ゼロの影~The Other Story~-29b

最終話 一(ひとり)後編~ゼロと一~
 力無くへたりこんだ少女が呆けたような表情で呟いた。
「た……助かった、の?」
 ワルドも草原に腰を下ろし、ウェールズは倒れている。
「あれ見た後だとあいつが天使に思えるわ。……冷酷で暴力的だけど」
「奇遇だねルイズ。僕も同じことを思ったところさ」
 乾いた笑いと引きつった表情をかわしたあと、よくも切り抜けることができたものだと冷や汗をかきながら二人は何が起こったかを思い返した。
 別れの挨拶の直後、ルイズは諦めずに杖を振り下ろした。
 あのままでは発動すらしないはずだったが、キルバーンの言葉は彼女の怒りに火を点けたのだ。
 感情の波があっという間にうねり、高まり、渦巻いて『虚無』の力に変換される。
 だが、効果が十分に発揮されなかった。
 何しろ、慌てるあまり自分でもどんな魔法を唱えたのかわかっていないのだから。
「何あれ?」
 彼女が間の抜けた声で呟いたのも無理はない。
 人形の後方に水晶のように光る鏡が現れ、ここではない別の光景を映し出している。鏡は大きさを増し、人形の頭部よりやや大きい程度まで膨れ上がり止まった。
 規模が小さく、そのままではどうしようもない。
 考えるより先に、閃光の名に違わぬ速さでワルドは詠唱とともに素早く杖を振るった。
 風の刃が飛来するが、位置の関係上人形に直接叩き込むことはできない。
(戒めを完全に切断する威力も無い。だが――!)
 彼を信じるしかない。
 彼は死神には無いものを持っているのだから。
 蔓の一部が切り裂かれ、無理やり引きちぎったミストバーンが爪を伸ばし形成した剣で首をはねた。
 もはや力など残されていなかったが、主のために戦い続けてきた数千年の経験が――彼の体を動かした。
 接近し、油断した状態で、機械のように正確かつ容赦の無い斬撃を回避することはできない。
 神速で首を切り離してのけたミストバーンだが、それ以上動く前に限界を迎え、自由になった片腕が力無く垂れた。
 宙に舞った頭を吹き飛ばしたのは、ウェールズの生み出した空気の槌だった。
 鏡のような扉の中へ頭部が吸い込まれる。
 数秒とかからぬ一連の行動に遅滞は無く、あらかじめ打ち合わせていても不可能なほど息の合った動きだった。
 扉の向こうに一つ目の小人がちらりと見えた直後に、扉は消えてしまった。
 確認はできないが、おそらく“向こう”で黒の核晶は爆発したはずだ。
 自分が仕込んだ爆弾の爆発に巻き込まれたのだ。密かに作動させていれば、またはルイズを甘く見ずに詠唱を阻止しておけば、違った結末を迎えただろう。
 命を落としたか生き延びたかわからないが、今は確かめようという気にはなれない。

 彼女は背を向けて立っているミストバーンを見て口を開きかけたが、虚しく言葉を飲み込むしかなかった。
 敵の陣営に属するとはいえ、気の合う友人だと思っていた相手が機械でできた人形だったのだ。
 そして、数百年続いた友情があのような終わり方をした。
 こんな時どんな言葉をかければいいかわからない。
 告げられた言葉の残酷さより、友情が偽りかもしれないという思いの方が彼を打ちのめしているように見えた。


 罠の拘束から脱した彼は、頭部の無い人形を見下ろし胸の内で問いかけていた。
 奇妙な友情は、真の姿と同様に不確かで儚いものだったのか。
 敵同士でも通じ合うものがあったと思ったのはただの幻想――そうであってほしいという願望に過ぎなかったのか。
 何も分からない。
 答える相手はもういない。
 認め合い、主の下で共に闘った相手との友情は終わった。終焉を予想していたとはいえ、このような形で幕引きを迎えるとは思っていなかった。
 対極の性格だというのに奇妙なほど気が合ったのは、無意識のうちに同じものを感じたためではないか。
 彼が普通の魔族ならば、相手が人形だったと知ってもそこまで衝撃は受けなかっただろう。
 何が本物で何が偽りか、彼にはわからなくなっていた。
 他に本物だと思っているものも、そう思い込んでいるだけで偽物ではないか。
 そもそも、偽りでないものなどあったのか。
「私も偽りだったというだけのこと……」
 これこそが、相応しい結末と言えるかもしれない。
 自分のもの――本物ではない身体。
 本物ではない力。
 それに似つかわしい、“人形遣い”と人形の間の友情。
 何もかもが偽物。
 対等な相手など最初から存在しなかった。
 騙されたなどと詰る気もその資格も彼には無い。秘密を抱き正体を隠していたのはどちらも同じだ。
 人形の力で戦うやり方を非難する権利も持たない。
 主を殺そうとしたのは許せないが、それを除けば憎しみも心の中に見当たらない。
 容赦ない攻撃は戦闘において当然のこと。告げられた言葉の残酷さも、ああいう性格だとよく知っている――はずだった。
 死神は、最後まで死神らしく振舞った。
 あの状況下で武人らしい行動をとったり、友愛に満ちた感動的な言葉を吐いたりする姿を想像する方が難しい。
 幻に打ちのめされることまではキルバーンも意図していなかっただろう。
 胸に開いた虚無の穴にあらゆる感情が吸い込まれてしまったような、無限に砂漠が広がるような、空虚な想いが彼を支配している。
 彼は幾千年も前から元々一人だった。
 一人で大魔王を守り抜いてきた。
 仕えてきた数千年こそが彼にとっての誇りだ。
 そして、彼にとって主は絶対的な存在であり、対等の立場にはなり得ない。
 立ち尽くす彼は淡々と呟いた。
「私は一人だ」
 どことなく笑っているような口調だった。
 当たり前のことを突き付けられただけだ。
 主以外との他者との関わりなど所詮うたかたの夢に過ぎないと知っている。これからも主のために戦い続けるだけだとわかっている。
 偽りでしかない存在は、永遠に本物を手にすることは無い。
 この手で何かを掴むことはできない。
 これが長い年月の果てにたどり着いた真実だとすると、あまりにも虚しい。

 ルイズは反論しようとして口を閉ざした。
 二人の友情の一部しか知らない彼女が、ただの間違いだったと過去を切り捨てるような真似はできなかった。
 また、友情は確かに存在していた、一人ではないと主張したところで口先だけの否定にしかならず、意味を持たない。
(認めないわよ、そんなの)
 そう思うものの言葉が出てこない。ワルドも考えこみ、黙りこくっている。

 重い空気の中ウェールズが立ち上がり、よろめきながら歩いて彼の前に立った。
 意を決したように顔を上げ、息を吸って吐き出す。
「命の恩人にあのような態度を取ってしまった非礼……今さら許してくれなどとは言えぬ。すまない……!」
 全て暗黒闘気やキルバーンのせいだと片づけられればよかった。
 だが、黒い感情を増幅させ、弾けさせたとはいえ奥底にあったのは紛れもなくウェールズ自身の思いだ。
 尊敬すると言いながら、同時に越えられぬ淵を感じていた。
 その証拠に、内に流れる力がミストバーンの体と同質のものだと知った時、嫌悪し、恐怖した。
 自分もあんな風になるのではないか。
 忌まわしい体へと変貌するのではないか。
 魂を認めたはずだったが、完全に受け入れたわけではなかった。
 己の狭量さを認めたくなくて、国を守れなかった苦悩とともに全てを憎悪に向けてしまった。
 ルイズ達に杖を向けたのは羨望があったためだ。
 叶わぬ想いを抱いたまま勝ち目のない戦に赴いた、滅びた国の王族である自分。
 それに対し、互いに手を取り合って光の中を歩んでいく者達。わけのわからない力で生かされ、自己が侵食され失われる予感に脅かされることの無い彼ら。
 二人を祝福した気持ちに偽りはないが、それだけではないこともまた事実。
 もっと早く心の闇と向き合っていれば、死神の罠に抗しえたかもしれない。ミストバーンが苦しむこともなかった。
 ウェールズは己の弱さを認める言葉を吐き出した。
「僕は君を――憎んでいたんだ!」

 しばらく沈黙が漂ってから返された言葉は、ただ静かだった。
「知っている」
 負の思念から生まれた彼には馴染み深い感情なのだから、とっくにわかっていた。
 いまだに距離が遠く隔たっていることを感じたウェールズは唇を噛んだ。
 ミストバーンは、ウェールズがいまだに憎しみしか抱いていないと考えている。記憶を失っている間の戦いをはっきりとは知らないようだ。
 自分の蒔いた種とはいえ、戦いを経て何も変わっていないのだと思うと、虚しさがウェールズの心を支配していく。
 否定しようにも、言葉が渦巻き、口にできない。

 ルイズも同じ想いを味わっていた。
 彼が一人だと肯定しては、召喚した意味がゼロだと認めることになる。
(何か……何かできないの? 何か……!)
 ワルドがミストバーンを挑発するように声をかけた。
「元の世界に戻るのだろう?」
 かすかに頷いただけで返事は無い。
「先ほど死神もルイズが鍵を握ると言っていた。もしかすると本体は一足先に魔界に帰っていたのでは――あの扉は魔界につながっていたのではないかね」
 扉の向こうにピロロがいたというだけでは、ハルケギニアの別の場所かもしれない。
 だが、あえて希望を示すことで彼の活力を呼び覚まそうとしたのだ。
「魔界に……」
 ぼんやりとした口調は気力の火が消える寸前だと知らせている。
 体力は徐々に回復しているが、意志の力はかえって減退しているようだ。
 記憶を奪われ抵抗できない状態で散々痛めつけられ、瀕死にまで追い込まれた。
 感情を爆発させ、意識を取り戻した直後に気の合う友人との殺し合いに突入した。
 力を振り絞って勝利したと思いきや、友の正体が人形だったと知らされ衝撃を受け、訣別の時を迎えた。
 己を奮い立たせて戦った反動で張りつめた糸が切れかけているのだろう。憎悪すら湧かない状態なのだ。

 彼も扉の先が魔界である可能性は考えた。
 だが、ルイズの精神力はゼロに近い。
 小規模な爆発ならともかく、異世界に通じる十分な大きさの扉を作り出すにはかなりの力が必要となる。溜めるには時間がかかる。
 こればかりは彼の力でもどうすることもできず、待つしかない。
 記憶を取り戻すことができただけでも十分な収穫と言うべきで、ここはひとまず引き上げればいい。
 彼も、ルイズも、ワルドやウェールズも疲れきっている。休まなければならないのは皆同じだ。
 だが、ルイズは諦めきれなかった。
 ここで退いては後悔する気が――壊れた何かがもう二度と戻らない気がした。
 共に闘った今しかないと、心のどこかで声がする。
 ウェールズの言葉を信じてルイズは立ち上がった。
「……ミストバーン」
 振りむいた彼の胸元のルーンが鈍く光った。存在を主張するように。
「ボロボロのあんたにこんなこと言うのも気が引けるけど……あんたの力、わたしに頂戴」
「君の力はもう尽きたはずだ。それに、『虚無』は負担も大きくなるんだぞ」
 心配するワルドに対しルイズは首を振った。
「一刻を争うんでしょ?」
 ミストバーンは、疲れ果てているのに行動しようとする少女を眺めている。全く理解できないというように。
「無茶するのがあんただけの特権だと思ってんの? おめでたいわね」
 ルイズは鼻を鳴らし、答えを促すように睨みつけた。
 彼は決断を迫られていた。
 一旦学院に引き上げ、体勢を立て直すか。
 それともこの場で困難に挑戦するか。
 冷静に利を考えるならば前者だが、キルバーンの台詞や心を砕かれた間に見た光景を考えると、一刻も早く主の元へ馳せ参じなければならない。
 切れかけた糸にすがってでも進むしかない。
 限界まで消耗し、疲れ果てても、どうしても譲れぬものがあるのだから。
 ルイズがあえて後者を選ぶというのなら、答えは一つだ。
「力が欲しければ――」
 目に見えぬものを差し出すように、手をスッと伸ばす。彼に残された最後の希望へと。
「くれてやる」
 ルイズはにやりと笑い、腕を組んだ。
 つかつかと歩み寄り、冷たい手を掴んでぎゅっと握る。
「その言葉、待ってたわ」
 彼女が杖を掲げるのを合図としたように胸のルーンが輝き、授業の時のように二人をつないだ。
 彼の体から力が抜け落ちる代わりに、ルイズの中に『虚無』の力の源が流れ込んでいく。
 彼女は『始祖の祈祷書』を開き、ページをめくった。その手が途中で止まりかけたが、再び動かして詠唱を開始した。

 ――ユル・イル・ナウシズ・ゲーボ・シル・マリ

 からっぽだったルイズの中に入った力はうねり、高まり、『虚無』へ変換されていく。

 ――ハガス・エオルー・ペオース

 だが、足りない。
 ミストバーンの方は先ほどまで消滅寸前だったのだ。いくらか体力を取り戻したとはいえ、このままでは消耗するばかりで失敗してしまう。
 それを見ていたウェールズは首を振った。何もできないままなど耐えがたい。
 彼に対する敬意が本物ならば、今ここで見せる時ではないのか。
「どうか……彼らの力に!」
 祈るように手を伸ばすと、ルーンから伸びた光が指先につながった。体の内に流れる力がルーンを介して二人に送り込まれていく。

 その光景を見たワルドは、ミストバーンがルイズに召喚された理由を悟りつつあった。
 ミストバーンの体は暗黒闘気でできている。
 どす黒い思念から成り立つ彼の体がルーンによってルイズに流れ込むことで、怒りなどを糧とする『虚無』のエネルギー源となる。
 もしミストバーンが万全の状態で、ルイズが力を溜めて挑めば。
 共鳴を利用し、互いに力を増幅し合うことができれば。
 召喚者と被召喚者の関係に無いウェールズが力を注げた仕組みを解き明かし、次の段階へ進めることができれば。
 想像を絶する効果を発揮するだろう。
 それこそ、歴史をも変えるほどの。

 大気の震えが膨れ上がり、弾けると、異なる世界をつなぐ扉が形成されていた。
 その向こうに見えるのは暗黒の地――魔界。
 彼は夢の世界を歩むような足取りで進んでいく。立っているのもやっとの状態だとわかるほど力が無い。

「ちょっと! 待ちなさいよ!」
 扉に踏み込もうとしていた動きが止まる。
「何か言うことあるんじゃないの?」
「……さらばだ。ルイズ」
 全く顔を動かさないまま機械的に言い放たれ、ルイズが凍りついた。激しい憎悪や殺意を向けられた時よりも、淡々と呟かれた一言の方が遥かに深く心を抉っていった。
 彼女の中で急激に何かが湧き上がる。力が抜けそうになる足を必死で動かし、闇の衣を掴む。
 その頬には涙が流れていた。期待していた言葉ではなく、一方的に別れの挨拶を告げられたことが引き金になったようだ。
「どこ行くのよ」
「再び……戦場へ」
 主の元へ。
 今さら何を、と言いたげな声にルイズはぶんぶんと首を横に振った。
「何が偽りよ? わたしはずっとニセモノに認められようとしてたわけ? じゃあわたしは道化ってことになるじゃない……横っ面ひっぱたくわよ!? 爆発(エクスプロージョン)で!」
 たたみかけるように言葉をぶつけ、肩を震わせる。ワルドは途中まで頷いていたが、勢いのまま吐かれた暴言にぎょっとして目を見開いた。
 使い魔に影響を受けたのだろう。貴族の令嬢とは思えない発言だ。
 息を呑んだが反応は無い。
(……重症だ)
 感情が麻痺しているのだろう。痛手からまだ回復していないようだ。
 ワルドは苦い表情になるのをこらえきれなかった。単に強敵と戦ったところでここまで精神的に疲弊することはないはずだ。
(僕には不可能だ、あんな表情をさせるのは。……そもそも、他にできる相手がいるのか?)
 いるとしても限られているだろう。
 キルバーンだからこそ出来た。相手がミストバーンでも――否、ミストバーンだからこそ死神としての流儀に従ったのではないか。

 考え込みそうになったワルドの意識をルイズの声が現実に引き戻した。
「一人ですってぇ……? 勝手に自己完結してんじゃないわよ、ばかっ!」
 涙だけでなく鼻水も盛大に流しながら、顔をぐしゃぐしゃにして叫ぶ。
 衣にしがみつくようにして泣き出した彼女にワルドが慌ててハンカチを差し出した。だが、彼女は見向きもせずに熱い涙をこぼし続ける。
 何故泣くのかわからない彼に、ルイズが肩を震わせながら言葉を紡ぐ。涙やその他を白い衣に落下させながら。
「友達を喪ったら、泣くものよ。でも、あんたは泣けないでしょ?」
 影は涙を流さない。
 正体を知ってもなお、友達だとルイズは言った。
 そう言うしかなかった。
 道が隔たり真実が明らかになったからといって、それまでの過程全てが否定されるわけではない。
 もし彼女がミストバーンに杖を向けることになったとしても、何もかも打ち消すことはないだろう。
 大魔王のために利用するつもりだったとはいえ、与えられたものがある。
 安易に相手との関係を否定すれば、今までの自分をも否定することにつながってしまう。
「それに、あんたみたいな変な奴のために泣く人間なんていないに決まってるわ。だったら、わたしがあんたの代わりに泣くわよ! そして――」
 しゃくり上げて言葉が途切れたルイズの髪を優しく撫でて、ワルドが呟いた。
「僕のルイズを派手に泣かせるとはけしからん男だな、君は」
 幼子にするように桃色の頭をぽんぽんと叩き、目を鷹のように細め睨みつける。その中には今まで見たことのない激怒が燃えていた。
 全身に傷を負い血まみれの壮絶な姿で、刺すような視線を向ける。
「君のために戦った者達の想いを踏みにじっておきながら、強者への敬意だと? 笑わせるなよ」
「何……!?」
 記憶を取り戻すまでの戦いの様子をほとんど知らない彼は、ワルドの言葉が理解できず鋭い視線を向ける。
 怒りに触発され、心の働きを取り戻しつつあるようだ。
「誰が理由も無く死神に挑むものか。その身を焼かれる覚悟で炎の中に踏み込むものか。確かに君は強いが、今ここに立っているのは自分一人の力だと言うつもりか? ……自惚れるな!」
 キルバーンはルイズ達が戦おうとしなければ手出しはしなかった。無力感に打ちひしがれるのを見物し、ミストバーンの死を確認すればそのまま立ち去っただろう。
 だが、ルイズは罠を止めるために戦いを選び、ワルドは彼女を守るため杖を向けた。
 ルイズが危険を承知でウェールズの心を戻そうとしたのも、アンリエッタだけでなくミストバーンとの間の敬意を想ったからだ。
 ウェールズもそれに応え、自身の闇を克服して炎の中に足を踏み入れた。
 罠の中の彼を放っておけば、見殺しにすれば、それだけで片付いた。自らの手を汚すことなく憎い相手は滅んだ。
 打つ手がなかった、仕方なかったと後で言い訳すればいい。
 だが、それをよしとせず、炎の中に歩み入った理由は。戻れなくなる可能性を承知の上で、危険に身を投じたのは――。
 先ほど憎悪を明らかにしたのも全てを受け止めるため。
 ミストバーンが怒りとともに刃を振りかざしても、避けるつもりはなかった。首をはねられることも厭わなかったに違いない。
 ルイズが感情を抑えこんだ震える声で告げる。ウェールズの火傷は彼を救出したためだと。
 死神との戦闘によって負ったとばかり思っていた彼はわずかに目を見開いた。
 散々焼かれただけに炎の苦痛がどれほど激しいものか知っている。
 だからこそ、生命力の劣る人間が憎んだ相手のために命をかけて行動するなど信じがたい。
 ウェールズが怒りを込めて静かに問う。
「君は、僕が負債を返済するような義務感で動いたと思っているのか?」
 命を救われてしまった借りを仕方なく返すだけ。単に戦力として利用するためだと。
「……冗談ではない」
 呟く彼の表情は高貴さと威厳に満ちていた。
「この私、アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーの認める相手を侮辱する者は――たとえ君でも許さんぞ」
 以前とは違う、自分や相手の抱える闇を知った上での言葉だ。
 その眼光は険しく、魂を貫き通さんばかりだ。対等の立場にいる者として相手を見つめている。
 誰であろうと偽りなどとは言わせない――そんな気迫に満ちている。

 ルイズが顔を上げ、涙に濡れた目で睨んだ。
「あんたはバカよ。大バカよ! わたしも行くのに先走っちゃって」
「ルイズ!?」
「え?」
 ワルドが目を見開いて叫んだ。
 ミストバーンも虚をつかれ目を丸くした。
 ただの人間が――それも肉体の脆弱な少女が、弱肉強食の則の支配する魔界に行くなど自殺行為だ。
 ワルドが何か言おうとするより先に、照れたように微笑む。
「ねえワルド、新婚旅行の行き先は魔界でいいかしら?」
 共に行くことが前提だと知ったワルドの顔に理解と納得、歓喜が浮かび上がる。彼は実に紳士的に一礼した。
「もちろんさルイズ。休暇届も出していたからちょうどいい」
 さらに、ウェールズが悪戯を思いついたように笑いながら手を広げた。
「異文化交流や異国視察は後の戦いに役立つだろう。二人の邪魔などという野暮なことをするつもりはないゆえ、同行させてくれまいか」
 ルイズとワルドは歓迎するように頷いた。異文化や異国どころではなく異種族かつ異世界なのだが、指摘することはない。
「血迷ったか! 危険が待ち受けているというのに……っ! お前たちにはバーン様のために戦う理由は無いだろう!」
「危険そのもののあんたに言われたくないわよ。大魔王のために戦う気なんてさらさらないわ」
「ならば何のために……!?」
「あんたの――あんたの作った手料理が食べたいもの。あんたを召喚した意味がゼロじゃないって証明したいだけ」
 恥ずかしいことを言っていると彼女は自覚していない。
 ルイズを守るようにすぐ傍に立ち、ワルドが告げる。
「言ったはずだ。大切な者を守るために力が欲しいと。魔界に君臨する大魔王の力――この目で見なければ気が済まない」
 黒の核晶爆破直前に味わった無力感は心に深く刻み込まれている。
 もっと強くなりたい。信念を抱くならばそれを貫き通すための力が必要だ。
 あの時感じた衝動が、彼を駆り立てる。
 一同の中では最も常識的なウェールズも同意するように頷いている。
「憎悪しか抱いていないと思われたままでは納得いかぬ。このまま立ち去るなど貴族にあるまじき行為だ」
 ミストバーンへの態度を命がけで救出することによって償ったとしても、ルイズを傷つけたという負い目が残っている。
 何より、彼女に心を救われた恩義を感じている。
 そのため力になろうとしているのだ。
 ハルケギニアに戻ってきた時、彼が本当に出発することとなる。

 呆然とする彼の口から言葉が転がり落ちた。
「魔界を甘く見て――」
「そっちこそハルケギニアなめんじゃないわよ。あんたが不死身なら……わたしだって不死身なんだからっ!」
 勢いよく叫んだルイズに彼はすっかり動転している。
「な……何故そうなる……!?」
 フーケと戦った時、人間が脆弱であることを肯定したというのに。
 そこでワルドが胸を張り、白い歯を輝かせながら微笑んだ。
「一人では弱くとも、誰かと共に在ることで強くなれる。……ということで、僕は君の微笑さえあればいくらでも不死身さ! ミ・レィディ」
「ひとまず落ち着きたまえ。子爵」
 鼻息荒く目を輝かせながら宣言したワルドにウェールズが苦笑した。
(うう……っ!)
 長年の間沈黙を命じられてきた彼が、弾丸のような勢いで言葉を叩きつけてくる相手に口で勝てるはずがない。
 予期も理解もできぬ言動を繰り出す三人に彼は何と言えばいいのか分からなかったが、ルイズがビシッと指を突きつける。
「早くしないと扉が消えるわよ。……ダメって言うなら別にいいわ。今のあんたなら――この通り!」
「あっ?」
 細い腕で、思いきり押す。
 体勢をわずかに崩した彼をウェールズとワルドが絶妙の連係で扉の中へ突き飛ばした。
 吸い込まれた彼を追って、彼女はためらいなく飛び込んだ。衣の袖を引っ張り、手を掴む。
「あんたはさっき“一人”って言ったけど、メイジは召喚した相手と一心同体なのよ」
 信じられないというように目を瞬かせた彼に眼をギラリと光らせて言い放つ。
「知らなかったの? わたしからは逃げられない……!」
 彼が一人で行こうとするならば、追いかけるだけだ。自分の存在を認めさせるために、何度でも。
 残った二人も頷きあって同時に飛び込む。光が弾け、思わず瞼を閉ざした。

 硬い感触に襲われたため目を開くと、彩りに乏しい荒涼とした大地が広がっていた。
 黒雲に閉ざされた空、煮えたぎるマグマが不毛の世界だということを実感させる。
「後悔しても知らんぞ……」
 呆れたような力の無い呟きにウェールズが不敵な笑みを浮かべた。
「しないさ」
 ワルドがルイズの服についた埃を払い、すぐそばに立つ。
「さて、まずは大魔王の居城に行かねばな」
 傷が塞がり表情にも生気が満ちている。扉をくぐる際に精神力や体力がわずかに回復したのかもしれない。
 ルイズが笑い、ミストバーンの隣に立った。
「わたし、ずっと“ゼロ”って呼ばれてきたのよね。……近いと思わない?」
 ゼロのルイズと一人のミストバーン。
 ゼロと一。
 隣り合う存在。
 彼女は自分の道を進んでいくつもりだ。
 今はまだ力が足りないが、いつか肩を並べることができるように。
「今のわたしが“ゼロ”じゃないなら……あんたも“一”じゃなくなるかもしれないわね?」
 彼はふと疑問に思った。
 もし自分の正体を知ったとしたら、ルイズ達は――そして、キルバーンは嘲るだろうか、と。
 彼にとってのキルバーンは仮面をかぶった陽気な死神であり、ピロロではない。
 友情が本物だったのか結論はまだ出ないが、いつか答えが分かる日が来るのだろうか。
 先ほどのルイズの言葉が蘇る。
『あんたを召喚した意味がゼロじゃないって証明したいだけ』
 おそらく、答えはこれから見つけるしかない。
 彼の内心を見透かしたかのように、ルイズから言葉が届いた。
「そういえば……前思ったわ。あんたたちは、お互いに鏡みたいなものなんじゃないかって」
 反対かつよく似ている――対称的な存在。
 今までの、そしておそらくこれからも彼の在り方を映し出すもの。キルバーンの方も同じかもしれない。
 だとすれば、倒して全てが消えるわけではない。
 対極の立場でも共感を覚えたならば、相手の像を残したまま進んでいくことになる。
 鏡像(ゼロ)と自身(一)。
 互いにゼロであると同時に一でもある、とても近い存在。

 全てを受け入れたわけではないが、知った以上は向き合うだけだ。
 行動しようとせず、何も知らないまま過ごすことも――認めたくないものから目をそむけ、遠ざけることも――主が嫌う行為だろうから。
 胸の中で主の名を呼ぶ。
 すると、それに応える声が聞こえた。
『ちょうどよいところに戻ってきた。つい先ほど面白いことが起こったばかりだ』
 その声をルイズ達も聞き、一斉に彼に視線を向けた。
(ああ――)
 力が湧き上がるのを感じる。消えかけていた炎がたちまち激しく燃え上がる。
『早速働いてもらうぞ。お前の力が必要なのだ……ミストバーンよ』
 目が輝き、全身から放たれる空気が変わる。力に満ちたそれへと。
「仰せのままに。バーン様」
 黒い霧の下、久しぶりにわずかに笑みを浮かべた彼にルイズも微笑んだ。
「“べほま”かけられたような顔しちゃって。やっぱり不死身――」
「大魔王様のお言葉はすべてに優先する……!」
 湧き立つ闘志が痛みを忘れさせる。
 戦いしか知らぬ存在ならば、心が折れぬ限り戦うだけだ。何度でも、何度でも、主のために。

 彼らの様子を見たウェールズが苦笑し、杖を抜く。
「そこまでにしておきたまえ。ここは歓談するのに相応しい場所ではないようだ」
 風の刃が飛び、敵を切り裂く。ミストバーンも爪を伸ばし剣を作る。
 いつの間にか周囲には見たこともない魔物の集団が現れていた。倒さなければ大魔王の居城へは戻れない。
 魔物たちを睥睨し、ワルドがひげをなでた。傍らに立つミストバーンに呼びかけるように言葉を紡ぐ。
「まったく……可愛いルイズや君と一緒にいると、楽しくてたまらないな! どんな敵にも立ち向かう勇気が湧くのだから!」
 ルイズを守るための戦いがさらに厳しいものになると知っていながら、彼は高らかに笑った。
 昔、大切な家族を喪い一人だと絶望した。だが、ルイズによって孤独(ゼロ)の影は払われ、前に進めるようになった。
 ウェールズも一度は自分を見失いゼロになったが、己を取り戻し一人の人間として再生を果たした。
 ゼロから一へ。

 彼らを見てルイズは世界扉の呪文を詠唱した時の様子を思い返した。
 『始祖の祈祷書』のページをめくった時にほんのわずかな間、別のページが光り、書いてあった呪文の “天候”という部分だけが見えた。
 暗くよどんだ魔界の空を見上げる。
 この黒雲をも晴らすことができるのだろうか。
 そんなことは不可能としか思えないが――。
(こいつとわたしなら――)
 大魔王の腹心の部下と、伝説の『虚無』の使い手ならば。
 『閃光』の二つ名を持つ風のスクウェアクラスのメイジに、アルビオン王国皇太子もいるのだ。
 杖を構え、叫ぶ。桃色の髪が風になびいて逆立った。
「さあ、行くわよっ!」


 ルイズが“ゼロ”ではないと証明できたのか。
 ミストバーンは“一”ではないと感じることができたのか。
 彼らが魔界でどんな光景を見、どんな影響を与えたのか。

 召喚した少女。
 彼女を愛する男。
 後に男からレコン・キスタの情報を入手し、戦いに身を捧げた青年。
 そして、魔界を照らす太陽が答えを知っている――。


ゼロの影~The Other Story~

『ゼロと一の物語』



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最終更新:2009年01月12日 23:33
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