不動昭良SS(第二回戦)

最終更新:

dangerousss

- view
管理者のみ編集可

第二回戦第二試合 不動昭良

名前 魔人能力
日谷創面 アゲンスト・トーフ
不動昭良 インフィールドフライ

採用する幕間SS
【日谷創面幕間SS】
(日谷創面が姉の作ったエプロンを装備した)

試合内容


「でかいな……」
庭付き一戸建て。
できたてほやほやの新築。
普通の住宅と違うのはただ一点……「すべてが十倍のスケールである」ということである。
「トイ・ストーリーですかこれは」
不動はぼやく。
家具から何からまで全てが揃っているが、これまでこの家に人間が住んでいたことはなく、これからもない。
この一戦のためだけに、女神オブトーナメントの能力で作られた空間だ。
一回戦のホームセンターと同じく、利用できる物体が多いこの戦場は不動にとってはありがたかったが……
「女神さんには悪いけど、気持ち悪いな。ここ」
正常な空間が異常を孕んでいるというのは、「世紀末マップ」や「DP法廷」のような完全な異空間よりもよほど精神にくるものがあった。
「トムとジェリーとかもこれくらいの大きさなのかな……よくわからんけど」
転送地点はどうやらダイニングテーブルの上のようだった……広さはプロレスのリングくらいはありそうだが。
周囲を見回す。
一回戦のVTRによって、今回の相手である日谷創面の能力はほぼ全てが明らかになっている。
「触れたものをやわらかくする能力」――柔軟というようなレベルではなく、豆腐のような段階まで脆くすることができる。
つまり、直接触れられたらただではすまない。
しかしこちらもまた、掴むことさえできれば相手の体を操作して場外まで吹き飛ばすことができるのである。
「同時に接触したらどうなるかな……急所さえ守ればこっち有利、かな」
しかし奇襲なら話は別だ。
創面は、距離さえ詰められれば、能力のエネルギーを拳に乗せた一撃で敵の骨格なり筋肉の防御を無視して衝撃を通すことができる。
一回戦でもやはり奇襲で熊野ミーコを破っている。
威力自体は脅威ではあるが……見たところ創面の身体能力は不動のそれと大差ない。
不意打ちに注意していれば回避することは可能だ。
池松叢雲のような、間合いに入ることが死を意味するような達人と比べればよほど戦いやすい。
「それに戦ってるうちにもう一人が襲ってくるようなこともないしな……一回戦よりも気が楽かも」
――油断していたわけではないが、しかしテンションの張り方に差があったことは否めない。
しかしもう少し彼に知識があれば油断どころの話ではなかっただろう。
すでに魔人警察課でアシスタントに従事している彼は、進学先は希望崎学園ではないことが決まっている。
だからこそ知らなかった。遥か昔から連綿と続く細い糸のような……それでいて絶対に千切れない、技によって連ねられた系譜。
学園において「園芸部は敵に回しても、彼らだけは敵に回すな」とまで言われる暗殺集団。
表舞台に立つことはまずないが、それでも恐ろしさで言えばトップクラスの――「手芸者」の脅威。
創面がその単語を呟いたことには気づいていたが、その内実までは測れなかった。
不動は、その恐ろしさをこれから思い知ることになる。


「ん」
「え?」
転送が終わってまだ十秒程度しか経っていない。
テーブルの上に置いてあったステンレスの花瓶……その後ろから海パンの上にエプロンを装着した少年が現れた。
突然の邂逅。あまりにも突然すぎて二人とも反応が遅れた。
テーブルのほぼ中心に姿を現した日谷創面。不動との距離は約5メートル。
「……っ!!」
創面が動いた。
体を低くし、左半身を前に、右手を腰にためた姿勢で迫る。
不動の能力には準備が必要となる以上、開始直後のタイミングが最も隙が多くなる。
それゆえの創面の全開突撃であったが……不動は躊躇なく逃げを打った。
テーブルの面を蹴って後退しつつ宙へ浮かぶ。
足場がないため創面は追うことができない。
「ふぅ……しかしまさかこの位置どりから始まるとは」
不動は内心胸を撫で下ろす。
事前説明によると、このマップでは対戦者の初期位置はランダムで決まるはずだったのだ。
いきなり接近した状態で試合が開始するとは予想外の展開だった。が、それも危なげなく切り抜けた。
(さて、どうするか……)
距離を取ったのはいいものの、不動も創面に対して決め手に欠ける状態である。
身につけている物の中で、能力の「弾」となりそうな物はいくつかあるものの、ただ撃ち込むだけでは倒せない可能性が高い。
翻って創面のほうは――


(アァー……こりゃ完全になめられてやがるな。なあ?)
「……」
創面の脳裏に声が響く。
彼の精神の一部に憑依している手芸者ロクロの魂の声だ。
(生意気な顔してやがるぜ――まあしょうがねえわな? 何しろ空飛ばれちゃあ手も足も出ねえもんなあ)
「うるさいな」
と口では否定したものの、実際はロクロの言葉の通りだった。
一回戦の映像からわかっていたことではあるが、不動という少年は隙が少ない。
その能力は機動力に優れ、反射神経も並よりは上。
創面もスピードに自信があるほうだが、追いつくのは不可能だった。
(おいおいおいおい見ろよ。どっか行くみたいだぜ? 笑っちまうよなまったく)
「ぬ……」
創面の射程距離のはるか上空を不動が通り過ぎる。
十倍スケールのこの空間は、床と天井との間に通常の建物の十階分の高さがあるということになる。
天井近くを飛行されてはどうしようもない。
「ちっ、武器になるようなのを探しに行ったか」
茶化すような、嘲るような手芸者の思念が伝わってくる。
(フッフッフ……勝ちの目が見えねえか? 絶望してやがるか? ――だが)
「……だが?」
(俺には奴を倒す方法がある)
さすがに。
それは無視することはできなかった。
「方法だと?」
(まあお前には無理だがな? 能力の問題じゃなく経験値が足りねえ。技量がない)
だから俺に代われ。
そのメッセージに対して創面が答えを返す前に。
「ううっ!?」
『アァ?』
ぐにゃああああっ……と、創面の視界が歪んだ。……そして。
『フッフッフ……承諾したということだな、ソメン!』
「馬鹿な! 俺はまだ……」
身体の支配権がロクロに移っている。
『おっと、言っとくが前みたいに股間を引き抜こうとしても無駄だぜ』
前回、一回戦でロクロが出てきたときには創面が自らを攻撃し、痛みのショックで支配から脱することに成功したが……今回は違う。
ロクロの身体支配がより強固になっている。
「このっ……!」
創面の意志では指一本動かすことも困難になっていた。
自分の体なのに自分の言うことを聞かない。その状況に発狂しそうになる。
この現象。創面には――そしてロクロにも知る由も無いことだが、彼にかけられた呪いのような能力「謀計リスクヘッジ」がその原因だった。
小野寺塩素のその能力により「トーナメントに出場し、勝ち上がる」ことを命じられた創面。その効果は彼に憑依している手芸者ロクロにまで及んでいる。
一度の能力発動で二つの精神を時に操り、時に誘導していることから起こる偶発的な現象。
対戦相手の不動との相性の悪さを目の当たりにし、創面の「闘う意志」が僅かに削がれ、ロクロの意志の量が勝ったために、勝ち上がるための最適手段として彼が表に出てきていた。
創面は精神力を振り絞って支配権を取り返そうとしているが、どうやら何かのきっかけがないと一度ひっくり返った現状を再度覆すことはできないようだ。
『フッフッフ。まあ悪いようにはしねえよ。あのガキを溶かしてファックしながら食うなんてことももう言わねえ』
手芸者ロクロ、男に興味はないのかもしれない。そう思った創面だったが。
『いや、勝敗確定後の相手への攻撃は反則だってこともわかったからな』


そして五分後。
創面の体は豆腐風呂に浸かっていた。
『ァアアー、染み渡るぜぇ……これぞ生命の喜び』
「――! !! !!!!」
場所は冷蔵庫。
扉とコンセントに刺さったプラグを「アゲンスト・トーフ」で破壊して冷気を逃がし、しまってあった絹ごし豆腐のパックに体を投げ出している。
創面の意識は抗議の声を上げているが、ロクロは全く意に介さない。
『トーフのエナジーが行き渡る……いくら豆腐屋の息子に憑依したからといって、こんな幸運が廻ってくるとはなァー』
創面にとっては、水以外のものに浸かる感触の気持ち悪さや、好みではないとはいえ食べ物で遊んでいる罪悪感でわけがわからなくなりそうだった。
スケールが十倍とはいえ、豆腐のパックの大きさは創面の体全部を収められるほどではなく、手と足は淵から出ている。
風呂としてはいささか窮屈だと言えるが、その事に関しては二人とも気にしていない。
『アァー、トーフトーフ』
「!!!!」
あろうことか、ロクロはそのまま手で豆腐を掬い取り、口に運び始めた。
もはや自分が浸かっている浴槽の水を飲んでいるようなものである。
「――おい、こら! ロクロ! やめろ! 今すぐやめろ!」
『アァー?』
お楽しみを邪魔するなと言わんばかりのロクロ。
『なんだソメン。トーフを味わうこと以外に大事なことでもあるのか?』
「当たり前だ!」 
どこかへ行ってしまった不動昭良が、今も戦いの準備を仕込んでいるはずだった。
時間をかければかけるほど、相手の戦力は上がる。
だというのに。
『フッフッフ。お前は浅はかだな。そんなんだから姉が振り向いてくれないんだ』
「関係ないだろ! 体を俺に返せ! 代われ!」
『しょーがない、そろそろ動いてやるか』
豆腐風呂からロクロが体を起こした。脱ぎ捨ててあったエプロンを身につける。
『人生の先輩として一つ教えてやる、ソメン。戦闘において――特に一対一の、お互いを陥れ合う勝負において、客観的な分析など、実は意味がない』
「お前に教わることなんて何一つねーよ!」
『有利不利なんて簡単にひっくり返る。とはいえさすがに全力で逃げられては面倒だからな。だからあえて「敵に有利な状況」を作ってやるというわけだ』
「それで周到に準備されたらどうしようもないだろ」
『ソメン』
ロクロは頭の中の創面に問いかける。
『お前は俺が、トーフを食いたいがために勝負をうっちゃるような手芸者に見えるのか? アァ?』
「……」
見える。としか創面には言いようがないが……そこまで言う以上、ロクロには考えがあるのだろう。
もちろん、ただのトーフ馬鹿だという可能性もあるが。
『さて、その前に』
ロクロの操る創面の体が、豆腐のパックの淵に手をつける。
激しく嫌な予感がした。
『食べ残しはよくねーよなぁ』
「まさか……やめ、うっ、ぎゃあああああああ……!」


不動がいたのは二階にある寝室だった。
何かトラブルがあったのか、慎重になっているのか、日谷創面が追ってくる気配はなかった。
「ラッキーだけど、しかし予想外だったな」
この十倍スケール住宅は不動の能力にとって有利な戦場だった。その事実は動かない。
しかし誤算もあった。
スケールが十倍ということは、広さ――床面積は十の二乗で百倍。体積なら三乗で千倍となる。
物体の密度は通常と同じ……すなわち、体積が増えた分、質量も増大する。
単純に100gのものが100kgになる計算である。
そして不動の能力は、重い物を動かすのには不向きだった。ある程度までは動かせないことはないが、その速度は落ちる。
椅子か何かの家具を使ってぶつければ敵はひとたまりもないと思っていた……それが可能なら、猛スピードのトラックに轢かれるのと同じくらいのダメージはあっただろうが。
「まあ無理なもんはしょうがない……代わりのやり方を使うだけ」
比較的軽い物体――もちろん、質量が千倍になっているので重いことには変わりないのだが――を使って、不動は戦術を組み立てる。
文庫本、ティッシュボックス、CDケース。できるだけ直方体に近い形のものを集める。
不動のねらいは単純だった。
日谷創面の上から物体を落とし、押し潰す。
重量が高くて扱えないのなら、その重さを逆手に取ればいいのだ。
わざと不安定なようにそれらを積み上げ、敵が下を通ったところで崩せばいい。それだけなら少ない力でも可能だ。
「こんなもんか。思ったより時間かかっちゃったな」
一息つくと同時、階段のほうから物音が聞こえた。
階段の一段一段の高さは2メートル弱。よじ登ることは可能。
開け放たれた扉の向こうに、やってくる創面の姿が見える。
(……来た?)
おかしい。
不動の勘が告げる。
タイミングが良すぎる――というかそれ以前に、創面も不動が準備を行っていることは知っている。これではわざわざ罠の中に飛び込むようなものだ。
創面が来なかった場合は時間をかけておびき出すつもりだった。そういう意味では好都合ではあったが……。
敵影が走り出した。
スピードがある。考える時間はない。
能力を発動する……積み上がった物体のバランスを、ほんの少しだけ崩す。少しで十分だ。
がらくたに埋もれ、創面の姿が見えなくなった。
「――よしっ」
タイミングは自分でも驚くほどにぴったりだった。
これで倒せたかどうか……隙間ができないよう箱状のものを多く用いたつもりだったが、もちろん回避された可能性はある。
(とはいえ体勢は崩れただろ……この隙にぶち込める)
学生服の胸ポケットからボールペンを取り出す。いつでも射出できる状態。倒れたはずの創面の位置を探し、目を凝らす。
(…………どこだ?)
創面の姿が見つからない。
何かの下敷きになっているなら不動の目に止まりそうなものなのだが。
(まさか、寸前で気付いて後退したか?)
きらり、と何かが光った気がした。
本能に信号が流れた。わずかに身を退く。次の瞬間。
「! ああっ……!?」
右目が赤に閉ざされた。
床に膝がつく。無事な左目の視界に、切断され転がった不動の小指が見えた。
前を向くと、顔に邪悪な笑みを貼りつけた創面が立っている。
物の雪崩が起こる前に、彼は能力を使って床を柔らかくし、その中に「潜って」いたのだった。
柔らかくする部分はほんの僅か……彼が潜るスペースだけ。ゆえに、衝撃は創面までは届かない。
二撃目が来るのを感じ、不動は咄嗟に転がった。勘に頼って回避する。
右目の視力が回復しない――どの程度の傷なのか自分でもわからなかった。
「つ……今の攻撃――『糸』か?」
観察すると、不動の血がついている部分から攻撃の全体像が見えてきた。
極細の鋼線のようなものによる切断攻撃。
手芸者の基礎的なスキル「針と糸」の中でもスタンダードな使用方法だ。
「そんなもの持ってるようには見えなかったけど……っ」
だいたい、不意討ちとはいえそこまで接近されたわけではない。7~8メートルくらいの距離を間においてこの精密さ。
これはひとえに創面の――否、伝説クラスの手芸者ロクロのレベルの高さを示していた。
むしろ一撃で絶命しなかっただけマシだと言える。
まあ、実際に指を落とされている状態でそんな感想を抱けるはずもないが。
三撃目が来る前に。
不動はボールペンを撃ち込んだ。
『おぉ……?』
かわされる。
現在体を操っているのは手芸者ロクロ。一回戦で見せた柔らかな動きでなんなく回避した。
避けられるのは計算の内だった。本命は背後からのタイミングをずらしての射撃。
先ほど切断された右手の小指にエネルギーを込め、背後に回り込ませてあった。
死角から、首の後ろの急所を狙って射出。
しかし――
『アー……』
「……!」
まるで背中に目があるかのごとく、手芸者はその奇襲もかわした。
ロクロが床に突き立った指を拾い上げる。
その指がぐずぐずに溶け始める。「アゲンスト・トーフ」の効果で、構造を脆くさせられていく。
『アァー。まあなんつーか、面白くねえなあー』
そう言って、ロクロは不動の小指を口の中に放り込んだ。
くっちゃくっちゃと咀嚼を始めるロクロ。
「なっ……!」
『切り離した体の一部を武器にするってネタは、一回戦ですでに出てきてただろ? 新鮮味がねーんだよなあ』
その戦術をとったのは他ならぬ彼自身……正確にはロクロではなく創面が行ったことではあるが。
『まあ安心しろ。ロストした部位も試合が終わったら治るのは実証済みだからよ……ごっくん』
「……く」
狂っている。
魔人警察に所属したものの、アシスタントという立場の不動は犯罪者と一対一で相対したことはない。
現場に出る回数よりも、訓練のほうが多いくらいである。
異常者のプレッシャーが自分ひとりに向けられている――息が詰まりそうになる。
「くっ……」
不動は「インフィールドフライ」を発動させた。
飛翔してベッドの上に着地する。彼我の距離がさらに離れた。
20メートル程度。「糸」の攻撃もここまでは届かない。
右目の視界が像を結び始めた。
どうやら眼球そのものは傷ついていないらしいが、視力はあまり回復していない。
この戦闘中は使い物にならないと判断して、右目は閉じる。
「…………くそ」
いつの間にか圧倒されている。相手のペースに呑まれている。
『アーアー。また逃げやがったか。悪いが俺もお前をぶっ殺さないといけない身なんだよ。さっさと俺に溶かされて壺にされろ。アァ?』
「っ、俺だって負けられないんだよ!」
そう。自分は魔人警察からの参加者としてここに来ていて、指令を受けていて――
(ん? 指令?)
そういえば、指令は結局「自分の裁量で行動しろ」としか言われていない。
(俺は……何のために戦ってるんだ?)
風を切る音。敵が何かを投げた。
反射的に左側に踏み出す。
拳大のボールのような何かのようだった。トゲや返しがついている凶悪な形状のそれをボールと呼べるならだが。
「何だあれ……飛び道具?」
体の横を通り過ぎていく物体。
その時、不動は見た。その物体に糸が結びついている。
(糸の長さが伸びた……!?)
トゲ付きボールもそうだが、確かに先ほどまでよりも長い糸が、突然出現したかのように襲ってきた。
創面の体や服に武器を仕込めるスペースはない。ありえない現象だった。
それらが今さっき生み出されたのでもない限り――
「まさか……?」
『フッ……まさかそこらの抜け手芸者でもあるまいし、この俺が「針で突く」「糸で断つ」程度だとでも思ってたか?』
手芸の真骨頂は「創造」にある。針と糸による攻撃など、そのための手段を研鑽する過程で生まれる副産物に過ぎない。
まして伝説級――≪トーゲイ≫クランの手芸者ロクロ。物体の組成を操ることにかけては右に出るものはいない。
「アゲンスト・トーフ」で柔らかくした物体は、能力を解除することで元の固さに戻る。
それを利用し、柔らかくした物体を――すくいとった床や壁を――瞬時に「加工」することで武器を作り出していたのだ。不動が不意を突かれたのもそのためだった。
糸が引かれる。
さしものロクロも、この距離では複雑な攻撃は望めない。
しかし不動にとっては視界が塞がれている右側からの攻撃だったのが災いした。
わずかにかわすのが遅れ、肩から血飛沫が飛ぶ。
「……!」
足が滑り、ベッドの上から彼は落ちていく――





「魔人警官に一番必要なことは何か……キミはどう思う?」
そこは喫茶店だった。
不動の前に座っている人物、支倉葵から勧誘を受けたその日の帰りのことだった。
ああ、これは走馬灯かな、と不動はぼんやりと思う。
たしか不動が「なぜ自分なんかを魔人警察に勧誘したのか」と聞いたときの記憶だった。
「うーん……『強さ』ですかね? それとも『正義感』?」
当てずっぽうに返した不動だったが、真剣な面持ちで彼女は頷いた。
が、裏腹に返事は否定的な内容だった。
「そう、確かに私たちは強くある必要はある……けれど、それが一番大事というわけではないわね」
当時彼女は18歳だったはずだ。不動より6歳と少し上。
大人の女性という印象だった。
その彼女が杉並区魔人警察課で最強の武闘派だというのを聞いて不動は大いに驚いたものだったが――だから彼女がそんなことを言ったのは少し意外だった。
「正義感というのもまあ、ある意味では重要だけれど、私達は別に正しいわけでも、正義の味方でもないのよ」
「……そうなんですか?」
「まあこれから勧誘中のキミにこんな事言うのはどうかと思うけど――本当にどうかと思うけど――魔人警察といえば全国の嫌われ者だしね」
というのもやはり不動には意外だったが……なんとなく理解はできた。
魔人に対しての世間の風当たりは言うに及ばず、警察という職もまた、親しみにくいところがある。
治安を維持するため見回りをしたり、道を教えたり、能力が暴走した魔人を鎮圧したりと貢献はしているのにだ。
「別に私達は正しくなんてない。国民を守るために私達は仕事をしているけれど、時として彼らを敵に回さないといけないこともある……取り締まったりとか職務質問したりとか」
「はぁ。じゃあ結局必要なものっていうのは何なんですか?」
さして興味があるというわけではなかったが、それでも話の先を促す意味で不動は質問した。
それに対し彼女は……
「言葉にするのは難しいけれど、強いて言うなら『信念』とか『誇り』になるかな」
「……正義とは違うんですか?」
「うん。私達は正しくはないけれど――嫌われることも多いけれど――それでも自分のできることをするということ。自分のするべきことをするということ。その気持ちをもって、物事を実行する力」
そして彼女はコーヒーをすすった。
「そういうのが大事だと私は思う」
「よくわかんないんですが……でも結局なんで自分に声がかかったんですか? 『信念』も『誇り』も間違いなく持ってないですよ、自分……な、なんですか?」
じーっと支倉が不動のことを見ていた。何か言いたげだった。
が、すぐには何も言わず、彼女はバッグから資料を取り出す。
「不動昭良君。キミの学校生活に問題はない。学業、生活態度ともに真面目で、友人も多い」
「そうですかね……?」
不動自身は自分のことを真面目だと思ったことはただの一度もないので疑問にしか思わないのだが、客観ではそういうことになるらしい。
「でもそんな人は他にもいる。私達がキミを勧誘するのは、本質的にキミが向いていると思ったからだよ」
「はあ」
「人の本質というのは、普通の生活ではなく、危機が迫っている状態で問われてくる……銀行強盗のときのこと、覚えてる?」
覚えているも何も、つい最近のことだし、そのせいで勧誘を受けることになったのだから忘れられるはずもないが。
「あの時キミは人質の中にいて、そして、同じく人質の中に潜んでいた共犯者の発砲を止めた――」
「ええまあその後さんざん警察の人に怒られたんですけど」
「キミが出る必要はなかった。少なくともキミのことだけを考えるのなら、何もしないほうが安全だったし、じきに警察がその場を制圧することはわかっていた」
「まあ、そうですよね……」
「しかしキミは自分の意志に従って動いた。キミがそうすべきだと思ったから……それが、キミがスカウトされた理由だよ」
その時不動は、しかし魔人ならだいたいそういう状況があったらバッチリ犯人を捕らえてヒーローになろうとするものなんじゃないのか? と思った。
あえて口には出さなかったが――



そこで不動は我に返る。
「ご……」
不動の右拳が、創面の胸に突き立っていた。
極限状態で無意識に行動していたらしい――落下中の状態から、能力を使用した、正真正銘の全開突撃を行っていた。
当然力をセーブする余裕もなかった。時速200キロメートルの速度は、創面の体にぶつかるまで1秒も必要としなかった。
創面の体が毬のように吹き飛ばされ、壁に激突した。
「ああああああああ…………っ!」
不動の目から勝手に涙がこぼれる。
拳の骨が粉々に砕けている。腕は変な方向に曲がっていた。
魔人の体は丈夫とはいえ、全速での突撃……時速200キロの衝撃がまともに右手にかかったのである。
頑丈なタイプの魔人や、池松叢雲のように力の使い方を知っている者ならともかく、魔人とはいえ中学生の不動の肉体に耐えられるレベルではなかった。
「痛……ってえ………。ぐぅっ……」
だが、さすがにこれで勝ちだろう……そう思っていた不動だったが。
驚愕する。
創面の体が起き上がっていた。
「つっつつ……はぁ、はぁ、はぁ……」
荒い息を吐きながらも、創面の闘志はくじけていない。目がぎらぎらとした闘争心を発している。
ダメージも思ったよりは少ないようだった。肋骨も砕けてはいない。
インパクトの前に「柔らかくする」能力で衝撃をやわらげたから――それだけでは、ない。
原因は創面の着ているエプロン……彼の姉が、彼のために「物体を固くする」能力を織り込んで作り上げたエプロンの持つ防御力が、彼を救ったのだった。
――ありがとな、姉貴。
そう呟いた創面は、直後、頭痛を感じたように頭の三角巾を押さえた。
「うるさいぞ、ロクロ……!」
その口が開き、不動には理解できないことを言う。
「もうお前の好きにはさせない……もう恐れない。お前に出てこられるくらいなら、俺は――どんな不利な状況でも前に進んでやる……!」
その姿を見て。
「……二重人格か」
不動は得心する。
先ほどの狂人めいた言動――そしておそらくは、一回戦で唐突に己の性器を引きちぎったのも、このためか。
二重人格の魔人の例はそう多くない――多感な時期に自分にもうひとつの人格があると妄想する少年少女は多いらしいが、魔人へと覚醒するほどに強い妄想は少ないようだ。
「悪いな不動昭良……勝つのは俺だ」
創面の口上に対し、無言で不動は自分の学生服のボタンをむしり取った。
「行くぞ……!」
創面が走り出す。
不動は決断する。
自分のダメージも深い。
創面が吹き飛んで再び離れた間合い……この10メートルをキープしたまま、射撃で決める!
しかし。
ぐにゃり。
ボタンの弾丸がかわされる。
素麺のようなしなやかさと、豆腐のような柔らかさ。
まぎれもない手芸者の動き――ロクロの体さばきを創面は身につけていた。
豆腐屋にも、手芸者にもなりたくないと言った創面……だが、もちろん彼はそのどちらにも思うところがないわけではない。
豆腐が好きではないのに、物体をトーフ状にする能力を身につけたのも。
彼の姉と対になるような能力を身につけたのも。
彼女に対して素直になれないのと同様に、家業に対して向かい合うことも、しかし決別することもできずに、逃げているだけだった――現時点では、まだ。
走りながら創面がエプロンの生地を引っ張ると、ほつれた糸が抜かれ、ちょうどいい長さが彼の手に残った。
姉の日谷奴子の能力「豆腐を粗末にする奴は豆腐の角に頭ぶつけて死ね!」によってその糸は鉄線に近い硬度になっている。
不動は飛び蹴りを放った。
当然「インフィールドフライ」によってそのスピードは加速している。二人が交錯した。
「ぐっ!」
着地した不動の右腕から血が噴き出す――今までと違い、その勢いが普通ではない。
(動脈が……!)
不動は傷口を手で押さえつける。念動力で外部から直接押さえつけ、血の噴出を防ぐ。
いっぽう創面は不動の蹴りをやはり回避していた――手芸者の柔軟な動きで回避しつつ、不動への攻撃も成し遂げていた。
お互いが向き直る。
二人とも次が最後の交差になると予感していた。
特に不動の消耗が激しい。
最初に指を切断されたときから時間が経っている。失血のせいで視界が明滅していた。
再び距離を取ったところで持ち直す体力はない。次で決めるしかない――敵の柔軟な体術を超え、防御を貫かなければ勝ちはない。
(負けるか……!)
何が何でも勝ち上がれという命令は受けていない。
だからこれは不動自身の意志だ。
今まで長らく自分で何かを勝ちとることをしてこなかった不動の、初めての決断。
何の意図で自分がここに送り出されたのかは相変わらず判然としない。
適当に参加すればいいというわけではおそらくない。犯罪の予告を防げとか、そういうことでもない。
それならば事前にそう言ってくれるはずだ。
賞金の一千万が理由でもないだろう。それならばここに送られるのは彼ではなく支倉葵だ。
不動を鍛えるため――――それも、なぜか違う気がした。
創面が床を蹴る。
彼の糸の間合いに入る前に、不動も飛んだ。
真上へ上昇。残る全ての能力を振り絞る。どうせ次が最後の一撃だ。
創面が上を向く。
不動の攻撃は上からの突撃――それを回避し、とどめの一撃を加えようと身構える。
そんな彼に、背後から何かがぶつかった。
「何!?」
奇襲――だが、そのわりにダメージはない。
当たり前だった。ぶつかってきたのはただのティッシュペーパーだったからだ。
しかし安堵する暇はなかった。
「むぐっ!?」
次々とティッシュペーパーがまとわりつき、覆いかぶさってくる。
一枚一枚は大したことはないが、如何せん十倍のスケールである。等身大にはやや及ばないが、一辺の長さは1メートルはあるだろう。
糸では切れない。
能力で溶かしてもキリがない。
振り払い、その場を移動しようとする創面。
その脳天に、不動の脚が刺さっていた。
頭上からの、再び全開での突撃。
「――――」
不動がその場に倒れ伏す。もう痛すぎてどうにかなりそうだった。
先ほどまでの傷に加えて、今度は両脚が大変なことになっている気がする。
もはや目で状態を確認する気にもなれず、不動は前を向いた。
左手は相変わらず右腕の負傷を押さえている。能力の力だけで体を浮かせ、立ち上がる。
もう本当に力は残っていない。
ティッシュペーパーを使えたのも偶然というか、思わぬ僥倖だった。最初に積み上げ、崩落させた物体――その中にはティッシュボックスがあった。
崩すのにはほとんどエネルギーを必要としなかったので、まだそれは不動の能力下にあったのだった。ぎりぎりでそれに気づくことができた。
まあ、ティッシュボックス本体はやはり不動には重すぎて動かしても役には立たなかっただろうが。
山盛りのティッシュペーパーに埋もれて創面がどんなことになっているのかはわからない。
生きているのか、死んでいるのか、まだ戦えるのか。
これで戦闘不能ではないのなら不動に打つ手はなかった。
そして……何かが聞こえる。
「――――日谷創面選手戦闘不能により、二回戦第二試合は不動昭良選手となりました」
体からどっと力が抜ける。
その放送の直後、不動は意識を手放した。


●日谷創面(戦闘不能)vs ○不動昭良


目安箱バナー