敦賀 信人(つるが まこと)
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元カーリング日本代表。
1977年網走管内常呂町栄浦生まれ。
1998年長野五輪にて若干19歳にしてスキップ(主将)として日本代表を率いた。
準決勝進出をかけたアメリカ戦、4対4の同点のまま最終10エンドを迎え、先攻だった日本のラストショットは、世界レベルを超え世界トップレベルの評価さえ相応しいものであったが、続くアメリカもまた世界トップレベルのショットを決め、僅か3cmの差で準決勝進出を逃し、5位という結果を残した。
アメリカSomerville選手の投じたラストショットが止まる寸前、僅かに日本のストーンの内側に回り込みそうだと判断した敦賀選手の、後数cm滑り続けてくれと必死にスイープした姿は今でも忘れられず、敗退を決した時に流した彼の涙は、日本で始めてTVを通してカーリングの素晴らしさと感動を伝えたと言える。
ちなみにTV中継中、各選手に75%などとショット率という表示がされるが、これは「どれだけスキップの指示通りに投げられたか?」を1投ごとに評価し、その平均を表したものであり、競技役員が0% 25% 50% 75% 100%の5段階で評価をする。
0~100%の5段階が原則であるが、稀に125%(素晴らしい!) 150%(神業!)という評価をする場合があり、今回紹介したアメリカ戦10エンドのラストショットは、敦賀選手、Somerville選手ともに125%の評価を叩き出した。
1977年網走管内常呂町栄浦生まれ。
1998年長野五輪にて若干19歳にしてスキップ(主将)として日本代表を率いた。
準決勝進出をかけたアメリカ戦、4対4の同点のまま最終10エンドを迎え、先攻だった日本のラストショットは、世界レベルを超え世界トップレベルの評価さえ相応しいものであったが、続くアメリカもまた世界トップレベルのショットを決め、僅か3cmの差で準決勝進出を逃し、5位という結果を残した。
アメリカSomerville選手の投じたラストショットが止まる寸前、僅かに日本のストーンの内側に回り込みそうだと判断した敦賀選手の、後数cm滑り続けてくれと必死にスイープした姿は今でも忘れられず、敗退を決した時に流した彼の涙は、日本で始めてTVを通してカーリングの素晴らしさと感動を伝えたと言える。
ちなみにTV中継中、各選手に75%などとショット率という表示がされるが、これは「どれだけスキップの指示通りに投げられたか?」を1投ごとに評価し、その平均を表したものであり、競技役員が0% 25% 50% 75% 100%の5段階で評価をする。
0~100%の5段階が原則であるが、稀に125%(素晴らしい!) 150%(神業!)という評価をする場合があり、今回紹介したアメリカ戦10エンドのラストショットは、敦賀選手、Somerville選手ともに125%の評価を叩き出した。
2013年12月、ドイツで行われたソチ五輪最終予選では、NHKの解説として放送席から日本代表を見守り、女子代表の北海道銀行フォルティウス?の五輪出場がかかったプレーオフでは朝の4時までかけてお祝いのくす玉を作成しフォルティウスに渡した。