【理科室エリア】その1「虎の墓標」
虎は血に塗れ地に沈み、龍はその場に立ち尽くす。
虎は満足いく死を迎えたのだろうか。
龍は次の虎を求め歩き出す。
鈴の音は聞こえない。
語らねばなるまい。虎が死に龍が生き残った理科室の戦いを。
《タイガー!》
『あなたは今、どんな状況ですか?』
「お昼休みデース!」
昼休みうたた寝していたシシリーにお告げが届いたぞ!普通ならsan値ピンチな状況だが、覚悟ガンギマリだから情報アドを得ただけだ!ヤッタ!
「クマさんが本当に居るなら是非会って見たいデース!私の龍かも知れないデース!」
そんな独り言をしていると、教室の扉が開かれ元気いっぱいの少女が勢いよく入って来た。
「シシリーさーん!隣のクラスに凄い子が出現したみたいですよー!」
「ワッツ!?グリーン、見に行くデース!」
「がってんです!」
情報通の友人グリーンと共にシシリーは教室を抜け出す。そこに龍がいるかも知れんから!
《虎》
「ここの理科室ですよ!うちの学校は理科と家庭科の授業が四限目だと、そこでお昼休みするから今ならきっとお弁当タイムですよ!」
「ありがとう。君は放送室か職員室に行って避難を呼びかけてくれ」
「ちょんわ!いつの間にかシシリーさんが変態に入れ替わってます!先生ー!」
チア衣装で横に立つウンタラを見て少女は悲鳴を上げ走り去っていった。
「思っていた反応と違うが、結果が一緒ならいいだろう。俺は虎。だが、今日のショーは見世物にするには危険過ぎる」
ウンタラは既に理科室内の惨劇を予感していた。扉越しでも分かる血の匂い。かつて、戦場で体験した匂いだ。
「さて、そこにいるのは龍か?蛇か?あるいは」
理科室の扉を開く。そこには、数十人の生徒と教師の死体、そして死体を骨ごと齧る真紅の熊。夢の中で警告された怪異、イオマンテそのものだった。
この理科室の状況は奇妙だ。いくら何でも一頭の熊にこれだけの犠牲が出て今迄外部に気付かれないものだろうか。誰も助けを求めなかったのか?だが、今のウンタラはそんな事を気にしてはいられなかった。
「夢にまで見た勝負とは正にこの事だな」
ぱぁん
イオマンテの元々赤かった腹部がさらに赤く染まる。しかし、痛がるでも怒り狂うでも無くイオマンテは食事を中断し立ち上がり、次の獲物であるウンタラへと歩みだす。
「やはり、女子供でも扱えるサイズではゴング代わりにしかならんか」
最後の一発を使い切り不要になった拳銃を床に捨て、ウンタラはボクシングスタイルに構える。
「来い。ラウンド1だ」
しゃんしゃんしゃんしゃん
構えたポンポンから鈴の音を響かせながら、前に出て左ジャブを散らす。
当然ダメージは無い。イオマンテの体重500kg、対してウンタラの現在の体重71kg。実に体重差429kg。一階級差3kgとしたら、143階級差が存在する事になる。たとえ世界を獲ったパンチだろうと、この体重差では『自分からの打撃では』ダメージは通らない。
殴られた部位と銃弾が当たった腹部を描きながらイオマンテは失望していた。
くだわない。
奇妙な雰囲気にもしかしてと思ったか、こいつも今まで食ってきた人間と同じ。人間の使う武術という奴だろうが、この威力ならスズメバチの方がまだキョウイだ。
鈴を鳴らし自信たっぷりに歩んで来たウンタラを見て、かつてのアイヌ人達の様な誇り高い狩人かと僅かに期待したが、ただの実力差を理解しない愚者だった。己を見ても動揺せず、正面から来たその勇気に免じて、一撃で終わらせようと男の脳天に腕を振り下ろす。
しゃん
イオマンテの拳は空を切り、それと同時にウンタラの右ストレートが鳩尾に刺さる。その一撃により、イオマンテは蜂に刺された時の様な痛みを覚えた。
クロスカウンターである。相手のを紙一重で回避しながら、進行方向に拳を置く。イオマンテは自らの突進力をそのまま鳩尾に受けたのだ。
しゃんしゃんしゃんしゃん
右から来たら左、左から来たら右、イオマンテのパンチを十分引き付けてカウンターを成功させ続ける。イオマンテはウンタラの評価を餌から獲物へと上げ、同時に調子乗るなという怒りが込み上げてくる。
右を撃っても左を撃っても当たらないなら、次はこうだ。イオマンテは腕を鞭の様に振るい薙ぎ払う。それは自然界においては当然の選択だが、ボクサー相手には間違いだった。
「待っていたぞ。そのテレフォンパンチを」
イオマンテの横薙ぎのパンチが放たれたた瞬間、ウンタラの姿が消えた。いや、消えたのでは無い。イオマンテの腕の振りに合わせてダッキングし、背後へと回り込んだのだ。そして、イオマンテの背中を素早く駆け上がり首に腕を回す。ウンタラはヒグマの最速攻略法を実践しようとしていた。そう、あの有名なヤフーでググって出てくる奴だ。
【ヤフーでググって出てきたヒグマの倒し方】
1.ヒグマが立ち上がり攻撃してくるのを待つ。
2.ヒグマの素人丸出しのテレフォンパンチをダッキングで回避する。
3.素早く背後に周り、背中をよじ登る。
4.首に両手を回し、チョークを極める。←今ココ
5.熊は手足が短いから自分の背中を攻撃出来ず、締め技には体格も無意味。
6.野生の動物は前方に倒れるので、失神させても押し潰されない。
「グハッ!」
苦痛に顔を歪めたのはウンタラの方だった。チョークが入ったと思った瞬間、イオマンテの背中からエゾシカの角が伸び、ウンタラの脇腹を貫いたのだ。
ウンタラの戦術は相手が本物のヒグマなら成功していたかもしれない。だが、イオマンテは動物霊の集合体。必要ならば他の動物の姿にもなれるし、この様にエゾシカの角を背中に生やしヒグマの弱点である背中をカバーする事も出来る。
「致命傷ではない」
ウンタラは冷静に自分が受けたダメージを確認する。
「だが、暫くは回避に専念した方が良いな。まだ、実力を隠しているかもしれん」
《 》
「と、言うわけでこっからはミーが相手になるデース!」
ウンタラは机の影に隠れると、ミドル級の見た目のまま、口調と動きだけシシリーになって飛び出した。
「ヘーイ、プリティベアさんカモーン!ミーは簡単には捕まらないデース!」
しゃんしゃんしゃんしゃん
スカートを捲り尻を振る元世界王者(31)。それをジト目で見るイオマンテ。
「…ワット?」
ここでようやく、自分が変身出来てない事にウンタラは気付く。
「ノー!減量の仕方ド忘れしたデース!」
原因は先程の負傷。イオマンテが持つ忘却の力はエゾシカの角にもしっかり宿っていたのだ。イオマンテと戦うなら忘れる事に注意と夢のお告げがあったが、それすらも忘れていた。
《虎》
「すまない、今のは忘れてくれ」
イオマンテの返答はドロップキックだった。ヒグマはドロップキックを使わないと選択肢から除外していたウンタラは、この邪神ちゃんドロップキックへの対処に遅れる。
「間に合わん!ならせめて―」
玉が潰れる音と骨が折れる音が理科室に響く。咄嗟のスウェーで直撃は避けたが、重力に引かれ落下したイオマンテの両足はウンタラの股間に着弾した。
「ウアアアアー!龍よ龍よお前は今そこに立っているのか。俺は立てない。性転換を拒否した事を後悔し虎は地に伏せエェッ!!!」
ウンタラは床にダウンし、股間を押さえ激痛に苦しみ転がる。闘志を保つ為に必死で得意の虎ポエムを詠むが、ダメージが深刻故に立ち上がれない。
そして、当然イオマンテの忘却能力は足の爪にも存在する。ウンタラはここからさらに忘却による不利を強いられる。
「龍よ虎よ…いや、虎ってなんだ?俺は何でわざわざ危険な場所に」
ウンタラが失ったのは戦いの動機。己のベストを尽くし、満足な戦いにより死にたいという覚悟。
「俺は一体何をやっているんだ!人類最強としてテレビでチヤホヤされて満足してれば良かったじゃないか!嫌だぁ、死にたくない!」
先程までとは打って変わって弱腰になったウンタラは膝立ちの姿勢でイオマンテの方を向き、卑屈な笑みを浮かべ懇願する。
「ゆ、許して下さい。俺はちょっと調子に乗っていただけなんです。もう、あんたの食事邪魔しません。直ぐここを出ていきますから、どうか見逃して」
イオマンテは、深くため息を吐いてから拳を振るう。それは誇りを失った相手への介錯の様にも見えた。
しゃん
血に染まったポンポンが力無く床に落ちた。
その血はイオマンテの右手から吹き出したものだった。
「驚いたかクマ吉ぃ?」
ウンタラはゆっくりと立ち上がり、ポンポンの外れた右手を見せ付ける。その手にはエゾシカの角が握られていた。
「さっきテメェがドロップキックした時に背中のをへし折ってポンポンに隠しておいたのさ」
ウンタラは忘れてしまった。積み上げた勝利の果てに死に場所を求める境地に至った事を。今の彼は、手段を選ばず強敵を殴り倒す事を生き甲斐とする、
《龍》
ウンタラの全身が一瞬で膨張し、黒光りする筋肉に包まれた。ステロイドで作った不自然な肉体。これはウンタラのヘビー級時の見た目だ。
二十代で全階級を制覇した男、そんなものが居るとすれば本来はこういう品性下劣で勝つために手段を選ばない奴に決まっている。ある時は挑戦を拒む他階級のチャンピオンの家族を人質にとり、ある時は男色家のスポンサーに身体を売りタイトルマッチを組ませた。その後、ボクシング界で出来る事全部やってしまった彼は後悔し心を入れ替え今の人格となったのだが、イオマンテのせいで身も心もヘビー級の頃のウンタラが帰って来てしまった。
「俺は龍!各階級でお山の大将やっていたザコ虎どもを食い殺してきた龍!クマ吉、てめーも俺から見ればスーパーヘビー級の虎に過ぎん!」
これはまずい。イオマンテはそう感じた。ウンタラがまだ戦えそうな事も、見た目が大きく変わった事もそうだが、一番まずいのはウンタラが右手に持ったままのエゾシカの角だ。
イオマンテは実体を伴う怨念の集合体である。そして、エゾヒグマと同等の防御力と体力を持ち合わせているが、それ以上の耐性は持っていない。だから、エゾシカの角は刺さるし、忘却の効果も多分通用する。もし、人間への恨みを忘れてしまったら、その時点でイオマンテは消滅してしまうだろう。イオマンテの能力こそがイオマンテの最大の弱点なのである。
「しゃあっ、いくぞクマ吉!」
しゃんしゃんしゃんしゃん
ウンタラはエゾシカの角の根本にポンポンを括り付けナイフの様に振るう。この角に秘められた力がある事は知らないが、ドラゴンを倒すドラゴンキラーはドラゴンの角から作るし、何かイオマンテ嫌がってるし、とりまやったれの精神で振るっていた。
イオマンテはその攻撃を敢えて受けた。こいつからの攻撃は避けるのが難しい。しかし、忘却の効果は一時的なもの。ならば、人間への恨みとこいつを倒す事以外は忘れても良い。
ウンタラは精神的には絶好だが、深手を負っているのは確かだ。そして、ヘビー級への増量でフットワークもミドル級の時より見劣りする。イオマンテは待った。自分を維持するのに必須の記憶以外が消えていくのを耐えながら、必ず現れる隙を待った。
「ぷはっ!」
ウンタラが大きく息継ぎをしたのに合わせ、ここぞとばかりにイオマンテの拳が唸る。
「待ってたぜ!その素人丸出しのビチグソパンチをよぉ!」
ウンタラはダッキングでパンチを掻い潜り、イオマンテの背後に回る。数分前の攻防の再現となった。だが、これこそがイオマンテの狙い。そこに移動する事が分かっていればパンチを置く事ができる。
「ぐぎゃ!?」
イオマンテ渾身のエゾヒグマ裏拳がウンタラの顔面に直撃。この戦いで初めてのクリーンヒットとなった。はずだった。
「いってえなゴラァ!」
ウンタラはヘッドスリップで裏拳を受け流し、首が千切れる程のダメージを頬骨と鼻骨の骨折に軽減していた。
「味な事しやがって、ボクシング王者舐めんな!」
しゃん
ウンタラはエゾシカの角をイオマンテの尻に根本まで突っ込んだ。ポンポンが付いているせいでピンク色のカワイイ尻尾が生えた様なファンシーさだが、イオマンテ本人からしたらたまったもんじゃ無かった。
「クマー!?」
この戦い初めての明確なダメージ。イオマンテは反射的に四つん這いになり走り出した。けつあな確定の瞬間、人間への怨念の急減少と生存本能の刺激が同時に発動。この場からの一時撤退を選択した。
しゃんしゃんしゃんしゃん
尻から鈴の音を鳴らしながらイオマンテは全力で走り出し、足元の死体を踏んづけて転び薬品棚に頭から突っ込んだ。
「クマー!!」
棚から落下した塩酸を頭から被り絶叫するイオマンテ。
「待てやクマ吉!」
しゃんしゃんしゃんしゃん
今がチャンスと判断したウンタラがイオマンテの後を追い走り出し、足元の死体を踏んづけて転倒し隣の薬品棚に頭から突っ込んだ。
「ギャァァァー!」
棚から落下した水酸化ナトリウムを頭から被って絶叫するウンタラ。
「中和!中和!」
「クマクマクマ!」
互いの頭を擦り合わせて、必死に酸とアルカリを中和する一人と一頭。無事化学反応が起こり、塩酸と水酸化ナトリウムは混ざり食塩水になった。食塩水は人体には無害だ。
「クマー!!」
霊体には有害だ。
「まだ痛えー!」
傷口にも染みる。だが、イオマンテの状況よりはまだマシなウンタラは、この戦闘に決着をつける為に動く余裕があった。理科室の机に備え付けられているガスの元栓を捻り、顔と尻の痛みにもがき苦しみ続けるイオマンテの口にガスホースの先端を向けた。
「地獄で会おうぜベイビー」
ウンタラは拳銃を床から拾い上げ、ガスホースと銃口をイオマンテの口の中にねじ込み引き金を引いた。
弾は発射されず、空撃ちの音が虚しく響いた。
「誰だよ!最後の一発使っちまったの!」
「クマッ!」
「俺か!」
ウンタラ痛恨のミス。慌ててイオマンテの口から両手を引き抜くが、右手の人差し指と中指が無くなっていた。
「喰われたぁぁぁ!!」
ウンタラは後ずさりして死体を踏み転び、さっきとは別の棚に激突。複数のアルコールランプが頭にポコポコ当たった。
「チャンス到来!」
アルコールランプが保管してある棚ならほぼ間違いなくマッチもこの棚にあるはずた。その読みは当たり、引き出しを開けるとマッチが容易く見つかった。
「後はこのマッチに火をつけてクマ吉の口に…クソっ何故火がつかねえ!」
右手の指が二本無くなっている事を忘れてしまった事と焦りから中々うまく行かない。モタモタしていると、食塩水のダメージから復帰したイオマンテが目の前に現れた。
「あっ」
イオマンテの人間への恨みはこの時点で九割消えていたが、現在進行系でウンタラ個人への恨みがチャージされており、それにより実体を保っていた。この後消失するにしても、こいつは確実に殺す。そんな恨みを込めた一撃を避ける力はもうウンタラには残っていない。
今のウンタラに出来るのは、イオマンテのパンチに合わせてマッチを差し出すぐらいだった。
ウンタラの右手の手首が曲ってはいけない方向に曲がり、それと同時にマッチに点火。その火がイオマンテの爪に燃え移った。
「あっ」
動物は本能的に火を恐れる。故にイオマンテは爪についた火を最速で消す行為を反射的に行った。火がついた手を自分の口に突っ込んたのである。ガスホースがまだ口の中にあるのは忘れて。
「あっ」
○ウンタラーイオマンテ●
(4ラウンド二分三十秒、バカガズ爆発)
《虎》
「やってしまった…」
性格と体格が標準に戻ったウンタラは、相手への暴言やヘビー級最強を掲げた事を凄く反省した。
頭の上半分が吹き飛んで床に倒れているイオマンテに一礼すると、傍に落ちていたポンポンを回収し、音を立てない様にそっと理科室を出る。廊下に誰も来ていない事を確認すると、マッチでアルコールランプに火をつけて理科室の中に放り投げた。
暫くして背後に響く大爆発の音。ウンタラは振り返る事無く歩き続ける。
「虎よ虎よ名も知らぬ古き虎よ、私は貴方にとって正しく龍であったでしょうか?貴方の最後の戦いが満足いくものだった事を願います。何故なら、私ももうすぐ虎として龍に倒されるから」
あの熊は自分と同じく強敵を求めてここに来た。だから、あの戦いでの死は本望だった。そう自分に言い聞かせる。そうしないと、ウンタラは前に進めなかった。
「死にたい」
《タイガー!》
翌日!そこには、全身包帯グルグル巻きのシシリーちゃんが教室にいた!
「グッドモーニング!何か昨日理科室で爆発あったみたいデースね?ミーは行ってないから知らんけど!」
「おはようございます!シシリーさんが今日も元気で何よりです!」
「これが元気に見えるとか頭おかしいデース!」
シシリーは右手がほとんど動かせないわ、生殖機男女判別不能なレベルで潰れてるわ、足の骨ヒビ入ってるわ、一言で言って酷え状態だ!
「生きてそこにいれば元気、それが私の元気判断ラインです!シシリーさん!連続出現日数更新目指して頑張ってください!ではっ、私は他の友人にも挨拶しにいかなきゃなのでこれにて!とおーっ!」
「グリーンは相変わらずデース」
ため息をつかさながら、次の戦いはちゃんとしようと心に誓うシシリーだった。
最終更新:2022年10月16日 20:24