ルイズは身を震わせていた。
召喚に成功したことはとても嬉しい。相手が強そうなのも実に喜ばしい。
問題は、相手がルイズを主と認めていないことだった。それどころかルイズを見る目つきは下僕に対するもの――否、視界に入ってすらいないかもしれない。
バーンはコルベールにいくつか質問している。年長者かつ統率者の彼に情報を求めるのは当然と言えたが、それもルイズには面白くない。
バーンは驚くほどあっさりと現実を受け入れていた。ここが地上ではなく別の世界であり、魔法を教える学院であること。彼は儀式によって呼び出され――その影響で言語を理解できるのだろう――この場に現れたこと。
コルベールには目の前の男の強さが理解できた。この場の全員の力を足しても到底届かないことも。言葉に気を配りつつ説明するが、暴れ出す様子は無いためほっと胸をなでおろした。
いくら大魔王と言えども狂った破壊神でもなければ血に飢えた殺人鬼でもない。目的のためならば冷酷になるが、見境なしに暴れまわるような真似はしない。
バーンは未知の世界に興味を覚えていた。新たな力や知識は魅力的だ。何より彼は優秀な人材を欲していた。最大の目的を遂げるためだけでなく、その後も見据えて。
帰る手段が無いことに関してはそこまで心配していない。計画の成就までには気の遠くなるような年月が必要となるため少々戻るのが遅くなってもそう変わらない。
だが、もちろん引っかかることはある。
「余が使い魔となるのか?」
視線の先にはぷるぷる震えているルイズ。この機会に失った主導権を取り戻そうと――そもそも最初から彼女には存在していないが――ビシッと指差す。
「そ、そうよ。私が呼び出したんだから」
コルベールは真っ青になった。胃が引き絞られるように痛むがぐっとこらえる。
予想に反してバーンは怒ってはいないようだ。面白いというように唇をゆがめている。
「……従っても良いぞ」
顔を輝かせたルイズは心の中で勢いよくガッツポーズを決めた。
いくら偉そうなオーラを漂わせていても、大魔王と名乗っていても、客としてこちらの流儀を尊重するつもりのようだ――甘い幻想は続く言葉で木っ端微塵に粉砕された。
「余を力で屈服させることができれば、の話だが」
天地が逆転してもありえないと確信しているからこその発言だ。どうせ恐ろしくて何も行動しないに決まっている、と言いたげな口調にルイズの中で何かが弾けた。
今までの屈辱を晴らせるという歓喜、その期待が裏切られた反動による深い深い衝撃と失望、目の前の男の重圧と、それに怯えている己への怒りと悔しさ。それらがバーンの発言によって一気に爆発し、感情の波が押し寄せ、あふれた。
――後に目撃者はまるで武人の魂が乗り移ったようだったと語る。
「私をなめるなァッ! 大魔王ォッ!」
爆弾が仕込まれた相手に剣で思い切り攻撃するような危険極まりない行為に、その場の全員が鼻水を垂らしつつ呻いた。周囲の者が石化するなかルイズの声が響き渡る。
「この私ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは誇り高き貴族! その目的はゼロのルイズの汚名返上だけよっ! 目的のために死を恐れる気持ちなど私の心には一片もないわっ! ……バーン! 屈するのはあんたの方よ!」
言った。言ってやった。
たとえ超全力チョップが叩き込まれようと、超高速ビンタが炸裂しようと、爪ほどの大きさでありながら巨大な火柱を立ち上らせる火球が飛んでこようと、一矢報いることができた。
誇りを踏みにじられた怒りに一度はあなたと呼んだことも忘れ、あんた呼ばわりしてしまった。
痛いほどの沈黙の中、紡がれたのは謝罪の言葉だった。
「済まなかったな」
ルイズが目を見開く。この私は天下の大魔王を言い負かした世界最強の女の子よ、と言いたげに。
だが、バーンはどこまでも涼しい顔をしている。
「少々考え事をしていたものでな……もう一度言ってくれないか?」
さすが大魔王、どこまでもマイペースである。
「この――!」
脳の血管が切れそうなルイズが杖を構えようとするのを周囲が必死に止める。
ここで暴れさせたら確実に全員が怪我する。ルイズの爆発によるものが半分、バーンの反撃によるものが半分。後者だと怪我どころか命を落とす可能性が高い。
ようやく我に返ったルイズは唇を噛みしめた。このままでは終われない。
「私と勝負なさい」
「ほう……」
「これから私が一回だけ、杖なしで攻撃するわ。お強い大魔王様なら脆弱な私の腕や足が当たったところで痛くもかゆくもないでしょう? だから防ぎもかわしもしないで受けなさい」
その後はどうなるのか。
「何も起こらなければ……そうね、同じ攻撃で反撃なさい」
どうやら状況が変わらなければ彼女の負けということらしい。条件が曖昧だが今の彼女に論理的な解答を求めても無駄だろう。
バーンは手を垂らし、唇を吊り上げた。
「よかろう。受けて立ってやる」
単に挑発に乗ったのではなくルイズの意思を見極めようとしている。逆上して頭に血が上っているだけなのか、状況を切り拓く策があるのか、何らかの意図があるのか。
ルイズが杖を捨て、疾走した。バーンの頭部に手を伸ばす。
「この一瞬に、私のすべてをこめてぇぇっ!」
(目を潰す気か?)
流石に目は鍛えようがないため効率よくダメージを与えるのに適しているが、まさか実戦経験のなさそうな少女にそんな覚悟があるとは思っていなかった。反射的に振り払おうと手を動かしかけ、踏み止まる。
押し付けられたルールでも、受け入れた以上、ひ弱な人間の少女一人を相手に前言を翻す真似はできない。
だが、彼の予想は外れた。ルイズの手が頭を抱くように動く。両者の顔が接近し、唇が触れた。バーンは訝しげに目を細め、ルイズは興奮に顔を赤くした。
「こ、これで成功よ!」
バーンが目でコルベールに説明を促した。口づけによって契約が完了することを知り彼女の意図を理解する。
彼女が今できることはゼロから一歩でも進むこと。
(踏み出すための挑戦、か)
バーンが勝負にのらず反撃する可能性もあった。当然迷いや恐怖があったはずだが気迫によって一撃を受けさせ、結果を出した。
それは彼女自身の力。追い詰められて絞り出した一時的なものであっても、覚悟に嘘はない。
誇りにかけて、理不尽な状況を受け入れるのをよしとせず、力を手に入れはねかえそうとしている。
バーンの視線が空の彼方へと動くが、その時左手に熱が集った。全身に焼かれるような痛みが走る。
動揺を表に出さずわずかに顔をしかめただけだったがコルベールは気づいたらしい。気の毒なくらい顔を白くしつつ使い魔のルーンが刻みこまれたことを説明する。
一瞬眼光が鋭くなったが、コルベールが必死で客人として丁重にもてなすことを力説した。使い魔扱いなどしようものなら高笑いと共に学院が破壊されそうだ。しかも素手で。
ルイズの覇気――果たして本当にそう言えるかは甚だ疑問だが――を好ましく思ったこともあり、情報収集と人材探しのため大魔王は客として学院に滞在することを決めたのだった。
最終更新:2008年06月26日 23:39