廻れ、廻れ。
 全ての夢と希望を乗せて。
 それが真なりと詠嘆し、廻り続けよ。
 月より来たりて常世を覆うがいい、盲目の皇。
 おまえは太極、おまえは森羅、おまえは万象、おまえは聖杯。
 星々の瞬きを祈りと代え、廻り出すがいい。


 宝具の銘は、『万仙陣』。あらゆる願望を叶える無限の夢よ、全ての衆生を今こそ救い奉れ。





 銃声が炸裂した。
 人通りの少ない道であるため、憚る必要もない。
 それに。日毎拡散される都市伝説で混迷化したこの鎌倉市に限っては、今更銃声程度で驚く者も居るまい。
 凶行の主は、夜闇に紛れるのに適した黒服を纏った、数人の男達であった。
 想像に漏れず、彼らは堅気の人間ではない。所謂ヤクザ。暴力団の人間である。

 彼らが受けた命令は一つ。――"鎌倉に存在する、聖杯戦争のマスターと思しき人間を片っ端から暗殺する"ことだ。

 最初こそ当惑した彼らではあったが、流石に荒事には慣れている。
 このように、深夜帯の夜道を一人で歩く明らかに不自然な人物を狙い撃っているだけでも成果は上々だった。
 当然ながら仕損じることも、時には"間違える"こともある。
 鎌倉市内の殺人事件や不慮の事故の数は、これまでの数倍ほどにまでこの数週間で増加している。
 その数字に紛れているだけで、彼らが誤殺した元からの鎌倉市民も少なからず存在するのだ。――かつての彼らならば仁義に反するとし、只では済まさなかったろう蛮行。しかし今となっては、異論一つ唱える者はなかった。
 街が日を追うごとに変わっていくように。外から現れた支配者を前に、彼らも着々と人格性を変貌させつつある。
 だが少なくとも今夜、この"殺人現場"に居合わせた者達はその点幸運だと言えよう。

 彼らはもうこれ以上、聖杯戦争などという儀式の都合で狂うことはなくなるのだから。


 「……あ?」

 引き金を引いた男の胸に、薙刀のような武器による傷が刻み込まれていた。
 当然、致命傷だ。男は呆気なく、まるで砂の城が崩れるように膝を尽き、血を流し続ける蛇口と化す。
 下手人が誰かなど、言うまでもない。彼らが銃口を向け、射殺せんとしたマスターの少女である。

 「て、手前ッ」

 連続する銃声。
 しかし、只の一発たりとも少女に傷を付けられない。
 弾は確かにその奇矯な衣装を捉えている。
 なのに、全てが彼女をすり抜けて向こう側へと抜けてしまうのだ。
 まるで、水か何かを撃っているように。

 茫然とする殺し屋たちは、一転狩られる側へと立場を変貌させる。
 背中を向けて逃げ出す彼らだったが、当然、逃れられる筈もなかった。
 彼らがマスターであるだけの無害な少女と思い、喧嘩を売った相手は、断じて単なる少女ではない。

 『逆凪綾名』は魔法少女である。魔法少女、『スイムスイム』である。
 見た目が如何に可憐であろうとも、その身体は最早人間のものを超越している。

 弾丸程度では傷付けられず、よしんば傷付けられたとしても、彼女の魔法がそれを許さない。 
 スイムスイムは、自らが手にかけた男達を見、考える。

 ――数時間前、神父より本戦開始の連絡があった。
 そしてこの彼らは、明らかにその筋の人間だ。
 帯銃もしていたのだ。よもや、一介の通り魔ということもないだろう。
 つまり彼らは何らかの目的があって、スイムスイムを狙ったのだ。

 「マスター狩り」

 であれば、それを糸引いているのが何であるか。
 改めて確かめるまでもない。サーヴァントだ。サーヴァントが、何らかの手段で重役を獲得し、人材を操っている。
 スイムスイムは彼らが残した総数四丁の銃のみ回収すると、死体には目もくれず、何事もなかったかのように再度歩き始めた。キャスターは今、何をしているんだろうか。そんなことをぼんやりと考えながら、凶行の現場を後にする。



 『叢』がその惨状を目の当たりにしたのは、スイムスイムが去ってから三分ほど後のことであった。

 闇夜に轟いた銃声を聞き、得意の隠密を維持しながら現場へと現れた次第だったのだが。
 彼女が見たものは四つの死体。ある者は胸を、ある者は首を、ある者は顔を、ある者は腹を斬られている。
 傷の形からして、重量のある刃で斬り付けられたのだろうと叢は推測する。
 恐らく、そんなものを振り回して実戦へ及ぶなど、この時代の人間には不可能だ。
 そういう経験があったり、何か特別に鍛えているなどの事情があれば話は別だが、それでも四人を次々に斬り倒すとなれば相当だ。何より、彼らの手。いびつに歪み、中には無理に引き千切られているものもあるが、その形には一定の共通点がある。この手付きは――銃を持つ手だ。下手人は帯銃した相手を四人同時に相手取り、皆殺しにしたことになる。

 「……サーヴァント。もしくは戦う力を持った、異世界のマスター」

 叢は冷静に分析する。
 そして、自分の傍らへ霊体化した状態で控えている英霊へと命じた。

 「アサシン。念には念をだ。周囲を探し、それらしい人物を発見次第報告しろ」
 「……分かった」
 「もしも襲って来るようなら、交戦しても構わない。だがサーヴァントと戦うのは極力避けるように」

 闇色のコートを羽織った、骸骨の顔を持つアサシン。
 彼は従順に頷けば、この惨状を引き起こした者を探す為に姿を消した。
 叢もまた、周囲へ細心の注意を払いながら彼らを殺めた者の追跡にあたる。
 しかし彼らは結局、殺人現場の主を見つけ出すことは出来なかった。
 忍と暗殺者、その双方を持ってしても、である。 

 徒労に終わる追跡を続ける叢を嘲笑うように、路傍の端で黒猫が黄金に瞳を輝かせていた。





 その翌日。
 部下が返り討ちに遭ったとの報せを受けたライダーの英霊は、ただ「そうか」と言って笑うだけだった。
 ドンキホーテ・ドフラミンゴ。仁義を重んずる則を踏み潰して君臨した、悪逆非道の天夜叉。
 彼にすれば、一朝一夕の付き合いにも等しい雑兵共などは端から仲間ですらないのだろう。
 事実ライダーは幾ら部下が潰されようと、動かせる手駒が減って厄介程度にしか思ってはいなかった。
 彼も馬鹿ではない。一度のマスター狩りに差し向ける数は最小限に止め、今回のようなアクシデントが起こった時でも損害を最小で止められるように采配している。無論、そこにあるのは断じて人情などではなかったが。

 彼を見る度、『乱藤四郎』は無力感に打ちのめされる思いだった。
 聖杯は欲しい。何としても手に入れなくてはならないし、その為にはライダーの力が必要不可欠だ。
 しかし――彼のやり方は嫌いだ。彼が犠牲の報を笑う度、反吐が出る想いに包まれるのを堪えられない。

 勿論、令呪を使って従わせることは出来る。
 だが彼の戦術が聖杯戦争を勝ち抜くということに関し、的を射ているのは紛れもない事実。
 実際にライダーの"マスター狩り"は予選段階だけでも五人以上の戦果を挙げている。
 だから、乱は彼を諌めることは出来ない。どんな綺麗事を並べ立てても、結局の所乱も同じ穴の狢なのだ。
 聖杯の為。自分の願いを押し通す為に他を踏み台にする、自分勝手な最低のクズである。

 「いち兄……」

 朝の日差しを浴びながら、乱は浮かない顔で町を歩いていた。
 マスターが無闇矢鱈に出歩く危険性は承知しているが、あんな所に引き篭もっていては息が詰まってしまう。
 乱は毎日数時間は、こうして外を歩く。
 いろんなことを考えて、いろんなことを思い返しながら、ただ目的もなく鎌倉の町を練り歩く。

 普段ならば。誰と話すでもなく、ただ自分とだけ向き合い、結局何も得られずに帰途へ着くのだったが。
 ほんの気まぐれで、彼は八幡宮へと寄ってみることにした。
 八幡は観光名所だ。当然昼間は混むし、そんな場所を歩けば必然的に他のマスターとエンカウントする危険も増す。
 そう思い、これまでは足を運ぶこともなかったのだが――偶には良いだろうかと思い、彼は八幡へ足を向けた。

 案の定、休日の八幡は混雑していた。
 これではお参りも出来ないかな。苦笑しつつふと視線を反らせば、道の隅でぼうっと立っている少女が見える。
 何も、何十という参拝者の中から特別に彼女を見つけ出したわけじゃない。
 彼女の見た目が、あまりにも目立つものだったのだ。雪のような白髪と赤い瞳。小柄な背丈ながら、将来はきっと凄い美人になるだろうと見る者へ確信させる――月並みに言って、美少女だった。
 正直、シチュエーションがシチュエーションならば妖精や精霊の類と見間違えても可笑しくはない。
 しかし八幡に現れた雪の妖精はぼうっと虚空を見つめ、ぽつんと一人で立ち尽くしている。
 人が通りたがっていてもお構いなしだ。まるでそんな連中、視界に入ってすらいないように――

 「そっか……目が、見えないんだ」

 妖精はどこか慌てた様子を見せている。
 あの覚束ない所作は、盲目の人間特有のものだ。
 乱は少しだけ悩んだが――人々が次第に舌打ちや彼女への文句を呟き始めた所で、見ていられなくなった。

 「ごめんなさいっ。――ほら、こっちだよ」
 「え? あっ……うん」

 妖精の手を引いて、物陰へ。
 彼女は突然のことに困惑気味だったが、助けてくれたことは分かったようで。

 妖精の手を引いて、物陰へ。
 彼女は突然のことに困惑気味だったが、助けてくれたことは分かったようで。

 「君、お父さんやお母さんは?」
 「……いないわ」
 「……じゃあ、迎えに来てくれそうな人はいる?」
 「いる。待ってろって言われたから、あそこにいたの」

 なんて無責任な保護者だ。
 乱は他人事ながら、少しむっとした。
 少女はまだ、目が見えないということに慣れていないように見える。
 そんな人間をこんな人通りの多い道へ放置して目を離すなんて、あまりにも無責任ではないか。

 「君、お名前は?」
 「イリヤスフィール」
 「……いりや、す……?」
 「イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。イリヤでいいわ」

 『イリヤスフィール・フォン・アインツベルン』の名前は、海の外の文化に疎い乱には馴染みのない形式だった。
 イリヤスフィール、イリヤスフィール、イリヤスフィール。
 三度ほど反唱して、乱はやっと満足したように頷く。

 「イリヤ、ね。ボクは乱藤四郎っていうんだ」
 「トウシロウ?」
 「あー……ちょっと複雑な事情があって、ボクの兄弟には"藤四郎"が沢山いるんだよね。
  だからボクのことは"乱"でいいよ。そっちの方がボクとしてもしっくり来る」

 藤四郎の名前を冠する刀は、彼を除いても相当数存在する。
 乱の居た本丸では全種揃ってこそいなかったものの、それでも六振りは居た筈だ。
 だから、他人と会話する時は乱が名前のようなものだった。

 「ミダレ――ミダレは、女のヒト?」
 「ふふ。ボクはこれでも男の子だよ。よく女の子にも間違えられるけど」

 目の見えないイリヤにはわからないだろうが、乱の服装はどこから見ても年頃の少女のそれだ。
 長く伸ばした橙色の髪にスカート姿。肌はシミ一つなく、目もくりんとしていて実に可愛らしい。

 「……ミダレは、面白いヒトね」

 イリヤはそう言って、くすりと笑った。
 花が咲くような満面のものではなかったが、それ故にどこか儚げな美しさを秘めている。
 よく可愛い可愛いと言われる乱も、この少女には敵わないと素直に思えた。
 だからこそ、盲目なことが痛ましい。
 その朱瞳でもっと沢山の景色を見て、笑って生きていってほしい。
 そこまで願ってから、この世界の平穏を脅かしているのは他ならぬ自分でもあることを思い出し――唇を噛んだ。
 イリヤには伝わっていないだろうが、苦々しげな表情をしていたと思う。

 その時だった。
 乱の身体が、影に隠れる。
 咄嗟に後ろを振り向くと――

 「ふむ。どうやら、面倒を掛けたようだな」

 ――そこに居たのは、イリヤに負けず劣らずの淡麗な容姿を持った、金髪の青年だった。

 イリヤのものと同じ色の、朱い瞳が乱を見下ろす。
 最初彼は、イリヤの保護者が現れたなら一言文句でも言ってやろうと思っていた。
 勿論イリヤに余計な不安を抱かせないよう配慮しながらのつもりだったが、今の乱にそんな余裕はなかった。
 見下ろす瞳と、瞳が合う。男の眼は、まるで何かを見定めているようだった。乱の眼は、戦慄の色を帯びていた。


 サーヴァントとて、人の形をしているのなら現代の営みへ溶けこむことは難しくない。
 逆に、自らをまともな人間ではないのだと認識させることも容易い。
 ましてそれが聖杯戦争の参加者相手なら尚更である。
 伝説を生きた経歴は伊達ではない。そしてこの英霊は、特にそういうことには長けていた。


 「まあ、良い」


 乱は――動けなかった。何かを言うことも出来なかった。
 眼前に立つ未知のサーヴァントを前にして、蛇に睨まれた蛙が如く、完全に硬直していた。
 彼の使役するサーヴァントの手で、間接的に敵を排除してきたことならある。
 しかし当の彼は未だ自分の呼んだ英霊以外とは出会したことさえなかったのだ。
 これが、英霊――日頃戦っていた"歴史修正主義者"や、"検非違使"が束になろうと、この男には敵わないだろう。
 もしも彼がもっと剣呑な手合いだったなら、この場で乱藤四郎は屍と化して転がっていた筈だ。

 「行くぞ、イリヤスフィール。見物も終えた。どうやら、近くに英霊の気配も無いようだ」
 「分かったわ。……それじゃあね、ミダレ。さっきは助けてくれてありがとう」

 黄金の英霊に手を引かれ、雪の妖精は乱の前から去っていく。
 その間際、一度だけ彼女は振り返った。

 「次会うときは、貴方のサーヴァントも一緒にね」

 一人残された乱は、拳を握り締めて奥歯を鳴らした。
 自分の弱さを痛感させられたような思いだった。
 いつもより、拠点へ帰る足取りが重かった。




 聖杯戦争が始まる。
 その報せを受けた『すばる』も、例に漏れず浮かない顔をして海岸線を歩いていた。
 吹き付ける海風が気持ちいい。見れば、防波堤がちょうど腰掛けやすそうな高さと幅をしている。
 座ってみようと思い――やめた。特に理由があるわけでもなく、ただなんとなく、気が乗らなかった。

 見ると、物思いにでも耽っているのか、海を眺めてじっと動かない青年の姿が確認できた。
 後ろ姿しか見えないが、それでも引き締まった身体の持ち主だと分かる。
 彼も何か問題に直面し、彼なりの形で向き合おうとしているのだろう。
 根拠もなく、すばるにはそう思えた。
 そして、まだどうしようもない不安を抱えたままの自分の体たらくを見て、また少し落ち込んだ。

「わたしもあの人くらい鍛えたら、東郷……アーチャーさんの役にちょっとは立てるのかな……」

 想像してみる。
 筋肉で引き締まった自分の身体。
 おお。少し絵面はアレだが、決して悪くない。
 ただ、こんな短期間に行う一朝一夕のトレーニングで筋肉が付かないことくらい、すばるにも分かった。
 肩を落として去っていくすばる


 そんな彼女の存在にすら気付かず――水平線の彼方を見つめる青年、『衛宮士郎』は呟く。 


 「いよいよか」

 自分を守り、共に戦うサーヴァントは今此処にいない。
 他ならぬ士郎自身が、彼女の同行を断ったのだ。
 今は一人になりたかった。一人で――色々と、物を考えたかった。

 真の聖杯戦争。
 本来の様式とは異なる、二十一騎の英霊によって行われる神秘の蟲毒。
 あらゆる世界線から垣根を越えて呼び寄せられた英傑達に、誰一人として易しい相手はいないだろう。
 この本戦に立つ資格のなきマスターも、サーヴァントも……皆、予選の内に淘汰され尽くした筈だ。
 断言できる。断じて、ここから先の戦いに楽な局面は存在しない。
 一瞬でも気を抜けばそれが詰みに繋がる。鎌倉は、恐怖と絶望が常に隣り合わせのキリングフィールドと化す。

 ――けれど、俺だって狩られる側では終わらない。終わることは出来ない。

 投影魔術。
 神秘を模倣し、放つという業。
 時にはサーヴァントの心臓すら射止め得るだろう、士郎にとっての最大の牙だ。
 そこにアサシン・アカメの宝具が加わることで、奇襲性能・暗殺能力は至大と化す。
 至近距離ではアサシンが一撃必殺の猛毒を振るい、遠距離からは士郎が撃ち続けるのだ。
 必ず勝つ。いや、勝たねばならない。そして、勝てる望みは確かにある。

 「美遊――」

 己の守るべき存在であり、かつて守れなかった存在の名を呟いて。
 衛宮士郎は、もう一度拳を強く握り、水平線の彼方を睨みつけた。


 「ばふっ!?」

 その頃。
 すっかり落ち込みムードで俯きながら歩いていたすばるは、前から歩いてきた誰かと衝突していた。
 見上げると――すばるより、確実に四つ以上は年上だろう。
 長い茶髪の綺麗な女性だった。――しかしやや不機嫌そうに顔を顰めている。

 「ちょっと、いつまでそうしてんのよ。取って食いやしないから、さっさと離れなさいな」
 「す、すみませんっ」

 慌てて離れようと後ろ歩きで下がるすばる
 ……案の定。まるでテンプレートのように、彼女はすってんころりん転倒した。
 言っておくが、そこに障害物らしいものは何もない。
 綺麗に舗装されたアスファルトの地面だった。

 「いった~……」
 「……どんくさいわね。そんなんじゃ今後、苦労するわよ」

 そうとだけ言い残すと、女の人はすばるを置いてさっさと歩いて行ってしまう。
 もしかして急いでいたのだろうか。
 だとしたら悪いことをしてしまった。
 此処はすばるにとって、単なる聖杯戦争の舞台ではない。 
 街の人々にもそれぞれの暮らしや個性があって、自分達の都合でそれを蔑ろにしてはならないと思っている。
 だから素直に申し訳ないと思った。すばるは確かに鈍臭い少女だったが、人一倍優しい娘でもある。

 「わたし、このままで本当に大丈夫なのかな……」

 ぽつり呟いた言葉は、潮風に巻かれて消えてなくなった。
 生まれて初めて関わる……本来なら、きっと今後一生関わることもなかったろう、戦争という儀式。
 アーチャーは頼れる。まるで近所のお姉さんみたいな、不思議な安心感を感じさせてくれる。
 ――でも、自分は……ちゃんと彼女を支えることが出来るだろうか? 足手まといになるだけではないのか? 

 「みなとくん――」

 此処にはいるはずもない、温室の少年の名を呟いて。
 すばるはまた、俯き加減で歩き出すのだった。


 「意外だったわ、マスター。てっきり殺しに掛かるかと思った」
 「……あのねえ。アンタ、私を快楽殺人犯か何かと勘違いしてないかしら?」
 「あら、違ったの?」

 『麦野沈利』は暗部の人間だ。
 それも、あらゆる科学技術の結集した超能力の街、学園都市の闇を生きる人間だ。
 人殺しになど今更躊躇いは覚えないし、そもそも殺すことを目的として聖杯戦争に参加している。

 「私が殺すのは敵と、ムカつく奴だけよ。殺す相手くらい選ぶっての。
  第一、あんまり殺し過ぎるとあのクソ鬱陶しい教会サマに睨まれる。ま、あんな似非神父程度、私一人でも余裕だけど。それでも無駄な労力は使いたくないし、余計なリスクも好んで背負いたくはないでしょ?」
 「誤殺上等の大量虐殺をやった人間の台詞とは思えないわね」
 「そりゃ、マスターかもしれない奴なら話は別よ」

 麦野は霊体化したままのランサーへと微笑する。
 勘違いしてはいけないが、麦野沈利という女は決して寛大な心の持ち主ではない。
 喧嘩を売られれば、たとえ一般人相手だろうと躊躇なく能力を使う。
 まして今の彼女は復讐の鬼だ。落ち着いているようにこそ見えるが、その内心は沸騰した鍋の如く闘志が滾っている。
 彼女は必要とあれば、街の全住民さえ殺すだろう。表情一つ変えずに、得意の能力を連射して。まるで逃げ惑う蟻を潰すような気軽さでもって、最後の一人まで念入りに撃ち殺すだろう。
 麦野沈利とは、そういう女であり。そういう怪物(レベル5)だ。
 ランサーは彼女を嫌悪する。その低俗な思想を穢らわしいものと侮蔑している。だが、麦野を認めてはいた。
 こと人を殺すという事に於いて、彼女は間違いなく一級品である。能力、人格、執念――全てを兼ね備えた彼女がもしも化外としてこの世に生まれ落ちていたなら、ひょっとするとこの自分でも――

 そこまで考え、不快になったレミリアは思考を打ち切った。

 「例えばさっきのガキなんて、どっからどう見てもマスターとは思えない。
  あんな鈍臭い奴がマスターだったとしたら、何のための予選だって話よね」

 くつくつと笑う麦野と、空返事で同意するレミリア。
 二人の共通点は一つだ。――こうしている今も、水面下で互いを心底気に入らないと思っていること。
 力以外の要素を致命的なまでに欠落させた彼女たちの聖杯戦争は、果たして如何なる旅路になるのであろうか。




 『アンジェリカ』は、不意に見つけた違和感を前に足を止めた。

 ある山道で、彼女はサーヴァント、及びマスターの索敵にあたっていた。
 鎌倉の聖杯戦争では身分が与えられない。故に当然、拠点を確保できなかったマスターは路傍を彷徨うことになる。
 かと言って馬鹿正直に街中を歩いていれば、それでは自分が聖杯戦争の参加者であると名乗っているようなものだ。
 その点、山は便利だ。身も隠せる上、魔術師の工房を作るにも打ってつけであると言える。
 少なくとも漫然と敵を探しているよりかは、余程望みがあると判断した次第だった。

 「これは――墓か」

 不自然に草の消えた地面。
 見れば、周囲と土の色も違う。
 明らかに誰かによって一度掘り返され、それから埋め直された痕跡だ。
 数は四つ。――ペットを埋めるにしては多すぎる。となれば、この下に埋まっているものが何かは自ずと知れた。

 「何処の誰かは知らんが……もしも聖杯戦争の参加者がこれを作ったのだとすれば、とんだお人好しもいたものだ」

 倒した敵の墓穴を作り、弔う。
 アンジェリカには考えられない行いだった。
 彼女だけでなく、聖杯戦争に参加するような人間の大半にとっては理解の及ばない行動だろう。
 甘いと誹られても可笑しくはない。その甘さに付け込まれ殺されてはまったくの無意味だ。
 この墓を作った何者かは、本戦へ進めたのだろうか。だとすれば気の毒だ――これより先の争いは、お人好しには耐え難い様相を呈してくる。聖杯を巡る原始的な闘争の前に、情けなどという言葉は散って失せる。
 魔力の反応も感じられない。ならば興味もなしと、アンジェリカは踵を返して――そこで一度、鋭く明後日の方向へ視線を向けた。さながら威嚇する猛禽のように鋭い眼光で、数秒ほどその方角を睨み付けて。

 「……気のせいか」

 呟き、再び向き直って彼女は帰途へと着いた。

 それを木の影に隠れながら見届け、『エミリー・レッドハンズ』は小さく息を吐く。
 彼女もまた、アンジェリカと同じ考えで山へと入った聖杯戦争のマスターだ。
 特に目立つ成果も挙げられず、そろそろ下山しようとした矢先――何やら地を見つめ、立ち尽くしている若い女の姿を見つけた。登山にしては軽装すぎる装いや独特の雰囲気から、エミリーはすぐに彼女がマスターであると見破った。
 そこまでは良かったが、よもや監視に勘付かれるとは思わなかった。極力殺気を殺していたにも関わらず、である。
 エミリーはこの外見だが、プロである。殺気を隠そうと思えば幾らでも隠せるし、その技術は素人に見破られるほど程度の低いものではない。――あのマスターは、相当やれる。先の一瞬だけでも、そう理解するには十分だった。

 今はまだ、消耗を控えて堅実に立ち回る時期だ。
 これからいよいよ本戦だというのに、その序盤で息切れを起こしてしまっては笑い話にもなりはしないだろう。

 あくまで確実に殺せる相手のみを襲撃し、一人ひとり排除していく。
 サーヴァント戦はシュライバーの独壇場だ。事実あのバーサーカーは、予選期間に二十を超えるサーヴァントを単騎で撃破している。――ならばマスターを殺すのは此方の役目。引いたカードは最強クラス、聖杯に辿り着く望みは高い。
 必ず聖杯を獲り、願いを叶える。改めて強い意志でもって己に言い聞かせ、エミリーはアンジェリカとは別方向より下山すべく、深緑の木々を縫い進み出すのだった。




 アンジェリカが発見した墓穴を掘った張本人、『アイ・アスティン』はその頃学園の屋上に居た。
 言うまでもないが、アイは此処の生徒でも、関係者でもない。
 まったくの部外者である。にも関わらず彼女がこんな所にいる理由は、彼女のサーヴァントによるものだ。

 「……俺の通ってた学校の方が景色は良かったな」

 セイバーはやや不服そうだったが、当のアイは興奮したように目を輝かせている。
 今は夕暮れ時だ。
 夕日の黄金色が町を照らし、すっかり見慣れてきた鎌倉の町並みはある種幻想的なものに変わりつつある。
 そしてアイにとっては、こうして街を一望するのは初めてだった。
 生まれて初めてと言っても間違いではない。窓枠から飛び移るというややアクロバティックが過ぎる方法には参ったが、それでもこんな景色が見られたのなら別にいいかなと思えてくる。

 ある魔術師が甘すぎると辛辣に評価した彼らもまた、熾烈を極めた予選を脱した。
 どうやって居場所を知ったのかは定かではないが、言峰神父がそれを伝えに現れたのが昨夜のことだ。
 本戦――激戦を制した正真正銘の強豪達が集い繰り広げられる、本物の聖杯戦争。
 これまでのようには行かないだろう。少なくとも、出会い頭の一撃で倒せるほど弱いサーヴァントにはお目にかかれないだろうと踏んでいる。これまでの予選など、それに比べれば準備運動だ。

 「セイバーさん」

 真剣な面持ちで、アイがセイバーへ振り返る。
 夕日を背にした墓守の姿は、歳相応の少女そのもので――しかしやはり、黄金の光に染められて幻想的な姿と化していた。セイバーにそういう趣味はないが、単純な感想として綺麗だと思う。

 「これから――なんですよね。これからが、本当の聖杯戦争」
 「ああ」
 「……勝てそうですか?」
 「さあ、どうだろうな。良くも悪くも相手次第だよ」

 聖杯戦争では、神霊を召喚することは出来ない。
 だから、かの黄金の獣や水銀の蛇のような正真正銘次元違いの怪物達は現れない。
 しかし、それは自分も同じだ。今ある力など、所詮は水銀を討った時の力に比べれば断片程度のもの。
 相性や力比べの結果次第では、十分遅れを取る可能性はある。
 無論、此方にとってのやりやすい相手と出会えば一方的に殺せる可能性もあるわけだが。

 「セイバーさん。私、セイバーさんと出会えて良かったです」
 「…………」
 「だから、勝ちましょうね。どうか、私に力を貸してください」
 「……あのな」

 セイバーは、アイの頭へ手を伸ばす。
 アイは撫でられるものだと思い目を細めたが。

 「――そういうのは死亡フラグって言うんだ、この莫迦」
 「あだっ!?」

 落とされた手刀の痛みに頭を抑えて涙目になる、墓守の少女なのだった。









 「――あ! もう一つのがっこう、はっけーん!」

 アイ達が兄弟か親子のようなやり取りを交わしている丁度その時。
 彼女らがいる学園とは正反対の方向にある廃校の屋上で、ひとりの少女が学園を指差し叫んだ。
 見える景色は幻想的だが、少女の背後へ広がる有り様は退廃的だ。
 罅割れ、崩れ落ちたコンクリート。散らばる廃品、埋め尽くす落書き。
 まず真っ当な神経を持つ人間なら、こんな所に住みたいとは思わないだろう不気味な廃墟。それが、この廃校の現実である。使われなくなって長いのか、その荒れ方は相当なものだった。

 されども、彼女にとって此処は大好きな学校なのだ。
 物理実験室は変な機械がいっぱい。
 音楽室。綺麗な楽器と怖い肖像画。
 放送室。学校中がステージ。
 なんでもあって、まるで一つの国のよう。こんな変な建物は他にない。


 「ねえねえみーくんっ! 見て、ほらあそこ! 此処とは違う学校が見えるよ!!」


 虚空へ語りかける彼女の中ではそうなのだ。
 それが確たる現実であり、冒すことの出来ない真実である。
 『丈槍由紀』は夢を見る。夢を見続ける。
 聖杯戦争の始まりすら自覚せず、少女はただ、この永遠に続く『がっこうぐらし』を謳歌していた。




 『笹目ヤヤ』は、鎌倉市内のとある飲食店を訪れていた。
 時刻はそろそろ夜の七時に差し掛かる。
 所謂夕食時だった。書き入れ時ということもあり、空いている店を探すのには随分苦労させられた。
 どうせ物を食べるなら、多少混んでいても美味しいところがいい。
 ライダーはそう不平を漏らしたが、ヤヤは彼の頬を再び抓ることで異論を黙殺した。
 先日のやり取りと奇しくも似た形とはなったものの――ヤヤの内心は、あの時よりも幾分か切羽詰まっていた。

 「本戦……」

 昨日の夜のことだ。
 宿とする予定だったホテルへ戻ろうとした矢先、ヤヤの行く手を遮る者があったのだ。
 ――聖杯戦争の監督役。神父・言峰綺礼。
 ヤヤが彼と会うのは二度目だったが、少なくとも決して良い印象は抱いていなかった。

 聖杯戦争なんて怪しげな儀式を取り仕切っているというだけでも良からぬ匂いがするのに、言峰本人の言動からもヤヤは胡散臭いものを多分に感じ取った。
 ライダーも同じだったようで、声にこそしなかったものの、落ち着かない様子が伝わってきたのを覚えている。
 警戒するヤヤ達を彼は軽く笑うと、要件だけを告げてさっさと教会まで帰ってしまった。
 その要件というのが、"予選期間"の終了。本日零時を以って、聖杯戦争は"本戦期間"へと移行する――というものだ。

 これまで、ヤヤ達は初日の一戦以外でサーヴァントと戦っていない。
 理由は単に出会さなかったからという単純なものだが、彼らの手で齎されたのだろう痕跡はいくつも見た。
 爆発事故? ガス会社の不祥事? ――いいや、違う。あれはサーヴァントの手で引き起こされたものだ。

 そんな日々を過ごし続ける内。ヤヤは胸中の不安が少しずつ、確実に肥大化していくのを感じていた。
 本当に……本当に自分は生きてこの鎌倉を出られるのだろうか?
 その矢先に、この知らせだ。ヤヤは人目をなるだけ避けようとするようになった。
 どんな些細なことからマスターとバレるか分からない。常に死が隣り合わせにある、気持ちの悪い焦燥感。
 それに耐えられるほど、笹目ヤヤという少女は強い女の子ではなかった。

 ライダーは霊体化させることにした。
 彼はどちらかと言えばお気楽なサーヴァントだが、マスターの心の機微もわからないほど愚鈍ではない。
 一人で、あまり味の良くないパスタをすすりながら――ふとヤヤは、店員の一人が自分を見ていることに気付く。

 年はヤヤとさほど変わらないくらいだろうか。
 綺麗な髪飾りを付けた、どことなく大人びた雰囲気の少女だった。

 「……何か?」
 「……あ、ごめんなさい。ただ……なんだかすごく思い詰めたような顔をしてたから」

 余計なお世話だ。そういう気持ちがなかったわけではない。 
 しかし彼女は、それを口に出そうとはしなかった。


 見知らぬ街で、頼れるのは自分のサーヴァントだけ。
 そんな切迫した状況だからこそ、自分を慮ってくれる人物の存在が本当にありがたく思えたのだ。

 「……ありがとう。でも、私は大丈夫だから。心配しないで」
 「そう。ならよかったわ。――……って、ごめんなさい。私ったら、余計なお世話だったわね」

 慌てた様子を見せる店員の少女に、少しだけヤヤは緊張が解れた思いで苦笑した。
 怖いことには変わりはないけど、もう少し。もう少しくらい、前向きになってみてもいいかもしれない。
 何も一人ってわけじゃないんだから。霊体化させているライダーのことを考え、小さく頷いて。
 笹目ヤヤは、皿の上に残ったパスタをすべて平らげ、入店した時よりもどこか晴れやかな面持ちで店を後にした。


 「如月ちゃん、さっきあのお客さんと何話してたんだい?」
 「すみません。少し世間話に花が咲いちゃって」
 「ははは、そうかあ。年が近いから話が合ったのかもねえ。でも勤務中のお喋りは程々にね」
 「はいっ、以後気をつけます」


 そんな彼女が、自分の討つべき敵の一人であるなどとは露知らず。
 『如月』はヤヤの背中を見送り、再び店員としての業務へ戻っていった。

 ――鎌倉へやって来て早数週間。もう、この町の暮らしには大分溶け込んだ。

 収入先も、仮初めの住居も確保したし、顔見知りの住民も当初に比べれば格段に増えたと感じる。
 此処はいい街だ。活気もそこそこで、住む人々の人柄も大らか。
 もしも艦娘という存在がお役御免になる日が来たなら、こんな所に住んでみたいと心から思えた。
 しかし、そうはいかない。あくまで此処は如月の居るべき世界ではなく、如月にとっては戦場である。

 如月がヤヤに声を掛けたのもまた、人と話すことで不安を少しでも紛らわせたかったからだった。
 あの少女が何を悩み、不安に思っていたのかは分からないけれど――上手く行けばいいなと素直にそう思う。
 同時に願った。ああいった娘や如月のお世話になった人達が、どうかこの戦争に巻き込まれることのないようにと。
 "都市伝説"は蔓延をし続けている。如月のサーヴァントであるランサーに該当するような噂話もこの前耳にした。
 聖杯戦争は今や、漂流者達のみの問題ではない。
 鎌倉に存在している限り、あらゆる人物が、英霊同士の殺し合いに巻き込まれる可能性を抱えている。
 心苦しく思う。申し訳なくも思う。しかしそれでも、如月には止まれない理由がある。

 「待っててね、睦月ちゃん……」

 何を犠牲にしてでも、帰りたいのだ。
 約束したっきりの、妹のような少女のところへ。




 とあるアパルトメントの一室で、『アティ・クストス』は膝を抱えていた。
 部屋は薄暗い。カーテンが閉じられているのだから当然だが、それにしても暗澹とした空気に満たされている。
 現在アティは此処を仮初めの拠点としているのだったが、転がり込むまでには相当骨が折れた。
 途方に暮れる彼女の前へと現れた、市職員を名乗る者達。
 幸い撒くのは難しくなかったものの、それから程なく、この街では浮浪者狩りなるものが行われていることを耳にした。

 聖杯に願いたいことはある。
 けれど、本当にそれでいいのかは分からない。
 願いと呵責が振り子のように揺れ動き、その振動が彼女を苦悩させていた。
 それでも、みすみす殺されるつもりはない。
 浮浪者狩りだかなんだか知らないが、もし身柄を拘束されるようなことがあればその時点で詰みだということは分かった。

 だから住まいを探すことにした。
 強盗紛いの真似をする気にはなれず、かと言って目ぼしい空き家などそうそう転がっているものではない。
 そんな中彼女が目を付けたのは、長期出張だとかで家を留守にしているらしいとある住人の部屋だ。
 人間、やろうと思えば出来ないことはない。
 留守を任された親戚と嘘を吐き、まんまと転がり込むことに成功した。
 家主は最低でも一ヶ月、長ければ二ヶ月は戻らないらしいので、途中で帰宅され面倒事になる心配は幸いない。
 斯くして、浮浪者狩りの魔の手から逃れることは出来た。の、だが。

「――あたしは」

 あたしは、どうしたいんだろう。
 揺れ動く感情のペンデュラムが、触れ止むことはまだ、ない。
 その手はまだ、伸びないままだ。今は、まだ。





 鎌倉市に新市長が就任してから、ある方針に基づいた"狩り"が始まった。
 それは浮浪者、及び不法滞在者に対するものだ。
 町の至る所に屯する彼らを捕縛しては身分を明らかにし、適正な措置を施していく。
 当然、失業などの止むを得ない理由で浮浪者の立場に甘んじていた層は激怒し、抗議デモを起こす者さえあった。
 だが。そのデモ活動も、一日二日新聞の片隅に掲載された程度で収束してしまった。
 あれだけ市長のやり方に怒りを露わにしていた者達は、いざ彼と会話した途端、すっかり戦意を失ったというのだ。
 市長は素晴らしい。市長のやり方は正しい。間違っていたのは我々のような屑の方だった。
 マスコミはこぞって市長の手腕を賞賛した。一般人達も、町の治安が良くなるとして喜んだ。

 彼と"対話"し、自らの意見をねじ曲げた者達。
 彼らの目が、まるで精神死でもしてしまったかのような虚ろなものへと変化していたことは――誰も語らなかった。

 話題沸騰の市長、『浅野學峯』はある豪邸を訪れていた。
 白磁の外壁と広大な敷地を兼ね備えたその外観は、學峯の住む高級マンションさえ優に凌駕する。
 學峯がこの邸を訪れた理由は他でもない。市長としての仕事の一環である。
 政(まつりごと)は綺麗事ばかりでは成り立たない。
 前任市長は此処の主と癒着し、多額の支援金や各方面への圧力という形で援助を受けていたという。

 正門のインターホンを押すと、使用人らしき老齢の男性が出迎える。
 それに会釈をし、學峯は秘書を連れて男性に先導され、豪邸の内部へと足を踏み入れた。
 余談だが、この秘書も既に學峯の傀儡と成り果てている。
 最早浅野新市長の周囲には、彼へ異論を唱える存在など一人も残ってはいない。

 そして――これから面会する人物に対しても、學峯は自らへ叛く可能性を先回りして潰す気でいた。
 前任のように思い通りに利用されるつもりはない。それに相手は有力者。
 駒とした暁に齎されるリターンも非常に大きく、これを使わない手はないだろう。

 「失礼します、百合香お嬢様。市長が参られました」


 市長。
 前任を下し、新たに町の支配者として君臨したという敏腕。
 『辰宮百合香』の耳にも、当然その評判は入っていた。
 彼女が鎌倉へやって来て、家長の座を奪い取るよりも前から――この家と市は、先祖代々癒着していたと聞く。
 百合香にしてみれば心底どうでもいい話だったが、仮初めの身分とはいえ今の自分は此処の長である。


「どうぞ」

 透き通った声で――内心は少しばかり気怠げに。青薔薇の君は、市長を己の寝室へと迎え入れた。
 斯くして二人は邂逅する。
 その結果はと言えば、実に退屈なもの。
 特に波風が立つこともなく。
 百合香が學峯の話に耳を傾け、相槌を打つ。そんなやり取りが、小一時間ほど続いただけだ。
 彼らは傍から見れば実に和気藹々とした様子で会談に臨み、そして何事もなくそれを終えた。

 「それでは、今日はありがとうございました。今後もどうぞよしなに」
 「もちろん心得ております。益々の活躍を期待していますよ、浅野市長」

 浅野學峯が席を立つ。
 来客が帰るとあれば、せめて玄関先までは見送るのが礼儀というもの。
 しかし百合香に、腰掛けた椅子から立ち上がろうとする様子は見られなかった。
 それは暗に、自分の方が立場は上であるのだと示すような不敬であったが――彼女へ指摘できる者などいないだろう。

 「そういえば、百合香さん。最後に一つだけ伺っても?」
 「はい?」
 「貴女はこの家に、"養子"という形で引き取られたと聞いています。
  ――いえ、別に勘繰っている訳ではありませんよ。ただ、血の繋がりがない人間が由緒ある名家の当主として認められるなど、そうそうあるものではない。きっと先代様にとって、貴女は余程"特別"な人物だったのでしょう。
  ですが、今日会ってみて確信しました。成程、確かに貴女は"特別"だ」
 「あらあら、おだてても何も出ませんよ?」 


 冗談めかして笑う百合香に見送られ、彼女の部屋を後にした學峯は、今終えたばかりの会談について述懐する。
 辰宮百合香という女は、この時代には似つかわしくないほどの完璧な女性だ。
 礼儀作法を弁え、しかしながら他人をごく自然に下と据え、相手に此方が目上なのだと錯覚をさせない。
 貴族の社会は侮られれば負けだ。
 なまじ金を潤沢に有しているからこそ、易い相手と見られれば途端に血筋の価値は零落れる。
 學峯も教鞭を執る中で様々な人間を見てきたが、あの年頃で、あれだけ"出来た"人間には未だお目にかかったことがなかった。養子? 馬鹿を言え。話に伝え聞く先代当主よりも、彼女の方が余程貴族の何たるかを弁えている。

 「辰宮百合香――成程」



 學峯の去った部屋では、百合香もまた先の会談を思い返していた。
 表情に浮かんでいるのは、微笑。そのきっかけとなっている人物は言わずもがな、浅野學峯という"怪物"である。
 百合香の生きた大正時代。この現代を扱き下ろす訳ではないが、今よりも日本人は遥かに傑物揃いであった時代だ。
 彼は本来、もっと昔に生まれるべき人間だったのではないか――百合香は彼へそんな感想を抱いた。
 現代の政に明るくない百合香ではあったが、それでも解る。彼が野心を出せば、この国の支配程度は容易いだろう。
 此処を訪れた本来の意図にも察しは付く。百合香の身を覆う"香"の事もあり、どうやら目的の達成には失敗したようだったが、そうでなければさしもの彼女でも聊か危なかったかもしれない。

 「浅野學峯――成程」

 市長と令嬢は多くを語らない。
 ただ、二人は一様に笑みを浮かべていた。
 微笑。それはさながら好敵手を見つけた棋士のような笑みであり、しかしそれと縁遠い剣呑さを裏に孕んでいる。
 片や弓兵、エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグを従えて。
 片や狂戦士、デッドブルー・玖渚友を従えて。
 彼と彼女はただ笑みを浮かべ、水面下でお互いを討つべき敵であると全くの同時に認識していた。



 「「あれは確かに、侮れない」」





 『直樹美紀』は、身を隠す場所を探していた。
 もうじき、時間は深夜帯へと差し掛かる。
 補導員や警察が躍起になって彷徨き始める頃合いだ。それらと出会せば、当然面倒なことになる。
 美紀は聖杯戦争に参じたマスターだが、この世界の住人からすれば単なる未成年の非行少女でしかない。
 事情も知らない者たちに拘束され、時間を浪費するほど不毛なこともないだろう。
 ――かと言ってバーサーカーの力を使い、無闇矢鱈に部外者を虐殺するのは気が引ける。

 バーサーカーは常に霊体化させている。
 災害という言葉を体現したようなあのサーヴァントは、自律行動を許すには少々危険すぎた。
 だが逆に言えばそれは、いざという時、自分の英霊と離れていて窮地に陥る――という最悪の展開が発生する可能性をある程度抑制できることと同義だ。
 相手がサーヴァントやマスターだったなら、美紀はバーサーカーを出すことに躊躇いはない。

 重ねて言うが、面倒なのは全くの部外者だ。
 彼らは何の事情も知らないから、好き勝手にこちらへ介入してくる。
 そして都合の悪いことに、どういうわけか最近、その活動が活発化しているようだった。
 索敵がてらに散歩などしていれば、嫌でも耳に飛び込んでくる話だ。
 曰く、新市長の方針による浮浪者狩り。不法滞在者のたぐいも、片っ端から摘発されているという。

 浮浪者というデリケートな存在にまで踏み込んでいく運営方針が、このご時世に罷り通ったことからして驚きだが。
 その政策は、美紀たちのような聖杯戦争のマスターにとっては最悪の障害となるものだ。
 鎌倉へ喚ばれたマスターたちは、基本的に身分を持っていない。
 つまり、新市長が掲げる弾圧政策は覿面に作用する。
 当然相手はただの人間。サーヴァントで捩じ伏せてしまえばそれまでという話ではあるが――。

 (誰だか知らないけど、本当に面倒なことを……)

 頭が痛くなる思いだった。
 美紀はある事情から、戦うことには同年代の少女より遥かに慣れている。
 それでも、人間を殺した経験はない。
 たとえ間接的なものであろうとも、出来ることなら殺人は控えたいのが心情だった。
 だから結局は、狩られることから逃げる鼠の立場に甘んじるしかない。

 耳を澄ましながら、ロクに把握もしていない土地を手探りで探索する女子高生。
 とてもではないが、二十一世紀の日本でそうそう見られるものではないだろう。
 それを屈辱とは感じない。ただ、面倒だった。誰とも知れない"市長"へ、本気で苛立ちを覚えるくらいには。
 舌打ちをし、曲がり角を右折。その時、美紀の視界にある建物が飛び込んできた。

 「植物園……?」 

 傍目からでも管理が放棄されているだろうことが窺える、荒れ放題の植物園だった。
 温室の硝子は所々が割られ、生い茂った蔓がそこから飛び出てさえいる。

 ――そうだ、あそこなら。

 小さく頷くと、美紀は急ぎ足で廃墟と化した温室へ向かい、古びて立て付けの悪くなった扉を抉じ開けた。




 中は荒れ放題だったが、暑苦しくもなく、かと言って寒くもない適度な気温が保たれているのはありがたかった。
 懐中電灯のように便利なものは持っていない。足下に気を付けながら、半ば手探りで進んでいく美紀。
 すると、少し進んだ所で埃を被ったベンチを見つけることが出来た。
 恐らくかつては休憩スペースとして使われていたのだろう。
 どこも壊れていないし、汚れていることに目を瞑れば十分身体を休める場所として使えそうだ。

 手で埃を軽く払い、そっと身を横たえ、天井を仰ぐ。

 不思議な感覚だった。
 警察の存在があるとはいえ、以前よりは遥かに安全に外を出歩ける環境。
 此処には跋扈する屍達もおらず、聖杯戦争さえ無ければ平和そのものの街だ。
 なのに――何故だか、美紀の心には常に寂しさがあった。 
 呑気な彼女たちに苛立ち、反発したこともあったが、何だかんだ言ってあの暮らしを気に入っていたのだと実感する。

 そして、だからこそ決意はより強く固まった。
 彼女たちを助ける。
 町を元通りに戻して、皆で幸せに暮らせる世界を作る。――その為に、私は必ず。

 「必ず……聖杯を…………」

 気が抜けたからか、一日中歩き回った疲れが眠気に姿を変えてどっと押し寄せてくる。
 美紀は為す術もなく目をとろんとさせ、うつらうつらと頭を揺らし……程なくして、くうくう寝息を立て始めた。

 眠りに落ちる前、最後に見たのは割れた硝子越しに見る星空。
 こんな状況にも関わらず腹立たしいほど綺麗な星空だった。


 「……やれやれ。呑気なものだな」

 美紀が寝付いたのを確認してから、闇夜の底より長髪の少年・『みなと』はゆっくりとその姿を現した。
 彼女がやっとの思いで見つけたこの廃温室には、彼という先客が居たのだ。
 もっとも当の美紀は、それに気付きもせずに眠ってしまったが。
 この様子を見るに、余程疲れていたようだ。みなとは気が抜けたように嘆息する。

 彼の従者、ライダーは現れない。
 あの重戦車は忠実だが、あくまでも彼はマスターの傀儡だ。
 相手がサーヴァントならば兎も角、一介のマスター程度、彼には興味を覚えるにも値しないのだろう。 

 さて、どうしたものか。
 こんな夜中に廃墟を訪れ、あろうことか寝泊まりしようと考えるなど、どう考えてもまともではない。
 ホームレスというには若すぎる見た目から察するに、彼女は聖杯戦争の参加者と見て間違いない筈だ。
 となると、霊体化した状態でサーヴァントも近くに居るのだと考えられるが……



 みなとのサーヴァントは強力だ。狂化の影響を受けていようと、大概の英霊では鋼の求道に追随すら出来まい。
 つまり、此処で殺しにかかることは至極簡単なわけである。
 みなとは逡巡の後、ライダーへと抹殺の指示を出そうとし――。

 「――まあ、少し話してみてからでも遅くはないだろう。利用できる可能性もある」

 やめた。
 彼女が牙を剥いてくると言うなら臨むところだが、利用価値があるなら話は別になってくる。
 幾らライダーが強力とはいえ、敵は多い。少しでも闘いを有利に進められるなら、それに越したことはない。

 もう一度少女の寝顔に視線を落とすと、彼は溜息混じりに苦笑した。 





 孤児院で、一人の少女が星を見ていた。




 日本人離れした可憐さを持った彼女――『キーア』がこの院へやって来たのは、今から凡そ一週間前の出来事だ。
 院では、沢山の子どもたちが暮らしている。
 それこそ赤ちゃんから、もうすぐ社会人になる高校生まで。
 しかしそのいずれもが、突然やって来たこの美しい童女に思わず見惚れた。
 特に多感な男子児童など、早くも彼女を巡った水面下での抗争が始まっているほどだ。
 親に捨てられたわけでもなければ、親を失ったわけでもない。
 ただぼんやりと町を彷徨っていたところを、偶然院長が見つけてきたという謎の多い娘。

 ――ひょっとして、どこかの国のお姫様とかなんじゃねえの。

 誰かが冗談めかして呟いた言葉に、反論できる者はいなかった。
 やがてそんな噂話は、にわかに真実味を帯びてくる。
 誰かが言った。息を荒らげながらも潜めた声で。なんと、彼女に出自を聞いてきたのだという。
 『キーアはお姫様なのかい?』その質問に、彼女は困ったように笑ってみせた。
 肯定はしなかったが、否定もしなかったのだ。

 平穏な日常に、霹靂のように現れた謎の美少女キーア。 
 ただ見た目が可愛いだけならいざ知らず、彼女は性格もよかった。
 人の悪口は決して言わない、進んで皆が嫌う仕事をしようとする。
 年幼いはずなのに、その一挙一動からはどこか母性に近いものすら感じられる。
 そんな彼女を嫌ったり訝しんだりする人間は、日を追うごとにいなくなっていった。
 今やキーアは院のマドンナだ。皆が彼女を好ましく思い、孤独なはずだった少女の日常を彩ろうと努力している。



 ただ一人を除いては。


 「いい加減、うんざりするわね」

 夜のベランダ
 皆が寝静まった時間に、夜風の吹き込むそこで葡萄ジュースを片手にし、『古手梨花』はたそがれていた。
 本当はワインが良かったのだが、院には貯蔵がないようで泣く泣く断念した次第だ。
 別に他の酒でも悪いわけじゃない。けれども、飲酒の形跡が発覚すれば面倒なことになる。
 只でさえ聖杯戦争という面倒事で手一杯なのだから、これ以上心労は増やしたくなかった。

 そんな彼女の願いを真っ向から裏切るように、その傍らへと顕現する者があった。


 「きひひ。嫉妬は見苦しいでよ」
 「煩いわね。そういうのじゃないわよ、別に」


 人頭の蛇を両腕に刻み込んだ、書生姿の奇人。
 全面禁煙の規則に憚ることもなく、彼は煙管を銜えて紫煙を燻らせる。
 キャスターのサーヴァント、壇狩摩。彼は梨花を聖杯まで導く相棒のような存在だが、梨花はこの男が嫌いだった。
 軽薄な言動に配慮というものは一切存在せず、盲打ちを自称する通り行動の意図は皆目掴めない。
 そして何より、梨花の事情を知った上でどこか嘲るような口振りだ。それが一番、癪に障る。
 もしも彼が自分の背中を預けるサーヴァントでなければ、梨花は関わろうとすらしなかった筈だ。

 「ただ、あまり見ていて気持ちの良いものじゃないってだけ」

 キーアは、きっと裏表のない人物だ。
 百年にも及ぶ時間を繰り返してきた梨花には分かる。
 聖人君子と言えば語弊があるが、彼女ほど誠実でまっすぐな人間はそうは居ない。
 表向きはそう装っている梨花ですら、裏はこうなのだから。それなのに、キーアにはそれがない。

 彼女を見ていると感じる苛立ちのようなものは、やはりキャスターの言う通り嫉妬なのだろう。
 色々なものを欺きながら、心を削って、這いずるように此処までやってきた。
 そんな自分だから、彼女の姿は余計に眩く見えるのだ。

 『おぉっと。噂をすれば何とやら、じゃの。そら、皆のお姫様のご来訪じゃ。うははははッ』
 「なっ!?」

 思わず素っ頓狂な声をあげる梨花。
 一方のキャスターはといえば、既に要領よく霊体化を済ませていた。
 その抜け目のなさに改めて苛立ちを感じながら振り返ると、そこには寝惚けているのか、目をぐしぐしと擦りながら立っている黄金の髪の少女。
 梨花はいつも通りの『古手梨花』として、キーアへ話しかけた。


 「みー? どうしたのです、キーア?」
 「梨花こそ、どうしたの? こんな時間に」
 「……少し、星が見たくなったのですよ」

 嘘だ。
 別に、星を見たいなどと願ったことはない。
 天文部めいた活動には興味もなかったし、ただこうして晩酌まがいのことをしていたかっただけだ。
 なのにキーアはそれを疑おうともせず、にこりと微笑んだ。

 「あたしも」

 彼女は梨花の隣に立つと、無限大の広がりを見せる星空を見上げた。
 その視線には、まるで星空をすごく珍しいものと思っているような、そんな熱意があって。

 「あたしも、星、見たかったの」

 ――――ああ、やっぱりこいつは苦手だ。古手梨花は、苦々しげにそう思わされるのだった。





 鎌倉を襲う数多の都市伝説。
 聖杯戦争の副産物として生じるそれらの数は、予選の終了に至ってもまるで減少する気配を見せない。
 既に死し、この都にはいないはずのサーヴァントが、彼らの噂では生きている。
 まさしく地獄絵図だ。ありもしない目撃談と本当の目撃談が混沌とした様相を作り上げる。
 だがその中でも――今、一際話題を集めている怪談があった。

 "鎌倉の屍食鬼"。
 胡乱な足取りで彷徨い歩くそれに咬まれた者は、それと同じ屍食鬼に変貌してしまう。
 まるでどこかのゲームやパニック映画でありそうな、凡そ現代日本とは結び付かない都市伝説。
 ある者は創作だと笑い。またある者は真実だと熱弁し。またある者は、屍食鬼と接触しようと動き出しそれきり。
 嘘か真か、それを知る術は彼らにはない。知ろうともしない。
 それでも、一つだけ確固たる事実があった。

 屍食鬼の目撃報告は、日を追うごとに増加している。
 さも、仲間を増やしているという噂が本当であると裏付けるように。

 『佐倉慈』に知能はない。
 彼女は謂わば、マスターとして呼ばれたバーサーカーのようなものだ。
 音と光に反応し、生体へと襲い掛かる程度の行動ルーチンしか持たない彼女。
 その脳裏にごく潜在的に残った願いを頼りに聖杯戦争へ辿り着いた――ある意味でのイレギュラーな存在である。
 揺々とおぼろげな足取りで徘徊する彼女。それを見て、懐中電灯を持った警官服の男が悲鳴を上げて腰を抜かす。
 にぃ、と表情を歪めた屍食鬼は這って逃げようとする彼へ覆い被さり、その首筋を噛んだ。

 それで、哀れな警官の命運は尽きる。
 彼は真面目な人物だった。
 週末には家族サービスを忘れず行い、平日には正義感溢れる警察官として犯罪者を捕らえる。
 最近、一番上の娘の結婚が決まった。――しかし、彼にここから先の未来はない。

 屍食鬼は増え続けている。
 このまま繁殖が続けば、遠からぬ内に鎌倉は死の都となるだろう。
 佐倉慈という教師が見てきた、あの地獄のように。


 佐倉慈は理性を失っている。
 自我のようなものはほぼ残っておらず、ただ人に害成し続ける魔物と化している。
 だから彼女は、自らの行き遭った無我の存在に嵌らなかった。
 こうなっていなければ、間違いなく夢の坩堝に堕ちていただろうことは、どうしようもない皮肉だったが。






 『幸福』のキャスターは踊り続ける。
 楽しげな姿を象って、出会う全てを夢に落とし込む。
 災厄の具現であり救済の顕現。
 それが彼女であり彼である。


 ――幸福に嘘も真も存在しない。あなたがそう願えば、それが本当の幸福なのだから。

 ――だからあなたも幸せになって。わたしはそれだけで満たされるから。


 歪な救いが跋扈する。
 古都・鎌倉は着実に、魔都へと変貌する準備を整えつつあった。







 魔界と化した軍艦の内には、歪な大聖堂が広がっていた。
 基督の教義を原本に置いてこそいるが、その実情は全くの別物だ。
 呪わしく、悍ましく、惨たらしく、冒涜的の一言に尽きる異界聖堂。
 飾り立てられた十字を背景に、白衣の男が黙して座し、壁の向こう側より漏れ聞こえる潮騒の音色に耳を傾けている。
 静かだ。しかしこうしている今も、鎌倉は淀んだ戦火に脅かされ続けている。
 にも関わらず、民草達の浮かべる反応は皆一様だ。
 犠牲者が出れば眦を顰めて死を悼み、その原因となったであろう事象或いは存在へ怒りを燃やす。
 だがその実、彼らは誰一人としてこの現実(ユメ)を忌んでいない。

 異常だ。
 それでいて、正常でもある。
 誰もが人として普遍に持ち合わせるとある欲求。
 即ち、非現実的事象の具現化による華やかで、壮絶な物語を楽しみたいという我儘だ。
 彼らは現在進行形で、決して叶うべくもなかった願いを成就され続けている。
 さぞかし嬉しく、楽しみなことだろう。
 胸が踊る。
 次は何が出る。 
 そんなことを心の中では誰もが考えながら、異界化していく世界を楽しんでいる。
 成程、痴れている。『トワイス・H・ピースマン』は言葉にはすることなく、あくまで胸中のみでそう独りごちた。

 歴史に語り継がれる多様な魔都の伝説と比ぶれば、聖杯戦争の舞台となった鎌倉市はまだ序の口だ。
 彼らには指先で地を割る力はない。腕の一振りで熊の首を砕き折る芸当も出来ない。
 空を飛ぶことも、海を歩くことも、光より速く走ることも、永遠に生き続けることも。
 人間という生物の枠組みに縛られている限り、どれだけ長きを生きたところで絶対にそんなことは不可能である。
 だが、夢を見ることは出来る。それは人間のみに許された創造行為であり、この都市を魔都たらしめる最大の所以。
 こうなれば、最早カウンターストップの概念を期待するのは無意味だ。
 今後聖杯戦争が時を重ねていくにつれ、鎌倉はその形を変えていく。
 無粋な祈りと痴れた発想で重ね塗りされて原型を失い、やがては最悪の魔都へと変貌するに違いない。
 ――だが。

甘粕正彦

 トワイスのサーヴァントたる、彼。
 原初の勇者。
 光の魔王。
 第一の盧生。
 軍衣の怪物。
 全人類を一人で相手取れる男。

 彼の存在こそが、或いは鎌倉という街にとっては最大の救いとなり得るのかもしれない。
 あれが自らの前で奏で、紡ぎ上げられる素晴らしき人間賛歌を目にした時、己を抑えられる筈がないのだ。
 彼は人の勇気へと、見合うだけの愛の鞭で応えるだろう。
 ライダーは物事を考える理性を持つ。弁は達者であり、一見すると知的なものをすら感じさせる。


 だが、トワイスは既に確信している。あれは莫迦だ。あの男は、いざとなれば己の願いすらも投げ捨てるだろう。


 その時、この街は――この聖杯戦争はひとつのピリオドを迎えるに違いない。
 終幕であれ、分岐点であれ。
 その時彼は有り余る勇気の讃歌を以って、蠢く闇を打ち払い、高らかに万歳三唱を唄い上げる。
 滅多なことにはならないといいのだが。
 トワイスは吐息をひとつ漏らすと、再び静かに目を瞑った。




 そして。
 聖杯戦争の幕開けと共に、仮初めの存在はその役割を終えようとしていた。
 帳の落ちた闇の底に佇む教会。礼拝堂の壇上にて、神父『言峰綺礼』がふむ、と呟く。
 呟いた体は、最早半分ほどが人間の形を保っていなかった。
 光の粒子が解けるように、加速度的に原型を崩壊させている。
 元より彼の役割はこれまでだった。裁定者のサーヴァントが顕現するまでの間を繋ぐため、月に編まれた仮想人格。
 それが言峰綺礼という名前を持ったこのシステムの全てであった。

 「判っていた結末ではあるが、いざ訪れてみると存外に惜しいものだな」

 この様子では、あと数分と保つまい。
 少なくとも夜が明ける頃には、紛い物の神父は影も形も残らずその姿を消すだろう。
 偽りの器に人格を芽生えさせるにしては聊か短すぎる期間であったが、言峰は名残惜しむように微笑する。
 されども、並行世界の一つで悪徳を尽くした男の名を象るだけはあり。
 彼は末期の時に辿り着いてなお、命乞いの一つとして口にすることはなかった。

 「では、一足先に失礼しよう。私は在るべき月の底へ還り、桃の香に微睡むとする」

 既に身体の八割を損失した器で、しかし彼は堂内に顕現したその"気配"を感じ取り、破顔した。
 小刻みに快音を響かせて、靴音を鳴らし消え行く前任者へ近付くは裁定者。ルーラーのサーヴァント。
 だがその英霊は、これまでに召喚されたどの英霊とも異なる気配と存在感を有していた。
 仮初めであるとはいえ、神父はルーラーの紛い物として遣わされた身だ。

 この存在は、本来決してヒトが召喚できるモノではない。
 神霊の召喚は不可能であるという聖杯戦争の不動のセオリーを真っ向無視した暴挙。
 歪み狂い廃せる音色に覆われた、この聖杯戦争だからこそ成立した人選。

 「皮肉なものだ。王の号など、あの桃に染まった星に於いては不名誉でしかないだろうに」

 聖杯戦争。 
 願いに集いし人々。想い。英霊。
 すべて、すべては戯れに過ぎない。
 そして己自身も。箱庭。遊具。彼ではない、この世界に於ける月の王は、不幸のない世界をこそ望んでいる。 

 「だが、見届けよう。そう願われ喚ばれたならば、この見知らぬ箱庭で踊ることを良しとする」
 「く、くく――聖杯も妙な者を喚ぶものだ。最期に問おう。おまえは、何だ」
 「語るに及ばない」

 遥か高みの玉座にて。
 今も、君臨するものは語る。救われてくれと。
 今も、君臨するものは囁く。俺を使うがいいと。
 慈愛の王は、募りゆく悲しみを惜しんでいる。


 「《月の王》と呼ばれるモノ」


 その意味する所を、月面の演算機――ムーンセル・オートマトンの叡智より即座に掴み取った神父は。

 「ふ、ははは。そうか、そうか」

 消滅間際の身体を小さく震わせて笑い、嗤い。
 芽生えつつあった自我を愉悦の相に狂わせて、憂うのだった。
 聖杯を望んで遥々世界を超えたマスター達。
 なんと哀れなことかと憂い、そしてもう一度惜しんだ。
 全てを知った彼らの浮かべるであろう表情を想像し――最高の美酒にありつけなかったような、そんな気分を知った。

 神父は哄笑と共に消滅する。
 それを無感動な瞳で見届け、月の王はステンドグラス越しの天空を見上げた。

「果てなきものなど
 尊くあるものなど
 すべて、すべて、
 あらゆるものは意味を持たない」

 静かに告げて。
 玉座の主は、深い笑みを浮かべる。
 人のような笑みではあるが、
 鮫のような笑みではあった。
 憐憫の一切を思わせない"笑み"でだった。

 嗤い続ける月の瞳そのものの双瞳で、チクタクと、音を、響かせて。

 君臨した神(ルーラー)は、今こそ告げる。
 笑みを絶やすことなく。
 残酷に。冷酷に。

「たとえば――
 忘れてしまえば、何の意味も、ない」

 痴れ者たちの踊る姿を俯瞰して、時計のルーラーが一人嘲笑っている。
 聖杯戦争。血塗られた宴の最果てに待ち受けるのは、必ずしも黄金の結末とは限らない。





【クラス】
 ルーラー

【真名】
 ロード・アヴァン・エジソン@紫影のソナーニル-What a beautiful memories-

【性別】
 男性

【属性】
 混沌・悪

【パラメーター】
 筋力:??? 耐久:??? 敏捷:??? 魔力:??? 幸運:??? 宝具:EX

【クラススキル】

対魔力:EX
 魔術を受け付けないという概念の極致。
 一般的な対魔力スキルと異なり、魔術を打ち消すのではなく逸らすだけ。
 なので広範囲の大魔術となると本人以外は助からない。
 無論、月の王にとってそんなことは瑣末なことである。

真名看破:EX
 月の王。
 時計仕掛けの神。
 彼は全てを識る。
 聖杯戦争に名を連ねる限り、その叡智より逃れることは叶わない。
 隠蔽の宝具、スキル、その全てが最早小賢しいのだ。

神明裁決:A
 ルーラーとしての最高特権。
 聖杯戦争に参加した全サーヴァントに二回令呪を行使することができる。


【保有スキル】

神性:EX
 神霊適性を持つかどうか。高いほどより物質的な神霊との混血とされる。

???:EX
 ???????????


【宝具】

『発狂の時空・時計人間(ロード・チクタクマン)』
ランク:EX 種別:対人宝具 レンジ:- 最大補足:-
 史実の世界から訪れた外なる神の一柱にして、時計人間(チクタクマン)と呼ばれる存在。
 いわば、ルーラーというサーヴァントそのもの。時を這い寄る昏き意志。
 謎の存在とされてはいるが、彼を奉ずる集団も存在する。

『大機関時計(メガエンジンクロック)』
ランク:EX 種別:対星宝具 レンジ:1~100000 最大補足:1
 黒い直方体。形質は中世期の柱時計に酷似し、装飾は古代カダス遺跡の一部遺跡に近似。
 全長数マイル~数十マイル級の物が複数存在しており、主な構成成分は炭素。核として一つの時計が埋め込まれている。
 これは惑星の中心核へとその先端を潜り込ませ、生きる全てを塵芥と化す邪悪の円柱(カルシェール)。
 風の王の力をもって水の王を目覚めさせる機能を持ち、物理の死を、世界の終わりをもたらす対星の宝具。


【人物背景】

 白いスーツに身を包んだ長身の男。髪は白いが肌は黒く、瞳は赫い。
 年若い男性に見えるが、彼に纏わる数多の風説が仮にすべて事実であるとすれば、その年齢は百を超えることになる。
 体の半ばを精密機械に置き換えたとか、カダスの秘匿技術を用いているという噂もある。
 彼は外なる世界より召喚された時計人間。
 彼は神霊であるため、本来聖杯戦争で呼び寄せることは出来ない。
 その不可能が可能となっている所からも、この聖杯戦争の異端性が垣間見える。

【サーヴァントとしての願い】
 ???





 そして――そんな彼らを俯瞰して、事態のすべてをただ見ているモノがある。



 『キーア』の幼き強さと、『アーサー・ペンドラゴン』の騎士道を。
 『アイ・アスティン』が掲げる歪な理想と、死者の存在を認めぬ『藤井蓮』のその価値観を。
 『アンジェリカ』が謳う苛烈なる正義と、それと相反した『針目縫』の滅びへ向かう願いを。
 『すばる』が友へ向ける優しさと、彼女へ負い目を感じながらも決して止まれない『東郷美森』が抱える悲愴を。
 『イリヤスフィール』の朧気ながらも確かな生への渇望と、何にも媚びることなき『ギルガメッシュ』の王道を。
 『辰宮百合香』の抱える複雑怪奇した内面と、炎の如く激しい想いへ焦がれ続ける『エレオノーレ』の忠誠を。
 『アティ・クストス』が追い求める忘却の縁と、静謐のままに月を映す『ローズレッド・ストラウス』の剣を。
 『麦野沈利』が求めてやまぬ復讐、それを侮蔑しながらも手綱を引かれる『レミリア・スカーレット』の在りようを。
 『如月』が友との再会へ懸ける思いと、そんな彼女を寡黙に守り続ける箱舟の騎士『Ark Knight』の誠実さを。
 『佐倉慈』が屍と成り果てて尚願い続ける生徒への慈愛と、彼女を信じて真っ直ぐ拳を握る『結城友奈』の眩さを。
 『笹目ヤヤ』が望む日常への回帰願望と、頼りなげながらも戦争へ確と向き合う『アストルフォ』の疾走を。
 『みなと』が叶えんとする優しくも儚い望みと、ただ死を望み、終焉の時を探す『マキナ』の英雄譚を。
 『乱藤四郎』が亡き兄を想う気持ちと、永遠の命を望み聖杯を狙う『ドンキホーテ・ドフラミンゴ』の策謀を。
 『トワイス・H・ピースマン』が謳う人の尊厳と、『甘粕正彦』が礼賛する人の意思を。
 『古手梨花』の幻視する旅路の終着点と、万象を笑い飛ばしながら不確かな一手を繰り返す『壇狩摩』の道楽を。
 最後まで幻想に浸り夢死した哀れなマスターへ代わり、単身万人の幸福を願い踊り続ける『幸福』の救済を。
 『逆凪綾名』の追い求める憧れの最果てと、奇跡を騙って演出し続ける『ベルンカステル』の嘲笑を。
 『叢』が走る修羅道の果てで待ち受ける反魂の結末と、確たる願いを持たぬ『スカルマン』の暗躍を。
 『丈槍由紀』が過ごし続ける偽りの日々の華やかさと、偽りと知って尚黙し従う『ハサン・サッバーハ』の茨道を。
 『衛宮士郎』が辿り着いた悪の境地と、赤眼を煌めかせ怨敵を斬る『アカメ』の闘いを。
 『エミリー・レッドハンズ』の述懐する父と過ごした思い出と、狂乱の内に皆殺す『シュライバー』の死世界を。
 『浅野學峯』が信じ疑わぬ教育方針の在り方と、支配を支配す『玖渚友』が統べる死線を。
 『直樹美紀』の夢見る光り輝く世界と、現れるだけで世界をも狂わせる『アンガ・ファンダージ』の暴虐を、
 ――ただ一つの例外もなく尊いものだと賞賛し、だがその実まったく理解しないまま、ここに瞬く星の悉くを是と謡い、それは無限の中核に微睡んでいた。




 その存在を定義することはまだ出来ない。名乗りをあげるに相応しい状況が整っていないから、それは何にもなれずにいた。そして、何にでもなれる可能性を持っていた。

 眠り、揺蕩う夢の中、聖杯戦争の中心点である巨大な暗黒。
 ここから始まり、広がっていく。
 盲目の痴れ者たちが奏でる音色に魅せられて、自らも盲目的に願い続ける。
 人よ、今こそ救済しよう。我こそおまえたちの理解者である。
 賛歌を謡え。願いを想え。それらすべては、正しく普遍で不変なり。


 ああそうだとも。おまえが信じるならばそれが正しいことなのだよ。
 閉じろ。そして目を塞げ。世界はそうして完結するのだ。

 げらげらと嘲り笑い倒しながら、我が認めてやると開戦の号砲を形にした。
 月に根付く暗黒の正体が、此処に紡ぎあげる夢の波動。
 声なき祝福が痴れた宇宙に響き渡る。

 この聖杯戦争は淀んでいる。
 最早修正不可能な程の莫大な質量を孕んだことで、あらゆるシステムが狂い始めている。
 だがしかし。誰一人、それを咎める者などいないだろう。少なくとも、この鎌倉市に於いては。

 因果? 知らんよどうでもいい。
 理屈? よせよせ興が削げる。
 人格? 関係ないだろうそんなもの。
 善悪? それを決めるのはおまえだけだ。
 おまえの世界はおまえの形に閉じている。
 ならば己が真のみを求めて痴れろよ。悦楽の詩(ウタ)を紡いでくれ。

 下劣な太鼓とフルートの音色が満たす月の中枢。
 嘗て人類史を永久に記録し続ける機械であった月(それ)は、最早本来の役割を果たしていない。
 データの末端に至るまで桃の煙に浸かり、揺蕩う白痴の存在へ子守唄を奏でている。
 それはさながら常世の楽園、阿片窟。
 0と1を快楽に浸し、演算を放棄しその技術で夢を見、良いぞ良いぞと酔い痴れているのだ。
 ――この聖杯がまともな筈はない。ひとたび起動されれば間違いなく、人類史上最大の救済(やくさい)となって杯は地球を満たすだろう。されども、欲望の徒がそれに気付く道理はない。





 だから、彼らの希望は奏でられる。
 "ソレ"の玉座に響き渡る。
 何処とも知れぬ海の底。あるいは天の彼方。もしくは深淵。
 無限の中核に棲む原初にして沸騰する渾沌の願望器は、暗愚なる実体を揺らめかして無明の房室にさざめく音色を愛でていた。

 彼は今も眠っている。
 自らを讃える冒涜の言辞は絶えずふつふつと膨れ上がり、下劣な太鼓と呪わしきフルートの連打さながらに、あまりにも愚かしすぎる人のユメとはなんたる愛しさであることかと、彼の無聊を慰めている。
 おまえたちは盲目だ。等しく何も見ていない。
 他者も、世界も、夢も、現も、いつも真実とはおまえたちそれぞれの中にしかないのだろう?
 見たいものしか見ないのだろう?

 愛い、愛い。実に素晴らしい。
 その桃源郷こそ絶対だ。その否定こそ幸福だ。
 おまえたちが気持よく嵌まれるのなら己は何も望まない。玉座に夢を描いてくれ。


 ここは太極より両儀に分かれて四象に広がる万仙の陣。
 無窮にして不変である。ゆえに限界など存在しない。

 さあ、さあ、さあ、奏でろ――痴れた音色を聴かせてくれ。

 己はそれに抱かれて眠る。輝ける未来よ、降り注ぐ夢を見たい。
 そう願う聖杯こそ、己がおまえに捧げる人間賛歌の顕象ならば。
 万能の器? おまえがそう思うならそうなのだろう。おまえの中ではな。それがすべてだ。

 神とも、渾沌とも、英霊とも、聖杯とも。
 未だ定義できない超重量の闇が渦巻く房室で、爆発的なエネルギーを沸騰させつつ膨張するそれは嗤った。
 己を取り囲む白痴の星々、その中でも今現在、一際輝く祈りたちに向けて真なりと詠嘆したのだ。



















 太極より両儀に分かれ、四象に広がれ万仙の陣――終段顕象。















 素に揺蕩うフルートの音色。祖に微睡み痴れる鴻鈞道人。

 昏き宵には至福を。崑崙を桃に染め、紫禁の城へ座し、楽園に至る虚夢は循環せよ。

 閉じよ(とじよ)。閉じよ(とじよ)。閉じよ(とじよ)。閉じよ(とじよ)。閉じよ(とじよ)。
 繰り返す都度に五度。
 ただ、満たされる刻を夢想する。

 閉じよ。
 汝の身は我が望みに、我が命運は廃せる汝に。
 仙境の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。

 誓いを此処に。
 我は羽化登仙に至る者、我は永遠の幸福に沈む者。


 汝廃せる御霊を抱く八等、悪夢の輪より来たれ、桃源の担い手よ――!


.









 「ふはは、ははははは、あははははははははは――――!」



 聖杯戦争、ここに開幕。
 願いに集い踊り狂う二十三の主従を、たった一人の■■が俯瞰している。



BACK NEXT
-001:直樹美紀&バーサーカー 投下順 001:夢見る魂
時系列順


BACK 登場キャラ NEXT
-023:キーア&セイバー キーア 002:錯乱する盤面
セイバー(アーサー・ペンドラゴン
-022:神亡き世界の鎮魂歌 アイ・アスティン 001:夢見る魂
セイバー(藤井蓮
-021:アンジェリカ&セイバー アンジェリカ 016:白狼戦線
セイバー(針目縫
-020:すばる&勇者アーチャー すばる 004:ここには夢がちゃんとある
アーチャー(東郷美森)
-019:イリヤスフィール・フォン・アインツベルン&アーチャー イリヤスフィール・フォン・アインツベルン 023:嘘つき勇者と壊れた■■
055:世界救済者を巡る挿話・その2 アーチャー(ギルガメッシュ
-018:辰宮百合香&アーチャー 辰宮百合香 002:錯乱する盤面
アーチャー(エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ
-017:瞳に月を宿す者たち アティ・クストス 012:熱病加速都市
アーチャー(ローズレッド・ストラウス
-016:如月&ランサー 如月 005:ヒュプノスの祝福
ランサー(No.101 S・H・Ark Knight
-015:麦野沈利&ランサー 麦野沈利 008:メルトダウン・ラヴァーズ
ランサー(レミリア・スカーレット
-014:佐倉慈&ランサー 佐倉慈 007:天より来るもの
ランサー(結城友奈)
-013:みなど&ライダー みなと 006:幸福の在り処
ライダー(ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン
-012:笹目ヤヤ&ライダー 笹目ヤヤ 017:旅路
ライダー(アストルフォ
-011:乱藤四郎&ライダー 乱藤四郎 007:天より来るもの
ライダー(ドンキホーテ・ドフラミンゴ
-010:トワイス・H・ピースマン&ライダー トワイス・H・ピースマン 009:播磨外道
ライダー(甘粕正彦
-009:古手梨花&キャスター 古手梨花 002:錯乱する盤面
キャスター(壇狩摩
-008:幸福という名の怪物 キャスター(『幸福』) 001:夢見る魂
-007:坂凪綾名&キャスター 坂凪綾名 009:穢れきった奇跡を背に
キャスター(ベルンカステル
-006:闇の仮面 021:善悪の彼岸
アサシン(スカルマン
-005:丈槍由紀&アサシン 丈槍由紀 004:ここには夢がちゃんとある
アサシン(ハサン・サッバーハ 013:暗殺の牙
-004:衛宮士郎&アサシン 衛宮士郎 008:メルトダウン・ラヴァーズ
アサシン(アカメ
-003:エミリー・レッドハンズ&バーサーカー エミリー・レッドハンズ 003:貪りし凶獣
バーサーカー(ウォルフガング・シュライバー
-002:トリコワシティ 蒼色サーヴァントと教言遣い 浅峰學峯 028:陥穽
バーサーカー(玖渚友
-001:直樹美紀&バーサーカー 直樹美紀 006:幸福の在り処
バーサーカー(アンガ・ファンダージ
Advent ルーラー(ロード・アヴァン・エジソン 019:狂乱する戦場(後編)
最終更新:2020年07月07日 22:03