38 虚無と学友
ルイズとクロコダインが学院に戻るのに1週間を要したのには理由がある。
虚無魔法の研究は勿論だが、他にもやるべき事が色々とあったからだ。
中でも一番やっかいだったのが、クロコダインの鎧の修復に関してである。
怪我は癒せるし、服は着替えればすむ。しかし鎧はそうもいかない。
彼が召喚された際にハルキゲニアへと持ち込めた数少ないもののひとつがこの鎧であったが、当然その辺の店で売っている様な代物ではなかった。
幸いというべきか、この世界にはクロコダインがいた世界には存在しない魔法があった。土系魔法の初歩、『錬金』である。
術者の実力にもよるが自在に物体の形状・性質を変化させるこの魔法は、修復には最適といえた。この場合は修復というより新造といった方が正確だが。
今回の件において、土メイジの協力者にはルイズの姉エレオノールやグラモン元帥がおり、しかもこの2人は数少ないスクウェア・メイジだった。
彼らの腕をもってすればものの数分で鎧を一から造り起こせる。ただし、それは元のデザインを知っていればの話だ。
クロコダインは今年召喚された使い魔の中では最も目立った存在で、学生たちもその姿をよく目にしている。
学院に戻った際、それまでと全く違う鎧を身につけていては、いらぬ勘繰りを受ける可能性があった。
で、着用者のクロコダインにどんな鎧だったか質問した土メイジ2名であったが、生憎この獣人は絵を描くという習慣が全くない生活を送ってきていた。
そんな者が上手く説明できる筈もなく、グラモン元帥はどうしたものかと頭を抱える。
一方エレオノールは打開策を打ち出した。使い魔が駄目なら召喚主に聞けばいいとばかり、ルイズにクロコダインがどんな鎧を身につけていたか尋ねたのだ。
確かにルイズはハルケギニアにおいて、一番クロコダインの近くにいた人物である。
更に自慢の使い魔であるが故に彼がどんなものを身に纏っていたか克明に記憶していた。
── しかし、記憶しているものを正確にアウトプットできる訳ではない。
大変残念なことに、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールに絵心はなかった。
『こんな感じです、姉様』とドヤ顔で差し出された再現イラストを見てエレオノールは頭を抱える。そこには名状し難い何かが描かれていた。
当然、鎧の再現など夢のまた夢である。
考えて見れば公爵家の令嬢にイラスト技能などある訳がない。ソースは自分だ。
一応まだ城に残留していたキュルケやタバサにも確認してみたが、こちらも『ルイズよりはまし』といった感じの結果となった。
そもそもこの2人はさほど注意してクロコダインの鎧を観察などしていないのだから、無理も無い話ではある。
最終的に、一番先に学院へと帰還したギーシュが半ば拉致同然に城へと呼び出される事により事態は収束へと向かった。
自身の服のセンスこそアレなギーシュだが、実は造形力が非常に高いのである。ワルキューレなどはその最たる物と言えるだろう。
「正直あまり覚えていないのですが」と造花の薔薇の花弁を『錬金』で変化させたクロコダインのミニチュアは、誰が見ても及第点を与えるであろう出来だった。
それを参考にグラモン元帥らが鉄を素材に大まかな形を作り上げ、更にフィッティングなどの調整をし『固定化』と『硬化』をかける事でようやく完成したのである。
クロコダインは何もここまでと思っていたが、身を守るのに鎧は不可欠なのも事実であったので、結局ありがたく好意に甘える事にした。
ちなみに焼け焦げてしまった背のマントに関しては、耐刃・耐火性の高い繊維が使われたマントをヴァリエール公爵が贈っている。裏地には目立たないが公爵家の家紋も刺繍されていた。
これはクロコダインがヴァリエール家に連なる者として認められたという意味を含んでいる。使い魔としては異例の事と言えよう。
「おかえりなさいませ」
極力目立たぬように、と夜も更けてから魔法学院の女子寮に戻ったルイズを迎えたのは、メイドのシエスタだった。
「ただいま、シエスタ。でも、よく私が戻ってきたのがわかったわね?」
「学院長から教えて頂きましたから。お姉さまのお具合は良くなられたのですか?」
情報元はオールド・オスマンだったらしい。
ちなみに姉云々は今回の任務をごまかす為にオスマンらがでっちあげた、ルイズの欠席理由である。
「おかげさまでね。まあ『体の調子が良くない』というのもあるんだけど、本当の所はクロコダインと逢ってみたかったみたいなの」
「あら」
ルイズの返答は前持って準備されていたものだが、完全に嘘という訳ではない。
城に滞在中、ヴァリエール家の伝書フクロウが下の姉であるカトレアの手紙を届けていたのだが、そこには優しい筆跡で頼もしい使い魔さんを紹介してね、との一文が記されていた。
いずれ夏期休暇にでも帰省しなければなるまい。
そんな事を思いながら、ルイズは寝間着に着替えコインすら弾きそうなくらい完璧にメイキングされたベッドに腰掛ける。
「ね、私が休んでる間に何か変わったことあった?」
公爵家の一員とはいえ思春期の少女である。噂話が気になるのは当然の事だ。
んー、と考え込んだシエスタは、思いつくまま最近あった事を話し出す。
ルイズが帰省した同じ日に授業をさぼったミスタ・グラモンがしばらく後に帰ってきて、ミス・モンモランシに水魔法喰らっていた事。
ミス・ロングビルがいなくなって秘書職代理を強引に押しつけられていたコルベール教師の残り少ない髪資源がピンチな事。
何日か前に再び授業をさぼったミスタ・グラモンが翌日帰ってきたが、またミス・モンモランシに以下略。
日差しが強くなってきたせいか、メイドたちの間でサウナじゃなくて湯に浸かってみたいという欲求が溜まりつつある事。
まあ総じて変わりはなかったです、という結論に、ルイズは「そう」と答えた。
実を言えば、内心ではほっと胸をなで下ろしているのだが。
ひょっとしたら自分のアルビオン行きが噂になってはいないかと危惧していたのだが、話を聞く限りでは大丈夫な様だ。
しかし、メイドたちにまで噂が広がっていないだけという可能性もあるので、油断は禁物だと考え直す。
「とりあえず、今日はもう休むわね。シエスタもお疲れさま。遅くに悪かったわね」
「いえ、お気遣いなく」
律儀に一礼して退室するシエスタを見送って、ルイズは眠りにつくのだった。
翌朝、ルイズは食堂に顔を出した。随分久しぶりに感じるが、実際には二週間弱しか経っていない。感覚的には一ヶ月以上離れていた気すらするのだが。
ふと周囲を見渡せば、眠そうにしているキュルケやこんな時も本を手放さないタバサがこちらに手を振っている。
彼女たちはルイズよりも先に学院に戻ってきているのだが、特に変わりはない様だ。
キュルケに対してはおざなりに、タバサに対してはしっかりと手を振り返し、ルイズは自分の席に着いた。
周囲を見渡せば同級生たちが自分と同じように集まりつつある。
ギーシュはシエスタに聞いたような魔法攻撃を喰らったとは思えない、普段と変わりない姿をしていた。多分攻撃を喰らわせた犯人自らが治療したのであろう。
俗に言うところの犬も食べない何とやらで、周りの席の男子学生たちは
「ち、まだ生きてやがる」
「よそでやれよ。畜生、見せつけやがって」
「当たり障りのない様に直接表現避けるけど、ぴねばいいのに」
「もっと! もっと水の鞭を!」
と好き勝手な感想を隠そうともしなかった。そのせいか、彼の表情は些か以上に煤けていたが。
他、ギムリやレイナールがルイズを見て、お、という顔をしたり軽く挨拶してくる。
詰まる所、平常運転なのだなと実感しつつ、ルイズは運ばれてきた前菜に取りかかるのだった。
一方クロコダインは厩舎で数時間ほど仮眠した後、アルビオンに行く前の様に敷地内の巡回をしていた。
不眠番の衛兵には帰ってきた時に挨拶している。彼らはフーケの事件以降、共に巡回している教師と一緒に笑顔で迎えてくれていた。
厨房の裏手へ向かうと、既に朝食の準備が始まっている様で、慌ただしく人が動く気配がしている。
もっとも厨房内に用がある訳ではない。そもそも手伝おうと思っても出来る事がない。
クロコダインがここへ来たのは、薪を割るのが目的であった。
厨房には火の魔法を利用したオーブンなどもあるが、基本的には薪を使用している。使用人たちが使うサウナもそうだ。
クロコダインは召還されてから、この薪割りが日課となっていた。
普通の人間にとっては結構な重労働だが、この獣人にとってはいかほどのものでもない。
むしろ微妙な力加減を習得するのに重宝していた。
そんな訳で、日課を果たすべく腰に下げていた手斧を握りしめると、勝手口からマルトー料理長が顔を出した。
「おお、久しぶりだな『我らが斧』! 」
「ああ、全くだ。しかしその呼び名はそろそろ勘弁してくれないか」
苦笑混じりの訴えは今回も軽くスルーされる。
「朝飯はまだかい?」
「ああ、一仕事してからと思ってな」
マルトーは積み上げられた薪を一瞥した。
「ち、またサボってやがるな、当番の奴。アンタが来てから楽を覚えやがっていけねえ」
偏屈だが腕の良い料理長は、仕方ねえとつぶやく。
「悪いが頼むぜ、『我らが斧』。薪割ってる間にこっちも一仕事してくるからよ」
「それはこっちの台詞だ。後、できたら他の使い魔たちの分も頼みたい」
「勿論だ。あの喰いっちろの白いのもいるんだろ?」
言わずと知れたシルフィードの事である。
腕まくりをして厨房へ戻るマルトーの背中を見送って、クロコダインは薪の山を崩すべく、あらためて斧を握りしめた。
午前最初の授業はコルベールが担当していた。
彼は慣れない事務仕事のせいでギーシュとは違う意味で精神的に消耗していたが、それを表に出さないのは年の功と言うべきだろうか。
ストレス解消という訳ではないが、先日多忙を縫って作り上げた『魔法を使わずに動く蛇くん』を授業中に披露したのだが、想像以上に生徒たちには不評だった。
おまけに学院長には「まじめに仕事せい」と自分の事を棚に上げまくったお叱りを受けた挙げ句、事務仕事を更に押しつけられる始末である。
そんな事もあって「脱線は控えめにしよう」と誓う彼だったが、教室にルイズとクロコダインの姿を見つけ、思わず安堵の溜息がこぼれた。
コルベールは学院長を除き、ルイズたちの任務を知る唯一の教師である。
仮に自分が『現役』時代であっても、達成は困難と思われる任務を果たした彼女たちを見る目が柔らかくなるのは当然と言えた。
「さて、欠席者はいない様ですな。では授業を始めましょう。今日は『火』の力が『風』に与える影響について……」
休み時間、ルイズの元に一人の女学生が訪れた。
「久しぶりね、ルイズ」
「そうね、モンモランシー。何か用かしら」
軽く首を傾げて訪ねるルイズにモンモランシーは薄い(けれどルイズよりは存在感のある)胸を張って答える。
「単刀直入に聞くけれど、貴女がここのところ休んでいたのは、体調を崩された家族のお見舞いなのよね?」
「よく知ってるわね、その通りよ。その後お父様と一緒に王城にも行ったけれど」
ルイズがこう告げたのは、自分の姿がトリスタニアの城で目撃されているからだ。下手に嘘をついて後から追求されるよりは、自分から真実を明かしておいた方が良いと考えたのである。
もっとも全てを明かすつもりは毛頭ないのだが。
一方モンモランシーはルイズの言葉を聞いて、一度は消した疑念が再浮上してくるのを感じていた。
即ち、ルイズとギーシュがいい仲なのではないかと思ったのである。
城へ行ったのは結婚を前提にして互いの家族同士で会うためとか、そういうんじゃないの!? という訳だ。
勿論事実とはかけ離れているのだが、そんな事は知る由もない。
「あ、あら、そうなの。じゃあ一体何をしに行ったのかしら」
「一応コモン魔法が使えるようになったからその報告と、社交界デビューの打ち合わせね」
これはルイズが前もって用意しておいた理由だが、まあ嘘はついていない。
「ルイズ、貴女魔法が使えるようになったの!?」
これにはモンモランシーだけでなく、それとなく聞き耳を立てていた周囲の学生たちもどよめいた。
何せ相手は『ゼロ』のルイズである。良くも悪くも注目を集める存在なのだ。
「すごいじゃない、いつ判ったの?」
「あ、でもサモン・サーヴァントは使えてたんだからそれからなのか」
「でもその後やっぱり失敗してなかったっけ」
「それで系統は何になったの?」
矢継ぎ早の質問を前に、ルイズは目の前で手を打ち鳴らした。
「一気に言われてもわからないわよ! とりあえず判ったのは10日位前で、使えるのはコモン・マジック。4系統魔法は相変わらず使えないわ」
これも嘘ではない。土・水・火・風の系統魔法はこれまでの様に失敗してしまうのは確かだ。
使えるのはコモン・マジックと5番目、もしくは0番目と称される虚無魔法である。
失われたとされて久しい為、昨今は4系統魔法と考えられているのだが。
なるほどそうかと納得する同級生たちの中、ひとり質問を発する者がいた。
「それはそれとして、同時期にギーシュもお城へ行っているんだけど、それに関して一言」
発言者は言うまでもなくモンモランシーである。
約全員が「ブレがないにも程があるだろ」と思ったが口には出さなかった。
一方「私にも選ぶ権利がある」と喉元くらいまで出そうになったが、賢明にも堪えるルイズである。
「王城がどれだけ広いと思ってるの……。顔を会わす機会なんてなかったわ」
モンモランシーとしては自分でも気にし過ぎだと思わないでもないのだが気になるのだから仕方がない。
むしろ恋する乙女としてはこれくらい当然でありそうよ全部わたしに心配かけるギーシュが悪いのよという結論で終了した。
しかしまあルイズも嘘をついている様子はないし大丈夫かと胸をなで下ろした彼女であったが、「あ、でも噂にはなってたわね」と思い出した様にルイズが言うので再び心配が顔を出す。
「一応聞くけどどんな噂だったの?」
「なんかグラモン伯爵や学院長と一緒に『30分間でどれだけメイドのスカートの中が覗けるか勝負』に挑んで優勝したとかなんとか」
間髪入れずに教室内で突如水竜巻が発生し、噂の主である『青銅』の二つ名を持つ少年と、巻き込まれた変態系男子学生が
「違う、誤解だよモンモランシー! 僕は準優勝だったんだ!」
「冷たい水で身体全体をかき回される新・感・覚! これはこれで癖に! ああ、癖に!」
などと声を挙げていたが、一同はもれなくスルーしたという。
「ひどいじゃないか、ルイズ……。あんな根も葉もない噂を流すなんて、本気で死を覚悟したじゃないか……。ヴァリエール公爵家の娘としてあるまじき行為だとは思わないのかい……」
夕食後、くたびれた様子で恨み言をぶつけてきたのは、言わずと知れたギーシュ・ド・グラモンであった。
黙っていれば美形という評価の少年は、今日一日で3回程物理的に『水も滴るいい男』となっていたので、くたびれるのは無理もない話である。
「自業自得でしょ」
「自業自得よね」
「自業自得」
そう返したのはルイズ、キュルケ、タバサだった。
「君たちは血も涙もないのかね戦友に対して!?」
ヴェストリの広場でがっくりと膝をつくギーシュに、しかし戦友たちの反応は冷たい。
「そもそも根も葉もないなんて、それこそ大嘘じゃないの」
「何なら暖めてあげよっか? フレイム・ボールとかで」
「……エア・ハンマー」
僕が悪うございました、とギーシュは東方式と呼ばれる謝罪の型を取った。
正座して頭を地に付けるくらいまで下げるという、この一風変わった謝罪方法は、シエスタが同僚やルイズに世間話として伝えたものが学院に広がったという経緯がある。
ちなみにシエスタは曾祖父からこの『ドゲーザ』もしくは「ドゥゲイザ」を教わったとの事だった。
さておき、やや呆れ顔のクロコダインが仲裁するまでギーシュの謝罪の儀は続いたのだが、終わるのを見計らった様に現れたのがマルコリヌとギムリである。
メイジには珍しい肉体派を自他共に認めるギムリはともかく、ギーシュと同じ数の水魔法攻撃を受けているはずなのに元気一杯のマルコリヌは一体何なのか。
そんな疑問を持つルイズ達であったが、本人に尋ねる愚は犯さなかった。面倒な嗜好が出て面倒になるのが判りきっていたからだ。
「久しぶりだな、変わりはないか」
「そんなに長い間ここを留守にしていた訳じゃないだろ? ま、クロコダインがいなくてもレイナールと自主練はしてたからな。ちょっとは成長してるかもしれないぜ?」
握った拳を軽くぶつけ合う2人に、会話を聞いていたルイズが訪ねる。
「そのレイナールはどうしたの? 一緒にいないなんて珍しいのね」
「そういつもいつもつるんでやしないって。なんか学院長に呼び出しくらってたから、それで遅れてるんじゃないか」
ギムリの言葉に一同は首を傾げた。
それなりに優等生として通っているレイナールが呼び出される理由が判らなかったからだ。
これがこの場にいる他の面子ならば話は判るのだが、と全員が同じ感想を抱いている。もちろんナチュラルに自分自身は除外している所も一緒だ。
「魔法失敗して学院の備品壊したとか」
「まさか、ルイズじゃあるまいし」
「無節操に女生徒をナンパしまくったとか」
「ギーシュと一緒にしちゃダメ」
「意表を突いて男子学生に色目使ったとか」
「意表突けばいいってもんじゃないでしょ、キュルケとは違うのよ」
「授業中に関係ない本を読みあさっていたとか」
「ありそうだけど、それタバサの専売特許よ」
「座学の成績が悪かったとか」
「そりゃギムリなら判るけど、レイナールだしなあ」
「オンナノコに踏まれてハァハァしてたくらいじゃ呼び出されたりしないよね? ね!?」
「踏まれてそんな反応するのはお前だけだよマルコリヌ! あと呼び出されるのは水メイジの先生の所だ、お脳の具合的に考えて!」
一同は揃って自分以外の学友を睨みつけた。
「……別に呼び出されからといって、必ず叱責される訳でもないだろう。用があったり、賞賛される場合もあるのではないか?」
咳払いと共にクロコダインがフォローを入れたため、メイジ・バトルロイヤルは未然に回避された。
「ま、まあそれもそうね。本人が来たら訊いてみましょう」
気を取り直したルイズがそう言ったところで、当のレイナールがひょっこり顔を出した。
「……ああ、みんな揃ってるみたいだね」
「応よ。というか、どうしたそんな疲れた顔して」
ギムリの疑問はもっともなもので、この時のレイナールは疲労感を隠しきれずにいるように見えた。
「まあ、ちょっと色々無理難題を押しつけられてね……。ちょっとその事について相談したいんだけど、いいかい?」
当然、否やはなかった。
「結論から言うと、近いうちに僕たちのこの活動が選択式の授業として取り入れられるんだそうだ」
『静寂』の魔法をかけた上で、車座になった一同にレイナールはそう切り出した。
「活動って、『魔法でインファイトしようぜ』会の事か」
「え、『いかにブレイドをかっこよく使うか』研究会ではないのかい」
「こう、『外には聞こえないナイショバナシ』っていいよネ! 想像力次第でなんだか無駄にゾクゾクするヨ!」
「3連続でお約束のボケをありがとう。僕が土メイジだったら速攻で埋めてるところさ」
さらりと怖いことを言うレイナールにルイズが質問する。
「理由は、アルビオンの一件が関係してるのかしら」
「ああ、王党派が貴族派に破れたのが遠因だろうね。王党派は全員討ち死にしたと聞いたよ」
首を縦に振るレイナールは、ルイズの表情に陰を見て取った。
ほぼ同時にキュルケも表情を歪ませていたのだが、一瞬でそれを消し去りルイズの頭の上によいしょと胸を乗せる。
「ああ、ちょうどいい位置に台があって助かったわ。結構重いのよ、肩こるし」
「決闘ね? ワタシ決闘を申し込まれてるのよね?」
「加勢する」
こう見えて、キュルケはルイズを落ち込ませないようフォローしているのである。全くもって素直な表現ではないが。
尤もそれが微乳カテゴリの2人に通じているかは定かではない。
男性陣はルイズの頭上でむにゅうと形を変える桃林檎に釘付けになっていたが、いち早く頭を振って話題を戻したのはレイナールだった。
他の3名は、視線を外すという選択肢が最初から備わっていなかった。
「トリステインがどう対応するかなんて判らないけど、少なくともアルビオンの貴族派が我が国に侵攻してくるのは想定に入れているだろう。
戦の要となるメイジの数を揃える為にも、学院にいる内から鍛えておこう、というのは間違いじゃないだろうね」
「それに関しては少し補足があるんだが、いいかな」
口元に薔薇の造花を当てながら口を挟んだのはギーシュである。
彼はまだ微妙にキュルケの桃林檎から目が離せていなかったが、「口外無用だよ」と前置きした上で父親から聞いたという話を披露した。
「貴族派、と言うかレコン・キスタは今回の戦いで手酷い打撃をうけたらしい。旗艦である『レキシントン』号を始めとして少なくない数のフネが沈んだそうだ」
だから態勢を立て直すまでは他国に戦争をふっかける余裕はないだろう、とグラモン元帥を含めた軍上層部は考えているとの事だった。
旗艦にレコン・キスタの代表である男さえ乗っていればもっと話は簡単だったのだが、残念ながら地上にいて難を逃れたらしい。
「だから今日明日のうちに僕らが徴兵される様な事はないだろう。ただ卒業後の事を考えると、今から備えておいて損はないだろうね」
補足を終えたギーシュにレイナールが黙礼する。
「成る程ねえ、そんな事情があったのか。つうか、レイナールはともかくギーシュが物を考えてる事実に驚いたぞ俺は」
「僕も驚いた。実は偽物なんじゃないかな」
「決闘かね、決闘申し込みなのかねそれは」
「ハハハ埋めるよ君らマジで」
ギムリ、マルコリヌ、ギーシュは揃ってレイナールにドゲーザを実行した。
「正式な授業と言うけど、選択式なんでしょ? ぶっちゃけ選ぶ人いるのかしらこんなの」
と身も蓋もない事を口にしたのはキュルケである。
「いや、僕みたいに実家の格式が低い貴族の子弟は割と参加してくると思うよ。あと次男・三男あたりは軍への入隊を希望するのも多いからね」
「実を言えば、何人かにこの集まりに混ぜて欲しいと言われた事がある」
レイナール、ギムリの反論にキュルケはふぅんと返した。元々彼女はトリステインの生まれではない。それほど興味も湧かないのだろう。
「そういえば、どの先生が教える事になるの?」
学院に格闘系の技能を持った教師っていたかしら、と首を傾げるルイズに、レイナールは乾いた笑いを浮かべた。
「学院長もそこで頭を悩ませていてね。候補としては、まあ、某風のスクエアメイジの先生が挙がってるんだけど」
一同は揃って嫌な顔になる。
彼が言っているのは学院の中でも若手のギトーという教師であったが、実力はともかくお世辞にもいい性格とは言えなかったからだ。
「まあ本人がそれを許諾するかは不透明だし、外部から特別教師を招く案もあるそうなんだけど……」
言葉を濁すレイナールだが、きっぱり話せという周囲の無言の圧力に屈したのか、重々しく口を開いた。
「最悪の場合、僕らが自分でカリキュラムを組んで実行しなきゃならないらしい。なんかもう、それ授業じゃないだろって思うんだけどね」
ギーシュ、ギムリ、マルコリヌの3名は口を揃えて言った。
「頑張れ任せたぞレイナール」
「ああ、その反応は予想できてたよこん畜生。誰かスコップ錬成してくれないか、穴掘るから」
疲れた口調のレイナールを慰めたのはクロコダインだ。
「まあ戦い方を自分で考えるというのは悪い事ではないさ。学院長もお前なら出来ると思って呼びだしたんだろう。信頼されているという証だ」
そうだといいんだけど、とそれでも少し明るい顔になったレイナールの後ろで、他全員が輪になって話し始める。
「じゃあ何か、俺らが呼び出されなかったのは、つまりそういう事かオイ」
「何故かしらねぇ、厄介事を回避できたってのに微妙に腹立つのは」
「こういう案件は武門の一族たるこの僕にこそ相談するべきだろ……」
「なにクロコダインにフォローされてるのよワタシへの当てつけなのかしらそうに違いないわ」
「おなかすいた」
「話は変わるけど僕を罵ってくれる美少女が空から降ってくるにはどうしたらいいと思う?」
後半になるにつれどうでもいいというか、どうにもならない感じになっているのはどうしたものか。
「そう思うんなら最悪の事態に備えてちょっとは協力してくれよ……」
背中に冷や汗とも脂汗ともつかぬ汗をかきながら、レイナールは半目で答えた。
「具体的には?」
「教師が来ても来なくても、これまで通りクロコダインには模擬戦の相手とコーチングを努めてもらいたいんだ」
む、とクロコダインは腕を組み考え込む。
「ダメかい?」
「いや、オレ自身は別にかまわないのだがな」
苦笑混じりに鰐頭の獣人は答える。
「お前たち以外の生徒が納得するか判らないのさ。今のオレは一介の使い魔に過ぎん」
確かにその問題があるか、と今度はレイナールが考え込んだ。
自分を含め、貴族というものは総じてプライドが高い。それが良い方向に作用すれば問題ないのだが、得てしてマイナス面に向かいやすくなるのが人の常である。
クロコダインがコーチ役を務める事に不満を感じる輩は絶対にいるだろう。
「一回でも戦りあえば文句なんて出ねえだろ。そもそも文句を出すような奴が選択する授業かコレ」
と一刀両断するのはギムリであった。
メイジとしては珍しく体を鍛える事に喜びを見出すタイプの彼は、クロコダインの強さを一番素直に認めている少年でもある。
「そういう考えの連中ばかりだったら苦労はないさ……」
「そんなもんかね」
しかし、肩をすくめるレイナールの言葉にキムリはあっさり納得した。
彼としては、自分よりも頭がいい奴がそう言うんだから、まあ間違いはないだろうと思っているだけなのだが。
「『来る者は拒まず、去る者は追わず』、でいいんじゃない?」
気楽な口調でそんなことを言うのはキュルケである。
実際問題、女性であり、かつゲルマリアからの留学生という立場である彼女がこの選択授業に参加できる訳もない、一歩引いたところからの意見になるのは当然だった。
「示しがつかない気もするけど、まあ、そうするしかないか……」
最初は体験授業とでもしておいて、適正を見ながら随時こちらで判断すればいいだろう。
「そういえばギーシュ、おそらく君がこの授業の生徒代表みたいな立ち位置になるからそこのところよろしく」
ふと思い出した様に告げるレイナールの言葉に一同は顔を見合わせ、次の瞬間1人を除いて全員疑問の声を上げた。
「なんでギーシュ!?」
声を上げなかった唯一の人間、すなわち『青銅』のギーシュは気障な仕草で髪をかきあげながら、フ、と気障な笑みを浮かべる。
「優秀なメイジは優秀なメイジを見抜く、という事さ。学院長やラインメイジたるレイナールがこの僕に秘められたる真の才能を」
「男面子の中では一番実家の爵位が高いからね」
あっさり口調で理由を述べる眼鏡を、伯爵家四男は膝から崩れ落ちた状態で睨みつけた。ついでに言うなら半泣きであった。
「き、君は上げてから落とすのがそんなに好きかね!?」
「勝手に舞い上がった癖に」
「お前の二つ名、今度から『勘違い』な」
「え、『早とちり』の方がよくないかしら」
「というか馬鹿よね」
「……おなかすいた」
「ねえ、僕を可憐に踏んでくれるメロンちゃんな美少女ってどこにいれば降ってくるのかなあ」
このメンバーで授業を主導するのは至難の業ではないかとレイナールは思わざるをえない。
「まあ爵位は高いし武門の出だから、ギーシュが表に出る立場なのは判るけど、ここは話を振られた貴方が取り仕切ってもいいんじゃない?」
と真面目な顔で言うのはルイズである。
「正直柄じゃないよ。と言うか、ただでさえクラス代表みたいな扱いになっているんだ。男子寮では監督生を押し付けられそうな雰囲気だし、これ以上何か抱えたらパンクする」
とレイナールは肩を竦めた。
「本音は?」
「裏で色々画策するのがいいんじゃないか。何かあっても責任を取るのは代表者だしね」
半目のギムリの質問に笑顔で黒い返答をする眼鏡である。
「うっわ、完全に操り人形扱いだぞギーシュが」
「貴方の二つ名、明日から『黒幕』だから」
「え、『腹黒』の方がよくはないかね」
「というか頭が回るのもある意味問題よね」
「……人、それを『傀儡』という」
「ねえねえ、僕を手酷く罵ってくれるお姉さまはどうやったら召喚できると思う?」
レイナールは心外だという表情を隠そうともしなかった。
「随分酷い言われようだなあ……。自分の資質を客観的に判断した上で、参謀役がいいと言ってるだけなのに。大体上に責任を取らせる様なヘマをする気はないよ」
それもそうか、と一同は納得した。
「まあ上に立つ人間が気に食わなかったり、ちょっとムシャクシャした時には責任を取らせる程度の失敗を演出するけどさ」
「やっぱ黒いよお前!」
一同の突っ込みをレイナールはしれっと回避する。
なお、ここまでボケ発言を繰り返してきたにも関わらず総スルーされてきたぽっちゃり系変態紳士は、放置プレイも癖になるなあなどと1人ハァハァしていた。
この時、ルイズたちはまだこれまで通りの日常を謳歌していた。
隣国では王党派が敗北し、戦争が近いのではないかという空気を少しずつ感じながらも、卒業までこんな馬鹿話を続けていくのだろうと、そう思っていたのである。
そんな彼女たちが『現実』を知るのは、翌日の事だった。
長く高等法院の長を務め、トリステインでも有数の大貴族であるリッシュモン、若くして魔法衛士隊の隊長となったワルド子爵を始めとした有力な貴族たちが次々と捕らえられたのである。
贈賄、他国への機密漏洩、外患誘致等の証拠を突きつけられた彼らは、弁明する猶予など全く与えられずチェルノボーグの監獄へと移送された。
後世、『枢機卿の粛正劇』として歴史書に記される事件の、これが始まりである。
そして、貴族の子弟が集うトリステイン魔法学院にも、当然その余波は襲いかかるのだった。
最終更新:2011年11月11日 23:42