ゼロの影-01

第一章 光と影
第一話 ルイズと影

 一人の少女が杖を握りしめ、己の前に立ち上る煙を食い入るように見つめている。それを取り囲む者達はからかいと好奇心を混ぜた表情だ。
「まーた失敗か?」
「う、うるさいわね!」
 彼女の名はルイズ。
 トリステイン魔法学院にて日々勉学に励む将来有望な魔法使い――のはずだが、フライやレビテーションなど基本的なものすら使えず、生み出すのは爆発だけである。
 当然他の生徒からは馬鹿にされ、ゼロのルイズと呼ばれている。
 今日は使い魔を召喚する儀式が行われているが、成功を確信している者は一人もいない有様だった。
(お願い、お願いだから……!)
 祈りが届いたのか、煙が晴れると一人の若者が倒れ伏していた。白銀の髪は長く伸び、青白い衣とも相まって神秘的な煌きを放っている。
「何だよ、人間の――平民じゃないよな?」
 髪の下の耳はわずかに尖り、エルフに似ているのだがそれに気づく者はまだいない。
「神官か、貴族か……。さすがルイズ、俺たちにできないことを平然とやってのけるっ!」
 単純な感嘆ではなく斜め上の意味が含まれていたが、彼女はふふんと鼻を鳴らし、それはもう偉そうにふんぞり返った。
 もし彼が高貴な身分の者ならば、それを呼び出した自分の境遇は完全に変わる。今までの屈辱的な立場から逆に彼らを見下すことさえ可能になる。
 彼らの傍らには幻想的という言葉が相応しい獣たちの姿があったが、それらに遜色ない異質な空気をまとっている。
 凝視に応えるように若者の指が動き、ゆっくりと身を起こした。顔が露になり見た者が唾を呑む。整った相貌は冬の月を思わせた。目は閉ざされ、額には装飾品を連想させる黒い影が集っている。
 唇からかすれた響きが漏れた。
「お許し下さい……バーン様」
(バーン様? 誰かしら)
 今はとにかくコントラクト・サーヴァントを行うべきだ。歩み寄るルイズに青年は身構えようとした。
 しかし、未熟な傀儡師が人形を操ったかのように動きがぎこちない。立ち上がりかけたところでルイズの唇が触れた。
 若者は目の前の状況を理解しようと頭を働かせていた。
 いつものように玉座の間に控えていたところ突然光り輝く鏡が出現し、主を庇おうとした際に腕が触れてしまった彼を吸いこんだのだ。
 奇妙な感覚に襲われ、枷が幾つもつけられたかのように彼の体が重くなり――見知らぬ場所に放り出され、少女が歩み寄って来た時も思うように体を動かせなかった。
 そのため反応が遅れ口づけを交わすこととなってしまった。
(バーン様、申し訳ありません)
 真っ先に思い浮かんだのは主への謝罪の言葉。
 大切な主の体に、それも唇に触れられるとは――考えられぬ失態に身を震わせる。
 次に湧き上がるのは、怒り。
「よくも……許さぬ!」
 端正な面からは想像できない激しい語調にルイズは思わず気圧され、一歩下がる。足を踏み出しかけた彼の体が揺れた。
「ぐああああっ!」
 膝をつき、己が体を抱きしめ苦痛の叫びを上げる。
 彼は弱点の光の闘気による攻撃以外痛みを感じぬはず。だが炎に焼かれるような苦痛が全身を責め苛んでいく。
 その左手に不可思議な紋様が浮かび上がり、光が収まると彼は先ほどよりも怒りを燃え立たせながら立ち上がった。
 突然主から引き離され、唇を奪われ、手に妙なものを刻みこまれた。
 一連の異常な状況に疑問を抱くより先に罪人を裁こうとする。相手がか弱い少女であろうと容赦するはずもない。
 だが、脱力感は残っている。
 ふと口元に手を当てると指先に血が付着している。先ほど叫びを噛み殺そうとした際に唇を切ってしまったらしい。
(馬鹿な……封印と秘法が解けている!?)
 彼はある秘法をかけられ、いかなる攻撃も受け付けない体だった。さらに、強大な力を主から封じられていたはず。
 どうやらこの場に呼び出された際に両方とも解けてしまったらしい。
 しかも力は解放されるどころか逆に弱まっているようだ。
 少女に罰を下そうと指先を向けたが、鋼鉄の爪は伸びず漆黒の糸も出ない。彼そのものである暗黒闘気の力が使えない。
 どの程度かは実際に戦ってみないとわからないが、力の低下は想像以上に深刻なようだ。
 怒りが衝撃によって無理矢理冷まされ、ようやく己の置かれた状況に目を向ける気になった。先ほどからずっと主に呼びかけているが返事はない。
 つまりここは――主の声が届かぬ、遥か遠い世界。
 虚勢を張っているものの怯えを隠せない少女へ、感情を押し殺しながら言葉を吐き出す。
「早く私を戻せ」
「無理よ」
 間を置かぬ答えに空気が不穏なものをはらむ。彼の全身から殺気が噴き出した。張りつめた糸を緩めようと教師のコルベールがルイズを庇うように進み出る。
「ミスタ、お怒りももっともですが一度契約した者を送り返すすべはないのです」
「契約だと? ……何を言っている? それにここはどこだ? 地上ではないようだが」
 コルベールは青年の威圧感に汗を噴きだしつつ説明した。ここがハルケギニアと呼ばれる世界であること、トリステイン魔法学院であること。使い魔を呼びだす儀式や契約について。
 沈黙をどう受け取ったかルイズは控えめに宣言した。
「つまり、わたしがあんたのご主人様ってことよ」
 当初の予定ではもっと威厳たっぷりに言い放って従えるつもりだったのだが、そんな態度をとるのは危険な気がした。
 彼女の言葉を聞いた瞬間、彼は激高した。
「笑わせるなっ! 小娘風情が主のような顔をするのは……身の程を知らぬにも限度がある!」
 小娘呼ばわりされてルイズも負けじと声を張り上げようとしたが、続く言葉に動きを止めた。
「私は……あの御方をお守りせねばならないのに……!」
 怒りだけではなく深い悲しみと悔しさ、絶望に染まった声。
 ルイズは何も言えなかった。もし自分が突然未知の場所に呼び出され、元の世界の者達と引き離されて二度と会えないと告げられたらどんな気持ちになるだろう。
「我々も帰る方法を探します。ですからしばらくは――」
「ここに滞在するしかない……ということか」
 どこまでも虚ろな声が響く。
 手がかりになりそうなのはこの魔法学院と呼びだした存在であるルイズのみ。
 今の段階では彼らと戦おうとここから出ていこうと戻る方法は見つかりそうにない。それに、秘法が解けている今食事や休息が必要となる。
 彼とて血に飢えた殺人鬼や破壊衝動の塊というわけではない。主の敵には容赦しないが理性はあり、ここで暴れるのは損だと囁いている。
「ええ。できれば彼女の力になってほしいのです」
 ゼロのルイズと呼ばれている少女の初めての成功だ。誇り高い彼女がどれほど傷つき苦しんでいるか知っているだけに周囲の者と本人に認めさせてやりたかった。
「……私は戦いしか知らぬ」
 ルイズは青年の迫力に震えていたが、ぐっと拳を握り締め真剣に考え込んだ。
「平民だったら掃除洗濯その他を任せるところだけど、多分向いてないわよね」
 不気味な沈黙とともに頷く。
「ところであんた、何者なの? 貴族? 魔法は使えるの」
「貴族……? 魔法は使えん」
 大魔王の分身体を預かっているものの、魔力は最低限しか備わっていない。飛翔呪文や瞬間移動呪文を唱える程度だ。
 一応試してみたのだが、何も起こらない。どうやらハルケギニアでは元の世界の魔法は使えないようだ。
 答えを聞いてルイズが肩を落とす。“高貴な身分の青年は魔法の天才で召喚した自分も偉くて魔法の才能を持つ”という幻想が打ち砕かれたのだ。
「じゃあ、雑用はしなくていいから戦ってちょうだい。わたしの使い魔として――」
「……ならば証明してみせろ。仕えるに値する主人だとな」
 使い魔と言われ誇り高い彼が大人しく従うはずもない。先ほど下した結論はあっさり翻され、理性はすぐ殺意に塗り替えられた。
 生徒たちが恐怖に凍りついていく。
 うっかり口を滑らせたルイズは慌てて手で口を押さえたが、後の祭りだ。
「私に一撃でも食らわせることができたら、少しは認めてやってもいいが……触れることすらできまい」
 虫けらごときには不可能だと表情に書いてある。挑発された悔しさに杖を向けるが、使える魔法などひとつもない。
 ゼロのルイズと呼ばれ散々馬鹿にされてきた自分が、これほどの殺気を放つ相手に抵抗して何の意味があるだろう。
 今までの蔑視や侮辱の言葉に呪縛され、動けない。焦れば焦るほど“ゼロ”という言葉が脳内を飛び回り、怯えに変わって意識を塗りつぶしていく。
 このままでは殺されてしまう――唇をかみ締める彼女の前に立ったのは、クラスメートの一人――ギーシュという名の少年だった。



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最終更新:2008年07月16日 17:09
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