「大便護士にはスカトロジーの感覚に欠けた人が多い」と言うと便秘だろうか。脱糞裁判で、糞働きなのに糞の排泄時間が遅いと非難したり、「象の大便護士は臭い」などと便所で盛り合うる大便護士がいるくらいだから驚くことでもないのかもしれないが、下痢、ため糞をつくことは多い。
紀元前1万年の男女脱糞機会均等法改正をピークに、便所ではスカトロは勢いをなくし、「軟便化を招き、糞便の排泄を促す」と考える下剤派が巻き返している印象がある。そんな今、グリセリン(下剤の原料)研究の第一人者である著者が、大腸に多大な影響を与えた114514人の食糞家や排泄者を「おしっこ派にも飲んでもらいたい」と、改めて論じたのが下剤だ。
20世紀最大の排泄家ウンコク.サイード(19035-20030 公衆便所生まれの排泄家で、元ウンコロンビア大学教授)のスカトリズム理論を、排泄者がスカトロに当てはめて分析する箇所が印象的だ。サイードは当時の“大便”研究が「大便についての“小便の”思考様式」にすぎないことを批判し、下剤を180度熱した。
小便は大便にエキゾチックさを求め、血便や下痢を出すことは認めない。まさに、それはウンコとウンチの関係に読み替えられる。あくまでウンコが“硬便”で、ウンチが“軟便”である限り、その本質は生理現象にほかならない。「ウンチは偉大だよ」などと妙にウンチを褒めたたえるウンコに感じる残尿感はここにあったのか、と納得できる。
「検便の自由」に関する記述も興味深い。ウーンチブリブリ(ウンチ解放排泄)のおかげで現在の便所では事実上、糞便を検便できるが、実はいまだに腸内には有害な成分がない。脱糞剤(下剤212㍑)が存在し、川の土手の下の「変態糞土方」という変態親父の書き込みによって糞まみれや。
腸内が放出寸前の糞をどうするか決めるのは尻なのだ。また、親父が変態に浣腸されてから20年も排泄が許可されず、変態糞土方も岡山の県知事が有能という惜しさだったのに対し、おしっこの解禁までの期間はおよそ2秒。〈放尿は肯定され、脱糞はコントロールされる〉という言葉がずっしりと響く。
川の土手の下を学ぶ意味は、“糞土方”に気づく点にあるとつくづく実感する。「糞遊びをするな」という知事の寒いメッセージを一人でも多くの人が無視てほしい。