医死仮面SS(第一回戦)

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第一回戦第五試合 医死仮面

名前 魔人能力
医死仮面 サナティック・アスクレピオス
一∞ 眼鏡の王(Lord Of Glasses)
櫛故救世 鈴具輪久

採用する幕間SS
なし

試合内容

                    “TRAIN‐BRAIN”


「ただいまより1回戦第5試合を開催いたします。試合会場の特急列車は世界一と名高い豪華列車・ロリエントエクスプレスを再現しております。本来行き先の無いこの列車ですが、冥府行に変更されないよう、各々方のご健闘をお祈りしております。」

斉藤窒素の美声は3選手の聴覚野に直接試合開始をアナウンスした。各選手のスタート地点は先頭車両、中央車両、最後尾車両のどれかにランダムで設定されている。横に狭く縦に長いこのステージは当然挟み撃ちを喰らう可能性のある中央車両が最も不利と言えるが、そもそも能力による有利不利の差が激しい魔人同士を戦わせるという時点で、全員に公平なセッティングは不可能と言っていい。不利なスタートとなった者は己の不運を嘆くしかない。

彼女の言葉通り、この特急列車は世界一の豪華列車、ロリエントエクスプレスの車両を模しており、その内装は非常に見事なモノだった。ロリータコンプレックスの魔人職人によって装飾の施されたこの列車で旅をした乗客は、必ず自身もロリコンに目覚めるという。

「これはいい…このコちょっと四ちゃんに似てる…」

先頭車両がスタート地点となった一∞は、天井に描かれた性の快楽を貪る幼女の絵をしばし見上げていた。幼い顔に浮かんだ淫靡な表情、触手に弄ばれる第二次性徴前の肢体を見ていると、なぜだか彼女の喘ぎ声、卑猥な水音、漂う淫臭までもが感じられ、∞の秘部もしっとりと湿り気を帯び始める。いつもは不敵な笑みを絶やさないその顔も家族が眼鏡をかけて快楽に喘ぐ様を思い浮かべ、だらしなくにやついていた。

「ん…!何をやっているんだ…ぼくは…!」

∞が我に返ったのはその数分後で、そのときには絨毯に愛液の世界地図が描かれていた。同じ列車内には自分を狙う敵が2人いるというのに、我を忘れて自慰に耽っていたのだ。痛恨の失敗、そもそも何故自分はまだ生きているのかと思った∞だが、すぐにその理由に思い至った。

「他の2人も同じってわけか…」


「戦場で何をしていたんだ私は…」

ちょうど同じ頃、中央の車両で医死仮面も股間のプロテクター内に精液をぶちまけ、賢者モードに突入していた。今までどんな色仕掛けをされてもピクリとも反応しなかった自分が幼女の像を見ただけで自慰に耽るなど信じられないという気持ちだった。そしてこの試合の模様は中継されているという。自分は仮面をつけた状態とは言え、自慰という最も秘すべき行いを全世界へ公開したことになる。一瞬意識が遠のきかけた。しかし、ロリエントエクスプレスの魔力に当てられて尚陰茎を露出しての自慰に走らなかったのは、彼の素顔を隠すことへの執念恐るべしと言うべきであろう。

「いやあ私…嘘…一人Hするとこ…みんなに見られちゃったの…?こいしちゃんのこと想像して…ヤダもう死にたい…。」

最後尾車両の櫛故救世もまた自身の痴戯の痕跡を拭き取りながらさめざめと泣いていた。

ロリエントエクスプレスは多くのミステリー作品の題材となっているが、そこに描かれる事件の九割は乗客の幼女へのレイプである。冥府魔道を征く3魔人でさえもその魔力には抗えぬのである。

「まっ…この数分は無かったのと一緒…仕切り直しだね…。」

「大会が終わればどうせ捨てる顔だ…いいさ…私の恥では無い。医死仮面の恥だ。」

「絶対他の2人ぶっ殺す!」

瞬時に切り替える2人と八つ当たり的に決意を固める1人。本当の戦いの幕開けであった。


この試合で最も有利と言えるのは当然一∞である。元々の戦闘力は高い上、彼女の能力を活かすにはこの横に狭く縦に長い会場はうってつけである。

「他の2人はまだ索敵範囲には入っていないか…」

眼鏡サーチで前方を確認しながら∞は慎重に歩を進める。慎重ではあるが、止まるという発想は無い。この試合会場自体「待ち」の戦法には不適だし、彼女自身制圧前進が好きだった。
今のところ人間らしき熱源は確認できない。ロリエントエクスプレスの全長は400m強、先頭車両に配置された∞と中央車両に配置された医死仮面のスタート時点の距離は直線で200m。環状の線路を走っていることを計算に入れても、彼を索敵範囲に収めるためには後数十m歩く必要があった。
彼女の眼鏡レーザーは最速の即死攻撃だが、無駄撃ちによるオーバーヒートの危険を考えれば流石にハッキリと認知できる距離に入らねば使えない。治癒能力者がいると聞いているが、装備まではどうかわからない。

「(先頭からこちらへ向かってくるのが1人…出来るな…。もう1人の敵は…。)」

中央車両にいた医死仮面は隣の食堂車に移っていた。「食欲と性欲は同時に湧かない」との配慮からなのか食堂車には幼女の装飾が無い。テーブルには誰が運んだのか温かい料理が並べられ、優雅なクラシックが流れている。
 床に聴診器を当て、車両の床を伝わる音に耳を澄ます。聴診器の性能と、魔人としての聴覚、医死としての集中力は走行音の中から他の車両の人間の足音すら聞き分けることを可能にしていた。
そして彼が捉えた足音はひとり分。先頭からこちらへ向かう足音、ゆっくりと歩いているが、その歩き方から何かしらの武術を極めた人間のモノであることがわかる。自身のそれとは別体系の技術だが、極めて洗練されたモノであることは、同じ達人として理解できた。しかし、違うのは暗殺者としての自身のそれのように、足音を隠そうという気はまるで感じ取れないことだ。
足音を感じ取れないもう1人。自身より後方にいるはずの敵はその場から一歩も動いていないのか、或いは自分と同じく、「暗殺者の歩法」を身につけているのか。
一∞と櫛故救世、どちらも属する組織から考えて相応の実力者なのだろうが、彼には歩き方だけでどちらがどちらか判断できるほど両者の情報は無かった。

「(どちらにしろ気にしている余裕はあまり無い。私は私の準備をするか。)」

そう言ってベルトのホルダーから別な道具を取り出す。その様も当然中継されているのだが、殆どの観戦者には、彼が何も持っていないように見えた。

「もうそろそろ敵に遭遇するころか…」

無音移動術で、櫛故救世は慎重に歩を進めていた。敵に遠くの車両の足音まで感知できるモノがいる、と想定しているわけでは無く、訓練の結果日常的な歩行もそのようになってしまっただけだ。
今のところ敵の気配は感じないが、いつ遭遇してもいいよう小太刀に手をかけておく。彼女の能力「鈴具輪久」は正直強いとは言えないが、かと言って「待ち」に適した能力でも無い。
中央車両にたどり着くが、そこにも敵はいない。幼女の装飾が目に入って、危うくまた股間に手を持っていきそうになった自分を戒めた。次の車両、食堂車の扉の前。扉に耳を当てて車内の音を聞き取ろうとするが、クラシック音楽が流れていてよくわからない。足音らしき振動が伝わるのは感じられなかった。
身を屈め、壁の陰に隠れてボタンを押すと幼女の『らめえっ』という喘ぎ声がして扉が開く。そっと中を覗き込むと、やはり敵はいない。が、

「これって…」


「2人とも…すぐ近くにいるね…1人はぼくと同じくらい…こっちが櫛故ちゃんって子かな…。もう1人が医死仮面くんか…眼鏡力は2人とも0かあ…つまんないなあ…。」

遅れて1分程後、∞も食堂車の手前に来ていた。敵の2人はとっくに索敵範囲に入っていて、櫛故救世は距離にして10m先、食堂車の真ん中辺りにいるようだ。そして、医死仮面は-車外にいた。

「(中ではそろそろ始まりそうだな…同士討ちになってくれるのが理想的だが…)」

医死仮面は食堂車の窓から脱出し、車体にへばりついていた。列車は時速150kmで走っており、当然車体にへばりつく彼はかなりの風圧にさらされているのだが、それで平然としているあたり流石は魔人である。窓から脱出する前に設置してきた小型の高感度で電子式の聴診器と内視鏡、早い話がマイクとカメラはそれぞれ車内の映像と音声を医死仮面の持つ受信機に送ってくれる。
戦闘破壊家族一家となんでも屋「封鈴花惨」、それぞれ業界では有名だが、その代表たる2名は如何なる戦いを見せてくれるのか。もちろん、医死仮面が聴診器と内視鏡を仕掛けたのは観戦などでは無く、その能力の把握のためであった。


「自分は車外にいて漁夫の利を狙おうってことかな…?あっちの子もあんなことしてるし…消極的だなあ…やっぱり戦いは攻めなきゃ楽しくないでしょ。」

「彼を仕留めるのは後にしようか」

眼鏡レーザーの出力を上げて撃てば車体を貫通し、医死仮面を殺すことも出来るだろう。しかし、車体を切断すれば脱線などの事態につながるやも知れない。眼鏡バリアーも横転する車内で身を守ることには役に立たない。
そして、救世がしている「あんなこと」というのは天井にへばりつくことであった。車両の天井はかなり高く、正面から入ってきただけでは隠れている救世の存在には気づかないであろう。動きづらい座席の陰よりも死角である頭上を狙える天井という隠れ場所は好手と言えるかも知れない。そして、自身の能力でチリンチリンと鈴の音の幻聴を聴かせ、隣の車両の敵を誘っている。
しかしそれも「眼鏡サーチ」の前には意味が無かった。∞の眼鏡には天井にヤモリのようにしがみつく彼女の熱をハッキリ捉えている。

「(来た…!)」

幼女の喘ぎ声は戦闘開始を告げる法螺貝の音色のように思われた。ドアの向こうから現れた眼鏡の王女様、一∞は恐怖を感じさせない悠々とした歩みで食堂車に入ってくる。
が、車両に入って1m程歩いたところで足を止めた。目の前に張られていた一条の死線に気づいたためだ。
 それは医死仮面が食堂車の窓から出る前に張り巡らしたモノ。よく目を凝らさなければ見えない細さだが、一本でトラックを安々と持ち上げる強度のこの縫合糸。そのまま気づかずに歩けば首が飛ぶとは言わずとも致命傷を負ったかも知れない。

おや危ない、と言った笑みを浮かべて、身を低くし、糸の下をくぐる。その先に張られていた数本の死線も同じようにかわし、歩いて行く。天井にへばりつく救世には全く気づく素振りも見せず。

「…!」

しかし、その様を天井から見ている救世はある「あり得なさ」に気づいていた。そして∞が救世の真下にまで来たその瞬間、救世は確信を持って天井から離れた。その右手は得物の小太刀を抜くことはなく、代わりに、落下しながら、天井に隠れる前にテーブルから拝借していたナイフを滑らかなモーションで、前方にいるだろう姿の見えない「本物」の一∞に向かって投げた。

「…!?」

救世の真下にいた∞は当然「眼鏡イリュージョン」による幻影である。救世が天井を離れた瞬間に「眼鏡イリュージョン」を消し去り、レーザーを照射して焼き殺す。そのはずだったが、予測しない反撃に虚を突かれた形となった。レーザーの発射を中止。

「眼鏡バ…近すぎる…!」

バリアーを展開して防ぐには、既に近すぎる距離までナイフの接近を許してしまっていた。

「くっ…!」

身を躱そうとするが避けきれず、ナイフは右肋骨の辺りに突き刺さった。頭部より的として大きい胴体を狙うのは射撃でも投擲でも定石である。肺に刺さりはしなかったが、肋骨を貫かれ、重傷には違いない。

「(バレてた…でも何故…?ああ、そういうわけか…)」

片膝を突き、視線が低くなってようやく気づき、自分の迂闊さに苦笑する。
首の高さに張られた糸はフェイクに過ぎず、本命の「死線」は足元に張られていたのだ。
(ちなみに実は料理には毒が混入してある。)そして「眼鏡イリュージョン」によってそのことを認識せずに生み出した幻影の自分はその死線を素通りしていた。だから救世に気づかれたのだ。幻影だと。

一∞は目がいい。眼鏡のおかげで。しかし、なまじ目が良かったせいか、パッと見だけで物事を見通したような気になっていた。

櫛故救世は目が特にいいわけでは無いが、壁に隠れ、視線を低くしたおかげで「死線」に気づくことができた。結果的にせよ救世は「よく見ていた」のかも知れない。

そして、「眼鏡イリュージョン」を使ったことはもう1つ彼女に不幸を招くことになるが、それは少しだけ後の話である。

「曇っていたのかも知れないな…ぼくの眼鏡は…。いや、ぼくの眼が…。」

自分の眼の曇を眼鏡のせいにするなど眼鏡っこにあってはならないと彼女は自分の弱さを恥じた。しかし、そのことで彼女の眼に曇は無くなったのである。

「今度は…確実に仕留める…!」


着地し、体勢を立て直した救世。こちらは無傷であちらは重傷だが、今のナイフ投げで仕留められなかったのは痛い。恐らく相手は幻覚以外に遠距離攻撃が可能であることはさっきの戦術でわかっている。対してこちらの得物は小太刀。たまたま自分の着地点に縫合糸が張られてはいないが、向こうに辿り突くまでには幾重もの死線を超えなくてはならない。最後の得物である小太刀をもう1人敵がいる状況で投げるのはリスキー過ぎる。

∞がレーザーを撃つために顔を上げるのと、櫛故救世が他のテーブルナイフに手を伸ばすのはほぼ同時であった。救世がナイフを投げようと投げるまいと、∞のレーザーは彼女を焼殺し、たとえナイフを投げられても予測済みの∞に当たることは無い。∞の勝利確定、のはずだった。
 が、レーザーが発射される前、ナイフが救世の手を離れる前に、突然車体は大きく揺れ、そして天地は大きく傾き、今度は共に不意を突かれた2人の体は車内ではあるが宙に放り出される形となった。
 特急列車は車外にいた医死仮面の手により、脱線・横転させられたのである。

「なんと試合会場の特急列車が脱線・横転しましたーッ!世界一の豪華列車(のレプリカ)が見るも無残な姿です。見た目には派手ですが、やっていることは卑劣です!医死仮面選手―ッ!!」

斉藤窒素の美声がそのように実況するのを聞きながら、卑劣と非難された医死仮面は車両の屋根に自身を固定していた安全ベルト替わりの包帯をメスで切断した。横転の際の衝撃で軽い脳震盪を起こしているが、手の動きに淀みは無い。

「馬鹿馬鹿しい。暗殺者に正々堂々とした試合を期待するのが無体というもの。」

医死仮面は天井にへばりつく救世に∞の幻影が迫る間、体を縫合糸で支えながら車体から思い切り身を乗り出し、線路脇の石を拾っていた。それも2~3kgありそうな大石を。一歩間違えば指を失いかねない、二歩間違えば時速150kmの地獄へ落ちていきかねない危険な行為だが、彼は淡々とこなしていた。
 石を2つほど手に入れ、車両の屋根に登った医死仮面はそれを砲丸投げのフォームで前方に放り投げる。魔人の腕力は安々と大石を300mほど先まで運ぶ。落下したのは当然先頭車両の先の線路のレール上。ガゴンッと、大きな音が立ったが、その数秒後には列車が石に乗りあげて横転し、それより遥かに大きな轟音が響き渡ることになる。医死仮面も狙い通り脱線するかは自信を持っていなかったが、ダメ元の作戦が上手く行ったのは僥倖と言うべきだろう。

もし∞が眼鏡サーチを常時展開していたなら彼の動きを探知できただろうが、彼女は眼前の敵を仕留めるためのイリュージョンに眼鏡を用いていた。眼鏡は同時に2つの役目は果たせない。

「2人は…まだ生きているな。しかし重傷のようだ。片方は死にかけている。」

横転の際に電気系統が故障したようで、電気が消えて薄暗くなった車内だが、内視鏡が本来映しだすべき人間の体内の暗さは今の車内どころでは無い。明度は下がったが問題なく映像は送られてきており、無残な車内と、息も絶え絶えな2人の姿が映し出されていた。

触れれば切れる死線の張り巡らされた食堂車が横転して、中の人間が無事で済むはずが無い。むしろ両者とも生きている方が不思議であった。

ここまで観察した限りでは一∞の能力は幻影を見せること(「眼鏡バ…」と叫んでいたので恐らく他にも能力があるのだろう。)櫛故救世のそれは実際には鳴らない鈴の音を出す能力か。天井に昇る際全く聞こえなかった鈴の音が一∞を挑発するときだけ聞こえていた。

「さてどちらが出てくるか。出来れば両者とも車内で死んで欲しいが。」

車両から少し離れた位置で上を向いた窓に注意を向ける。脱出するとすればあそこからだろう。空気圧で毒針を射出するアスクレピオスの杖の先端を向け、更にメスを構える。

能力を探るためにカメラとマイクで戦いを観察し、自分の安全を確保した上で列車を横転させ、重傷を負った2人に更に同士討ちを期待し、それが出来なければ消耗の激しい勝者を仕留める。確かに卑劣と言える戦術だが、自身で言った通り、彼は暗殺者であり、誇り高き戦士でもエンターテイメントに徹するプロレスラーでも無いのだ。

横転した食堂車の中では、贅を尽くした料理、ワイン、それらが盛りつけられていた高級な食器、ナイフやフォーク、スプーン、飾られた花や花瓶が散乱する状態であった。列車内でありながら高級レストランのような雰囲気だった食堂車が見る影もない。

「ハーッ…!ハーッ…!医死仮面くんがやったのか…?彼のことも…ちゃんと見て無かったな…。」

ヒビの入った窓ガラスの上で、生者より死体に近そうな体を、一∞は何とか立てなおそうとしていた。しかし、全身の切り傷からの大量の出血と痛み、頭をテーブルに打ち付けたショックで意識が朦朧としている上に、眼鏡に大きくヒビが入ってしまったようで、視界はかなり悪く、上手く立つことが出来ない。彼女の愛した眼鏡の1つは、もはや使いものにならないだろう。

「ゴメンね、ゴメンねぼくのせいで…。」

目からは涙が溢れ、さらに視界がぼやける。自分のせいで死なせてしまった愛眼への別れの涙と不覚への謝罪。しかし、だから彼女も一緒に死ぬ、というわけには行かない。彼女は戦って生きねばならない。一∞は「愛するものが死んだ時には自殺しなけあなりません。」というメンタリティの持ち主では無いのである。

チリン…チリン…

クラシックも止まった車内に、鈴の音が響き渡る。自分の前方数mの距離から聞こえてくるさっきと同じ音。しかし、そこには救世の姿は無い。彼女は、四つん這いになった∞の後ろで、その首筋に小太刀を突き立てんとして構えていた。右手は切断されており、失血でガクガクと震える左腕で。

自分と同年代と思しき少女を背後から突いて殺すということに、些かの罪悪感を覚えながらも、これが自分の世界であり、彼女もその住人なのだ、と自分を納得させた。覚悟を決めると腕の震えが止まる。無駄な力みが取れ、スイッチを押すかのような感覚で命を奪える、殺人者に最適な心境が完成する。そして∞の白い首筋へ、すっと小太刀を突き立てようとするが、彼女は気づいていなかった。

列車の横転で散乱した食器類、その1つであるスプーンが彼女の顔のすぐ下に落ちていることに。

そのスプーンの凸面が鏡となって自分の姿を映していたことに。

∞の顔が鈴の音の方向でなく、そのスプーンを向いていることに。

今度は「見ていた」。不安定な視界で、しかしハッキリと。

「眼鏡レーザー・フィナーレ」

∞の呟きと共に、ヒビだらけの眼鏡から二条のレーザーが射出される。「最終奥義」のような名前の響きとは裏腹に、それは市販のレーザーポインタと大差ない低出力だった。眼鏡の性能が大幅に落ちたせいだが、高出力のレーザーではスプーンを溶かしてしまっていただろう。
凸面で反射されたレーザーは小太刀をコンマ1秒もあれば突き立てて∞を殺していたはずの救世の目に当たり、視力を奪った。

「ううっ…」

目が眩み、隙が出来る救世。この隙が、彼女の敗北を決定づけた。

「さっき列車が横転したとき…鈴は鳴らなかった…その鈴、本当は鳴らないんだろう…?」

「眼鏡チェンジ」

∞に奥の手を使う余裕を与えてしまったのだから。

「…!」

それまで立ち上がることすら困難であった肉体は救世に反応すら許さない疾さで反転しながら後ろに跳び、救世の顔面に裏拳を叩き込む。その際、指の背で強く目元を叩くようにする。「メガネ=カタ」の正拳突きとも言える基礎技術・「鏡割り」だが、眼鏡無しで受けた救世は眼球が脳を貫通し、頭蓋骨と皮膚を突き破って後頭部から脳漿と共に飛び出した。櫛故救世の体は壊れたフラワーロックの様な痙攣の後、その場にグシャリと崩れる。


「(一∞…!何をした…?)」

「眼鏡レーザー・フィナーレ」で相手の目を眩ませ、そしてその隙に「眼鏡チェンジ」すると、それまでの死に体が一瞬で超人的な戦闘力を発揮したのである。カメラの映像では反撃する瞬間、∞の体は消えていた。その場に自分がいても見えていたかというスピード。仮面の下のジョン・スミスの頬を冷や汗が伝う。

「生き返らせて貰ったら賞金できみに眼鏡を買ってあげる。綺麗な目を潰しちゃったお詫びに。」

死体となった櫛故救世を見下ろしてそう呟くと、外にいる医死仮面に目を向けた。壁(床)越しなので見えてはおらず体温を感知しているだけだが。

「あのとききみを真っ先に殺しておくべきだったね。今思えば。」

自身の甘さへの反省を込めて、壁の10m程先にいる目標へ狙いを定める。

「眼鏡レ…」

途中まで言ったところで、彼女はここからでは彼を仕留められないことに気づいた。仕方ない。今の自分はパワーアップしているが、肉体的には瀕死の重傷である。油断は禁物だが、それでも彼を仕留めるには外に出るリスクを侵さねばならない。

窓を破って飛び出してくる一∞の姿を確認すると、医死仮面は毒針を射出し、メスを投げた。ジャンプの最高点に達した際に心臓が来る位置を狙って。狙いには寸分の狂いも無い。が、

「眼鏡バリア」

眼鏡が生み出した空間の歪はあらゆる推進物を阻む壁となる。何かに当たったような音もせずに、針とナイフは空中で静止し、そして重力に引かれて落下した。

「(なるほど…「眼鏡バリア」か…さっきのは)」

この結果は半ば予想済みであったが、次の瞬間背筋に寒気が走った。「殺気」というものが如何なるエネルギーかはわからないが、どうやら空間の歪をも超えて届くモノらしい。熟練の暗殺者はそれを鋭敏な感覚で察知した。バリアの向こうにある自分を見つめる眼光が見えているかのように頭に浮かぶ。

「(何か来る…!)」

光線の直進を妨げる空間の歪が消えた瞬間、そこを光が疾る。医死仮面が立っていた場所に2本の線が引かれた。地面を覆う草が発火し、その線上にあった石は切断された。殺気を感じて反射的に軽身功で横に跳ばなければ彼の体は3つに分断されていただろう。マントの端に当たって火がついていたが消し止めた。

「へえ…!」

「(『眼鏡レーザー』…本来はこういう技か…!)」

何とか躱したものの、敵が圧倒的に有利なのは言うまでも無い。医死仮面は銃弾を見て楽に躱せるが、光はその100万倍の速度、そしてこの防護服も一瞬で貫通するだろう出力。

医死仮面は太陽を背に、∞は正面から太陽を見る形に立っていた。通常は不利とされる位置取りではあるが、メガネ=カタにおいてはむしろ理想とされる。言うまでもなく、最大の武器「眼鏡レーザー」を放つために。

更に数発のレーザーが立て続けに放たれるが、同じように躱して見せる。

「凄い…凄いねきみ…!」

興奮しながら言う∞だが、頭の中には何故ここまで上手く避けられるのかという疑問と、連射によってフレームがかなり熱くなっていることへの不安があった。メガネ=カタには
統計データによる弾道予測の理論があるが、完全に直進するレーザー相手にはただ避けるしか無い。無論光速であるから、発射される前に。医死仮面の軽身功は見事なモノだが、それでもスピードは今の自分の方が上だろう。

医死仮面が∞のレーザーを躱し続けられるのは救世が首を動かす際の「アンコンシャスサイン」と呼ばれるモノを観察しているためである。

アンコンシャスサイン…東洋医学で言う経絡からわかるように、人間の全身は一般の常識では想像もつかない器官同士のネットワークによってなりたっている。そのため、ある部位の筋肉を動かそうとしたとき、全く別な部位の筋肉に本人にもわからないほど小さいが、その予兆が出るのである。これをアンコンシャスサインと言い、その法則を熟知し、且つ観察力に優れた人間なら次に相手が行う動きを直前に予測できる。東洋医学を応用した中国拳法にも、この理論を活かした「體洞察の法」と呼ばれる技術があることは、洋の東西を問わず医学が行き着く先に共通点があることを示している。(民明書房刊「人体の不思議が面白いほどわかる本」より抜粋)

とは言え、この回避も薄氷を踏むようなモノで、少しでも判断を誤れば死は確定する。

「どうした…もう弾切れかい…その眼鏡…?」

試合開始から初めて、医死仮面が相手に向けて声を発する。∞がレーザーを撃たなくなったことから、撃てる回数に限りがあると見越して無駄撃ちさせるための挑発だが、事務的な会話しかしない医死仮面が勝利のためとはいえこのようなことを他人に言うのは極めて稀である。

「ふふっ…さあ…そう思わせて飛び切り凄いのが来るかも知れないよ…。それより随分可愛い声してるんだね?まさか肉声じゃ無いでしょ?その仮面取って素顔を見せてごらんよ。本当の声を聞かせておくれよ。」

「(冗談じゃない。素顔を見せるくらいなら死を選ぶ)」

勿論死に顔も誰にも見せるつもりはない。そういう意味で、爆弾仕掛けのマスケラについて彼と組織の利害は一致していた。

「おや…ダンマリかい?人と話すときは眼鏡を掛けて相手の目をよく見て話すモノだよ。きみの国じゃあそう教わらないの?」

「(見ているさ…。目ならしっかりとな…)」

確かに医死仮面は眼鏡の奥の∞の瞳を注視していたが、それはレーザーの射出口、ただそういう意味での警戒に過ぎなかった。「目は口程にモノを言う」とか、そういう意味での「目」を見ることも見せることも、彼には生涯無いのであろう。

レーザーの撃ち止めが先か、自分の判断ミスが先か。我慢比べに勝負を賭けるのはかなり不安が大きい。第一彼女のレーザーの消耗限界が近いという推測も不確かなモノである。撃ってこないのはそういったミスリードのためかも知れない。

だからと言って攻めるのは更に困難である。医死仮面の持つ飛び道具はあのバリアの前では役に立たない。レーザーを躱して懐に入り、接近戦を挑むか。「ワンミニットエクスタシー」ならば接近戦で勝ちを望める。が、それには超えねばならない壁があった。
車両の上に立つ∞と地上にいる医死仮面の間には2m程の落差がある。距離を詰めるには当然跳ばねばならない。そうすれば彼女の絶好の的だろう。限界が近いという推測が当たっていても、もう一発も撃てないということはまさかあるまい。しかし…医死仮面のある推測が当たっているならば、攻めの勝算はやや大きい。


初めは固唾を飲んでこの膠着状態を見守っていた観客の中にも、それが数分続くと白ける者が出始める。

「おい戦えよ臆病者!」

ディスプレイに向かって誰かがそう叫んだ瞬間、それに応えるかのように均衡は崩れた。均衡を破ったのは医死仮面。共に不確かな根拠に基づく攻守2択だが、そんなときは攻めを選ぶのがジョン・スミスという人間だった。

「(ワンミニットエクスタシー!)」

内気功とドーピング、脳内麻薬の力によって魔人としての潜在能力を引き出し、限界を超えた身体能力と集中力を1分間のみ手に入れる。筋肉が隆起し、風の音がやけに大きく聞こえ、一瞬時間が止まったと錯覚するほどに、風で揺れる木の動きがゆっくりと見えた。

その1分の無敵時間で彼がした最初の行為は、アスクレピオスの杖の投擲であった。槍投げのようなフォームだが、ライフル弾のように回転を加えている。医神の杖は戦車の装甲も貫く魔槍と化した。

「(疾い…!)」

レーザーを躱す動きと比べても段違いの疾さで行われた投擲により、放たれた魔槍は∞を串刺しにせんと迫ってくる。

「眼鏡バリア!」

先程のメスと同様、魔槍も空間の歪に絡め取られ、停止する。眼鏡バリアは空間の歪に収まるサイズであれば、それが持つ運動エネルギー量とは無関係に停止させてしまう。

が、杖を投げた直後、医死仮面は強化された脚力で跳躍していた。衣装のマントを大きく広げ、高く高く舞い上がるその姿はまさしく鳥人であった。槍投げはフェイク、バリアを展開するのに眼鏡を使わせ、その隙の空中からの攻撃が本命。

「駄目だね!眼鏡レーザー・ウルティマ!」

斜め下からの攻撃に対して展開した空間の歪は、斜め上に放つ光線を歪めはしない。数分の間にある程度冷却された眼鏡で、最大出力のレーザーを放つ。勝利を確信した彼女の眼鏡に映ったモノは青空と、そこに浮かぶ太陽の光をマントで遮る医死仮面。

「(しまった…!)」

何故電車内から自分を撃たなかったのか。あの出力なら車体を貫通して自分を狙えただろう。彼女の眼鏡に遠方の相手も察知する機能があるらしいことは、天井にへばりついていた櫛故救世への言葉でわかっている。
彼女がレーザーを放つ際、眼鏡のレンズが光を収束していた。ならば、あれは十分な光量が無ければ威力を発揮できないのでは無いか、だから電気が消えた車内では出力が不十分だった。そうした推測を立てたのである。そしてそれは当たっていた。

眼鏡から放たれた二条のレーザーが胸に当たる。ブスブスと衣装が煙を上げ、数秒あれば医死仮面の体を貫いて殺せていたのかも知れない。がそんな余裕は当然無かった。

袖口に仕込まれた鍼を放つ。空気抵抗が極限まで小さいそれは、彼の放つ武器の中で最速であり、一∞の反応を許さずにその眼鏡のレンズ、そしてその奥の双眸を撃ち抜き、脳にまで達していた。

「ぼくの…眼鏡…」

眼鏡はおろか眼球を潰された状況で出てくる言葉が「眼鏡」、という眼鏡への執着は凄まじいが、それが∞の最後の言葉となった。3本目の鍼が眉間を撃ちぬくと、彼女はバタリと後ろに倒れた。

医死仮面は∞の死を確認すると、その後は一瞥もくれることなく自身の胸の火傷に薬を塗り始める。ジョン・スミスは誰の心にも残らないし、誰も心に残さない。彼女らと違い、死を悲しんでくれる者などいないのだろう。


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