虚無と獣王-29

29  虚無と皇太子
ルイズ、キュルケ、ワルドの3名は空賊船の船倉に監禁されていた。
当然ながら杖は取り上げられている。魔法は杖がなければ発動できない為、今の彼女たちはただの平民と変わらなかった。
扉には鍵を掛けられ、外には見張りがいるこの状態で出来る事は少ない。
キュルケは物珍しそうに船倉の中を見渡し、ルイズは内心の不安を表に出さないよう努めている。
そしてワルドは、空賊と名乗った者たちについて考えを巡らせていた。
(やはりおかしい。本当に連中は空賊なのか?)
襲いかかられた時も疑問に思ったのだが、一介の賊にこの規模のフネを維持・運営できるとはどうしても考えにくい。
船倉には酒樽や食料に混ざって、大量の火薬樽やうずたかく積み重ねられた砲弾がその存在を主張している。
(どう見ても軍艦規模じゃないか。それに連中の身のこなしは素人のものじゃない)
フネから『マリー・ガラント』号へと乗り移る時の手際といい、その後の制圧の手並みといい、どうも空賊というよりは訓練された軍人の様にワルドには感じられたのだ。
それに加え、どうにも腑に落ちない事が彼にはあった。
(何故だ、どうしてあいつらは僕とルイズたちを別々の場所に監禁しないんだッ!)
そもそも空賊なんてものは総じて無頼の輩であり、そういった者たちは女に目がないと相場が決まっている。
当然ルイズたちは別室へと連れ去られ身体検査と称してあんな事やこんな事をされてしまうというのがワルドの認識であった。
タイミングを見計らって、具体的には彼女らがブラウスとニーソックスのみの姿となったところで颯爽と現れ、悪党をちぎっては投げちぎっては投げの大活躍、ルイズは僕に惚れ直すという完璧な計画が台無しじゃないか! 
と空賊に対する歪んだ偏見と20代とは思えぬ妄想力を全開にするワルドさんである。
(全く使えないにも程がある! 僕の期待を裏切ったな! 貴様らに空賊を名乗る資格はない!)
空賊と名乗った彼らが聞いたら憤死しそうな言い分であるが、魔法衛士隊隊長殿は一片の曇りもなく本気なのであった。
ちなみにキュルケはもちろんルイズも今現在ニーソックスなど履いていないのだが、それは言わない約束である。
ともかく、ワルドが心中に秘める『計画』において、ルイズはかなり重要なポジションにあった。
彼女を味方にする為に様々な手段を用いようとしていたのだが、どうにも上手くいっていない様な気がしている昨今なのである。
上記のような妄想も、そんな焦りから来ているのだ。半分は素だが。
実際のところルイズはワルドをかなり信頼しているのだが、逆に魔法が使えないコンプレックスを刺激されていたり、10年ぶりに現れた憧れの婚約者にどう接していいのかまだ微妙に距離感が掴めない状態にあった。
しかし衛士隊の仕事や修行としての任務、最近では『計画』の立案と実行で忙しい毎日を送るワルドにとって、そんな少女の内心を慮るにはいささか経験が足りない。
結果として変なところで生真面目なワルドとルイズは黙りがちになり、基本的に陽性なキュルケは居心地の悪さを痛感するのであった。
とまあそんな状態が一刻ほど過ぎた時、扉の向こうから空賊の1人が現れた。手には3人分のパンとスープを持っている。
「しかしまあ、何だってあんなフネに貴族様が乗っていたんだい?」
揶揄するような口調の男に、ルイズは短く「旅行よ」と答えた。
本当の理由を言える訳がないのだが、内乱状態の国に赴く理由としてはかなり説得力がない。ルイズ本人がそう思っているのだから、当然ながら空賊も納得しなかった。
「そりゃあ随分優雅なもんじゃねえか。しがない平民としちゃあやかりたいねえ」
扉の近くでこちらを油断なく見張っていた仲間の空賊も忍び笑いを漏らしている。
じゃあな、と再び扉の向こうへと姿を消した男をルイズは睨みつけた。
その後ろではキュルケとワルドがそれぞれパンとスープに手を伸ばす。
お世辞にも質の良いものではなかったが、腹に入れておかなければいざという時に動けないからだ。
「食べないの?」
スープに固いパンを浸しながら尋ねるキュルケに、ルイズは少し呆れた様な口振りで言った。
「緊張感ないわね。そもそも敵の差し入れたものをそんな簡単に口に入れるなんて」
「トリステインと違ってゲルマニアでは名より実を取るのよ。どんな奴が持ってきたって食べ物は食べ物でしょ」
あっさり返されてルイズは言葉に詰まる。
頭では一理あると思っているのだが、任務を妨害する者たちに苛立つ感情は抑えきれなかった。
一年以上ルイズをいじってきたキュルケにとって、その辺りの彼女の感情は手に取るように分かる。
「少しは食べないと大きくなれないわよ? 色んなトコロが」
分かるからといっていじるのを止めないのがキュルケ流であった。
「こう考えてはどうかな。スープとパンを僕らが食べる事で、連中の備蓄に打撃を与えている、と」
ワルドからもそんな言葉、というか助け船が出てきた為、ルイズは渋々といった風情で差し入れに手を伸ばす。
「食べたら今後の事について話し合おう」
ワルドはルイズらに声を出さないようゼスチャーしながら、ブーツの裏側に隠していた予備の杖を見せた。
なるほど、ぬかりないというか、油断できない男ね。
感心しきりのルイズとは異なり、キュルケはそんな風に思う。
実を言えばキュルケも服の間に、というか胸の谷間に小さな杖を予備として隠し持っているのだが。
「あの男たちが僕らにどんな対応をするかが今後の鍵だ。いざとなればグリフォンのところまで強行突破しなければならない」
頷く少女たちにワルドは続ける。
「ただし一介の空賊としては引っかかる部分があるのも事実だ。さっきの男にしても言葉は粗野だが余りにも隙が見あたらなかった」
怪訝な顔をするルイズにこれまでの疑問点(但し妄想は除く)を説明し、ワルドはこう締めくくった。
「僕の考えが正しければ、我々はじきに空賊の頭のところへ連れていかれるだろうね」

その頃トリステイン魔法学院では、とある女生徒がひどくやきもきしていた。
女生徒の名はモンモランシー。『香水』の二つ名を持つ水メイジである。
午前最初の授業が終わると同時に彼女は隣のクラスへと赴いた。
「レイナールかギムリはいるかしら」
顔見知りの同級生に聞いてみると、ちゃんと授業に出ていたという。
「どうかしたのかい?」
声が聞こえたのか、レイナールが眼鏡を直しながら教室の奥からやってきた。
「今日もギーシュが休んでるんだけど、何か知ってるかしら?」
「いや、何も聞いてないけどなあ」
少なくとも一昨日、王女が学院に来た日には何も言ってなかったとレイナールは思う。
念のためにとギムリにも尋ねてみるが、答えは同じだった。
「あいつがサボるのは前から結構ある事だろう。いちいち気にしてたら身が持たないんじゃないか」
ギムリなどはそう言って笑うのだが、一応モンモランシーを気遣い「どうせ女絡みだろ」という憶測は胸に秘めておく。
しかしモンモランシーの表情が好転する様子はみられなかった。というより険しさは増す一方である。
「どうしたんだ一体」
さほど親しくない自分たちにまで会いに来ている時点で真剣さが滲み出しているモンモランシーに、レイナールは困惑の色を隠せないでいた。
「……じゃあルイズが休んでいる理由とかも、聞いてない?」
「ヴァリエールも休んでいるのか!?」
ルイズはこれまで一度も授業を休んだ事はない。
魔法実技でどれだけクラスメイトから心ない言葉を浴びせられても、また体調があまり良くない時でも、彼女は生真面目に出席していたのである。
そんなルイズが何故か昨日と今日、教室に姿を現さないでいる。
普段から色々とルイズの世話を焼いている黒髪のメイドに聞いてみたところ、寮の部屋にもいないらしい。
ここのところギーシュとルイズの仲を疑っていたモンモランシーにとって、2人が同時期に休んでいるという事実は彼女から容易に平静さを奪い取っていった。
考えてみれば筆頭公爵家の三女と武門として有名な伯爵家の子息である。家柄的には問題ないと言っていいだろう。
もうこうなると想像は悪い方へと転がる一方だ。
近接格闘同好会での様子を知っているレイナールやギムリからしてみれば「それはないだろ」的なカップリングなのだが、不幸な事に争い事が嫌いなモンモランシーはそこまで会に参加しておらず、従って想像に歯止めはかからなかった。
ちなみにキュルケとタバサも全く同じ時期に休んでいるのだが、彼女たちは一年の頃からサボり常習犯として有名だったので、今回は偶然時期が重なっただけではないかとモンモランシーは考えている。
とにかくギーシュが帰ってきたらどうあっても、是が非でも、何としてでも、真相を聞き出さなければならないと、固く心に誓う彼女であった。
鬼気迫る様子に弱冠引き気味のレイナールであったが、ふと思いついた事を口にする。
「真面目なヴァリエールが休むなら先生に理由を告げていってないかな? 何なら僕が聞いてきてもいいけど」
丁度ワイバーンの件についてのレポートが書き上がった所であった。
課外授業として単位をくれる事になっていたので学院長に持っていかなければならないからそのついでに、というレイナールの提案にモンモランシーは一も二もなく賛成する。
じゃあ次の休み時間に行こうという事になったのだが、残念ながら学院長はここのところ王都に行き詰めで不在であった。
留守の間に秘書役を無理やり押し付けられていたコルベール曰く、ルイズの姉の調子があまり良くない為しばらく実家に戻るという伝達があったとの事だ。
ギーシュ、キュルケ、タバサについては休む理由は届いておらず、いつものサボリとみなされている様だった。
「まあ、家族の事情なら仕方ないわね。一応半分くらいは疑いが晴れたかしら」
胸を撫で下ろすモンモランシーに、半分はまだ疑っているのかと背筋を凍らせるレイナールとギムリである。
仕事を押し付けられる際に学院長から本当の事情を聴いているコルベールとしては生徒たちに正直に説明する訳にもいかず、用意されていた答えを告げるしかない。
彼は仕事に疲れたふりをして表情を悟られぬようそっと顔を伏せ、教え子たちの無事を始祖に祈るのだった。

しばらくして再び船倉に空賊が現れた。さっき忍び笑いをしていた痩せぎすの男だ。
「来な。お頭が会いたいと言ってる」
横柄な態度には腹が立つが、ワルドの予想が当たった事もあり表立っては何も言わず、ルイズは指示に従った。
狭い廊下を男の先導で歩いていくと周りから好奇の目で見られている事に気付く。
不躾な視線にルイズの不快感は高まる一方なのだが、ぐっと堪えて見せ物ではないとばかりに胸を張った。
敵に弱みを見せるな、常に毅然とした態度を取れという両親の教えを自然と思い出す。
そんな後ろ姿を身ながらキュルケはクソ度胸があるわねと感心していた。
とはいえ彼女も空賊の視線などどこ吹く風とばかりに自然体を保っているのだから、人の度胸を言えた立場ではないのだが。
さほど時間をかけることもなく、ルイズたちは廊下の突き当たりにある船長室に辿りついた。
案内の男が扉を軽く2回ノックすると、中から「おう、入れ」と張りのある声がする。
部屋の中には『マリー・ガラント』号を鮮やかな手並みで乗っ取った男が椅子に腰掛けこちらを眺めていた。
「早速だがちっとばかり聞きてえ事がある。アンタらは貴族派かい、それともいけすかねえ王党派か?」
すかさず王党派と答えようとするルイズを手で制し、ワルドはお頭と呼ばれる男に話しかけた。
「それを聞いてどうするつもりかね? ひょっとして、我々の身代金に関しての相談かな?」
「察しが良くて助かるぜ。王党派なら何の問題もねえんだが、貴族派に与してるとちっとばかり話が違ってくるもんでな」
頭は軽く肩をすくめる。
「じゃああんたたちは貴族派なのね!?」
ルイズが鋭い声を上げるが、空賊の答えは予想とは少し異なっていた。
いわく、彼らはあくまで貴族派とは対等の関係であり、『協力者』として王党派の人間がいないかこの空域のフネを『臨検』しているのだという。
「とまあそんな訳でな、流石に『協力者』の身代金を要求する訳にもいかねえだろう?」
頭の後ろで屈強な男たちがドッと笑った。
「生憎とわたしたちは王党派よ。ここから先は大使としての対応を要求するわ」
高らかに宣言するルイズは、更にそうしない場合は一言も口をきかないと付け加える。
もちろん自分が相当な無茶を言っているのを彼女は自覚していた。任務の事を考えるなら適当に話を合わせて相手を油断させた方が利口である事も。
ただルイズの性格的にそのような演技はこれっぽっちも向いておらず、加えて『敵』と認識したものに頭を下げるような真似は死んでもゴメンだと思ってしまったのだ。
実を言えば身体の震えが止まらない状態ではあるのだが、そこはそれ武者震いだと自分で自分に言い聞かせる。
そんなルイズの後ろでは、キュルケが片手で顔を覆い「アチャー」という表情を浮かべていた。
気持ちはわかるし共感もするけど、もうちょっと言葉を選びなさいよという台詞が喉から出そうになるのを何とか抑え込みながら周囲を見渡す。
空賊の頭は水晶のついた杖を持っている事からメイジに間違いないとして、護衛と思しき野郎どもは果たしてどうだろうか。
自分の魔法に自信がないわけではないが、これだけの人数を敵に回して勝てると思うほど過信はしていない。
いざという時はワルドを盾か囮にでもしてルイズを連れて逃げようと密かに誓うキュルケであった。
頭は別に怒った風でもなくルイズに問いかける。
「王党派なんざ明日には霞の様に消えちまうぜ。それよりゃ貴族派に手を貸しちゃどうだい? 腕のいいメイジは手厚く遇してくれるって話だ」
ルイズは先の宣言通り口をきかなかった。ただ表情が「寝言は寝てから言いなさい」と告げている。
「せめて名前くらいは名乗りな。お頭の前なんだぜ」
「そうだな、このままじゃ身代金をどこに請求していいか分からねえ」
痩せぎすの男を発端に空賊たちが揶揄するが、やはりルイズは喋らない。
極秘任務に就いている身で自分の素性を敵に通じている者たちに教えるつもりなど毛頭なかった。
その割に大使という言葉を出してしまっている辺り、詰めが甘いというべきだろうか。
ヴァリエール公爵なら甘いと表面上は言うだろう。オールド・オスマンならど素人の学生に何を求めているのかと呆れるだろう。
そしてこの場にいる空賊の頭はと言えば、大声で笑いだしていた。そこにルイズを嘲る色はなく、ただ本当に愉快だとでも言うように。
思わず呆気にとられるルイズに、頭は目元に浮かんだ涙を拭いながら話しかけた。
「いや失礼。まさかこんなタイミングで外国から大使が来るなどとは想像の外だったものでね、色々と試す様な事をしてすまなかった」
詫びながら彼は縮れた黒髪をあっさりと外す。眼帯と無精髭も本物ではなかった。
後ろに並ぶ男たちが一斉に杖を掲げる中、言葉もないルイズとキュルケにさっきまでむさ苦しい空賊の頭だった筈の金髪の貴公子は、笑みを浮かべて名乗りを上げる。
私がアルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだと。

トリステイン王立図書館。
ここ数日オールド・オスマンは泊まり込みである調査に勤しんでいた。
国内最大の蔵書数を誇るこの図書館ならば、『鳥の骨』マザリーニに依頼されたレコン・キスタが使っていると思われるマジックアイテムについて手がかりを得る事が出来るのではないかと考えたのだ。
何せ敵がマジックアイテムを使っていると判明してはいない。
状況から見てその可能性が高いというだけで、本当に貴族たちが王を裏切っていないとは言い切れないからだ。
可能性はかなり低かったが。
取り敢えず、彼が最初に調べたのはアルビオン発祥の伝説や民話関係であった。
しかし膨大な数の書物を漁ったものの成果は得られず、残ったのは疲労感と徒労感だけだ。
それでもオスマンは老骨に鞭を打つかの如く次の作業に取りかかる。
元来勤勉さとはかけ離れた性格の学院長がなぜこうも熱心なのか。
実は依頼を解決した暁には、キレイなオネーチャンのいる店で好きなだけただ酒を飲んだ上で、彼の好みの若い女性を学院秘書として送るという約束をマザリーニと交わしていたのである。
それはもう、否が応にもやる気が出るといった寸法なのであった。
更に言うと、王立図書館の司書であるリーヴルという女性は若くて容姿端麗であり、つまるところ彼女は実にオスマンの好みのタイプだった。
もっとも彼の『好みのタイプ』は随分と幅が広いのだが、ともあれそんなリーヴルがオスマンのモチベーションを高める一因となっていたのは確かである。
そのリーヴルが差し入れた紅茶を飲みながらオスマンは1人思索に耽っていた。
(これでアルビオンの線は薄くなったが、さて、今度はどこにアタリをつけたもんじゃかのう)
反乱軍の首領の前身を考慮してロマリア関連を探るべきか。
それとも水の力を利用していると考えられるマジックアイテムの性質から当たるべきだろうか。
(水の力か……。水と言えば、一応ここは『水の国』なんじゃがな)
アルビオンが風、ガリアが土と例えられるのと同じく、トリステインは水を司るとされている。
(王家の者の多くは水系統の使い手、始祖より賜りし水のルビー、そういや昔は水精霊騎士隊なんてのもあったの)
そこまで連想した所で、ふとオスマンの脳裏に引っかかるものがあった。
(そうじゃ、確かあそこにはそのまんまな存在がおったじゃないか!)
オスマンは己の使い魔にリーヴルを呼んでくるよう命じつつ、大急ぎでトリステインが誇る景勝地、ラグドリアン湖に関する本を探し始めるのだった。

あまりといえばあんまりな告白に、ルイズの思考回路は一時的にフリーズしてしまっていた。
「あー、大丈夫かな、大使どの」
「やはり自己紹介に少し無理があったのでは、ウェールズ様」
困ったような皇太子に突っ込んだのは案内役をしていた痩せぎすの男である。
「そうか? アルビオン王立空軍大将とか本国艦隊指令長官なんて言うよりは通りがいいと思ったのだが……」
「いえ、肩書きの問題ではないでしょう」
「ついさっきまで空賊としてノリノリで演技してたんですから、突然『ボク皇太子です』などと言っても説得力に欠けると申しますか」
部下たちの言い分に、ウェールズは素直に肯いた。
「確かにそうだ。しかしノリノリで空賊を演じていたのは卿らも同じだろう。説得力の無さは私1人の責任とは言い難い筈だ」
肯いただけで、ちゃっかり責任を分担させようとする皇太子である。
「思うにこんな会話をしている事も、説得力の無さに拍車をかけている気がするのですが……」
部屋の隅にいたまだ若い仲間のメイジの台詞に、ウェールズ以下アルビオン空軍の面々はハハハこれは一本取られたなとひとしきり笑った後で、深く静かに俯いた。
「あ、ああ、あの、すすすいません失礼いたしました。……でも、失礼ついでと申しますか、ええと、本当にウェールズ皇太子様、なのですよね?」
一足先に立ち直ったキュルケに脇をつつかれ、ようやく再起動を果たしたルイズが慌てて口を開く。
慌てていたので言葉の内容まで吟味できず、そのまま思った事をしどろもどろに口にしてしまっていた。
「いや、大丈夫だろう。この方は本物の皇太子様だと思うよ」
そう答えたのはワルドである。
「お初にお目にかかります、殿下。私はトリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵と申します」
一礼するワルドに、空軍の男たちが数人「よう」「久しぶり」と声をかけた。
巧妙に変装していたが、よく見れば彼らは以前合同軍事演習において幾度か顔を合わせた事のある竜騎士隊の面々であるのにワルドは気がつく。
そうだった、あの時は確か模擬戦に負けた方が賞味期限ギリギリのアルビオン軍特製保存食を食べなくてはならないという裏ルールのせいで随分と必死になったものだった。
また休憩時間などには、王宮に勤めるメイドの服をミニスカにするにはどうしたらよいか、国を越えて熱く語り合ったのをワルドは懐かしさと共に思い出す。
おそらく彼らも、自分がただの空賊ではないと看破していたのと同じ様に、ルイズたちが物好きな貴族の旅行者などとは考えていなかったのだろう。
ワルドについては上記の理由からすぐに身元が判明したのだろうが、残りの2人については正体も目的も分からなかった為、様々に揺さぶりをかけて反応を確かめていたのだ。
(それにしても、皇太子自らがフネに乗って陣頭指揮を執るとはな)
王党派はそこまで追いつめられていたのかとワルドは察するが、それと同時に彼はある種の感動を覚えていた。
指導者が戦場に赴くのは安全面を考えると決して良い策とは言えない。
しかし、そもそも王族に限らず、貴族というものは平民を守る為に先頭に立つ存在であるべきなのだ。
その点において、間違いなく勇敢であろう皇太子に比べ、自国の現状は果たしてどうか。
ワルドが自分の「計画」を早急に実行しなければならないと心中で誓っている間に、完全に立ち直ったルイズは大使としての役目を果たそうとしていた。
「初めまして。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと申します。アンリエッタ姫殿下の命により密書を言付かって参りました」
ヴァリエールの家名を聞いて、ウェールズや部下たちがその表情を変える。
トリステイン王家の血を引く筆頭公爵家の一員がこの時期に大使として来る以上、おそらく国家を揺さぶる様な事態である事は自明の理であった。
更に懐から託された手紙を取り出すルイズの手元を見て、ウェールズはアンリエッタが彼女を相当信頼しているのだと判断する。
「失礼、君が手に填めているのは『水のルビー』かな?」
「は、はい」
成る程、と呟いて皇太子は優しくルイズの手をとった。
すると、ウェールズの指にあった大粒の水晶とルイズの水色の宝石が共鳴し、周囲に虹色の光を作り始める。
「風と水は虹を生み出す。叔父は2つの王家にかかる虹の橋だと言っていたよ」
叔父とはアンリエッタの父、すなわち数年前に亡くなったトリステイン王の事だ。
「王家の秘宝を持っているとは、君は本当に姫から頼りにされているのだね」
感心しきりの皇太子に、ルイズは曖昧な笑みを返した。
まさか秘宝とは知らず『路銀の足しにして下さい』なんて軽い感じで言われたなどとは、とてもじゃないが伝えられない。
さておき、密書を受け取ったウェールズは花押の押された蜜蝋に接吻すると丁寧に便箋を取り出す。
真剣な面持ちで最後まで読み終えた皇太子は、姫がゲルマニアに嫁ぐのは本当なのかと尋ねた。
ルイズとワルドが頷くと、彼は成程と小さく呟いて隣国の情勢に想いを馳せる。どこもかしこも追い詰められていくものなのだな、と。
「姫の願い、確かに承った。ただ、君たちには申し訳ないのだが、彼女が求めているものは既に処分してしまっていてね」
そう、アンリエッタからの手紙は貰った次の日に燃やしてしまっていた。次期王として育てられた身である。一個人としての思いを優先してなどいられない。
手紙の内容は一言一句欠けることなく脳裏に刻まれていたが、それは自分が墓まで持っていけばいい事なのだと、ウェールズはそう考えていた。

ルイズはこれで任務を果たしたことになるのかしらと考えていた。
一応マザリーニらは件の手紙が既に破棄されている可能性を考慮しており、そうでなかった場合は回収せよと言われている。
アンリエッタは自分の手紙が捨てられていようなどとは思ってもいない様子だったが、内容的には処分されていて良かったと言うべきだろう。
年頃の乙女としては思うところがない訳ではないが、流石に自国の浮沈が天秤に掛かっている状態でそんな主張をするつもりはなかった。
手紙が存在しない以上、あとはクロコダインらと合流した後で王城に戻り、アンリエッタに報告すればそれでいい筈だ。
「すまないがラ・ヴァリエール嬢。ひとつ頼みがあるのだが聞いて貰えるかな」
「は、はい」
突然ウェールズに話しかけられたルイズは慌てて考えを中断する。
「実は大使である君に譲っておきたいものがある。みすみす貴族派にくれてやるのも惜しい品でね、できればニューカッスルまでご足労願いたいのだが」
総攻撃までまだ数日の余裕があると言う話は、ラ・ロシェールでも耳にしていた。
クロコダインからは危険な事はしないでくれと言われているが、本格的な戦闘になる前に離脱すれば大丈夫なのではないかとルイズは思う。
なにより皇太子たっての頼み事を断れるほどの冷たさを、彼女は持ち合わせていなかったのである。
そんな訳で、ルイズらはこのまま賓客として『イーグル』号に乗りこんだまま、『マリー・ガラント』号を従えた状態でアルビオンを目指す事となった。

風竜とワイバーンの飛ぶスピードは、他の生物と比べ随分と速いものだった。
しかし快速を誇り、なおかつワルドの風魔法の後押しを受けたマリー・ガラント号や、残された風石を積めるだけ積み込んでいた戦艦イーグル号に追いつけるかといえば、答えは否である。
また彼らは空賊や貴族派に見つからない様にする為、半分雲に隠れながら進まなければならなかった。
マリー・ガラント号も同じ事を考えているのではないかとタバサは想像していたのだが、一向にその姿が見えない。
こちらとは航路が全く異なっているのか、それとも後先考えない速度で飛んでいったのか。
何にせよアルビオンに向かっているのは間違いないのだから、ルイズたちの無事を信じるしかなかった。
「しかしオスマン殿から聞いてはいたが、大陸がそのまま空に浮かんでいるとは思わなかったな」
感慨深げなクロコダインに、後ろにいたギーシュが声をかける。
「東方にはアルビオンみたいな島はないのかい?」
ルイズやオスマンたちといった一部の人間を除いては、彼が異世界から来た事は知られていない。
「ああ、巨大な人型の城塞や空を飛ぶ宮殿ならあったんだが」
「そっちも大概だと思うね!」
もっともな感想ではある。
「しかし城が人の形というのもスゴい話だなあ。まさか動いて敵を攻撃したりしないだろうね?」
「よくわかったな」
冗談で言った事を真顔で返されてギーシュは絶句した。
無数の砲門に狙われた時は肝が冷えたものだと笑うクロコダインに「冷えただけ!?」と突っ込む姿は、彼に少しだけ仲間の魔法使いを連想させる。
これでその巨大人型城塞をたった1人の少年が真っ二つにしたなどと言ったらどんな顔をするだろうか。
ちなみにギーシュと彼の使い魔がワイバーンに乗っているのは、シルフィードが竜としてはまだ幼いからである。対してワイバーンは成竜であり、その体躯も風竜より一回り大きかった。
さらにこの配置は仮に空中戦になった場合、小回りの利くシルフィードを身軽にしておくという思惑もある。
さて、密かにイーヴァルティの勇者の様な冒険ものの本を愛好するタバサにとって彼らの話はかなり気になるものだった。
ただ流石に周辺を警戒している今の状態で、ずっと聞き耳を立ててはいられない。
学院に帰ったら詳しい話を聞こうと、固く心に誓うタバサであった。

慣れない二重スパイをなんとかこなしているフーケから情報を得たサンドリオンは、随分長い付き合いのマンティコアに跨って空を駆けていた。
もっともラ・ロシェールを出発したのがクロコダインらと比べてもかなり遅かった為、完全に出遅れてしまっている状態だ。
飛びながら考えるのは、やはりルイズの事である。
先のフーケ追跡戦の話を知った時にも感じた事だが、どうしてこの娘は自ら危地に向かおうとするのか。
確かに貴族としてその選択が間違っている訳ではない。むしろ行くしかないような状況であったとも言える。
しかし、だからと言って周囲の人間が心配しないかといえば、それはまた別の話だ。
貴族であれば使えて当然である魔法を爆発という形でしか発動させられないルイズが、それでも諦める事なく努力を続けてきたのをサンドリオンはよく知っていた。
しかし、先月の使い魔召喚の儀式で彼女はサモン・サーヴァントとコントラクト・サーヴァントを成功させている。
これからは一人前のメイジになるため研鑽しつつ、しかし少なくとも学生の間は平穏に過ごしていて欲しかったというのがサンドリオンの思いであった。
自分は今のルイズよりも若い頃に王族や自分の命に関わる重大な任務についた事もあったが、それはあくまで魔法衛士隊に入りたいという自分が選んだ道である。
後悔などしていないし、もしあの頃に戻れたとしても同じ行動を取るだろう。
だが軍属でもないルイズが向かっている地には3万もの貴族派が集結しつつあるのだ。加えて彼女と行動を共にしているワルド子爵には敵方の密偵ではないかという疑いが掛けられていた。
これで心配するなという方がどうかしている。これならまだ単独で内乱を鎮圧したり火竜をなぎ倒したりする方が気が楽だった。
オールド・オスマンによれば、ルイズの召喚した使い魔も似た様な思いを抱いている様で、任務の重要性を理解しつつもルイズを危険に晒す事には反対していたらしい。
兎にも角にも、戦場へと向かうルイズたちに一刻も早く合流する必要がある。
焦りを抑えながらサンドリオンは自身の切り札のひとつを使う事にした。
杖を構え、流れるように呪文を唱えると、すぐ横に自分と全く同じ姿が現れる。風のスクエアメイジだけが可能とする高等呪文、『遍在』だ。
続けてサンドリオンがマンティコアを包み込む様に風の結界を作り上げると、『遍在』は後ろ向きに竜巻のような風魔法を放ち始めた。
要はワルドが風石代わりに使った方法と同じ事をしているのだが、フネを加速させるほどの魔法を3メイルあるかないかのマンティコアで実行した場合どうなるか。
答えは、目にも留まらぬほどの凄まじい速度を得る事が可能となるのである。
おまけにサンドリオンの魔法は、ワルドのそれより更に強い風を生み出していた。
かつてトリステイン最強と謳われたメイジが、引退後は見せる事のなかった本気を発揮しつつある事に、まだ誰も気付いてはいない。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2009年12月18日 16:15
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。