あの時。
 そうだ、あの瞬間。あたしは確かに覚えている。

 セイバーの握る聖剣の光が、暗雲立ち込める世界を両断した時のこと。
 全てが晴らされた空の向こうで、月そのものの瞳がこちらを向いた時のこと。

 夜天の太陰が意識を向けたその瞬間、全ては忘我の彼方に追いやられた。
 代わりに全身を包むのは、言いようのない安楽の感触、そして意思までも蕩けさせる慈愛の念。

 事の次第に成り立ち、理屈。正常な状態において優先すべき諸々がこの一瞬だけ、彼女の中で確かに浮遊し剥離しながら都合の良い幻想を生んだ。
 まさしく、キーアがそう思うならそうであれ、と。
 束の間体感する桃源郷に包まれながら、現と夢の曖昧な境界をどこか茫洋と彷徨いつつ幸福の霧をかき分ける。

 だからこそ、キーアはその時逆説的に知覚した。
 朝が来るたび、夢の中で確かに感じていたはずの熱と現実感が"本当は無いもの"だと自覚していく感覚と全く同種の喪失感に愕然として目を見開く。

「セイバー……?」

 罅割れ色を失っていく世界の中で、呟いた声音はどうしようもなく怯えていた。
 顕象した夢が砕け霧散したような、彼そのものが陽炎めいて消えた感覚に思わず大きく身震いする。
 アーサー・ペンドラゴンが、いいや当然、彼だけでなく───

「アイ……スバル……?」

 アイ・アスティンが、すばるが。
 自分の隣にいたはずの仲間たちが、この時連座で消失した恐るべき絶望を、キーアは疑いない真実として誰より深く察知したのだ。
 ああだって、"今の自分はマスターですらない"と感じている。
 令呪の有無やパスの繋がり以前として、彼と繋がっていたという確かな実感が跡形もなく消え失せているのだ。
 月の瞳に見つめられた瞬間、泡のように消えていったのを自覚している。

 ああ、だから。だから───


「だから、お前は最初から知っちょったんじゃろう?」


 小馬鹿にするような男の声が、景色ごと懊悩を吹き飛ばして現れた。



「とまあ、これが後の《第四盧生》黄錦龍の生い立ちゆうことじゃな」

 一息つくように言葉を止める狩摩。傾けられた煙管から細い紫煙が零れる。

「盧生の条件は人類愛。その意味じゃあ奴も確かに人間ゆうもンを愛しちゃおった。
 無論、それが他人にとって有益であるとは限らんちゅうことじゃが」

 怪訝な表情のキーアに、しかし返ってくるのは意味深な笑みだけだ。
 面白い見世物を観覧しているかのように、狩摩は少女を見つめている。

 彼が何故このタイミングで現れたのか、その真意はどこにあるのか。いいやそもそも、この壇狩摩自体が己の見る都合の良い■■ではないのか───と。
 話を聞いている間にもずっと巡らされていた少女の疑念を、彼は飄々とした態度であしらいながら、大した問題ではないと含み笑っていた。

「盧生……それは、甘粕正彦と同じ」
「そう、邯鄲の最奥に行き着いた夢の覇者っちゅうことよ。
 じゃが奴の場合はそれこそ規格外。何せ青幇の部下と奴自身が堕とした三百万の阿片中毒者を眷属に、甘粕でさえ十年をかけた夢界の踏破を"たった数時間で"成し遂げたんじゃからの」

 それは……
 基準となる物差しこそ未だに分からないが、しかし規格外という彼の言葉が事実であることは理解できる。
 そしてキーアは知らないことだが、盧生としての夢界踏破の適性が高いということは、ある一つの事実をも意味していた。

「抱える眷属の数は、盧生資格者の掲げる夢がどれほど支持されやすいかの指標にすることもできる。
 無限の試練を課す甘粕は論外としても、メメント・モリのクリームヒルトは愚か、受け継いだ誇りを次代に繋いでいくゆう大将の夢ですら、最終的な支持者は大しておらんかった。
 まあそれも仕方のないことよ。何せ錦龍以前の盧生は全員、方向性はともかくとして『輝くために努力せよ』と説くことは共通しておったんじゃからの」

 苦難を乗り越え成長しろ。
 自らを誇れる自分でありつづけろ。
 死を想えばこそ輝ける生を築け。

 歴代の盧生が掲げた人類賛歌の夢とはそういうもので、それは傍目から見ればどれも輝かしいものには違いないが、しかしそれを実践できる人間は果たしてどれほどいるものか。
 人間とは怠惰な生き物だ。頭でどれほど正しきを分かっていたとしても、それを行動に移すには多大な労力と覚悟が必要となってしまう。
 正しいことは痛いもので、間違いや自堕落のほうが遥かに楽で気持ちがいい。
 やるべきをやらず、努力を怠り、目先の楽に飛びつき、成長もしないままただ何となく人生を謳歌する。どれも間違っているけれど、本当に気持ちのいい不正解。
 だからこそ、歴代盧生が掲げる夢に心底から同意できる人間は希少種だった。盧生とは結局、一般人類の平均値から逸脱した異常者に他ならず、人間賛歌の形も強者の理屈でしかない。

 しかし。

「対して錦龍の掲げる夢はこうじゃ。『良い夢を見ろ』、ただそれだけよ」

 それは恐らく、人間という知性体に対する最も普遍的な願望の顕れと言えるだろう。

「まあ大概の人間は"夢"っちゅうもんを持っちょる。それを叶えるために努力しちょる奴もおれば、諦めて足を止めた奴もおる。ただ何となく生きとる奴だとて、幸せになりたいだの金が欲しいだの楽がしたいだの欲求はあるわけじゃろ?
 錦龍の万仙陣はそうした人間の欲を無差別に取り込み、実現させるのよ。当人の望むまま、望むだけの夢を」
「ちょ、ちょっと待って」

 含み笑いながら語られる狩摩の言葉に、しかしキーアは納得しきれず反論する。

「無理よ、だっておかしいわ。みんなの願いを叶えるって、そんなこと……」
「矛盾ばかりで破綻する、言いたいのは大方そんなところじゃろうが」

 煙を吐きだし、喜悦を湛えた気だるげな態度で狩摩が答える。
 そうだ、その理屈はあまりにも矛盾が多すぎる。
 単純に考えて、人の多様な願いをそのまま実現させることは不可能だ。願望実現に対するリソースの話ではなく、問題は両立ができないという点にある。
 例えば世界の救済を望む者と、世界の滅亡を望む者がいたとしたらどうだろう。生きたいと願う者と、その者を殺したいと願う者がいればどうなる?
 世界中全ての人間と手を取りたいと願う者と、永遠の孤独を願う者ならどうだ? そして例えば、願いなどいらないということが願いである者だっているだろう。
 人が複数人集まれば、そこに必ず衝突があるように。
 狩摩が言う錦龍の理もまた、そうした矛盾と不可能性に満ちているのだ。

 だが、しかし。

「そこは問題にはならんよ。さっきも言うたじゃろ、『良い夢を見ろ』と」
「それって、つまり……」

 そこまで言われ、キーアにも狩摩が言わんとしていることが段々と分かってきた。
 矛盾に満ちた願いの実現、そして夢を見ろという人間賛歌の形。そこから導き出されるのは至って単純な解答。
 すなわち。

「錦龍の理は全人類を覚めない眠りに誘う。そしてその夢の中で、各々思い描く理想を実現させるゆうことじゃな」
「そんなのって……」
「空虚に過ぎる、そう言いたいんか?」

 虚を突かれ、思わず口ごもんでしまう。
 狩摩は全く表情を変えず、薄く笑ったままで続ける。

「じゃが、それが普遍的な人間の在り方っちゅうもんよ。
 事実として錦龍の夢は人類種に対する親和性があまりに高すぎてなぁ、これに対抗できる人間なんぞそうおらん。
 仮に万仙陣の真実を知ってそれを否定できたとしても、奴はその否定すら願いと捉えて叶える始末よ。
 黄錦龍に勝ちたいと願えば、夢の中で錦龍との戦いを具現し夢の中で勝利させる。苦難の道を、自分はこんなもの望んどらん、死にたい、それらも一切合財が同じじゃ。
 怖い、怖いのう万仙陣は。気持ちよく願う限りどいつもコロリと堕ちよるでよ、そりゃたまらんわ。無茶ぶりにも程があろうや!」

 一転、何が楽しいのか破顔一笑する狩摩。キーアの懊悩を知らん知らんと吹き飛ばし、膝をついて歌舞伎のように口角を釣り上げた。

「とまあ、これがお前らの殺し合ってまで欲しい欲しいと手ェ伸ばした聖杯の正体よ。
 ところで、何かおかしいとは思わんか?」

 おかしい、とは。
 おかしなところなど、それこそ掃いて捨てるほど存在する。
 あの月の瞳は何だったのか。
 自分は今、何故ここにいるのか。
 セイバーやアイたちが消えた理由は。
 そもそも目の前にいるお前はなんだ。
 聖杯の正体? 夢を見させる夢? なんだそれは荒唐無稽すぎて理解が追いつかない。

 けれど。

「憧れて、夢を見て、生きたいと祈り続けて。
 なあ、もう分かっちょるんじゃろ? 事の次第と真実を」

 容赦なく突きつけられた言葉は、キーアの中からそれ以上の問いかけに対する意思を奪い去った。
 ざっくりと、容赦なく言葉の鉈が心に食い込む。息が詰まった。体の震えが再発して止まらない。

 だから、さあ、それでも言えや。気付いた真を此処に晒せ。
 生者たる他の二人ではなく、《奪われた者》であったお前だからこそ気付けたものがあるのだろうと、語りかける盲打ちに意を決して、キーアは小さく口を開いた。

 そう、自分はもう半ばまでそれを自覚した。
 聖杯戦争に起こった最初にして最大のご都合主義を。
 己が何より見たがっていた幻想。
 現実的に考えればまずあり得ない、始まりの阿片窟とは、すなわち。

「あたしが……
 あたしという存在が、誰かの見た夢だった」

 その言葉に、狩摩はただ笑みを深めるのみだった。










「理屈としてはサーヴァントと本質的には同じよ。夢か信仰か、ともあれ人の想念が形となった虚像。俺らは"タタリ"と呼んじょるが、まあそこはどうでもええじゃろ」

 泣き出しそうになる喪失感に堪えながら、血を吐くような思いで己が真実を口にしたキーアに、狩摩はどこまでも軽薄なまま首肯する。

「聖杯……まあ実際には万仙陣そのものが聖杯と偽られておったんじゃが、ともかく高次元の位相から投射された影たる"聖杯"いうんは、結局のところ優れた魔力リソースでしかない。万能の願望器いうんは、結局のところ金があれば何でもできると言っちょるんと大して変わらん。簡単に言やあ人間にできんことはどう足掻いてもできんのよ」

 それは……どこかで聞いたことがある。
 聖杯とはあくまで時間を短縮するものであり、あるいはそこにかかる費用等を捻出するものでしかない。
 建物を作る。都市を作る。時代を作る。
 そういった、人が着実に築き上げるものを、膨大な魔力資源によって前倒しにするのが聖杯だ。

「それを踏まえて、この鎌倉でやっちょった聖杯戦争はどういう有り様だったか。
 異なる世界から何十人もの人間を呼び寄せ? 既に死んどる奴も無理やり生き返らせ? 挙句は時系列すら無視した招集具合と来た。あり得んじゃろ、そんなものは」

 異世界への渡航も、死者蘇生も、時間逆行も未だ人類が手にかけることの叶わない領域に存在する。
 そんなものは聖杯が完成しても実現不可能な代物であり、ならば聖杯を完成させる前段階に行使するような機能では断じてない。

 ましてキーアは、自分こそがこの都市に降り立つことの叶わない存在であることを誰よりも自覚している。
 《奪われた者》、十年前に死した人間、無貌の道化に運命線を握られた者。
 そんな自分が、あらゆる束縛を乗り越えて異形都市の外に立っていたという事実。
 それら不条理の数々を、たかが聖杯戦争のマスターに仕立てるためだけに行ったというのか。

 その疑問に対する答えがこれだ。薄闇へ隠され続けた真実が、ついに白日へと引きずり出された。

「その辺纏めて、朔の日というものの趣旨よ。歴史に空いた風穴に各々が都合のいいものを見たがった。
 例えば、お前もそうじゃったが聖杯戦争を拒絶する人間も中にはおったが、そいつらは揃いも揃って"鎌倉の外に逃げる"っちゅう思考を持たんかった。あるいは令呪を破棄し、教会側に助けを求めるっちゅうこともな。実際のところ教会の監督役として顕象された"タタリ"は早々に消えてしまったんじゃが、誰もが一度も考えなかったいうんはおかしな話と思わんか?」

 無論のこと、サーヴァントを失えば半日で消滅するという縛りがあればこそ、思いついたとしても実行に移すのは不可能に近いことではある。
 しかし明確な戦意や元の世界に帰りたいという願いがなく、純粋に生きたいだけの者であれば監督役に縋りつくという道もあっただろう。前相談もなくいきなり連れてこられたのならば尚更に。

 いいや、そもそも。
 サーヴァントを失えば消えてしまうというルール自体、マスターという存在が夢のような希薄さしか持っていないということの証左ではないのか。

「思い出してみぃや。お前が出会った"聖杯戦争参加者以外"の民衆はどんな様子じゃった?
 どいつもこいつも熱に浮かれたように、異常事態に狂喜する連中じゃあなかったか?
 口では恐怖し忌避しながらも、心の底では面白おかしく事態を眺めてる様子じゃなかったか?
 夢を見ているような連中じゃあなかったか?」

 その違和感はキーアも持っていた。そして彼女のサーヴァントであるセイバーも、また。

 この都市の人間は病んでいる。連続殺人鬼に暴力組織の台頭、度重なる破壊に正体不明の戦艦の鎮座。ここまでくれば普通なら避難なりの安全策を取るものだろうに、しかし彼らは逃げるどころか普通の日常を続行さえしていた。
 危機意識が欠けているのではない。彼らはちゃんとそうしたものを持っていて、しかしそれを上回る好奇心と探求心を抱えていた。

 つまるところ、彼らは非日常を楽しんでいた。
 まるで夢の中に微睡むように。

「なら、孤児院であなたが言ってたことは……」
「おうとも、実は瀬戸際じゃったぞありゃあ。なんせ蓋を開けてみれば、ハナから死ぬつもりの死線を除けば黄金王と赤薔薇王しか事の次第に気付いちょるもんがおらんかったでよ。
 あまりに手が足らんかったけぇ、魔女の呪いを押してまでお前の騎士様に忠言しちょったんじゃからのう。実際役に立ったじゃろう? 俺の言葉は」

 指摘はまさにその通り。孤児院での戦闘を乗り越えた後のキーアたちは、まさに狩摩の助言通りに事を進ませ、その結果として今に至る。
 辰宮百合香との合流も、『幸福』の討伐も、あるいは英雄王との対峙すらも。全てはこの男が言った通りに進行していった。

 そもそもの話、今となってみれば『幸福』などはまさしく"夢を見させる"怪物という、あまりにも酷似した存在なのだ。気付ける要素は最初から存在した、符号的なものはそこかしこに点在していたのだ。

「なら、だったら」

 だったら。
 そんな不可思議な状況を、この荒唐無稽に過ぎる舞台を目論んだのは。

「この聖杯戦争を仕組んだのは、一体誰?」

 狩摩は、笑った。

「さもありなんよ。決まっちょろうがい。
 聖杯たる黄錦龍を除けば、この都市を俯瞰できる立場に在るんは一人しかおらん」

 たった一人。
 たった一人だけ、それができる者がいた。

「鎌倉市民に夢界を通じて夢を見せ、
 その共通思念を利用して数多の世界の人間をタタリとして顕象し、
 錦龍から零れ落ちた欠片の一つを第八等の空想樹として楔とし、
 鎌倉という都市そのものを夢界第三層へと墜落させ、
 タタリという幻想にサーヴァントという幻想を宛がい、
 最後に残った《願い》を呼び水として第四盧生の真なる降誕を目論んだ者」

 それは、すなわち。

「裁定者───ルーラーのマスター。そいつが全ての元凶よ」

 キーアには、聞き覚えがあった。
 それはすばるから聞いたことだ。ウォルフガング・シュライバーの襲撃から逃れ、一時の休息を得た時に聞いた、それは確か。

「アーチャー……スバルのサーヴァントを生き返らせた」

 ブレイバーに曰く、一度消滅したはずのアーチャー・東郷美森は精神汚染を付与された上で再召喚され、ルーラーのマスターなる者の手で使役されていたという。
 それは聖杯戦争の不文律にあるまじき事態であり、ならばこそ。

「ついでに言えば、お前を襲ってきた狂化したセイバーや、《奪われた者》のことを知っちょった吸血鬼のランサーも同じ立場じゃった。
 狂化、精神汚染、運命線による束縛。それぞれ違うが連中はお上に逆らえんよう二重三重の枷をかけられちょった。それは同じく《奪われた者》のお前なら分かることじゃあないか?」

 その通りだ。《奪われた者》は自由意思こそあれど、その行動の全ては裁定者の都合が良い結果に収束してしまう。
 更にそこへ狂化や精神汚染の付与などと、どこまでも用意周到なことではあるが。

「なんで、そこまでして……」
「知らんよ。そいつが何を考え、何を目的に錦龍を利用したかなんぞ。俺ぁあくまで安全装置の一種じゃからの。
 大将と本来の俺とて夢界に刻んだ、舞台が崩落しかけた時にお前みたいなんを掬うだけの機能じゃて。まあ出てきた時になんぞ思い出した気もするが、上手いこと嵌ったんならよかろうが。うははははははははは!」

 つまりは黄錦龍やそれ以降の盧生が現れ、アラヤに危機が迫った時に導く者として狩摩が現れるよう仕組まれた一種のプログラム。後催眠暗示のようなものなのだと彼は語る。

「じゃがまあ、勘違いせんで欲しいんは俺はお前に目をかけちょるってことよ。期待しとるんじゃ。
 なんせ黄錦龍は純粋な暴力じゃどうしようもないけぇの、そこは甘粕じゃろうと大将じゃろうと叶わんわい。
 黄の最も恐ろしいところは、その精神性故にあらゆる攻撃が永遠に到達できんという点よ。相互理解を端から放り投げちょるせいで、切った張ったが意味を為さん。
 都合の良い捉え方を片っ端からされちょるわけじゃな。昔のお嬢どころじゃないけぇ、こっちとしては手が出せんわ」

 殴られた───ああお前、そんなに俺が好きなのか。
 貶された───おいおい、そんなに俺を讃えるかね。
 どんな否定や攻撃も、彼は彼の閉じきった現実の中で一人芝居に変えてしまう。
 疑う余地なく描き出されたその妄想は、盧生の力で現実と化し、どのような敵意であっても黄の肥やしに塗り潰されて反転する。
 まさに無敵だ。かつて第二盧生───柊四四八も認めた通り、黄錦龍こそ盧生という器においては甘粕さえも凌駕する怪物なのだと言っていい。

 故に本来、誰がどのような干渉をしようと彼を脅かすことはできない───はずなのだが。

「まあ、黄が単体じゃったら正真正銘の詰みだったんじゃがの。
 他ならんルーラーの影響で此処には黄金螺旋階段が現出しちょる。じゃから、可能性があるとすればお前らよ」
「あたしたち……?」

 怪訝な表情を形作る。
 事態に精通する狩摩や他の盧生、あるいは数多のサーヴァントたちなら話は分かる。だが、キーアたちは単なる無力な子供に過ぎない。何をも為せない子供だ。

「言うたじゃろうが。奴に単純な暴力は通用せん。
 なら逆説的に、アレを討滅し得るんは同種の人間のみよ。そこに力がどうとかは関係ない」

 心の海に揺蕩う仙王、内側に閉じ外界を認識しないが故の無敵の盧生。
 ならばそれを打ち破るには外界を認識させる必要があり、そのチャンネルと成り得るのはまさしく。

「心配せんでええ。お前以外の二人もきっちり現存しちょる。消え失せてはおらんよ。
 じゃからほれ、気合入れんかい。ここがお前の正念場じゃけぇ。信じちょるから、俺もお前らに後を託したんじゃろがい」

 そうだ。キーアは今も忘れていない。
 この狩摩はともかくとして、アーサー・ペンドラゴン藤井蓮、立ち上がったブレイバーに他にもたくさんの英霊たち。それに何よりアイやすばるといった面々。
 彼ら彼女らの健闘あったればこそ、今ここに自分は存在している。
 その誇らしさも、その感謝も、消えず胸に残っている。
 ならば、それを形にしないと。
 多くの人に託されたならば、今を生きる人として前を向かねばなるまい。
 例え、この身が骸であろうとも。

「切った張ったが意味を為さんジャンル違いなのはチクタクマンも同じことよ。グリム=グリムを知っちょるお前にゃ、今さらな話じゃあるがの。
 どうあれ見込まれたんなら、応えにゃあならんのう」

 言うべきを終えたのか、それを機に狩摩の姿が消えていく。
 あと幾ばくもないと分かったから、その前にこれだけは聞いておかなければならない。

「待って、一つだけ教えて!
 誰かの夢から作られたあたしたちは、その夢が覚めてしまえば、もう……」

「消えるしかなかろうが。ハナから存在しちょらん夢の残滓、朝が来れば消えるが定めよ」

「───、ッ」

 分かっていた。分かっていたつもりだった。それでもキーアは絶句して拳を握る。
 当然の結末だと芯のところでは分かっていた。でもやはり、突きつけられた真実が棘となって突き刺さった。
 既に死した自分はいい。
 けれど、他の二人は。
 まだ生きているアイとすばるは。
 そんな運命を背負わせるのは、あまりに酷であろうと。

 そんなキーアに対して、狩摩はどこか感慨深そうに含み笑って。

「青いのう、迷えや餓鬼んちょ。そしてさっさと片付けい。
 他の連中ならいざ知らず、自己の世界を確立させたお前らなら、あるいは───」

 突き放すような、健闘を祈るような、判別つかない台詞を残し、彼はそのまま消えていった。

 そして。
 そして、キーアの視界が白一色に包まれて。
最終更新:2019年07月20日 16:37