22 虚無と幼馴染み
前回のあらすじ
「王女が今日いきなり来ることになったので歓迎の準備をしろ。到着は4時間後だ」
「ふざけろコノヤロウ」
降って湧いたかのような行幸に、学院関係者は揃って頭を抱えていた。
食堂では総責任者のマルトーが怒鳴り声を上げている。
「学生どもの昼食はサンドイッチとスープに変更だ、食材は夕食分に回すぞ! 誰か学院長に姫殿下の食べられないものはないか聞いてこい!」
急な献立の変更は彼の料理人としての矜持を傷つけるものだったが、背に腹は代えられない。もっとも学生たちも準備に忙しかったので、この変更はかえって歓迎されたのだが。
貴族嫌いで有名なマルトーではあるが、流石に王家の悪口は言えない。内心はともかくとしても。
「ああ、あと今日非番の奴を全員連れてきてくれ、人手が足りん! 明日の朝食分の献立も変更だ、追加食材を大至急トリスタニアまで発注! 風メイジの先生に使い魔を借りてこい!」
指示を飛ばしながら段取りを組み直すマルトーに、シエスタが声をかけた。
「親方! 下拵えの出来るメイドたちを連れてきました!」
「おう、助かる! ってこれだけか!?」
「他の娘たちは迎賓室とかの清掃に廻ってますからこれが限界なんですよう!」
数名のメイドたちを背にしたシエスタが悲鳴じみた声で説明する。
マルトーは苦虫を数百匹は噛み潰した様な顔になったが、メイドたちに八つ当たりも出来ず、取り敢えず野菜を倉庫から取ってきて洗うよう指示するのだった。
正門付近ではギトーとシュヴルーズが揃って杖を振るっていた。
ギトーの起こした風が石畳の上に乗った土や埃を吹き飛ばすと、シュヴルーズがそこへ『錬金』を掛けてただの石を大理石へと変える。
こんな光景は正門だけではなく王女が通ると思われる全ての場所で行われており、教師だけではなく生徒でもライン以上の土メイジは強制的に参加させられていた。
2年の教室ではルイズに質問が殺到していた。
先王の崩御以来、学院に王家の人間が来訪する事は無かったので在校生は何をしていいのか判らなかったのだ。
頼りにするべき教師たちは皆準備の為あちこち走り回っているので聞きようがない。揃って教師陣の表情が殺気立っているので聞く隙がないのだ。
となると公爵家の一員で王家にも繋がりが深く、パーティーなどにも多く参加しているルイズが頼りの綱となる。
「正装と言ったって学院に来られるんだから制服でいいのよ。汚れたりしていたらなんだけど」
どんな格好で迎えるのか、ドレスとか着た方がいいの? という問いに答えながらルイズは教室を見渡した。
「ギーシュ! アンタは普通の制服に着替えてきなさい!」
「そんな! これは僕のソウルを現す重要な要因なのに! 姫殿下にこの姿を見せるなというのかい!?」
「あらあんな処に正装も出来ない馬鹿がいるわ、とか姫様に思われたいなら止めないわよ敢えて」
「誰か僕に予備のシャツを貸してはくれないかッ!」
制服全部そのフリル付きにしてんのかよ! と男子生徒からツッコミが入る。
「キュルケ、アンタもその野放図に胸を出すシャツはやめなさいよね!」
えー、と本人及び男子生徒の半数以上が抗議の声を上げた。
「えー、じゃない! ゲルマニアはあんなのしかいないとか思われてもいいの!?」
「別にー? まあその認識で概ね間違いはないし」
キュルケの返答を聞き、少年たちは心に誓った。死ぬまでに一度はゲルマニアへ行かねばならない、と。
「大体替えの服なんてないわよ? それにわたしに合う替えのシャツもってる娘なんていないでしょ」
ルイズを含めた女子生徒たちはその大きな2つの桃りんごをギッ、と(キッ、ではなく、ギッ、と)睨みつけた。
「ああもう姫様の眼の届かない後ろの方に隠れてなさい! これだからゲルマニアンは全くっ!」
そこへ隣のクラスからレイナールが顔を出した。
「こっちはどうだい? ぼくらは今から一旦寮に戻って身支度した後、正門前に集合するつもりだけど」
どうやらその性格と親戚が王宮勤めをしている事から、隣では彼がまとめ役になっていたらしい。
「もうすぐ終わるわ。じゃあわたしたちも同じ流れで行くから! それからタバサは本の持ち込み禁止だからね!」
「無理」
「即答!?」
一切の逡巡すら見せず返事を返すタバサであった。
色々と小さなトラブルはあったものの、教職員と使用人たち、そして一部の生徒の尽力により何とか王女一行を受け入れる準備の整った魔法学院では、正門前に生徒たちが並んでいた。
若く美しき姫を一目拝もうと、最前列は血で血を洗う様な争奪戦が男子生徒の間で勃発したりもしたが。
そしてその列から少し離れた所に使い魔の集団が、これもまた整然と並んでいた。
王女の出迎え中どこにいればいいのか訪ねたクロコダインに、使い魔である以上粗相したりはないだろうが一カ所に纏まっていた方が良い、というルイズのアドバイスに従ったものである。
余裕があれば全員を直立させて王女に剣を捧げる位の事はさせても良かったのだが、とは後のクロコダインの弁だが、手のひらサイズから体長6メイルまでいる使い魔が大きさ順に並んでいる姿は壮観ではあった。
やがて4頭のユニコーンに引かれた豪奢な馬車が敷地内に入って来るのが使い魔たちの目に映る。
金・銀・プラチナによって象られた水晶の杖と一角獣の紋章は、確かに王女の馬車である事を示していた。
まず馬車の中から姿を現したのは痩せぎすの男である。
生徒たちの落胆した声を聞く分には、彼はこの国の枢機卿であるらしい。
侮蔑や軽蔑の視線や声に全く動じていないのを見ると、相応に胆力はある様だ、とクロコダインは判断する。
続けて降り立ったのは、純白のドレスを身に纏ったうら若き乙女であった。
生徒のみならず教師たちからも思わず声が挙がる可憐な容姿の王女は、端正な顔に笑みを浮かべ整列した若き貴族たちに手を振ってみせる。
(花の様だな)
というのがクロコダインの第一印象だった。
そもそも彼は人間の美醜には疎い。
異種族である以上それは当然の事だが、それを差し置いても花という印象を持つ程に王女は美しかった。
同時にクロコダインは王女からか弱さや力の無さを感じ取っており、そこから花を連想していたりもする。
彼は以前、何人かの王族と知己を得ていた。
温和かつ鷹揚でありながら、勇敢さと正しい判断力を持っていたロモスの王、シナナ。
病魔に身を侵されても思慮深さを失わず、争い事を嫌ったテランの王、フォルケン。
過ちを素直に認める器を持ち、最後まで戦いを支えたベンガーナの王、クルテマッカVII世。
彼らは壮年から老年の男であったが、女の身でこの国王たちに勝るとも劣らぬ活躍をした女性も存在した。
若くして国を背負い、一度は祖国を滅ぼされたものの地下組織を作り上げ、思い人の遺した使徒たちを導いたカールの女王、フローラ。
14歳にして行方不明の父に代わり賢者として国を率い、各国の首脳を集めた国王会議を立案・実行した後に自ら勇者と共に最終決戦に挑んだパプニカの王女、レオナ。
それに比べ、緋毛氈の上を歩いているアンリエッタには彼女たちほどのカリスマを感じ取る事は出来なかったのである。
もっともこれはクロコダインの知っている王たちが長く経験を重ねていたり、またとてつもない修羅場を潜り抜けているという面もあり、正直なトコロ良くも悪くも乳母日傘で育ったアンリエッタと比較するのは酷というものだろう。
次にクロコダインは皇女を迎える学生たちを見てみた。
自分はこの世界では異邦人であり、先ほど抱いた感想も部外者としてのものだ。彼はトリステインで育った仲間たちがアンリエッタをどう思っているのか知りたかったのである。
最前列ではギーシュがまるで食い入るかのようにアンリエッタを憧憬の眼差しで見つめ、ギムリも顔を高潮させながら杖を掲げていた。
普段は冷静さが売りのレイナールすら誇らしげな顔をしており、マリコルヌに至ってはもう天にも昇るような心持ちになっている。
一方そんな男子たちに比べ、女性陣は少なくとも熱狂的にはなっていない。
真面目なモンモランシーは素直に杖を掲げていたが、列の後方ではキュルケが王女と自分を見比べた後に何故か小さくガッツポーズをとっている。
タバサは既に列から放れ、こっそりとシルフィードの巨体の影で本を読み耽っており、それはある意味王女一行から姿を隠しているようにも見えた。
そして、クロコダインは己の主であるルイズを見て思わず首を傾げる事となる。
いつも貴族である事に誇りと責任を持ち、歓迎の準備中はあれ程マナーについて説いていたにも関わらず、彼女は何故かアンリエッタを見ていなかった。
今、ルイズが見ているのは王女の護衛と思しき一人の男である。
魔法衛士隊の制服に身を包んだ美髯の持ち主で、いかにも女生徒が黄色い声を上げそうな顔立ちではあった。
だが、ルイズは王女を差し置いてそういった事柄に熱を上げるような性格ではないとクロコダインは短い付き合いながらもそう思っていたので、今の彼女の様子は殊更におかしく思える。
(知り合いか何かか?)
どことなく釈然としないながらも、件の男をなんとなく観察するクロコダインだった。
その日の夜。
学院長室に1人の来客者がいた。
「お久しぶりです、老師」
客の名はマザリーニ。トリステインにおける事実上の宰相である。
「うむ。今日は呼んでもおらんのによう来てくれたのう。おかげでえらい騒動じゃったぞ」
部屋の主、オールド・オスマンは笑顔で本音トークを炸裂させた。
「刺激のある生活が老けない為の秘訣だと、宮廷夫人たちが口を揃えて申しておりましてな」
「その割にはえらく老けたの、お主は。ほんとにまだ40代か?」
「何事もほどほどに、と以前ヴァリエール公爵が言っていたのを思い出しました。あれは確か今の夫人に32回目の求婚をして王宮よりも高く飛ばされた時だったかと」
「ああ、あれは凄かった。あっという間に地上が遠ざかっていくんじゃもん。マジ死を覚悟したぞ」
「そう言えば思いっきり巻き込まれてましたなあ老師」
はっはっはと笑いあうこの2人、会話の通り昔からの知り合いである。ヴァリエール公、グラモン伯の様に教え子ではなかったが王宮の内外で顔を合わせていた。
出会った頃はこんな老け顔じゃなかったのにのう、とオスマンは目の前の男を見て思う。
髪も髭も真っ白で、体格も肉がごっそりと落ちている様はまさしく平民たちが口にする『鳥の骨』の様であった。
下手をすればオスマンと同年代と思われてもおかしくはない。
「で、今日はどうしたんじゃ。突然ここへ来るには何か訳があるんじゃろう」
勧められたソファに腰掛け、マザリーニは答えた。
「ゲルマニアでの交渉結果に姫様が少々堪えている様でしてな、直接城へ戻るよりは何かワンクッション置いた方が良いかと判断しました」
「それはいいが行幸するならもうちょっと早よ知らせい」
ツッコミを入れつつ、オスマンは『静寂』のかかった部屋で短く尋ねた。
「首尾は」
「軍事同盟は無事締結しました。対価としてアンリエッタ姫がゲルマニア皇室に嫁ぐ事になります」
あっさりと言うマザリーニに、一瞬オスマンは言葉に詰まった。
「……確か裏の目的として、ゲルマニアへ行く間にレコン・キスタに繋がっている者どもを焙りだすと聞いていたが?」
先王の突然の死去以来、トリステインは王座に誰も座らぬまま現在まで来ている。
貴族たちの中には汚職などで私腹を増やすだけではなく、反国家組織に繋がりを持つ者すら現れはじめていた。
隣国の内乱が王家の敗北と言う形で終わろうとしている今、早急に膿を出さねばならないというのが枢機卿を始めとする良識派の意見だったが、流石に王女の降嫁というのは聞いていない。
「敵を欺くには、という事ですよ。私が一時的にこの国を離れる位で尻尾を出すのは所詮小物、これ位の隠し玉がなければ『掃除』は出来ません」
しれっとした顔でマザリーニは言い放った。
確かにこれは国の内部に大騒動を引き起こすだろう。今まで巧妙にその身を隠していた裏切り者も姿を現す位には。
「アンリエッタ姫が嫁いだ後、誰がこの国の王座に座る」
滅多に見せない真剣な顔でオスマンが問う。
「マリアンヌ様に王位についてもらうよう説得しました。姫とゲルマニア王との子をトリステインに引き取り王とするまで、という条件付きですが」
その場合は幼い王に摂政を付ける事になるでしょう、とマザリーニは淡々と説明した。
「随分と思い切ったの」
「申し訳ありませんが、正直形振りなどかまってはいられません。おそらく次の虚無の曜日にはアルビオン王家は存在していないでしょう」
「──そうなれば、次は我が国と言う事か」
オスマンの表情に暗い影が落ちる。
「そこで老師にお尋ねしたい事があります」
「何かね?」
「アルビオン王党派の人間、特に忠義心が厚く絶対に裏切らないと思われていた者が、最悪のタイミングでレコン・キスタに寝返っています。それも複数」
「こちらで言うと、お主が裏切る様なものかの?」
マザリーニは首を横に振る。
「ヴァリエール公が何の意味もなく裏切る様なもの、とお考え下さい」
オスマンは少しの間だが考え込む。
レコン・キスタのトップは失われた系統、虚無魔法を使うという噂は聞いていた。しかしそれはデマであろうと踏んでいる。
始祖の血を引く者、すなわち王家の人間かロマリア初代教皇の縁者でなければ虚無は扱えない。そしてその様なご落胤は全て教皇庁が把握している筈なのだ。
「つまり、虚無の担い手ではないにせよ人心を操る様な何らかの手段を持っていると?」
マザリーニは黙って頷いた。
「そんな便利グッズは思いつかぬが……ま、ちと探らせてみるか。伝手も昨夜出来た事だしの」
報酬としてかなりの額をボッタくられたオスマンは、フーケをこき使おうと決めていたのでこれは渡りに船と言える。
「伝手がある、とは?」
そういや話す暇もなかったわ、とオスマンは昨夜チェルノボーグでの一幕を説明した。
監獄にまで訪れるレコン・キスタのシンパに苦い顔をしながら、マザリーニは学院長の判断に礼を言う。
平時において死刑ほぼ確定の犯罪者を故意に逃がしたら大問題だが、この場合は敵に先んじて有能なメイジを確保し密偵として送り込めるのだからかなり有り難い。
任務に失敗して死んでもさほど惜しくない所もポイントだ。
「情報は無論こちらに回してもらえるのでしょうな?」
「私だけが持っとっても仕方なかろ。教えてやるから若くて美人の秘書を紹介せい!ミニスカで尻とか触っても文句を言わぬならなお良し!!」
「ハハハこの学院の女子制服をミニスカに魔改造するだけでは飽き足りませんか自重しやがってくれなさい老師」
マザリーニの得意技、息継ぎなしの長文ツッコミが遠慮なく炸裂する。
全くヴァリエールやグラモンと一緒でどいつもこいつも老人を敬おうとせん、と愚痴るオスマンだったがふいに表情を険しくした。
「どうしたのです? 女性と会う約束を3日後に思い出した様な顔をして」
「……王女のおられる部屋から女官が1人出てきた」
別に珍しい事ではない、と言おうとしてマザリーニもまた表情を険しくする。
「まさか、とは思いますが……」
「ちゃんとお付きの者の顔じゃったよ。顔だけは、という意味じゃが」
王女の部屋の前は、当然の事ながら護衛の魔法衛視隊員が2名控えている。だが部屋に入った女官が暫くして部屋から出ていくのを疑問には思ったりはしない。
念の為、とオスマンは自分の使い魔を目立たぬ様に見張らせていたが大正解だったようだ。当たってもちいとも嬉しくなかったが。
アハハハハ、と乾いた笑みを交わした後、2人は揃って溜息をついたのだった。
同時刻。
ルイズは自室のベッドの上に突っ伏している。
今、彼女の脳裏に浮かんでいるのは二つの懐かしい顔であった。
1人はこの国の王女、アンリエッタ。幼い頃は共に遊んだ友人である。
一応親たちからは「失礼のない様に」と言い含められてはいたが、そんな事情は子供に分かる筈もなくケンカもしたし悪戯もした仲だ。
もう1人は王女の護衛として現れた魔法衛視隊のワルド子爵。
20代の半ばにしてグリフォン隊を率いる、将来有望な美丈夫である。
親たちが半分戯れに決めた婚約者であり、下の姉であるカトレアと共に幼かったルイズを励まし支えとなった人物だ。
2人ともに何年か顔を合わせていなかったのだが、今日久し振りに見た彼女たちはルイズの眼には輝いて見えた。
自分のいるべき場所でちゃんと役割を果たしていると感じられたのだ。
(もっと頑張らないと)
贅沢は言わない。初歩でもいいから系統魔法が使えるようになりたい。
そうなれば、ドットであったとしてもメイジとして胸が張れる。
そんな思いに耽るルイズの耳にノックの音が響いた。
初めに長く2回、それから短く3回。
それは自分の他には1人しか知らない筈の、特別な合図。
ルイズは慌ててベッドから跳ね起きた。
「どうやら王女はヴァリエールの娘の所へ行った様じゃ」
昨日から地味に大活躍中の使い魔、モートソグニルと感覚を同調させたオスマンが報告すると、マザリーニは緊張を少しだけ緩めた。
「そう言えば面識がありましたな、あの2人には」
随分と腕白なコンビで侍従を嘆かせていたのを思い出す。そしてその記憶はつい最近の出来事を連想させる効果もあった。
「シュヴァリエ申請の件では悪い事をしましたな。一ヶ月早ければ問題なく受勲出来たのですが」
「なに、本人は『自分の手柄ではありませんでしたから』と結構サバサバしておったよ。他の面子や公爵は残念がっておったがの」
そうですか、とマザリーニはルイズの態度に感心した様子だった。
おそらくあの友人はダダ甘にしたい本心を押さえつけ、厳しく公爵家の者としての躾をしたのだろう。
その謙虚さは宮廷の貴族たちにこそ発揮されるべきものだと思ってしまうのは、内憂外患に悩む枢機卿としては無理もない事だ。
「そのヴァリエールの娘について、どうしてもお主の耳に入れておかねばならん事がある」
「これ以上の厄介事は御免ですよ」
珍しく冗談を言うマザリーニに、オスマンはある意味凄く厄介事じゃと前置きしてルイズとクロコダインの事を話した。
「……ガンダールブと同じルーンを持つ使い魔、ですと?」
神学の最も進んだ国、ロマリア出身の枢機卿はすぐに事の重大性に気が付いた。
ルイズが虚無の担い手である可能性は高い。マザリーニは宗教家としての知識と公爵から愚痴および自慢として強制的に聞かされてきた情報を合わせた上でそう判断した。
系統魔法はおろかコモンマジックすら唱えると謎の爆発現象を引き起こすというのも、虚無の担い手ならば納得がいく。
今はまだ仮定の話だが、もし彼女が始祖の御業を再現できるのならば王位継承順位が大きく変動する事態にすら発展するだろう。
思わず沈思黙考モードに入りそうになるマザリーニだったが、残念ながら思考は中断を余儀なくされる。
オールド・オスマンが突然素っ頓狂な声を上げたからだ。
「ちょっと待て! 一体何を考えとるんじゃお主ら!!」
ルイズの部屋にやってきたのは予想通りアンリエッタであった。
先王の崩御の時にすら顔を合わせる事がなく最初はどこかぎこちない2人だったが、懐かしい話をしているうちにあの頃の空気が蘇ってくる。
ケーキを取り合ったりごっこ遊びをしたり、『アミアンの包囲戦』なんてのもありましたなどと昔の記憶を引っ張りだすにつれ自然に笑いが起きた。
笑い過ぎて目に涙を浮かべているアンリエッタを見て、ルイズはふと思う。
ひょっとしてお寂しいのかしら、と。
自分も決して友人の多い方ではないが、一国の王女ともなれば同年代の人間と親しい付き合いなど出来る筈もない。
帰国時にわざわざ幼馴染の所へ忍んできて、昔話にこんなにも喜んでいるのは少しでも「私」としての自分を出したかったからではないか。
アンリエッタはルイズのそんな思いには気付く様子もなく近況を尋ねて来る。
無事に使い魔を召喚できたことを報告すると殊の外喜んでくれたのは意外だった。
では姫様の方は、と聞き返すとアンリエッタは今までの朗らかな表情を一変させる。あれ、何か聞いてはいけない事だったかと思う間もなく、ルイズはえらくディープな話を聞かされることになった。
ゲルマニア皇帝との結婚が決まった事。
よりにもよってあのゲルマニアか、というトリステインの貴族の多くが思うのだろうが、ルイズもまたその例に洩れなかった。
結婚に対しての自由がない事は公爵家の一員として重々承知してはいるが、自分の年齢の倍以上もある男に嫁げと言われたら心穏やかではいられないだろう。
そしてアルビオンの内乱について。
フーケが宝物庫を荒らした夜にギーシュとキュルケが話していたのを小耳に挟んではいたが、王党派はかなり旗色が悪い様だ。
精強無比と謳われたアルビオン軍が揃って裏切ったというのは俄かには信じがたいのだが、現実は何時も厳しい。現実が優しければ自分はとっくにスクエアメイジになっているだろう。
更に、アンリエッタがアルビオンの王子に送ったという手紙という名の爆弾。
内容的には結婚話と締結された軍事同盟を纏めて吹っ飛ばす威力があるらしい。
アンリエッタは話す途中、ベッドに倒れこみそうになったり始祖に祈りを捧げたりしている。
かなり精神的に追い詰められている様子の王女を見てルイズは決心した。
「私にこの一件、お任せ下さいませ」
この時、ルイズはアンリエッタとの友情と信頼に報いたいという思いで一杯になっていた。
向かう場所が戦争状態で危険極まりない事を頭では理解していたが、アンリエッタとトリステインの危機を救わなければならないという使命感が彼女から客観的な思考を奪っていたといえる。
一方、アンリエッタはおともだちが危険な場所に向かうと聞いて慌てて止めようとした。
そもそも彼女は久しぶりの再会を喜ぼうと思っただけであり、なぜこんな話の流れになったのか自分でもよく判っていなかったのだ。
しかしルイズは言い出したら聞かない性格をしており、また心から自分の為に動こうとしてくれているのは正直嬉しかった。
そんな訳でアンリエッタは、流されるようにルイズに手紙の奪還を依頼する事になる。
2人はひし、と抱き合い互いの友情を確認していたが、その芝居がかってはいたが美しいと言える状態はすぐに終わりを告げる事となった。
突然部屋のドアが勢い良く開き、
「ヴァリエールだけには任せておけません! どうか、どうかこのギーシュ・ド・グラモンにもその困難な任務を仰せつけますよう!」
と男子禁制の筈の女子寮に乱入してきた造花の薔薇を持った少年が叫んだからだ。
「ギーシュ!? ひょっとして今までの話を」
「勿論聞いていたとも!」
「口封じが必要ね。やっぱり埋めるのがベストかしら」
「夕食の献立を決めるのと変わらない口調で物騒な事を言わないでくれないか!」
悲鳴を上げるギーシュを尻目に、ルイズは目でどうしましょうかとアンリエッタに尋ねようとしたが、ここで再び妨害が入った。
「ちょっと待て! 一体何を考えとるんじゃお主ら!!」
いつの間にか部屋の中に入り込んでいたネズミから、学院長の焦りと怒りの入り混じった声が響いてきたのである。
王女一行が来ているという事で、恒例の近接魔法格闘研究会(仮)は中止。
クロコダインは明日の仕込みに忙しいマルトーの助けになれば、と薪割りに励んでいた。
(ここにいましたか! 王様)
小さな声に振り向くと、そこにはモートソグニルが息を切らしている。
「どうしたんだ、そんなに慌てて」
(主が、オスマン学院長がお呼びなんです。すぐに宝物庫まで来て下さいと言っています)
学院長がわざわざ呼びつけるという事は、何か問題でも起きたのだろう。
そう解釈したクロコダインはマルトーに一声かけてから、働き過ぎで疲れた様子のモートソグニルを肩に乗せて歩きだした。
最終更新:2009年05月27日 00:39