虚無と獣王-09

9 虚無と微熱


ジャン・コルベールが学院長室のドアをノックすると、聞こえてきたのは入室の許可ではなく連続的な打撃音と不連続の苦鳴であった。
またか、と溜息をつき、許可のないままドアを開けると、中には部屋の中心で何かを引っ掴み、肩で息をしている二十代前半と思しき女が立っている。
「失礼します。オールド・オスマンは見えられますかな、ミス・ロングビル?」
「オールド・オスマンは不在です。年甲斐も節操もない妖怪セクハラジジイならここにいますが」
「おお、それは妖怪だったのですか。てっきりボロクズだとばかり思ってましたよ、はっはっは」
「ええ、新種の妖怪ですので王立魔法研究機関に知らせなくては……報奨金くらい出るかしら?」
「……お主ら、雇い主とか老人とかに対する敬意は……?」
ロングビルに掴まれている妖怪が何やら非難の声を上げたので、2人は思った事をそのまま口にした。
「おお!この妖怪は喋る事ができるのですな!大発見なのでどうでしょう、バッサリ解剖などしてみては!」
「それはとても良い考えですわ!そうすれば動かなくなったり喋らなくなったりしますし丁度いいですね!」
「マテマテマテマテ!お主らマジで言っとらんか!? 儂じゃ!オスマンじゃー!!」
二呼吸ほど間を置いて、2人は不思議そうに言った。
「ええ、知ってますが、それが何か?」
オスマンは床に体育座りで丸を描き始めた。
「なんじゃいなんじゃい、尻をさする位、秘書への可愛いコミュニケーションみたいなもんじゃないか、それを全く暴力での返事など老人に」
「ミス・ロングビル、打撃は体の正中線上に入れるとより効果的ですぞ」
「成程、参考になります。こうでしょうか?」
「ぐはぁっ!!」
鈍い打撃音の後、何故か床に寝転がっている上司にコルベールは声を掛けた。
「そんな所に転がっていると風邪をひきますぞ、オールド・オスマン。あと報告したい事があるので起き上がって貰えませんかな」
「そ、そうじゃな………」
流石に生命の危険を感じたのか、素直にオスマンは机に向かった。引き出しに常備してある水の秘薬を一気飲みする姿は、学院長という要職に就いているとは思わせないものである。
「で、要件は何かね?儂も忙しいんじゃ、端的に頼むぞ」
「先刻のアルヴィーズの食堂での騒動についてです。生徒たちへの罰として何を与えるべきか、教師たちの間で意見が分かれております」
何だそんな事か、と言わんばかりのオスマンに、コルベールは言葉を重ねる。
「大した事はないのだからお咎め無しで良いのではという者から、停学並びに保護者呼び出しの上厳重注意という者まで意見はバラバラ、まさに会議は踊ると言ったところでして」
このままでは纏まらないが、何時までも生徒たちに食堂の掃除をさせておく訳にもいかないので学院長の考えを聞きにきたという。
オールド・オスマンは鼻をほじりながら言った。
「お主はどう思っとるんじゃ?コッパゲール君」
「コルベールです!……数日間の自室謹慎と主要教科のレポート提出、ですか。保護者への連絡は不要でしょう、『今回は』という但し書きがつきますが」
「んー、まあそれでいいじゃろ。生徒たちにはお主から伝えておくように。で、話はそれだけかの?」
「実はもう一つあります───どちらかといえば、本題はこちらです」
そう言ってコルベールは懐から一枚のスケッチと一冊の本を取り出した。
「なんじゃ、『始祖ブリミルの使い魔たち』? 随分古臭い本を持ち出してきたもんじゃが、これがどうした?」
「こちらは先日の召喚の儀で呼び出されたある使い魔に記されたルーンをスケッチしたものです。それを踏まえた上で、このページをご覧下さい」
「─────!ミス・ロングビル。少し席を外してくれ」
これまでの言動からは想像もつかない、鷹の様な眼をしたオールド・オスマンに一礼し、ロングビルは退室しようとして、
「ちゅう」
足下に、より正確に言うならばスカートの中を覗ける位置にいるネズミ、すなわちオールド・オスマンの使い魔にしてもう一つの目を発見した。
「ミス・ロングビル、打撃の際は足を肩幅に開いて立ち、手は上にあげてから顔の少し下に、体を45度開いて腰を回し、真っ直ぐ打ち込むとより効果的ですぞ」
「成程、参考になります。こうでしょうか?」
「ごふぅっ!?」
粋な打撃が粋な急所に入り、粋な悲鳴を上げながら老人が粋な勢いで倒れこむのを見届けた後、粋な笑顔を残してロングビルが部屋から出ていく。
一応念の為に静寂の魔法をかけてから、コルベールは床に倒れこんでいる上司に詳しい説明を始めるのだった。
結局ルイズたちに言い渡されたペナルティは以下のものであった。

  • 三日間の自室謹慎
  • 四系統魔法それぞれの基礎と応用に関するレポート提出
  • 中世~近代トリステイン史の中から印象に残る人物を挙げ、その業績を纏める

露骨にゲンナリとした表情を見せる生徒が多い中、ルイズは処分が軽くすんで良かったと胸を撫で下ろす。
もし保護者呼び出しの措置でも喰らって家族が学院に来襲してきた日には、色々な事を覚悟しなければならないのだ。
因みに母親が呼び出された場合、覚悟の内容は己の死という事になる。
レポート提出が苦にならないと言えば嘘になるが、カッター・トルネードの直撃よりは遥かにましと言えよう。
実を言えば、意外な事に今回の騒動で一番反省しているのは、ギーシュでもギムリでもなくルイズであった。
使い魔に相応しい主になる、と誓った舌の根も乾かぬうちに今回の騒動と相成ったのは、クールダウンしたルイズを落ち込ませるのに充分な出来事だったのだ。
確かに最初に挑発してきたのはキュルケの方だが、その挑発に乗ってノリノリで騒ぎを拡大させてしまったのは自分である。
幸いクロコダインは「二度とはするな」の一言で許してくれたのだが、逆に言えば「二度目は許さん」という事でもあるとルイズは解釈した。
そもそもすぐにカッとなるのは、自分の中にある『理想的な貴族像』からかなりかけ離れていると言わざるを得ない。
そうだ、貴族たる者として、常に冷静である事を心掛けよう。ビー・クール、be cool。短気カッコワルイ。
そうルイズは心に誓い、同時にクロコダインを召喚してから誓い事が増えたなあと思うのだった。

一方、図書室では罰を喰らった男子生徒たちによる反省会兼レポート作成講座が開かれていた。自室謹慎? なにそれ美味しいモノ?
「いや、参った。本当に参ったよ僕ぁ。土下座しているのに全力ビンタだよ? 一瞬意識が飛んだよ、死んだ曾お祖父さまが川の向こうで手を振ってるんだ。あ、まだ振ってる」
両頬に赤い紅葉を張り付け、机に突っ伏しているのはギーシュ・ド・グラモンである。
「いいなぁ……バリアーもいいけど、僕もビンタ喰らいたいなあ……あぁ……ああ……!」
ギーシュの正面に座り、小太りの体をクネクネさせながらマリコルヌが顔を上気させた。
「オラそこぉ!ブツブツ言ってねぇでレポートの資料探せよな!こーいうの苦手なんだよ!」
レビテーションを使っての高い本棚の資料探しに苦心しつつ、鬱から復帰した肉体派のギムリが声を荒げる。
「ギムリ、そこは娯楽小説の棚だからレポートの資料はないと思うぞ? あと他二名は早急な現実復帰を勧告する」
ギムリにどうか一つと拝まれ、条件付きで手伝う事にしたレイナールが眼鏡の位置を直しながら言った。
「ああすまない、レイナール君。つい彼岸までイッてしまったようだよ」
「ええと、マリコルヌ、だっけか? ぶっちゃけイッたまま帰ってこなくてもよかったんだけどな」
レイナールではなくギムリが嫌そうな顔でぶっちゃけすぎな感想を漏らす。台詞を取られた形のレイナールだったが、感想についての否定はしなかった。

「……しかしなんだな、なんだって君はここにいるんだね? 確かあの騒ぎには参加していなかっただろうに」
マリコルヌにやや遅れて現実世界に帰還したギーシュが、レイナールに疑問を呈した。
ギーシュとマリコルヌは同じクラスだったので互いの性分などは判っていたが、ギムリとレイナールに関して大した情報は知らない。相手の名前と属性程度の知識しかないのだ。
そんな4人がなぜ同じ机に座っているのかと言うと、周囲の目につかない場所にある机が1つしかなかったからである。
サイテー二股男と定冠詞付きのThe・真性、ピザ投げ鬱男に対する世間の眼は想像以上にイタイと、彼らは食堂掃除中に身をもって知った。
さておき、尋ねられたレイナールは肩をすくめて答える。
「手伝ってくれと頼まれたからね。まあギムリ一人じゃ3ヶ月あってもレポート提出は無理だから、後でぼくの実技演習に協力してもらう条件で手を打った」
「実技演習? 何の事だい?」
「ああ、こいつ『ブレイド』使いなんだけど、練習相手があまりいないんだよ」
机の上に山の如く積み上げられた資料を前にうんざりとした表情を浮かべたギムリの言葉に、ギーシュは感心したように言った。
「成程、確かにそうだろうね」
『ブレイド』とは杖に魔力を絡めつかせて刃と為す近接戦闘用の魔法であるが、その効力を生かすには剣の心得が必要であり、魔法学院では扱う者が少ない魔法でもあった。
極端な話だが、戦場において近接格闘を担当するのは主に平民であり、遠距離、つまるところ砲台としての役割を担うのがメイジである。
故に『ブレイド』等の近接攻撃魔法を使うのは魔法衛士隊や聖堂騎士といったエリートに限られる傾向があった。
「嫌なんだよなぁ。手加減しないし、常にこっちの行動を予測したような攻撃してくるし」
「おいおい、手加減はしてるし相手の行動予測なんて戦術の初歩だろ? さあ、雑談はこれ位にしておこう。ギムリ、トリステイン史のレポートに誰を挙げる事にしたんだ」
「……まず中世から近代が具体的にどの時代を指してるのかを教えてくれ」
「そこからか!いや、いい。ぼくが適当にピックアップする。『魅了王』アンリ三世なんかどうだ? 水精霊騎士隊の解散にも絡め易いし」
テキパキと指導を始めるレイナールと全く進んでいない自分のレポートを交互に見て、ギーシュは1つ提案する事にした。
「なあ、レイナール君。ぼくも後で実技演習に参加するから、こちらのレポートも手伝ってはくれないか?」
「……手伝いに関しては1人が2人になってもさほど変わらないからいいが、君は『ブレイド』を使えるのか?失礼だがそんなタイプには見えないけど」
「外見から人を判断するのは愚かな事だよ、というか君だって『ブレイド』の使い手には見えないぞ。
まあ確かにぼくは『ブレイド』を得手とはしないが、近接格闘に関して有効な魔法を得意としているんでね」
どこからか薔薇の造花を取り出して格好つけるギーシュだったが、観客は3名の男性なので全く意味がない。
因みにギムリは資料を何ページか捲っただけで眠りの園に誘われそうになっており、マリコルヌに至っては実技演習という言葉に何故かスイッチが入ったらしくハァハァ言いながら妄想の海にダイヴしている。
この国の将来に漠然とした不安を感じつつ、レイナールは取り敢えず歴史上の有名人を頭の中でピックアップする事にしたのだった。

「ハァーイ、ルイズ。レポートは進んでるー?」
教師からの言いつけを律儀に守り、一歩も部屋から出ずにレポート作成に勤しむルイズの前に現れたのは隣室の住人にして先祖代々の仇敵、キュルケである。
自室謹慎何するものぞとばかりに食堂で夕食を平らげ、使い魔と共にアンロックの魔法で強引に鍵を開けて乱入した彼女にルイズはチラリと眼をやって言った。
「そういう貴女は進んでなさそうね、キュルケ」
素っ気ない返事にキュルケはおや、といった顔をした。いつもならここで食ってかかるルイズが思いの外冷静だったからだ。
これは一体どうした事だ。ムキになって反論してこそルイズ、冷静に反応するなど今は外出中のタバサだけで充分よ。とキュルケは勝手な事を思い、彼女が冷静さを保つ原因に想いを馳せた。
座学の秀才であるルイズがレポート如きに詰まる筈はないだろう。故に勉強疲れでツッコむ元気がない説は消えた。
机の隅に食器がある事から食事もどうやら部屋で摂ったようだ。故に空腹でツッコむ元気がない説は消えた。
では、残る可能性は1つ。
キュルケは再びレポートに戻ろうとするルイズの背に向けて言い放った。
「病気ね?」
「何いきなりエクストリームな事を言い出してんのよ!」
「なんだ違うのか。ざんねーん」
よしこれでこそヴァリエール、と心の中で思いつつ表情には出さないのがキュルケの流儀である。
「ま、元気そうで何よりという事よ。という訳であなたのレポートを参考にさせてくれなさい」
「ツッコミ放題のボケ発言をどうもありがとうツェルプストー。帰れ。部屋ではなく国へ」
「知識という物は広めてこそ価値があるのよ。栄養が頭にだけいって胸に行かない誰かには判らないかしら?」
「他人に教えられただけでは知識は身につかないわ。栄養が胸にしか行かなかった誰かには判らないわよね?」
ウフフフフフ、と笑いながら火花を散らしあう2人であったが、やがて溜息と同時に目を逸らしあった。不毛な会話に疲れたからである。
なにやってんのかしらと首を振り、課題に取り組もうとして、ふいにルイズは部屋の片隅にいるサラマンダーに気がついた。
「ねえ、それがあんたの使い魔?」
「ええ、フレイムっていうの。見て見て、この尻尾の大きさからして間違いなく火竜山脈出身だと思うのよ」
どうだ凄いでしょー、と言わんばかりのキュルケであったが、「へー、凄いわねー」というルイズの返事に拍子ぬけした様だ。
「なによ詰まんないわね。もっといつもみたいに「ムキー!」とか言って怒んないの?」
「怒った結果が今の謹慎と課題漬けでしょうが……。レポートならいつも一緒にいるあの小さい子に頼めば?」
「タバサ? それがあの子今出かけてるのよ、急用とか言って」
何時になく普通に進むキュルケとの会話の裏には、常に冷静足らんとするルイズの努力があった、というと大袈裟だろうか。
だが、冷静である事を努めた結果、ルイズはある事に気がついていた。
キュルケが絡んでくるのは何時も自分が何か失敗して落ち込んだりしていた時だったと。彼女との衝突が負けん気を生み、結果として自分は救われていたと。
(ああ、わたしはこれまで本当に余裕がなかったのね)
そう思ったルイズはキュルケに何か言おうとしたが、直ぐに中止した。
キュルケが本当に自分を励ますつもりで話しかけていたのか判らないし、今更そんな事を言った処で当のキュルケには笑われる気がした。
なにより真顔で礼を言うなど、余りに恥ずかしすぎるというものだ。
「ねー、いーじゃん見せなさいよー、減るもんじゃあるまいしー」
そんな思いを知ってか知らずかまだレポートに未練を見せるキュルケに、ルイズは仕方ないという顔を作って言う。
「あーもー煩いわね~、提出期限の前にタバサが帰ってこなかったら、か、考えてもいいけどっ」
慣れない演技についドモってしまうルイズに、キュルケは真顔で彼女のおでこに手を当てた。
「ちょっと本当に大丈夫? 熱でもあるんじゃないでしょうね」
あまりに真剣なその表情に、ルイズは笑いをこらえるのに苦労した。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2008年07月24日 14:00
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。