三 戦う理由 後編
圧倒的な勝利を確信していた反乱軍の兵士達は混乱に陥っていた。
それもそのはず、彼らの――ハルケギニアの常識が通じない相手が参戦していたからである。
時折鋭く光る不気味な眼。闇の凝集したような異様な姿。身にまとった衣も金属に包まれた手も恐ろしさを増幅させている。
何よりも考えられないのはその生命力。どれほど刃で切り裂かれようと、刺されようと、全く痛みなど感じないように戦い続ける。疲労すら存在しないようだ。
たまにメイジの魔法が撃ち込まれるが、手で無造作に払いのけられるか増幅して打ち返されるかのどちらかだった。
また、不死身の体に頼りきっているわけではない。素早さや膂力も相当なものであり、軽やかな動きとともに銀光が翻り、次々に敵を刺し貫いていく。
両手の爪は彼の意のままに動き、ある時は獲物を締め上げ粉砕し、ある時は剣を形成し切り裂いた。
迫る刃を手刀でへし折った彼にウェールズが不思議そうに問いかけた。
「何故君は戦う?」
彼は本来戦う必要などないはず。強大な力は主のために振るわれるのだとウェールズも察している。
「最後の勇姿を見届けるためだ」
そっけない答えにウェールズは苦笑した。
(ならば、戦わずに安全な場所から見物だけしてもいいのでは?)
そう言っても答えは返ってこないとわかりきっているため黙っていた。
今度はワルドに視線を向ける。
「ルイズの涙を止めるためさ」
爽やかな笑みと共に答えられたウェールズはますます苦笑を深めた。
たった一人の女性の頼みで戦場に飛び込むワルドの笑顔が、とても眩しいものに思えたからだ。
彼らは杖を光らせ剣のごとく突く。
『閃光』の二つ名を持つワルドの動きは素早く、“ルイズのために戦う”という一念によって跳ね上がった魔法力は常識を超えている。
スクウェアクラスのメイジの使用する魔法がさらに力を増せば、常人に立ち向かう術など無い。
今の彼とまともに戦うことのできるメイジはハルケギニアの中でも限られているだろう。
ミストバーンが手の双剣を構え、それを上回る速度で敵のただ中に斬りこんでいく。
剣舞にあわせて血飛沫が舞い、衣の裾が翻った。存在そのものが武器だと思わせる姿だった。
一閃のたびに兵達が崩れ落ちていく。
周囲の兵達は満身創痍のウェールズを狙うが、暗黒闘気の網に捕らえられ体を捻じ曲げられた。
掌を差し出し滅砕陣を展開した彼を援護するようにウェールズの魔法が飛ぶ。獲物の首を折った滅砕陣が消えたところにワルドが走りこみ、隣に立って杖を振るう。
風のトライアングルメイジであるウェールズと、スクウェアメイジであるワルドの魔法が合わさり、巻き起こされた巨大な竜巻が敵を次々に飲み込んでいく。
詠唱の隙もミストバーンが全てカバーしている。会って間もなく、共闘するのが初めてとは思えないほど彼らの連携は息が合っていた。
信じられないようにミストバーンはポツリと呟いた。
「初めてだ。誰かと共に戦うのは……」
そう語る彼の表情はわからなかったが、不愉快さを感じてはいないようだ。
認め合った者と肩を並べて、あるいは背中合わせで戦うのは初めての経験だ。
ほんの一瞬、感慨にふけりそうになった時ウェールズの苦しげな呻き声が聞こえた。
一瞬の隙をついた敵の刃がウェールズの胸を切り裂いたのだ。その一撃だけならば致命傷ではないが、先ほどからの負傷や疲労もある。
蒼い顔のウェールズがよろめくのを、彼は見た。
このままでは助からないと知ったワルドの顔がくもる。
ミストバーン一人ならいくらでも戦い続けることができる。それこそ、敵を全滅させることも可能だろう。
だが、ウェールズが倒れれば意味は無い。
人間の生命力を考えるともう長くはもたない。
ウェールズはよく戦った。勇敢な戦いぶりを見ることが出来た。肩を並べて戦うことも。
ならば、あとは命の灯が消えるのを見届けるだけだ。
それで全ては終わる。
ルイズは二人だけに戦わせるわけにはいかないと主張したが、ワルドが「君は切り札だから温存する必要がある」と宥めたため礼拝堂で待機している。
ミストバーンの呪文で彼女と合流し、アルビオンを後にすればいい。
だがその時、彼の中でルイズの叫びが弾けた。
『ウェールズ様を助けて!』
ルーンが強く輝き、彼の姿がウェールズの傍らから消えた。
姿を現したミストバーンを見てルイズの顔がゆがんだ。彼一人現れたということは、ウェールズは死んだと告げているようなものだ。
だが、胸のルーンを輝かせながらいきなりルイズを力強い手で抱えた彼は杖を指差して目をカッと光らせた。
(もしかして、威力の高い爆発を起こせってこと?)
根拠の無い勘だが、何故かそんな気がした。
何が何だかわからないまま詠唱を始める彼女とともに一瞬で戦場に戻った彼はウェールズの上空へと飛び、ワルドの姿がウェールズの傍にないことを見た。
(先に逃げたのか?)
もう戦う必要は無いと判断し、離脱したのだろうか。
ミストバーンは思考を中断し、かなりの高さからルイズの体を放り出した。瞬時に倒れかけたウェールズの元へ移動し、抱えてルイズに目で合図する。
落下しながらも詠唱を終えた彼女の起こした爆発は、ウェールズの立っていた地面を盛大に吹き飛ばした。
もうもうと上がった土煙が兵士達の視界を奪い、混乱を助長する。
反乱軍の兵士達が目撃したのは、“突然再び現れた不気味な敵が勇敢に戦った皇太子ごと跡形も無く吹き飛ばされた”光景だった。
ルイズは見る見るうちに迫る地面を見て青ざめたが、グリフォンに乗ったワルドが煙の中に突っ込み、優しく抱きかかえて離脱した。
まるでこうなることを予想していたかのように、無駄のない優雅な動きだった。
思わず安堵に表情を緩めた彼女が見上げると、帽子を直しつつ空を眺めてうそぶく。
「空が素敵な雨を降らせてくれたようだね」
「ワルド様……」
他に言うことはないのかと思ったが、口には出さなかった。
トリステインに戻る間、ルイズは夢の世界を彷徨っていた。
彼女の意識は誰かの中に入り込み、同じものを見て同じことを感じている。
闇に閉ざされた世界の淵から生まれた身体は、暗黒闘気から成り立っていた。
戦場に渦巻くどす黒い思念の、体を失ってでも戦おうとする習性がやがて他者を乗っ取り操ることを可能にさせた。
人間でもない、魔族でもない――強いて言うならば魔物に近いが――同じ能力を持つ者はいない特殊な体。
自分は傷つかず一方的に相手を攻撃できる能力。
滅びからは最も遠い生命。
しかし、誇る気にはなれなかった。
力こそ正義という則の支配する魔界において、自分の力を持たぬ者は蔑みの対象にしかならないのだから。
その反動で鍛え強くなる者への羨望と敬意を抱くようになった“それ”は、やがて終生仕えるべき主に出会うことになる。
能力を認め必要としてくれた者との出会いから数千年――影は戦い続けてきた。
ある時、彼の前に一人の男とその使い魔が現れた。
大魔王の前でも全く恐れを見せぬ態度に感心し、それから数百年の間共に過ごしてきた。
忠誠心篤い影と飄々とした男は正反対だった。
数十年に一度しか口を開かぬと言われるほど口数の少ない影と饒舌な男――彼らは自他ともに認める友人だった。
異なる世界に召喚されたため会うことは叶わなくなったが、きっといつものように軽妙な口調で喋り、笑っていることだろう。
ルイズはハッとして息を呑んだ。
先ほどとは光景が変わっている。
彼女はいつの間にか意識から抜け出していた。
金色の炎に焼かれ、自分の召喚した相手が倒れ伏した。声を上げず、動くことも無い体を炎がじわじわと蝕んでいく。
静かに生命が削ぎ落される光景に彼女は立ち尽くした。
止めようとした瞬間、世界に凄まじい閃光が炸裂した。
眼が眩んだ彼女には光が弾けた後の景色を見ることはできない。
やがて、遠くから声が聞こえた。
「私は一人だ」
目覚めた後も、その呟きだけは心に留まっていた。
静かに流れた声はひたすら重く、孤独の影が滲んでいた。
学院の自室に戻ったルイズは傷だらけのウェールズの姿に息を呑んだが、賢者の石を取ってくるよう言われたため慌てて駆け出した。
瞼を閉ざした彼の顔は白く、今にも生命の火が消えてしまいそうだ。水の秘薬や賢者の石でも助からないだろう。
だが、まだ手はある。ミストバーンだけにしか使えない手段が。
その掌に黒い輝きが集い、ウェールズの身体に染み込んでいく。
ワルドはその光景を凝視している。彼の知らぬ力の一端を垣間見たのだ。
賢者の石を持って戻ってきたルイズが目撃したのは、ウェールズの身体を棺に入れるミストバーンの姿だった。
助からなかったのかと肩を落とすルイズに鉄の声が届く。
「命はつないだが、しばらく眠る必要がある」
死んだのを蘇らせたわけではなく、死へ向かうのを彼の力――生命の一部とも言える――暗黒闘気で食い止めている状態だ。
それを聞いて顔を輝かせたルイズは感動のあまり絞め殺しそうな勢いで抱きついた。彼はスライムに顔面に体当たりされたような顔をしている。
一方ワルドは羨ましいと言いたげな顔で見つめている。
(ルイズの抱擁ならば、背骨が折れるくらい激しくても歓迎するのに……)
などと考えていると知らない彼女は身を離して微笑んだ。
ふと彼女は、ミストバーンが何故ウェールズを助けたのか疑問に思った。彼自身も己の行動に戸惑っているようだ。
懇願に心を動かされたとは思えない。
(いまさら慈愛に目覚めました、なんて絶対ありえない)
大魔王の部下にするためかとも考えたが、歩んできた人生を考えればウェールズは承諾しないだろう。彼もそれはわかっているはずだ。
思い返せば、ウェールズを救出する直前ルーンが輝いていた。
使い魔を従順にさせる効果があるらしいが、今まで働いていなかった分が溜まりに溜まって放出されたのだろうか。
召喚してからの呼びかけの中で最も強く望んだことを叶えようと。
だがそれは彼の意志に反している。彼はウェールズの覚悟を尊重しようとしていた。生きていてほしいと思っていたにせよ、最期を見届けたら去るつもりだったはず。
ルイズは背筋が寒くなるのを感じた。
――彼が彼でなくなる時が来るかもしれない。
(……まさか、ね)
今回は召喚されてからの蓄積と彼の願望が結び付いて効果が発揮されたのだろう。だが、強固な意志を持つ彼がこれ以上干渉を許すとは思えない。
(ウェールズ様に生きていてほしいって強く願ってたんだわ、きっと。今回はともかく、もうわたしの言うことなんてきかないだろうし。……それはそれで腹立つわね)
頭を振ってしつこくまとわりつく不吉な予感を追い出そうと努める。今はただ喜びに浸っていたかった。
「ありがとう。きっとウェールズ様も――」
どこから棺を用意したかも訊かずアンリエッタに知らせようとしたが、ワルドに止められた。
「目が覚めるかどうかまだわからない。下手に希望を持たせる真似は慎むべきだ」
「そう、ね」
ルイズは棺を心配そうに見やり、続いてミストバーンに視線を向けた。
どれほど破れようとすぐに修復するはずの白い衣が燻り、背から煙が立ち上っている。
「わたしの魔法で……?」
普通の魔法は効かないのに彼女の爆発だけは効果があったようだ。
(え、わたし死ぬの?)
そのまま連れ出さずわざわざ爆発を起こさせたのは、ウェールズに敵前逃亡したという汚名を着せないためだろう。
いくら慌てていたとはいえその気になれば範囲や規模を変えられたはず。せっかく練習してきたのだからもっと上手く調節すべきだった。
ワルドがルイズを守ろうと足を踏み出しかけたが、殺すつもりはないようだ。
緊張の反動で彼女は泣き笑いしながら床にへたりこんで息を吐き出しかけ、使い魔を攻撃してしまった事実に気づき愕然とした。
慌てて賢者の石を振りかざしても無駄だと氷の声が返ってくる。悔しさを噛みしめた彼女の耳に飛び込んできたのは予想外の言葉だった。
「見事だ……ルイズ」
彼の意思を読み取って急な指示に従い、いきなり高所から放り出されても凄まじい威力の爆発を起こし、ウェールズ救出の力になったことを褒めているのだろう。
初めて名を呼ばれた彼女の顔がくしゃりと歪む。
「バカ……! 褒めるところズレてんじゃない? 嬉しくないわよ……!」
震える肩をそっと抱くワルドをミストバーンが観察する。
ワルドは危険に身を投じた。ルイズのために戦うという言葉に嘘は無いようだ。
結果的に組織を裏切ることになっても、自分なりの信念を持って高みを目指すならば、敬意を払うに値する。
しばらく彼は黙っていたが、やがて疑問に思っていたことを問うた。
彼が突然姿を消した後、何の指示も与えられなかったワルドはグリフォンを呼んで空中に待機していた。
まるで彼がウェールズ救出のために動くことを予想していたかのように。
そして、落下したルイズを見事に受け止めた。
どうやって彼の行動を読んだのか。
ワルドの答えは単純だった。
「何故かそんな気がしたんだ。君のおかげでちょっとした王子様気分が味わえたよ、はっはっは」
それ以上訊いても無駄だとわかっているため沈黙するしかない。
ミストバーンは二人を見て、これから先真に尊敬することになるか否か思考を巡らせていた。
それからルイズ達は任務の結果を報告しに王宮に向かった。
その際、ウェールズが生きているという事実を隠すことに決まった。
「やっぱり姫様にだけは話した方がいいんじゃないかしら」
とルイズは何度か言ったが拒絶された。二人ともウェールズの意志に任せるつもりらしい。
アンリエッタに謁見したルイズは事の次第を説明した。
手紙を取り戻したと知っても彼女の顔は暗い。
ウェールズは深く傷つき倒れた。今手の届かない場所にいる。その知らせが彼女の心を責め苛んでいる。
ルイズが何か言おうとすると、沈黙を守っていたミストバーンが重々しく告げた。
「ウェールズは勇敢に戦った」
ワルドも頷いて同意を示す。
そう聞いても寂しげな表情は晴れない。自分よりも名誉の方が大切だったのかと思ってしまう。
ハルケギニアの王家が弱敵ではないと示すためだと頭でわかっていても、心が追いつかない。
物憂げな彼女を大魔王の部下が慮るはずも無く、何かを思い出したように顔を上げて淡々と呟く。
「そう言えば、お前の名を呟いていた」
ミストバーンにはそれが何を意味するのか理解できない。人間の愛情や絆からは離れている存在なのだから無理もない。
重要なことをいきなり告げた傍らの男をワルドが凝視し、考えてから言葉を紡ぎ出す。
「殿下。皇太子にとって殿下は特別な御方……深く傷ついてもなお、想っていたのです」
王女の顔が泣きそうに歪んだが、かろうじてこらえる。
やはり理解できない彼は、わかっていること――信じていることのみ告げた。
「私の知るウェールズは勇敢な戦士だ。……これからも」
ワルドも頷き言葉を続ける。
「そのお心に応えてくださいませ。殿下」
アンリエッタはルイズから返された水のルビーに触れながら、覚悟をにじませた目で、
「ならば、私も勇敢に生きようと思います」
と告げた。
そして、ウェールズのつけていた風のルビーを指にはめ、水のルビーはルイズに手渡した。
最終更新:2008年11月30日 17:14