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 一切は移り行き、とどまるところなし
 死者を埋葬した者も、やがては埋葬される。





   ▼  ▼  ▼





 すばると友奈がアイを見つけたのは、半ば偶然の産物だった。



 真っ赤な光に照らされて燃える街並み、対照的に穏やかな星の光を湛える漆黒の夜空。頬を切る風の生暖かさに、否応なく肌に突き刺さる戦場の剣呑な気配。
 それら異常の悉くが広がる視界の中にあって、尚も特級の異常を誇るのは、並び立つ二柱の巨大異形の姿であった。

 おぞましき異形、魔の如く。
 巨いなりし威容、神の如く。

 それはあまりにも圧倒的で、彼らが有する質量と見比べれば自分達は文字通りに地を這う虫でしかあり得なかった。
 見上げなければ頭頂を視界に収めることすらできない魁偉を前にして、果たして自分達に何ができるのだろうかと───そう思ってしまう心も否めなかったのだが。

「っ! マスター、あれ!」

 赤く染まる薄闇の街を大きく跳躍し、夜空にその姿を浮かばせていた友奈が、足取りも荒く急停止して彼方を指差す。
 同じくドライブシャフトの飛行に待ったをかけたすばるは、その指の向こう、遥か遠くで相争っていた二柱の巨神が諸共に消滅する光景を目撃した。
 それは直前まで行われていた極大規模の戦闘とは裏腹の、あまりにも呆気ない幕切れ。
 音もなく、振動もなく、最初からそこには何もなかったのだと錯覚してしまうほどに静かな、文字通りの消滅。

「もしかして……戦い、終わったの?」

 と、そう言うすばるの気持ちは友奈にもよく分かった。
 あまりにも暴力的かつ圧倒的な戦闘の気配は、当事者ですらない遠く離れた自分達ですら、直視するのに心魂を突き刺されるに等しい痛苦を伴った。どれだけの覚悟を決めようとも、あれを前にして一切の怯えを持たず戦場に飛びこめるのは文字通りの英雄だけであろう。
 一応は座に登録された英霊であるところの友奈でさえ、震えとなって訪れる恐怖や畏怖の感情を拭いきれなかったのだ。如何に修羅場を潜り抜けたとてすばるは未だ幼い子供でしかない。脅威の消失を前に楽観を抱くのも無理はなく、友奈とて徒に不安を煽るようなことは言いたくないのだが。

「ううん。多分だけど、それは違うと思う。魔力がまだ渦みたいに立ち昇ってるし……嫌な予感も、全然無くなってない」

 ここに他のサーヴァントや、あるいは魔術師がいたならば、二柱の巨神が消失したその場から竜巻めいて渦を巻く膨大な魔力嵐を視認することができただろう。
 可視化されるほどの濃密な魔力は最早瘴気と言っても過言ではなく、あれに触れたならば魔術的な加護を持たない常人では意識を保つことすらできはしまい。
 つまり、何も終わってなどいない。彼処には未だ狂気の源泉たる何者かが潜んでおり、ふとしたきっかけで再び常識を外れた域の闘争が行われても不思議ではないのだ。

「……急ごう。さっきより大分危険は少ないと思うけど、嵐の前の静けさみたいに思えて仕方ないんだ」
「うん、あそこにアイちゃんやキーアちゃんがいるなら、放っておけない!」

 暴性がすっかり鳴りを潜めた静穏さは逆に禍々しく、重苦しく口を開けた虎穴にも等しい。
 しかし果敢に入り込まねば、虎児を得られないのもまた事実。
 仮にあれが動き出すようなことがあるなら、尚更立ち止まってはいられない。

 そう意を決して渦中へ飛び込もうとした、その瞬間であった。



「お~~~~~~~い! すばるさ~~~~~~~~~~ん!」



 と、何とも間延びした大声が、すばるたちの耳に飛び込んできた。
 声のほうに振り向けば、そこにはブンブンと大きく手を振りながら、満面の笑みで走り寄ってくるアイの姿があった。










「取り除くべき楔は二つある」

「一つは幸福の空想樹。もう一つはある種の起源となった学び舎、そこに眠る"核"と思しきもの」

「……これは君にしかできないことだ」

アイ・アスティン。聖杯戦争のマスターではなく、"墓守"としての君にこそ頼みたい」

「どうかその者を、丁重に埋葬してやってほしい」










「ああ、無事で本当に良かったです! あのでっかいのが暴れてるところにお二人ともいなかったので、どこか違う場所に逃げてたんだろうなって思ってたんですけど、でも万が一がって思うと心配で心配で……!」

 とまあこんな感じで、地面に降りたすばるの手を取ってぶんぶん振り回しマシンガンの如く言葉を放ってくるアイを何とか宥めすかし、ひとまず腰を落ち着けることができたのは邂逅から数分経ってのことであった。
 話を聞くにアイには行かなきゃいけない場所があって、そこに移動している時にすばるたちとばったり再会したらしい。「まず最初に言っておきますと、キーアさんは無事です」と言って目的地に向けて歩みを進めるアイに並びながら、すばるたちは話を続けていた。


「なるほど、そんなことがあったんですね」


 すばると友奈、そして蘇ったアーチャー・東郷美森と来襲した天夜叉のライダーに関する一連の出来事。
 それを最後まで聞き届けたアイは真剣に、何か感慨深いように頷いた。

「それでランサーさん……今はブレイバーさんですか、ともかくブレイバーさんはその姿になったわけですね」

「うん。アーチャー……東郷さんが一生懸命頑張ってくれて、必死に私達を助けようとしてくれて、そのおかげで今の私があるんだ。
 そしてマスターも」

「もう一度みなとくんと会うことができた。守られるだけじゃない、自分でも何かができるように、もう一度手を伸ばすことができた。
 全部全部、アーチャーさんとブレイバーのおかげだよ」

 結果として希望を掴むことができた二人は、けれど安穏とした道を歩んだわけでは決してない。
 共に大切な誰かを失い、共にその者の手を一度は掴むことができず、それでも尚諦めることなく立ち上がり続けた。

「お二人とも、とても頑張ったのですね」

 アイもそのことが良く分かったから、ただそれだけを二人に返した。
 すばると友奈は、どこか照れくさそうに目を細めた。

「ところで、アイちゃんはどうしてここに? キーアちゃんは無事って言ってたけど、セイバーさんたちはどうしたの?」
「はい、そのことなんですが」

 そう疑問符を打つすばるに、今度はアイが話し始める。
 突如として発生した白い異形の群れ、はぐれたすばるを追うために駆ける騎士のセイバー。アイとキーアも自分のサーヴァントからはぐれてしまって、アイは騎士のセイバーと共に中心市街地まで突き進み、キーアは青年のセイバーに守られる形でその場に留まった。

「でも街のほうには物凄く危険なサーヴァントがいて、騎士さんはその人を止めに行きました。私はすばるさんを探そうとしたんですけど……」
「あの、大きなのが出てきた?」
「はい、その通りです。危うく踏みつぶされるところでした」

 暴れられちゃ困るから戦うのをやめろー、と言ったところで聞くわけもなくあわやペシャンコになる寸前、アイは真っ黒なサーヴァントに間一髪助け出されたらしい。
 それでその人が言うにはアイたちのことは以前から知っていて、だからこそアイにしかできないことをやってもらいたくて助けたとのことで、今まさにその頼まれごとを果たすためにアイは走っていたのだという。

「……それ、すごく怪しくない?」
「まあ、あからさまに胡散臭いですね。けど結局すばるさんたちを探すため方々を駆けずり回らなきゃいけないことに変わりはありませんでしたし、結果的にこうして合流できたので無問題です」

 そういう問題なのかなぁ、とすばる。アイの話に出てくる真っ黒サーヴァントとやら、怪しくないところが何一つとして存在しない。怪しいと知って尚もホイホイ頼まれてしまうアイもアイだが、怪しさを隠そうともしない真っ黒も真っ黒だ。いや、アイのこういう性格を知っていたからこそ、むしろ何も隠し立てしなかったのかもしれないけど。

「というわけで、キーアさんにはセイバーさんが付いていますし、私はこうして五体満足なわけです。そこでブレイバーさんにお願いがあるのですが」
「私に?」
「はい。騎士さんに加勢してほしいんです」

 それを聞いた瞬間、友奈ではなくすばるのほうが何やら難しい顔になった。
 アイの目指している場所と、戦場となる市街地は正反対に位置している。つまりこの場合、どちらか一方は一旦置いていかなければならないのだが。

「ねえアイちゃん」
「? はい、なんでしょうすばるさん」
「それって当然、アイちゃんもわたしたちと一緒に来るんだよね?」

 すばるの問いに、アイは当然のような顔をして。


「いいえ。私はここに残ります」


 そんなことを言ってのけた。

「……え?」
「まだやることがありますからね。状況も切迫していますし、あまり時間を無駄にはしたくありません」

 唖然とする友奈に、気付いていないのか気にしていないのか淡々とアイは続ける。隣のすばるは、無言。

「そ、そういう問題じゃないよ! セイバーさんたちもいないんだし、みんな一緒にいないと!」
「身の安全なら大丈夫です。私には令呪がありますし、いざとなったらセイバーさんを呼ぶこともできます。それよりも騎士さんのほうがずっと危ないので、早く助けに行ってあげてください」
「論点がズレてるよ! アイちゃんも一緒に来てくれたら全部解決するのに、なんで……」
「ブレイバー」

 ぴしゃりと、すばるが声を放ち、あわや口論になりかけた二人は共に押し黙った。

「もういいよ。ブレイバーはセイバーのところに行って」
「でも、マスター」
「大丈夫」

 そしてすばるは、一言。

「アイちゃんには、わたしが一緒についていくから」

 それは、決然とした声だった。

「マスター、それは……」
「駄目です! 何を言ってるんですかすばるさん! サーヴァントから離れて行動なんて馬鹿げてますよ!」
「アイちゃんがそれ言ったらおしまいだよ」

 あはは、と力なく笑う。先ほどとは対照的に、感情的に声を荒げるアイと落ち着いた友奈。

「ブレイバーなら分かるよね? わたしならある程度戦えるし、なるべく危ない真似もしないから」
「すばるさん!」
「アイちゃんは黙ってて」

 有無を言わせぬ口調。普段の気弱なすばるとは思えない。

「アイちゃんにはわたしが付いていく。それが嫌ならアイちゃんがわたしたちと一緒に来て。どっちかしか認めない」
「でも、それは」
「これ以上我儘は言わないで」

 うぅ、とたまらず口ごもる。そして数秒の間「あー……」だの「うぅん……」だの散々唸った挙句、やがてアイは観念したように呟いた。

「分かりました。すばるさんは私と一緒に来てください」

 そういうことになった。





   ▼  ▼  ▼





 危なくなったら必ず令呪を使うように。

 そう何度も厳命してから、ようやく街のほうに飛び去っていった友奈を見送って、アイとすばるは二人並んで瓦礫まみれの道を歩いていた。
 少しだけアイが先に立って、二人は山間に向かう細々とした道を、黙々と歩く。
 すばるは、アイから改めて詳しい説明を受けていた。

 巨大なサーヴァント同士の対決に巻き込まれたアイを救け、その代わりに頼みごとをした黒衣のサーヴァント。
 彼はアーチャーのクラスだったという。自分が知る限り、弓兵のクラスはこれで三騎目だ。他ならぬすばる自身のサーヴァントだった東郷美森、騎士のセイバーが出会ったという炎使いの砲兵。
 彼は確かに「アイにしかできないことだ」と言ったらしい。だからこそアイはここまで強情になったのか。アイの性格を知った上でなら、確かに上手い一言だと思う。
 そして同時にこうも思う。そのアーチャーは、何故そんなことを知っていたのだろう。
 アイの性格も、性質も、そして彼女にしかできないという何某かも。こうして考えていても不思議になるくらいに色んなことを知られている。
 千里眼。以前美森が教えてくれたことを思い出す。遠くの景色を見るのみならず、高ランクのものともなれば未来や心さえも見通すという規格外スキル。そういうものがあれば、もしかすればこのことにも説明がつくのかもしれない。
 それともあるいは、アイのことを逐一知覚していたならば。
 騎士のセイバーが言っていた、八幡宮で加勢した謎の攻撃は、もしかするとそのアーチャーのものだったのかもしれない。

 そうだとすれば、真っ黒さんは自分たちの味方なのかもしれないが、それでもアイを一人で行動させるのは流石に酷いと思うのだ。
 運よくこうして合流することができたけど、でも結果を見ればサーヴァントなしの二人っきりでいるわけだし……いや、それはわたしも悪いんだけど。それはそれとして。
 今のわたしには戦えるだけの力がある。みなとくん……いや、かつてみなとくんだったもの。鋼の影。比類なき《奇械》アルデバラン。
 彼がわたしの影から現れた時、頭の中に浮かんだ名前がそれだった。名前すら知らないはずの彼。それでもわたしは万感の思いと共に右手を伸ばして。
 魔力総量だけを言うならサーヴァントにだって負けはしない。実際にあの口が悪いライダーと戦った時も、相手からはまるで脅威を感じなかったくらい。それくらいに背後の【彼】は強大だ。
 ずっと無言で話してくれないけれど。油断大敵で調子に乗っちゃダメだって分かってるけれど。
 でも、わたしとアイの二人くらいなら守れるだろうと、そう思う。
 ……今だって心細いことに変わりはないのだけど。

 そう、心細い。どうしたってわたしは何も知らない子供のままで、戦ったり殺し合ったりなんて怖くてたまらない。
 ちらりと横を見る。隣を歩くアイは毅然としていて、まるで自分の踏んでる地面に絶対の自信を持っているかのよう。
 そういうところを、ほんのちょっとだけ羨ましいと思う。何が待ち受けているかも分からない先を見据えて、なのにその目はまるで怯えを知らない。
 強い子。不思議な子。そして少しだけ危うい子。何者にもなれないわたしでは、どうあってもなれっこないと思わせる。そんな子。アイ。
 目を離すとすぐどこかへ行ってしまいそうで、だからこうして手を繋いでいないと安心できない。彼女のそういうところが、美点であり欠点なのだと思う。
 今だって見ず知らずの人から頼まれたというだけで危険な場所に飛び込もうとして、たった一人で立ち向かおうとして。
 結局のところを言えば。
 すばるが今、一番気になっているのは、自分達が向かう先に在るのは一体何であるのかということ。
 真っ黒のアーチャーは、アイに何をさせたがっているのか。

 と、そんな益体のない思考を続けているうちに、二人は目的の場所までたどり着いていた。

「アイちゃん、本当にここなんだよね?」
「はい。あの人はそう言っていました」

 不安を滲ませるすばるに、アイは決然と答えて。

「旧戦真館學園校舎。そこに眠る死者を埋葬してほしいと、彼はそう言っていました」

 朽ち果てた木造、そして樹木が混在する夜の校舎。昼間見た時とはまるで雰囲気が変わってしまった風景。
 数時間前までもう一人の少女と共に過ごしたその場所に、アイとすばるはたった二人で帰ってきたのだった。










 廃校舎───戦真館學園の敷地は広い。
 昼間の時は校舎の一部にしか立ち入らなかったから実感はなかったろうが、有数の敷地面積は伊達ではない。
 戦真館學園。現在では千信館学園と改名されているこの学校は、鎌倉では名門として知られる私学校だ。
 百年以上前の創立当初においては軍学校として数多の若者を招き入れ、故に当然そうした目的の設備も多数現存している。
 と、そんな事実などアイとすばるが知るわけもなく。

「静か……」

 ぽつりと、すばるが漏らした呟きが風に乗って夜の空へと消えていった。

 学校は静かだ。
 年季の入った木造と煉瓦の建造物、そして鬱蒼とした樹木が生い茂る夜の学校。その風景は月に照らされ、廃墟そのものの静謐さで広がっている。
 探し物の"何者か"の姿は見えない。それどころか動くものすら、自分たち以外には何一つとして見えない。
 そこはただ、別世界のように横たわる静かな静かな領域だ。
 どこまで見渡しても、その青白い闇は広がっている。
 月明かりの、青い闇は広がっている。

「お待たせしました、すばるさん」

 声のほうへすばるは振り向く。
 肩口にショベルを掛けたアイが、たった今来たようにちょこんと立っていた。

「もう終わったの?」

 その言葉には二つの疑問があった。あまりにも拍子抜けであるということと、物理的にこの短時間で終わらせることが可能なのかということ。

「はい。私は墓守なので、つつがなく」

 そう言って笑うアイの声には、嘘の一切含まれない無機質さが湛えてあった。



 戦真館學園の校門をくぐって十数分、たったそれだけの間にアイは所用を済ませてしまっていた。
 墓守としての所用。死者の埋葬。
 元からあった女性のミイラと、昼ごろ自分たちを襲ったマスターの女の子の成れの果て。都合二体の死体をアイは丁寧に埋葬し、即席の墓標を立てて彼女たちの終の棲家とした。

「お二人とも、お名前が分からないのが心残りですが」

 そう言って、どこからか摘んできた花を手向けるアイの言葉は、幼い容姿にそぐわない神妙なものだった。

「こちらの方はともかく、もう一方はユキさんのお知り合いだったのでしょう。よく似た服を召していましたから」
「同じ学校の友達だったのかな……由紀ちゃん、思い詰めてないといいんだけど」

 由紀の友達。彼女と同じく聖杯戦争のマスターだった名も知らぬ少女。
 せめて人相だけでも、というすばるの言葉に、アイはただ黙って首を振るのみで。たったそれだけで、少女がどのような末路を迎えてしまったのかをすばるは察した。
 だからこそ、どうしても考えてしまうのだ。もしかすると由紀までもが、"同じように"なっているのではないのか、と。

「私も、そうはなっていないことを祈るばかりです」

 深く憂いたような面持ちで、アイが答える。

「心の傷ならば問題ありません。どれほど傷ついたとしても、いずれ人は立っていけます。その時まで、私が傍に寄り添ってあげられます。
 けれど死はどうすることもできません。例え一度目の死を否定し起き上がっても、私にできるのは墓守として埋葬することだけです」

 人は生に寄り添うことができるが、墓守は死に寄り添うことしかできない。
 だからこそ死は尊く、重い。それは本来的な意味で永遠に死を失ってしまったアイの世界でも変わることはない。

「生きてもう一度会えたなら、その時はきっと最後までユキさんを救けると約束しましょう。
 ですからどうか、あなたたちは安らかに……」

 そうして手を組み祈られて、ようやく埋葬は完了した。
 無言の夜は一層静かに思えて、劈くような耳鳴りが聞こえてくるようだった。






「本当に、これだけでいいのかな」

 埋葬が終わってから幾ばくか。
 太目の木の枝でこしらえた簡素な十字架。地面に突き刺さる二つの墓標を見下ろして、そう呟くのはすばるだった。

「拍子抜けでしたか?」
「うーん、そう言うと不謹慎だってことは分かるんだけど……」

 でも、確かにアイの言う通りだった。
 いかにも意味ありげにわざわざここまで戻ってきて、やったことと言えば一マスターの弔いだけ。その行為自体は立派なものかもしれないけど、でも状況を鑑みれば明らかに時と場にそぐわない。少なくとも、わざわざ他陣営のマスターに頼んでまでやるようなことではないだろう。

「そうですね。真っ黒なアーチャーさんは、これを"核となる楔の除去"と言っていました」
「楔って、八幡宮の時みたいな?」
「ユリカさんの言ってることが本当なら、ですが」

 それと、百合香とアーチャーの指し示す事象が同一のものであれば、の話だが。
 でも、だとすれば尚更おかしい。こう言ってはなんだが、たかが一マスターの死体がそんな大それたものとは思えない。
 つまり、これは。

「他にもっと別の"何か"があるということでしょう」

 それ以外に考えられない。話の筋が通らないのだ。
 だからこの場所には、まだ別の何かがあるのだと───それは稚児であっても理解できる簡単な道理。

 分かりきったことであり誰もが共有する当然の考え。故にそれは全員の合意として成立した。
 認めた、故に"そう"なる。何もかもが不確かな夢の中にあって、それは如何なる道理よりも優先される唯一の真実であるから。

 強制協力、条件達成。
 だがそれは一体誰のものだ?
 アイとすばるの二人によるものか───いいや違う。
 もうひとり存在するのだ。二人の少女に合意して、"いいぞよくやった"と笑う者がただ一人。
 何故ならそれは、『幸福』の理に支配された八幡宮と同じくして。ただ一人の少年の遺志眠る領域で行われたが故に。

 そして。

「え───うあっ!?」
「これは、すばるさん!」

 突如として、二人を襲うものがあった。
 地面が揺れる。世界が揺れる。断続的な衝撃に軋む木々の悲鳴が耳に煩く、宙に舞いあげられる木の葉が視界の端に映った。
 それは少女らの小さな体ごとを揺さぶり跳ね上げるほどの力を以て。
 朽ちかけた校舎ごと"ぐらぐら"と。二人には直感するものがあった。
 地震。それもあまりに巨大な、今まで経験したことがないくらいの。

 アイとすばるはとても立ってはいられなくて、思わず膝をついて何とか耐え凌ごうとするけれど。
 それすらも許さないと言うかのように、突如、地面に亀裂が奔って。
 あっ、と思った時には、全てが遅かった。
 アイを支える地面が無くなり、その小さな体が宙に浮いた。
 咄嗟に伸ばした手は、何を掴むこともできずに。

「アイちゃん───!」

 必死の形相で手を伸ばすすばるの叫びが、段々と遠くなっていった。
 落ちていく。アイの身体が落ちていく。
 どこか現実味のない空虚な思考で、アイはすばるを見つめていた。

(……あれ?)

 その刹那。走馬灯のように引き伸ばされた視界の中、アイはそれを見た。
 誰かが立っていた。
 すばるではない、そのすぐ後ろ隣りの位置に、誰かが。

 月明かりに煙る誰かの人影。
 そこにいるはずのない誰か。
 もちろんそんなものは幻で、アイの勘違いに過ぎないと分かりきっているけど。



 けれど、確かにアイは見たのだ。
 未だ年若い、赤い髪をした少年の姿を。






   ▼  ▼  ▼





 手を伸ばせば掴める未来が、目の前に───










 諦めずに手を伸ばせば、そこには青空が広がる。
 一人では何もできなくても、手を伸ばせば掴んでくれる誰かがいる。
 そうして手と手を取り合って、みんなと共に一つの道を往けたならばきっと何も怖くない。

 そう、結城友奈は信じていた。
 けれど。

「───え?」

 宙を駆けていたはずの私の身体は、突如として強い衝撃に打ち据えられ、墜落した。
 ───信じていても、それで救われるとは限らない。


 何が起こったのか理解できなかった。
 目の前に、黒い影の誰かがいた。
 青みがかった髪に、鍛え上げられた痩身。
 白いマフラーを翻し、その目は隠し切れない敵意と疑念に満ち満ちて。

「あ……」

 呆然とした友奈の呟きに応えるように、彼は無言で友奈の関節を捩じり上げた。
 墜落。衝撃。そして、痛み。うつ伏せに倒れ伏した友奈を拘束する男がひとり。
 動けない。手足も首も腰も肩も、主要な関節駆動域は全て完璧に極められている。ほんの少し動かそうと力を入れるだけで尋常でない痛みが全身を駆け抜け、身じろぎひとつ取ることすらできない。
 圧倒的なまでの技量の差だった。単純な筋力値では友奈が勝っているはずなのに、それさえ拘束に利用されている。抜け出そうと足掻くけれど、その全てが無為に帰すばかり。

「おい」

 言うと同時、友奈の関節にかかる負荷が増した。痛みに堪えきれず、苦悶の声を上げる。

「すばるはどうした」

 その声には聞き覚えがあった。そして、その質問内容にも合点が行った。
 そうだ、この人は。

「セイ、バー……?」
「答えろ」

 ぎり、と軋む嫌な音。痛みと呻きが更に大きくなる。

「お前の霊基はこの際どうでもいい。だが何故単独行動を取っている。すばるは今どこにいる?」
「なに、を……」
「答えろ。なんでお前だけがここにいる」

 セイバー。アイ・アスティンのサーヴァント。本当なら手と手を取り合って協力できていたはずの彼。
 彼の声には隠し切れない疑念が滲んでいて、どう考えても友好的などではない剣呑な気配が背後に湛えられている。

「最初に言っておくが、俺はお前を一切信用していない。
 一度マスターを裏切ったサーヴァントが二度目を躊躇うか? 私利私欲に溺れて行動しないと誰が証明できる?
 何よりお前は理由なき大量殺戮者だ。少しでも妙な真似をしたらその瞬間に殺す。だからさっさと俺の質問に答えろ」

 有無を言わさぬ口調。冗談では済まないと分かりきっている敵意の嵐。
 最初から吐くつもりはないが、嘘を吐いた時点で友奈は文字通りに殺されてしまうだろう。
 痛みと苦しみに満ちる喉を、友奈はようやく動かす。

「マス、ターは……廃校に……」
「なんでそんなところに置いてきた」

 でまかせじゃないだろうな、と暗に言ってくる。軋む腕が悲鳴を上げる。

「ア、アイちゃんが……いて、マスターと一緒に……信じて、私は嘘なんか……!」
「へえ」

 元から低いセイバーの声音が、一気に冷たいものに変化した。
 ぐい、と体重をかけられた肺から、苦悶の息が漏れだした。圧迫感から来る苦痛が友奈を苛む。

「答えになってないな。それが事実だとして、お前はサーヴァントのいないマスターを二人も放置してきたってのか。
 のうのうと、お前一人だけ。逃げ出してきたか見捨てたか、どっちにしろどのツラ下げてここまで来た」
「違う!」

 友奈は叫んだ。苦痛や恐怖からではない、それは本心のままに。

「私、は……託された! 助けてって、キーアちゃんとセイバーを、助けに行って欲しいって! 私にしかできないことだから!
 だから私は……!」
「だから答えになってねえっての」

 言って離されたセイバーの右手に、収束する魔力があった。
 それは剣だ。蒼白の騎士剣の刃が、そっと友奈の首に添えられる。伝わってくる鋼の冷たさが、それを持つ彼の心を表しているかのようだった。

「つまりお前はこう言うのか?
 現状最大戦力のお前が碌に戦えない子供二人を放置して呑気に道草食ってました、自分のやらかしたことを棚に上げて誰も証人を連れ立つことなくみんなに信用してもらうつもりでしたと?
 意味分かんねえよ、何考えてんだ。そこらのガキでも少しはマシな言い訳を作れるだろ」

 言い訳ではない、本当のことなのだ。心はそう叫びたがっているけれど。
 でも駄目だ。言い分に筋が通っていないしそれを説明するだけの時間も余裕もない。それを受け入れて貰えるだけの前提としての信用すら友奈には存在しない。悠長に喋りつづければ彼はそれを時間稼ぎだと解釈するだろう。

 そもそも彼や騎士のセイバーが友奈の存在を許容していたのは、ロストマンとなった彼女が戦力と思考能力を欠いていたからということが大きい。
 サーヴァントを失ったすばるが消えてしまわないようにするための楔、それがロストマンだった友奈に求められていた存在理由だ。だがそれは必ずしも友奈である必要はなく、むしろ自意識を───屍食鬼を街中にばら撒いて無数の死をもたらし続けたランサー・結城友奈としての意識を───取り戻してしまったならば、もう生かしておく理由はどこにもない。また災厄を振りまくかも分からない爆弾を保持し続けるなど、普通ならば考えられるはずもない。

「証拠を出せとは言わない。どうせお前が持ってるはずがない。
 だからせめて理屈を示せ。俺がお前を信じるに足る理屈を」

 彼の対応が間違ったものではないということは、他ならぬ友奈自身が一番分かっていた。
 何故なら友奈は大罪人だから。何度も死なせて何度も裏切り、目の前の彼をも裏切り騙して傷つけた。
 そんな自分が、今さら信用されるわけもなく。出会いがしらに殺されなかっただけマシな境遇だと分かっているけれど。

「アイちゃんに託された。黒いアーチャーに廃校の探索を頼まれて、マスターはアイちゃんを守るために残った。私だけが、ここまで来た」

 それでも。
 それでも、私はもう一度手を伸ばすと決めたのだから。

「お願い、信じて……」

 必死の思いを込めて、どうか私の気持ちが伝わってほしいと願うけれど。

「お前の戯言なんざ誰が信じるか」

 返ってきたのは、鋭い斬光ひとつだけ。



 手を伸ばせば掴める未来が、目の前にあるさと嘘を吐いた。
 これはきっと、その罪の履行。
 自業自得の、どう足掻いても言い訳することなんかできない、結城友奈の罰のカタチ。


NEXT死はどこか遠くへ行ってしまった(後編)

最終更新:2019年06月23日 18:27