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1)本来の軽工業と土場式軽工業の違いについて 軽工業とは、容積の割合に比べて重量の軽いものを生産する工業である。 主に繊維・食料品・雑貨・窯業・木材加工・食品加工・製紙・印刷などで、主に生活資材に属す財貨を生産する。 高度な技術や大きな資本を必要としないことから、小規模経営が可能であるが、 土場はあえて、大規模工場を建設による軽工業の国家的推進を行うことに踏み切った。 重農政策によりあまった労働力の吸収先という目的はあったが、それよりも 経済グループという大きなくくりを手に入れた現在 小規模な工場では、国際化という大きな波に太刀打ちできないことは自明の理だったからである。 規模の経済がうまく回るためにも、需要を読み、最大の生産を行うことが重要なことであった。 また、前ターンで都築藩国が得た、帝國環状線、合併によって得るであろう共和国環状線も この政策を後押しする上で役に立った。 ※規模の経済とは モノを生産する上には固定費と変動費がある。 固定費は土地や、機械などにかかる資金で、どれだけモノを生産しても 一定である。 大量生産することである程度まではコストを下げられるということ。 2)技術の開発と二種類の工業形態 売れる商品を大量に販路にのせる作戦と書いたが 実際「どの商品が売れるか」というのはわからない。 最初のうちは消費者は安いほうがいいと思うが、全体として 消費者が豊かになってくれば、いずれ細分化された市場となることも 予想されていた。 部品の共有化、知的財産の確保、新技術の開発などやるべきことは多く、 工業化を行いながらも、次の課題が見えている状況であった。 各課題への取り組みは後述する。 彼らは大きく「大規模(国営)工場」「小規模(町)工場」という2種類の工業形態を 作り出すことにした。 国営(大規模)工場は書いて字のごとく国営であり、大量生産を担う。 基本的に自ら開発も行うが、ラインごとに生産管理されている。 後に、国営工場への技術供与により多額の資金を得た街工場が 大規模な工場を建てて生産に踏み切ることを容認したため、 小規模/大規模工場という区分けにされた。 布製品を例として取り上げてみる。 紡績つまり糸の段階では、大規模工場で仕上げる。 その糸を各小規模工場に売り渡し、その小規模工場で各工場が オリジナルの加工をほどこし、各マーケットに応じた商品として販売されていくのである。 3)大規模工場の役割 輸出用の製品の生産及び大規模雇用の要となる場所である。 学園都市トリニティとの研究開発の橋渡しともなり、小規模工場では 簡単に導入できない技術などを真っ先に導入。 活用試験などを行い小規模工場へデータの公開を積極的に行った。 また共通化された部分を大量生産し、安価で小規模工場に売却。 細分化された市場に対応するように努めた。 4)小規模工場の役割 小規模工場では、細分化された市場に対応すべく、顧客のニーズにあった 生産が行われた。 また国からの援助を受け独自に技術を開発する専門部署があり、 既存の技術の発展や、新技術の開発を行うものも数多くあった。 主要な開発を手がけることが確定すると予算とともに 学園都市トリニティの開発室が与えられ、毎月の報告と同時に 補助金が支給されるなど優遇政策が採られた。 開発した技術の権利は本人がもてるが一定期間は 国が技術を借り受け。大量に売れた場合は報酬が支払われる ことになった。 5)技術立国について 根幹技術や国家プロジェクトに関連する技術については 権利の保護に努めると宣言。 国の基本的な技術は特許権や、ビジネスモデル特許などを 積極的に取り入れることとなった。 6)女性の社会進出の増強 元々女性優位の国家であったが、今までの藩国産業が農業や 戦闘など、体力のいるものが多かったため、女性が社会進出できる機会は きわめて少なかった。 有能な女性であれば、社会にでて輝けるといってはいるが実際のところ 戦闘において有能である、女性のみが脚光をあびるシステムであったといえる。 軽工業の発展は、この流れを大きく変えることとなるであろう。 軽工業においては女性のしなやかさ、豊かな発想。生活に根ざしたアイデアなどが 優遇される局面が多々ある。 紡績工場の女工の出身のファッションデザイナーで、いまや土場で一ブランドを 築いた女性などは、この最たる例といえる。 #ref(軽工業.jpg) #ref(軽工業2.jpg) 彼女は紡績工場で出たあまり布や、B級品の布を使い、安くて丈夫な作業服を 作る小さな町工場からはじめ、 現在では大きな大規模工場を作り上げる身となった。 今も女性の仕事着に対して安くて丈夫な布から 動きやすく美しいフォルムを持つ服を作るというテーマで 革新的な技術を今も提供し続けている。 7)労働環境 重農政策以降、この軽工業の勃興まで首脳部最もが懸念したのが、 産業の急激な発展による労働環境の悪化である。 前述の女性の社会進出もだが、熱心に働くものほど搾取されるという 状況ではなく、働けば働くほど豊かになるのだが、一定の歯止めをかけるようにと 言っている。 強制労働・児童労働・奴隷使用を禁止し、 労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための 必要を充たすべきものでなければならない、として、最低賃金を定めた。 これは福祉として与えられる生活保護資金よりは高く設定されている。 さらに、労働者の人種、信条又は社会的身分を理由として、 賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならないとし 移民差別や、経済グループ内部での人の取扱について厳しく定めた。 また同一業務に関しては同一賃金を支払うように定め、特定の移民に対して しわよせがこないようにも努めるよう宣言している。 労働時間について 一月に180時間までは通常勤務(1日の最高は9時間、月の出勤日数20日で計算)とし それ以上働く場合は、超過勤務とし賃金の2割5分以上5割以下の範囲内で 計算した割増賃金を支払わなければならないとした。 またその超過勤務も一月に90時間を越えてはいけないと定めた。 **FAREの軽工業レポート  フェザーワルツを始めとして一部重工業はあれど、土場藩国内の大部分はこの有り余る農業が占めていた。これは土場藩国の採った重農政策による影響が大きいと言われている。すでに一国の持つ分量をはるかにこえて生産される農作物は農村部の労働力あまりを引き起こし、それらの人々が都市部に流入し、貧民層が生まれた。 そんな土場藩国に新しい流れの萌芽が見られた。  それはながみ藩国の食料が再度輝きを取り戻した頃のことだった。予測されていた結果は農業立国として成り立つ土場藩国への打撃。だがしかしその時点において、すでに土場藩国はもう一歩抜きんでたともいえる。  つまりは先を見越しての農業立国よりの脱却である。  1.食料をレムーリアに回すことで大量の食料を消化して大量の資源を得る、  2.工業向けの各種農産物への転換推奨政策を織り交ぜ農業全体の新たな使用用途を生み出す。    表にこそ出てこないがこの部分が軽工業の目覚しい発展に寄与したのは言うまでもない。  特に被服部門でその傾向は顕著である。経済グループ内では土場藩国発のアパレルメーカーの席巻と言う形で顕著に表れている。これは既存の枠にとらわれない自由な発想と素材に関する無茶を許容する工業力がその原動力であることは想像に難くないだろう。  国内はおろか経済グループ内、帝國環状線圏内より取り寄せられる様々な素材より作り出される土場の素材。  これらは帝國に供給してもなお過剰にも思える土場藩国の農業事情を改善するのだろうか。
1)本来の軽工業と土場式軽工業の違いについて 軽工業とは、容積の割合に比べて重量の軽いものを生産する工業である。 主に繊維・食料品・雑貨・窯業・木材加工・食品加工・製紙・印刷などで、主に生活資材に属す財貨を生産する。 高度な技術や大きな資本を必要としないことから、小規模経営が可能であるが、 土場はあえて、大規模工場を建設による軽工業の国家的推進を行うことに踏み切った。 重農政策によりあまった労働力の吸収先という目的はあったが、それよりも 経済グループという大きなくくりを手に入れた現在 小規模な工場では、国際化という大きな波に太刀打ちできないことは自明の理だったからである。 規模の経済がうまく回るためにも、需要を読み、最大の生産を行うことが重要なことであった。 また、前ターンで都築藩国が得た、帝國環状線、合併によって得るであろう共和国環状線も この政策を後押しする上で役に立った。 ※規模の経済とは モノを生産する上には固定費と変動費がある。 固定費は土地や、機械などにかかる資金で、どれだけモノを生産しても 一定である。 大量生産することである程度まではコストを下げられるということ。 2)技術の開発と二種類の工業形態 売れる商品を大量に販路にのせる作戦と書いたが 実際「どの商品が売れるか」というのはわからない。 最初のうちは消費者は安いほうがいいと思うが、全体として 消費者が豊かになってくれば、いずれ細分化された市場となることも 予想されていた。 部品の共有化、知的財産の確保、新技術の開発などやるべきことは多く、 工業化を行いながらも、次の課題が見えている状況であった。 各課題への取り組みは後述する。 彼らは大きく「大規模(国営)工場」「小規模(町)工場」という2種類の工業形態を 作り出すことにした。 国営(大規模)工場は書いて字のごとく国営であり、大量生産を担う。 基本的に自ら開発も行うが、ラインごとに生産管理されている。 後に、国営工場への技術供与により多額の資金を得た街工場が 大規模な工場を建てて生産に踏み切ることを容認したため、 小規模/大規模工場という区分けにされた。 布製品を例として取り上げてみる。 紡績つまり糸の段階では、大規模工場で仕上げる。 その糸を各小規模工場に売り渡し、その小規模工場で各工場が オリジナルの加工をほどこし、各マーケットに応じた商品として販売されていくのである。 3)大規模工場の役割 輸出用の製品の生産及び大規模雇用の要となる場所である。 学園都市トリニティとの研究開発の橋渡しともなり、小規模工場では 簡単に導入できない技術などを真っ先に導入。 活用試験などを行い小規模工場へデータの公開を積極的に行った。 また共通化された部分を大量生産し、安価で小規模工場に売却。 細分化された市場に対応するように努めた。 #ref(1112.jpg) 4)小規模工場の役割 小規模工場では、細分化された市場に対応すべく、顧客のニーズにあった 生産が行われた。 また国からの援助を受け独自に技術を開発する専門部署があり、 既存の技術の発展や、新技術の開発を行うものも数多くあった。 主要な開発を手がけることが確定すると予算とともに 学園都市トリニティの開発室が与えられ、毎月の報告と同時に 補助金が支給されるなど優遇政策が採られた。 開発した技術の権利は本人がもてるが一定期間は 国が技術を借り受け。大量に売れた場合は報酬が支払われる ことになった。 5)技術立国について 根幹技術や国家プロジェクトに関連する技術については 権利の保護に努めると宣言。 国の基本的な技術は特許権や、ビジネスモデル特許などを 積極的に取り入れることとなった。 6)女性の社会進出の増強 元々女性優位の国家であったが、今までの藩国産業が農業や 戦闘など、体力のいるものが多かったため、女性が社会進出できる機会は きわめて少なかった。 有能な女性であれば、社会にでて輝けるといってはいるが実際のところ 戦闘において有能である、女性のみが脚光をあびるシステムであったといえる。 軽工業の発展は、この流れを大きく変えることとなるであろう。 軽工業においては女性のしなやかさ、豊かな発想。生活に根ざしたアイデアなどが 優遇される局面が多々ある。 紡績工場の女工の出身のファッションデザイナーで、いまや土場で一ブランドを 築いた女性などは、この最たる例といえる。 #ref(軽工業.jpg) #ref(軽工業2.jpg) 彼女は紡績工場で出たあまり布や、B級品の布を使い、安くて丈夫な作業服を 作る小さな町工場からはじめ、 現在では大きな大規模工場を作り上げる身となった。 今も女性の仕事着に対して安くて丈夫な布から 動きやすく美しいフォルムを持つ服を作るというテーマで 革新的な技術を今も提供し続けている。 7)労働環境 重農政策以降、この軽工業の勃興まで首脳部最もが懸念したのが、 産業の急激な発展による労働環境の悪化である。 前述の女性の社会進出もだが、熱心に働くものほど搾取されるという 状況ではなく、働けば働くほど豊かになるのだが、一定の歯止めをかけるようにと 言っている。 強制労働・児童労働・奴隷使用を禁止し、 労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための 必要を充たすべきものでなければならない、として、最低賃金を定めた。 これは福祉として与えられる生活保護資金よりは高く設定されている。 さらに、労働者の人種、信条又は社会的身分を理由として、 賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならないとし 移民差別や、経済グループ内部での人の取扱について厳しく定めた。 また同一業務に関しては同一賃金を支払うように定め、特定の移民に対して しわよせがこないようにも努めるよう宣言している。 労働時間について 一月に180時間までは通常勤務(1日の最高は9時間、月の出勤日数20日で計算)とし それ以上働く場合は、超過勤務とし賃金の2割5分以上5割以下の範囲内で 計算した割増賃金を支払わなければならないとした。 またその超過勤務も一月に90時間を越えてはいけないと定めた。 **FAREの軽工業レポート  フェザーワルツを始めとして一部重工業はあれど、土場藩国内の大部分はこの有り余る農業が占めていた。これは土場藩国の採った重農政策による影響が大きいと言われている。すでに一国の持つ分量をはるかにこえて生産される農作物は農村部の労働力あまりを引き起こし、それらの人々が都市部に流入し、貧民層が生まれた。 そんな土場藩国に新しい流れの萌芽が見られた。  それはながみ藩国の食料が再度輝きを取り戻した頃のことだった。予測されていた結果は農業立国として成り立つ土場藩国への打撃。だがしかしその時点において、すでに土場藩国はもう一歩抜きんでたともいえる。  つまりは先を見越しての農業立国よりの脱却である。  1.食料をレムーリアに回すことで大量の食料を消化して大量の資源を得る、  2.工業向けの各種農産物への転換推奨政策を織り交ぜ農業全体の新たな使用用途を生み出す。    表にこそ出てこないがこの部分が軽工業の目覚しい発展に寄与したのは言うまでもない。  特に被服部門でその傾向は顕著である。経済グループ内では土場藩国発のアパレルメーカーの席巻と言う形で顕著に表れている。これは既存の枠にとらわれない自由な発想と素材に関する無茶を許容する工業力がその原動力であることは想像に難くないだろう。  国内はおろか経済グループ内、帝國環状線圏内より取り寄せられる様々な素材より作り出される土場の素材。  これらは帝國に供給してもなお過剰にも思える土場藩国の農業事情を改善するのだろうか。

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