虚無と獣王-36

36  尋問者と獣王


浴室で一通り騒いだ後、ルイズたちはそれぞれ用意された客室へと戻った。
結局キュルケへ礼は言えず仕舞いだったが、着替えの時にさり気無く近づいてきたタバサが言うには、
「気にしなくていい、キュルケのアレは照れ隠しみたいなもの」
との事である。
よく見ているのね、と頭の片隅で考えながら、ルイズは小声でタバサにやっと礼を言う事ができた。相手は無表情のままに見えたが、ほんのりと頬が染まっていたのは果たして湯上りのせいだけだろうか。
ちなみに入浴中『学院に戻るつもりだった』と言ったところ、学友2人には心の底から呆れられた。
「貴女ねぇ……。半日前に殺されかける様な戦闘経験したでしょうが。帰ったら授業に出るとか、普通ないでしょ」
「1週間くらい休んでも誰も文句を言わないレベル」
誰か味方はいないのかと思ったものである。

閑話休題。

ルイズが部屋に入って程なくして昼食が運ばれてきた。
量は普段のキャパシティを考えるとやや多めだったが、流石は王宮というべきか味が絶品なのと朝食抜きだったのもあって、デザートのクックベリー・パイまで平らげてしまうルイズである。
ほぅ、と満足感に浸る彼女であったが、そうなると次にやってくるのは睡魔だった。
入浴で体を温めた後でお腹いっぱい食べたのだから、眠気に襲われるのはごく自然な流れだ。
が、ルイズとしてはフーケ撃退に一役買ったというギーシュにも礼を言わねばと考えていたし、何より無性にクロコダインの元へ行きたかった。
自分の我儘に近い任務志願に嫌な顔ひとつせず付き合ってくれ、文字通りその身を盾にして守ってくれた頼もしい使い魔。
まだろくに謝ってもいなければ、きちんとした礼もしていない。
6000年もの間途絶えていた伝説の系統に目覚めたと言ったら、彼は一体どんな顔をするだろうか?
そんなとりとめのない思いを胸に、いつしかルイズは眠りの園へと誘われていった。

キュルケもほぼ同様の状態で、まさに今は夢の中にいる。
ルイズに比べ格段に体を動かしており、さらに精神力も先程のシルフィード急降下の折にマンティコア隊の攻撃を迎撃した魔法で使い切っていた。
実を言えば浴室でも半分沈没しかかっていたのだが、ルイズが変な方向に気を回しそうな気がしたので無理やりハイなテンションにしていたのだ。
普段は健啖家なキュルケであったが、「あー、もうダメ。マジ限界」と誰に言ってるのかわからない独り言と共に、食事もろくに摂らぬままベッドへとダイブしたものである。
トライアングル・メイジとはいえ、戦いといえば決闘とは名ばかりの喧嘩程度の経験しか無かったのだから、むしろここまで良く持ったと言うべきであった。



一方、簡単には眠れなかった者もいる。
ギーシュ・ド・グラモンはルイズらと同じく、侍女に案内されて賓客用の浴室に案内されていた。
当然男性用である。そもそも混浴などありえない話である。
だだっ広い豪華な浴槽にぽつんと独りで入るというのは想像以上の侘しさをギーシュに感じさせた。
当初は今回の脱出の主役とも言える使い魔のジャイアント・モールと共に入ろうとしていたのだが、やんわりと、しかしきっぱりと侍女に断られた為、涙を飲んで断念したギーシュである。
シルフィードは無理だとしても、この際クロコダインやフレイムが一緒に来てくれないかと思ったがそんな気配は微塵もなく、結局彼は1人ぼっちのままで入浴を終えた。
さて、途中『魔法の筒』内にいたとはいえ、ほとんど寝ずにラ・ロシェールからニューカッスルまでの距離をシルフィードの背に乗ってきたのだから、当然眠りたくなるのが人情というものだ。
与えられた客室でさっさと食事を終え、よーし一眠りしようかぁとベッドへ向かったその時、突然ノックもなしに部屋の扉が勢い良く開け放たれた。
「おう、ちゃんと生きてやがるなギーシュ!」
「ち、父上!?」
そう、マナー度外視で現れたのはギーシュの父である所のグラモン元帥その人であった。
「極上美少女3人としっぽりアルビオンまで旅行たあ流石は俺の息子だな! 判決死刑だコノヤロウ」
「父上! 父上! 異義の申し立てをしてもいいですか! ダメでもするけど! これは麗しのアンリエッタ姫から直々に依頼された極秘任務であってしっぽりとかそういうのは全くないですから!」
「ああ、そういや姫殿下にも会ってるんだったな。ったくふてぶてしいにも程があるぞ、親の顔が見てみてえもんだな!」
「誰か! 誰か鏡持ってきてー!?」
黙っていれば長身のナイスミドルと細面の美少年なのだが、している会話は素人劇団の道化劇に近いものがある。



「ちっ、もう昼飯食べ終わってんのか。オレもまだ喰ってないってのに生意気な息子だ、父親の為に食べずに取っておくのが常識だろ」
「さっきからムチャ振り凄いですね父上。そんなに忙しいのですか?」
大抵の場合、父がこんなテンションの時は仕事が多いと昔から相場が決まっていた。
「応よ、誰だか知らねえが飛行禁止令がでてる王宮上空をカッ飛んだ挙句、マンティコア隊降りきって中庭に降りた連中がいやがってな」
「完ッ璧誰だか判ってて言ってますよね父上! 直接的なボケはヤメましょうよ!」
うるせえな、と元帥は末息子の言葉を一蹴した。
「まあンな事ぁどうでもいいんだ。オレが昼飯も食べずにお前に会いに来たのは訳がある」
そりゃそうだろうなあ、とギーシュは思った。言動はアレだが名門伯爵家の当主なのである。ただ息子が心配なだけでこれほどタイミングよく現れるのには理由があって然るべきだ。
「今回の一件は一切合切他言無用だ。誰を人質に取られても絶対に口外するな」
ギーシュは父の言葉に眉根を寄せる。極秘の任務である以上、秘密にするというのは武門の出として当たり前の様に考えていたし、この先誰にも話すつもりなどなかった。
しかしわざわざ父が念を押しにくるという事は、今回のアルビオン行きには自分が考える以上に裏の事情があったのかもしれない。
うわめんどくさそうだなあ、というのがギーシュの偽らざる本音であった。
伯爵家の生まれとはいえ4男坊なのだ。政治系の陰険宮廷劇には近づきたくないし、近づく必要性もない。
そういうのは父や一番上の兄に任せておいて可愛い女の子とキャッキャウフフしていたい。
健全なのか不健全なのか判別しがたい事を考えていると、父がふと思い出した様に言った。
「そういやお前は何か脱出手伝ったそうだが、その前にはもうワルド子爵は捕まってたのか?」
「え、ええ。僕やヴェルダンデが地下から礼拝堂に辿りついた時には、もう」
「んじゃ誰が奴を戦闘不能にしたのかは見てねえのか」
「クロコダインでしょう? あの時のメンバーでそれが出来るのは彼だけですし」
ルイズたちからその時の事情は聞いている筈なのに、何故そんな事を訪ねてくるのだろう。
一瞬そんな疑問が脳裏を過ぎったが、『まあいいか』とギーシュはスルーを決め込んだ。下手に突っ込むと『めんどくさい』事になりそうな気がしたからである。
「そんな事よりちょっと聞いて下さいよ父上、今後のトリステイン服飾史に名を残してしまいそうな新発見があったんですが!」
この新発見とは当然ラ・ロシェールにおいてワルドと共に熱く語り合ったアレの事だ。
具体的に言うと『女子学生にセーラー服(上のみ)とミニスカを着せるとボクたちの目にも心にも快いから学院の制服にしよう』計画の発端となった、キュルケプロデュースによるタバサのセーラー服&キュロットの事だ。
最初は『何バカな事を言い出しやがったんだこのバカは』という顔を隠そうともしない元帥だったが、話が進むにつれ真剣に、身を乗り出して息子の熱弁を傾聴し始める。
そんな訳で最初の眠気はどこへやら、何かヤバい脳内物質でも分泌してんのかという勢いで情熱を発散するギーシュだった。



実はタバサも眠れない組の1人である。
理由はただ1つ、己の素性に関する懸念であった。
とはいえ自分の背景については魔法学院入学時に、オールド・オスマンに知られている。そうでなければ『タバサ』などというあからさまな偽名で留学などできる筈もないのだ。
自分が度々授業を休む理由も、おそらく学院長には察知されているだろう。
従姉姫であるイザベラから北花壇警護騎士として様々な任務に就いているのがその理由であるが、おそらく具体的な内容まで知られてはいまい。
実は問題はそこにある。
今回アルビオンまで同行したのは北花壇騎士としての立場とは全く無関係の行動だった。
きっかけは親友のキュルケに半ば強引に引っ張られたからで、ラ・ロシェールからは友人たちが心配だったからだ。
しかし、それを果たして信じてもらえるのか。
家紋に不名誉印を押されているとはいえ、身分からすればガリア王族である事に変わりなく、故国にはまだそれなりの数の『オルレアン派』が存在している。
自身は病の母が人質同然になっている事もあり、心情はともかく表面上はガリア王に従っている形であるが、ニュー・カッスルまでの旅がジョセフやイザベラの命令によるものと捉えられては困るのだ。
逆に、現時点では任務外の事に叔父や従姉が口出しをしてきてはいないが、この一件が彼らに知られるというのも後で問題になりそうな気がする。
どう立ち回れば良いか考えるが、最善の選択をするには情報が足りない。ではどこからそれを手に入れれば良いか。
差し当たって、心当たりは1人しかいなかった。
他国の王宮である以上、勝手に動く訳にもいかない。だが、タバサは近いうちにコンタクトが取れると踏んでいた。こちらが苦慮しているという事は、あちらとしても悩みの種となっているだろう。
丁度そこへドアの向こうからノックの音が響いた。
どうぞ、と短く答えると静かに扉が開く。
「失礼するぞい」
そう言って笑みを浮かべたのはタバサの『心当たり』である人物、つまりはオールド・オスマン学院長だった。



「すまん、待たせたか」
中庭に戻ったクロコダインは仲間の使い魔たちに声をかける。
ヴェルダンデ、フレイム、シルフィード、そして使い魔ではないがワイバーン。
一番小さなフレイムでも虎並の体躯である以上、城の中へと入る訳にはいかなかった。
クロコダインはシルフィードやワイバーンに括り付けられていた荷物の一部を解き、地面へと降ろす。
「ごはんなのねー」
とシルフィードが嬉しそうに鳴く様に、それらはラ・ロシェールの町でワルドが交渉の末に仕入れてきた大量の保存食であった。
流石に王宮といえど多種多様な使い魔に対し、即座に食事を提供するのは不可能である。
元々クロコダイン自身が余り凝った歓待を望まない性質というのもあり、余らせておくのも何だろうという訳で保存食に白羽の矢が立ったのだ。
使い魔たちも主人と同様、昨夜から食事をする暇など殆どない状態であった為、遠慮はいらぬとばかりに保存食の山はたちまち消費されていく。
「それにしても、皆よく頑張ってくれたな」
干し肉の塊を口にしながらクロコダインは頭を下げた。
シルフィードは一晩中ルイズらを追って飛び続けていたし、ワイバーンは更にクロコダインを乗せてレコン・キスタ艦隊を強行突破している。
フレイムは視覚の同調でキュルケに自分たちの情報を知らせ、また対フーケ戦や礼拝堂での戦いでは主やクロコダインらのサポートを堅実にこなしていた
ヴゥルダンデはニュー・カッスルの秘密地下港からルイズ(正確には身につけていた宝石)を探り当て、おまけに地下をそのまま掘り進み脱出路を作り上げている。
もし、誰か一体でもこの旅に参加していなければこうしてトリステインに帰る事はできなかったかもしれない。
それを思えば、自然と頭も下がろうというものだった。
「気にする事ないのねー、シルフィはお姉さまの言う事聞いただけだしー」
「そもそも一番活躍したのは王様でしょう。あんな雷を何度も受けて、よく無事でいられるものです」
「穴を掘っただけでそんな誉められても。ところでここでドバドバミミズ食べるのに土をほじったら駄目ですかね」
「ちょっと早く飛んだだけだ。大体ニンゲンどものフネだの細い竜なんぞにそうそう遅れはとらんよ。で、こっちの肉も食べちまっていいのか?」
「そこはシルフィの陣地なのねー!」
「だから勝手に縄張り主張するなと言うんだ、青いの!」
彼らは彼らなりの言葉でクロコダインに答え、再び食事へと戻っていく。
結局、保存食は一気に喰い尽くされた。
各自満足そうな表情で一息つく。
もっとも、シルフィードなどは、
「後は肉汁が滴り落ちそうな肉の塊が怖いのねー」
などと、どこで覚えたのか古典文学の一節をひねった様な事をつぶやいていたが。
「やあ、食事が用意できず、すみませんでしたな」
そんな事を言って現れたのはマザリーニである。
「いや、どうかお気になされるな。ところで何か御用ですかな」
「ええ、先ほど話していた『例の事』の準備ができましたのでな。少し御足労願えれば、と」
「もちろん」
『例の事』とはおそらくワルドの件であろう。
実は会議が終わった後、クロコダインはヴァリエール公爵の頼みで『焼けつく息』を吐いていた。
その中に含まれる麻痺成分を分析し、解毒剤を作るのだそうだ。
今呼びに来たという事は、既にそれらの作業が終わっていると考えていいだろう。
それにしても、とクロコダインは思う。
自分の負傷を癒した時にも感じたものだが、この短時間で分析と解毒剤の作成できる公爵はかなりの凄腕なのだろう、と。



マザリーニは出来るだけ人目に付かないルートでクロコダインを案内した。
ちなみにこの使い魔を迎えに来る前、マザリーニは『偶然』ヴァリエール公爵に人通りの多い通路で出会い、口論というか陰険合戦というか、とにかく仲の悪さを周囲にアピールしている。
只でさえレコン・キスタの噂で持ちきりな昨今であるが、今日は中庭への強行ダイブ事件があり、有閑貴族や宮廷のお喋り雀たちが格好のネタにしていた。
それを封殺するのは無理なので、せめて話題を増やす事で噂の拡散頻度を押さえようという狙いである。
後は某なんちゃって元帥と某なんちゃって学院長のエロ師弟コンビがなんとかすると言っていたので、そちらに丸投げする事にした。
どうせあの2人がやるのは『美少女メイドスカートめくり10分で連続30人斬り新記録に大・挑・戦!』とかだろうが、話題が逸れるなら何だっていい。
結果として彼らの評判が下がるだろうが元々高くはない評判であるし、別にこちらの懐が痛くなる訳でもないので問題ないだろう。
バッサリ恩師と旧友を切り捨てつつ辿り着いたのは王宮の裏手にあたる一角だった。
普段から人気のない場所であるが、周囲に誰もいないのを確認したマザリーニは敷かれている石畳の一枚を『念力』で動かす。
すると、石畳は音も立てずに地下へと沈み込んだ。続けて周りの石畳も連動する。
あれよあれよという間に5メイル程はある地下への通路がクロコダインの目の前に現れた。
感心する獣人にマザリーニは「先々代の王の時代に発見されたものです。誰が作ったのかは資料も残っていないのですがね」と説明しつつ、魔法の灯りを杖の先に宿して階段を降りる。
15メイル程も下ると階段は終わり、その先は通路へと続いていた。幅は大体4メイルといったところか。
彼らが歩を進める度に壁の灯りが自動的に点いていく。随分凝った造りなのだな、とクロコダインは小さく呟いた。
「何せ我が国の建国は6000年前と言われておりますからな。この王宮も増改築を繰り返していますし、時の王や宰相が極秘に脱出経路や秘密の小部屋を作るといった事もあるのですよ」
「そして秘密を知る者がいなくなれば、自然と通路や部屋も忘れ去られていくという訳ですか」
然り、とマザリーニは頷いた。
「ここもそんな歴史の間に埋もれたものの1つでしょう。しかし今の我々にはお誂え向きの場所です」
気付けば通路は終わりを迎えようとしている。一見行き止まりの様に見えたが、マザリーニが再び『念力』で壁を押すと、今度はその一角が横にスライドした。
中を覗き込むと、そこには魔法学院長室くらいの大きさの部屋がある。床には立派な絨毯が敷かれ、壁際にも上等な調度品が並んでいた。
そこには既に先客がおり、こちらを見てソファーから立ち上がる。
「おや、もう一杯くらい空けていると思ったのですが」
「今から尋問をするというのに、飲んでなぞいられまいよ」
マザリーニの軽口に渋面で答えたのは、ヴァリエール公爵であった。



突然目の前の光景が変わった事にワルドは驚く。
さっきまでニューカッスルの礼拝堂で身体を操られ、クロコダインらに完膚なきまでに叩きのめされた挙句、ロープで縛られていた筈だ。
体が麻痺しているので感触はわからないが、どうやら絨毯の上にいるのは間違いない。礼拝堂では『ライトニング・クラウド』の影響で絨毯の大半は吹き飛んでおり、自分が床に横倒しになった時も下の石材が見えていた。
無論これは『魔法の筒』に入っていた影響なのだが、そんな事情を想像できる訳も無く、ただワルドは呆然とするばかりだ。
と、そこへ何者かが自分の体を無理やり仰向けにし、口に液体を流しこみ始めた。ほぼ同時に呪文がワルドの耳に入る。
(これは、水系統の呪文か……?)
察するところ麻痺を癒す為のものの様だが、詠唱の声に聞き覚えがあった。
はて、一体誰だったかと思いを巡らすうちに呪文の効果が現れ、ワルドは身体の自由を取り戻す。
「って、痛い痛い! なんだこれアイタタタタタ!」
なんだこれも何も、ニューカッスルの戦いでキュルケ、クロコダインらによって与えられたダメージである。
操られていた時は痛覚がカットされていたのか痛みを覚える事はなく、またルイズの『解除』で身体操作から脱したときは『焼けつく息』の影響で麻痺していたので痛みは感じなかったのだ。
当然、麻痺が無くなれば痛みは復活する。耳元で爆竹の様な小爆発起こされたり全身に軽~中度の火傷を負ったりすれば、痛みに悲鳴をあげるのも無理はない話ではあった。
「ふむ、意外と元気だな」
「暢気な事を言ってないで『治癒』をして下さい。これでは尋問にもならないでしょうに」
「私の可愛い小さなルイズを裏切った男だぞ。実際の所、あと1時間くらいはこのままで良くはないか」
「1時間は長すぎるでしょう。見ていて楽しい物でもありませんし、せめて30分くらいにはなりませんか?」
「む。お前に頼まれたのでは仕方あるまいな……。では、24時間で手を打つとしよう」
「もはや義務感だけで突っ込みますが、伸びているではありませんか……」
(な!? この声は、マザリーニ枢機卿とヴァリエール公爵か!?)
痛みに苦しみながら、ワルドは自分の推測に驚く。
この2人は不倶戴天の敵同士の筈であり、仲良く並んで会話をするなど有り得ない話だ。
まだ『始祖は実はエルフと友好的だった!』『ロマニアにハルケギニア製のものではない謎の超兵器が!』などといった不信心な平民向けの新聞1面の方が信憑性がある。
それが一体、何故、どうして。



「公爵殿。気持ちはわからなくもないのですが、ここはどうか」
疑問の尽きぬワルドだが、更に聞こえてきたのは苦笑気味のクロコダインの声であった。
仕方ありませんな、という公爵が呪文を唱えると嘘の様に痛みが引いていくのがわかる。
(助かった)とワルドは一瞬そう思い、しかし(そうでもないな)と考えを修正した。
自分はあの戦いの後で武装解除されており、精神力もとうに尽きている。一方ここにいるのはヴァリエール公爵にマザリーニ、そしてクロコダインといった実力者だ。
長らく政治の世界に身を置き続けているマザリーニはまだしも、公爵は戦闘向きではないと言われる水系統の使い手であるにも関わらず数々の武勇伝を残している。
クロコダインの強さはもう嫌というほど骨身に染みていた。
礼拝堂での戦いは、実のところ自分の持てる力を全て出したものである。例え操られていなくとも、あれ以上の動きは出来ないと言っていい。
業腹ではあるが、あの忌々しい『操り主』はワルドの体を実に効率よく動かしていたのだ。
トリステインでもトップクラスの実力を持つと自負する自分が全力を出し切った上で、しかし完敗を喫したのだから、最早抵抗する気など起きよう筈もなかった。
これまで積み上げてきた自負は脆くも崩れ去る。だが不思議な事に悔しさや恨みなどといった感情はなかった。いっそ清々しさすら感じている。
何せ相手はわざわざ自分を生かして捕らえる為に『麻痺』という手段を選択したくらいだ。余程の実力差がなければ取れない手段であるのは明白であろう。
こちらの生死を気にしなければ、『遍在』にした様に手加減なしの攻撃をすればそれで済むのだから。
まあそれはさておき、問題はこれからの事だ。普通に考えて死刑は確実なのだが、チャンスがあるとしたら自分が操られていたという事実をどう扱うかに掛かっている。
公爵らにもルイズやクロコダインの口からその事は伝わっている筈だ。しかしいつから操られているかまでは解っていないと思われる。
タイミング的に『実はアンリエッタ姫から依頼を受けた直後に謎の女の魔の手によって操り人形に!』とか言い逃れはできないだろうか。
ほらレコン・キスタのシンパは実際トリステインの王宮にもいる訳だし!
かすかに見えた光明にワルドが希望を抱き、如何にして話をそこまで持っていくか脳細胞を回転させようとしたその時。
「では遺言を聞こうか」
ヴァリエール公爵が一切の希望をも打ち砕く様な、結論最優先な一言をワルドに投げつけた。



「いえ、ですからいきなりエクストリームな結論を出すのはどうかと。気持ちはわかりますが」
溜息と共に突っ込むマザリーニに、さも心外という顔をした公爵は不満そうに述べる。
「ちゃんと尋問しているではないか。とはいえ遺言というのは確かに少しばかり行き過ぎだったかもしれんな。……ここは墓碑銘について尋ねるべきだったか」
「同じです」
律儀に突っ込み返してから、どこか疲れた表情のマザリーニはワルドに話しかけた。
「まあ公爵はあんな事を言ってますが、そう怯えなくともよろしい。貴方の事情はそれなりに理解していますしね」
ただ不明な部分もあるのでその辺りを説明して下さるとありがたいのですが、と続けるかつての上司にワルドは一度は消えた希望の光を再び見出す。
ああ、流石は先王の早過ぎる崩御から今までこの国を支え続けていただけの事はある、と。
実際問題、この痩せ細った男がいなければトリステインという国家は現在よりもっと窮地に立っていただろう。
逆に言えばマザリーニが辣腕を振るっていても貴族たちの腐敗を完全に防げはせず、それがワルドをレコン・キスタへ誘った一因ともなったのだが、これは言っても詮なき事だ。
ともかくここは謝罪と釈明の場面であろう。
どう話を切り出すかとワルドが考えた瞬間、先手を打つ様にマザリーニが爽やかな笑みを浮かべる。
「ああ、貴方が1年以上前からレコン・キスタと繋がっているのは証拠付きで判明していますので、その辺の事は省いてもいいですよ」
どうもこの人は上げてから落とすのが得意な様だと、ある種の諦観に包まれたワルドはぼんやりとそう思った。

マザリーニが当初考えていたより、ワルドは素直に事実を話し始めた。
まあ、ありがたい話ではある。拷問は趣味ではないし、あれはやる方もそれなりに体力を使うものだ。
それにしても、よく単独でここまで考えたものだとマザリーニはほんの少し前まで部下だった男を見下ろす。
彼の『計画』では、レコン・キスタがトリステイン侵攻を始めるまでに組織で重要なポストに就き、時期が来た所で先陣を任される様にするつもりだったらしい。
ワルドはこれまでにレコン・キスタに繋がっている貴族は勿論、他国と不正に手を結び私腹を肥やす者や地位を悪用し民を虐げている者などを調べ上げていた。
そして侵攻時は自分が遍在を使い、またそれまでに同士が見つかれば彼らにも協力を仰いで、それらの悪徳貴族達を鏖殺するつもりだったという。
ここまでは、現在マザリーニやヴァリエール公爵らが準備を進めている『大掃除』とさほど変わりはない。
実行可能かどうかは脇に置くとしても、こんな考えを持った上である程度計画を進めていたのにも関わらず誰にも疑われていなかったのだから、相当『使える』男なのだ。
ただ、ワルドの『計画』と『大掃除』を比較した時、決定的に異なる点があった。
マリアンヌ王妃及びアンリエッタ姫の暗殺である。



ワルドの告白に、ヴァリエール公爵は苦々しい表情を隠せずにいた。
若い貴族の間に現状を憂う声があるのは公爵も知っていた事である。しかしここまでのものだとは想像の外であった。
「で、王妃や王女を殺した後はどうするつもりだったのです。まさか自分が統治するとでも?」
一方、表面上は全く動じていない様子のマザリーニは更に質問を重ねている。もっとも、冷静そうに見えて内心物騒な事を考えているのがこの男の特徴なのだが。
「そんな不遜な事は思ってもいませんでしたよ」
「ではどうするつもりだったのだ。レコン・キスタに統治を委ねるのか」
公爵の問いにワルドは首を横に振った。
「いえ、ターゲットとした貴族と王族を排除した上で、レコン・キスタの上層部は一掃するつもりでした」
組織内で多大な戦果を上げれば、それだけ首領であるオリヴァー・クロムウェルに近付く機会も増える。
当然、それだけ暗殺の機会は増えるという訳だ。
しかしそれで納得がいく訳もなかった。ワルドの「計画」通りに事が運んだとしても、その後の展望が見えてこない。
「ではどうするつもりだったというのだ。トリステインを率いる者も、侵略しようとする者も殺しておいて、さりとて自分が王になる訳でもないと言う。まさか誰がトップに立っても構わないと言うつもりでもあるまい」
自制心を発揮しながら問う公爵に、ワルドは真剣な目を向けた。
「貴方がいるではありませんか、ヴァリエール公」
「なんだと!?」
思わず声を荒げる公爵とは対照的に、マザリーニは冷厳に事実のみを指摘する。
「確かに王位継承順からすればそうなるでしょうな」
実を言えば、先王崩御から時が経つにつれ、若い貴族や公爵の人柄を知る者達からそんな声が聞こえてきてはいたのだ。
王が死んで5年も経つのに未だ誰も即位しないというのは、国家的な自殺行為に等しい。
それでも何とかここまでやってこれたのは、この部屋にいる老練な2人のメイジが個別に(実は裏で連携していた訳だが)辣腕を振るってきていたからだが、それもどこまで続くかは不透明であった。
しかしその手の期待にはっきりと『否』を突きつけてきたのがヴァリエール公である。
自分はあくまで臣下だという立場を崩そうとしなかったからこそ、トリステインという国はこれまで平和を保ってきたと言っても過言ではない。
ただ、彼に惚れ込む者は決して少なくない。その能力を王として使って欲しいと望む声は無視できる数ではなかった。
そのうちの1人が目の前にいるワルド子爵だったのだ。
「そう、貴方がいれば頭を失った蛇に過ぎないレコン・キスタなど恐るるに値しない」
侵攻と同時に暗殺が行われる為、一時的な混乱は避けられないだろうが、そこは公爵やグラモン元帥が纏め上げるだろう。
「問題はマザリーニ殿が果たして協調してくれるかでしたが、どうやらそれは杞憂だった様です」
肩をすくめ、冗談めかしながらも、ワルドの顔は真剣そのものだ。
「これは亡き父が密かに抱いていた夢でもあります。……晩年は酒を飲む度にそればかり語っていた」
公爵とワルドの父は気の置けない親友同士だった。
目に入れても痛くないと公言してはばからない末娘を息子の許嫁として認める位なのだから、仲の良さは折り紙付きだ。
その親友の忘れ形見が語る内容は、少なからず公爵の心を揺さぶるものであった。
「では、ルイズに近付き信を得ようとしたのもその一環か?」
これまで沈黙を守っていたクロコダインが、ふいにワルドに話しかけた。
その問いに、ワルドは考え込む素振りを見せる。


父の死後、ワルドは魔法衛士隊に身を置き修行に励んでいた。
グリフォン隊の長となりレコン・キスタと接触してからは、通常任務に加え『計画』の為の下準備に掛かっており、ルイズと接する時間は皆無である。
ワルドとしても許嫁の存在は頭にあったのだが、いかんせんほったらかしにしていた期間が長すぎ、どう接触したものか迷っていた。
『計画』を実行する場合、ルイズの重要度は極めて高くなる。例えば公爵が王位を拒んだ場合などに彼を説得できる数少ない人材だからだ。
更に気になったのは、ルイズが土くれのフーケ捕縛に一役買ったという話である。
いくら仲間がいたとはいえ、魔法衛士隊を打ち破り金やお宝を強奪したほどの『土くれ』をあっさり捕えたのだから「何かある」とワルドは睨んだ。
調べてみると、どうやら進級時の召喚の儀で『正体不明の使い魔』を手に入れたとの事らしい。
さてはその使い魔の働きかと思い、もう少し詳しく調査しようとした所で姫の護衛としてゲルマニアへ向かう事となったのである。
その後、帰国してすぐアンリエッタに密命を受けたので調査は宙に浮いた状態だったが、実際会ってみると確かにクロコダインは他の使い魔と比べ、明らかに『異質』だった。
民に害をなす事があり、その一方で戦の折に戦力として登用されたりもする野生の亜人については軍人として精通しておかねばならないし、ワルドもその例に洩れない。
むしろ率先して対応法を練り、実戦で生かしていたのだが、その彼にしてクロコダインの様な亜人を見るのは初めてだったのだ。
人語を解し、精緻な武器と鎧を身につけた使い魔など聞いたことがない。
では、そんな使い魔を召喚したルイズは一体何者なのか。
メイジの実力を知りたくばまず使い魔を見よという。しかし魔法成功率がほぼゼロという、メイジとしては致命的な欠陥を持つ少女がそんな希少な獣人を果たして喚べるものだろうか。
ワルドは逆に、そんな使い魔を召喚可能なメイジとは一体どんな実力をもっているだろうかと考えた。
もちろん任務中であり、更に裏ではフーケや傭兵をけしかけたりしていたので真剣に考察する余裕などありはしなかったのだが、皮肉な事に操られた状態での戦闘時にそれは明らかになった。
6000年ぶりに確認された『虚無の使い手』と、その使い魔『ガンダールヴ』。
俄には信じ難い話だが、実際目の当たりにした身としてはそうも言っていられない。むしろ(あくまで結果論ではあるが)血統という点から観た場合、彼の『計画』が間違っていなかったという証でもあった。
過ぎた事に対して「もしも」と言っても仕方がないが、仮にワルドが操られていなかったとしたらルイズは彼に悪印象を抱かず婚約者としての立場を強化していただろう。
ワルドは彼女に対して恋愛感情を持っていなかったが、前述の様な理由もあっていたずらに傷つけるつもりもなかった。もっともそれは自分の行動を邪魔したりしないという前提での話ではあるが。
つらつらと考えては見たが、結局のところ彼女を利用しようとした事実に変わりはない。
故に、クロコダインの問いにワルドは「その通りだ」と答えるしかなかった。



自分でも驚くくらい、ワルドの口はよく回った。
とはいえ知る限りの粛清予定悪徳貴族の名を列挙したところで、もう話す事柄はなくなってしまったのだが。
何にせよ、自分に出来る事はもう無いだろう。生殺与奪の権利を持つのは相手側の方だった。
「僕の知る事は全てお話ししました。で、これからの処遇を教えて戴きたいのですが」
野望は潰えたとはいえ、トリステインの貴族がどこまで腐っているかは伝えるべき人間に伝わった。
後は必ず何とかしてくれるだろう。というか、そう思うしかない。
正直に言えば死にたくない。自分には母の遺した謎を解かねばならない義務があるのだから。
しかし、客観的に見て死罪を免れるとは思えなかった。そもそも王族暗殺計画の立案者を生かしておく理由がない。
生存の可能性があるとすれば、レコン・キスタの侵攻が間近に迫っているという事ぐらいか。ただ死刑にするよりは、『強制』でもかけて最前線に出すという判断になるかもしれない。
そんなワルドの問いに答えたのはマザリーニだった。
『鶏の骨』と揶揄される、しかし心に鋼鉄の芯が入っているかの様な男は、表情を全く変えぬままあっさりと言い放った。
「ああ、死刑ですな」

「なるほど、よくわかった」
一方、賓客用の部屋ではグラモン元帥が末息子の熱弁を聞き終えていた。
「わかって頂けましたか、流石は父上!」
顔を綻ばせるギーシュに元帥は鷹揚に頷く。
「応よ。んじゃ後はやる事ねえから学院に帰っとけ」
しっしっ、と追い払う仕草の父にギーシュは抗議の声を上げた。
「ええ!? なぜですか! これからアンリエッタ姫と面会して『ああ、よくやってくださいましたねギーシュ殿』とか言われてハグされて僕ヒャッホー! とかいうイベントがある筈でしょう!?」
「ねぇよ」
ギーシュの妄想を父は一蹴する。
「つかマジここに残っててもやる事ねえしなあお前。俺と違って」
「そりゃあ父上に比べればそうでしょうが……」
「まあな。なんといってもこれから『美少女メイドスカートめくり10分で連続30人斬り新記録に大・挑・戦!』なんて重要な公務をこなさにゃならん訳だし」
「トリステイン国民として突っ込みますがそれは公務じゃない!」
息子からの突っ込みに元帥は反論する。
「バッカお前、俺が好きでこんな事するとでも思ってんのか!? メイドの居場所を時間帯ごとに調べあげたり最短コースを進むにはどうしたらいいか城の構造調べたりとめんどくさい工程重ねて超苦労したんだぞ。
嫌で嫌で仕方なくて腕が鳴るわワクワクするわで大変なんだこっちは!」
胸を張る元帥にギーシュは頭を抱えた。これでいいのかトリステイン王国軍。
ああでもここまで出世すれはこういう阿呆なイベント立てても問題ないのか。なら大丈夫かとギーシュは自己完結した。ちょっと頑張って偉くなろうとも。
「よし、わかった様だからさっさと帰れ。使い魔もちゃんと連れていけよ」
「それは勿論」
はあ、と溜息をついて部屋を出るギーシュに、元帥は後ろを向いたまま言った。
「ま、今回の件はお前にしちゃあよくやった方だな。俺の息子としちゃまだまだだがよ」

その言葉に浮かれたギーシュは帰り道の馬とか竜籠を依頼するのを完璧に忘れ、結果としてジャイアント・モールにまたがって学院までの帰路についたという。


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最終更新:2011年02月01日 11:33
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