虚無と獣王-30

30  虚無と王族
ルイズらを乗せた『イーグル』号は雲海を縫うように進んでいた。
後ろには『マリー・ガラント』号が続いている。
既に船長たちはウェールズの部下によって事の次第を明かされており、同時にある依頼を受けてもいた。
ワルドからはそれなりに高額な乗船料を得ており、硫黄に関しては前金でかなりの額を王党派から渡されている。
アルビオンに付けば残りの代金と前述の依頼金を払うとの事だったので、色々と思うところはあるが従うしかなかった。
逆らったところで『イーグル」号の砲門がこちらを睨んでいる現状が変化するわけでもない。貴族派相手に商売していた以上、彼らのシンパとして扱われてもおかしくはないのだ。
不満を述べる船員がいないわけでもなかったのだが、それは船長が「命があるだけ丸儲けだろう」と説き伏せている。
代金に関しても踏み倒されはしないと船長は判断していた。
吹けば飛んでしまいそうな王党派ではあるが、それだけに金を惜しむ様な真似はしまい。討ち死にしてしまえば金を取っておいても仕方ないのだから、と。

「彼らはついてこれそうかな?」
「なかなか良い操舵士がいるようです。何人かあちらのフネに配置しておりますので問題はないでしょう」
後甲板に出てきたウェールズの問いに、平行する『マリー・ガラント』号にいる仲間と風魔法を使って話していた副官が答えた。
そうか、と頷く王子にルイズが問いかける。
「しかし殿下。貴族派の包囲を如何に突破してニューカッスルへ向かわれるのですか?」
良い質問だ、と笑みを浮かべてウェールズは岬の先端を示した。
「あそこに見えるのがニューカッスルの城だ。しかしこのまま向かうわけにはいかない。忌々しいあのフネがいるのでね」
見ると、軍艦である『イーグル』号よりも更に大きなフネが浮かんでいるのがわかる。
片舷に数多くの砲を配置し、前部甲板にはご丁寧に竜騎士まで待機していた。
「あれが貴族派の旗艦、『レキシントン』号だ。元は空軍の最新鋭艦として建造されていたのだがね」
そもそもこの内乱は件の戦艦が貴族派の手によって乗っ取られた事から始まったのだという。
当時は『ロイヤル・ソブリン』と呼ばれていたフネは、貴族派が初めて勝利を収めた地の名を与えられ、今は散発的に城の方角に大砲を放っていた。
「あんなものとまともに戦っても勝ち目は薄い。そこで我々は別の港を使っているのさ」
雲でその身を隠しながら飛んでいた『イーグル』号は更に下へ、つまりは浮遊大陸の底の部分を目指し降下を始める。
後甲板の船員からの合図を受けて、『マリー・ガラント』号も若干遅れて雲海の中へと進んでいった。
雲の中、更に太陽光が大陸によって遮られているにも関わらず、鍛え抜かれた精鋭たちは迷う事なくフネを自在に操っている。
感心しきりの様子のルイズに、思わずウェールズは目を細めた。
信じていた者たちが次々と裏切り、今まさに王党派は滅びようとしている。
残った仲間たちも、そして自分も疑心暗鬼に陥りがちなこの状況において、感情を素直に表に出すルイズはウェールズにとって眩しい存在であった。
フネの頭上、つまりはアルビオン大陸の底にぽっかりと黒い穴が開いている。
大きさはおよそ300メイル、マストに灯された魔法の光に照らされたその穴の中を『イーグル』号は危なげなく進んでいった。
地形図と測量のみでこの芸当を難なくこなしているのだから、王立空軍の腕は確かなのだなとワルドは考える。
そしてレコン・キスタ側には、そこまで熟練した航海士がいないのだろうと予測していた。
(それにしても、霧の中の洞穴を通って秘密の港へ向かう、か)
いささか不謹慎だというのを自覚しつつ、ワルドはどこか楽しげにウェールズへと話しかける。
「まるで空賊ですな。殿下」
ウェールズもまた我が意を得たりという表情を浮かべて答えた。
「まさに空賊なのだよ。子爵」
幼い頃、母に寝物語として聞かされた自由を愛する空賊の話をワルドは思い浮かべていたのだが、どうやら皇太子も似たような事を連想していたらしい。
「いっそ空賊旗でも上げておけば良かったか」
「『これは空賊旗ではない、自由の旗だ!』ですな」
貴族にも平民にも親しまれ、舞台劇にもなった空賊の決め台詞に、周囲にいた船員たちは揃って笑い声を上げた。
「いや、このようなシチュエーションは意味もなく燃えますな、殿下!」
「ハハハ、君は随分話の判る男じゃないか子爵!」
どうやら肩書きなどとは関係なく、幾つになっても男というものは義賊とか秘密基地という存在にロマンを見出す生き物らしい。
もっとも、空賊の話は知っていてもそこまで思い入れのないルイズやキュルケにしてみれば、なんで彼らはあんなにも嬉しそうなのかと首を捻らざるを得なかったのだが。

暗かった周囲が突然明るくなったのは、周囲が発光性の苔に覆われているからだった。
地下にも関わらすこの鍾乳洞が港として活用されているのは、白く光る苔が周りを明るく照らしているのもあるのだろう。
既に桟橋には多くの人間が集まっており、フネが停止すると同時にもやいの綱を放った。
あっという間に『イーグル』号は岸壁へと固定され、ウェールズはルイズ一行を伴い港へと降り立つ。
「よくぞご無事で戻られました、殿下。それにしても今回は随分な大物を仕留めてこられましたな」
出迎えた背の高い老メイジが顔を綻ばせると、ウェールズはその肩を叩きながら言った。
「吉報だぞ、パリー。あのフネには大量の硫黄が積まれている」
ウェールズの言葉に、集まった兵士たちからは感嘆とも賞賛ともとれぬ、しかし熱狂的な何かをはらんだ雄叫びが上がる。
「留守中変わりはなかったか」
「叛徒どもからの最後通牒がございました。明日の正午、攻城を開始するとの事です」
町の噂よりも何日か早い総攻撃の通告に、ウェールズは間に合ってよかったと笑った。
「これだけの火の秘薬があれば、敵に王家の名誉と誇りを存分に知らしめて敗北する事ができるだろう」
連中にアルビオンの精鋭の死に様を見せつけてやろうと腕を掲げると、空軍の男たちは感極まった様子で一斉に杖を掲げる。
一方、ルイズは王子が何を言っているのかすぐには理解できなかった。
もちろん言葉が判らなかった訳ではない。
何故、あんなにも朗らかな表情で自分たちの敗死を口にできるのか。それがルイズには判らなかったのだ。
「ところで、そちらの方々は……」
パリーはウェールズに連れられてきた3人に目を向けていた。
兵民の服を着ているが立ち振舞いは明らかに貴族であり、しかし長年侍従を勤めた自分の記憶にはない者たちである。
いや、より正確に言うと背の小さいピーチブロンドの髪の少女は昔どこかで見た気がするのだが。
「こちらはラ・ヴァリエール嬢。非公式ながらトリステインの大使として来られたのだ。丁重にもてなしてくれ」
「かしこまりました」
表情を変えずに答えながら、パリーは心中に納得を得る。
ヴァリエール公爵夫妻なら宴の席や園遊会などで何度も目にしていた。
件の少女は確かにヴァリエール公爵婦人によく似ていたので、既視感を覚えたのであろう。
「さて、敵の動きが思ったよりも早いのでね。急かす様ですまないが、一度僕の部屋まで来てほしい」
その部屋は、およそ次期国王のものとも思えぬほど質素であった。
キュルケなどは、これなら寮の自分の部屋の方が余程豪華だなどと思ったくらいである。
「それで殿下。私たちに渡したいものというのは……?」
ルイズの問いに、ウェールズは椅子に座るよう促しながら答えた。
「まずはアンリエッタ宛の手紙だね。あとは指輪と、鳴らないオルゴールをひとつ」
手紙はわかる。指輪もまあ理解できる。しかし、鳴らないオルゴールってのは、何?
首を傾げるルイズの横ではキュルケが似た様な表情を浮かべていたが、二人の後ろに立っていたワルドは驚愕を隠しきれなかった。
「殿下! それは失礼ながら、いささか問題にはなりませんか」
「確かに父上の同意を得なければならないが、どうせ諸共に散るつもりのものだったからね。ここで君たちに預けるのに反対はされないだろう」
透明な笑みを浮かべる皇太子に、ワルドは言葉に詰まる。
「それにトリステインからの大使がここに来ているのは、連中も気がついてないのではないかな」
「いえ、残念ながらラ・ロシェールで2回程襲撃を受けています。その中に先日捕らえた筈の盗賊がおりましたので、お恥ずかしい限りですが、敵は我が国にも深く根を張っているのでしょう」
見通しがいささか甘かったかと、ウェールズは眉をひそめた。
「あ、あの、一体何の話をされているのですか」
男2人の会話についていけなかったルイズが口を挟むと、ウェールズとワルドは顔を見合わせた。
「いや、すまない、ラ・ヴァリエール嬢。そういえば肝心な事を伝えていなかったね」
「ルイズ。殿下が我々に預けようとされているのは『風のルビー』と『始祖のオルゴール』。つまりアルビオンにおける秘宝中の秘宝だ」
びき、とルイズの表情が凍り付く。
「まあ秘宝には違いないのだが、ルビーはともかくオルゴールはちょっとね。故障している訳でもないのに鳴らないという代物だ、ディテクト・マジックには反応するから全くの紛い物ではないのだろうが……」
「只でさえ始祖の関連する秘宝には贋作が付き物ですからな。我が国に伝わる『始祖の祈祷書』なぞ、偽書だけで軽く図書館ができると言われておりますし」
「王家としてもこの手のものは軽々しく表には出せないからね。実際オルゴールにもいくつかのレプリカを作成している」
知り合ったばかりにしては息のあった会話であったが、ルイズの方はそんな事に気付く精神的な余裕はなかった。
「そそそそんな大切な物をわわ私が預かるのですか!?」
『風のルビー』だけでも結構一杯一杯なのに、これ以上そんなものが増えたら胃に穴が開くどころの話ではなくなる。
確かに敵にくれてやるには惜しい代物であり、信用のおける誰かに渡すというのは間違った判断ではない。
ないのだが、それは誰かもうちょっとアルビオンの信用できる関係者に託して下さい、というのがルイズの偽らざる本音であった。
「だからこそ託したいのだ、ラ・ヴァリエール嬢。いや、この滅びゆく国に危険を冒してまで訪れた君にしか、もはや預ける事は出来ないのだよ」
ウェールズは笑みを浮かべていたが、どこか寂しげで、そしてひどく疲れている様にルイズの目には写った。
裏切るなどとは到底思えない面子が次々と敵に寝返るという、悪夢の如き現実に晒され続けた皇太子としては、他国人とはいえ『真っ当な貴族』としての行動をとったルイズならばという心境なのだろう。

「明日の正午、我々は『イーグル』号で出撃する。その隙に非戦闘員を乗せた『マリー・ガラント』号がここを離れる手筈になっているから、君たちはそれに便乗してくれたまえ」
王族自らが囮となるというウェールズの言葉に、ルイズもキュルケも絶句するしかなかった。
「情けない話ではあるが、城に残った人間の中に内通者がいないとも限らない。秘宝は明日、出発直前に手渡そう」
流石に父の許可もまだ得てはいない状態で渡すわけにはいかないと苦笑する皇太子に、ルイズは何とか言葉を返す。
「ウェールズ殿下。殿下は、その、アンリエッタ姫を愛しておられるのですか?」
「ああ。ラグドリアンで初めて会った時から、我が心は彼女と共にあった」
「ならば、何故、玉砕の道を行こうとされるのですか!? 亡命なされませ、姫様からの手紙にも、そう書かれていた筈です!」
アンリエッタの密書を読んでいた訳ではないが、彼女の性格ならば必ずそれを勧めるだろうとルイズは踏んでいた。
まだ年端もいかぬ少女の悲痛な叫びを、しかしウェールズは眉一つ動かさずに否定する。
「いや、彼女からの手紙にはその様な事柄は何一つ書かれてはいなかった。そもそも王位継承権を持つ者が、軽々しく自国への亡命など勧める訳がないだろう?」
そんな、と呟くルイズの横から、これまで沈黙を守っていたワルドが語りかけた。
「……我が国への亡命が、貴族派がトリステインへと侵攻する口実になると、殿下はそう考えておられますか」
「内乱ならともかく、他国に戦争を仕掛けるには大義名分が必要だ。仮に亡命したとすれば、私の存在は格好の理由となるだろうな」
それはウェールズにとって最も忌避すべき未来予想図だ。
貴族派がトリステインに攻め込む可能性がある以上、愛する女がいる国を守るには、一人でも多くの敵を道連れにする。
それこそが今の自分に出来る唯一の手段であると、若き王子は深く静かに覚悟を決めていたのだった。
ルイズは目の縁に涙を浮かべながら、けれど決して泣くまいとしている。
ウェールズが正論を述べているのは判るが、アンリエッタの友人として、この勇敢な皇太子に死んで欲しくはない。
しかしここまで固い意志で、王族として、また男としての維持を通そうとするウェールズを翻意させる事は出来ないと、ルイズが心のどこかでそう考えてしまうのも事実だ。
己の無力を噛みしめるルイズに、ウェールズは優しく微笑みかけた。
「非公式とはいえ君は大使なのだから、母国が不利となりかねない発言は慎みたまえ。その正直さは美徳であり、賞賛されるべきものではあるがね」
自分のために、そしてアンリエッタのために亡命を勧めるルイズにウェールズは好感を抱く。
政治的判断そっちのけで私情を優先するなど、大使としては失格だろうが、その心根の優しさやまっすぐな瞳は、死を覚悟した皇太子にとって福音のように感じられた。
「今夜はアルビオン最後の晩餐会が開かれる予定だ。君たちにも是非出席してほしい」

ここまで順調に飛んできたクロコダインたちであったが、日が沈み始めるのと同時に問題点が浮上した。
休息がとれないのである。
ワイバーンとシルフィードは精霊の力を最大限借りる事によって飛ぶ事による体力の消費を極力押さえていたし、フレイムやクロコダインは元々体力も耐久力も半端ではない。
ヴェルダンデには自前の毛皮があるし、そもそも気温の変動にはあまり頓着しない性質である。
しかしタバサは諸事情により鍛えられてはいるがまだ14歳である。風の防壁を張る事で体温が奪われないようにしていたが、その分精神力は削られていた。
ギーシュは最近体を鍛え始めたとはいえまだまだ優男の域を脱してはいない。
そして風の防壁は決して効果時間の短い魔法ではないのだが、ドットメイジが連発できるほど燃費の良いものでもなかった。
結果、ギーシュは申し訳ないと思いつつもクロコダインを風よけにしていたのだが、流石に気温の低下までは防ぎようがなく、今は予備の服を重ね着している状態である。
「そそそそそれにしてもも空というものはさささ寒いのだねねね」
ギーシュは別に興奮している時のルイズを真似ている訳ではなく、ただ単に歯の根があっていないだけだ。
昼間は「おお絶景だね! 風は心地いいし素晴らしいじゃないか!」などとご満悦だったのだが、今は半日前の自分を殴り倒したいと真剣に考えていた。
ヴェルダンデにしがみつきフレイムの尻尾(炎付き)で暖を取る姿はなかなかに間の抜けたものではあったが、当人としては生死に関わる問題だ。
「ギーシュ、今のうちに食事をしておけ。タバサもな。それと、アルビオンまではあとどれくらいかかりそうだ?」
シルフィードを可能な限りワイバーンに寄せたタバサは少し考えた後、「明日の昼までには」と答えた。
自分はともかくとしても、学生2人にそこまで休息なしというのは酷だろうとクロコダインは思う。
とはいうものの眼下は海だ、休めそうな場所はない。仮にあったとしてもルイズの事を考えると時間が惜しかった。
悩むクロコダインに解決策を告げたのはタバサである。
「魔法の筒」
そう、筒の中にいれば体力の損耗は避けられるのだ。代わりに回復もしないが、現状維持が出来るだけでも価値はあった。
問題は人間を筒の中にいれた事がない点だが、考えてみれば筒にモンスターの種類を選ぶ機能などない。
別世界のワイバーンですら対応可能なのだからおそらく問題はないだろう。
心中で自分自身にそう言い聞かせながら、クロコダインは小さな青銅製のフライパンを『練金』し、干し肉をフレイムの火で炙っているギーシュに魔法の筒を向けるのだった。

宴は盛大だった。
参加した者は全員園遊会のように着飾り、テーブルの上には上等な酒や料理がところせましと並べられている。
老齢故、近年は体調を崩し公の場には姿を現していなかった国王、ジェームス一世も今日ばかりはと祝宴に参加していた。
国王は立ち上がるのも一苦労という風情ではあったが、息子の肩を借りながら参加者に告げる。
明日の戦いを前に全員に暇を申し渡す。勇敢な諸君らがこれ以上犠牲になる必要はない。明朝、非戦闘員を乗せたマリー・ガラント号と共にこの忌まわしき大陸を離れよ、と。
それを聞いたイーグル号の乗組員や数少ない竜騎士隊員、側近のメイジは無論のこと貴婦人たまでもが、揃って王命を拒絶した。
「なあ、今なんて言ってた?」
「ああ、一人あたり敵を1000人倒せ、だそうだ」
「おいおい、それはまた随分簡単なオーダーじゃないか」
笑いあう騎士たちの横では、古参の船乗りたちが王の耄碌具合について議論している。
「やばいぞ、どうも国王はたったひとりで一番いいところを独占するつもりらしい」
「多分俺たちを追い出しておいて大活躍すればモテモテじゃよーとか考えてるんだろ。夢は寝てから見るもんだろうにな」
「馬っ鹿、ちゃんと聞こえるようにもっと大きな声で言えよ」
口では好き勝手に王への敬意など欠片もない事を言いながらも、彼らは1人たりとて敵に背を向けるのをよしとしなかったのである。
ばかものどもめ、と小さく呟いた国王は、感傷を振り払うが如く高らかに飲んで食べて騒げと周囲を煽るのだった。

ウェールズの要請に応じ、ルイズたちは晩餐に参加していた。
ドレスは借り物だが高級で品の良いものだったし、ルイズもキュルケも美しい少女である。美形というのは得なもので、何を着ても様になるのだった。
ルイズが着ているのは薄紫に銀の刺繍が入ったドレスで、細身の体に薄桃色の髪を軽く結い上げた姿はホールの中でも充分に目を惹きつける。
キュルケは光沢のある黒を基調としたドレスを身に纏っていて、燃えるような赤髪と小麦色の肌との対比が鮮やかで、そのボリュームのあるプロポーションもあり異彩を放っていた。
トリステインからの大使である事、空賊への対応などは既にイーグル号の乗込員らの口からもれていたらしく、彼女らにはひっきりなしに人が訪れて歓迎の意を示している。
最初のうちこそ、ルイズは大使として特大の猫をかぶって対応していた。
しかしイーグル号での毅然とした態度を誉めてくれた痩せぎすの男(実は空軍の幹部だった)も、しきりに大使とはすごいと感心する自分とさほど年のかわらぬ若い竜騎士も、ラ・ロシェーヌで見たものとは比べものにならない豪華な料理を勧めてくれる初老の侍従も。
明日にはみんな死地に向かうのがわかっているとなると、次第に気が滅入ってくるのは致し方ない事ではあった。
ルイズが理由をつけてホールを離れるのを見て、キュルケはこっそりとため息をつく。
明日の事は明日の事と割り切っているつもりの自分でも、正直きついのがあるのだ。いろんな意味で箱入り娘のルイズが耐えきれなくなるのは当然だろうと思う。
出来る事ならいつもの様に発破をかける形でフォローを入れたかったが、すぐに後を追うのは流石に抵抗があった。
加えて言えば、どんなにいけすかなくとも名目上は彼女の婚約者が一応この場には存在するのだ。
そんな訳でキュルケは魔法衛士隊の制服を着て貴婦人たちとの会話を軽妙にこなすワルドにいやいやながら話しかけようとして、ふと立ち止まった。
我ながら、らしすなさすぎる。
貴族主義のトリステインでそんなものはどこ吹く風とゲルマニア流を貫いてきたというのに、ヴァリエールの婚約者に道を譲るなどあってはならない事態だ。
アルビオン産の最高級ワインを一気に飲み干して、キュルケはパーティー会場から優雅に立ち去った。
ワルドの元にはルイズらに負けず劣らず人が集まっている。
背は高く、制服の上からでも鍛えられた体躯である事がわかり、トリステインでも特に実力のあるメイジが集められた魔法衛士隊の若き隊長で、尚且つ美男子となれば当然貴婦人たちの視線は集中した。
当初は演習で知り合った竜騎士隊のメンツや『イーグル』号の船員もいたのだが、女性たちが集まるにつれ、彼らは何故かワルドの背後にまわっていく。
「おっかしいなー。なんでこのワインはこんなにもしょっぱいんだろう……」
「それはお前が泣いているからだ、戦友。ちなみに俺はラインメイジなのに何故か今はスクエア・スペルが唱えられそうな心持ちになってるぞ?」
「奇遇だな後輩、オレもだ。つか誰だよあんなのここまで連れてこようって言ったの」
「王子です、先輩。だから言ったんですよ、A級の女の子二人も連れてる時点であいつは敵なんだって!」
「はっはっは……矢張りあの合同訓練の時ヤッておくべきだったな。後悔先に立たずとはこの事か」
「畜生、あの時メイドのミニスカ化計画にゾッコンだったのは擬態だったのかよ! 重大な裏切り行為だ!」
「アレ、なんでこんなトコロに決闘申し込み用の手袋があるんだろう……」
「まて、明日は決戦だぞ。無駄な精神力の消費は控えろ……。男なら拳で行け、暗いところで後ろからな」
「それはアルビオンの騎士としてエレガントとは言い難いですな。どうでしょう、小生は今ここにどんな傾国の全裸美女を前にしても強制的に賢者として振る舞わざるを得なくなる秘薬を持っているのですが」
「流石は侍従長殿、エレガントすぎて困る!」
見目麗しい貴婦人と軽妙な会話をこなしながら、ワルドは背中に冷たい汗をかいていた。風のスクエア・メイジはどんな小さな声でも捕捉しまうからである。
逆にルイズがこんな残念会話を耳にしていれば、当然メランコリックな気分にはならなかったのだろうが、生憎と彼女は風メイジではなかった。
ワルドは婚約者の動向に可能な限り目を配っていたので、当然ながら彼女がパーティー会場を離れる姿は捕捉している。
彼としてはすぐに後を追うつもりだったのだが、残念ながらそれは叶わなかった。ウェールズ皇太子がその場に現れたからだ。
「楽しんでおられるかな?」
「ええ、もちろん」
笑顔で答えながらワルドは思う。
(頼むからもうちょっと出のタイミングを測ってくれ!)
心中で何を思っていても態度には表さないのは流石というべきだろうか。もっともそんな態度のせいでウェールズはすぐに立ち去らず会話を続ける事になったのだが。
自分からは絶対に席を外せないワルドであったが、ここは仕方ないと無理やり割り切る事にした。
それにウェールズには個人的に関心があった。一国の王子と話をする機会など決して多くはないのだ。
「これは、あくまで私の個人的な意見ですが」
そう断った上で、ワルドはウェールズの眼を覗き込むように言った。
「我が国に亡命されるつもりはありませんか、殿下」
「それはないよ、子爵。ラ・ヴァリエール嬢にも言ったように、私がトリステインに赴けば貴族派に格好の開戦理由を与える事になる」
どこか透明な笑みを浮かべながら答える王子に、ワルドは更に言葉を重ねる。
「お恥ずかしい話ですが、レコン・キスタの手は既にトリスタニアの王城にまで伸びております。いずれ本格的に攻めてくるのは確実、殿下がここで亡命されてもさして影響はありますまい」
「ならば、なおのこと亡命は出来ぬな。勝てないまでも、アンの国に牙を剥く者を少しでも減らさなければ死んでも死にきれない」
それは王族としての責務か、メイジとしての意地か、愛する者を持つ男としての美学か、あるいはその総てか。
何れにせよウェールズは既に覚悟を決めてしまっていて、今更誰が何を言ってもそれは揺るがないのだと、ワルドは悟らざるを得なかった。
「……できる事ならば、殿下にはトリステインにて生まれて頂きたかった。もしそうだったのなら、私は貴方に無二の忠誠を誓っていたでしょう」
真剣な顔で言うワルドに、ウェールズは笑って言葉を返す。
「そういう子爵にこそアルビオンに生まれて貰いたかったな。そうすれば私もメイドをミニスカにする相談にも積極的に乗れただろうに」
「はっはっは、これは参りましたな!……ところであの愚連竜騎士隊員どもに何を吹き込まれやがりましたか殿下」
とりあえずルイズのフォローの後であいつら締めよう。心中でそんな決意を固めるワルドであった。

キュルケがルイズを見つけた場所は、長い長い廊下の途中だった。
月明かりに照らされた彼女の横顔には真珠のような涙が伝っていたが、キュルケはその事には触れずに声をかける。
「ハイ、なんでこんなところにいるのよ」
キュルケの存在に気付いたルイズは慌てて涙を拭った。
最近は互いに態度が軟化しているとはいえ、一応は仇敵同士なのだ。余り弱みは見せたくない。
そんな思いに反してルイズの涙はなかなか止まろうとはしなかった。
そんな状態の彼女はなかなか喋れず、キュルケも黙っていたため暫く沈黙が続いていたが、やがて意地を張るのを諦めたのかルイズが口を開く。
「ねえ……どうしてあの人たちはあんなにも明るく振る舞ってるの……? 明日には死んでしまうかもしれないのに……!」
対するキュルケの言葉は短いものだった。
「だからこそ、でしょ」
俯いていたルイズが顔を上げるのを見て、キュルケは更に続ける。
「明日がないからこそ、今を楽しまなきゃ損じゃない。気持ちはわからないでもないわ」
明日の事など何も決まっていない。楽しみを先に取っておいてもその前に死んでしまうかもしれないのだ。
だからこそ今を精一杯楽しもう、というのがゲルマニアの民の流儀であり、キュルケもその別に漏れなかった。
「そうじゃないの! どうして王子もあの人たちも進んで死地に向かおうとするのか、それがわからないのよ! 生きて帰るのを待ってる人だっているのに……!」
もはや溢れる涙を拭おうともせず叫ぶルイズに、キュルケは肩をすくめる。
「多分それよりも大切なものがあるんでしょ。そっちは余り理解できないけどね。大体あんただってよく言ってるじゃない。『敵に背を向けない者を貴族って言うのよ!』って」
「一緒にしないで! わたしは……!」
「死ぬつもりで言ってる訳じゃない、ってんでしょ? わかってるわよ」
感情が高ぶりすぎて言葉が出なくなっていた自分を補足する様なキュルケの台詞に、ルイズは思わず虚をつかれた。
「まあそれを根拠のない自信と取るか、確固たる信念と取るかは人それぞれでしょうけどね。個人的には嫌いじゃないわよ、そういうの」
キュルケは内心で(我ながら、らしくなさすぎるわね)と思う。ツェルプストーがヴァリエール家の人間に面と向かってこんな事を言うのは、ひょっとして自分が始めてではないか。
そんな内心を知ってか知らずか、ルイズは真剣な表情でキュルケに言った。
「ねえ、何か悪いものでも食べた?」
「そうそう、実はさっきの晩餐会で、ってなんでそうなるのよ!」
「いやだっておかしいでしょ普通に考えて。水の秘薬なら持ってるから、後は水メイジを呼んで貰って」
「いらないわよ!」
やっと調子がでてきたわね、とキュルケは内心胸を撫で下ろす。
実を言えば、今ここでワルドの事をどう思っているのかルイズに聞いてみたくはあった。
色恋沙汰に関してはかなりの経験値を積んでいるキュルケとしては、どう見てもルイズに対して恋愛感情を持っていないワルドに良い印象を持てないでいる。
ただ、あの男は止めといた方がいい、と言うのは簡単なのだが、相手が素直に忠告を聞くとは考えにくい。
先程まで王党派の行く末を嘆いていたルイズに追い打ちをかけるのも正直気が引けた。
そんなこんなで、結局キュルケはその件について言い出せないままルイズと共に晩餐会へと戻るのだった。

ウェールズとの歓談を終えたワルドは、傷心のルイズを慰めるべく城の中をさまよっていた。
婚約者の姿を探しながら考えるのは、今後の『計画』についてである。
トリステインへと戦場が移る前に、ワルドはレコン・キスタ内で確固たる地位を確保する必要があった。
今回の任務はその点においてうってつけだった訳だが、残念ながら肝心のアンリエッタ王女の手紙は既に灰になっている。
となると、後は強力なメイジで実質的な指揮官であるウェールズ王子か、病床にあるとはいえ求心力は未だ衰えぬ現国王を早急に舞台から退場させるのが一番効果的であろう。
幸いというべきか、身内の裏切りに関しては敏感になっている彼らも、流石に大使として来ている自分たちを疑っている様子はない。
おそらくは『イーグル』号におけるルイズの態度が疑いを寄せ付けない要因のひとつだろう。
(さて、どうしたものかな)
ワルドがレコン・キスタに参加した背景のひとつには、母国の王族や大貴族に対しての失望がある。
前王の死去から王位は空座となっていた。本来ならばマリアンヌ皇太后が即位している筈なのだが、未だに彼女は表舞台に立とうとはしていない。
唯一の嫡子であるアンリエッタも蝶よ花よと育てられてきたせいか、どこか浮き世離れしている部分が目立つ。今回の密使の原因となった恋文が、その一端を如実に表していた。
空位の期間が長引くにつれ、マザリーニやヴァリエール公爵などほんの一握りの良識家を除いて大抵の貴族が何らかの違法行為に手を染め、私腹を肥やしている。
伝統も格式も備えた大貴族たちはなかなか尻尾を出さないが、それでも王宮勤めをしている間にワルドは幾つもの噂を耳にしていた。
このままでいいのか。
トリステインを守る為に戦い、散っていった父。この国を家族の様に愛し、それ故に逝ってしまった母。
2人はこんな国の為に死んだのでは無い筈だ。
ワルドにレコン・キスタが接触したのはそんな折りだった。
彼らの言うお題目を頭から信じる程ワルドは純真ではなかったが、それでも仲間に加わったのは最近考えていた『計画』にこの組織が利用できると思ったからである。
この組織が胡散臭いものであるとわかるのに、それほど時間はかからなかった。
レコン・キスタに参加している何人かの貴族と接触してみたが、トリステインの腐敗貴族と大差ない考えの持ち主たちだったのだ。
要は王党派が持っている権益を自分たちの物にしたい、もっといい思いをしたいという事だけで、貴族としてどう国を治めていくかなど二の次三の次である。
では、そんな貴族たちを率いる男はどうだろうか。
レコン・キスタの首領が虚無魔法の担い手であるという話について、彼は眉唾物だと断じていた。
ジェームス一世が特に悪政をしていたわけでもないのに、忠臣ばかりが貴族派に寝返っているのは明らかに何らかの作意が働いているのだろうが、それが始祖の遺した魔法によるものだとは考えにくい。
水系統のマジックアイテムを使用するか、複数の水メイジが形振り構わず『制約』かけまくればそれで済む話だからだ。
虚無の系統がどんな魔法効果をもっているのかは6000年という時の中に埋もれてしまったが、普通そんなものが使えるならもっと派手に使うだろう。
ロマリア教皇の前で披露でもすればあっという間に時の人だ。それをしないという事は、何かしら後ろ暗い事情があるのだろう。
と、ここまで考えて、ワルドは苦笑した。
色々と理由を並べ立ててはみたが、要はウェールズを暗殺などしたくない自分に気がついたのだ。
晩餐会の席で亡命を薦めたのは、決して演技ではなかった。
自分の計画と天秤にかけた上で、なおかつ死なせるには惜しい人物だと思ってしまったのだ。その時点でもう自分の負けだとワルドは思う。
いずれにせよ、ウェールズを始めとする王党派は勇敢に戦い、散っていくのだろう。
イーグル号を脱出船として使わず、積み荷の硫黄をそのままにしているのだから、戦力の差がありすぎる王党派がどんな戦法を使うのかは概ね想像がついた。
上手く行けばレコン・キスタの首脳部にダメージを与える事ができる筈だ。
ここで自分が無理に暗殺という手柄を立てるより、幹部陣の欠けた組織の中枢に入り込んだ方がリスクは少ないのではないか。
暗殺するタイミングは開戦前の混乱に乗じてと考えてはいたが、確実性に欠ける。ルイズの前で手に掛ける様な事態になったら目も当てられまい。
正直ルイズに対して恋愛感情を抱いていないワルドであったが、今後の事を考えると悪感情を抱かれるのは避けるべきだった。最低でも『頼もしい婚約者』の地位は守らねばならない。
よし、暗殺は中止しようと心を決めたワルドは、振り返らないまま後ろに向けて話しかけた。
「で、何か用かね? そこの柱に隠れている君の事だが」
問いかけに応じて姿を現したのは、フードを目深に被った女である。
フーケでない事は隠れている時点で判っていた。彼女にはこんなに早く合流できる手段はないし、息遣いや気配の隠し方も記憶とは異なっている。
「──久しぶりね。一体こんなところで何をしているのかしら?」
「それはこちらの台詞だ。王党派の人間をスカウトでもするつもりかね」
そう、彼女はかつてワルドをレコン・キスタに誘い込んだ女だった。

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最終更新:2010年02月14日 15:34
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