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小野寺 歩

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小野寺 歩

トリノオリンピック日本女子代表(チーム青森)のスキップ。
北海道北見市(旧:常呂町)出身
所属:青森県協会
体重47kg 身長155cm
78年11月25日生
常呂高−札幌学院大-チーム青森-北海道銀行
右利き
現姓:小笠原


 カーリング代表として2度目の五輪に挑戦する小野寺歩(27)。彼女をモデルにした映画「シムソンズ」も製作され、2月18日に公開される。
 ごく普通の中学生だった小野寺は、幼なじみとカーリングチーム「シムソンズ」を結成。札幌学院大学に進学した02年に見事ソルトレークシティー五輪出場を果たした。そして昨年11月、スキップ(主将)として国内最終予選で「チーム長野」との激闘を制し、2度目の五輪キップをもぎ取った。
 ただし、挫折と苦労の連続だった。前回ソルトレークシティー五輪は2勝7敗の8位で予選敗退。「緊張で何もできなかった」(本人)と屈辱だけが残った。しかも、地元の北海道常呂町に戻ったところ、「基幹産業は畜産とホタテ漁」(町役場)という過疎の町に若い女性の就職口はなかった。チームは解散し、「嫁にでも行こうか」と引退も考えたという。
 そんな時、青森市が市民の生涯学習の一環として専用カーリング場を造るという話を聞き、ソルトレークシティー五輪からの同僚の林弓枝(27)と2人で施設運営公社に就職した。

「身分が嘱託のため、給料は一般のOLさん以下。スポーツ専門員という肩書でコーチをしたり、スポーツ会館の受け付け業務をこなしています。海外遠征費などの捻出に資金がかかるため、爪に火をともすような生活をしているはず。お付き合いしている男性の噂も聞きません。普通の年頃の女性のようにワイワイ飲み屋で騒ぐような機会は少ないようですね」(青森市文化スポーツ振興公社の上司)
 青森市内のアパートにひとり暮らし。そんな彼女の苦労を見かねた青森県、市、地元商工会が先頭に立って、街頭募金で1000万円の遠征費用を集めてくれた。その資金をもとにチームのメンバー5人は9月から3カ月以上もカナダ・バンクーバーで合宿を張ることができた。もっか世界ランキングは8位だが、その合宿中の大会では昨年の世界選手権5位のロシアを下し、「隠れたメダル候補」(関係者)と評価は急上昇している。
「4年前の自分に勝ちたい。メダルを取って笑顔で日本に帰ってきます」
 映画のようなハッピーエンドは迎えられるのか。




 今大会で鮮烈な印象を与えたカーリング日本代表チーム。スキップ(主将)としてチームを引っ張ってきたのが小野寺歩である。試合の中では戦術を組み立て、「イエス!」「ウォー!」と声をかけ続けた。大会を終えて2日後。試合中の豊かな表情と同様、ときに笑い、ときに涙ぐみながら、激闘を振り返った。

──大会前半は調子が良くなさそうでした。3敗目のデンマーク戦後、涙も流した。
 「あの試合は自分のミスで負けました。日本を背負って五輪に出させてもらっているのに、自分のせいで日本に黒星をもたらしたのが本当に申し訳なかった」

──そこから立て直しました。
 「デンマーク戦後、林(弓枝)さんと投げる順番を変わりたいとコーチに提案したんです。そのとき応援団の方と話す機会がありました。『技術はもっているのだから思い切り行きなさい』と励まされて、すごく心に響いた。それでカナダ戦の前に『私がやりたい』とコーチにお願いしたら、チームメイトもこのままやってほしいと言ってくれました。それでカナダに勝てた」

──前回金メダルのイギリス、地元イタリアにも勝利。印象深かったのは、イタリア戦、同点で迎えた最終エンド、最後の一投。後攻にイタリアが控えるという厳しい局面の中、笑みを浮かべたことです。
 「なんで笑ったんですかね。自分はネガティブな性格なんですけど、投げるときに、ブーイングのような声があったんです。それまで自分のせいで負けていたこともあって絶対決めてやると思った。私が笑っていればみんなも安心してくれるという思いもありました」

──最終戦のスイス戦で敗れ、惜しくも予選敗退。この結果は。
 「残ってくれた親や応援団、知らない海外の人も応援してくれて……。メダルがどうしても欲しかったので、悔しさがありました」

──ソルトレイクに続く2度目の五輪。前回とは意気込みが違うように思いました。
 「ソルトレイクは出られるだけで嬉しかった。そのために甘さが出たのか、ミスばかりでした。終わったときに次の五輪はメダルを、納得のいくプレーをしようと思いました」

──メダルへの思いにあるものは。
 「カーリングはすごくマイナーなスポーツで、『あんなのスポーツじゃない』とか、中傷する話も耳にしていました。自分はプライドをもってカーリングをやっている。そう言われるのが悔しかった。それには五輪でアピールするしかない、メダルを取ってカーリングの魅力を知ってもらおう、歴史を作りたいと思って臨みました」

──カーリングは頭脳とともに、実は体力面もきつい競技ですよね。
 「見た目より全然ハードです。全身を使います。それに試合は2時間半以上。体力がなければ集中力も続かない。だから夏場は徹底的に体を鍛え上げます」

──これからのことは考えていますか。
 「この4年で私も変わりました。普段は変わらないですよ。ちゃらちゃらした人間で、精神年齢が若い(笑)。でも競技では、嫌われようが陰で何を言われようが構わない、勝つために必要なことを言い、厳しくもする。そういう心構えができました。みんないい子たちで、結果を残したいという私の思いを理解し、よくついてきてくれた。恵まれたと思います。……ソルトレイクが終わって4年間、五輪のことを考えない日は1日もありませんでした。この4年間を1週間のために費やしてきた。メダルを取れなかったことは悔しい気持ちもあります。一方で充実した4年だったとも思います。今はゆっくりしたい。そしてこれからどうするか考えたいです」





 あのままでは、終われない。終わらせたくない-。10日(日本時間11日)開幕するトリノ冬季五輪の日本カーリング代表のキャプテン・小野寺歩(27)は、ソルトレーク大会から4年間、ずっとこう思い続けてきた。試合終了から時間が止まったままだった。あの時間を再び、動かすために北海道から青森に拠点を移して、カーリングに打ち込んだ。そして再びつかんだ五輪の夢切符。チーム青森のスキップ(主将)として、日本の代表として世界へ挑む。4年間の思いを胸にトリノの氷の上へ立つ。「今度は勝負だ」

 4年前のソルトレーク大会。初戦アメリカ戦。日本の5点リードで迎えた第6エンド、日本の痛恨のミスショットで流れが変わり、試合をひっくり返された。その後、まさかの6連敗。予選敗退という現実。カーリングの怖さ、世界のレベルを目の当たりにした。

「もう一度目指そう」

 五輪に出場できた充実感はあった。マスコミにも大きく取り上げられ、もてはやされた。しかし、結果には満足できなかった。

 「カーリング専用施設を造っている青森市が、職員として誘ってくれている。青森でもう一度オリンピックを目指そう」

 ソルトレーク終了後、小野寺は、中学時代からのチームメートで、同じ北海道常呂町出身の林弓枝(27)を誘った。一度は引退も考えていた林は深くうなずいた。ソルトレーク大会のアメリカ戦で、痛恨のミスショットを放ったのは、その林だった。

 04年4月から青森市の臨時職員として働いた。体育施設の管理や運営。目立たない仕事をこなす日々。2人を、五輪選手と気付く人は多くなかった。

 スポットライトが当たらない心地よい“日陰の時間”。2人は休日、レンタカーで県内の温泉を巡り、ゆっくりと流れる時を楽しんだ。

 02年12月に完成したスポーツ会館でカーリングを指導しながら、子どもたちと触れ合い、カーリングの楽しさをあらためて味わった。そして、人間としての幅を広げていった。

 05年2月の日本選手権。チーム青森が優勝すれば、トリノ内定という試合で、格下のチーム長野に1点差で敗れた。

敗戦後は心を鬼に

 主将として責任感とプレッシャーを感じ、ピリピリとしていた小野寺。その敗戦からガラリと気持ちを切り替えた。「これまでの私はネガティブだった。これからは、気持ちだけでも前向きで行こう」

 キャプテンは時には、悪役にもなった。05年9月のカナダ合宿。チームの1人が精神的疲労から調子を落とした。小野寺は厳しく言った。「私たちは、勝つためにここにいるのよ」。嫌われてもいいと思った。 05年11月23日、トリノ代表を決める選考会の朝、小野寺はメンバー一人一人に手紙を渡した。その内容は明らかにされていない。ただ、その手紙でチームの心が一つになったのは確かだ。

 大学時代、教師になるのが夢だった小野寺。前々回の長野五輪の興奮に刺激を受けて、五輪を目指した。ソルトレークに出場することで、夢はかなった。2度目の夢の舞台は、自分が引っ張り、勝ち進んでいくステージだ。これまでの集大成をトリノで示そう-。小野寺はそう思う。

 日本の初戦は14日の対ロシア戦。



小野寺結婚 林とともに休養 (スポーツニッポン)
全国に“カーリング旋風”を巻き起こした女子日本代表「チーム青森」の5選手が21日、トリノ五輪の報告会を青森市内で開き、小野寺歩(27)と林弓枝(27)が出身地の北海道に戻って休養することを明らかにした。小野寺は近く結婚するという。
小野寺は「北海道で私を待っている人がいます。選手を続けるか指導や普及の道に進むか、はっきりしていません。今後もチーム青森は残る3選手たちが私たちが果たせなかった歴史をつくってくれると思います」と涙ながら話した。
林も「少し北海道に戻って自分の今後を考えたいと思います」と語った。
報告会は、東京など全国から約350人が集まり、会場は熱気に包まれた。舞台に設置されたスクリーンに、トリノ五輪の熱戦の模様が映し出されると会場からは拍手が起こり、目黒萌絵(21)は「イタリアは開催国で応援もすごく、相手選手たちの意気込みが伝わってきた。お互いに良い試合ができた」と語った。
青森商工会議所や県カーリング協会などで組織する後援会が主催。青森市から来た会社員の男性(34)は「今までテレビで応援していたが、間近に見て新鮮。トリノ五輪での活躍は青森県民として誇り高い」と話した。

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