【宿直室】その2「とぐろねぐろ」
窓の外へ目を向けると、貝紫の雲が夜の気配で重く湿っていた。
わずかな夕の熾火は地平線の向こう、向こうへと片づけられている。
慌てて手にしていたクマグスの文庫本を棚へ戻し、急ぎ足で図書室を後にする。
板張りの床をローファーが叩く音、一人分。
学校司書の姿は部屋に無かった。
姫代学園は中学校、高等学校の併設された中高一貫の女子校で、国内では珍しい学園寮が大きな特徴だ。
寮が学舎と隣接しているため、生徒達は登下校の時間と危険に煩わされず、遅くまで勉強や部活動に勤しむことができるという理由もあり、毎年様々な分野の秀才を輩出している。
ここでは図書室のような学内施設も中等教育施設としては珍しく夜遅くまで開かれている。
利用者としてはありがたいことだが、管理者側は勤務時間が延びることがあまり望ましくない。
そのため、学校司書は利用者の少ない時間帯には席を外すことが許されていた。
小走りで廊下を駆けながら、私——榑橿——は頭を抱えた。
私は寮住まいではない。
なので当然、自宅まで夜道を歩かなくてはいけない。
うら若き乙女が混み合った電車や、下品な照明の商業施設が立ち並ぶ夜の町を歩くことを大人達は望まない。
大目玉は確実。
寮生ならばこの時間まで学校に居ても許されるが、それは入学日や授業料の他に特別施設利用料を徴収されているが故だ。
後日我が家には請求書等諸々の書類を入れた封筒が届き、親に小言を聞かされることは覚悟しないといけない。
憂鬱だ。
憂鬱なり。
どうせ少額の出費にしかならないのだから下校時に窓口で支払わせて欲しいが、でそれができない理由もあるのだろうなあ、と推測してしまう。
後日注意を受けることを考えて気分は沈み切っている。
私は今、家に帰るという行為それ自体を忌み嫌っていた。
どうせ今日帰るのが遅くなった理由を話しただけでもボーっとしてるからだとか、周囲を気にしてないからだとか、生まれついての性格を責められるしそれを請求書が来た後にまた繰り返されると思うともう、ね。
しかしこのブルーな気分を一時的に紛らわせる妙案が突如頭に浮かんだ。
もういっそのこと夜の学校を少し探検してから帰ろう。
普段ならば見られない貴重な夜の学校の姿をまじまじと、どうせならば美術館に行くぐらいの気分で眺めまわしてやる。
図書館や部活棟、体育館等一部施設を除けば校内の照明は落とされ、薄闇が空気を満たしている。
時折窓の外から差し込む遠い街灯やグラウンドのナイター照明の光が差し込み、そこだけに酸素が残された宇宙空間に投げ出されたかのようだった。
(学校の七不思議のようなものを期待していたが、美術室も音楽室も理科室も閉まっていて面白くないなあ)
教室の黒板や机の様子が朝昼と違うのは見ていて楽しいと言えば楽しいが、期待していたほどの差異があるわけもなく、早々に飽きる結果となった。
ちょっとやそっとの小言を言われるにしても、これは早く家に帰った方が良いのではないかと冷静になった時、遠くから物音が聞こえたような気がした。
警備員の巡廻か、居残った教師か。
現在私がいる所の教室棟を夕方以降に歩くのは基本的にそのぐらいのものだろう。
咄嗟に隠れる場所を探し、近場のお手洗いの個室へ入ることにした。
幸いながら、と言っていいのかどうかセンサー式でないお手洗いは私が立ち入った所で明かりが点くことも無く、私の足跡は暗中に隠された。
個室で息を殺しながら立ったままの姿勢で何者かの通過を待つ。
しかし、物音は遂にお手洗いにまで侵入してきた。
念のため、誰かが見た時に一目で個室に入っていることが分からないようにドアの鍵は閉めずに置いてある。
しかしこれは賭けだ。
もしも足音の主が私のいる個室を開けたならば、下校時刻後の真っ暗なお手洗いで何をしていたのかという話になり、時間を忘れて図書室に居残っていたという事実を飛び越えた推論や疑いを呼ぶ可能性も高い。
開けるな、開けるな、と念じながら、私は足音が個室の並ぶドアの前まで近づいてくるのを聞いた。
そして何かがおかしいことに気が付く。
この場所を利用したいというのであれば、何故電気を点けない。
私が隠れたことに気が付いた警備員であっても、巡回中であれば懐中電灯は持っているはずだろうが、足音と共に明かりが増えたという様子もない。
私がここにいるのも本来であればおかしな話ではある、しかし暗闇に構わずお手洗いに入ってきたこの存在はもしかしたらそれ以上の不審者だったのではないか、そう疑わずにはいられない。
そうなると、教師や警備員相手以上に見つかる訳には行かなくなる。
拳を握りしめ、扉から一歩下がった位置でいつでも飛び出せるように準備をする。
足音が止まる。
そしてノック、ノック、ノック。
やはり誰かが隠れていることに気が付いているのか、手に汗を握り目の前にそいつが現れた時のために警戒を強める。
隣のドアが開かれる音がする。
ならば次はこの個室のドアが。
汗が額を伝うが、拭うために動けば衣擦れの音で気付かれるかもしれない。
身体を固めたまま研ぎ澄まされた神経で、耳が異変を捉えた。
「……め……て……」
隣室から声がする。
グチャグチャと、何かをこね回すような音も。
「や……い……だ……」
声がしたのはほんの短い時間だけで、後はただ何かが滴る音と、何かが擦れる音。
折れる音。
足音はお手洗いを出ていった。
それが離れていくのを確認すると、私は音がした方の隣室を開けて中を確認する。
暗闇に目が慣れ始めていたので白い陶器と、その隣の白いシャツだけはすぐに分かった。
そして暗闇の中でも、芳香剤に負けない血の香りには気付かざるを得なかった。
シャツからは腕が生えていて、胴もあるようだった。
しかし、首が無い。
見たくはない。
見たくはないが、私はスマートフォンを取り出し、背面に付いたライトの機能をオンにして確認するべきだと思った。
我が身可愛さに隠れてしまったが、不審者は何らかの理由で隣室にいた先客を襲ったのだ。
不審者はもしかしたら私のことを追っていたのかもしれない、不審さに気づいて時点で個室を出ていれば惨劇は食い止められていたかもしれない。
本当に不確かな可能性と推論ではあるが、ここで見逃してしまってはいけないと思った。
闇に慣れかけていた目を潰すほどに眩い光がその場を照らした。
やはり、目の前の身体には首が無く、肩の上の本来であれば頭部がある位置に血だまりができていた。
今もそこからは血が流れ続けている。
白いシャツが染まり、黒にその姿を隠していく。
血の流れ出す断面はよく見れば虚ろになっており、頚椎や内臓も一部は抜き取られている様子。
現実感の無い画だが、これは現実、今は夜、場所は見知った学園の中。
ここまで残酷に散らかされた遺体をその場で整える術を私は知らない。
顔が残っていれば瞼を閉じるぐらいのことはするが、それも無いしお手洗いの外に運び出すのもまた違う気がする。
通報、してもいいしするべきだが、まずはあの不審者を追い、そいつの行く先に寮生や教師がいるならば危険を伝えなければならない。
廊下へ出て耳を澄ませる。
視覚には不審者の姿が捉えられないが、同じリズムで続く歩調はまだわずかに聞こえている。
自らは足音を立てないように気を付けながら、音の方向へ向かって歩を進める。
曲がり角を曲がると、突き当りにソレの姿が見えた。
ソレは階段を下り、二階へと姿を消した。
ソレは女だった。
長い黒髪を背に垂らし、闇の中では色までは分からないものの、和服を着ているということは分かった。
生徒では無い、もう少し年がいっている。
教育実習生という若さでも無いが、あのような教師や用務員には覚えがない。
外部の者なのだろうか。
不審者の特徴は掴めたし、続いて誰か校内にいる者に注意を促し、お手洗いの死体を確認してもらって事態を説明しなくてはならない。
私は『宿直室』へ向かうことにした。
学校の宿直制度は遥か昔に廃止されているので、この呼称は適当ではないがみんなそのように呼んでいるから正式名称は分からないしとりあえずそこで良い。
そこには嘱託の警備員さんが常駐している。
「助けて下さい。不審者が校内で殺人事件を起こしました」
そんな私の願いは警備員さんに一蹴された。
曰く
「この学校の出入口は監視カメラを使ってワタシがしっかり見張っていますがそのような人物は確認されておりません。よしんば瞬間移動か何かで侵入していたとしても、そういう一部の魔人能力に反応するようなセンサーは設置しておりますが反応した様子もないですしね。全部あなたの白昼夢なんじゃないかってワタシは疑ってしまうわけですよ。こんな時間まで資格も無いのに居残っている生徒が怪しい、証言が疑わしいって印象を抱くのは間違っていますか?」
だそうだ。
警備員さんはその時もう一名の私以外の生徒の相手に忙しかったようだが、それにしても失礼な話である。
「おい、今の話は本当か?」
件の生徒は警備員との話を切り上げ、私へと話しかけてきた。
「魔人ではないが不思議な何かが起きたちうのであれば、それはもしや怪異ではないかのう」
「さっきからその子怪異怪異うるさいんで二人でとりあえずトイレ見てきてくださいよ。その子も事件が起きたと言うのであればキミの話も信じますから」
「いやでも女の子二人で不審者がいるかもしれない教室棟に戻るのは怖いんで付いてきて頂けたりとかそういうことは…」
「そもそもオバケとか呪いとか君の話とかは信じてないけど、仮にオバケがいたとしたらワタシは何の役にも立たないですよ。キミらの方が美味しそうだし囮としても役には立てないでしょうなあハハハ」
椅子から腰を上げる気が微塵も無い、という態度だ。
「もういい! じゃああなた付いてきて!」
「おおぉ!? まあ怪異を探すというのであればよかろうさ!」
その子の腕を引っ張り、私は教室棟へ戻ることにした。
「ついて行く、というのは良いとして貴様さっきから馴れ馴れしいぞ。さっき警備のやつに一年とか言ってはいなかったか? 私は三年で先輩じゃ! 年上はもう少し敬え!」
「えっそれは気付かなかった、ごめんなさい。私は一年生の榑橿です」
「分かれば良い、三年生の遠上。
遠上多月じゃ」
先輩は小さいが度胸があるようで、殺人事件現場へ案内すると自分から現場へ乗り込んでいくものだから驚いた。
しかし、先程の死体をお手洗いで見つけることはついぞできなかった。
念のため他の階のお手洗いも確認したが、壁や床に残っていてもおかしくない血飛沫も、香りも全く残されていなかった。
「やっぱり夢を見ていたのかもしれない。ごめんなさい先輩、変なことに付きあわせてしまいましたね」
「いや……最初に訪れた便所を覚えておるか? あれは三階じゃった。そして貴様が事件があったと証言したのは三番目の個室、ノックの回数は三回。殺されたのは、『トイレの花子さん』ではないのか?」
そんなまさか、と言いたいところではあったが、死体が見つからないという不可思議さは幻覚を見ていたと言われるよりもそちらの方が納得できる気がした。
「私以外に怪異を殺す者がおるのか? じゃがそんな血を撒き散らすような物理的な殺し方で…?」
先輩はその後もしばらく独り言を続けていたが、夜の学校で勝手に恐慌に陥ってパニックに陥っていた私を慰めるために中二病じみた設定を並び立てているのだと思って聞き流すことにした。
警備員さんに死体が見つからなかったことを話すとほら見ろという表情をされて家に帰された。
結局自宅に到着したのは想定していたよりも随分遅い時間になり、小言というよりもかなり強めのお叱りは受けたが私には応えなかった。
起きたと思った殺人事件は起こっていず、面白い先輩と出会うこともできたのだから。
てっきり寮生として学校に残っていたと私が勝手に考えていた先輩だったが、彼女も私と同じく通学組の一人だった。
とは言っても私のような自宅通いではなく格安の学生アパートで独り暮らしをしているらしいが。
通学組の生徒が余程の用事もなく居残るのは不良行為に等しい。
しかし先輩は見た目もちょこんと可愛らしいので仮に不良でも怖くはないかな、私に対して悪い人でもなかったし。
怪異を狩るために夜間まで学校に居残っていたという先輩に、別れ際私はとっておきの自作お守りをプレゼントした。
「気持ちは嬉しいけどな、素人の作った護符程度では怪異には通用せんぞ。気持ちは嬉しいけどな。というか魔除けですらないただの学業成就のお守りじゃないかこれは」
「三年生なんですからそちらの方も大事でしょう。それに効かないとは限りませんよ、私の模試成績は全国でも三桁台です」
「なぬっ、小癪な~!! 御利益が出なかったら貴様に教わりに行くからな~!」
「私は一年生ですよ先輩…」
愉快な人だった。
その日寝床に就く時も、私は楽しみに明日を待つことができた。
翌日、何が起きるとも知らずに。
■ □ ■ □
というのがThe遠藤(じえんどう)さんに話したおおよその内容だね。
おはよう、ブレファロスタ。
今日は十月の十八日。
君には最大であと十五日の猶予が残されている、と言っても私の声が君に届いている訳ではない。
今の君は生まれついて“詳述片某”について理解しているだろう。
そしてたった先程、残り時間のカウントダウンが始まったということも分かっているはずだ。
ここまでの半生、それは全て過去の出来事だ。
まるで当然のことのように聞こえるかもしれないが、今の言葉は通常の場合とは別の意味を持つよ。
十五日間のカウントが始まるまでの君は全て、たった今生成されたものに過ぎないということだからね。
基本的に十分頭が良い君はこのようなことを私が言うまでもなく理解しているだろうがね。
君が知り合ったばかりの面白い先輩に会えるのもあと十五日間だ。
ブレファロスタ、今の状況はそんなことを気にしている場合ではないほどヘビーなのが本当に可哀想だよ。
「それで今日アンタに起きたこととどういう関係があるのよ、今の話は!」
民俗伝承研究部に所属する幼馴染のThe遠藤さんが目を吊り上げて叫んだ。
そこは私も教えて欲しい限りだね。
私が今回の君を観測した時、君の机には菊の花が一輪飾られた花瓶がチョコンと乗せられていて、授業中にも関わらず君が教室を出て行っても引き留める者はいなかった。
君は屋上でボーっとして時間を潰し、下校時刻前に荷物だけ持ってこの部室を訪ねた訳だ。
「私がこのことをクラスで話したのが原因かな、でもイジメとかじゃないよ」
「何言ってんの! これがイジメじゃなかったら一体なんだって」
The遠藤さんはそこで言葉を切った。
何かに思い至った様子だ。
「…まさか、『まどかさん』?」
君は肯定も否定もせず無言で彼女の瞳を見つめる。
「まあ、言えないか。じゃあとりあえずそうだという仮定で勝手に話は進めさせてもらうけれど、例のチェーンメールが最近随分頻発しているようね。基本的に口を滑らせないように注意書きはされているみたいだけども、秘密を守れない人はいる者ね。うちの部活には結構話が入って来てるわ。一応文面の細部はぼかされてるけどこの学校の裏サイトの情報と合わせれば正確な文面も想像がつくわ。それで? 今日は『まどかさん』について聞きに来たの?」
「実はそれとは直接関係ない話なんだ。学校の七不思議について教えてもらいたくて」
「アンタ田舎の伝承とか妖怪は好きみたいだけどフォークロアには興味無さそうだったもんね。さっきの話に出てきた花子さん絡み?いいわ、詳しく教えてあげる」
自信満々に言い切ったThe遠藤さんだが、その後に続く言葉が出ない。
本人も混乱しているようだった。
「おかしいわね、怪談マスターの異名をとるアタシが思い出せないなんて…ゴメン、一度出直してくれる? 思い出したら後でメールするから。ゴメンね…?」
頭を抱えて部室の隅、本棚へ向かう彼女は本当に混乱しているようだった。
「いや、どうしても知りたいという問題では無いからそこまでしてくれなくてもいいんだ」
「でもそれじゃあアタシの気が済まないの。一体何が起こったって言うのよ、アタシの記憶に…こんなの絶対おかしいんだから…!」
「そんな日もあるよ、お大事にね。差し入れを置いておくからみんなで食べてよ」
恐ろしい速さで分厚い本のページを捲るThe遠藤さんを背に君は退室した、そうしてまた図書館へ向かう。
カウントダウンが始まった今、お小言やお叱りはどうでも良いということだろう。
君はスマートフォンのメッセージアプリを開き、『まどか』というアカウントから送られて来た通知を確認する。
「【今日から三年生の鮫氷しゃちが復学するまでの間このクラス(一年二組)内の者を一人死者として扱うこと】」
「【できなければこのクラスの誰かが鮫氷と同じ目に遭う】」
「【このことを誰かに知らせれば一年二組の者は全員死ぬ】」
『まどかさん』…色々な君を見つめてはきたが、それなりに馴染み深い名前だ。
しかし私が実際に彼女からの文言を読むことができたのはこれが初めてだが。
鮫氷しゃち、という生徒は知らないが何かひどい怪我を負ったということだろうか。
とりあえず君が『Another』のような状況に陥っているということは分かった。
民俗伝承研究部を出てからの君は目に見えて元気がない。
きっと本当に昨日の出来事は幻覚か何かだと思っていたし、メールも誰かの悪ふざけだと思い込んでいたのだろうね。
しかし、幼馴染の様子を見て怪異の存在を確信する羽目になったと言った所か。
全く不幸なことだね。
私は君に起きた一連の不幸の一部だけは説明できる。
前回の君は私が見ている前でこれ以上ないような残酷な方法で殺されたんだ。
君はその世界で、二人に贈り物をしていた。
一人は君の直前に犠牲者として命を落とし、もう一人は君を殺した張本人だった。
だから君は生きている状態と死んでいる状態を統合して、生きながら死者としての扱いを受けることになったのだろう。
ブレファロスタ、君は最長で十五日の間のみ生きることができる。
それ以前の記憶も当然有してはいるが、真の猶予と選択が与えられているのはその間だけだ。
カウントが始まった時点で生存が確定しているならば、それ以前に死ぬような行動はとれないし、真に自らの道を切り開くことはできない。
だが、今だ。
君には今がある。
君はまるでマニ車を回すか般若心経を転読するかのように忙しなく姑息な方法でしか徳を積めない行者だ。
身の回りの人間全てが君の来世を決める閻魔様だ。
記憶は引き継がれず、ここで取った選択の意味はほとんど残らないと言ってもいい。
それでも、どうか足掻いて欲しい。
私の願いに応えるかのように君は立ち上がった。
時刻はまた夜に、場所はまた宿直室の前に移された。
「おう、不良の後輩。また届け出も無しに残っていたのか?」
「先輩こそ」
件の遠上多月という先輩だと私にも分かった。
どういうわけか、彼女は君のことを待っていたようだ。
だがそれ以上に気になることがある。
私の直感は、遠上さんが切羽詰まった状況にあり、内心は見た目ほど余裕ではないということを伝えてきたのだ。
これは君が姿と心を作り替える中で私が独自に学んだ他人の内心を推し量る技術によるものだが、しかし情報が足りないために詳しい所までは分からない。
「どうしてまた遅くまで学校に残っているのじゃ。怖い思いをしたばかりであろう」
「先輩が本当のことを言ってると分かったからにはね。何かできることは無いかなって。怪異を探しているんでしょう。人手は足りてますか?」
遠上さんは切羽詰まった様子ながら、心からの微笑みも見せたようだ。
「いや、実は全然」
「ならば手伝いましょう」
背後の警備員さんが「ほどほどに切り上げてよ」と言うのが聞こえた。
君達は暗い校舎へ向かっていく。
標的は二宮金次郎像、理科室の人体模型、音楽室のベートーヴェン肖像画、屋上への階段、プール、階段の踊り場にある大鏡だ。
花子さんが狙われた後、他の七不思議もやはり殺される恐れがあるらしい。
「私は怪異を倒さなくてはならん。ただし昨日の着物の女とやらとは違ってもっと穏やかに、あくまでも穏便に、ただの噂話にと還すんじゃ」
遠上さんの話によれば、怪異と言うのは不特定多数の人間が抱く恐怖や口にする噂話を元に現れる、世の理を外れた者達である。
そして遠上さんの家系では代々そのようなものが悪事を働き人心を脅かす前に、速やかに無力化し存在を消し払うことを生業にしているという。
「私の家系も実のところ怪異のような部分はあるが、だからこそ人と怪異の関係を弁えて動いた結果よな」
彼女の家系はかつて朝廷やそれに属する人々から差別され続け、呪いのように異形と力を授かったのだとか。
人の間を飛び交う無責任な噂話に手を入れて怪異を消し去る。
そして結果を出して一族の跡取りとして立派な姿を祖母に見せるのが悲願なのだと彼女は語った。
君達は学校を回り他の怪異殺しを探すことにした。
無理やりに怪異を殺したり変異させたりすることは、怪異の噂を流し、怪異に恐怖を抱く人々の認知に影響が出ることがあるので、それを止める必要があるというのだ。
怪異を消すという目的が一致しているならば、話し合って任せてもらえばいい。
しかし、その日は着物の女を見つけることができないどころか、人体模型が首を抜かれ殺される結果となった。
次の日はベートーヴェンが、また次の日は二宮金次郎が残酷無比な血達磨へと変えられていき、人々の七不思議に関する認知も置き換わっていくのだった。
The遠藤さんは殺された七不思議に関して思い出した、というより文献を読み込むことでその存在を知ることはできたようだが、一度も学んだ覚えがないという奇妙な感覚に悩まされたそうだ。
殺された怪異も文献には残り続ける、というのは収穫だ。
しかしインターネット怪談を根城にしているでもない多くの都市伝説や七不思議、伝承は明文化されずに口承で伝えられていることも事実。
一度殺されたならば再び世に出ることは無いだろう。
怪異たちが殺されても諦めず、毎日のように君は遠上さんと怪異殺しを探す。
七不思議の数が減れば逆に守る候補が減り動きやすくなるかと楽観視していた二人も、七不思議から外れた怪異まで殺された時には焦っているようだった。
君はある時新しいお守りや差し入れの菓子を渡しながら遠上さんに尋ねた。
怪異殺しが話の通じない相手で、遠上さんのことも殺しに来たらどうするのかと。
以前彼女の真の姿が異形であると聞いたからこその心配だろう。
危ないならば先輩をこの夜の任務から何としてでも引き上げさせようとしていた君の前で、彼女はアッサリと擬態を解いた。
「私が負けそうに見えるか?」
元の姿に戻りながら彼女は聞いた。
君が首を振りながら、それでも心配をやめないので遠上さんには笑われた。
十月三十一日、七不思議は残り一人になった。
鏡の前で待ち受ける君と遠上さん、遠上さんは勿論、カウントダウンの期限が迫っている君は着物の女を今か今かと待ち受けるが、そいつは現れない。
「なあ、後輩よ。お前がクラスでは死人として扱われているというのは本当か?」
世間話を遠上さんが振るので君はそれに答える。
「ええ、でも色々な事情に基づくものであっていじめではありませんよ、ご心配なく」
「そうか」
遠上さんは君の首を突如背後から絞めつけた、骨を折るような勢いで。
姿は龍か蜥蜴のようになりながら、しかし私は気が付いた。
前回とは姿が違う。
「お前が蓮柄円か」
死にゆく君にその声は聞こえただろうか。
私はその後の光景も見ていたよ、彼女は着物の女に出会うことができた。
「おばあちゃん」
そう言っていたよ。
おやすみブレファロスタ。
君は、よくやった。
遠上さんはおばあちゃんに首を抜かれたから仇は取ってもらったってことで良いのかな。
いや、そうはならないよね、ごめんね。
次は幸せになれるといいな。
最終更新:2022年10月16日 21:27