虚無と獣王-21

21  虚無と疾風
ゼロのルイズは夢を見ている。
幼い頃、魔法の上手く使えなかった自分が『秘密の場所』と呼んでいた中庭の池で泣いている夢だ。
学院に入学する前から幾度となく見てきた夢なので、この後どうなるのかもわかる。
小さな自分に優しくしてくれた年上の子爵が慰めに来てくれるのだ。
しかし、今回の夢は些か様子が違っていた。
いつもなら晩餐会に誘ってくれる筈の子爵は一向に現れず、そのかわり何故か自分の使い魔が現れて自分を肩車してくれるのだ。
何時も見ている景色よりも遥かに高い視点に驚きながらも喜ぶ6歳の自分。
ここはヴァリエールの屋敷の筈なのに、いつの間にか周囲には自分と同い年くらいの姿になったキュルケやタバサ、ギーシュたちがいて、ルイズを羨ましがったりからかったりしている。
(えーと、なにこれ?)
そんな光景を、上から今の自分が眺めていた。
やがて下の姉がやっぱり6歳位のシエスタと一緒にやってきて、皆に優しく微笑みながらお茶とお菓子を振る舞い始める。
わいわいと騒ぎながらお菓子を取り合う少年たち。
タバサはやっぱり本を読んでいて、それでも誰よりお菓子を食べている。
(おかしいなあ、わたし何でこんな夢を見てるのかしら)
ふと、ルイズは一緒にいた筈のクロコダインが少し離れた場所にいて、子供たちを眺めているのに気が付いた。
その眼はひどく優しくて、けれどどこか寂しげだという事にも。
(どうしたの? どうしてそんな眼をしているの?)
夢を見ているルイズは何故かその場を動けず、幼い自分は大好きな姉と仲間たちに囲まれてクロコダインに気付かない。
やがてクロコダインは彼女たちに背を向けて、その場から遠ざかって行った。
(どこへ行くの? なんでわたしたちに何も言ってくれないの!?)
ルイズの声は届かない。
クロコダインの行く先には、荒れ果てた太陽の無い土地と地獄の様な業火が見えた。
(クロコダイン! そっちは危ないわ!)

「行っちゃだめだったら!!」
目が覚めた。

土くれのフーケは夢を見ない。
眠っていないのだから当たり前だ。
彼女が今いるのは、トリスタニアの一角にあるチェルノボーグの監獄である。
(全く気に入らないね)
フーケは大層機嫌が悪かった。
杖を取り上げられ、鉄格子や壁には厳重な魔法障壁、地下にいるせいで今が朝なのか夜なのかもわからない。
食事は不味くは無かったが、脱獄予防の為か食器の類は全て木製であった。
捕まってすぐに死罪になってもおかしくない程度には盗みを働いているにも拘らず、裁判は来週以降だと言う。
それらの事を差し置いて、何より気に入らないのは。
「何だってアンタがここにいるんだい!」
フーケは木の机の上にいる、嫌と言うほど見覚えのあるネズミに話しかけた。
「いやあ、何か不自由はないかなと思っての」
ネズミの首にかけられた小指の爪ほどの水晶球から聞こえるのはかつての雇い主の声だ。
「地下牢暮らしの人間に不自由を問うわけ?」
フーケの口調が刺々しくなるのも無理はない、ふざけた問いだった。
「そうツンケンするものではないぞ。ほんの少し前までは学院長と秘書の間柄だったんじゃから」
「それで? 上司である事を笠に着て散々セクハラ三昧だった爺を尊敬しろとでも?」
「何なら愛の告白をして貰っても構わんがの」
「ハハハ地獄へ堕ちてしまえ」
なんとも心温まる会話の後、フーケは溜息をつく。この男に皮肉や悪態は通じない事は、秘書時代に身を持って学んでいた。
「それで一体あたしに何の様だい」
「なに、ちと聞きたいことがあっての」
水晶球から聞こえる声が、ほんの少しだが真剣味を帯びる。
「レコン・キスタ、という組織を知っておるかね」
「……聞いたことがないね、なんなんだいそいつらは」
首を傾げる怪盗の言葉に嘘はないと判断したのか、オスマンは素直に解説した。
「国を超えて連帯した反国家的な貴族たちの集団、だそうじゃ」
1呼吸おいて、更に続ける。
「今アルビオン王家を滅亡寸前まで追い込んでいる連中、と言った方が分かり易いかの?」
フーケの目つきがより一層険しくなった。
(このジジイ……こっちの素性を知ってんじゃないだろうね)
裏の世界に生きる者としてアルビオンが長く持たない事は知っていたし、その王家に複雑な感情を抱いているのも又事実だ。
しかし、そんな事情を知っている人間はごく少数の筈なのである。
「で、そのレコン・キスタとやらと、明日にも縛り首になろうかって哀れな女に何の関係がある?」
「情けない話じゃが、そ奴らは我が国にも少なくない数のシンパがいる様でな。のっぴきならない状態じゃといえる」
フーケは突然嫌な予感がしたので目の前のネズミを物理的に黙らせようとしたが、残念ながら相手の方が一瞬早かった。
「そこでお主には何とかしてレコンキスタに潜り込み、内部の情報をこちらに教えて欲しいと思っておる。無論報酬は弾むし、この国における盗みに関しては不問としよう」
ふざけんな、と怒鳴りつけようとしたフーケだったが、結果としてその言葉は彼女の口から出ないままとなる。
何者が階段を降りてくる気配がしたからだ。フーケが気配を感じるのとほぼ同時にモートソグニルが素早くその身を隠す。
やがて独居房の鉄格子の前に現れたのは、黒のマントにその身を隠した白仮面の男だった。
「『土くれ』だな」
その声は奇妙にくぐもっている。おそらくは風魔法で正体を悟られない様にしているのだろう。
(……なにこの不審者)
そんな第一印象はおくびにも出さず、フーケは適当に返事をしながら相手を油断なく観察した。
どう考えても真っ当な訪問者では無い。散々コケにしてきた貴族どもが放った刺客なのか。
だとしたら杖の無い今の状態では危険だ。デバガメネズミが当てになるとも思えない。
だが、そんな思いが実は杞憂だと言う事はすぐにわかった。
男は敵意がない事をアピールしつつ、自分につい先刻話題になったばかりの組織、レコン・キスタへの参加を持ち掛けてきたのだ。
フーケの本名をバラす事で退路を塞ぐおまけ付きで、である。
参加するか、死を選ぶかという2択問題だ。自殺願望などないフーケは当然参加せざるをえない。もっとも、先にオスマンから話を聞いていたので組織の存在自体は驚いていなかったのだが。
正直なところ、余りにタイミングが良いのでオスマンの自作自演の可能性すら考えているフーケである。
男は牢の鍵を開けると、後は自分で何とかしろとばかりに踵を返し、合流場所を教えて去っていった。

姿が見えなくなるのを確認した後、ベッドの上に姿を現したモートソグニルから興奮した声が聞こえた。
「のう、なんじゃなんじゃあの仮面! 今の都ではああいうのが流行り!? じゃあ今度からあんな仮面付けたら若いオネーチャンにモテモテ? モテモテなの!?」
「確実に捕まると思われます」
つい秘書時代の口調でツッコミをいれてしまうフーケである。
「まあ冗談はさておくとして、どうするつもりかね?」
絶対マジだったろこのジジイ、という感想を無理やり飲み込む。
真面目な話、レコン・キスタに参加するしかない状況だ。何せ自分の命が掛かっている。
問題はオスマンの誘いに乗って二重間諜をするかどうかなのだ。
相手は知る者が無い筈の自分の本名を把握していた。どこまで情報を握られているのか分らないが、少なくとも油断のならない連中なのは確かである。
プロでもない自分が上手く立ち回れるか甚だ怪しい。
しかし、腹の立つことにあの仮面の男は報酬等の話は一切しなかった。
レコン・キスタの考えに同調などしていない以上、自分の立場は傭兵と変わらない筈なのに、命を助けてやるから只働きしろと言ってる様なものである。
(このジジイの思惑に乗るのは業腹だけど、背に腹はかえられない、か……)
実を言えば故郷には妹分と孤児たちが待っていた。仕送り停止は遠からず彼女たちの死に繋がってしまう。
「……で? 報酬はどれくらい出せるんだい。こちとら命がけなんでね、はした金じゃ動かないよ」
実際には少額でも動かなければ只働きなのだが、そこは言わない約束である。
「ワシが一体どれだけ学院長をやっとると思う? その報酬額についてはお主もよく知っとるじゃろうに」
確かに秘書をやっていた時、王宮から支払われる学院長の年金を見て目を剥いた覚えがあった。
それを少なくとも数十年続け、しかも普段は学院に住んでいるので生活費は安上がり、なおかつ意外な事に浪費癖は無いオスマンである。
ポケットマネーがどれだけあるか、正直想像もつかない。
安心したフーケは、心置きなくボッタクる事に決めたのだった。


翌朝、ルイズの部屋を訪れたシエスタは驚いた。
なんと普段は確実に夢の中にいる筈の部屋の主がもう起きていたのである。
「ど、どうしたんですかルイズ様!? どこか具合の悪い所でも!?」
メイドとしてはかなり大概な態度ではある。
「あ、シエスタ、おはよう……。大丈夫、ちょっと夢見が悪かっただけよ」
眠たそうにそう答えるルイズを見て、シエスタは不安になった。いつもならここで何かしらのツッコミが入る筈なのだ。
「本当に大丈夫ですか? あまりご無理はなさらない方が……」
ここ最近のルイズは少し張り切り過ぎているとシエスタは思う。ついこの間フーケを捕まえに行ったと思ったら、昨日は使い魔がワイバーンと一戦交えるのに同席していたそうだ。
それでいて毎日の予習復習に何やら難しい調べ物もしているらしい。体調を崩してもおかしくはない。
「大丈夫だってば。心配性ね」
そう笑うルイズの顔は、やはり元気がないように思えた。

実際にはルイズの体調は別段何も問題はない。シエスタに語ったように、単に夢見が悪かっただけだ。
深夜に目が覚めてしまって、その後さっぱり眠れなかった訳で。
(もう、なんなのよあの夢……)
そこまで自分はクロコダインに依存していたのか、本当は元の世界になど還したくないのではないか、夢の中とはいえ何でクロコダインはこっちの言う事を聞かないのか、それって不敬じゃないの、とまあそんな事を延々と夜中に考えていればアンニュイにもなろう。
「おはよう、ルイズ」
「お、おはよう」
寮を出た所で当のクロコダインとおちあうが、意地っ張りなこの少女は昨日見た夢の話など出来る筈もなかった。
相手が心配するのは先刻のシエスタを見ても明らかだ。
「……?」
どこかぎこちなさを覚えるルイズの言動に訝しさを感じるクロコダインだった。

朝一番の授業はミスタ・ギトーが担当していた。
学院教師の中では一番若い男である。この年で学院の教師になるのだからかなりの実力者なのだが、その性格とどことなく不気味な外見から生徒からの人気は低い。
しんと静まり返った教室で、『疾風』の2つ名をもつ男は満足そうな顔をした。
そして系統魔法の中で何が一番強いのか、という問いを投げかける。
虚無だと思います、という答えにギトーは伝説の話では無いと不機嫌そうに返した。
ルイズは思う。この発言を教会関係者に漏らしたら確実に異端扱いね、と。
その一方で答えた生徒、『微熱』のキュルケは相手が求めている答えでは無いのを百も承知で「最強は火です」と大きな胸を張った。
彼女は自分の系統に誇りを持っていたし、自分がせっかく真面目に答えたのに全否定かコラ、とカチンと来たのである。
その後は売り言葉に買い言葉、何故かキュルケが火の魔法をギトーめがけてぶん投げる事となった。
実習にしてもハードすぎる。
キュルケが1メイルはある火の玉を作り出すのを見て、学友たちは彼女の本気度を悟り素早く机の下へと避難した。
普段からルイズの爆発に遭遇しているのでこういった行動はすこぶる速い。
唸りを上げて飛ぶ火の玉は、しかしギトーには届かなかった。
素早く張り巡らされた不可視の障壁によって火の玉は跡形もなく消え去り、更に突風がキュルケの体を吹き飛ばしたのだ。
そのまま教室の後ろまで飛ばされる彼女を、素早く後ろに回り込んだクロコダインが受け止める。
「大丈夫か」
「貴方のお陰でね。ありがと、クロコダイン」
キュルケは礼を言いながら頭の片隅で思う。
(これで人間だったら確実に惚れてたわね)
片隅でしか思わなかったのは、ギトーに対する反感と自分の不甲斐無さを痛感していたからだ。飄々としているようにも見える彼女だが、実際かなりの負けず嫌いである。

反面、学生とはいえトライアングルクラスの火メイジを一蹴した事で気を良くしたギトーは、更に続けて風魔法の素晴らしさを力説した。
そして彼が熱弁を振るうのに反比例して、学生たちは白けていく一方であった。
弱いと断言された火・土・水のメイジたちは当然面白くは無かったし、風メイジにしても「別にそこまで強くはないだろ」と冷静にならざるを得なかったからだ。
そして唯一、属性不明のメイジであるルイズも腹を立てていた。
以前の彼女ならばキュルケが酷い目にあっても憤慨などしなかっただろうが、使い魔召喚後の態度やフーケ戦を経て隣室の住人に対する印象は随分変わっている。
故に、火を消すだけで良かったにも関わらずキュルケを吹っ飛ばしたギトーにはひどく反感を抱いたのである。
そんな生徒たちの様子には全く気付かず、熱弁は更にヒートアップしていく。
その前に立つ者無く、身を守る盾となり、敵を倒す矛となり、更にもう一つ、と息継ぎをする。
そこへルイズが、絶妙のタイミングで相槌を入れた。
「確かに風の魔法は他を寄せ付けない強さを誇っています。先程の『実習』をみてもそれは明らかですね」
ギトーはほう、と感心したような顔をし、同級生たちは皆一様に怪訝な表情を浮かべた。
彼らはルイズという少女がおべっかや追随というものから程遠い人種である事を熟知していたからだ。
「──その実力を先のフーケ討伐の際にも発揮して頂きたかったと思います。未熟者の私としては、是非とも戦場における『疾風』の雄姿をこの目に焼き付けておきたかったのですが」
この痛烈な皮肉にギトーは一瞬言葉を失い、教室のあちこちからは失笑が洩れる。
フーケを追いかける際、教師側からは誰一人として立候補者がいなかった事は、既に学院の生徒だけでは無く平民の使用人にまで広まっていたからだ。
クロコダインも苦笑するだけで、フォローの言葉は思いつかない様である。
柳眉を上げて何か言い募ろうとするギトーだったが、突然教室に乱入してきた人物に遮られてしまった。
「えーと……ミスタ・コルベール……?」
同僚として彼の姿を見慣れている筈のギトーの台詞が疑問形になったのには理由がある。
何となれば、コルベールは頭に金髪ロールのカツラをつけ、服にはレースだの刺繍だのが踊っているという、実に珍妙な格好をしていたからだ。
(誰? ていうか、誰?)
(ヅラ? あれはヅラなのか?)
(ヤダ! なんか自分の髪型と被ってて凄くヤダー!)
(イヤ! なんか自分の服装と被ってて凄くイヤー!)
(何? 何なのあのファッション! 今の都ではああいうのが流行り!? じゃあ今度からあんな格好したら同級生たちにモテモテ? MOTEMOTEなの!?)
そんな生徒たちの疑問や感慨などには全く気付かず、コルベールは大きく胸を張って最重要事項を伝えようとした。
尤も、胸を張ったせいででかいカツラが床に落ちてしまい、それをタバサが無表情のままツッコんだ所為で教室内は笑いに包まれてしまったが。
もうギトーの「授業中ですぞ」などという抗議は誰も聞いていない。
そんなグダグダな空気を元に戻すべく、コルベールはついさっき知らされたばかりの重要事項を大きな声で口にした。
先の陛下の忘れ形見、アンリエッタ姫殿下の魔法学院への行幸が決定した、と。
それ自体は大変名誉な事であるが、しかし授業の最中に知らせる様な事柄ではない。
問題は、トリステインがハルケギニアに誇る可憐な一輪の花の行幸が、『本日』であるという事実なのである。
当然の事ながら歓迎の準備など出来ている訳がなかった。

授業どころではなくなったのは言うまでもない。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2009年05月10日 21:11
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。