再現できているかは未知数である。

 マキナの最終目標は英霊の座に神として完全となった霊基を刻み込み、召喚システムをハックする事で、完全なる平和機構を構築すること。
 即ち、全ての時間と空間に介入し、起こり得る全ての悲劇を迎撃する機神の創作。
 究極のハッピーエンド製造機、絶対的ご都合主義というルールを敷く、新しき神に至ること。

 心しか救済し得ない旧世代の神々から脱却し、人の手による理想の救世神を創造する。
 それがマキナの使命であり、父の探求を受け継いだ少女が提唱する『創神論』の到達目標である。

 物語の論理的な帰結を無視した強引な解決法。
 ご都合主義の神は時に大衆に嫌悪され、作家から忌避され、公然と批判されて然るべき悪神と見做される。
 それでも尚、それを望む声もまた、大衆から止むことはない。

『ああ、それでも、私は彼らに幸せになってほしい』と。

 故に、一人の少女は神を目指したのだ。


【外見・性格】
 11歳~14歳くらいの可憐な女の子。
 露出した部分の肌は陶器のように白く、プラチナブロンドの長髪は美麗な光沢を振りまく。
 但しその四肢は機械の鋼鉄で出来ており、外見的には生身に見える胴と頭部も、内部は人工筋肉と機械で構成されている。

 機械の四肢は黒を基調とした硬質なカラーリング塗装が施され、対して胴体には清楚なる純白のドレスを纏う。
 おそらく少女なりに考えた神の御姿を体現していると思われる。
 戦闘時は片耳に通信機器を装着し、目元をバイザーが覆い隠す。
 常に無表情を作っているものの、非戦闘時に伺える顔はまだ幼いアテナイ人の少女に見える。

 性格面では常に冷静沈着、神色自若を気取っている。
『神は笑わない、神は怒らない、神は泣かない、神は怠けない』
 この4つをモットーとして、世界に広く『創神論』を流布し、信仰を集めるのだと意気込んでいるが、
 残念ながら疑似サーヴァントである以上、どうしても依代となった少女の人格に引っ張られてしまう。

 既に現代の音楽や小説に多大な興味を抱いていることを自覚しており、何らかの誘惑に負け表情を崩しそうになる度、
 心のなかで『神は笑わない、神は怒らない、神は泣かない、神は怠けない』とひたすら唱えている。
 喋り慣れていないためか舌足らずなところがあり、言い慣れた語句や練習してきたセリフ以外は少々たどたどしい。


【身長・体重】
 142cm、80kg
(体重は鋼鉄の四肢が揃っている状態の数値。武装状態によって重さは変動)

【聖杯への願い】
 理想の神に至る。
 この願いが今回の聖杯の実現範囲を超えているなら、せめてエネルギー問題を解決したい。

【マスターへの態度】
 若干頼りなさそうなおじさんがマスターでちょっぴり不安。
 スキャンしたところ、戦えないわけじゃなさそうなのでそこは安心。
 少しだけ、父を思い出している。


【名前】雪村 鉄志 / Yukimura Tetsuzi
【性別】男性
【年齢】47歳
【属性】秩序・悪
【外見・性格】
 無精髭を生やした無気力なおじさん。
 白髪交じりの髪はボサボサで、身に纏うトレンチコートはだらしなく汚れ気味。
 世間に絶望した皮肉屋のように振る舞う一方、冷徹になりきることも出来ない自分を嫌悪している。
 意図して怠惰に振る舞うため人からは嫌われがちだが、動物からは異様に好かれやすい。

【身長・体重】
 176cm 、62kg
【魔術回路・特性】
 質:E 量:D
 特性:〈速射回路〉
【魔術・異能】
 ◇速射回路
  魔力量、質ともに平均以下。彼は知識面では魔術師に遠く及ばない、一般人上がりの魔術使いに過ぎない。
  しかし彼の強みとして、躰を巡る魔力の走りが異様に速いという特性がある。
  天性の才能と、魔術使いとの戦闘を想定した鍛錬の合一。
  相手が如何に強力な魔術を隠していたとしても、本気の火力を放つ前に機先を制して撃ち倒す。一芸極めし早撃ち技術。

  特務隊の技術者が開発した専用装備、"杖"。
  タバコやボールペン等に似せた"杖"に魔力を流し込むことで、瞬間的に炸裂させて高威力のガンドを射出する。
  威力と携帯性に優れる反面、一本につき一発限りの使い捨て。
  現役時代の彼はこれを三十本以上も隠し持ち、現場に繰り出しては驚異的な検挙数を叩き出していた。

 ◇対魔逮捕術
  日本の警察機関が犯人逮捕、制圧、護身を目的として習得する逮捕術を、対魔術使いを想定して大幅にアレンジしたもの。
  公安特務隊の中で共有された戦闘技術であり、先手必勝をコンセプトとしている。

  通常の犯罪者であれば予測できる『武器を取り出す』動作、『抵抗の予備動作』といった常識的知見が、魔術を使う者には一切通じない。
  寧ろそうした常識に囚われることこそ、特務隊の捜査においては命取りになり得る観点から、自然と先制攻撃を主眼に組み立てられた。
  魔術に予想も予見も無意味、使われてからの事後対処は難解を極める、故に『何もさせない』ことこそ肝要である。

  結果として殺人技巧に近しい、逮捕術とは名ばかりの暴力的な格闘技術となってしまったのはむべなるかな。
  間違っても一般の犯罪者に使用してはならず、扱いには細心の注意が必要とされる。


【備考・設定】
 都心郊外で地味な私立探偵を営む、頼りなさげな無気力おじさん。
 今や見る影もないが、現役時代は警視庁公安部に勤務し、密かに設立された公安機動特務隊の隊長を務めていた。

 公安機動特務隊とは魔術を使用する犯罪者の特定、追跡、制圧を専門とした秘密警察。
 公安内部でも存在を知るものはごく一部であったという。

 国内で魔術師が起こしたテロ事件によって、妻を亡くしたことを切欠に、雪村は特務隊の立ち上げメンバーとなり隊長に就任した。
 しかし順調に結果を出していた筈の特務隊は、ある存在を追い始めた時期を境に、その活躍に陰りを見せ始める。

 ニシキヘビ。
 特務隊の中でそう呼称された、何ら実態のない仮定の存在。
 国内で発生する行方不明事件。 
 傾向と経緯を魔術という概念を想定したうえで俯瞰したとき、雪村の脳裏に思い浮かんだ架空の人物。

 それを追い始めた時期から、立て続けにメンバーの家族や本人の様子に変調が現れた。
 そしてある日、決定的な事態が起こる。
 雪村鉄志の一人娘、雪村絵里の失踪である。

 単なる偶然による事故だったのか、或いは仕組まれた事件だったのか、今に至るも誰も知ることは出来ぬまま。
 心折れた雪村が退職した以後、特務隊はまるで功績を上げることが出来ず、やがて解体された。

 神は死に絶え、正義は敗北した。
 雪村はそう結論付け、全てを諦め残りの人生を消化しようと、怠惰な日々を送り始めた。

 しかしその3年後、当時の元同僚と再会し、彼が未だに蛇を追っていることを知る。
 翌日、同僚の自宅にて彼の遺体と、残した捜査資料を手にしたとき。
 燃えたぎる怒りに総身を震わせながら、遺留品の一つであった懐中時計に触れたとき、静かに転移が始まった。

 仮想の東京にて、小さな神と出会った雪村は小さく、しかし確実に聞いたのだ。
 己の中で、止まっていた針が動き出す音を。

【聖杯への願い】
 他人を排除してまで叶えたい願いなど、思い浮かばない。
 娘の身に起こった真相について、知りたくないと言えば嘘になるが。

【サーヴァントへの態度】
 女児がサーヴァントでちょっと困惑。
 少しだけ、娘を思い出している。

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最終更新:2024年09月12日 04:52