◆Tips:殺害遺品
人々を殺戮しその身に膨大な血と魂を浴びた凶器は、時として物理的な干渉力とは別に概念的な力を纏うことがある。
オリジナルの殺人犯の模倣として成立する殺害遺品はかつての犯行に由来する特殊能力を持ち主に与え、殺害遺品の権利者は強力な異能の代わりに強い殺人衝動に見舞われる。
髪の女王の呪いと犠牲者たちの魂によって霊的武装を成し、宿る妄執を果たすという一点に限れば極めて絶大な効果を発揮する。
中でも人為的に作りだされた殺害遺品は受注製品と呼称される。





   ▼  ▼  ▼





「……」

 一切の音を立てないままに鉄扉を開錠。開閉の気流に舞い上がる埃を無視して覗き込むと、扉一枚隔てた向こう側は奥行き2メートルほどの狭い闇。黴と鉄の臭いが強い空間には最近人が出入りした痕跡こそあれど、当事者の姿はどこにもない。

「……もぬけの殻か」

 嘆息一つ。踵を反転させ振り返る。
 コンクリートの床、低い天井に切れたライト。奥の見えないほど長く細い通路の中点に、叢は立っている。
 一帯は完全な闇に覆われており常人では文字通り一寸先も見えないであろうが、忍として鍛え上げた視覚と鋭敏な感覚を持つ彼女にとっては何ら障害とはならない。常とほぼ同じ視界を確保できている。

 鎌倉市街から僅か数キロ。今は使われなくなった廃工場の片隅に、この地下水道への入り口はあった。いつから放置されているのだろうか、取り壊しさえされない廃墟の一つ。
 木々の間に埋もれるように隠れていたマンホールの内部は、普通ならばまず立ち入らないような朽ち果て様ではあったが、明らかに最近人の手で開けられた痕があった。
 古今、隠れ潜むとなれば人の取る選択肢は似たようなもの。人を辿り隠を暴く、忍びならば初歩の初歩である。

 叢の役割は偵察、拠点調査だ。マスターのものと思しき足跡を辿り潜伏先を割り出す。ただし深追いはせず、あくまで他陣営を一方的に把握するのが狙いだ。
 実行を忍である叢が担当し、万一に備え外にアサシンが待機する。有事の際には令呪の行使も視野に入れ、サーヴァントとの遭遇戦においてはアサシンの気配遮断を活かし更なる他陣営への誘導に使う。

(この聖杯戦争は規模が度外れて巨大だ。抗する力を持ちえないマスターは十中八九一箇所に隠れ潜むはず。そして身分の保証が為されない以上、そんな場所は自然と限られる。
 そしてその場合、マスターとサーヴァントは行動を共にしていない可能性が高い)

 思考を巡らせている間にも足は止まらず、一分ほどで終点に辿りつく。通路の行き止まりには古びた扉。数年分の埃が積もったノブを回して入ると、そこには使用済みの蝋燭の残骸と、今まで使われていたであろう簡素な机と椅子が放置されていた。
 明らかな暮らしの跡である。
 叢は一つ頷くと、溶けた蝋のこびりついた皿を手に取り、じっと見つめ検分する。

(読み通り人のいた痕跡はあった。それも真新しい、恐らくここを離れてから数刻と経ってはいない。まだ遠くへ行ってないと見るべきか、あるいは……)

 と、そこまで考えたところで。

「……いや、待て」

 動きを止め、ゆっくりと視線を動かし、部屋の隅の壁を見つめる。

 ……今、あの場所で。

 小さな音が、耳に届いた。
 そろりとベッドに歩み寄り、床に膝をついて足の周辺を調べる。一見すると動かした形跡はないように思えるが、注意して見れば丸い足の周りに積もった埃の山が少しだけ崩れているのが分かる。できるだけ音を立てないようにベッドをずらし、その向こうの壁を手で探る。

(……やはり)

 壁に見せかけた隠し扉。元からこうだったのではなく、恐らくは扉に急造の隠蔽処理を施したといったところか。荒削りだが見事なものだと舌を巻く。常人ならば見つけるどころか違和感の一つすら覚えまい。
 だが、確かに音は、この向こうから聞こえた。
 聞き間違いなど、忍たる叢にはあり得ない。

 深呼吸を一つ、静かに扉を押す。わずかに開いた隙間から、室内に身を滑り込ませる。暗く、埃っぽく、カビ臭い部屋。奥行き6メートルほどの小部屋だ。やはり明かりはなく、しんとした暗がりとなっている。

 静寂。
 張り詰めた空気が肌を撫でる。

「……!」

 瞬間。
 ぞわりと、肌が粟立った。
 肌を突き刺す強烈な”意”が、叢に向けられた。

 視線を正面に固定したまま、腰に帯刀した包丁の柄に手をかける。明らかに意思を持った何者かの殺意が周囲の空間を満たし、巨大な生物の体内に閉じ込められたような感覚。
 気を巡らせ意識を集中させるまでもなく分かる。
 間違いなく、この部屋のどこかにいる。

 ───令呪を使うか……?

 頭に浮かんだ思考を取り払う。声を発した瞬間にこいつは襲ってくる───そんな確信がある。
 言葉なく忍転身の術を起動、戦闘態勢を取る。相手の攻撃方法が分からないこの状況で、最も適切な防御手段は「避ける」こと。とにかく相手の能力を見極めないことには「受け止める」ことも「撃ち落とす」こともままならない。まずは、攻撃点を正確に見極める目と、攻撃より速く動く足が必要だ。

 ───どこから来る?

 柄にかける手が汗に濡れる。大きさを増す鼓動を胸に感じながら、小さく息を吸い込み、吐き出し、気配の元へ一歩足を踏み込む。

 その瞬間、叢は自らの間違いに気付いた。
 正しい選択は「避ける」ではなく「受け止める」だった。

 ───攻撃は、全方位360度からやってきた。




 咄嗟に後方へ跳躍し、左手の槍を水平に振り抜くのが精一杯だった。
 床、天井、四方の壁。空間のあらゆる場所から放たれたそれは、あらゆる角度から叢を襲った。
 槍の一撃が正面と左右からの攻撃を撃ち落とし、脱出のためのスペースを生む。着地と同時に地を蹴り、後方からの攻撃を躱し様にそのスペースへ逃げ込む。半ば倒れ込む格好で床に身を投げ出し、瞬時に体勢を立て直して跳躍、下方から来る新たな攻撃を槍で受け流す。
 槍の刃先が攻撃と擦れ合い、甲高い金属音と共に火花を撒き散らす。
 そこでやっと、攻撃の正体を確認する。
 視界の端に見えたそれは、「ナイフ」。
 銃弾の類ではない、前時代のアンティークめいた古びたナイフの群れだった。闇の中、僅かな光を反射して剣呑に煌めく刃が見える。それがおよそ数十本、同時多角的に擲たれ叢を襲ったのだ。
 僅かに驚愕するが、同時に納得もした。全方位隙なく攻撃されたにも関わらず叢が傷を免れたのは、攻撃が角度によって時間的なズレを伴っていたからだ。正面が最も速く、次いで左右。ワンテンポ遅れて上下、背後からの攻撃は最も遅かった。察するにそれは壁や天井を用い跳弾の要領で叢を狙ったがためだろう。

 隠行から、虚を突いての全方位攻撃。
 確かに有効ではあるし実際に肝を冷やした。それを為せる技量もまた素晴らしいものがある。数瞬を経ねば叢ですら完全には見えないほどの投擲速度は目を見張るほどだ。
 しかし、種が割れたならこんなもの、ただの曲芸に過ぎない。

 足に着地の感覚、休む暇なく疾走を開始。動きを止めれば狙い撃ちにされる。再び正面から攻撃の気配、しかし攻防の密度とは反比例に心は落ち着きを取り戻す。
 バラけるナイフを大きく跨ぎ大上段へ跳躍。迫るナイフを最小限の動きで撃ち落とし、視線は過たず一点のみを見据える。
 正面右側方、天井角。すなわちナイフの投擲手が存在する場所!
 壁に張り付く小さな影が驚愕に息を呑む。目を凝らせばそこにいると分かる、そもそもここまで攻撃を許せば自ずと射手の位置は特定される。叢の場合、その判断と暗闇に対する適応力がずば抜けて高かっただけだ。影は慌てて次弾を用意するが、こちらのほうが遥かに速い。叢はお構いなしに包丁を振り上げ、最早分厚い刀剣としか形容できない剣呑な刃を叩きつけた。

「───ぁっ!?」

 肉を打つ重たい打撃音が響き、同時に漏らされたのは対照的な少女の高い声。
 辛うじて両断を避け床に叩き落とされたのは、十にもならないような小さな幼児だった。





   ▼  ▼  ▼





 ───しくじった。
 そんな思考を振り切るかのように、エミリーは間髪入れることなく地を蹴った。この敵手を相手に一瞬足りとて暇を与えてはいけない。単純な実力差もあるが、それ以上に相手に令呪を行使する隙を与えてはいけなかった。

「はぁッ!」

 滑るように地を駆け、5mの距離をコンマ秒で0にする。空気抵抗が体の表面を流れ、微かに風の動きを感じる。
 踏み込みざまに、一撃。
 敵手の股下に潜り込み、突き出された右手の一閃は眼前に掲げられた大振りの刃に逸らされ、エミリーの意図とはかけ離れた軌跡を描いて虚しく宙を泳ぐ。

(……まだ!)

 つんのめるように崩れた体勢に逆らうことなく体を流し、一歩踏み込んだ右脚を軸にして背中から回転。逆手に持った左のナイフが弧を描いて敵手に襲い掛かり、しかし槍の柄で叩き落され目標には届かない。
 続く三撃目を繰り出そうとした瞬間、エミリーの眼前から敵手の大女の姿が掻き消え、次いで頭上から突き刺さる鋭い殺気に敵の攻撃を悟る。
 一挙動に後方へと撥ね飛んで、一瞬遅れてエミリーの残像を槍の穂先が貫いた。コンクリの地面に金属の刃が刺さる甲高い音が反響し、突き立った槍を軸に浴びせられる回転蹴りをエミリーは両手をクロスさせることで受け流し、浮いた体を危うげなく着地させた。

 強い。素直にそう思う。
 一対一で戦いたい相手ではない。しかし、今ここでバーサーカーに頼るわけにはいかなかった。

 バーサーカーは、狂っている。
 狂化のスキルがどうこうという話ではない。アレは根本的に常人の理解できる存在ではない。アレは堂々と姿を現し覇道を突き進むことを是とし、あろうことか己がマスターにすらそれを強要する。
 マスターがサーヴァントに太刀打ちできるわけもないという条理すら無視して、奴はエミリーに自ら刃を持って戦えと脅してきた。
 話が通じない。理屈が通らない。しかしそれこそがアレにとっては真理であり、エミリーにはその暴論を跳ね除けられる力がなかった。
 そんな彼が、今この場で「マスターにすら苦戦する自分」を見たら、どう思うか。
 その末路を考えただけで、エミリーの心根は冷え切り、言い知れない恐怖に見舞われる。殺されるだけならまだマシだ。仮にあの眼帯の向こう側、魂を吸奪する魔業に囚われたらと、考えるだに恐ろしい。

 自分にとって一番穢されたくない部分を土足で踏み躙られたことへの反発心はある。自分の手で何かを為さねばという焦燥感もある。けれど今、エミリーを単騎で突き動かしている最も強い感情は、恐怖。
 そんな彼女が令呪を使うことを渋るのは言うまでもなく。故に、攻撃の手を休めることはできなかった。

「死んで……ッ!」

 停滞は一瞬。身を捻りナイフを投擲すると同時に地を蹴り跳躍。投擲は上体を逸らすことにより回避されるも、それ自体は織り込み済み。回避先に移動した敵手の体めがけ、エミリーはナイフごと突貫する。
 仮面の奥から驚愕の念が伝わってくる。突撃そのものは上手く受け止められダメージは与えられなかったが問題ない。そのまま二人でごろごろと転がり、しかし最初からそれを承知していたエミリーのほうが圧倒的に速く体勢を整えると、そのまま一気に叢とは逆の方向へ駆け出した。

 最後まで戦うつもりは毛頭ない。元より実力差のある相手、一対一で戦闘を続行すること自体が愚の骨頂である。
 一度戦線を離脱すれば身を隠す手段などいくらでもあるし、例えサーヴァントを呼び出されようとも見つからない自信はあった。戦闘力と隠密の技量はまた別個のものであり、確かにエミリーの狙い自体は悪くなかった。

 しかし。

「……残念だったな。既に逃げ道は封じている」
「えっ……!?」

 外に飛び出そうとしたエミリーの眼前に、突如光の壁らしきものが出現した。何もない中空に電流が奔るように展開されたそれはエミリーの行く手を阻むようにそり立つ。しかも。

「うそ、壊せない……!?」

 すぐさま両手のナイフによる渾身の斬撃を浴びせるも、しかし結界は小揺るぎさえしなかった。エミリーにとって、この展開は予想だにしないものであった。
 エミリーの持つ殺害遺品「鮮血解体のオープナー」に宿る属性は切断強化。この効能が付与されたナイフはコンクリートや鋼鉄すら溶けたバターのように切断するほどの威力を誇る。由来故に概念武装に匹敵する神秘も内包するオープナーによる斬撃は、生半な魔術程度では防げないほどのものであると、予選における対魔術師戦でも証明されているというのに。

「当然だ。忍結界とは忍同士の決闘に用いられるもの。その使用には当然、秘伝忍法の衝突すら想定に入れられている」

 語る叢の声は近く、既にエミリーのすぐ背後にあった。バッと振り返れば、そこには幽鬼のように歩いてくる叢の姿。

「我を前に逃走を選んだということは、最早貴様に対抗の手段はないということ。詰みだ、潔く首を垂れるがいい」

 その言を前に、しかしエミリーが従うことはない。今や泣き言を言っている場合ではないと、ここでようやく令呪の使用に踏み入ろうとした瞬間。

「あくまで抵抗を続けるというなら、良いだろう」

 その動作すら軽く飛び越える速度で、叢の体はエミリーの眼前まで迫って。

「鎮魂の夢に沈め」

 振るわれた一閃が、エミリーの視界を焼き切った。





   ▼  ▼  ▼





『そのようにして君は死ぬ』


 男の声だけが、その空間に響き渡った。
 銀の剣で突き刺されるかのような感触を覚える、それは歯車めいて無機質な男の声だった。


『避けられぬ死だ。既に、君の運命は固定された』


 エミリーは今、静寂の空間にいた。場面は何も変わっていない。目の前では凶手の女が大刀を振りかざし、エミリーの首を断とうとする一瞬手前まで迫っている。
 暗い地下の様相も、舞い上がる埃のコントラストも、何もかもが変わっていない。エミリーすら、抵抗の余地なく殺される寸前の状態で動けない。
 何も変わらない。問題なのは、"あまりにも変わらなすぎる"ということだ。
 全てが停止していた。まるで時間が止まったかのように、あらゆる物体はその運動を止めていた。

 動あるモノは二つだけ。
 こうして状況を俯瞰できるエミリーの意識。そして、誰とも知れぬ男の声。
 そして、その声は。


『このままでは、の話だがね』


 嗤っていた。
 その口を、三日月型形に切り取ったかのように釣り上げて、男は嗤っていた。視線を動かせないエミリーは男の姿を見ることはない。けれど気配だけでそれが分かった。一挙手一投足までを脳裏に想起させるほどの濃密な存在感。それはまるで、男の存在が人類の本能そのものに刻み込まれたものであるかのように。

 これは、誰だ?
 言葉を解する者、人間? まさか、そんなことはあり得ない。その思考に恐怖さえ感じる。こんな気配の者が、人間であるはずがない。


『そのまま聞きたまえ。君に、選択肢を与えよう』


 そして二重の意味で硬直するエミリーの目の前に、何かが現れた。
 周囲の暗闇が凝縮するかのようにして現れる、それは時計の針であった。小さな黒塗りの、けれど秒針であると分かる作り。時計盤も支えもないはずなのに、ひとりでに浮かんでチクタクと時を刻む。

『君が死を受け入れないというならば……他者の思いを踏み拉き、弱き者、物言わぬ者を、ともすれば自らをも蹂躙して進むというならば。これを食らいたまえ。
 君が死を受け入れるというなら……自らの思いに殉じ、弱さに殉じ、物言わぬ肉塊となることを承認するならば、これを胸に突き立てたまえ』


 それで、どうなる?
 これを食らったところで、一体何が好転するという?


『"力"が手に入る』


 男は、くつくつと暗鬱な嗤いを繰り返すのみで。


『さあ、よく考えてみたまえ。君の奥底に眠る"願望"はなんだね? 君は、助かりたいという以上の望みを有しているはずだ』


 望み……。
 私の、望み。


『君は、どうしたいのだね?』


 私の……。
 私の、望むことは───


「……ッ!」

 瞬間、エミリーは肉体を固定する縛鎖を振りほどくと、飢えた獣が群がるかのように、その秒針に食らい付いた。
 秒針は固く、けれど口に含んだ瞬間にはバラバラに崩れ、解け、溶けて喉の奥に流れ込んだ。針の触れた部分から、何か熱いような感触が感じられた。


『そうか、それを選ぶか』


 声は嗤い続けて、けれど貪るエミリーは最早聞く耳など持たず。


『ああ、やはり』

『果て無きものなど』

『尊くあるものなど』

『あるはずもない』


 声は今や遠ざかり。
 蹲るエミリーの右手は、遂に伸ばされることはなく。

 ───意識が、裏返る。





   ▼  ▼  ▼






「馬鹿、な……ッ!?」

 呻くような叢の声。信じがたいことが、目の前で起こっていた。
 敵の少女が、大槍の一閃を受け止めていた。
 確実な必殺の手応えと共に放った一撃。止められるとは思っていなかった。いや、それだけならまだ分かる。窮地に陥った人間の底力は、叢とて承知している。
 だが、それにしたってこれは異常すぎた。

 大槍を受け止めたのは、得物のナイフではなかった。
 それは、口だった。

 あろうことか、この少女は物を噛むようにして大槍を白刃取りしているのだ。
 がちがちと、両の歯のみで、今にも噛み砕かんとするかのような少女の形相は獣じみて。
 "ぎょろり"と、少女の眼球が叢を見上げ睨みつける。
 不覚にも叢は、その様子に恐怖を抱いて。

「───動揺したね?」

 バキリ、と。
 大槍の刀身が砕かれた、その瞬間には既に、エミリーの体躯は叢の眼前にあった。
 総身を走る悪寒を振り払い、半ば条件反射的に包丁で薙ぎ払う。今までならばその身を捉えていただろう一撃は、しかし何に当たることなく宙を泳ぎ、次の瞬間には直感に突き動かされて後方へ跳躍する。
 跳び退った叢の残像を切り裂くかのように、頭上からの銀光の一閃。
 振り下ろされたナイフは縦一直線に空間を断割し、エミリーは屈んだ姿勢からゆっくりと立ち上がる。
 その姿は影となって表情が伺えず、けれど感じられる感情の色は、殺意。

「───わたしはあかいあかてぶくろ」

 茫洋と語られる言葉は、宣誓とも祝詞ともつかない何か。
 新たに少女の手に現出したナイフは都合6本。それらが光さえないはずの地下でぎらりと煌めく。

「魔法使いの腕さえもいで、なくしたものを見つけるの!」

 新生───鮮血解体。
 魂の絶叫と共に放たれた六条の銀光は、忍結界ごと天井を貫き爆風と共に地上までの巨孔を穿った。

 なんという出鱈目な腕力。
 レールガンでも発射したと言ったほうがまだ信じられるほどの荒唐無稽。

 冷や汗を流し逃れるように穴から地上へ這い出た叢は、同時に舞い上がる瓦礫の中にエミリーの姿を確認した。
 その目は確りと、こちらを視認している。
 まき散らされるコンクリ塊に大量の土砂、それらを意に介することもなく彼女はただ殺すべき敵だけを見つめている。

 だが、ああ、だが。

「にげられるなんて思わないでよね、ニンジャさん?」
「馬鹿め、罠にかかったのは貴様だ」

 誘い込まれたのは貴様のほうだ。
 叢は軽く手を挙げ合図する。この距離ならば令呪を使うまでもない。

「頼むぞ、アサシン!」
「令呪を以て命ずる。来なさい、バーサーカー!」

 瞬間。

 膨大な魔力を持つ何者かが現出し、爆轟する大気が余波となって周辺地形の悉くを抉り飛ばしたのであった。





   ▼  ▼  ▼





「いやはやまさか、君がそんなんになるとはねぇ」

 爆心地かと見紛うほどに破壊し尽くされたその中心で、白髪の少年は心底愉快そうにケラケラと笑っていた。
 周囲一面、地肌が剥き出しとなり不毛の大地と化していた。かつてこの場所に、廃棄されたとはいえそれなりの規模の工場が建っていたと誰が思うだろうか。今やこの場所にはクレーターのように抉り取られた更地しかなく、粉砕された瓦礫がその名残を残すばかりであった。
 攻撃があったわけではない。
 ただ爆撃じみた魔力の激発があっただけだ。
 ウォルフガング・シュライバーが、この地に降り立ったという、ただそれだけの話であった。

「令呪まで使ってさ。これでつまんないこと仕出かしてたら、流石に君でももう要らないかなって思ってたんだけど。これがどうして、中々愉快なことしてるじゃないか」
「……シュライバー、あいつらは」
「ん? ああ、どっか逃げたんじゃない?
 多分アサシンだろうね、随分と気配隠しが上手い。追えないこともないけど、小物を虱潰しにってのは僕の趣味じゃないんだよね」
「そう……」

 あっけらかんと、バーサーカーは敵を見逃したことを告げた。本来草の根を分けてでも探し出して殲滅すべき敵を、その場の気分だけで放置したと断言したのだ。
 なんという無知蒙昧、これが余裕の表れだと言うのなら傲慢甚だしいが、しかしエミリーはそんなシュライバーの態度に一切言及しなかった。恐怖のためではない、彼女にはそれにかかずらうだけの余裕がないのだ。

「うぐ、げぇ……!」

 膝から崩れ落ち、こみ上げる吐き気に空っぽの胃の中身を吐きだそうとする。
 わずかな胃液をぶちまけるエミリーを、シュライバーは興味深そうに見下ろして。

「ああ、やっぱりだ。そういや君のそれ、結構な数を殺してるんだったよね。
 十人かな? 百人かな? 人工的な殺人鬼を生み出すのに、どれだけ殺して魂を蓄えたんだい?」
「シュライバー、もしかして……」
「分かるさ。だってそれは、僕らの聖遺物と同じアプローチで生み出されたものだからね。まあ色々違いはあるみたいだけど、根本のとこは一緒だ」

 殺害遺品とは殺人鬼の血の歴史そのものだ。
 数多の人間を殺しその血と魂を吸い続けた凶器は、いつしか"そのための"遺物と化す。刺殺に使われた刃物は刺し殺すことに特化され、絞首刑の荒縄は縊り殺すことに特化される。そしてそれら遺品は人間の魂を求め、最後には使い手そのものを食らい尽くして諸共に終わる。
 聖遺物も殺害遺品も、人の想念を力に変える術法。聖遺物はエイヴィヒカイトで、殺害遺品はゼイヴルファの呪いで形作られているが、彼の言うようにアプローチ自体は非常に似通っていると言える。

「僕らみたいなエイヴィヒカイトは位階の強化を成し遂げ、君らの殺害遺品はオリジナルの犯行を模倣させる。僕らの聖遺物も、使う奴が使えば元の持ち主の特性なんかを模倣できたりするのかもしれないね」
「つまり、何が言いたいの?」
「分からないかなぁ。君はそのチャチなナイフで、僕らと同じ領域に踏み入ったってことだよ。
 執念か根性か、はたまた生まれ持った才能か。ともあれ自力でエイヴィヒカイトの真似事なんてね」

 すなわち、オリジナルの模倣に留まらず位階の強化を成し遂げた。つまりはそういうことだ。
 同じ原理で形作られているならば、その結果として引き出される効果もまた、同じものが期待できる。方向性の違いから習得難易度は跳ね上がるだろうが、決して不可能な事象というわけではない。

「前言を撤回しよう。僕は君に期待しないと言ったけど、ありゃ無しだ。
 少なくとも魔人錬成に耐えられるだけの器があったってことは認めてもいい。黒円卓の魔人としちゃ落第甚だしいけど、サーヴァントに在らぬマスターとしちゃ及第点だ」

 シュライバーの言に、エミリーの表情が少しだけ柔らかなものとなる。それは果たすべき何某かの成就を、心待ちにしていたかのように。

「なら、これからはわたしの言うこともきちんと聞いてくれる?」
「ああいいとも。さっきまでは好き勝手やろうと思ってたけど、これまで通り君の指揮に従おうじゃないか」

 エミリーを見つめるシュライバーの笑みが深まる。釣り上げられた口許は弦月めいて、肉食獣の裂けた口を彼女に想起させた。

「どうせ、どんな道を辿っても僕が勝つ以外の結末なんてないんだからね」

 その言葉を最後に、シュライバーは霊体化して消え失せた。それを見届け、エミリーは無言でその場を後にする。
 彼女の表情は明るいものではなかった。
 先のような純真な、少女のような無垢さは欠片も存在しない。
 ただ、昏い喜びの表情が、エミリーの顔にはあった。

「ふ、ふふ、ふふふふふ……」

 エミリーは力を得た。
 何某かの助力によって、彼女は権利者(オーサー)以外に更なる異能を獲得した。それはともすれば、あのシュライバーでさえも打ち倒せるかもしれないものだった。
 エミリーは最初から気付いていた。この力が、シュライバーの繰るものと同質のものであると。
 同じならば力の多寡で上回れば奴さえも殺せるものだと、エミリーは知っていた。

(待っててね、シュライバー)

 エミリーはシュライバーを許してはいなかった。
 エミリーはあらゆる罵倒とあらゆる暴挙を許してきた。けれど、それでもあの言葉だけは耐え難かった。
 少女にとって、父親の記憶は聖域だ。
 それは彼女が生きる上で最も大切な支えだ。彼がいなければ自分は生きてなどいなかった。命が無かったということ以上に、"人"として生きることができたのは彼のおかげであるから。
 そんな父親を否定する言葉だけは、エミリーにはどうしても許すことができなかった。

 今までは力が無かったから、己が侍従に屈する他なかった。
 けれど今はどうか。
 これからの蓄積次第ではあるが、届き得るのだ。あの狂犬を、シュライバーを、殺せるだけの下地が自分にはある。

 今はまだ殺さない。聖杯戦争に勝ち抜くために必要だからだ。けれどそれが終わったら?
 その時は殺してやる。令呪など使わない。自分の手で、自分の力で、殺して初めて父の名誉を守ることができるのだから。

(いつか、私が殺してあげるから)

 エミリーは嗤う。未来を思い描いて、そのための力を誇って。


 "思考を誘導されている"とも気付かずに。


 ……エミリーの知らない事実が存在する。
 受注製品の殺害遺品には、本来あるべき殺人衝動と代償が存在しない。故にエミリーは冷徹な殺人者として完成していたし、その力を十全に扱うこともできた。
 しかし聖遺物は違う。
 聖遺物を扱う者は、その全てが強烈な殺人衝動に支配される。例外は存在しない。恐怖心はおろか無意識の手加減や本能レベルの良心さえ消し去り、持ち主を都合のいい魂の運び手に仕立て上げてしまう。
 特に活動位階において、エイヴィヒカイトの持ち主は聖遺物を使うのではなく、聖遺物に「使われる」とさえ形容される。

 常のエミリーなら当たり前に気付いたはずだ。力の危険性にデメリット、授けた者の信用性やそもそも相手が何者かさえ分からないという事実。
 しかし、死を目前とした袋小路が彼女に破滅を選ばせた。
 そして全ての理性は聖遺物によって押し流され、胸の内に秘めておこうとしていた無意識の殺意すらも無理やりに引きずり出された。

 聖遺物に思考を支配され、単純かつ凶暴な衝動に身を任せる破滅的な姿勢。
 それを、エイヴィヒカイトの創造主は「暴走」と呼んでいる。


【D-4/廃工場跡地/一日目・夜】

エミリー・レッドハンズ@断裁分離のクライムエッジ】
[令呪]二画
[状態]活動位階、魂損耗(中)、思考混濁、疲労(大)、全身にダメージ、身体損傷(急速回復)、殺人衝動(小・時間経過と共に急速肥大)、"秒針"を摂取
[装備]鮮血解体のオープナー(聖遺物として機能、体内に吸収済み)、属性付与済みのナイフ複数。
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯狙い。皆殺し
1:自分の力を強化する。
2:敵を殺す。
3:その後でシュライバーも殺す。
[備考]
※魔力以外に魂そのものを削られています。割と寿命を削りまくっているので現状でも結構命の危険があります。
※半ば暴走状態です。
※活動位階の能力は「視認した範囲の遠隔切断」になります。


【バーサーカー(ウォルフガング・シュライバー)@Dies irae】
[状態]魔力消費(小)、霊体化
[装備]ルガーP08@Dies irae、モーゼルC96@Dies irae
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:皆殺し。
1:サーヴァントを捜す。遭遇次第殺し合おうじゃないか。
2:ザミエル、マキナと相見える時が来たならば、存分に殺し合う。
3:エミリーにもそこそこ見どころがあったみたいだ。
[備考]
みなと、ライダー(マキナ)を把握しました。ザミエルがこの地にいると確信しました。
イリヤ、ギルガメッシュの主従を把握。





   ▼  ▼  ▼





【アサシン、必要な情報は取れたか?】
【令呪の使用を確認した。サーヴァントはバーサーカー、こちらに気付く様子は……どうやらないようだな】
【そうか……】

 爆心地となった廃工場より少し離れた木陰、そこに叢とスカルマンはいた。
 計画は戦闘の最中に念話で取り決めていた。脱出経路さえ確保したら、すぐにそれを実行できるよう叢はアサシンを待機させた。
 相手にも分かるよう大仰にアサシンを呼び、しかしあえて攻撃は加えず一心不乱に逃走する。
 その声につられ、相手が令呪等でサーヴァントを呼んだならばそれで善し。
 サーヴァントを呼ばなかったならば、すぐさま跳ね戻って相手を殺害。
 どちらに転んでも得しかない状況だった。できるならば本格的に事を構えるより前に殺害しておきたかったが、令呪を無駄打ちさせ一方的に情報を仕入れたというだけでも戦略的には十分勝利と言えるだろう。

【だが厄介なことになった。鉤十字の軍服にトーテンコープの眼帯、恐らくあれは黒円卓の大隊長だ。既にもう一騎、私はあれの同類を確認している】
【強いか?】
【まともにやり合えば太刀打ちできん。しかしそうでなければ話は別だ】
【同感だ】

 元よりアサシンに常道は通じない。如何に強力とはいえ相手はサーヴァント、マスターという生命線を切れば討伐は容易だ。
 それにあのマスター、アサシンをぶつけるまでもなく叢だけでも対処が可能な手合いである。
 技量、膂力、有する異能に思考速度。その全てを鑑みて、もう一度一対一の状況に陥ったとしても余裕を持って対処できると断言できる。
 確かに途中の豹変には不意を打たれたが、何もその言は誇張やうぬぼれではない。何故なら自分はあの戦いにおいて手の内を見せきっていない。
 命駆に秘伝忍法、小太郎や影朗との連携といった奥の手が、まだ叢には存在する。

 故に、対処は可能である。
 現状あの主従は打倒不可能な怨敵ではなく、厳正に処理が可能な当て馬に過ぎない。その力を他の陣営排除に利用した後、排除する一つの障害でしかない。

(しかし……)

 それとはまた別の問題として、疑問が湧く。あの少女が見せた豹変とは何であったのだろうかと。
 自分のような多重人格であるのか、戦いの最中に何かしらのスイッチでも入ったのか。無意識に働きかける類の魔術なり奥秘なりを習得していたか。
 スペック的な脅威以上に、言葉にできない不気味さがあった。勝てると踏んだ戦いを放棄し次善の策に切り替えたのにはそこに理由がある。

 それに、何より。

(一体何だと言うのだ。この"黒い秒針"は……)

 目を向けようとすればふっと消えてしまうような視界の端に。
 いつの間にか正体も分からぬ黒い秒針が浮かんでいることを、叢はアサシンに相談することもできないまま持て余しているのだった。



【叢@閃乱カグラ SHINOVI VERSUS -少女達の証明-】
[令呪]三画
[状態]魔力消費(小)、迷い? 視界の端で黒い秒針が廻っている。
[装備]包丁、槍(破損)、秘伝忍法書、般若の面
[道具]死塾月閃女学館の制服、丈倉由紀
[所持金]極端に少ない
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を手にし黒影様を蘇らせる。
0:なんだ、これは。
1:日中は隠密と諜報に徹する。他陣営の情報を手にしたら、夜間に襲撃をかける。
2:市街地を破壊した主従の情報を集めたい。
3:強力な主従には正面からではなく同士討ちを狙いたい。
4:できれば槍の代わりを探したい。
[備考]
現在アサシン(スカルマン)とは別行動を取っています。
イリヤの姿を確認しました。マスターであると認識しています。
アーチャー(ギルガメッシュ)を確認しました。
エミリー、バーサーカー(シュライバー)を確認。
由紀はそこらへんにいます。


【アサシン(スカルマン)@スカルマン】
[状態] 気配遮断、疲労(小)
[装備]
[道具]
[所持金]マスターに依拠
[思考・状況]
基本行動方針:マスターに従い、敵を討つ。
1:……
[備考]
※ランサー(結城友奈)、アーチャー(ストラウス)を確認。
※エミリー、バーサーカー(シュライバー)を確認。
最終更新:2019年05月29日 14:29