二 戦う理由 前編
――ワルド。
――立派なメイジになって僕が母を守るんだ!
――ワルド様!
――力が欲しい。
翌日、ルイズはワルドとの結婚式を進めていた。ウェールズが見守り、神父の前でルイズとワルドが並んでいる。
ミストバーンは壁際に影のごとく立っている。結婚式に興味など持たず出席もしないと思い込んでいただけに予想外だった。
神父の言葉を聞き流しながら本当にワルドと結婚していいのか、行動を共にしてきた使い魔を思い浮かべながらルイズは自分に問いかけていた。
彼を支えているのは主の存在。どれほどの強敵が相手でも、主がいる限り彼の心が折れることはない。何度でも立ち上がるだろう。
果たして自分の中でワルドはそれほど大きな存在だろうか。心の拠り所となっているだろうか。
(違うわ。でも――)
強固な絆で結ばれた、互いに支え合う存在になりたい。
今はまだ力が足りないが、対等に向き合えるようになりたい。
本当はもっと偉大なメイジになってから結婚するつもりだったが、アンリエッタへの想いを抱いたまま戦場へ赴くウェールズに対するはなむけになればと承諾した。
婚約者を想い出の中の憧れではなく、現実の相手として見るようになったことは事実なのだから。
「新郎、子爵ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。汝は始祖ブリミルの名においてこのものを敬い、愛し、そして妻とすることを誓いますか」
「誓います」
ワルドが重々しく頷いて杖を握った左手を胸の前に置いた。
「新婦、ラ・ヴァリエール公爵三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。汝は始祖ブリミルの名においてこのものを敬い、愛し、夫とすることを誓いますか」
「……誓います」
結婚と言っても形式的なもので、ルイズはこれまでと同じように学院での生活を送ることとなる。
実質的に妻として行動するのは、もっと実力をつけて対等の立場になってから――そういう条件での結婚だ。
ミストバーンに力を認めさせることも含まれている。
ワルドが持つ役割は“共にツッコむ”だけであり、対処を任せきりにするつもりなどない。
(使い魔とメイジは一心同体なんだから、わたしが認めさせないと)
それでもワルドの顔には幸せそうなオーラが溢れている。
今の彼ならば奇跡を容易く起こせそうな勢いだ。それこそ、花でも摘むように。
ウェールズは二人を祝福するような晴れやかな笑みを浮かべた。
「では、お別れだ。最後に君達に会えてよかった」
ルイズに、ワルドに、ミストバーンに順々に視線を移す。
「殿下……本当によろしいのですか!? 姫様に――」
なおも言い募ろうとするのをワルドが止める。
ほんのわずかに表情がゆがんでいる。死を覚悟し、戦場に向かう決意を固めていても想いを殺しきれなかったらしい。
「一目会いたかったが叶わぬようだ。命を落とした後に会いに行くとしよう。……アンリエッタを頼む」
信頼のこめられた言葉にルイズとワルドは頷いたが、ミストバーンだけは違った。
「断る」
ウェールズとワルドは目を丸くし、ルイズは簡潔な拒絶に絶句した。
思っても口に出さなければ良かったのに、と心の中で嘆く彼女の耳にわずかに温度のこもった声が届く。
「本当に大切なものならば……自らの手で守れ」
何千年もの間そうやって主を守り抜いてきた自負がある。ウェールズはすぐに死ぬため不可能だと知っていながら彼はそう言った。
ウェールズはしばし言葉を失っていたが、やがて朗らかに笑いだした。
「残念だ。もっと早く君のような相手と出会っていれば、どんな困難も恐るべきものではなくなっただろうに」
「殿下、こいつ……彼は」
大魔王の部下で何のためらいもなく大勢の人間を殺した血も涙もない冷徹非情な男だと言いかけて飲みこむ。今この場で言うべきではない気がした。
「主のために戦うというのだろう? できることならば共に戦ってみたかったが」
ミストバーンが実力を測った時にウェールズも強さを察したらしい。ルイズは何か言うよう肘でつついたが、もう口を開く気はないようだ。
「もし、もう一度守る機会が与えられたならば――」
続きを口にせず、三人にもう一度別れを告げてウェールズは礼拝堂を出ていった。
皇太子を見送るワルドにミストバーンは鋭い視線を向けている。
彼は昨夜交わされた会話を思い起こしていた。
大切な話があると言ってミストバーンを引きとめたワルドはいきなり本題に入った。
「僕はレコン・キスタの一員だ」
レコン・キスタとは聖地奪回の理想を掲げハルケギニアの統一を目指す貴族の連盟だ。ウェールズが現在戦っている相手である。
ワルドがそれに与しているということは即ち、トリステインへの裏切りを意味する。
ルイズならば動揺しただろうが、ミストバーンは淡々と告げた。
「ウェールズの命を狙うならば――」
キラリと爪が光り、触れるものを凍りつかせる恐ろしい空気が放たれる。
ワルドは思わず唾を呑んだが、首を横に振った。
「違う。僕はレコン・キスタのために行動するつもりはない」
遠い眼差しで語り始める。
「僕は昔から力が欲しかった。ある大切な女性のために。そしてルイズと再会して……僕は彼女の中に太陽を……最も大切だと思う人と同じものを見たんだ」
ミストバーンはどこまでも冷淡な視線を向ける。彼は、抽象的で曖昧な言葉より明確な理由を聞きたいのだ。
それを悟ったのだろう、ワルドも頷く。自分の過去や事情を細部まで話す気はないようだ。
「僕は力が欲しい。彼女を守るためにね。だから、君の側につく。君を従える大魔王は偉大なメイジなのだろう?」
「そうだ。だが、力を欲して属した組織を何故――」
単に強い力の持ち主についていこうと考えただけならば、ミストバーンにとっては嫌悪の対象にしかならない。
「トリステインを裏切っていてはルイズが傷つくだろう? 悲しい顔はさせたくないのだよ」
芝居がかった仕草で手を広げてみせる。口調も、浮かべる微笑も、他の者が聞けばキザだと思うかもしれない。
彼は、大切な者への想いからレコン・キスタに与することを決めた。
ミストバーンの側につくのも同じ理由だ。
彼は理解できないと言いたげに目を瞬かせた。
「たった一人のためにか?」
ワルドの表情が変わった。
心の奥を隠すような薄い笑みが消え、眼光が怒りに燃え上がる。
「君にはいないのかい? 絶対に守り抜くと心に誓う相手が。他のあらゆるものに優先する存在が」
言った後で自分の深刻な表情に気づき、咳払いをしてワルドは語り始めた。
「まあ、その、一緒にいるだけで幸せになれたり、笑顔を見ているだけで心が癒されたり……それが理由さ」
語るワルドの頬が紅潮し、鼻息が徐々に荒くなっていく。
己の過去を語る時は飄々とした笑みを浮かべていたが、話題によっては熱くなるらしい。
「彼女の清らかな微笑が己に向けられる至福の瞬間を考えてみたまえ。膝枕の様子を思い浮かべるとそれだけでもう……まるで聖母だ」
盛大に惚気られたミストバーンは、ワルドが何を言っているのかほとんど理解できない。
要するに、ルイズこそが最も優先すべき大切な相手なのだろう――そう結論付けて納得した。
ワルドの昔話に興味は無いためそれ以上訊く気はない。
ワルドは喋るうちにいっそう興奮してきたらしく、彼の両手を握って叫んだ。
「ありがとう! 君のおかげで僕の女神との距離が近づいたのだ。そう考えると君は天使と言えるな。……少々暴れん坊だが」
すっかり頭に血が上っているワルドに冷ややかな声が響く。
「バーン様は寛大なお方……力持つ者は受け入れるだろう。だが、私は裏切り者は信用せぬ」
「僕は愛するルイズのために戦うことを誓う。見ていてくれたまえ」
こうしてワルドはルイズ達の側につくことを宣言し、ミストバーンから監視されることとなった。
そんなことなど知らないルイズは目に涙をためて叫んだ。口にする言葉は昨晩と同じ。
「ウェールズ様を助けて!」
主の指示を仰ごうとしたが声は聞こえない。
部下の判断に任せるつもりなのか、それとも今こちらの様子を観察していないのか。
かすかな違和感を覚えながら鋼の声で答える。その声はかすかにひび割れていた。
「バーン様は――」
ルイズはぼふぼふと衣を両手で殴り、噴火寸前の火山のような目で睨んだ。
「あんた自身はどうなのよ!? あんたが行かないならわたしが――!」
彼女にも自分一人が行ったところでどうしようもないことはわかっている。
しかし、アンリエッタの心を想い、ウェールズの命を救いたい一心ですっかり冷静さを失っている。
ワルドが目を見開いて慌てて止めると、ルイズは彼にしがみついた。
「お願い、ウェールズ様を――!」
ミストバーンがもっと弱ければ亡命するよう協力してほしいとしか思わなかっただろう。
だが、彼とワルドがいれば逆転も可能ではないか。
救いたい意思と状況を打開するだけの力がありながら戦わないのは理解できない。
任務は終わったというのにすぐに立ち去ろうとしないのが何よりの答えだ。
「泣くのはおやめ。僕のルイズ」
ワルドがそう囁いて頬に流れる涙を拭うが、ルイズはミストバーンを睨みつけたままだ。
沈黙する相手に彼女の怒りがとうとう頂点に達した。可憐だが気迫のこもった声が城内に響き渡る。
「笑わせんじゃないわ……! 何が強者には敬意を払う、よ。とんだ嘘っぱちじゃない」
ピクリと鋼の指が動いた。
「あ、ひょっとして怖いの? だったら謝るわ、無茶言って。そうよね、いくらあんたでも無理よね。通じる攻撃があって殺されちゃうかもしれないし」
空気が音を立てて凍っていく中、とどめとばかりに弾丸のような言葉が炸裂する。
「大魔王の信頼する部下は尊敬する戦士の勇姿も見ずに逃げ出した臆病者って言いふらしてやるんだから! 大切なご主人様の顔に泥を塗ることになるわね!?」
押して駄目なら爆破しろと言わんばかりだ。凛々しい横顔を見たワルドが眩しそうに目を細める。
魔界の主従は挑発されたら後には退けない性格だとルイズは睨んでいた。
己の力に自信を持ち、誇りを守ろうとする貴族と似ているのだから。
口を封じようにも彼の主はルイズに協力するよう命令したのだ。勝手なことをしては“お叱りを受ける”だろう。
あくまで挑発はきっかけの一つに過ぎない。結局は彼の意思次第だ。
危険な賭けだが、何もせずにいては後悔するに決まっている。
誇りにかけて、彼の心を確かめたかった。
彼は選択を迫られていた。
戦うか、戦わないか。
心に従うか、従わないか。
やがてミストバーンは口を開いた。
「……ワルド」
名を呼ばれたワルドが杖に軽く触れる。
彼は言った。
愛するルイズのために戦うと。悲しむ顔は見たくないと。
「その覚悟、今こそ示してみよ」
「任せてくれ」
ワルドは不敵な笑みを浮かべ、頷いた。
ウェールズは全身に傷を負いながら戦い続けていた。
味方と離れ離れになった彼は孤立無援。敵がメイジではないとはいえ数が違いすぎる。
疲労が徐々に蓄積され、傷が少しずつ増えていく。
ウェールズは想い人の名を呟き前を見据えた。名も無き雑兵に討たれ首をとられるとしても、最期まで誇り高くあろうと。
彼の瞳に一斉に突き出される無数の武器が映る。
だが、それらが身体に届くことはなかった。
目の前に飛び込んできた白い影が全て受け止めたのだから。
両腕を顔の前で交差させ、数えきれぬ刃を受けながらその姿が揺らぐことはない。
突然の闖入者に周囲の兵達は凍りつき、目を見開いた。
「ミストバーン?」
ウェールズは信じられないと言うように囁いた。
その足元から蜘蛛の巣を思わせる漆黒の網が広がっている。我に返って襲いかかる兵士達に掌を向け、拳を握りこむ。
「闘魔滅砕陣!」
空間をも捻じ曲げるような技で瞬時に多数の敵の動きを止めたミストバーン。
その傍らにマントを翻して立つのは長身の貴族。
杖を振ると落雷が捕らわれた兵士達を打ちのめし、瞬時に命を奪った。
「子爵……!」
彼らの後ろ姿を見てウェールズはかけようとした言葉を呑みこんだ。
――言葉はいらない。
三人は地を蹴り、戦いへと身を投じた。
最終更新:2008年12月01日 02:08