26 虚無と襲撃者
一夜明けて。
体力を回復させたルイズは朝から精力的に動き始める。普段はシエスタが起こしに来るまで寝ている生活だが、やはり任務中という緊張感のせいか割と早く眼を覚ます事が出来た。
アルビオン行きの交渉をするには肝心のフネが来なければならないが、今のところラ・ロシェールの港にその姿はなく、ワルドの話では早くても午後に到着予定だという。
幸い船着き場の係員がフネが着き次第連絡をくれるとの事なので、それまでは一応自由に行動できるはずだ。
任務とは無関係である留学生コンビ、キュルケとタバサは昨日ワルドが見つけた古着屋へと出かけていった。
これはタバサが着ているのがルイズの予備の服であり、昨日朝早くに寝間着のまま連れ出したキュルケが微妙に責任を感じていたからである。
もっとも持ち合わせがなかったので、軍資金は傭兵たちから巻き上げた金貨の残りを流用していた。
実際あいつ等を捕まえたのは自分たちなんだから使う権利があるというキュルケの主張に、呆れながらもルイズが承知したのだ。
ちなみにタバサが借りているのは白い厚手のシャツと紺のキュロットスカートとニーソックスで、これはショートカットでスレンダーな体型の彼女に大変よく似合っていた。
最初にこの姿を見たとき、ルイズは微妙かつおかしな敗北感を覚えながらも、
「まあこれはこれで!」
と笑顔で親指を立て、キュルケはといえば
「ねえタバサ、あなた弟さんとかいない?」
と真剣な表情で訊ねていたりする。
タバサは同級生たちの反応に、彼女としては珍しく複雑そうな表情で「いない」などと答えた訳だが、
「まあそれはそれで!」
という親友の感想にもっと複雑そうな顔になった。
一方、残ったルイズたちは食料の調達に出ていた。
というのも、朝方使い魔に視覚を同調させたギーシュやワルドが、持ってきた食料の三分の二が無くなっているのに気付いて青くなったのだ。
保存食は自分たちも万が一の時には腹に入れなければならないのに、このペースで消費されてしまっては大変な事になる。
幸い港町であるラ・ロシェールは物資には事欠かない。
最近出回ってきた代用肉まで考慮すればそれなりの量が手に入ると見込み、彼らは開店と同時に食材店に押しかけ熾烈な交渉を展開するのだった。
ルイズとギーシュだけでは貴族としての主張を前面に出し過ぎて反感を買っていた可能性もあるが、ここには幸い世慣れたグリフォン隊隊長がいる。
宥めたりすかしたり譲ったり引かなかったりと様々なテクを使用し、最終的には互いに満足な結果となった。
いい仕事をした、と満足げな笑みを浮かべて握手を交わすワルドと店主を尻目に、従業員たちは荷車に大量の食材を積み込み始める。
まあどうぞ、と出された茶を店の中で飲みながらギーシュは呟いていた。
「しかし魔法衛士隊の隊長ともなると、ああいった交渉事にも長けていなければならないのだねえ」
横でルイズもうんうんと頷く。
「流石と言うかなんというか、色々凄いわ」
2人はいつか自分もああなりたいと願う。ただギーシュが楽天的に「僕ならなれるだろう」と考えるのに対し、ルイズは「わたしでも本当になれるかしら」とどこか悲観的な要素が入りがちではあるのだが。
もっともギーシュは楽天的すぎてこれまで努力を怠っていた部分があるし、ルイズも悲観が逆に負けん気に繋がったりもしているので、結局のところは人それぞれという事なのだろう。
その後3人は一旦ラ・ロシェールを出て使い魔たちと合流する事にした。交渉を張り切りすぎてかなりの量になってしまっていた為、宿に持ち帰るよりはワイバーンに括りつけておいた方がいいと判断したのだ。
食料を積んだ荷車を馬に引かせながら、彼らが話しているのはクロコダインの事だ。
「では彼は君たちに近接戦闘を教えているのか!」
ワルドはひどく感心した様子である。
使い魔がメイジに教えられる程の知性を持っているのもさることながら、自分が学生だった頃は近接戦闘に熱心な学生などほとんどいなかったからだ。
実を言えば、当初ギーシュは余り乗り気ではなく単にレポートの対価として参加しただけだったのだが、いつしか真剣に取り組む様になっていた。
考えてみれば伯爵家の人間とはいえギーシュは四男坊、武門の誉れ高い家系ではあるがしょっちゅう出兵しているので決して裕福とはいえない。
卒業後は確実に軍に入る、というか何とかして自分の食い扶持を稼がなければならない以上、戦闘訓練は早めにしておいて損はないと気がついた訳だ。
もう少し補足すると、ただ漫然と過ごしていた時に比べ筋肉が付いた気がするし、ワルキューレの操作もキレが出てきた感があり、食事も美味しく感じるようになった。
何よりフーケ討伐以降、女子の目が確実に好意的になっているのをギーシュは痛感していたのである。
何せモテたくてモテたくて仕方がない年頃の少年である、これでやる気が出ない訳がない。
そんな内実を知ってか知らずか、流石はグラモン家の男だと頷くワルドに対し微妙に後ろ暗い気持ちになるギーシュではあった。
一旦町を出た3人はグリフォンやシルフィードの手を借りて崖の上まで荷物を上げ、これからの方針を話し合う。
出航予定は明日となっているが、交渉次第では今日の深夜に早める事が出来るだろう。
今回ルイズたちは、非公式ではあるがマザリーニの部下という立場になっており、彼から最大限の便宜を計るようにと記された文書を持たされていた。
これを活用すれば民間のフネを徴発できない事もない。
最悪グリフォンとワイバーンに乗って直接アルビオンまで行く手もあるが、フネの方がスピードが出るし昨日の様な襲撃を受ける可能性がある。
幸いというべきか、町の噂では王党派と貴族派の決戦は一週間ほど先であろうとの事だった。
船主との交渉結果は早急に知らせるのですぐに動けるよう待機しておいて欲しい、というルイズの言葉にクロコダインは首肯する。
何にせよ昼までにはまだ2時間はあるのでルイズを連れて服でも見ようかと考えていたワルドだったのだが、当のルイズはそんなデートめいた思考など露ほども持ち合わせていなかった。
それどころかクロコダインと一緒に食事をしようなどと言い出す始末である。
ルイズとしては、自分たちは高級宿で豪華な夕食をしておきながら使い魔は野宿で非常食だった事に少し抵抗を感じており、またいつぞやの夢のせいか、この大きな獣人が自分に無断でどこか危険な場所に行ってしまうのではという危機感があった。
ワルドにとって更に想定外だったのがギーシュの提案だった。
どうせ昼食までここにいるのなら、最近お流れになっていた格闘訓練の稽古をつけてくれなどと言い出したのである。
ギーシュとしては先程の後ろめたさを解消したいという気持ちがあったのだが、クロコダインは襲撃があるかもしれないし体力を温存しろと消極的であった。
しかし精神力を使い尽くすまではやらないという条件をギーシュが出したのと、ルイズまでもが監督としてひとつ思いついた策があるので試させて欲しいと頼み込んだせいもあり、結局押し切られてしまう。
結果として、昨日桟橋の帰り道に若い娘が好みそうな雑貨屋やアルビオン風のコーヒーハウスだのトリスタニア風のカフェなどをチェックしておいたのに、予想外すぎる展開に口を挟めず静かに落ち込むワルドを臨時顧問とした2対1の模擬戦が開始される事とあいなったのである。
ギーシュにルイズが作戦を伝授している間、ワルドは彼女たちとは少し離れた場所でクロコダインに質問を浴びせていた。
「君が彼らに近接戦を教えているというのは聞いていたんだが、まさかルイズもその中に入っているのかい……?」
声が微妙に震えているのは、彼がルイズの母親の過去を知っている数少ない人物の1人だからだ。
古からドラゴンの仔はドラゴンというが、あの泣き虫で一途なルイズが近隣諸国にまでその名を轟かせた伝説のメイジと似た道を歩んでいるのでは、というちょっとヤバめな懸念を抱かずにはいられないのである。
そんな内心を知る由もないクロコダインは簡潔に事実を述べた。
「流石に直接訓練に混ざったりはしておらんさ」
ワルドは胸をなで下ろす。
幼い頃からヴァリエール家に行く度に生ける伝説とは顔を合わせてきたし、今は亡き父を始めとして某公爵や某元帥、某宰相に某マンティコア隊隊長らが声を揃えて
「アレには逆らうな、いや、逆らってはいけません」
などと顔を青くしたり脂汗を流したり全員何故か途中で敬語になったりしつつも忠告されてきた。
幼い頃は胸躍らせた英雄たちの武勇の数々も、成長すればそれが誇張されたものというのが分かるものだ。
しかし軍に入ったワルドが知ったのは、かの武勲は全く大袈裟になどなってはおらず、それどころか若干控えめな描写でさえあったという事実なのであった。
メイジとして、また近衛部隊の大先輩としてあの人の事は尊敬しているのだが、正直言って妻として迎えるならばもうちょっと大人しく儚げで包容力のある女性がいい。
そう、例えば母のような……!
そんな、ルイズを含めた8割の女性が引くであろう事を考えるグリフォン隊隊長である。
それ故か、ルイズが監督として参加している事実についてはうっかりスルーしてしまっていたのだった。
ワルド子爵の目の前で、3メイルほど体躯を持つ獣人が、同じく3メイルはあるゴーレムと戦い始める。
青銅製の巨人は少々ぎこちないものの、それでもかなりのスピードで剣を振るっていた。
それに対し、クロコダインは手斧で猛攻を受け流している。見かけは鈍重そうなのだが、これはどうにも侮れないなとワルドは考えていた。
敵に任務の事を知られている以上、体力や精神力は温存しておくに越した事はないというクロコダインの一言により、今回の訓練は軽く流す程度となる予定である。
つまり今は手加減をしている訳で、にも関わらずこの動きというのならば接近戦を挑んだ際には相当手こずる事になるだろう。
またクロコダインの動きに隠れがちではあるが、ギーシュのゴーレムについてもワルドは警戒心を強めていた。
ドットメイジだというのは友人である彼の兄から聞いていたが、そうは思えぬほどゴーレムの操作は堂に入っている。
こちらも全力ではないのだとすれば、たかがドットと侮ると痛い目を見るかもしれない。
しばらくの間攻防は続いていたが、やはりというべきか流れはクロコダインに傾いていった。
正面から切り込んでくるワルキューレの剣を下から跳ね上げ、無防備になった腹部を空いた左手で殴りつける。
体をくの字にして吹っ飛ぶ青銅の巨人だったが、その瞬間後方にいて一連の動きを見ていたルイズが声を上げた。
「今よギーシュ!」
「任せたまえよ!」
ギーシュはかねてからの打ち合わせ通り、ワルキューレの操作を放棄して次の魔法を発動させる。
するとクロコダインの足下が急速に盛り上がって巨大な腕となり、そのまま足を拘束した。
更にギーシュは続けざまに呪文を唱える。
次に現れたのは通常サイズのワルキューレだったが、手には長槍を携えていた。
「もらったあ!」
そのまま動けないクロコダインに向けて槍を突き出させるギーシュだが、勝利を確信出来ていたのはここまでである。
「うおおっ」
何となれば、気合いと共にクロコダインがアースハンドをその剛力であっけなく粉砕し、同時に槍をむんずと掴んだかと思うとそのままワルキューレごと頭の上まで持ち上げ、地に叩き付けてしまったからだ。
「では、ここまでにしておこうか」
時間にして5分程度の訓練は、こうして終わりを告げたのである。
再びラ・ロシェールへと向かう道すがら、ワルドは今までの情報からクロコダインの戦闘力を見極めようとしていた。
幸いルイズたちはついさっきの訓練の反省点や改善点を列挙していて、こちらには注目していない。
昨夜における傭兵たちとの戦闘で彼はいち早く襲われるのを察知し、インテリジェンス・ソードで矢を両断している。
この剣はルイズの背丈ほどもあるにも関わらず軽々と振り回しており、また背負っている大戦斧の存在を考えると相当の腕力の持っているのに間違いはなく、動態視力や反応にも優れているだろう。
もっとも彼と接したのは昨日と今日の2日のみ、しかも真剣に戦っているのを目撃したわけではない。これまでの情報のみで評価を下す愚を犯す様では近衛隊の長は勤まらない。
初めて会った時に比べれば幾分身体能力やその人となりについて知る事はできたが、今後戦うにせよそれを回避するにせよ、その判断を下すには情報が不足している。
その為にもそろそろ彼女たちに一肌脱いでもらおうか、とワルドは次の一手を考えた。
昼前に入港してきたフネを待ちかまえていた一行は、船員たちが積み荷を降ろし終わるのを待たず交渉に入る。
何とか今日中にフネを出して欲しいという彼女たちの要望に、実のところ平民出の船長は腹を立てていた。
そもそもこのフネは客船ではない。
船員たちには休みが必要である。
燃料となる風石は必要最低限しか積んでおらずアルビオンが最接近するのを待たなければならない。
空を行く事に命と誇りを賭ける男としては、貴族様のわがままとしか思えぬ要請に従う気には到底なれず、上のような理由を羅列してなるべく穏便にこの件を断ろうとした。
しかし相手もさるものと言うべきか、こちらの口実に悉く対案を持ち出してくる。
寝る場所さえあれば文句は言わないし船長を初めとする船員たちには充分な保証をしよう。
足りない風石の分は風メイジがその代わりを務める。
何よりこれは多くを明かす事は出来ないけれど、一国の浮沈に関わる重大な任務の一環である。
ちょっと待ってくれと船長は思った。いきなりそんな事を真顔で言われても、どう対応すればいいのか判断に困る。
しかし彼らが船長に示した書類には、彼らに最大限の便宜をはかるべしという言葉と共に宰相マザリーニのサインがあった。
一瞬偽造なのではないかという考えが脳裏をよぎるものの、しかしこんな内容の書類を偽造するメリットがあるとも思えない。
また相手側が貴族としては破格の譲歩をしている事もわかる。
結局、船員を少しでも休ませ、また空荷では何なので食品などを積めるだけ積んでいくという船長の主張が受け入れられ、出発を今日の夜にするという形で話は纏まったのだった。
「なにその服」
交渉が上手く行き、意気揚々と宿に戻ったルイズの第一声がこれであった。
夕食時にはまだ早く、食堂には数える程しか人数はいなかったのだが、その中でもキュルケとタバサはかなり目立っていた。
彼女たちがそれぞれ外国人だから、という理由ではない。このラ・ロシェールは港町、異国の人間は当然多いのだ。
では何故目立っていたのかと言えば、それはルイズの言葉からも分かるようにタバサの服のせいである。
上は船員がよく着ている白の水兵服(半袖)、下はやや大きめの、これまた白いキュロットスカート姿。
ショートカットで整った顔立ちを持つ、まだ未成熟な肢体の少女が通常荒くれ男が着ると相場の決まっている服を着用していると、何やら倒錯的な感覚を周囲に引き起こすものらしい。
「まあ見ての通りよ。素直な感想を言ってみなさい?」
プロデュースした張本人のキュルケが胸を張りながら問うので、仲間たちはそれぞれ思いのままに答えた。
「ま、まあツェルプストーにしてはいい選択だったじゃないの。べ、べべ、べ別にタバサの一人称を「ボク」にしてほしいだなんて思ってないんだからねっ!」
これでも、キュルケに対してルイズは最大限の賛辞を送っているのである。内容はともかくとしても。
一方ギーシュとワルドは何故か2人して食堂の隅へと移動し、こそこそと、しかし熱い口調で思いの丈をぶつけあっていた。
「さて、あの衣装についてどう思う、ギーシュ君」
「はい、僕が思うに、あれはとても素晴らしくて、とても素晴らしいものだと思います。任務中なのは承知の上で、ちょっとお土産にしたいくらいに……!」
うむ、と重々しく頷く子爵である。
「全く持って同意見だ。ただ、あれにはもう少し改良の余地があると考えるのだがどうだろうか」
「ええ。キュロットという選択は間違ってはいませんが、決して最適という訳ではない。ここはやはりアレでしょう」
不敵な笑みを浮かべるギーシュに、ワルドもまた同じ笑みを返した。
「ミニスカ、だね」
「ミニスカ、です」
意見の一致をみた2人は胸に喜びを満たし、更に考察を重ねていく。
「個人的にスカートの色は紺がいいと思うのですが?」
「本当に君とは気が合うものだね。とすると、水兵服を同色にするのもアリという事だな」
「何枚か買っておいて、どれが最もマッチするか確かめる必要がありそうですね。店を聞き出しておかないと……!」
「いや、おそらく服自体はトリスタニアにも売っているだろう。まて、やはりここは一流のテーラーに依頼してルイズ用に何着か仕立ててもらうとしようか!」
「流石は親衛隊隊長、オーダーメイドとは金の使い方が違いますね。でもボクには真似できません、いろんな意味で」
彼はまだ学生の身分であり、実家の家計が火の車になっている事からも贅沢は許されてはいなかった。
ワルドも親友を通してその辺りの事情を把握しており、この新しく出来た年下の同士を慰められないものかと考える。
「そうだ、この衣装をオールド・オスマンに見せるというのはどうだろう。ひょっとしたら近日中に学院の制服が替わるかもしれん……!」
「子爵様……やはり貴方は、ものが違います……!」
ひどく感激した様子のギーシュを見てワルドは満足感を得た。
いつだって賛辞は心地良いものである。それが志を同じくする者から送られているならなおの事だ。
ちなみにこの会話は充分に小さかった為ルイズやキュルケの耳には届いていなかったのだが、残念ながら只でさえ音に敏感であるトライアングルの風メイジの耳にはしっかりと響いていた。
そのメイジ、すなわちタバサはこの2人をどうしたものかと思う。ウィンディ・アイシクルが直撃すれば歪んだ思想も治るだろうか。
もっとも彼女は宿の中で攻撃魔法を使うほど常識外れでは無かったので、風の魔法を応用してワルド・ギーシュ両名の耳元に「全て聞こえている」と伝えるに留めておいた。
一瞬ビクンと体を震わせた男たちは顔を見合わせた後、ぎこちない動きでタバサの服を褒めたりハシバミ草料理を奢ろうと言い出してルイズやキュルケの不審をかう事になる。
話が脱線しすぎの勘はあるが、フルタイムで緊張しているよりは適度に息を抜いていた方がよいと、ワルドは今までの経験から学んでいた。
つまりはミニスカ云々も素人同然のギーシュをリラックスする為の一環であり、要は世を欺く仮の姿なのである。
とまあそんな感じの理論武装を完了させたワルドはキュルケとタバサに出航の時間を告げ、更にここから先は命の危険が飛躍的に高まる為、トリステインに直接関わりのない2人の同行は薦められないと告げた。
もっともこれは、事前にルイズが予想していた通りあっさりと拒否されるのだが。
キュルケはかつて父親にこんな事を言われた経験がある。
「ヴァリエールの人間はいじりがいがあるから、その時は全力でいじれ」
聞いた時はなんだそりゃと思ったものだが、婚約者攻勢にうんざりして強引に隣国の魔法学院に入学し、ルイズと知り合ってからその意味が分かった。
生真面目で誇り高く、どこか直情的なルイズは実にからかい甲斐があったからだ。
同時に自分の先祖がヴァリエールに対して色恋沙汰を連発した理由も分かる。
こんな性格の人間に惚れたり惚れられたりする相手なら、さぞかし奪い甲斐があるいいオトコ(オンナ)だったのであろう。
そんなわけで密かにキュルケはルイズにそんな相手が出来ないか虎視眈々と狙っていたのだが、今回婚約者が現れたと聞いてやっとその機会がきたかと内心小躍りしていた。
ところがその婚約者とやらに軽く粉をかけてみて、彼女はひどく違和感を感じ取ってしまったのだ。
全く、全然、これっぽっちも高揚感を覚えない。
キュルケはこれまで多くの者と浮き名を流してきた。情熱的な性格故にその付き合いは悉く長続きしなかったが、それでも相手にはそれなりに心浮き立つものがあった。
なのに、目の前に立つ男は間違いなくいいオトコでかなりのエリートである筈なのに、全然そそられないのは一体なぜ?
キュルケはワルドの眼をのぞき込み、その理由が分かった気がした。
この男、ひょっとしてルイズに惚れてないんじゃないのか。
ルイズがワルドに惹かれているのは手に取るように分かっていた。伊達に一年以上からかっていた訳ではない。
だが、どうせ奪い取るのであるならば、相思相愛でなければ面白くないしやりがいもからかい甲斐もない。
その点において、ワルドは失格もいいところだった。
なんの根拠もない話だがこいつはダメだとキュルケは一方的に断じる。
そう、これはヒゲがなんか気に入らない気障な野郎の言う通りに行動するなどゲルマニア人の沽券に関わるから、誰が何と言おうとアルビオンまで同行するだけの事だ。
決していじりがいのあるピーチブロンドの隣人をこんな状況で見捨てる気になれなかったなどとは、口が裂けても言えないし言うつもりもないキュルケであった。
表情にこそ出してはいないが、タバサは現在ある悩みを抱えていた。
そもそも彼女はキュルケの頼みでルイズたちの後を追ってきただけで、当然その時点ではその行き先などわかる筈もない。
だが方角的にラ・ロシェール方面に向かっているのが判明した時点で、彼女は実に嫌な予感に襲われていた。
そして最終目的地がアルビオンであることをルイズが宣言した時、その予感は現実のものとなってしまう。
流石に目的までは知らされなかったが、公爵家の娘が王女の訪問後に、ガリアで言えば花壇騎士団に相当するであろう部隊長と共に内乱中の隣国へ向かう以上、それがただの観光であるはずがない。
これまでトリステインとアルビオンはそれほど険悪な関係ではなかったし、彼女たちがまさかレコン・キスタ側と接触を取るとも思えず、となると何らかの理由でアルビオン王党派への使者という立場なのだろう。
無論これはタバサの憶測に過ぎないが、そう外れてもいないだろうと彼女は考えている。実際のところ外れていないどころか大当たりなのだが。
ともあれ、タバサが悩んでいるのは他でもない。
自分の正体が各国の首脳クラスの人間に見破られては困るのだ。
タバサ、というのは本名ではない。というのも元来この名は愛玩動物や人形・ぬいぐるみなどにつけるものであり、通常人にはつけないものなのである。
彼女の本当の名はシャルロット・エレーヌ・オルレアン。
ガリア王ジョセフの姪であるが、諸般の事情により身分を隠しトリステイン魔法学院に留学生として入り込んでいる。
学院責任者のオスマンもタバサの事は去るガリア貴族の血縁としか知らされていない筈だ。
ただ、社交界デビューはまだだったとは言えガリア王家特有の青髪と、父母の良い部分だけを受け継いでいるような顔を見る事で正体を看破される可能性がある。
親友にすら打ち明けていない素性を、こんな大絶賛内乱中の他国で明かす訳にはいかなかった。
先日のアンリエッタ王女来訪時は興味がない振りをして身を隠していたが、このままアルビオンまで同行した時に同じ展開に持ち込めるとは限らない。
さりとてキュルケは完全にルイズについていく気になっているし、自分としてもここで彼女たちと別行動を取るのは気が引ける。
町のどこかに顔を隠せる仮面とか売ってないだろうか、などといささか浮き世離れした事を考えるタバサであった。
ヴァリエール公爵夫人がトリスタニアまで来る事は滅多にない。
軍務を離れたとはいえ、何かと所用が多く領地を離れがちな夫の留守を守るのを己の任と考えているからだ。
そんな彼女が、何年か振りに王都の地を踏んだのには当然だが理由がある。
今、トリスタニアのヴァリエール別邸でその理由を説明した4人の男たちが、揃って頭を下げていた。
彼ら、つまりヴァリエール公爵、グラモン元帥、マザリーニ宰相、オスマン魔法学院長というトリステインの重鎮たちは、皆一様に死刑執行を待つ政治犯のような表情で、上目遣いにカリーヌを見ている。
眼を閉じ腕を組んで沈思黙考しているピーチブロンドの夫人を前に、グラモン元帥は隣にいるオールド・オスマンに小声で話しかけた。
「なあ先生、アレがキレた時が先生の最期の見せ場だからな。元教え子をかばって華麗に散ってくれよ?」
オスマンは笑顔で元教え子にやっぱり小声で答える。
「こういう時は恩師を庇うのが定石じゃろう。なあに心配するな、『魅惑の妖精亭』のジェシカたんはしっかり私が面倒をみるからの」
「ッざけんなジジイ! 俺がどんだけなけなしの金をあそこのチップレースにツっこんでると思ってんだよ! 老い先短いんだからさっさと死んであの乳尻太股はこっちに任せとけってんだ!」
「ふわはははこういう時にモノを言うのは経済力じゃ! 貴様は草葉の陰でジェシカたんとイチャイチャしているのを血の涙流しながら見とるがよいわ!」
最初の小声はどこへやら、大声で繰り広げられる師弟の心温まる会話に、残りの2人である公爵と宰相は大急ぎで部屋の隅へと移動した。
次の瞬間、部屋の中に突如発生した突風がグラモン元帥とオールド・オスマンを吹き飛ばして壁に磔状態にする。
風はそれだけにとどまらず、あろう事か壁ごと子弟を隣室まで強制的に移動させた。
「相変わらず凄まじい威力ですな。あれはただのエア・ハンマーだと思うのですが……」
「まああれで手加減はしているんだ。もっとも本気を出されても後始末に困るがな、血糊を落とすのは面倒だ。……ところで屋敷の修繕費は当然王宮から出るのだろう?」
「ははは、戦争勃発の可能性すらあるこんな時期にそんな金が出る訳がないでしょう。領地経営は順調なんですから自前でよろしくお願いします」
そんな事を小声で話す、卓越した危機回避能力を発揮した夫とその友人にカリーヌは視線を送る。
2人は石のように固まりすいませんごめんなさいと謝りそうになるのをぐっと堪える事に成功した。
プレッシャーに負けて謝る事で逆に機嫌が悪くなり、強力無比な風魔法を体で味わう羽目になった過去が彼らにはある。
若い頃ならいざ知らず、この年であの威力の魔法を喰らうのは正直キツい。景気良く壁ごと吹っ飛んだ中年と老年の二の舞は御免だ。
「色々と言いたい事はありますがそんな時間はありませんね。準備が出来次第ラ・ロシェールへ向かいます」
静かな表情でそう告げる夫人に公爵らはほっと胸をなで下ろした。
事情が事情だけに頼みを断られる事はないと思っていたが、依頼に至るまでの経緯が彼女の逆鱗に触れないかとヒヤヒヤしていたのも事実である。
「正直に言えば、今の貴女にこんな事を頼みたくはないのです。本当に申し訳ありませんが、何卒……」
「カリーヌ、お前の実力は私が一番判っているが、実戦から遠ざかっているのも確かだ。くれぐれも無茶はしないようにな」
ここ数日の心労でまた痩せたのではないかという風情の宰相と、やっぱり身内に対しては心配性な夫に、元マンティコア隊隊長、カリーヌ・デジレは心配無用と言ってのけた。
必要な荷物などは宰相が既に手配しているし、長い付き合いのマンティコアと共にここまで来たので動きやすい服を着ている。
では、と一礼し部屋を出ようとする彼女を隣室から引き留める声があった。
「忘れ物じゃ、『烈風カリン』」
ダメージなどまるでなかったかの様な素振りで、オールド・オスマンは壊れた壁越しに何かを放って寄越す。
「!」
それはおそらくは銀貨数枚を魔法で加工したのだと思われる、顔の下半分を覆い隠すタイプの仮面だった。
「流石にこんなもんまで持ってきてはおらんじゃろう? 私の教え子たちをよろしく頼むぞ」
結婚してから一度も装着する事のなかった仮面で表情を隠し、しかしその眼に決意を漲らせながらカリーヌは今度こそ部屋を後にした。
昼食を軽くすませた後、ルイズ一行は出発準備をする者と、使い魔に町を出るタイミングを知らせる者の二手に別れる。
ルイズは一応、再度キュルケとタバサにアルビオンまでは付いてくるなと忠告したが、案の定受け入れられはしなかった。
そのキュルケらが今日はまだ使い魔に逢っていないからと町の外へ出た為、自然とルイズたちが宿に居残る事になる。
出発の準備と言っても部屋に置いていた荷物を一階に下ろしてまとめるだけだ。
大量の食料や万が一の為の野外テントなどはワイバーンにくくりつけていたので、持っているものと言えば身分証明や宰相等のお墨付き書類、後は服などの私物と1ダースばかりある水の秘薬くらいである。
キュルケたちも一時間ほどで戻ってきたのでそろそろ桟橋まで行こうかなどと話していると、にわかに外が騒がしくなってきた。
「ん? 何かあったのかな?」
暢気に首を傾げるギーシュと反対に表情を険しくしたのがワルドとタバサだ。
素早く宿の入り口へと走るタバサだったが、彼女を出迎えたのは10本以上の矢であった。
とっさに風の結界で矢の軌道を反らすのとほぼ同時に、後ろからワルドの放ったエア・ハンマーが中に突入しようとしていた男たちを外へと叩き出す。
タバサは横に並んだワルドに視線を送る。
「君も気付いたか。今の男たちの中に昨日我々を襲った者たちがいたな」
無言で頷きながら彼女の胸に疑念がよぎる。
あの傭兵たちは確かに官憲に突き出した。それが一日も経たないうちにこうして出てきてしまっているのはどう考えてもおかしい。
この町の憲兵がよほど無能なのか、そうでなければ何者かによって無力化されてしまったのか。
どちらにせよ外部からの応援を当てにできそうもない事は確かだ。
「何があったの!?」
おっとり刀で駆けつけたルイズに説明をする暇もなく、事態は更に悪化していった。
何となれば、一枚岩をくりぬいて出来ている筈の建物の天井が、音を立てて表の方へと『流れていく』のだ。
「な、なな、なんなのよこれー!」
宿の二階部分と一階の天井が丸ごと何かに吸い寄せられていったせいで、普段なら見える訳がない空が瞳に映る。
そしてルイズたちが見たのはそれだけではなかった。
山間で日が落ちるのが早いとはいえまだ十分に明るい空を背に、見覚えのあるゴーレムとその肩に乗る緑色の髪をもつ妙齢の女の姿。
「フーケ!」
脱獄不能と名高いチェルノボーグの監獄にいる筈の怪盗は、驚きの声を上げるルイズたちに不敵な笑みを浮かべて見せた。
最終更新:2009年10月07日 05:20