───ああ。
───視界に誰かの姿が映る。
痛みと共に頭をよぎる。
その姿は、見たことのない記憶を思い起こさせる。
彼の記憶。
知らないはずなのに、何故か懐かしい後ろ姿。
蘇る記憶、セピア色の。
頭が痛む。今日も、また、見てしまった。記憶と共に。
それはそう、ほんの数か月前まで。
今はもう、永遠に離れてしまった温もり。
白衣を纏った、黒髪の、暖かな。
記憶。
切れ切れではっきりとしない。
記憶。
この手を繋いでいられるのだと思っていた。
傍にいれば、ずっと共にあるものと。
記憶。
あたしを慈しむように迫る、刃の右手。
記憶。
全てが終わりへと近づき始めたあの時。
「アティ」
「僕は、君を───」
───声が聞こえる。
答えられない。
応えられない。
言葉は出ず、狂乱のうちに機会を逃した。
きっとあの時、あたしは壊れてしまったのだ。
雑踏の中を彷徨い、白い左手を見つめながら、何者にもなれなかった黒猫の手を蠢かせて。
きっとあの時、あたしはあなたに応えるべきだったのだ。
この異形の体を抱きしめてくれたあなたに。
大事な大事な、ささやかな充足感を与えてくれたあなたに。
───10年。
───そう。気付けば、10年も共にいた。このインガノックで出会って。
───あなたという存在に出会って、10年。
あたしは、あなたに伝えられないまま。
もう、伝える機会は、ない。
『こんにちは。アティ』
───視界の端で道化師が踊っている。
耳元で囁く道化師。黒色の。纏う仮面はぼろぼろで、こうしている間にも崩れ落ちて。
『きみは』
───あたしは。
『なにを願う?』
───あたしの。
───あたしの、願いは───
▼ ▼ ▼
───雨が降り注ぐ。
どれだけ降り注ごうとも変わらないはずの空。しかしここでは少し違う。
ここには失われたはずの青空があった。でも今は見えない。雨雲に遮られて。
暗い色の空。それは、自分を取り巻く現実にも似ていると、そう思った。
雨が降り注ぐ。
鎌倉市は鶴岡八幡宮、その境内に彼女はいた。
灰色に包まれた空を見上げて。ひとりの女は呆然と立ち続ける。
言葉もなく。唯一知っているはずの空さえ違うもので。
女は困惑の只中にあった。知らない土地に知らない光景。何もかもが理解の外。
自分はインガノックにいたはずなのに。完全環境都市計画に基づいた理想都市、その成れの果て。そこに、昨日までいたはずなのに。
けれど今は違う。周囲のあらゆるものが歪んで見える。記憶の彼方に置き去った異形都市ですらない異世界に、彼女はいた。
「聖杯戦争……」
呟く。小さく、淡々と。
それはこの都市で行われる魔術闘争。ただ一つの杯を手にするために競い合う、魔術師同士の殺し合い。
なんて馬鹿げたこと。あたしは、魔術師でもなんでもないというのに。
女───アティは憮然と理不尽な現状に嘆いた。
「……」
水溜りに映りこむ顔を見る。
そばかすの浮いた顔。肌の白さが自慢。そこにはいつもと変わらない自分の顔があって。
でも、明らかに違うものが、ひとつ。
「……やっぱり、あるんだね」
押し開いた瞼から見える右目は、そこだけ猫のような金色の瞳となっていた。
黄金瞳、とあの黒い人は言っていた。Mと名乗った影のような人。
それが何を意味するのか、あの人は教えてはくれなかった。けれど、ひとつだけ分かることがある。
これは、知らない記憶の鍵だ。
「気分が優れないのかな、マスター」
ひとりしかいなかったはずの空間に突如として黒い影と気配が舞い込む。
薄暗がりの微かな闇を一点に凝縮したように現れたそれは、夜色のマントを羽織った男の姿だ。剣呑な登場をした男はしかし、それとは全く裏腹の穏やかな顔と雰囲気を持ち合わせていた。
「ううん、大丈夫よアーチャー。でも」
「でも?」
「……どうしたらいいか、分からない、かな」
それは聖杯戦争に対する姿勢のことか。アティは境内の縁にへたりこむと、鷹揚にアーチャーへと視線を向ける。
自然と目が合った。見下ろしてくるアーチャーの目はどこまでも静かで、それは雨音だけが響く境内と同じくアティの心を落ち着かせた。
「分からない。つまり、マスターには願いがあると?」
問いかけるアーチャーに、アティはただ動きのみで首肯する。
確かにこの身には願いがあった。この頭を苛む痛み、知らない記憶、失ってしまった誰か。
この黄金瞳が発現して。それから次々と起こるフラッシュバック。
それが何を意味するのか、自分は知らなければならないと思っていた。
けれど。
「けれど、そのために他者の犠牲を容認することはできない。そう言いたいのだね」
またしても無言の首肯。アーチャーを名乗るサーヴァントは、どうにも人の思考を読むことが上手いらしい。
アティは人の死というものがどういうものか知らない。それは知識とかの話ではなく、実感として体験したことがないのだ。
普通に生まれ、普通に育ち、故に蛮性や悪意による人の死とはとんと縁がなかった。だから殺人などと言われても全く現実味がないし、あるのは半生の中で積み上げてきた薄い倫理観のみ。
だからこそ簡単に人の命は大切だと嘯ける。それが意味する本当の価値も分からぬまま。その裏に潜むどうしようもない願いを無視することも叶わぬまま。
「二律背反、けれどそれは人として正しい。その悩みは、他者を想う気持ちは尊いと、私は思うよ」
けれど、彼女の従僕はそれを笑いも咎めもしなかった。
叶わぬ願いを持つことも、まだ見ぬ誰かを思いやる心も、その狭間で揺れ動くのも良しと認めて。
「アーチャー、あなたは……」
「私は聖杯にかける願いを持ち合わせていない。何分、やるべきことは全て生前に終わらせているのでね」
またも言葉を先読みして返答する。優しく微笑みかけるアーチャーに、アティは意外な心境であった。
サーヴァントは願いを持つ故に召喚に応じるのだと、そう思っていた。聖杯を望まないなどと口にすれば見捨てられるとも。
しかし目の前のアーチャーは違うのだという。ならば何故あたしに召喚などされたのだろうか。
アーチャーを見つめるアティの視線の意図に気付いてか、アーチャーは少々困ったような表情で、こう答えた。
「……そうだね。私にはもう戦う理由は存在しない。けれどこうしてマスターの召喚に応じた」
王として臣民を導くことも、世界の敵として歩むことも、同輩らの未来を守ることも、今は必要がない。全ては終わったことなのだから。
かつて自分が願ったことは全て成就し、何の未練もなくこの世を去った自分がこうして現世にいる理由。それは単に、救いを求める誰かを無視できなかったの一言に尽きるのだろう。
「こうしてここにいる以上、願いはなくともマスターを見捨てることなどしないさ。私が戦う理由は、今の所はそれだけだ」
「……優しいね、アーチャーは」
「私は悪党だよ。ただひとつの目的のために多くの想いを裏切り屍の山を築き、千年を歩んでもなお生き方を変えられなかった」
自嘲の笑みを零すアーチャーに、しかしアティは目を閉じ首を振って否定する。
あなたを悪党などとは思わない、そう語りかけるように。
「ありがとうアーチャー。あたしはまだどうするべきかも分からないけど。でも、絶対に答えは出すから」
そして。
そして、瞼を開き、しっかりと見据える。
かつて深紅の右手に触れられて、それでもなお消えることのなかった黄金色の瞳を。
「約束しよう。これより私の剣はマスターを守護するためにある。決して死なせることはないとここに誓おう。
そなたに、いと高き月の恩寵があらんことを」
しっかりと見据える。灰色の瞳で、黄金の瞳で。
そうして彼女は前を向く。しかしその手は未だ伸びない。
彼女の右手は動かぬままだ。今は、まだ。
それは、彼が既に黄金の螺旋階段を昇った後のこと。
それは、異形ならざる異界の都市でのこと。
失われた10年の記憶、10年の空白を追い求め、進まんとする道を見失わぬよう足掻き続けて。
我知らず流した涙の意味を、異形都市の残滓へと求めて。
答えは出ない。言葉にはならない。記憶は戻らず、腕は動かず。未だこの目は盲目なれど。
しかしその身は生贄ではなく、分かることがひとつだけ。
生き延びる。誰かが救ってくれたこの命を無駄にすることはしてならないと、そう心に誓って。
……視界の端に。
既に、道化師の姿はなかった。
【クラス】
アーチャー
【ステータス】
筋力B 耐久B- 敏捷A 魔力A++ 幸運E 宝具A
【属性】
秩序・善
【クラススキル】
対魔力:B
魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。
大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。
単独行動:A+
マスター不在でも行動できる能力。
千年の長きに渡りたった一人で戦い続けたアーチャーの単独行動スキルは最高のランクとなる。
【保有スキル】
心眼(真):A
修行・鍛錬によって培った洞察力。
窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、その場で残された活路を導き出す“戦闘論理”。
逆転の可能性がゼロではないなら、その作戦を実行に移せるチャンスを手繰り寄せられる。
専科百般:A+
多方面に発揮される天性の才能。
戦術、軍略、武術、魔術、統治、学術、芸術、話術、工学、その他数多くの専業スキルにおいてBランク以上の熟練度を発揮する。
カリスマ:A
大軍団を指揮する天性の才能。
Aランクはおおよそ個として獲得しうる最高峰の人望といえる。
無窮の武練:A++
いくつもの時代で無双を誇るまでに到達した武芸の手練。
心技体の完全な合一により、いかなる精神的制約の影響下にあっても十全の戦闘能力を発揮できる。
百億の憎悪に晒され千億の怨嗟に呑まれようと、彼の剣が曇ることは決してなかった。
【宝具】
『月の恩寵は斯く在れかし(THE RECORD OF FALLEN VAMPIRE)』
ランク:A 種別:対人~対界宝具 レンジ:0~999 最大捕捉:1000
1300年を生きた吸血鬼の肉体。アーチャーそのものが宝具となっている。
強靭な身体能力と高い再生・感知能力を持ち、絶大な規模の魔力放出を可能とする。
その魔力波はかつて惑星すら微塵とする威力を誇ったが今は大幅に弱体化している。また、広域の破壊のみならず小規模の魔力弾や超遠距離のピンポイント狙撃にも転用可能。
本来吸血鬼は陽光下において灰となる欠点を持つが、アーチャーの場合は力が2割ほど減衰するのみでダメージもなく普通に行動可能。
その身は純粋な魔であるため、魔特効の攻撃を受けた場合には更なる追加ダメージを受ける。
ちなみにアーチャーは吸血鬼と呼称されているが真祖でも死徒でもなく、太古の昔に宇宙から飛来した地球外生命体の末裔である。
そのため大気圏よりも宇宙空間のほうが活動に適しているのだとか。
【weapon】
魔力で生み出した剣。
【人物背景】
かつて夜の国を治めた若きヴァンパイア。余りにも強大な力を持った故に人間はおろか同族にすら恐れられた、およそ出来ないことはないとまで称された万能の王。
愛した女を守れず、救えず、しかし王としての責務から死ぬことも許されず。守りたいと願った者たちから憎悪と刃を向けられ、1000年にも渡って愛した女の魂と殺し合うことを強いられた男。
【サーヴァントとしての願い】
やるべきことは全て終えた。今はマスターの意向に従うのみ。
【マスター】
アティ・クストス@赫炎のインガノック- what a beautiful people -
【マスターとしての願い】
知らない記憶を取り戻したい。
【weapon】
なし。
【能力・技能】
金色の猫の瞳。かつて彼女はこの瞳が発現して以降肉体の老化と成長が抑制された。
この瞳は幾多の伝説を有している。すべてを見抜くであるとか、すべての想いを受け止めるであるとか。真実は定かではないが、少なくともアティはこの瞳を持つ影響で魔力を有している。
―――月の裏で嘲笑う虚空の王が関与しているかは定かではない。
あと手先が器用。料理は自慢の特技。
【人物背景】
黄金螺旋階段の果てへと至った男の傍らにあって、寄り添い、暮らして、その記憶と事実と“増殖する現在”のすべてをかの男に奪われた“人”。
かつては黒猫であったが、今はそれすら奪われただの人間となって。それでもなお消えることがなかったものがひとつ。
After the Inganock 04、ギーのアパルトメントに到着するより前から参戦。
【方針】
願いと呵責の間で揺れ動いている。ひとまず死ぬつもりはないので生存優先で動く。
最終更新:2020年04月18日 19:09