【体育館】その2「神星翠の五七日」
放課後、姫代学園体育館。部活動を行ったり、レクリエーションとしてバスケットボールや卓球をしている生徒たちが見受けられる。
そして体育館のキャットウォークに私はいる。体育館の広場全体を俯瞰できる場所。
なぜ私がそんなところにいるかというと、上層部から
神星翠の監視を依頼されたからである。
「どうしたものかなぁ……」
神星翠。姫代学園高等部一年生。彼女は自身の魔人能力により常に元気溌剌健康体。
私の近くを通りすがったときも廊下を駆けててすっ転んだくらいでそれ以上はなんともなかった。
おそらく体の異変を能力で打ち消したのだろう。手を取り助け起こし、廊下を走ってはいけませんよ、と注意し……気づいたときにはもういなくなっていた。
ともあれ、私の能力だけでは捉えることは困難なのは間違いない。なので監視しているのだが……。
「なんか、見える……」
神星さんに触れることで五感が冴えるという情報は頭に入れていた。だが、異常なものが見えるとまでは聞いていない。
見えてしまったものは仕方がない。体育館に、不定形の何かが包み込むように侵入してきている。
生徒たちはそれに気づく様子はない。中払さんの案件とは違う。真なる異形による所業。
階段から悠長に降りている暇はない。魔人の体の丈夫さを信じて直接飛び降りる。
ダン、と大きな音を立てて着地するが、それに気づく生徒はいない。皆、取り込まれてしまったからだ。
いや、ひとり例外がいる。
「あれ、律子先生。こんなところで何をしてるんですか?」
この状況下でものんびりした口調で尋ねてくる神星さん。
事情を聞こうと口を開くより先に、彼女は藻掻きだす。
「あ、れ、何これ、苦し……い……??」
そのままバタリ、と倒れこむ。
明らかに私の能力による苦しみ方。だが、何故? 彼女は自身の能力ですぐに回復するはず。
いや、それどころではない。他に生徒がいない以上、次に異形に飲み込まれるのはおそらく私。
どうしよう。こんなもの、私にどうにか出来るはずはない。こんな無茶振りをしてきた上層部が恨めしい。
先日の会話を思い返す。
『生徒に引き続き、教師まで失踪した。これ以上の予断は許されん』
『そうなれば騒ぎになってると思うのですが、昨日も特に何もありませんでしたが』
『そう、そこだ。相手は認識を弄って事を隠蔽している。何事もなかったようにな』
『逆にどうしてそちらは認識できるんですか』
『魔人を扱う上での延長線上の技術、とだけ伝えておこう。君も消えたくはないだろう?』
『……それは受け入れるとして、もはや私には手が余る案件なのでは。もはや人の所業ではないでしょう?』
『獄卒の存在意義を考えろ。ではいい報告を期待しているぞ』
『あっ、ちょっ……』
獄卒。地獄において亡者を苦しめる鬼。
なぜ苦しめるか。裁きを受けて地獄に堕ちたがため。
閻魔大王に代表される十王がその裁きを行う。
裁くために判断基準も当然存在する。
つまり、現世のみならず幽世にも法はある……!
体の中を駆け抜けていく理解。眼前に迫る異形の口。
「幽世の者でありながら現世の者を食らった罪」
ぎしり、と空間そのものが軋む感触。同時に私を喰らおうとした顎が直前で止まる。
突然の痛みか、罪の重さか、ともあれ動きを縛ることは出来た。
これ幸いと思いつく罪を挙げていく。
「喰らったことを隠蔽した罪、無断で現世に干渉した罪、無辜の者を脅かした罪……」
口に出したのとは違う罪の感触がある。生徒は学内で魔人能力を使うべからず。
この場に残っている生徒など一人しかいない。現在気を失い倒れている神星翠。
つまりこの怪異の主が、神星さんの能力を利用しようとしている。
「なるほど、点と点が繋がったようね……」
彼女の魔人能力、元気ハツラツ☆さわやかパワーは元来、無尽蔵に溢れるエネルギーで以て恒常性を維持するためのものである。
急速に充填されるエネルギーを利用することでジェット機動を可能にするがそれはあくまで副次的なもの。
つまり、この怪異は彼女の能力を利用して、学園を異常の無いよう見せかけていたのだろう。
神星さんが私の能力で倒れたのも、こいつらにエネルギーを利用され、自分に回すのが遅れたからか。
「後輩を助けられなくて何が先輩か!」
愛用の六法全書を地面に投げ捨て彼女の両腕を掴み、背中に担ぐ。
無数の口から距離を取れる場所に移動する。
私の能力は効いてるはずだが、大きい分苦痛にも耐えられるのかジリジリと囲い込みながら距離を詰めてくる。
「とは言うもののこのままじゃ……逃げる場所もないし……」
右を見る。口。
左を見る。口。
後ろを振り向く。口。
口。口。口。
私を、あるいは私達を喰らおうと異形の化け物が歯を打ち鳴らしている。
なにか現状を解決する打開策を。
……そういえば、神星さんと出会ったときに気になった反応。
「拾得物横領に、銃刀法違反……」
彫刻刀どころではない刃物を持っている? しかも他人のもの?
距離を詰めてくる口に焦りつつ、神星さんの体をまさぐる。
「……これは教師として生徒が凶行に奔らないための措置、これは非常時の緊急的措置……」
胸元に手を入れたとき、なにか柄のような無機質なものに手を触れた。
まさかこれか、とえいやっと引き抜く。
それは剣。鉄にしては軽く、アルミにしては硬く、銀にしては輝かしい。
これが何かは分からないが、これが解決の糸口になると信じよう。
あとは、これを切り開く力を……パワー? そうだ。無限の力がここにある!
「神星さん、起きてください」
「んぁ……りつこせんせぇ……?」
「あなたの力、この場だけ借りますよ」
ガッチリ彼女の手首を掴む。
「普段学内の生徒の魔人能力行使は禁じられていますが、今は非常時です。私への能力使用を許可します」
宣言とともに体の裡から無限に力が溢れてくる。私以外へ向かう力は私の能力により制限され、結果ロスなく力を享受できる。
神星さんの能力により五感が冴え渡り、結果、【法に入れば法に従え】も空間全域を掌握するほどに効果範囲が拡大する。
溢れるエネルギーを推進力に変え、尽きぬ体力で縦横無尽に動き回る。法に入れば法に従えで動きを鈍らされた異形の群れなど物の数でもない。
謎の刃を振るい、片っ端から斬り飛ばしていく。
「こういうのは、ガラじゃないんだけど!」
神星さんから溢れるパワーは余裕を生む、余裕は考える暇を生む。考える暇は閃きを生む。
「これだけの怪異、いくらなんでも誰も気づかなかったとは考え難い。退治しようとして失敗した人もいたのかも」
物欲しそうに人肉を喰らおうとする者を斬り飛ばす。
「なぜ失敗したか。神星さんがこいつらと繋がっていたから。彼女を止めなければ、無限に再生するから」
向こうもそれはわかっているのか、私よりむしろ神星さんを優先的に狙おうとしている。
「無尽蔵の力を手にしてまだ足りないとは強欲にも程がある。まるで餓鬼道の住人……いやもしやそのもの?」
闘いながら考えているうちにふと気づく。
物は試しである。
「……閻魔の目を盗み、餓鬼道を抜け出し、本来許されている物の他を食した罪」
口に出して改めて罪を認識する。みしり、と空間そのものが歪んだ気がした。
ビンゴである。ならば、もうひと押し。呼吸を整え、既にタネの割れた異形を正面から見据えて声を上げる。
「有象無象の餓鬼共よ、汝らの居場所はここにない。それでもこの世に居座らば、閻魔が名代、律子が斬る!」
そうだ。魔人能力とは思い込みの力。
餓鬼の本拠の主であり、地獄の裁判官でもある閻魔の代理を名乗ることは、私の能力の補強にも相手への圧にもなる。
役職の騙りは【法に入れば法に従え】に引っかかりそうな気もするが、痛みも苦しみもない。
神星さんの能力で踏み倒せているのだろう。
「Grrrrrrrrrrrrrrrrr!!」
空間が震えた気がしたが、もはや何も恐れるものはない。
無数の異形といえど、無限の恒常性を供給する術がなければ有限と変わりない。
無限のスタミナで片っ端からもう片方の片っ端まで、神星さんを引っ張り回しながら一つ残らず斬り伏せていく。
そして、世界はぐるりとまわり、ふと気がつくと、元の体育館に戻っていた。
先ほどまであった、魑魅魍魎の気配は感じられない。というか私と、手を掴んでる神星さん以外の気配はない。
「……はぁ~~~~っ!!」
大きく息を吐きだす。現実ではだいぶ時間が経ってしまったのか、窓から入る僅かな月明かりを除けば暗闇も同然だった。
改めて、右手に握った剣を見る。数多の肉を引き裂いても斬れ味が鈍った様子はない。
その場のノリと勢いで無我夢中で振るってきたのが、なんだか急に恐ろしくなってきた。
手が震えて握る力を失い、剣は床に転がった。
左手の神星さんは起きる様子がない。呼吸も脈もあるので死んではいないはずだが。
「……ちょっと、連絡を取りましょう」
床にぺたりと座り込み、震える手で警備員……ではなく上層部に連絡を取る。
まもなく、回収のためのエージェントが来る。
「この剣は?」
「怪異に異界に放り込まれたときに現場で見つけたものです」
少なくとも嘘ではない。とは言え、これを自分で持ち帰ることは出来ない。自身の能力が私を苛むからだ。
能力を切ればとも思ったが、この状況で自身の能力を使用せずにいるのは、奇襲に対応できない可能性が高い。
それに、それを抜きにしても明らかに私の手に余る武器である。
その事を告げて、エージェントに預ける。
「あと、この子もお願いします」
「お疲れ様です。災難でしたね」
「えぇ。帰ったら今回の件の報告も書かなくては……」
そうして今回の事件は解決した。したと言うには犠牲者が多すぎるが。
体育館は解体されるらしい。表向きは突如崩落が発生したことにより、多数の生徒が行方不明になったという名目で。
彼女たちを救えなかったことは心が痛む。魔人能力とて万能ではない。罪過を抑止することは出来ても、起きたことをなかったことには出来ない。
もしかしたらそういう能力もあるのかもしれないが、少なくとも今の私にそんなことは無理だ。
あの後、神星さんはしばらく魔人用の入院が決まったらしい。能力の過剰使用により全身がガタガタなんだとか。
彼女の能力からすると通常起こり得ないことなので、皆首をひねっているらしい。
……心のなかでごめんね、と謝っておく。後でお見舞いに行こう。
「幸か不幸か上層部からはまたもや調査継続のサイン。どれだけ闇が深いのうちの学校……」
ぶちぶち文句を言いながらも今回の顛末を報告書にまとめ、メールで送信。
「さて、しばらく休息をとってもバチは当たらないでしょう……おや、もう返事が来た?」
点灯する新着メールのサイン。惰性でパッと開く。
それが返事で無いことに気づいたのは、送信者の名を見てからだった。
【まどか】
そしてその内容は――
To be continued...
『まさか、ここまでやるとはね。勝手にいなくなるものと思ってたけど……仕方ないわね』
最終更新:2022年10月30日 21:49