18 幕間 『手紙』
ルイズには2人の姉がいる。
上の姉、エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。
王立魔法研究所に籍を置く彼女はルイズにとって頭の上がらない人物の1人であり、正直な所苦手意識が先に立つ人物でもあった。
エレオノールは優れた土系統のメイジで魔法学院在籍時は座学・実技共にトップの座を譲らなかった才媛だが、ヴァリエールの家系の例に洩れず性格がキツい。
魔法がどうしても失敗してしまうルイズにとって、幼い頃から指導して貰っていたこの姉に逆らうのは困難であった。
下の姉、カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌ。
彼女は生来病弱な体質だったがその性格は穏和で、ルイズにとって数少ない理解者の1人であり実際のところ心から敬愛していた。
カトレアは生まれてからずっとヴァリエールの敷地の外に出た事は無く、当然の事ながら魔法学院にも入学してはいない。
故にルイズは、この姉の為に定期的に手紙を書いていた。
手紙を読む事で、少しでも元気になってくれればいいと思ったからだ。
1年生の時、学院はルイズにとって居心地の良い場所ではなかったが、それがどうしたと言わんばかりに手紙には楽しい事を書いて送った。
2年生になってから、学院はルイズにとって居心地の悪くない場所になった。使い魔召喚の儀式から怪盗フーケの捕縛までは半月も立っていないが、その間には色んな事があり、
ルイズの評価も変わっていく。
特にフーケの一件以降、魔法が成功しないという事実は変わりないのに学院生徒の中で彼女は『なかなかやる』という意見が増えつつあった。
教師も怯んだ捜索隊に真っ先に立候補した事、そしてシュヴァリエの申請を辞退した事が他の捜索隊メンバーから漏れたのがその一因だ。
貴族として生まれ育った彼らに『貴族としての在り方』を考えさせるきっかけとなった、と後にある教師が手記に記している。
そんな事もあり、ルイズは手紙に書く出来事には苦労しなくなった。
『フリッグの舞踏会』の翌日、二日酔いの頭を抱えながらも、ペンを走らせるルイズの顔には笑みが浮かんでいる。
使い魔の召喚が上手く行ったのは既に報告済みで、今書いているのは対フーケ戦の事だ。自分よりも使い魔の活躍の方を多く書いているのはご愛嬌といったところか。
宝物庫でオスマンやコルベールに言われた事までを余すところなく書き上げ、ルイズは満足げに伸びをした。
この手紙が家族や一部の学院関係者にどんな影響を与える事になるか、彼女はまだ知らない。
ルイズからの手紙が届いた日、カトレアが体調を崩して床に伏したと聞いたヴァリエール侯爵の妻カリーヌは娘の部屋へと赴いた。
規律や規則を重んじ自分にも他者にも厳しい彼女であったが、それは決して理不尽なものではなく、畏れられてはいても恨まれはしていない。
そして厳しさの裏には確かな愛情が存在している事は、娘を心配して足を速める彼女を見れば明らかだった。
使用人を下がらせ、小さなノックの後ゆっくりとドアを開けると部屋の中にいた動物たちが一斉にこちらを見る。
「母様」
ベッドの上で半身を起こしたカトレアがおっとりと微笑んだ。
「寝ていなくても大丈夫なのですか」
動物たちを避けながら歩み寄るカリーヌに、笑みを浮かべたままカトレアは言う。
「ごめんなさい。体調は悪くないのです」
カリーヌは怪訝な顔をした。意味もなくこんな事を言う娘ではない。しかし、自分の体調を偽ってまで母親を部屋へ呼ぶ理由が判らない。
そんな思いを知ってか知らずか、カトレアは手に持っていた一通の手紙を差し出した。
「これは……ルイズの字ですね」
カリーヌが末娘の手紙を最後に見たのは10ヶ月ほど前になる。
入学当初、家族全員にそれぞれ一通ずつ手紙を出していたルイズに『手紙は無用。その分勉学に励みなさい』と返事を出したのはカリーヌであった。
夫は何か言いたげな顔だったが、何も言わなかったので問題はないと判断した。あったとしても聞くつもりはないが。
結果としてカトレアだけがルイズの手紙を読む事となった訳だが、流石にこれをやめろと言うつもりはなかった。
ルイズは随分カトレアに懐いていたし、カトレアも外に出る事が出来ないだけにルイズの手紙を楽しみにしていたのは承知していたからだ。
さておき、中を読むよう促された彼女は分厚い封筒を手に取る。
短編小説ほどもある便箋を読み進めていくカリーヌだったが内容が進むにつれ表情は引き締まり、終盤においては背に冷たい汗がつたっていた。
そうして最後まで読み終えたところで、彼女は長い長い溜息をつく。
実際の所、かつて魔法衛視隊の長を務めていた者として、国内随一の大貴族の一員として、そして1人の母親として、末娘に対して言わなければならない事が山の様にあった。
誇りと名誉を重んじるのは良いが、トライアングルクラスのメイジを敵に回すなど無謀の極みである。余り心配を掛けさせないで欲しいものだ。
近いうちに、使い魔と共に帰省させましょう。
固く誓ったところでこちらの様子を窺っていたカトレアに気付く。ふと、カリーヌは自分より先にこの手紙を読み終えたこの娘の感想が聞きたくなった。
問われたカトレアはころころと笑って答える。
「わくわくしましたわ、まるで冒険小説を読んでいるみたいで」
そういう問題ではない、とカリーヌは思ったが、同時にこの娘らしい、とも思った。
外の世界を知らないせいか大人しい印象を持たれがちなカトレアだが、洞察力は非常に高く他人が口にしていない事をあっさりと見抜いてしまうところがある。
今の発言にしても、もちろん思ったのは本当なのだろうが、手紙を読んだ事で気苦労の増えた母の気持ちを和らげるつもりもあったのではないだろうか。
「ひょっとしたら、あの子が一番母様に似ているのかもしれませんね」
カリーヌは即座に考えを改めた。やはりただの天然かもしれないと。
しかし公爵夫人も若い頃は『規律に従わない者は始祖でもシメる』とまで言わしめた豪の者であった。
竜の群れを纏めて薙ぎ倒すわ、反乱を1人で制圧するわと大暴れする度に周りの人間は心配しまくっていたのだから、カトレアの指摘はあながち間違いでもない。
ちなみに『始祖でもシメる』発言の主は当時の国王であり、それを聞いた側近たちは揃って頷いたという。
トリステイン王国の首都、トリスタニア。
その片隅に一軒の定食屋がある。異国訛りの強い男が主人で、愛相はないが出す料理はすこぶる美味く価格も安いのでそれなりに繁盛している。
利用客は当然平民たちだが、酔っ払って暴れたりする事は無い。以前、酔漢同士のケンカが刃傷沙汰になりかけた時、件の亭主があっという間にその2人を叩きのめしたのだ。
その時の亭主は素晴らしく容赦がなかったので居合わせた客は震えあがり、以来この店で深酔いする者はいなくなった。
暫くの間あそこの親父は傭兵上がりだ等という噂がまことしやかに流れたが、それでも不思議な事に客足が途切れる事は無かった。
この都に店を出して30年程が過ぎ、最近では孫も生まれたが味も愛相が無いのも変わらない。なんにせよタニアっ子たちに受け入れられ、常連のいる店なのである。
だがその常連たちの中に、平民ではなく大貴族や国の重鎮が紛れ込んでいる事は知られていない。
カトレア宛ての手紙が届いた日の夕刻。
年の頃は40から50代と思われる、がっしりとした体格の男が件の店に入った。気軽に挨拶する顔見知りに手を振って答え、奥まった席へ歩を進める。
そこには既に先客がいた。こちらも似たような年の、やや白くなった金髪に口髭の持ち主だ。
「なんだ、遅かったじゃないか」
「ぬかせ、さっさと楽隠居決めやがったてめぇと違ってこっちはまだ現役だぞ。そうそう早く来れるかってんだ」
伝法な口調で憎まれ口を叩きながら、しかしその眼は笑っていた。
実はこの2人、歴とした貴族である。
後から店に来たのはグラモン伯爵。先祖代々武門の出であり、当主である彼も元帥号を持つトリステインを代表する武人だ。
先に待っていたのはヴァリエール公爵。その始祖は王の血を引いており、冷静な戦略眼と威厳をもつ国内随一の大貴族だ。
少なくともこんな平民向けの定食屋にいるような身分の持ち主ではない。
ないのだが、彼らはまだ若い時分からこの店を愛用していた。当然正体は伏せたままである。
流石に若い頃の様に通いつめてはいないが、城に上がっている時はなんとか時間を捻り出してここで舌鼓を打つのが彼らの密かな楽しみなのであった。
「なんでえ、『鳥』はまだ来てねえのかい」
グラモン伯爵がべらんめえ口調なのは演技ではない。美女相手には歯が浮くような美辞麗句を並べ、王族には完璧な礼節をもって接する男だが、気心の知れた相手にはいつもこんな調子だ。
「あいつは今ゲルマニアだ、『嬢』と一緒にな。というかそれ位は把握していろよ」
ヴァリエール公爵は、伯爵に比べればまだ砕けていない語り口である。もっとも、普段の彼を知る人間が聞けば驚くに違いない口調ではあるのだが。
「ああそうか。じゃあ『鳥』の奴、とうとう本腰を入れてきやがった訳だな」
「そういう事だ。『隣』も時間の問題らしいしな。『掃除』をするタイミングとしては悪くないだろう」
豆と臓物の煮込みとワインを注文しながら2人が話しているのは、この国を支えているといっても過言ではない事実上の宰相とその政策についてである。
マザリーニ枢機卿。
ロマリア出身である彼はトリステイン王が崩御して以降、次期教皇と目されていながらもこの国を離れず常に政治の舞台に居続けた。
その為トリステイン乗っ取りを企んでいるなどという噂が流れ、実際民衆にも貴族にも嫌われている。
とくにヴァリエール公爵との仲は最悪で、公は枢機卿の事を『鳥の骨』と呼んで憚らないのは国内だけでなく他国にも知れ渡っていた。
そうなるように、公爵と枢機卿の2人が率先して流言飛語を撒いたのである。
トリステイン生まれではない宰相と王位継承権を持つ大貴族の仲が良いなど百害あって一利なし、いらぬ勘繰りを受ける位ならいっそ険悪な方がまし、というのが彼らの考えだった。
その実、裏では昔からこの店で一緒に飲み食いし、若い頃にははしごした先で馬鹿騒ぎを起こしていたのだから世話は無い。
その『鳥』は、現在隣国との軍事同盟締結の為奔走していた。更にその裏で宮廷内の膿を?き出す為の策を巡らし始めてもいる。
「まあここまで来て固い話をしても仕方ない。もっと楽しい話題があるんだが」
「どうせ女房のノロケか娘の自慢だろうがよ、てめぇの楽しい話とやらは」
付き合いの長い伯爵はうんざりとした表情を浮かべる。毎回この手の話を聞かされて、毎回同意を強要されて、しかも毎回長話になるのが常なのだった。
ホントにお前トリステインを代表する大貴族なのかよ、と思った回数はこの店にいる常連たちの指全てを使ってもまだ足りない。
もっとも、その彼にしても忙しく料理を運んでいる下働きの娘の尻を撫でようとして反撃を受ける姿はとても一国の元帥には見えなかったが。
「不愉快だな。一体いつ私がノロケや自慢をしたというのだ。ただ事実を述べているだけだぞ」
「それを世間一般じゃノロケとか自慢ってんだ」
いつもの会話をいつものように繰り広げながらワインを飲む。
「まあ何と言われようと今日は末娘の話をするんだがな」
普段は大貴族としての威厳に満ち溢れているその顔が、今は娘を自慢したくて仕方がない父親のそれになっていた。
「ああ、そういやうちの倅たちと一緒に『土くれ』をとっ捕まえたみてえだな。先生からシュヴァリエ申請が来てたぜ」
「何故お前が私より先に言うんだ! あと『私のルイズが』お前の息子たちと一緒に捕らえたんだ、順番を間違えるんじゃない」
伯爵のうんざり顔がよりひどくなった。心の底からどうでもいいと思っているのだが、口に出すと面倒くさい事になるのであえて言わない。
口にしたのは別の事である。
「まあシュヴァリエにはなれねえけどな」
「どういう事だっ!」
凄まじく不機嫌そうに怒鳴るヴァリエール公爵に、グラモン伯爵は呆れたように説明した。
「こないだシュヴァリエ授与の条件変わっただろ、従軍経験必須って」
そういえば、と公爵は若干冷静さを取り戻し、しかしその提案をしたのが誰かを思い出してまた不機嫌になる。
「全く必要もない事を無駄に提案したものじゃないか、あの『鳥』めが。これだからロマリアの人間は駄目だと言うのだ」
「お前も『このままでは貴族や軍人たちからの要らぬ嫉妬を煽る事になる。不穏な時期だし、あいつにしてはいい提案だ』とか言ってたじゃねぇかよ」
伯爵の鋭いツッコミを公爵はあっさりとスルーした。これもまたいつもの事である。
「功績を立てた者に褒章を与えるのは当然だろう。学生の身分でありながら一人前のメイジが何度も出し抜かれた怪盗を見事に捕らえたのだ、騎士叙勲して何が悪い」
そのメンツの中に娘がいなかったら絶対ンな事言わなかっただろてめえ、と喉までそんな台詞が出掛かる伯爵であったが、なんとかモツの煮込みと共に飲み込んだ。
「とりあえずお前の口から褒めてやればいいだろ、シュヴァリエは無理だが精霊勲章は出るだろうしな」
そんな提案を公爵は一蹴する。
「いや、褒める訳にはいかん。実力もないのに無謀な作戦に立候補するなど以ての外だぞ、追随してくれる者がいなければどんな事になっていたか! 公爵家の一員としての自覚が足りんわ」
力説するヴァリエール公爵であったが、伯爵の「本音は?」との問いにたちまち相好を崩して答えた。
「流石は私とカリーヌの子だ! 貴族たる者、敵に背を見せるなど言語道断! よくやったとしか言いようがあるまい」
「てめえはその辺り本気で素直じゃねえよなあ……。厳しく躾けたいのは分かるが、褒めて伸ばすってやり方だってあるだろうによ」
「順位は低いと言えど、仮にも王位継承権を持って生まれて来た身にそんな甘い事でどうする。これでも妻からは『厳しさが足りない』と言われている位だ」
グラモン伯爵は若干蒼ざめながら言った。
「あの女房の納得のいく『厳しさ』ってのは、あんま想像したくねえなあ……」
「それは常々私も思ってる所だ」
ヴァリエール公爵の顔も、また蒼ざめていた。
「まあなんだ、娘ばっかりなのも大変だな。うちはその点助かってるがよ」
グラモン伯爵の子供は4人全員が男児である。
「馬鹿言うな、この世に娘くらい可愛い物は他に無いぞ? そんな真理を見つけられないお前に哀れさすら覚える今日この頃だ」
公爵の言葉を伯爵はあっさりスルーしたが、そんな彼らの元へ見当違いな同意を示す者がやってきた。
「そうじゃよなあ、いいよなあ娘! 若くて綺麗で尻とか撫でても怒らなければなお良し!」
現れたのはすっかり白くなった長髪と白髯の持ち主である。テーブルの2人はそんな闖入者に対し親しげに声を掛けた。
「娘の意味が違います。あと私の娘たちをそんな目で見たらトリスタニア中を引きずりまわした上で首を晒すのでそのおつもりで」
「よう先生、久し振りだなあ! ほんと相変わらずだけど年と役職考えてちょっとは自重しろよ?」
トリステイン魔法学院の学院長にしてかつての教え子たちにこの店を教えた張本人、オールド・オスマンはあからさまに傷ついた表情を見せた。
「最近は若い者だけじゃなくこんな親父たちまで老人を敬おうとせんのう……。まったく教育に携わる連中は何を教えておるのか」
齢100とも300とも言われる碩学が体をクネらせながら自分の事はサハラまで吹っ飛ばすような愚痴を零す光景は名状しがたいモノがある、と親父呼ばわりされた2人は思う。
まあそれでも一応は恩師であり、今は子供が世話になっている身でもあるので賢明にコメントは避け、オスマンの分の酒と料理を追加注文するに留めた。
「しかし珍しいな先生、こっちに来るなんて。最近は『魅惑の妖精亭』に入り浸りだって噂なのに」
ニヤニヤと笑う伯爵に、学院長はしかめっ面をしてみせる。
「否定はせんが、誰じゃそんなウワサ流しとるのは」
「倅からの手紙にそう書いてあったぜ。そもそも否定しないのかよ聖職者」
「教師である前に男じゃしなあ、別に否定する事もなかろ。大体お前だって行ったことあるじゃろあの店」
ニヤけた顔でかつての師弟が軽口を飛ばしあう様は、まさにそこらの酔っ払いのオヤジたちそのものであった。
一応は国の重職についているこの2人を放置しておくのはトリステインにとって害ではないのか、と公爵は思いつつ軌道を修正する事にする。
「それで、私達に何か用があるのではないのですか? 偶然この店ではち合わせた、という訳でもないでしょうに」
やっぱジェシカたんの胸サイコーとか、いや胸よりも尻とフトモモじゃろジェシカたんは、などと盛り上がるエロ師弟は公爵を半目で見つめた。
「これだから女房の尻に敷かれているヤツは駄目だ」「そういえば昔からこの手の会話に水を差すのが得意じゃったのう」
公爵は答えず、視線のみで早く本題に入れと促した。当然視線には色んなモノが込めてある。
具体的に言うと、一番比率が高いのが殺気。
オスマンは視線に押されたのか、真面目な顔をして懐から一通の封書を取り出しヴァリエール公爵に差し出した。
「城で会えたらこいつを渡そうと思ったんじゃが入れ違いになったようでの、どうせここだろうとアタリをつけただけじゃ」
「うおなんだ愛の告白か!? ついにそっちの道に走ったかよ先生! こっち来んな!!」
大袈裟にのけぞる伯爵を一瞥し、しかしオスマンはツッコミを入れる事は無かった。
「そうじゃな、人に見られると恥ずかしいから誰もいない所で読んでくれんか。読み終わったら確実に処分してくれると助かるのう」
公爵は怪訝な顔で封書を受取る。
オールド・オスマンは普段の言動こそアレだが伊達に長生きしている訳ではない。直接話さず手紙にする時点で機密性の高い情報が書いてあるとみたが、その内容までは流石に想像の外だ。
「書いてある内容も基本的に他言無用じゃ、話すのならば公爵家当主として信頼できる人物だけにしておきたまえ」
ここまで念を押されては、慎重の上に慎重を重ねなければならない。下手をすれば国家を左右するような事が記されていると公爵は判断した。
「それはまた随分熱烈な告白ですな。心して読むとしましょう」
ヴァリエール公爵が封書をしまいこむのを確認し、オスマンはシリアス顔をひっこめ笑みを浮かべた。
「これで少し肩の荷が降りたわい。さあ、固い話はここまでにしてあとは心置きなく乳と尻とフトモモの話を……」
そう言いかけた彼の顔が、しかしいきなり蒼くなった。それを見てグラモン伯爵が訝しげにツッコミを入れる。
「どうしたよ先生、付き合ってる女に3股がバレたみたいな顔になってるぜ」
ピシャリ、と片手で顔を覆いつつ、オスマンは呻き声を上げた。
「いや……一番口止めが必要な当事者に事の重要性を伝えるのすっかり忘れとったー……」
「ダメだろそれ」「あれだけ私に念を押しておきながら何をしてるんです」
その後。間髪入れずの駄目出しに落ち込むオスマンを慰めるのに、ボトル2本が必要だった。
それでもまだダウナー傾向の恩師を引きずるようにしてグラモン伯爵は『魅惑の妖精亭』へと足を向け、一方のヴァリエール公爵は自領へ戻る予定を早める事にする。
ただでさえ策謀の蠢くこの土地でこんな手紙を読む気にはなれない。
幸い王都での所要は概ね済ませていたので、移動手段を馬車から竜籠へと変更すべく公は城へと戻るのだった。
翌朝、慣れ親しんだ屋敷へ戻った公爵を待っていたのはルイズからの手紙を携えた妻であった。
「……召喚した使い魔のルーンが『神の盾』のものと一致しただと!?」
末娘が無事に使い魔召喚の儀式を成功させたのは知っていたが、どんなモノを召喚したか把握してはいなかった。
ルイズからの手紙によれば、その使い魔は身の丈3メイルの鰐頭の亜人で人語を解する武人であるという。
使い魔なのに武人というところが既に常識外なのだが、手紙の内容を纏めると更に常識からかけ離れていった。
その性格は豪胆でありながら気配りにも長け、貴族・平民・使い魔を問わず周囲からの人望は厚く、大きな戦斧を巧みに使いこなす近接戦闘の達人で、
なおかつ30メイルの土ゴーレムを倒す実力を持ち、おまけに伝説の使い魔のルーンを持っていると言うのである。
非常識にも程がある、と思わざるを得ない。
よく『メイジの実力を知りたくばその使い魔を見よ』などと言うが、スクエアメイジでもこんな使い魔は召喚できないだろう。
娘にとってこの上ない『当たり』の使い魔ではあるが、魔法が碌に使えない彼女が召喚できる様な存在でも無い。
では何故、ルイズはこのクロコダインと名乗る戦士を召喚する事が出来たのであろうか。
疑問の回答は、オールド・オスマンからの手紙の中に記されていた。
虚無の担い手。
6000年もの間、使う者が無かったとされる伝説の系統こそがルイズの属性であると。
ルイズの入学時に依頼された『魔法が失敗する理由の解明』、あくまで仮説であり現時点では実証も不可能としながらも、
しかしオールド・オスマンはある程度の確信を持ってその答えを導き出していた。
ルイズの『失敗魔法』が再現できない点、公爵家が始祖の血に連なっている事実、余りに『異質』な使い魔を召喚した事、その使い魔が語ったルーンの効果。
確かに状況証拠は揃っている。
しかしオスマンは、そしてヴァリエール公爵とその妻カリーヌはとても喜ぶ気にはなれなかった。
大きすぎる力は時として不幸を呼ぶ。その事を彼らは知っていたのだ。
幸いと言うべきか、ルイズは自分が虚無の担い手であるとは気付いていない様だった。こんな手紙を送ってきている事からもそれは判る。
オスマンが口止めを忘れたという人物もルイズの事とみて間違いないだろう。
問題はこの後どんな方針を取るかである。
公としては今すぐにでも娘を屋敷に呼び戻しずっと外に出さないようにしたい気分であった。
先王が生きている頃ならまだしも、現在のトリステインにおいて虚無の存在を明かすのは火薬庫にフレイム・ボールを投げ込むのとなんら変わりない事だと彼は判断している。
妻とも話し合った結果、近いうちに使い魔込みで帰省させた上で直に事の重要性を教え込むという事とあいなった。
今頃はオスマンから口止めをされているだろうが念には念を、という訳だ。
後は件の使い魔を検分する為に王立魔法研究所から長女エレオノールを呼び寄せておく必要もある。研究で忙しいだろうがそこは何とかしてもらおう。
カトレアにはルイズへの返信に『久し振りに顔が見たいので折を見て帰省して』との一文を入れてもらい、公爵からは都合がつき次第ルイズを家に呼び戻せるようオスマンに段取りを付ける。
大枠であるが方針が決定した後に、ヴァリエール公爵は傍らの妻に1つ提案した。
「諸々の問題はさておくとして、ルイズの魔法が成功したのは喜ばしい事だ。ここは盛大にパーティーでも開いて」
「そんな場合ではないでしょう」
まさに一刀両断である。
エア・カッターより鋭い切り口に精神的にのたうち回りそうになる公爵に、烈風の二つ名を持つ妻は微かな笑みを浮かべて言った。
「どんな立派な祝宴よりも、あの子に必要なのは貴方からの賞賛の言葉です」
勿論わたくしも褒めるべきところは褒めます、と言うカリーヌを公爵は半ば呆然と見つめた。
長い付き合いだがこんな甘い事を彼女が言ったのは片手で足りる数しかない。明日は槍でも降ってくるのではなかろうか。
まるで街中で韻竜にでも出くわしたような顔の夫に、ただし、と妻は付け加える。
「叱るべきところは叱ります」
ヴァリエール公爵は、ああやっぱりいつものカリーヌだと安堵しながら、叱られる立場となった娘の無事を神と始祖にこっそり祈るのだった。
最終更新:2009年02月26日 21:03