2 教師と獣王
ハルケギニアには、人間以外にも人語を解し、話す事が出来る生物が存在する。
エルフや翼人・吸血鬼などがそれにあたるのだが、しかし彼らは概ね人間に似通った姿をしているものだ。
けれど召喚された獣人は、二足で立ち、手には武器を持ってはいるが、人間とはほど遠い姿をしている。
また、かつて知性が高く、言語感覚に優れた韻竜と呼ばれる幻獣がいたとされているが、こちらは既に絶滅したといわれて久しい。
そして召喚された獣人は、鰐や蜥蜴等の爬虫類に似通った姿をしているが、竜ではないと思われる。
では、目の前にいるこの獣人は一体何なのだろうか?
一時の驚愕から真っ先に立ち直ったのは、学院教師にして今回の儀式の引率役である『炎蛇』ジャン・コルベールであった。
(教職に就いてから、いや、それ以前にもこんな生物は見た事がない……。まだ見ぬ東の地から召喚されたのか?)
(人語を話すという事は、知性も人間並みにあるとみていいだろう。エルフのように先住魔法を使えるのなら驚異だな)
(あの鎧と戦斧……戦士なのだろうが、一兵卒ではあるまい。風格からしても、騎士団長級かそれ以上)
コルベールは努めて何気ない風を装い、けれど袖口に隠した杖を意識しながらゆっくりと近寄って行った。
(召喚された「彼」に敵意がないならそれでよし。しかし……)
屈強な体躯、手にした長大な戦斧、もしかしたら先住魔法を操る可能性すらある獣人が敵対行動を起こした場合、果たして自分がそれを止められるだろうか?
(日々の鍛錬を怠ったつもりは無いが、今の私の力がどれほど通じたものか……生徒をどこまで逃がす事が出来るかが鍵だな)
ちらりと周囲を見回すと、大半の生徒が驚きから立ち直れていない中、青い髪を持つ少女が「彼」を油断なく注視しているのが分かった。
その近くにいた赤毛の少女も平静を取り戻しつつあるようだ。
ちなみに桃色の髪の少女はまだ唖然としている。
(まずは時間を稼ぐ。その後は出たとこ勝負になるか)
いざという時は己の身を盾にする覚悟で、コルベールは「彼」に声をかける事にした。
「横から失礼します。ここはトリステイン魔法学院。私はこの学院の教師、ジャン・コルベールと申します」
両手を軽く上げる事で害意がないのを示す。すると獣人は、少し離れた地面に戦斧を突き立て、コルベールの方を向いた。
(こちらにも害意はない、と取っていいのでしょうね。ですがまだ気は抜けません)
毛は抜ける一方なのはやはり贖罪なのでしょうか始祖よ、と少し現実逃避するコルベールだが、あくまで気は抜いていない。
「オレの名はクロコダイン。つい先ほどまでデルムリンという名の島にいた。他にも少し聞きたい事があるのだが、良いか?」
「無論です、ミスタ・クロコダイン」
「助かる。あとコルベール殿、と言ったか。オレの事は呼び捨てでかまわん。ミスタなどと呼ばれた日にはこそばゆくてたまらぬわ」
そう言って笑みを浮かべるクロコダイン。幼子がみたら泣き出しそうな迫力があったが、コルベールには好ましいものに思われた。
「では私の事もコルベールと」
「うむ。ではコルベール。ここはトリステイン魔法学院と言われたが、オレはその様な学校があるとはついぞ聞いた事が無いのだ。そもそもトリステインとは地名なのか?」
「ええ、この学院があるのはトリステイン王国ですから。……という事は、トリステイン王国もご存じない?」
「……ああ。では、パプニカ王国・ベンガーナ王国・カール王国を知っているか?」
「いえ、少なくともこのハルケギニアには、その様な名のついた王国は存在致しませんな……」
「そうか……」
会話が進むごとに、クロコダインの顔から笑みが消えていくのが判る。
(彼はハルケギニアの事を知らないようだ。そして私達も彼のいた地域についての知識は無い……)
(いくつかの王国の名が挙がった。彼の様な獣人の統べる国なのか、我等の様な人間も其処には居るのだろうか……?)
コルベールが頭の片隅でそんな事を考えていると、クロコダインは真剣そのもの、といった顔つきで次の質問をした。
「コルベールよ……お前たちは勇者ダイと、大魔王バーンの戦いを知っているか?」
「…勇者、ダイ……?失礼ですが、それは物語か何かの事ですかな?いえ、少なくとも私は知らないのですが、本には詳しい者が居りますので」
ちらりと青髪の少女の方を見る。彼女は無表情のまま、首を横に振って見せた。
(おや、『図書室の主』殿もご存じないか)
視線をクロコダインに戻す。すると彼は、どこか途方に暮れた様な表情で、頭を抱えこんでいた。
「だ、大丈夫ですか!?」
「ん、ああ、いや、大丈夫だ……ただ、オレよりも頭の廻る仲間がこの場にいて欲しかっただけで、な……」
「……?」
クロコダインの脳裏に、勇者の家庭教師やその弟子の大魔導師の姿がよぎったのを、コルベールは知る由もない。
「オレはどうも、とんでもなく遠い所に来てしまったらしいな……」
「あ、あの、コルベール先生!」
と、ここで、ここにきて、ようやっと茫然自失状態からの復帰を果たしたピーチブロンドの少女(お忘れかもしれませんがヒロインです)が声をかけた。
「ん?ミス・ヴァリエール、どうしました?」
「どどどうしましたじゃなくて!何時まで話し込んでるんですか!召喚できたんですから契約!コントラクト・サーヴァント!」
顔を真っ赤にして叫ぶルイズ。必死である。
「……おお!」
コルベールの悪癖は、一つの事に集中すると他の事が全く見えなくなる所である。
生徒を守るための時間稼ぎに集中する余り、神聖な儀式も契約も次の授業の事も完全に忘れ去っていた。
とは言え、規格外の召喚を成し遂げてしまったルイズにも、責任の一端はあるのかもしれないが。
「……おお、て!忘れてましたか!?忘れてやがりましたかセンセイ!!」
一気に沸騰する公爵家三女。傍で見ている分には面白い。自分が被害者でないのならだが。
「いえ忘れていた訳ではアリマセンヨ、ミス・ヴァリエール!そうですね召喚したら契約デスナ!」
「召喚?契約…?」
耳慣れない単語に首をひねるクロコダインに、ルイズはハイでアッパーなテンションを維持しながらこう言い放った。
「そう!あんたはわたしに召喚されたの!これからは使い魔として生涯わたしに仕えるのよ!」
「……」
一瞬の間をおいて、ルイズ以外の人間全員から、強烈なツッコミが入った。
「もうちょっと空気読んで言葉選べえええええええっ!!」
最終更新:2008年06月26日 08:07