虚無と獣王-35

35  公爵と獣王

トリステイン魔法衛士隊は、ここ数日多忙を極めていた。
隣国の内乱が貴族派の勝利に終わりつつある今、首都トリスタニア近辺には厳戒態勢が敷かれ始めている。
例え王宮御用達の職人であっても荷物及び身体検査は厳重に行われ、『ディテクト・マジック』による敵メイジの操作の有無についても調べられた。
当然王宮上空はフネ・幻獣の区別なく飛行禁止令が出されている。

魔法衛士隊はグリフォン、マンティコア・ヒポグリフの3隊から構成されていた。
グリフォン隊はゲルマニアからの帰国後から休暇という扱いになっている。もっとも『レコン・キスタ』の侵攻に備え城の宿舎にて待機中ではあったのだが。
ヒポグリフ隊は訓練期間に入っており、郊外の練兵場にて腕を磨いていた。
という訳で、現在首都の警備に当たっているのはマンティコア隊という事になる。
この隊の長はド・ゼッサールといった。鍛えぬかれた体躯、厳めしい顔に髭をたくわえた姿は威厳に溢れている。先代隊長から受け継がれている『鋼鉄の規律』を体現している人物だった。
そのド・ゼッサールに非常事態が告げられたのは昼を幾らか過ぎた頃である。
「王宮に向かってくる幻獣を2体確認! 風竜とワイバーンです! 双方騎乗あり、迎撃出ます!」
マンティコアに跨った5人の隊員が、素早く空へと舞い上がった。
日頃の訓練の賜物か、5騎はあっという間に件の侵入者を取り囲む。2騎は前方、1騎は後方、上下に各1騎。当然全員が杖剣を抜いていた。
「この区域は現在飛行禁止令が施行されている! 直ちに進路を変更されたし!」
リーダー格のメイジが風魔法で声を相手に届かせるが、相手からの返答はない。
ここは多少強引な手段を取るべきかと衛士たちが判断しかけた時、ふいに幻獣たちが動き出した。
指示とは逆に、王宮の方へと。
「ッ、このっ!」
下方にいたメイジがとっさに『エア・ハンマー』を放つが、急加速した風竜の尾を掠めただけに終わった。
マンティコアは小回りと持久力に優れているが加速という点では他の飛行幻獣に劣る。
それでも後を追いながら魔法を放つ衛士たちであったが、それらは全て風の防壁で弾かれるか、また火の呪文で迎撃されていった。
距離も時間も短いが真剣な追走劇は、ほどなく侵入者の王宮中庭への緊急着陸という形で終わる事となる。


中庭に駆けつけたド・ゼッサールは、注意深く侵入者を観察した。既に抜杖しており、いつでも呪文を唱えられる状態である。
表情を険しくしたまま、しかし彼は内心で困惑していた。
城への強行着陸という乱暴な手段を取った者たちが、20歳にも満たない様に見えたからである。
風竜に乗っていたのは青髪に眼鏡をかけた、まだ12・3であろう少女。燃える様な赤髪の、こちらは19歳くらいと覚しき少女。そして同じく10代の金髪の少年であった。
更に虎ほどの大きさのサラマンダー、それより一回り以上大きなジャイアント・モールがいる。
一方ワイバーンに乗っていたのはピーチブロンドが印象的な13・4の少女と、見た事のない3メイルほどの大きさの鰐頭の獣人だった。
なかなか個性的なメンツであったが、彼女たちの共通点としてなぜか一様に土埃にまみれているという事が上げられる。
また獣人を初めとして幾人かは怪我をしているのがわかった。
まるでどこかの戦場を駆け抜けてきたかの様な姿に、歴戦のメイジである魔法衛士たちも息を飲んでいる。
しかし、ド・ゼッサールは他の隊員たちとは別の意味で息を飲んだ。
動きやすさを重視したのか乗馬服を着た桃色の髪の少女の姿に、激しい既視感を覚えたからである。

中庭は緊迫した空気に満ち溢れていた。
魔法衛士たちが周囲を取り囲む中、ワイバーンから降りたルイズは敢えて胸を張り声を上げる。
「私はラ・ヴァリエール公爵が3女、ルイズ・フランソワーズと申します。大至急、姫殿下もしくはマザリーニ卿にお取り次ぎ下さい!」
ピクリ、とマンティコア隊隊長の表情が動いた気がした。
「──ラ・ヴァリエール公爵のご息女、と申されたか」
「はい」
「なるほど、目元が母上によく似ておられる」
「そちらはマンティコア隊のド・ゼッサール様とお見受けします。両親からお話はよく聞かされておりました」
傍目にはどうという事のない会話であったが、2人の間ではアイ・コンタクトで様々な感情が行き来している。
ああ、『烈風カリン』殿のご息女ですか。大変でしょうなあ、こう、いろんな意味で。
いえいえ、ゼッサール様も母様の全盛期に部下をなされていたのでしょう? 心中お察しします。
とまあ、文にすると大体こんな感じになる。つまるところ、同病相哀れむという良い見本であった。


どうやらレコン・キスタの手の者ではないらしい、それどころか公爵家の令嬢である様だという事で、衛士たちは戦闘態勢を1ランク下げた。
流石に杖を降ろしたりはしないものの、隊員同士で素早くアイ・コンタクトや小さなジェスチャーが交わされ、意志の疎通が図られていく。
(赤髪の巨乳1択)(同意)(激しく同意)(同感)(お前は俺か)
(わかってねえなあお前等)(ふくらみかけこそが至高)(つまりピーチブロンドの娘こそが最高)
(貴様等は雅というものを理解できんようだ)(スレンダー=究極は世の常識だろう)(巨乳より微乳、微乳より無乳)(という訳で青髪が勝者)
(寄んな変態思考)(いやでも将来的には垂れるだろ巨乳)(大切なのは今だ)(可能性を考慮すればふくらみかけは夢がある)(そこはむしろこのままで)(寄んな変態思考)
一応念の為に記しておくと、トリステイン魔法衛士隊はメイジの中でも特に優秀な者が厳しい選抜を経た上で入隊をも許されるエリート集団であり、少年少女たちの憧れの的である。
なお只の衛士ならともかく、魔法衛士隊は女性の入隊が未だ許されていない。
端からは決して判らない無言の論争を繰り広げる隊員たち(全員独身)をよそに、ルイズとゼッサールは交渉を続けていた。
「姫殿下にお会いしたいと言われるが、用件をお教え願いたい」
「申し訳ありませんが機密性が非常に高い内容なのです。更に言えば、早く報告しなければならないものでもあります」
ルイズの返答は切羽詰まったものであったが、立場上鵜呑みにできるものでもない。
「残念だがそれでは話にならぬ。お分かりかと思うが、現在トリスタニアは厳戒態勢が敷かれているのだ。その中で用件も告げられない者を姫殿下に取り次ぐ事など出来ないぞ」
「ゼッサール殿の懸念は私にも判ります。では『ディテクト・マジック』での探査の後、貴方だけにお話するというのは?」
ゼッサールは部下にアイ・コンタクトで、
(いつまで乳談義続けてる! そういうのは結論出ないんだから飲みの席だけにしとけ。それと大切なのは乳じゃなくて尻だ!)
と伝え、ついでに『ディテクト・マジック』をかけさせる。
複数の衛士からルイズ一行に探査魔法が飛ぶが、いずれも反応はなかった。
ただこれは水魔法による『洗脳』や『強制』などがないというだけで、自分の意志で行動している場合は厄介な事になる。
ルイズは率先して自分の杖を手放し、ギーシュらもそれに続いた。キュルケはちょっと抵抗があった様だが、タバサの「王宮」という一言に仕方ないという顔をする。
クロコダインもグレイトアックスを石畳の上に置いて両手を後ろに回した。フレイム、ヴェルダンデ、シルフィードは地に伏せる。
攻撃の意志なし、と取った隊長はルイズへと歩み寄っていった。
先程の『ディテクト・マジック』でマジックアイテムの類を持っていないのも明らかになった以上、この辺りが妥協点であろう。
後は『静寂』の呪文を掛けて唇の動きを隠せば会話の内容は漏れまい。
そんなこんなで話が纏まりかけたその時、これまでの交渉や段取りを一気にひっくり返す一声が中庭に響いた。
「ルイズ! ああ、ルイズ・フランソワーズ!」
透き通った声の持ち主は、紫のマントとローブに身を包んだ見目麗しき乙女、アンリエッタ姫であった。


宮殿から全速力で駆けてきたアンリエッタは、その勢いのままルイズに抱きついた。
小柄なルイズは王女を受け止めきれず倒れ込みそうになるが、後ろにいたクロコダインが片手で支えたので事なきを得る。
「無事だったんですのね、本当に、本当に良かった……!」
目に大粒の涙を浮かべて力一杯しがみつくアンリエッタに、ルイズは嬉しさを覚えた。よく見れば王女の顔には薄化粧では隠しきれない隈がうっすらと見える。
ルイズたちを送り出してから禄に寝ていないのだと思われた。ただ、学友や魔法衛士隊が注視している中でのこの体勢は気恥ずかしさが先に立つ。
「ひ、姫様、ちょっと落ち着いて下さい。大丈夫ですから」
しかしアンリエッタはルイズの言葉が届いていないのかしがみついて離れようとせず、ルイズとしても無理に引き剥がせる訳がなかった。
どうしようかと思っていると、前触れもなく空から救いの主が現れた。
「ご無事で何よりです、ラ・ヴァリエール嬢」
中庭に面した建物のどこかから『レビテーション』で音もなく降りてきたのはマザリーニだ。手に羽根ペンを持ったままなのは、騒動を耳にして慌てて政務を中断したのだろう。

「マザリーニ殿、これは一体……?」
困惑した面持ちで問いを発したのはゼッサールである。
トリステイン王国の重要人物が立て続けに現れたせいだろう、どう対応するべきか判断に苦慮しているのがありありと判る。
「彼女らの身の証は私が立てましょう。お騒がせして申し訳ありませんでしたな」
この一件は自分が預かる、という答えにゼッサールはとりあえず納得する事にした。
王女と事実上の宰相が関わっているのが判明した以上、余程の事態と見るべきであり、近衛隊隊長の身でも現時点では知るべきではない事なのだろう。
これまでの経験から、知るべき事ならいずれ嫌でも耳に入るだろうとゼッサールは一種の悟りを開いていた。
部下に合図し再び持ち場へと戻る中で、あっさり包囲を抜かれた事への対応策と、マンティコア隊として乳と尻のどちらが重要かを考える彼であった。

人気の無くなった中庭で、マザリーニは深々と溜息をついた。
確かにアルビオンからどうやって帰還するかについては前もって決めていた訳ではない。また、出来るだけ早く事の次第を報告しようとするのは判る。
判るのだが、あんなド派手な帰還をされてしまっては困るというのが彼の本音であった。
マンティコア隊は『ディテクト・マジック』によって操られていない事が判明しており、なおかつ口も堅い。
しかし庭に面した建物の窓からこちらを伺っている貴族たちや宮廷婦人らの口からは、あっと言う間にこの一件が広まっていくだろう。
「人の口に『ロック』は掛けられない」ということわざがあるが、余り広まって欲しくない話題ではあるのだ。
考えなければならない事案がまたひとつ増えた、とマザリーニは暗鬱になっていたが、この後のルイズの報告でその様な些事は吹っ飛んでしまう事に、当然彼は気付いていなかった。


一行はとりあえず謁見の間へ移動する事となった。
とは言え、実際に報告するのはルイズとクロコダインのみである。
ギーシュは一応王女直々に手紙回収の任を依頼されていたが、ラ・ロシェールで別行動をとってからの流れは把握していなかった。
タバサもほぼ同様ではあるが、依頼を受けている訳ではない上にガリア出身であるという事実もあって、控え室までという対応となる。
キュルケはラ・ロシェールからずっとルイズと行動を共にしてきたが、ゲルマニアの、しかもヴァリエール公爵家とは因縁の深いツェルプストーの人間である事が大きなネックとなった。
加えて彼女は打ち身や切り傷が非常に多く、水メイジの治療が必要と判断されたのである。もっとも怪我の度合いからすればクロコダインの方が深手であったのだが、当の本人からは
「オレのは見た目ほど酷くはない。それよりキュルケを治してやってくれ」
などという返事が帰ってきていた。
ともあれ、小柄な主と大柄な使い魔が豪奢な謁見室に足を踏み入れると、そこには既に1人の先客があった。やや白いものが混じった金髪に見た目は細身だがその実鍛えぬかれた体を持った初老の美丈夫である。
「もうおいででしたか、グラモン元帥」
「正体不明のメイジが魔法衛士隊の包囲を抜いて中庭に着陸するような騒ぎがあれば、嫌でも体は動くものです」
涼しい顔で言い放った元帥は、更に付け加えた。
「その中に女神もかくやと言わんばかりの絶世の美少女が居るとなれば、尚更ですよ」
気の知れた者達にしか使わないべらんめえ口調こそ出てはいないが、ぶっちゃけ言ってるのはただのくどき文句である。
(ああ、ギーシュのお父様だけの事はあるわ)
ルイズが変なところで感心していると、ふいに扉の向こうが騒がしくなった。
す、とさりげなくクロコダインがルイズの前へ出る。どんな攻撃があっても盾となって主を守る為だ。
だが、扉から現れたのはルイズに仇為す者ではなかった。
「父、様……?」
そう、勢いよく扉を開け放ったのはラ・ヴァリエール公爵その人だった。
ただ、一瞬ではあるがルイズが戸惑ったのは、いつも綺麗に髪を整え服装も一分の隙もない印象の父が、髪や服は乱れ、片眼鏡は落ちそうになっており、普段の威厳さが遠いサハラを越えて東方まで旅に出ているような有様だったからである。
公爵は早足でルイズの前まで行き、その両肩をぐっと握り積めた。
「大丈夫だったか? どこも怪我などしてはいないな? 私の小さなかわいいルイズ……!」
「は、はい! 大丈夫です」
ルイズの返事と、その間に短く呪文を唱え愛娘の身体におかしな水の流れがないのを確認し、ようやく公爵は安堵の息を吐いた。
親子の対面に涙を滲ませるアンリエッタはともかく、にやにや笑いを隠そうともしない悪友2人を睨み付けた後で、ようやく普段の表情を取り戻した彼はクロコダインに向け頭を下げた。
「クロコダイン殿、ですな。貴方の事はオスマン学院長などから伺っております。幾度も娘を助けて頂いたそうで、感謝の言葉もありません」
そう言いつつ、公爵は杖を取り出し『治癒』の呪文を唱える。
すると応急処置しかしておらず、火傷の痕も生々しかったクロコダインの身体が見る見るうちに回復していった。
通常、この手の呪文は秘薬を併用するのが常識であり、それがない場合術の効果は著しく下がる。それを単独呪文のみでここまで効果を引き出しているのだから、公爵の腕は相当なものであると言えるだろう。
そこへ更にオールド・オスマンがゆっくりと現れた。学院にはまだ帰っておらず、図書館と王宮と『魅惑の妖精亭』を往復していたのが幸いした形だ。
これでヴァリエール公爵夫人を除けば、今回の一件を知っている王室関係者がここに揃った訳である。
ひとつ咳払いをした後で、こういう場所では司会進行役になりやすいマザリーニが口を開いた。
「では、旅の成果を聞かせて頂けますかな?」


ルイズは学院を出発してから今までの事を包み隠さず報告した。
ただ一点、サンドリオンの正体については伏せている。父からアイ・コンタクトで「それは言わなくていい」という指示が飛んだからだ。
もっとも、マザリーニたちの表情を見る限り明らかに正体について知っている感じだったので、これはアンリエッタには知らせなくともよいという判断なのだろう。
一方で、虚無魔法についてはありのままを話していた。
未だ実感がないというのもあるが、隠し立てするには余りに事が大きく、またここにいる面子ならばきちんとした対応を考えてくれるだろうと思ったのである。

アンリエッタは己の血の気が引く音を聞いた様な気がした。
いかに自分が考えなしに行動していたか、ルイズの報告で思い知らされたのである。
ウェールズへの恋文は渡した翌日に当人の手によって処分されていたという。
一週間前にこの事実を知っていたら、アンリエッタはウェールズを恨んでいたかもしれない。
しかし今なら、何故愛しい従兄がそんな選択をしたのかがよく判る。始祖の名まで記した懸想文など、王族が出すには不注意にも程があると。
現にただの手紙一通で国家観の軍事同盟が反故の危機を迎え、幼馴染が死地を何度も潜りぬけて手紙の所在を確認しに危険極まりない任務に就くことになったのだ。
見事に彼女はその任を果たしてくれたが、土埃にまみれたその姿や使い魔である獣人が傷だらけになっている所からして、簡単な任務ではなかったのは一目瞭然である。
ラ・ロシェールに着く直前に傭兵たちに襲撃され、街では脱獄した『土くれ』のフーケを始めとした傭兵集団との戦闘があり、『遍在』すら扱うメイジとの戦いも経験した。
フネで出港すれば空賊に拿捕され、それが王太子の偽装であったのは良かったが、アルビオンでは操られたワルド子爵と死闘を繰り広げている。
王子には亡命を勧めたがそれは拒否され、代わりに信を得た結果として彼の国の秘宝『風のルビー』と『始祖のオルゴール』を預けられたルイズは『虚無の使い手』として覚醒した。
正しく波乱万丈の旅である。仮に自分とルイズの立場が入れ替わっていたとしたら、正直ここまでの結果を引き出せていたとは到底思えなかった。
どう考えても途中で命を落としている。
そんな場所に幼なじみを送り出した事を、アンリエッタは後悔していた。
ワルドを後から護衛に選んだのを含め、この一件での自分の行動は全て裏目にでていたと言える。
詰まるところ、王族の一挙手一投足がダイレクトに誰かの死に繋がるという事実に、今更ながら気が付いたという訳だ。
これは蝶よ花よと育てられたアンリエッタが初めて味わった挫折であり、世の中は決して自分の思うようには運ばないという現実を思い知った瞬間でもあった。
そんな、放っておけば止めどなくマイナス方向へ落ち込んでいくアンリエッタの思考を救ったのは、報告を終えたルイズの言葉である。
もっとも、これは救ったというよりは一時停止させたという方が適切であるだろう。
なんとなれば、彼女の『大切なおともだち』は報告を終えたその足で「学院へ戻る」と言い出したからである。


「……はい?」
「ルイズ!?」
「まあ待て、待て待て待て」
上から順にアンリエッタ、ヴァリエール公爵、グラモン元帥の発言を受け、ルイズは目を丸くした。
任務をなんとか終えて報告も済んだ以上、理由もなく王城に留まる訳にはいかない。学生である以上、学院へ戻るのは自明の理であり、ルイズとしてはそんな反応をされるなどとは夢想だにしていなかったのだ。
ある意味学生の鑑とも言うべき言動ではあったが、魔法学院最高責任者のオールド・オスマンなどは「いやそれは真面目すぎじゃろ」と、教育者にあるまじきツッコミを敢行している。
ちなみにこの少女、ワイバーンを飛ばせば午後最後の授業には間に合うねなどと考えていた。
そんなルイズに、何故かひどく疲れた表情のマザリーニが苦笑を浮かべながら言う。
「まずはお礼を言わせて下さい、ミス・ヴァリエール。貴女のお陰で最悪の危機を免れる事ができました。そればかりか、大変重要な情報をもたらして頂き、本当にありがとうございます」
事実上の宰相にここまでストレートに礼を言われるとは思っていなかったルイズは慌てて頭を下げた。
マザリーニは更に続ける。
「私が貴女の年齢の時、同じ条件でアルビオンに赴いたとしても、ここまで事を上手くは運べなかったでしょう。
この旅でどれだけの苦難を乗り越えてきたか、想像しただけでも頭が下がる想いです」
最高級の賛辞にルイズは顔を赤くした。『ゼロ』などという不名誉な二つ名を付けられている彼女は、誉められるという行為自体に慣れていないのだ。
「表立った任務ではありませんでしたので、報酬や勲章を出す訳にもいきません。ですが、せめて暫くの間、この城で歓待させて頂けないですかな?」
本来なら爵位と領地付きの城くらい与えなければならないところですが、というマザリーニにルイズはぶんぶんと首を横に振った。
「そそそ、そそそそんな、滅相もありません! 私ひとりでは何もできませんでしたし!」
「では、協力して頂いた方々にも一緒に過ごして貰いましょう」
よろしいですかな、と言うマザリーニに他の大人たちもあっさり承認した。
「ま、出席日数なんぞどうとでも誤魔化せるしの、立場上」
「あ、うちのギーシュはあまり歓待しなくてもいいですぞ。誰に似たのか知らんが図に乗りやすくていけない」
これが魔法学院長と国家元帥の言う事なのだからどうかしている。
え、ええと、と反応に困るルイズに、横にいたクロコダインが彼女の頭を優しく撫でながら言った。
「勉強に熱心なのはいい事だが、今のルイズに一番必要なのは休息だと思うがな」
休める時に体を休められてこそ一人前だ、という使い魔に、少女はうぅむと考え込む。
「お願いですから少し休んでいって、ルイズ」
結局クロコダインやアンリエッタらに説得される形で、ルイズは王宮に滞在する事になった。


差し当たって湯浴みでもしてきなさいと言われ、ルイズは案内役の侍女と共に退席した。続いてアンリエッタも心身の不調を訴え自室へと戻っていく。
少女2人を見送った大人たちは、扉が閉じられるのと同時に揃って頭を抱え込んだ。
「……問題が1つ解決したと思ったら違う問題が山積していくのは、呪いにでもかかっているのですかな」
「爆弾発言多すぎだろ。特に虚無関係」
「予想してはおったが、マジで『虚無の使い手』じゃとはなあ……。長生きはしてみるもんじゃの」
「暢気な事を……。まあそれはそれとして、色々と確認しなければならない事案がありますな」
公爵の言葉に頷いたマザリーニは、クロコダインに問う。
「操られたワルド子爵をヴァリエール嬢が解放したそうですが、件の子爵どのはどちらにおいでなのですかな?」
対してクロコダインは、腰から下げていたマジックアイテムを取り出して振ってみせた。
「彼はこの中だ」
この面子で『魔法の筒』の効果を熟知しているのはオスマンとクロコダインのみである。
『焼けつく息』で麻痺したワルドをロープで縛り上げたキュルケとサンドリオンは、更に荒縄を『練金』で鋼鉄に変えるという豪快さを遺憾なく発揮していた。
まあ操られていたとはいえワルドのした事を考えれば無理もない対応ではあるが、若干の私情が入っているのは否めない話である。
しかし、流石にそのままの格好で王宮に入れる訳がない。事情を知らない者からすれば、下手したら魔法衛士隊隊長を人質に取った悪党とも取られかねないからだ。
また、杖は無効化されているものの、剣として使う事も出来るので油断は禁物だ。
とまあ様々な要因が重なりあった結果、斯様な対応となった次第である。
「成る程、よくわかりました」
「まあ筒から出すのは後でもよかろ。こっちもそれなりの準備をしてから尋問せにゃならん」
マザリーニらの調べでは、レコン・キスタとワルドの繋がりは1年以上前からあったらしい。禁制の魔法薬でも何でも使って情報を聞き出さねばならなかった。

「それと『虚無魔法』の取り扱いだな」
もちろんその使い手を含めてだがな、と次の事案を提示したのはグラモン元帥だった。
「疑うつもりはありませんが、神学者としては実際に行使する所を是が非でも見せて貰いたいですな。あとは『始祖の祈祷書』の真贋確認も出来るでしょう」
トリステイン王家に伝わる秘宝『始祖の祈祷書』は全頁全て白紙という、ある意味漢らしい仕様となっている。
しかしルイズによれば、鳴らない筈の『始祖のオルゴール』から先祖にあたるブリミルのメッセージが聞こえたのだという。
凡人には感じ取れずとも、ルイズなら何事かを感じ取れるかもしれなかった。


「あとはこの事を公表するかどうかじゃが……」
一応確認だけはしてみる、といった口調のオスマンに、元教え子たちは口を揃えて「時期尚早」と答えた。
「まあ最低でも『大掃除』が終わってからです」
現在トリステインでは少なくない数の貴族が他国に通じている状態だ。そんな中で『始祖の再来』などと宣伝するのは百害あって一理なし、というのが3人の共通見解であった。
「いずれロマリアとも内々に接触しなければならないでしょうが、これはまあその時に考えましょう」
そん時ゃお前がパイプ役な、という元帥の言葉にマザリーニは溜息をつく。丸投げですか、などとは思わない。いつもの事だからだ。
溜息の理由はロマリアという国についてである。辞退はしたものの他国にずっと居た者(つまり自分の事だ)をコンクラーベに選出するというのは正直どうなのか。
しかしロマリアもあまり人材がいないのだろう、などとは思わないマザリーニだった。
現在の教皇、聖エイジス32世は20歳前後という若さでロマリアの頂点に立った人物だが、そんな年齢でこの地位にいるという時点で只者ではないと考えるべきなのだ。
どう話を持って行っても厄介な事になる予感がするのは多分おそらく気のせいだ、と若干現実逃避気味の『鳥の骨』だった。

「ロマリアに関してはそれなりにパイプがあるのでなんとかしましょう。それより先に解決しておかなければならない事があります」
マザリーニの言葉に苦々しい表情で答えたのはヴァリエール公爵である。
「ツェルプストーの娘、だな」
ルイズが『虚無の使い手』であるのを知っている人間は少なければ少ない程良いのだが、よりにもよって実際に虚無魔法使っているところを隣国の貴族にばっちり目撃されてしまっているのは、どう考えても問題だ。
しかも国境を挟んで度々衝突し、それ以外にもヴァリエール家とは様々な『因縁』のあるツェルプストー家の娘である。
ただでさえゲルマニアとは軍事同盟が結ばれていたりアンリエッタ姫が嫁ぐ事となったりしているのに、というかそれらの話をご破算にしない為の任務だったというのに、別方向から問題が発生している現状である。
だが一方で、彼女の働きがなければルイズやウェールズが命を落としている可能性が高かったのも、また事実であった。
「んで、肝心の娘はそういうのをポロッポロ喋っちゃうような性格なのか? あと胸はでかいのか」
などと言うのはグラモン元帥だ。対してオールド・オスマン曰く。
「ん! 胸はでかいぞ!」
そうじゃねぇだろ、と他全員が突っ込みを入れた。
わざとらしい咳払いの後、重い雰囲気を払うためのオチャメじゃないかなどと言い訳しつつオスマンは答える。
「まあ口ではなんのかのと言ってはおるが、ありゃ結構お主の娘に入れ込んどるぞ。そうでもなきゃフーケ追跡だの今回のアレだのに同行したりはせん」
複雑そうな面持ちの公爵に、クロコダインが更に口添えした。
「何か事情があるようですが、理を持って話せばルイズの不利になる様な事はしないでしょうな。何でしたらこちらから他言無用と伝えておきますが」
「実家との仲もそれ程良くはない様じゃし、そうペラペラと漏らしたりはせんと思うがの」
何せ親の用意した見合い話が嫌で半ば強引に留学したなどという噂のある少女である。我が強いのは確かだが説得方法を間違えなければ話は通じそうだった。


「他の面々は虚無について知ってそうですかな?」
「サンドリオンに関しては知られていると思って間違いないでしょうな。ギーシュやタバサには知られていないとは思いますが」
ちなみにサンドリオンとはラ・ロシェールの街で別れていた。避難民たちとの話があるのだと言っていたが、王宮に顔を出すのはまずいという判断もあったようだ。
「ま、ギーシュにはこっちから重々伝えておこう。まあ常から『ヤバげな物事には近づくな、考えもするな』とは教えてあるがね」
胸を張るグラモン元帥に、教育方針としてそれはどうかと皆は思った。
「そのタバサという少女に関してはどうですかな」
ヴァリエール公爵の質問に、眉を寄せたのはオールド・オスマンである。その顔を見たマザリーニは、1年ほど前の事をふと思い出していた。
「老師、ひょっとしてその少女は……」
ふぅ、と溜息を付いてオスマンは頷く。
「そういえばお主には入学前に話しておいたの。ひょっとしなくともオルレアン公の忘れ形見じゃ」
公爵と元帥が、タイミングよく口に含んでいた水差しの水を思い切り噴いた。
「ちょっと待ってくれ先生、オルレアン公ってなあ、『あの』オルレアン公かよ!?」
「ガリア王の姪がルイズのクラスメイトで、しかも今回の任務に同道していたと!?」
大慌てな2人に対し、事態が全く飲み込めないのがクロコダインである。ハルケギニアの国際事情に通じていないのだから当たり前なのだが。
「ああ、失礼しました。詳しくはいずれ説明致しますが、要はフォン・ツェルプストー嬢と同じくいささか厄介な事情がある娘なのですよ」
実際にはいささかどころではない位に厄介な事情が存在していたが、それは言っても始まらない。
結局のところ、オスマンやクロコダインがそれとなく探りを入れて、知らないようならそのまま、知っていたらその時に考えようという消極案が採られた。
問題が多すぎてここにいる面子の一部には投げやり感が漂いつつあり、後回しにできる事案は考えないようにする流れだった。
「まあこの場で思いつくのはこれくらいでしょうか。とりあえず我々も何か腹に入れて、後はそれから考えましょう」
マザリーニはそんな言葉でこの臨時会議を終了させた。


ルイズが案内された来賓用の浴室に入ると、そこには既に先客がいた。
「お、やっと来たわね。お先に頂いてるわよー」
湯船の中でご機嫌な挨拶をしてきたのは言わずと知れたキュルケである。
その横でタバサが無言のまま右手を上げた。どうやら挨拶のつもりらしい。
「あんたたちねえ……」
どっと疲れの出たルイズだったが、めげずに髪を洗いに向かう。服を脱いだ時にも結構な砂埃が落ちていたのだ。ここは念入りに洗っておきたかった。
「なによ、付き合い悪いわねー」
ちぇー、と口を尖らせるキュルケは一部だけ短くなってしまった髪を指先で弄んでいる。
「ね、いっそタバサくらい短くしちゃおうかしら」
「ダメ」
「あら、どうして? 似合わないかしら」
「なんとなくだけどダメ」
級友たちの他愛のない会話を聞きながら、ルイズはこれからの事を考える。
さしあたって湯船の2人に礼を言わなければならないのだが、いざ改まってみるとどう話を切り出して良いかわからないものだ。
これがクロコダインなら素直に言えるのだが。
髪を洗いつつ内心頭を抱えていると、何の前触れもなく後ろから胸を鷲掴みにされた。
「!!!!!!!!」
声にならない悲鳴を上げて体をのけぞらせるルイズに、犯人であるところのキュルケがそっと溜息をつく。
「ああ……相変わらず残念な胸ね……。アルビオンではちょっと憧れたけど、やっぱこれはないわ……」
「な、ななな、なにを失礼な! どどどんだけツッコミ入れ放題な言動かましてるのよツェルプストー!」
ちなみにルイズがキュルケをツェルプストーと呼ぶ時は大抵立腹している。すごく立腹している時はこれがゲルマニアンになるが。
「いやね、あのワルドと戦ってる時に胸が嫌ってほど揺れちゃってさー。あれって無駄に痛いのよ、マジで」
ほほうそんな経験などついぞした事のないあたしに対する挑戦か、とルイズは思った。
「考えてみると胸が薄いほうが敵の攻撃にも当たりづらいでしょ? 体積的な意味で」
(落ち着いて、落ち着くのよルイズ! 一応これは見た目落ち込んでる風にも見える可憐な私をコイツなりの方法で慰めようとしているの! 多分だけど!)
鎌女の脳内では、『清らかなルイズ』が説得を開始していた。
しかし抵抗しないのをいい事に右右左左上下な感じでルイズの胸を揉んでいるキュルケの勢いは留まることを知らない。
「あと普通に生活してても肩は凝るしでいい事ないとおもってたけど、実際こうしてみるとやっぱりあったほうがいいわね胸」
(OKわかったわ今あたしはキレていいブリミル様だってそうする筈よルイズ)
『清らかなルイズ』はあっさりと自説を変更した。
(ああ、コイツの胸が魔法で大きくなっているなら虚無魔法でツルペタにしてやるのに!)
始祖も6000年後に子孫が自分の魔法をそんな事に使おうとするとは夢にも思っていなかっただろう。
どう反撃しようかと思ったところで、今度は突然キュルケの方が声にならない悲鳴を上げて体をのけぞらせる。
見れば、湯殿ではばっちり持ち込んでいた古風な大振りの杖を抱えたタバサがこちらに向けて親指を立てていた。
どうやら魔法でお湯を氷水にしてキュルケの背中にかけたらしい。
流石シュヴァリエ良い仕事をする。ルイズは笑顔で親指を立てのだった。
「ちょ、タ、タバサ!そりゃ貴女的にも聞き捨てならなかったかもだけど、今のはマジ心臓止まりそうになったわよ!?」
「てや」
背を向けたキュルケの後ろから、お返しとばかりにルイズが胸を揉みしだく。
「……なに、この、なに……? このふざけた塊……」
想像以上のボリュームと弾力に、心が折れそうになる虚無の使い手だった。

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最終更新:2011年01月01日 15:32
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