ゼロの影~The Other Story~-30

番外編~我が胸で泣け~
 ことの発端はミストバーンが原因でルイズが盛大に泣き出したことから始まる。
 白い衣を掴み涙と鼻水を全力で垂れ流す彼女の姿にワルドは非常に心を痛め、ウェールズは途方に暮れていた。
 ミストバーンは風の音のように泣き声を聞き流しているように見えるが、よく観察するとわずかに困った様子を見せている。
 魔宮の廊下に人間の少女の慟哭が響くなど本来ありえない。
 通りすがりの魔族達はそろって興味をそそられたように立ち止まる。
 冷酷な男と可憐な少女という珍しい組み合わせ――それも前者は立ち尽くし、後者は涙しているのだ――に皆思わずにやにや笑いかけ、慌てて立ち去っていく。
 泣き止まない彼女に、どこにそれほどの水分があるのか探るような視線を向けると、しゃくりあげながら答えた。
「あんたの分まで流してんの!」
「鼻水もか?」
 素朴な疑問にルイズは眼をきっと吊り上げて叫んだ。
「……ええそうよ!」
 ますます衣を握る手に力を込め、激しく泣きじゃくる彼女を当人は扱いかねている。
 これが敵ならば声どころか生命活動をもすぐさま止めるのだが、強大な力を持つ一方で自分にすがりついて泣く少女など初めてなのだ。
 主はルイズに協力するよう命じており、ひ弱な相手にあまり手荒な真似はできない。
「あんたなんかぷるぷるのスライムになっちゃえばいいのよ!」
 常ならば感情のままに言葉を吐き出す彼女をなだめ、止めるのはワルドやウェールズの役目だ。
 だが、今回は原因がミストバーンにあるため本人に任せるつもりのようだ。
 対処を求めるようにちらりと目を向けた彼に、ワルドが冷厳たる口調で宣告する。
「君が泣き止ませたまえ」
 続いてウェールズを見るが、やはり首を横に振る。弁護するつもりは無いらしい。
「言っておくが、手刀で気絶させたり闘魔傀儡掌で無理に口を閉ざすのは認めん」
 先手を打たれ、彼は動かしかけた手を止めた。
「どうすればよいのだ……?」
「幾千幾万の敵に立ち向かう力を持ちながら、そんなことも知らぬのか。“大魔王の腹心の部下”の名が泣くぞ」
 そう言われると後には引けない。
 ウェールズは「“大魔王の腹心の部下”だからこそ知らないのでは?」と思ったが、黙っていた。励ますように拳を上げてみせる。
 己のプライドを傷つけられたミストバーンは冷静に記憶をたどった。
 ハルケギニアから立ち去ろうとした時、ルイズはやはり泣き出した。
 確か、ワルドの対応は――。

「あんたなんか――え?」
 弾丸のような勢いで放たれていた言葉が途切れた。
 銀色に鈍く煌めく手が、桃色の髪をそっと撫でたためだ。まるで壊れやすいガラス細工に触れるように慎重に、ゆっくりと。
 ぎこちない手つきに、見守っていた二人は応援したい心持になった。
「な、何、何よ」
 まだ涙も言葉も止まっていないが、先ほどまでの勢いは無い。
(頑張れ! もう少しだ!)
 ようやく人間らしい心が芽生えようとしているのかもしれない。
 だとすれば、歴史に残る記念すべき第一歩だ。
 今目の前で、奇跡が起ころうとしている。

 心温まる光景に表情を緩めかけた二人は、次の瞬間凍りついた。
 片手を頭に乗せたまま、ミストバーンはもう片方の手を少女の口の中に素早く突っ込んだのである。
「へあ?」
 ルイズの目が丸くなり、涙と言葉が完全に止まった。
 固まった空気の中、泣き止ませることに成功した彼は二人に視線を向け、どうやら己の行動が間違っていたらしいと気づいてかすかに首をかしげた。
 暗黒闘気を使ってはいないし、実力行使で意識を刈り取る真似もしていない。効率的かつ穏やかに黙らせることができた。
 それなのに、二人は口をぽかんと開けている。
「もが! もがが!」
 ルイズの抗議の声に、止まっていた時が動き出した。
 息が止まるほど深く突っ込まれたわけでも口内を怪我するほど乱暴だったわけでもない。むしろ、普段の態度から考えれば優しいとさえ言える。
 それでも不快なことに変わりないため手を動かして抜こうとする。
 少女の助けを求める目にウェールズは我に帰り、言葉を探しながら呼びかけた。
「あー、その……仲間の――それも女性の口に手を入れるのは礼を失した行為だ。敬意を払うに値する相手にすべきではない」
 何故自分がこんなことを説明しなければならないのか、そもそも答えはこれで合っているのか疑問に思いながらウェールズが告げると、彼は手を抜き出した。
(期待した僕が間違っていた)
 咳きこむルイズにウェールズが慌てて駆け寄り、背中をさすったり空気中の水分を集めてうがいをさせたりする。
 少し落ち着いたルイズは涙目になりながら顔を上げ、睨みつけた。
「……同じ目に遭わせてやりたいわ」
 白く美しい手を上げて呟いた彼女はワルドに顔を向けた。
 真っ先に抗議するはずの彼が何故黙っているのか。
 自分の夫の姿を見たルイズは息を呑んだ。
 ワルドは身を震わせている。その目に燃えているのは――漆黒の激怒。
「ルイズ。君の細く華奢な指ではいけないよ。代わりに僕の杖を彼の口に突っ込む」
 声は歯の隙間から絞り出されるようだった。軋むような呻きとともに杖を構える。
「そこから『エア・ニードル』と『エア・スピアー』、『エア・ハンマー』に『ウィンド・ブレイク』を叩きこむ。もちろん『ライトニング・クラウド』もだ。かまわないね?」
 淡々と呟く彼の姿に、一気に頭が冷えたルイズがしがみつくようにして止める。
 今の彼ならば、たとえ大魔王バーンだろうと封印を解除したミストバーンだろうと『烈風』カリンだろうと単身挑むに違いない。
 一人でヘクサゴン・スペルを唱えかねない勢いだ。
「ワルド落ち着いて! あいつちゃんと加減してたわ! たぶん消毒されてるから汚くもないはずよ! お願いやめてッ!!」
「悪意があったわけではない! こちらの価値観を全て当てはめるのは無理な話だろう!」
 ウェールズも必死に制止するが、ワルドの怒りは収まらない。
「許せるものか! それで済むならば竜の騎士は存在せん! ……あの世でルイズに詫び続けろミストバーンッ!!」
 憎しみに染まった絶叫とともに襲いかかったワルド――遍在達も出現している――をミストバーンも迎え撃つ。
 鍛錬の成果を確認するため暗黒闘気の技は使わないつもりらしい。
 ルイズは戦闘の途中から状況についていけず放心状態になり、ウェールズは彼女を庇っていた。
 その目には共感が浮かんでいる。
 お互い苦労するね、と言いたげな。

 宮殿のあちこちが破壊された後で暴走がおさまり、ミストバーンはワルドに不思議そうに尋ねた。
 お前ならば先ほどはどうするのか、と。
 するとワルドはよくぞ訊いてくれたと言わんばかりに胸を張り、涙を流しているルイズに歩み寄った。
「刮目せよ」
 重々しく呟いてから優しく桃色の髪に触れ、少女の体をふわりと抱きしめる。最後に彼は唇を重ねた。
 三種の行動をほぼ同時に連続して行う動作はごく自然で隙が無い。
 それを受けた少女は涙や言葉の威力を殺され、何が起こったのかも分からずに行動不能に陥ってしまう。
 三つの動作を一瞬で行うワルドの編み出した秘奥義――恐るべき技だ。
「あ……あれを身につけねばならぬのか?」
 傍らに立っているウェールズが引きつった顔と疲れた声で答える。
「いや。君はそのままでいい。ありのままの君がいいんだ」
 あんな技を会得されても困る、憎悪を剥き出しにして本気で殺しに来る方がいくらか気が楽だ――内心の呟きを押し殺したウェールズはルイズを見た。
 彼女は何をされたのか理解できないようにしばらく呆然としていたが、やがて顔を真っ赤にして床に倒れこんだ。
「ひ、ひひひ、人前で、キ、キ、キスキス」
 頭を抱え、そのままのたうち回る。
 実感が湧かないとはいえ夫婦なのだから覚悟はしていたつもりだったが、まさかミストバーンやウェールズの見ている前でされるとは思っていなかった。
 恥ずかしさのあまり見悶えして床を転げ回る彼女とは対照的に、ワルドは爽やかな笑みを浮かべている。
「恥ずかしがる必要はないさ、ルイズ。僕たちは夫婦なのだよ? これから幸せな家庭を築くんだ。そうそう、家の規模だが――」
 ワルドは目を輝かせて理想の未来について滔々と語り始めた。
 今まで言葉をかけるだけで特に何も出来なかったのだが、思わぬ好機が巡ってきて接吻できた。そのため理性の箍が見事に弾け飛んだらしい。
「子供は……そうだな。まず君のように可愛い娘が絶対欲しい!」
 ルイズが足をばたつかせ、絞め殺される寸前のような叫び声を上げた。
 彼女の願いもむなしくワルドは幸せ家族計画を延々と語り続ける。
 ちなみに、ワルドは後に羞恥のあまり死にそうになった彼女から散々な言われようをされることになる。
 いわく、“歩く煩悩”、“風系統のくせに空気読めない”などなど。
 とどめに「閃光のようにさっさと燃え尽きちゃえばいいのに」と呟かれ大ダメージを受けることとなったらしい。

 防衛本能に従い適当に聞き流していたウェールズは、ミストバーンの呟きによって現実に引き戻された。
「どのような兵士が誕生するのか……」
「兵士?」
 彼の言うとおり、貴族の子弟なのだから闘う術を身につけるだろう。
 だが、言い方に引っ掛かるものを覚えたため訊き返すと、よくわかっていないような声で答えが返ってきた。
「子供は禁呪法のようなもので生み出すのだろう?」
「……は?」
 ウェールズは魔界に来て得た知識を掘り起こし、探り出した。
 禁呪法とは物質に意思と人の形を与える禁断の呪法である。生み出された生命体は術者の精神が反映されるため、子供と言えなくも無いのだが――。
(どうしてそんな……。誰かから誤った知識を吹き込まれたのか?)
 数千年生きているわりに妙に純真なところがあるため、適当な情報をそのまま信じてしまったのかもしれない。
「違うのか。禁呪法とよく似ていると聞いたのだが」
 頭痛をこらえ、溜息とともに答える。
「君は勘違いしているよ」
「む……。ならば教えてくれ」
 ウェールズはまじまじと相手の顔を眺めた。
 冗談を言っているわけではないようだ。
 書物で見たり魔族から聞いたりした経験があるはずだが、ズレた知識の上に情報が重ねられ、正しい方向からわずかにそれてしまったのだろう。
 あるいは、知識が正しくても実感を伴っていないのかもしれない。
 これほど無邪気で答えにくい質問をされたのは初めてだ。
 上手い答えはないかと頭を回転させ、知識を総動員する。
「マ、マザードラゴンが運んでくるのでは?」
「それは竜の騎士に限ると聞いている。……どうした。顔が赤いぞ」
 指摘されたウェールズは顔を逸らして視線から逃れようとした。
(竜の騎士について知っていながら……戦いに関する知識だからだろうか?)
 その予想は当たっていた。
 竜の騎士は確実に主の敵となり得る存在であり、いずれ戦うことになるはずの相手――神々の造りし最強の戦闘生物だ。
 だからこそ、情報を収集し正しく理解するよう努めていた。
 返答に窮したウェールズは助けを求めるようにルイズを見るが、ワルドの言葉によってツッコむどころではない状況だ。
 いっそのことレコン・キスタの軍勢に一人で突撃した方がマシだと思いながらウェールズは考えた。
 そして、答えた。
「君の主に訊きたまえ。僕には説明できない」
 素直に頷いたミストバーンの顔を見ないようにしながら、ウェールズは深い深い溜息を吐いた。

 そのままワルドとルイズのやりとりをぼんやり見つめていたウェールズに再び声がかけられた。
「ウェールズ」
「……何だい?」
 まだ何かあるのか。
 ついそう思ってしまった彼を責めるのは酷というものだろう。
 嫌な予感を噛みしめながら先を促すと、どこまでも真面目かつまっすぐに尋ねられた。
「“レモンちゃん”とは何だ?」
 ウェールズが改めてワルドの言葉に意識を向けると、先ほどからルイズに向かって何度もそう言っているようだ。
 痛恨の一撃をくらい続けている彼女は顔を赤く染めながら床に頭をガンガンぶつけている。
 ウェールズは、今度は正直に答えた。
「わからない。後で僕も訊いてみるよ、君の主に」
 ワルドに訊くのは憚られる。ルイズに訊くのも気の毒だ。ならば博識な第三者に尋ねてみるのがいいと判断したのだ。

 ――二人の質問に大魔王が何と答えたのか、知る者は数少ない。




おまけ

一時は落ち着いた魔界の情勢

――宮殿にて起こる騒動
「魔界のほれ薬は長く効く。そのままでは一生解けんぞ」
「そんなのイヤーッ!」

――初めての手料理
「ど……どうだ……?」
「とても美味しいよ。君の主も喜ぶと思う」
「確かに美味しいけど! 間違ってるわこんなの!」
「泣くのはおやめ、僕のルイズ。君の手料理ならばもっと嬉しいんだが」

――忠告
「いいかい、最大限の敬愛と忠誠心を示すには“主”ではなく“ご主人様”と呼ばなければならないんだ。この書物にもそう書いてある」
「わ、私は今までなんという失態を……ッ!」
「そんな呼び方しなくても十分伝わってるから! ああもう何でわたしがフォローしなくちゃなんないのっ!?」

――忠勤
「給料をもらっていないのかい!?」
「?」

しかし不穏な影が忍び寄る

――疑惑
「強くなれない? 君が?」

――告白
「僕は『レコン・キスタ』の一員――アルビオンを滅ぼした組織に属していた」

――ウェールズの決意
「この力の使い方を教えてほしい」

――正義の光
「光の闘気!?」

――破られる力
「闘魔傀儡掌……!」
「その程度の技が通じるとでも?」

――世界扉(ワールド・ドア)
「乗り込むことも可能、というわけだな」
「でも……!」

やがて訪れる闘いの時

――解放
「それが君の……?」

――陥穽
(お前の言葉は正しかった)

――ワルドの覚悟
「前にも言った。僕が守ると!」

――対…
「お前は……!」

――覇気
「久しいな。この感覚は」
(なんて楽しそうなの)

――戦う者
「生まれ持った姿や力に葛藤し、這い上がろうとする者を……虫ケラとは呼ばぬ。譲れぬもののために立ち上がり戦う者を……虫ケラとは呼ばぬ!」

――利用
「フッ……ハハッ……! そうだ……お前は私の道具だ。武器だ」
「そう、か」

――竜と魔が相見える時
「大魔王ともあろう者が、何たるザマだ」
「宴に遅れて到着したお前に言われるとは……。道にでも迷ったか?」

――共闘~影と……~
「大魔王様のお言葉は――」
「すべてに優先する、でしょ?」

――もう一つの共闘~竜魔……~
「「焼き尽くすのみ!!」」

――ルイズの決断
「あんたのせいよ!」

――太陽を我が胸に
「極大天候呪文(ラナルータ)」

――“最高の表情”
「私は……必要とされなくなってしまった……」

(……泣いているのか?)

「やれ」
「……嫌よ」

一からゼロへ。
Lv.0へ。
そして、真の一人へ。


『天 魔 鳴 動』



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最終更新:2009年01月23日 23:47
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