平和なひと時の流れる孤児院に、一筋の百合の香りが舞った。


 それは瞬く間に、無邪気に遊ぶ子供達と職員達の双方を、一人残らず陥落させる。
 本人達の気付かぬ間に、彼らは洗脳と呼ぶにはあまりに深く根強い魅了の夢へと嵌ってしまった。
 聖杯戦争のエキストラでしかない哀れな彼らはきっと、己が誑かされたことへすら気付くことはないだろう。
 生き残るのか、それとも戦火の飛び火で焼け死ぬのか、はたまた心なき英霊に喰い殺されるのか。
 末路は千差万別であれ、名も無き彼らが主役として舞台に上がることだけは、決してない。

 「存外に面倒ですね、当主のお勤めというのも」

 元の家長が乗っていた高級外車の後部座席から降り、孤児院を前に辰宮百合香は嘆息した。
 今は名実共に辰宮百合香の所有物となった由緒ある名家だが、引き継いできた習慣全てを蔑ろには出来ない。
 ただでさえ養子の立場から当主へ上り詰めた異端の経歴を持っている身だ。
 尤も、仮に正体が発覚しようとも――大概のマスターも英霊も、百合香を傷付けることは不可能なのだが。それでも、念には念をだ。郷に入っては郷に従え、ともいう。

 鎌倉某所の孤児院。
 此処は、百合香にとって文字通り縁もゆかりもない場所だった。
 どうやら彼女へと快く家督を明け渡した前当主が懇意にしていたらしく、多額の寄付も行っていたのだとか。
 金など好きなだけ持っていけばいいと思うが、どうもあちらは形式に拘りたいらしい。
 共に降りようとする付き人の執事を下がらせ、単身院の敷地へと踏み入る。
 聖杯戦争の参加者としてはあるまじき無防備だったが、彼女はそんなことを気にするほど臆病な人間ではなかった。
 寧ろ――己を傷付けられる相手をこそ所望してもいる。


 院長らしき老年の女性に出迎えられ、それに定型文のような挨拶を返し、案内されながら"視察"は始まった。
 本来は要件……所謂"大人の話"を済ませ、早々に此処を後にするつもりだったのだが、どうもこの院長は百合香を大層気に入ったらしい。是非院を見ていってくれと熱望されたので、職務の一環として仕方なく甘んずることにする。
 とはいえ、今は昼間だ。ある者は幼稚園へ、ある者は義務教育に則って学校で授業を受けている時間。
 中に居る子供達の数は普段に比べ明らかに少なく、概ね三つの区分に分けられる。
 一つは単なる病欠。
 次に何らかの心の傷から、登校拒否になった児童。
 そしてもう一つが、最近院に保護されたばかりで就学手続きが整っていない――百合香にとって関係の有りそうな子供達はこの社会的理由による未就学児達だった。


 マスターの資格を得て鎌倉へ召喚されたマスターは、何も身体的に成熟した者だけではない。
 中には小学生はおろか、齢一桁のマスターも存在する。
 現に百合香はアーチャーより、子供を屠った報告を幾度か受けていた。

 運か、或いは純粋に実力か。それは定かではないが、基本、マスターは身寄りのない状態で街へ放り出される。
 百合香のように特殊な手段でも持っていない限りは、浮浪者も同然の形で生活することを強いられるのだ。
 中には当然、補導される者も居るだろう。院長が直接保護した児童も数はどうあれ居るかもしれない。
 であれば、必然的に――

 「この孤児院に、マスターが潜伏している可能性もある」

 百合香は勝利へ貪欲ではない。
 だからマスターを見つけ出す可能性があるにも関わらず、院の視察を億劫がった。
 だが、こうして実際に訪れたのだ。手の届く範囲でマスターとしての職務も果たしにかかるのが利口だろう。

 子供達は見慣れない客人を見るなり興味深げに近付いてきたり、物陰から観察してみたりと微笑ましい。
 あの年頃ならば悪戯の一つでも働こうとする子が居ても可笑しくないが、そこは所詮香の虜。
 辰宮百合香を害する行動は一切取らず、取ろうという気にすらならない。
 にこりと微笑んで子供達へ会釈しながら、"それらしき"子供を探す。
 見つけ出してからどうするかはまだ考えていなかったが、それこそどうとでもなる話だ。
 同盟を申し込むなり、アーチャーに灼かせるなり、選択肢は色々とある。

 そこで、ふと。
 百合香は、二人の少女へ視線を向ける。

 一人は髪の長い、可愛らしい顔立ちの少女だった。
 それでもう一人は日本人離れした金髪が美しい、どこかビスクドールの類を彷彿とさせる。
 二人の共通点は、どうやら彼女達はこの孤児院におけるアイドル・マドンナ的存在らしいこと。
 中にはどう見ても惚れているとしか思えない態度の子もいるし、そうでなくとも彼女達を快く思っているのは確かのようだった。しかし、百合香が興味深く思ったのはそこではない。

 金髪の彼女は、きっと天性でああいう性格をしているのだろう。
 成る程、あれなら人気者になるのも頷ける。
 誰にでも別け隔てなく接し、二面性がなく人懐っこい。
 "いい子"という言葉を体現したような娘――百合香をしても、それ以外の形容が出来ないほど。

 一方で長髪の彼女は、明らかな"作り"の態度で賑わう子らへと接していた。
 他の誰を騙せたとしても、あの手の演技は辰宮百合香には通じない。
 人当たりよく可愛らしいのは外面だけで、瞳の奥には百合香自身にも通ずる、空虚なものが眠っている。

 あの子は、面白いですね。百合香は誰にも聞こえないほどの小さな声で呟いた。
 マスターの可能性があるか否かは扠置いて、個人的に興味がある。
 所詮人間は人間、同じ穴の狢と切り捨てるのは簡単だが、彼女の"目"に一抹の期待を抱かされた。
 あれは普通に生きてきた人間、ましてや子供のする目ではない。


 ――突如、騒がしい和室の真ん中に、明らかに場違いな書生が出現したのは……百合香が彼女へ接触しようと一歩を踏み出そうとした、その矢先のことだった。


 「―――うはははははは! 久しいのぉ、こんな所で会うたぁなんちゅう偶然よ!」


 騒然とする室内。
 百合香の興味を惹いた少女が、一瞬だけ物凄く焦った顔をしたのが見えた。
 これには百合香も笑みを堪えずにはいられない。
 そうかそうか――よりにもよってあの娘、"この男"を喚んだのか。


 「こちらこそお久しゅうございます、狩摩殿。今は"キャスター殿"とお呼びした方が宜しいでしょうか?」
 「むず痒いけぇ、狩摩でええわ。腰ィ落ち着ける場所が出来たんはええが、よいよあんなの采配は退屈での。いっそ卓袱台の一つも引っ繰り返しちゃろうかと思っとった所よ。
  そろそろ何かしらは起こる頃じゃろうと思っとったが、まさかあんたが来るとはの。なぁ、お嬢」


 辰宮百合香はこの男を知っている。
 真名看破も何もない。既知なのだから、改めて唱え直す必要もなかった。
 ――神祇省。遡れば飛鳥の時代より存在する、陰と陽の側面を併せ持つ宗教機関。
 太陽神の眷属を自称したかと思えば、鬼面衆を名乗って護国の汚れ仕事を行う異形の集団。
 キャスターのサーヴァント、壇狩摩はその首領だ。そして神祇省は、貴族院辰宮の最も大きな同盟相手でもある。


 「それは此方の台詞ですよ。
  貴方が喚ばれたという時点で、わたくしはこの聖杯戦争の全てを疑わなくてはならなくなりました」
 「ひひひ、手厳しいのォ。
  ……で、じゃ。どうよ、梨花。こんながお前の討つべき敵手の一じゃ。
  こりゃ難儀じゃぞ。何せ見ての通り傾城の華、万象を酔い潰させる魔性の女よ」


 話を振られた彼のマスター、古手梨花は――あまりの怒りに言葉を失っていた。
 なんだ? このサーヴァント、一体何を考えている?
 己の見知った相手だからと霊体化を軽々解き、挙句マスターの真名まで教える暴挙。
 盲打ち、向こう見ずの類であるとは分かっていたが、まさか此処までとは。

 「初めまして、梨花さん。わたくし、辰宮百合香と申します。狩摩殿とは知己の仲でして」
 「……じゃあ、あんたも」
 「はい。聖杯戦争の参加者です」

 梨花は当然の如く、百合香へと警戒心を露わにしていた。
 だが彼女はそんな様子を気にした様子はまるでなく、文字通り花の咲くような笑顔で迎え入れる。

 「では梨花さん。一つご提案があるのですが――どうでしょう? 
  同じマスター同士、わたくしと同盟を結ぶ気はございませんか?」
 「そんなこと――簡単に頷くとでも思うの? 第一、私はあんたのことをまだ信用してないのよ」
 「それは残念。しかし、悪くない話だと思いますよ。わたくしのサーヴァントは、本来の意味での強者です」

 あの方に敵う者など、そうは居ないでしょうね。
 どこか呆れた風に呟く百合香の表情に、嘘偽りは見えなかった。
 それ以前に、この辰宮百合香という女が単なる気まぐれで同盟を提案したらしいことも梨花には分かった。
 キャスターの盲打ちでこそないが、仮に梨花がそれを拒絶したとしても、精々名残惜しげにするだけだろう。
 何故なら、必死になる理由がないからだ。
 キャスターと彼女が知り合いであるということ以外の、同盟の意義を彼女はまったく見出していない。
 しかし梨花の側にしてみれば、同盟のメリットはあまりに大きい。
 ピーキーにも程があるキャスターの性能を補う真っ当な強さ。それこそが、今彼女が最も必要としているものだった。キャスターは魔術や搦め手には滅法長けるが、一方でど真ん中をぶち抜く強さには極めて脆い。
 要は、馬鹿に勝てないのだ。そんな存在と行き遭った日には、不毛な消耗戦の末に討たれる他に未来はない。

 「……分かった」

 梨花は長い逡巡の後、百合香の提案へ頷いた。
 周囲の子供達は不思議そうな顔で見ている。
 幸いなのは、突然現れた書生を大概の子供が"お化け"と認識し、逃げたり隠れたりしていることか。
 もしも不審な人物と騒がれでもすれば、大層面倒なことになったに違いない。
 いや――そこはこの女がどうにかしたのかもしれないが、いずれにせよ、手放しに信用していい相手でないのは確かだった。このキャスターと知人であるというだけでも、根拠としては十分だった。


【B-1/孤児院】

【辰宮百合香@相州戦神館學園 八命陣】
[令呪]三画
[状態]健康
[装備]なし
[道具]なし
[所持金]高級料亭で食事をして、なお結構余るくらいの大金
[思考・状況]
基本行動方針:生存優先。
1:古手梨花、壇狩摩との同盟はとりあえず遵守するつもり。
[備考]
※キャスター陣営(梨花&狩摩)と同盟を結びました

【古手梨花@ひぐらしのなく頃に】
[令呪]三画
[状態]健康、苛立ち
[装備]なし
[道具]なし
[所持金]子供のお小遣い程度
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を手に入れ、百年の旅を終わらせる
1:キャスター……こいつ、本当に何考えてんのよ。
2:百合香への不信感。
[備考]
※アーチャー陣営(百合香&エレオノーレ)と同盟を結びました
※傾城反魂香に嵌っています。気に入らないとは思っていますが、彼女を攻撃、害する行動に出られません。


【キャスター(壇狩摩)@相州戦神館學園 八命陣】
[状態]健康
[装備]煙管
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を楽しむ。聖杯自体には興味はない。
[備考]
※アーチャー陣営(百合香&エレオノーレ)と同盟を結びました
※彼は百合香へもともと惚れ込んでいる為、傾城反魂香の影響を受けていません。


 ◆


 「ほう。セイバーのサーヴァントか、貴様」
 「…………」

 その頃。
 院の中庭にて、二騎の英霊が静かに相対していた。
 クラスは双方三騎士格。セイバーとアーチャー。英霊としての格も、一級を通り越している。
 仮に彼らが本気で戦ったなら、この孤児院などあっという間に消し飛ぶだろう。

 「君は――」
 「アーチャー。真名は形式に従い、明かす訳にはいかんがね」

 赤髪をポニーテールに纏めた火傷顔の――いかにも"女傑"という形容が相応しい弓兵は紫煙を燻らせながら、言う。
 それに正面から向かい合うのは金髪の騎士だった。
 纏う英霊としての覇気は紛れもなく本物の騎士のそれ。弓兵、エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグをして疑う余地のない生粋の騎士。そして事実、その形容はこの上なく的を射ていた。

 彼の真名は騎士王、アーサー・ペンドラゴン。
 過去の彼方、ブリテンのアーサー王伝説として語り継がれる大英霊である。
 聖杯戦争の英霊として彼を呼び出したというのなら、そのマスターは余程幸運な人物に違いない。
 アーチャーは実力者だ。現世を離れて久しい身でこそあるが、かの『城』で毎日のように殺し合いを続けてきた。飽くなき闘争のグラズヘイムを生きた者――その研鑽は、伝説の騎士にすら決して劣るものではない。
 だからこそ分かる。このセイバーは強い。退屈極まる聖杯戦争にて、初めて出会った認めるに足る相手だった。

 「……さっき、此処を訪れた客人が居た。君は彼女のサーヴァントで相違ないか」
 「――――」

 アーチャーは答えない。だがその口端が、僅かに不快げに歪むのをセイバーは見取った。
 恐らく、彼女達の主従関係は良好ではないのだろう。尤も、このアーチャーのお眼鏡に敵う主君が果たして存在するのかどうか、そこからしてセイバーにすれば疑わしいものだったが。

 「無駄話は好かん。
  そう身構えずとも、すぐに消えるよ。元より気紛れに話しかけただけに過ぎん。だが、まあ」

 赤髪のアーチャーが、すっとその右手を翳す。
 その瞬間だった。
 彼女の背後に――膨大な魔力を秘めた、"何か"の質量を感じたのは。

 「あの日のベルリンのように、再度煉獄を演ずるのも悪くはないと思うがね」

 セイバーは躊躇わず、その剣を抜いた。
 先手を取らせてはならぬと、未来予測にも近い直感で断じたが故。
 抜き放った不可視の剣閃。それを辞儀が如く、赤きアーチャーが己の剣で止めていた。
 さりとて、流石に剣の領分では剣士のクラスで召喚されたセイバーに分がある。
 一触即発。
 互いに今こそ様子見、敵の行動を制するのみで済ませていたが――相手があと一度でも攻撃的行動に出れば、その瞬間に戦端を開く腹積もりだった。それはアーチャーのみならず、セイバーも同じだ。
 孤児院を戦場にする気はない。無論、開戦するなりすぐになるだけ此処から離れて戦うつもりでいる。

 「言ったろう、気紛れであると。少しは冗談を覚えた方が良い」

 剣を離し、アーチャーは笑った。
 今その剣を抜かぬのであれば、容赦なく"砲"の一射を見舞ってやる所だったが。

 「だが、次も顔合わせでは芸がない。その時は改めて、貴様の剣と相見えさせて貰うとしよう――」

 ――やはり、貴様は私と殺し合うに足る相手だ。
 不吉な言葉を残して、アーチャーのサーヴァントはセイバーの前から消失を果たした。

 強者であった、とセイバーは思う。
 額に浮いていた汗を拭えば、思い返すのはかの太陽王との戦いだ。
 今のアーチャーは、間違いなく奴クラスの難敵と見ていいだろう。
 敵に交戦の意思がなかったのは幸いだった。
 もしもやる気であったなら、その勝敗はどうあれ、この孤児院を守れた自信は――率直な所を言うと、ない。


 「……難儀な戦になりそうだ」


 セイバーは嘆息すると、再び霊体化して姿を消そうとする。
 しかし。院を飛び出すなり、中庭の彼へと駆け寄ってくる少女の姿があった。
 金髪に整った服装の可憐な彼女。見紛いようもない、セイバーのマスター、キーア。
 焦った表情で息を弾ませて駆け寄ってくる彼女の様子は、明らかに普通ではない。


 「どうしたんだい、キーア。院内で何か――」
 「マスターだったの」
 「……なに?」


 古手梨花という少女は、キーアにとっても不思議な人物だった。
 いつも明るく可愛らしいのに、ふと気が付くとどこか遠くを見るような目をしている。
 キーアは、梨花も自分を特殊な存在として見ていたことを知らない。
 同時に梨花も、キーアが自分などに注視しているとはまったく思っていなかった。
 彼女はあの奇妙な男と、聖杯戦争の参加者を名乗る少女と会話をしていた――ドウメイ、とか。そういう断片的な単語だけは聞き取ることが出来たし、それだけで根拠としては十分すぎた。

 「梨花が――マスターだったのよ」

 聖杯戦争に身を投ずる二人の幼い少女たち。
 それを取り巻く数奇な運命は、すでに枝分かれを始めていた。


【キーア@赫炎のインガノック-What a beautiful people-】
[令呪]三画
[状態]健康、混乱
[装備]なし
[道具]なし
[所持金]子供のお小遣い程度
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争からの脱出。
1:梨花が、マスター……?


【セイバー(アーサー・ペンドラゴン)@Fate/Prototype 蒼銀のフラグメンツ】
[状態]健康
[装備]風王結界
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:キーアを聖杯戦争より脱出させる。
1:赤髪のアーチャー(エレオノーレ)には最大限の警戒。


【アーチャー(エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ)@Dies irae】
[状態]健康、霊体化
[装備]なし
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:闘争を楽しむ
1:セイバー(アーサー・ペンドラゴン)は次に会った時、殺す


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001:夢見る魂 投下順 003:貪りし凶獣
時系列順

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000:封神演義 キーア 027:抽象風景
セイバー(アーサー・ペンドラゴン)
辰宮百合香 035:存在する必要のない存在
アーチャー(エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ) 020:焦熱世界・月光の剣
古手梨花 027:抽象風景
キャスター(壇狩摩)
最終更新:2020年05月03日 21:41