虚無と獣王-27

27  刺客と獣王
ルイズたちの前に不敵な笑みを浮かべて現れたフーケであるが、実のところそんなに余裕がある訳ではなかった。
むしろその内心は焦っていた、というかむしろ戦々恐々としていたと言っていいだろう。
二重密偵という立場上、白仮面に疑いを持たれぬように攻撃し、なおかつルイズたちを傷つけないようにしなければならないのだ。
何で私がこんな目に、と心中で色々な人物に毒を吐きながら知恵を絞った結果が今回の襲撃なのである。
まず襲撃をこの時間にしたのは、相手の虚をつく為だった。
昨日の例から考えて、襲われるとしたら暗くなってからだろうという心理を逆手に取った形だ。
町中で自分の十八番である巨大ゴーレムを出したのは森での戦いを振り返った上で、これに対抗できるのは使い魔のクロコダインだけであると判断したからである。
そのクロコダインが別行動を取っているこの機会こそが最大のチャンスであり、うまくすれば相手の戦意を奪う事が出来る筈だ。
更にそのゴーレムの材料として彼女たちが泊まっている宿を使ったのは、防御しにくくするのと同時に相手の動きを捉えやすくするという理由もあった。
建物には軽く固定化が掛かっていたが怪盗として名を馳せたフーケにとっては無いも同然であったし、傭兵たちもこれで攻撃しやすくなるというものである。
以上が白い仮面の男に説明した襲撃計画の全貌だ。
男も一定の効果を認めてGOサインを出したのだが、実はこの作戦に裏がある事には気付いていない様だった。

裏の目的は以下の通りである。
夕暮れ前に襲うのは確かに虚を突くだろうが、周囲が明るいのだから襲撃者の人数や動向は夜よりもわかりやすくなるのは自明の理だ。
ゴーレムは町中では木偶の坊同然だし、こんなバカでかい人型が現れれば、外で待機している使い魔たちにもすぐにわかる。主人が危険に晒されているのが一目瞭然である以上、最大戦速で飛んでくるのは想像に難くない。
大体ゴーレムを見て怯むような性格を彼女らがしていたらこんな任務には志願しないし、そもそも自分もこんな慣れない密偵をする羽目にはならなかっただろう。
宿の2階と天井が無くなれば確かに防御はしにくくなるが、その分空へは逃げやすくなっている。
フーケは昨日ルイズたちが町へ入る前からこっそり監視をしていた、というか命じられていたのだが、あの一行についている護衛と覚しきメイジは魔法衛士隊の制服で、なおかつグリフォンに乗っていた。
という事は風の、最低でもトライアングルクラスのメイジであり、戦地に向かう以上それなり以上の実力があると考えるべきだ。
トライアングルの2人は自分の身は自分で守るだろうし、魔法がダメなルイズと、あの名前は忘れたが何か気障っぽい土のドットメイジの生徒は護衛が守りきるとフーケは判断した。
後はクロコダインが到着するまで適度に時間を稼ぎ、彼にゴーレムが粉砕されたらどさくさにまぎれて逃走する、というのがフーケの考え出した裏プランである。

当初は話の通じそうなクロコダインに密かに連絡を取って事情を全部ぶちまけ、あくまで敵対している振りをしてもらうという考えもあるにはあった。
しかし直接会うには町の外に出なければならず、そこを仮面の男に見つかりでもしたらあっという間に正体がばれてしまう。
見つからなかったとしても、町を出た途端に目の良い風竜に速攻で捕捉されたあげく、手の出せない距離からえげつない攻撃を喰らいそうな予感がしたので断念せざるを得なかった訳だが。

これだけ策を練っておいて何だが、それでもフーケに余裕は無かった。
なぜなら彼女自身がこの策通りに事が進むとは思っていなかったからである。
フーケは自分が貴族でなくなった日に人生という物は上手くいかないのが当たり前だという真実を強制的に学ばされ、以降始祖に祈りを捧げるなどという非生産的な行為はしなくなった。
物事は上手くいかないのが当たり前、それが現実だ。問題は、そんな現実を前にした自分がどう動くかだと彼女は考える。
フーケ/マチルダは収入の無い上に血の繋がらない扶養家族が多いという事態を前に、決して楽観的ではいられない事を充分に自覚していた。
ただ悲観論者になるのはどうにも趣味に合わなかったので、意趣返しの意味も込め貴族相手の怪盗などというヤクザな稼業に手を染めた。
始めた当初は今捕まる、すぐ捕まるという気分で事に及んでいたものだが、意に反して順調に怪盗稼業は順調に進んでいく。
あれ、けっこうチョロい? などと思って壁に署名を残してみたりしたが、それでも彼女は捕まらなかった。
それでトリステインでもトップクラスのマジックアイテムを求めて魔法学院に潜入したらこのザマだ。全くこの世はままならない。
(さて、あの娘たちはそんな現実って奴を知っているのかねぇ……!)
表面上はあくまで獲物を前にした狩人の顔で、フーケは時間稼ぎと思われない程度の攻撃に入るのだった。

「なんでフーケが!」
「知らないわよそんなの! って言うかトリステインの監獄はどうなってんの!」
「それこそ知らないわよ!」
ルイズとキュルケが不毛な会話を繰り広げる横で、タバサは黙々と風の結界を作り上げていた。
相手は矢をこちらに撃ち込んできているが、天井がなくなったせいで正面だけではなく上からも降ってくるので、自然と結界の範囲は大きくなってしまう。
ワルドが隙を縫って風魔法を放つが、敵もそれは織り込み済みのようで素早く隠れて被害を抑えていた。
「メイジ相手の戦闘に慣れている」
タバサの指摘にワルドは苦い笑みを浮かべて答える。
「メイジ殺しとまではいかないようだがね。ともかくこのままでは不味い、早くここを出た方がいいだろう」
「どうしてですか、子爵」
怪訝な表情のギーシュにワルドは説明した。
「ぼくがこの襲撃を指揮するなら、ここで我々を足止めしている間にフネを押さえるからさ」
移動手段はフネだけではないが、グリフォンやワイバーンではフネほどの速度は出せないし、体力の温存も考えるとあまり取りたくない手段だった。
「正直ここで戦力を分散させたくはないのだが、一刻も早く桟橋に向かいたいのも確かだ」
そこでタバサが自分とギーシュを杖で指さして「囮」と呟く。
更にルイズ、キュルケ、ワルドを指して「桟橋へ」と言いながら、勢いを増す矢の攻撃に対処した。
「ちょっと待って、いくら何でもギーシュと2人だけで囮は無理よ」
キュルケはどこか迷いを見せながら、それでも親友の判断に異を唱える。
傭兵の数は多く、更にあのフーケまでもがいるのだ。タバサの腕がどんなに立とうが勝ち目は薄い。
ギーシュに関しては最近の訓練で多少は使えるようになっているのだろうが、それでも荷が重いと思わざるを得ない。
しかしワルドの事をこれっぽっちも信用していないキュルケは、ルイズとこの髭を一緒に行動させるのは気が乗らないのも確かだった。
そんな友人の迷いを見抜いたように、タバサは付け加える。
「シルフィードがこちらに向かっている」
使い魔と視覚を同調させたのだ。慌ててキュルケも使い魔の視覚を確認すると、風竜の背に乗っているらしいサラマンダーが高速で町に向かっているのが分かる。
「フレイムとシルフィードは囮、残りは桟橋へ向かわせればいい」
一時的に別行動にはなるが、フレイムがこちらに残ればキュルケたちに最低限の情報は伝わる事を見越しての判断に、一同は賛成せざるを得なかった。
ギーシュなどは、出来ればクロコダインには対ゴーレム要因として参加して欲しいと思わないでもなかったのだが、ここはトリステインの武家として名高いグラモン伯爵の息子として、格好いいとこを見せるべきだと思い直す。
尤も、具体的にどうするかについてはその時に考えればいいやという辺りがギーシュのギーシュたる所以だろう。

「では急ごう。時間は金剛石よりも貴重だ」
ワルドの言葉と共にキュルケがファイヤーボールを放つ。
傭兵たちは巧みに遮蔽物に身を隠していたので通常ならこの火の玉も届かない。
しかし間髪入れずに放たれたタバサのエア・ハンマーが強引に魔法の軌道を変更させた。
予想外のコンビネーションに、向こうの攻撃は届かないと高をくくっていた傭兵数人が直撃を受ける。
同時にルイズが「ギーシュ、あれを!」と指示し、「わかった!」とギーシュが入り口付近の床に魔法を掛けた。
すぐに岩で出来た床に30サントほどの剣が20本近く生え、傭兵たちが魔法の途切れた隙をついて突入してくるのを防いだ。
丁度ワルキューレ錬成とアースハンドを混ぜたような形の魔法である。これは例の近接戦闘訓練の過程でルイズが思いつき、レイナールとギーシュが共同で形にしたという経緯があった。
あれと言われてすぐに対応できる辺り、ギーシュにも訓練の成果が現れてきたと言えるだろう。
「じゃあタバサ、あとよろしくね」
「ん」
「うわ僕の存在完全に無視されたよ!?」
キュルケは敢えて短く、しかし信頼を言葉に乗せる。
「気をつけて、タバサ。ごめん、本当にありがとう。あ、一応ギーシュも」
「ん」
「ついで? ねえ、僕はついで!? 何か扱いが違わないかい!?」
ルイズは後ろ髪を引かれる思いで、誠意を込めて級友に頭を下げる。
「2人とも派手に暴れてくれ、ただし無理はするな。特にギーシュ君、もっと君とは議論しなければならない事があるのだから……!」
「ん」
「分かっています。学院の制服が替わるのをこの目で見るまで、死ぬ訳にはいきません!」
ワルドは軍人として指示を出し、同時に新たな同士(若い女性の服装に関する趣味的な意味で)にエールを送る。
敵が怯んでいるのを確認し、ルイズを抱えたワルドとキュルケは『飛行』の魔法を唱えて裏口方面へと飛んでいった。

「行ったね。じゃあこれからはどうしよう、ぼくのワルキューレを突っ込ませるかい?」
タバサは首を横に振る。
「もうじき応援が来る。それまでに厨房からアレを取ってきて欲しい」
「アレ? ああ、アレのことかね」
タバサが指を指した先にある物を確認し、ギーシュはワルキューレを2体作り上げる。
盾で矢を防ぎつつワルキューレが厨房へ向かうのを確認しつつ、タバサはどこか違和感を覚えていた。
傭兵たちの攻撃は激しくこちらは苦戦している。にも関わらず何故か手加減をされている気がしてならないのだ。
考えてみて、答えはすぐに出た。
フーケのゴーレムがあまり戦闘に加わっていないのだ。
あの大きさのゴーレムで、こちらには屋根も天井もないのだからやろうと思えば容易に踏みつぶせる筈なのにそんな気配は微塵も感じられない。
どうにも手を抜いているという印象なのだが、その理由となるとまるで見当がつかなかった。
まあいい、とタバサはそれ以上考えるのをやめる。どんな理由があるにしろ、こちらへの攻撃が少ないのは好都合だ。敵か味方かはこの戦いの結果でイヤでも分かるだろう。
「準備は出来た! もうそろそろだと思うんだがどうかねー!」
ギーシュの声と共に厨房から2体のゴーレムがやけに大きな鍋を持って現れる。その中にはいい感じに煮えた油が並々と入っていた。
「もうすぐ」
タバサが答えるのと同時に、上空から何かが落ちてくる。派手な音と共に彼女たちの前に現れたのは虎ほどもある大きさのサラマンダーだった。
空には青い鱗の風竜とワイバーンが揃って輪を描いている。
「今」
タバサの合図を聞いたギーシュはそぉいやぁぁ!という奇妙な掛け声を上げて、ワルキューレに煮えた油入り鍋(特大)を入り口めがけてぶん投げさせた。
「フレイム、ブレスを」
間髪置かずにフレイムの喉がぐぅっと膨らみ、次の瞬間口から一抱えもありそうな大きさの炎球が飛び出す。
炎は狙い通りに床にまき散らされた油の池に当たり、あっと言う間に燃え広がった。
逃げ遅れた傭兵の一人が火に包まれそうになり、慌てて仲間たちが回収していく。
タバサはしばらくは時間稼ぎが出来そうだと判断、上空に待機している使い魔たちに風魔法を使って声を届けた。
「ルイズたちは先に行った。クロコダインは後を追って」

宿への突入を完全に阻止されている傭兵たちを見て、フーケはそろそろ形だけでも攻撃に入る頃合いかなと思った。
空にはあの厄介な使い魔がワイバーンを操りながらこちらを見ている。
こちらの事情に通じているのか、その表情から読みとる事は出来ないが、どちらにせよ油断をしていい相手ではないのは確かだ。
とりあえず宿の入り口で燃えている炎を消す為にゴーレムを前進させる。30メイルの巨体を支える足は、いとも簡単に火とギーシュのアース・ブレイド(ついさっき命名)を踏みつぶした。
(さて、逃げるか攻撃してくるか、どっちかね)
逃げた場合は追えなかったと言い繕い、攻撃の場合はやられた振りをすると決めているフーケである。やる気のない事夥しい。
そんな彼女が操るゴーレムに、突然大量の花びらが襲いかかった。
赤い、おそらくはバラだと思われる花弁はたちまちゴーレムの表面を覆い尽くしていく。
何のつもりか分からず首を捻るフーケだったが、その花弁が一転、油に変わった瞬間敵の意図を察知した。
「ちょっと! 随分えげつないじゃないか!」
叫びつつゴーレムの肩から飛び降り『浮遊』の呪文を唱えるのと同時に、宿からサラマンダーのファイア・ブレスが飛んでくる。
着弾と同時にゴーレムは盛大な炎の柱となった。
実を言えばゴーレムは岩で出来ており、無理をすれば今まで通り操れない訳ではない。感覚的な問題で制御にはかなりの集中力が必要となるだろうが。
しかしフーケはそれをするつもりは毛頭なかった。むしろこの攻撃は好都合ですらあった。
クロコダインではなく学生たちの攻撃というのが微妙に癪に障るが、そんな事を言っている場合ではない。なるべく苦しんでいる様な動きをさせた上で、彼女はゴーレムの維持を意図的に解除した。
ゴーレムは燃えたまま砂と土と岩に戻り、熱をもった大量の土砂が周囲へと広がっていく。
「馬鹿野郎、気ィつけろよ!」とか「冗談じゃねぇぞ!」などと文句を口にしつつ慌てて退避する傭兵たちを尻目に、フーケは脱兎のごとく裏路地を全速力で駆けて行った。

この調子なら大丈夫だろうと、クロコダインはワイバーンを桟橋へと向かわせる。
フーケを追うつもりはない。というのも、学院を出発する前日に学院長から事の次第を聞かされているからだ。
その時に『あの女にも立場っちゅうもんがあるじゃろうが、本気でお主等に敵対してくるようならそれなりの対応をしてくれてかまわんぞ』と言われている。
早々に二重密偵という素性がバレるか、もしくは組織に忠誠を誓わせる為に何らかの手段で操られている可能性があるからだ。
とはいえさっきの戦いを見る限りでは、微妙に手加減をしているようにクロコダインには感じられた。
こちらの味方なら追っても意味はない。何より先行したルイズたちの方が彼にとっては余程心配である。
桟橋のある場所は合流地点として既に確認済みだ。
クロコダインは急げばまだ追いつけるだろうと、天を突く巨大な大樹を目指すのだった。

ルイズ、キュルケ、ワルドの3人は桟橋のフネが視認できるくらいの場所まで来ていた。
途中「あ、あの、重くないですか?」「いいやちっとも! 相変わらず羽の様だねルイズは」などという会話にキュルケが砂を吐きそうになったりしたが、懸念されていた待ち伏せはなく、フネに傭兵たちが群がっている気配も無い様に見える。
桟橋にフネは一隻しか係留されていない。普段はもっと多くのフネがあるのだが、白の国の最接近が明日なのと内乱の影響で隣国へ渡るフネが減少しているのだ。
些か寂しい光景ではあるが、乗る予定のフネが一目瞭然なのはありがたい。
抱き抱えられたまま、時折後ろを気にしているルイズにワルドは優しく声を掛けた。
「残った彼らが心配かい?」
「え? いいいやあの、そそ、そんな事は!」
頬を赤らめわたわたと手を振るルイズである。誰がどう見ても心配で仕方がないと判断するであろう態度だった。
「優しい所は変わっていないのだね、ルイズ。でも大丈夫さ。あのタバサという少女はトライアングルクラスの様だし、ギーシュ君もドットとはいえ昼間の訓練の様子を見てもかなり使えるだろう」
敵を全滅させろというのは無理だろうが、使い魔が来るまでの時間稼ぎなら余裕だろうというワルドに、ルイズは軽く頷くものの納得は出来ていないようだった。
「──向こうも心配だけど、こっちはこっちでヤバイんじゃない?」
どこか不機嫌そうなキュルケの声にルイズが前を見ると、彼女たちが目指す桟橋、すなわち大樹の枝に何者かが立っているのがわかる。
まだ日はあるがこれからの時間からは視認しにくくなるであろう黒い服、手には杖、鍛えているのが遠目にもわかる長身の男。
そして何より目につく特徴がひとつ。
「……仮面?」
そう、何を考えているのかその男は白い仮面をつけていたのだ。
「敵かしら? ていうか敵よね、そうに違いないわ」
「敵ね、というか味方であって欲しくないんだけど」
妙に息の合ったルイズとキュルケである。
まあ普通に生活していれば仮面をつけた男などに遭遇する可能性はゼロと言っても過言ではなく、思春期の少女たちがそんな感想を抱いても無理はない事かも知れない。
放っておけば止め処なく件の仮面について、容赦のない辛辣かつ率直な感想が2人の口から出ていたのだろうが、残念ながらそれ以上の意見の交換は見られなかった。
ワルドが前触れなく急旋回を始めてキュルケと距離を取り、そのまま不規則に進路を変えるような飛び方を始めたからだ。
それまでほぼ一直線に飛んでいたのが急に変わった為、ルイズはこれまで以上にワルドにしがみつきながら舌を噛まないよう口を閉ざす。
キュルケもワルドの真意を察し、ジグザグに飛行するよう心がけた。
何せあの趣味の悪い仮面は木の枝からこっちを狙い撃ち放題なのに対し、『飛行』の魔法を使用中のこっちは迎撃も防御も不可能なのだ。
同時に2つの魔法が使えないハルケギニアのメイジにとって、この状況はかなり危険なものであった。
大きく回り込んでフネに接触する手もあるが、相手も馬鹿ではない。こちらがそんな動きを取る事は予測しているだろう。
襲撃者があの仮面だけならまだしも、伏兵がいないとは限らない。迂闊な行動はできなかった。
「どうしよう、こんな所で足止めされてる場合じゃないのに……!」
ルイズが焦るのは、自分が足手まといになっているのを自覚している所為もある。
自分がまともに魔法を使えていれば、少なくともこの場を切り抜けられると思ってしまうのだ。
「いや、大丈夫だ」
空中を切り裂くように飛びながら、使い魔に視覚を同調させたワルドが力強く呟く。その眼には宿には寄らず一直線にこちらに向かってくる相棒の見る自分たちの姿があった。
空中でグリフォンとランデブーを果たし、ワルドはルイズと共に使い魔に跨るのと同時に牽制のエア・ハンマーを放つ。
仮面の男が同じくエア・ハンマーで魔法を相殺する間にグリフォンのそばにキュルケが近寄った。
「あのセンスの悪いのを倒してから行く?」
「後顧の憂いは断っておきたい。が、君はルイズと一緒にフネまで行けるか?」
ワルドの質問に難しい顔をするキュルケである。
グリフォンライダーのワルドとしては、ルイズを乗せたまま戦うのは避けたいのが本音だ。戦闘時の動きにルイズが耐えられず落ちてしまう危険が高い。
かといって自力で飛べないルイズをキュルケに任せるのも問題があった。
ルイズの体重は同世代の女子に比べれば軽い部類になるが、それでもさして年の変わらないキュルケが抱えて飛ぶには負担が大きい。
仕方のない判断だったとはいえ、せめてここにタバサかギーシュがいれば。いささか現実逃避めいた事を考えてしまうキュルケだったが、ルイズの叫び声に現実に引き戻される。
「クロコダイン!」
見れば木の幹に沿う様に急上昇してくる大きな影があった。
「唸れ、疾風!」
怒号と共に大戦斧から生じた真空系呪文が仮面の男に襲いかかる。
男は凄まじい速度で風の防壁を作り上げダメージを押さえるが、完全には威力を殺しきれず後ろへ吹っ飛ばされた。
無論そのまま落ちる様なヘマなど起こす訳もなく、これもまたいつ唱えたのかも判らぬ『飛行』の魔法を駆使して近くの大きく張り出した枝の先に着地する。
「イルイル」
同時にワイバーンを魔法の筒に格納したクロコダインが同じ枝の根本側に取り付いた。
枝といっても普段はフネが係留されている桟橋である。幅は約10メイル、彼我の距離は大体20メイルといったところだろうか。
枝が平民でも歩きやすいように平らに馴らされているのは、これから戦う身としては有り難かった。
「こちらは押さえる、先に行け!」
叫ぶ獣人に異を唱えたのは、やはりその主である。
「でも!」
「自分の目的を忘れるな、ルイズ。ここで足止めされていては出来る事も出来なくなるぞ」
クロコダインはルイズに話しかけながら、決して仮面の男から目を離さない。
先程の所作で相手が手強いというのはすぐに感じ取れたし、これまでの経験として仮面を付けた敵には余り、というか全くいい思い出が無かったからだ。油断など以ての外だった。
「僕たちが乗るのはあのフネだ! そこから西北へ向かう!」
理性ではクロコダインの方が正しいと思いながらも、それで感情が押さえられる訳もなく顔を歪めるルイズを制する形で叫んだのはワルドである。
「すぐに追いつく! キュルケ、すまんがルイズを頼むぞ」
「任されてよ!」
キュルケにしても後ろ髪を引かれない訳ではないが、これ以上の問答はクロコダインの邪魔になると判断せざるを得ない。
「気を付けて! 待ってるから!」
ルイズの声をその場に残し、グリフォンはフネへと飛び立っていった。
「さて、行こうか」
そう言ってクロコダインは改めて斧を構え直す。
短い間とはいえ仮面の男が攻撃を控えていたのは、目の前の獣人とグリフォンライダーとの挟撃を恐れたからだろう。
男のクロコダインに対する答えは、矢継ぎ早のエア・ハンマーの連打であった。
枝の上では不可視の風の槌を避ける術もない。人間はもちろん、オーク鬼でも吹き飛ばされるであろう攻撃だったが、しかしクロコダインはまるで意も介さなかった。
両足に力を込めて、その場に踏みとどまるだけではなく一歩、また一歩と近づいてくる。
その歩みはゆっくりとしたものだったが、その分相手に与えるプレッシャーは重く、強い。
エア・ハンマーは通用しないと判断したのか、男はすぐに攻撃手段を変更した。
槌という「面」の攻撃ではなく、風を刃と為す「線」の魔法。
見えざる刃、エア・カッター。狙う先は一撃で命を絶つ事のできる急所、首筋である。
しかし野生の本能か戦士の経験か、クロコダインは咄嗟に身を低くしてそれを回避した。
(あれを、あのタイミングで避けるか……っ)
仮面の下で表情を歪める男だったが、それで攻撃の手を緩めるほど甘くはない。
続け様に放たれる風切り音と共に襲いかかる刃に対し、クロコダインは構えた大戦斧から爆裂系呪文を発動させた。
「唸れ、爆音!」
鉄製の巨大ゴーレムの腕を粉砕した魔法は、向かってきたエア・カッターのほぼ全てを相殺する。完全には威力を消しきれずマントの一部が切断されたが、被害はそれだけだった。
流石に一瞬怯んだ男の動きを見逃さず、クロコダインは一気に距離を詰める。
接近戦を彼が選択した理由は2つ。
1つは敵の動きがかなり速く、自分の遠距離攻撃は避けられる可能性が高いと判断したから。
もう1つは敵から感じられる生命エネルギー、即ち『闘気』が通常の人間に比べかなり薄かったからだ。この世界にいるのかは分からないが、亡霊剣士やゴーストに似た印象を受ける。
相手が何者かを判断するには接近戦が一番であると、クロコダインはそう考えていた。
闘気の大半を防御に回し、今までの歩みが嘘の様なスピードで距離を詰める。
仮面の男も近づけまいとエア・カッターを連発するが、鎧や鱗に白い傷を付けるだけで効果はかなり薄い。それでも一歩も引かずに攻撃を加え続ける所は賞賛に値するのだが、いかんせん分が悪いのは明らかだった。
もちろんクロコダインが痛みを感じていない訳ではない。『気』の力と意志の強さで、痛みや恐怖心をねじ伏せているだけだ。
闘気で強化できない右目だけをガードしながら、クロコダインはついに彼我の距離を5メイルまで縮める。
「おおおっ!」
彼がグレイトアックスで狙うのは杖を持っている右腕であった。
ルイズに付き合って授業に何度か参加しているお陰で、魔法には『虚無』を含めて5つの属性があり、それらを使うには杖が必要である事ぐらいは判っている。
しかし仮面の男は素早くバックステップ、紙一重で攻撃をかわす。
(その武器の大きさで連撃は出来まい!)
パワーはともかくスピードではこちらが上だと判断した男は敢えて距離を取らず、魔法を駆使した接近戦を挑むつもりだった。
自分の詠唱速度に余程の自信がなければ取れる戦法ではない。
これまでの攻撃は確かに通じてはいないが、男にはまだ使っていない魔法があった。
彼が最も得意とする、これまで数多くの敵を屠ってきた切り札の1つ。
自分でも今までで最速だと確信できる勢いで呪文を紡ぎながら、しかし男は仮面の奥の目を見開いた。
なんとなれば、クロコダインが両手で持っていた大戦斧を左手でホールドし、空いた右手で腰に差していた剣を抜いていたのだ。
「やっぱりここぞって時には俺だよなー!」
なぜか歓喜の声を上げながら迫るデルフリンガーだったが、けれど、残念ながらその刀身は男に届く事はなかった。
バチン、と空気が震えたかと思う間もなく、輝く雷の帯がクロコダインの身を焼いたからである。
「ライトニング・クラウドか!」
襲いかかった魔法の正体に気付いたデルフリンガーが叫ぶが、完全に予想外の攻撃にクロコダインは硬直し、その動きは鈍くなっていた。
彼が毎回ルイズと共にギトーの授業に参加していれば、風魔法の中に『雷雲』の呪文があると教わっていたかもしれない。
しかしクロコダインとて始終ルイズに付いている訳ではなく、また彼の常識では雷撃系の呪文は勇者や竜の騎士といった限られた者のみが扱える呪文だった為、不意を付かれてまともに攻撃を喰らう羽目になったのである。

(ライトニングは効果があるようだな)
男は密かに胸を撫で下ろす。雷撃まで効かなかったらそれこそ打つ手がないのだ。
実を言えば仮面の男にもそれほど余裕がある訳ではない。
この一戦で馬鹿にならない数の魔法を使っているし、何より未知の敵と戦うのは心身共に負担がかかる。
その敵がかつてないパワーとタフネスさを持っていればなおさらだ。
(今更出し惜しみは無しだ。恨まないでくれよ、使い魔君)
残り少ない精神力を振るって再び『ライトニング・クラウド』を唱えようとする男であったが、今度は彼が不意を突かれる番だった。
動きが鈍ったのはほんの一瞬だけで、クロコダインは焼けた腕で男の持つ黒塗りの杖を両断してのけたのである。
(……!)
驚愕の声を何とか飲み込みながら男は全力で後退した。
鍛えぬいた戦士、またはオーク鬼やゴブリン鬼でも痛みと驚愕により良くて気絶、大抵の場合ショック死するような威力の魔法を正面から受けてなお鋭い斬撃を放つなど、男にしてみれば正に悪夢を見ている様な気分である。
追撃をかけるクロコダインから目を離さず、懐にある予備の杖を出せたのはある意味奇跡的だった。
『飛行』で斜め上にある枝に飛び移り、およそ20メイルの距離を挟んで再度クロコダインと対峙する。
残り少ない精神力の全てを使ってでも倒さなければこちらがやられるとメイジとしての本能が叫んでいた。
(まさかここまでやるとはな。だが、もう幕引きの時間だ!)
唱えるのはやはりライトニング・クラウドだ。こちらの魔法は余裕で届くが、向こうがこちらを攻撃する術はあるまい。
男の判断はこの一戦の経緯を考えれば無理のないものであったが、彼はすぐにそれが間違いであったと痛感させられる事となる。
男の杖から雷撃が2連続で放たれるのと同時に、枝の先端まで来たクロコダインが、腰の後ろにマウントした青銅の斧を渾身の力で投げつけてきたのだ。
(なにぃっ!?)
悲鳴を上げる間もなく斧は亜面の男の胴を半分以上抉り、そのまま後ろに突き抜け落ちていく。
男はガクッと体勢を崩して枝に倒れ込む寸前、しかし霧の様に風にまぎれ、音もなく消えていった。
まるで、そこには誰もいなかったかの様に。

一方クロコダインも無傷ではいられなかった。
また雷が来るだろうと予想して手斧を投げた後は防御に専念していたのだが、それでも尋常でない痛みが襲いかかる。
以前にもっと強い雷撃系の攻撃を受けていたからこそ耐えられたが、その経験がなければ、またガンダールヴのルーン効果で若干ながら闘気の扱い方が向上していなければどうなっていたか。
だが、クロコダイン自身は耐える事が出来ても、その足下まで耐えきれる訳ではない。
狙いを定める為に枝先まで進んでいたのが災いし、2度のライトニング・クラウドで痛めつけられた木の桟橋が轟音を立てながら崩れていく。
「ぬおおっ!?」
「うおおおいおいおいおいちょっとヤバくねぇか相棒っ!?」
いかにクロコダインが無類のタフネスさを誇るとはいえ、この高さから地面に叩きつけられれば流石に命にかかわる。デルフリンガーが悲鳴を上げるのも無理はない話だった。
ワイバーンを呼び出そうと咄嗟に腰に手をやって、クロコダインはそこにある筈の『魔法の筒』がないのに気が付いた。
雷撃の余波でどこかに落としたものらしいが、運がないではすまされない。
「待ってちょっとヤバいってヤバいってこれー!?」
悲鳴上げっぱなしのデルフリンガーを無視しつつ、今度はグレイトアックスを掴んで魔法を発動させる。
「唸れ、疾風!」
空中で放った事で若干その巨躯が幹の方へと流され、更にその動きを加速させるようにクロコダインは尾を思い切り振り、反動をつける事で巨木に身体を近付けた。
「おおおっ!」
気合いと共に大戦斧を木の幹に突き刺して落下を防ごうとするが、そう簡単に勢いは止まらない。
「って何だ相棒俺を振りかざしてってやっぱこういう事かよ!」
斧だけではなくデルフリンガーまで楔にし、幹に大きな傷を付けながらクロコダインはようやく体を固定する事が出来た。
後は横移動しながら近くの枝まで辿り着けばいい。
ふと上を見上げれば、フネがゆっくりと桟橋から離れていくのが判る。ここから登っていっても、もはや出発には間に合いそうになかった。
伏兵がおらず、彼女たちが無事に乗りこめた様なのは喜ぶべき事であろうが、結局ルイズに合流できなかったのはクロコダインにとって痛恨事だ。
迂遠に思えても何とか下まで降りて、早急に魔法の筒を探さなければならなかった。


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最終更新:2009年10月14日 17:08
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