「いい得物だ。こちらも誠心誠意を込めて鍛え上げた」
その山岳の中腹には、深く暗い、アダマンタイト鉱山に繋がる洞窟があった。
そして、洞窟に住まうドワーフであり鍛冶屋、三造は、名残を惜しむようにその武器に触れ、黄連雀夢人に手渡した。
「ワシは応援しかできんがな。勝利を祈っておるよ」
「ありがとうございます」
彼はそれを両手で受け取る。次なる戦闘に向け、三日三晩にわたり鍛え直された己の武器……砂の詰まった黒革のブラックジャック。否、ブラックジャック+1を。
前回の戦いは勝利に終わったが、彼の胸には己の力不足を悔いる気持ちがあった。彼が目指すのは最強の称号でこそなかったが……目的のためには力が要る。その気持ちが、彼を祖父の古い友人である鍛冶屋の元に向かわせたのだった。
(ずいぶんな遠出になったな……一度帰宅するか)
三造に別れを告げた後、夢人はゆっくりと坂道を降りる。曇った空に、ざざ、と風の音が走る。そして……彼は、懐のC2カードに異変を感じた。取り出す。そこには対戦相手の名前が表示されていた。『長鳴ありす。女性』。
彼は眉を顰めた。このような僻地で、相手に出会おうとは。その名前から、先にテレビで観戦した試合を思い巡らし……。
こいつにとっては、業の深い初戦になるな、と彼はブラックジャック+1を握りしめた。
長鳴ありすはぱたぱたと小走りに勾配を駆けていた。人のいないこのような場での戦闘は望むところだったが……まずは、この地形に慣れねばならない。幸い、この辺りは木も少なく、開けた場所になっている。
(たかおに、の要領だな)
相手は標準的な身長の成人男性。彼女は体格では劣る。よって、高所から攻撃を行う。それが彼女の陣地作成だった。たったひとりのたかおにに、少し心細さを感じる。だが彼女はおやつのいっぱい詰まったリュックを背負い直し、少しでも有利になる地形を探っていた。その時、がさ、と横合いから音がした。
(……うさぎか何か、だといいが……これは)
茂みをかき分けて現れたのは……眼鏡をかけた男だった。対戦相手、黄連雀夢人だ。彼女はぴょん、と飛びすさり、唇を噛んだ。
そこに立っていたのは、情報通り黒髪の幼女だった。警戒心をあらわにし、リュックサックに付けられた防犯ベルに手を伸ばしている。
子供は、あまり好きではないな、と夢人は思う。彼の視界に映る人間は、全て顔に黴が生えて見える。いい加減に慣れたものではあったが、小さい子供の場合はどうにも痛々しく、見ているのが辛い。とはいえ、この幼女、情報では47歳とあったのだが、幼女なのだから幼女なのだろう。
「長鳴ありすさん」
「ああ。私だ。黄連雀さん、だったか」
「その通りです」
「作家さんと聞いている。……漢字が多い本は苦手だから、読んだことはないが……」
坂の上側に飛びすさったありすの殺気がぶわ、と膨れ上がる。幼女拳の始祖、と聞いた。先の中継された戦いぶりを見た限りでは、かなりの使い手だということがわかる。
「幼女道・皆伝、長鳴ありす、推して参る」
強敵だ。夢人は一筋汗が流れるのを感じた。
ありすは、きゅっと握った両拳を顎の前に持ってきて、急所をガードする構え『えへへ』を取っていた。
敵である和服の男、黄連雀夢人が砂を利用した戦法を取ることはわかっていた。だが、まずは様子を見ねばなるまい。
(様子を見る、か)
ありすはふと思った。先のナインオーガとの戦いでも、そうだった。
(いつから私は最初に守りに入るようになった? 以前はもっと攻めの幼女を狙ってはいなかったか?)
黄連雀が動く。ありすは一歩引く。だが、相手は成人男性。歩幅が違う。相手は近づきざま、目潰しに砂を投げてきた。咄嗟にいやいやと頭を振って振り払う。やはり、砂で仕掛けてきたか。
黄連雀は、彼女の間合いのやや外にいる。ならば。
幼女闘気を発動。青いオーラが彼女の周りに立ち上る。それは幼女特有の『ほんの少し背伸びしたい』気持ちの表れ。この場合、彼女のリーチ及びジャンプ力を若干だが伸ばす方向に使用する。
「やーっ!」
ぴょん、ありすは飛んだ。そして、武器を振りかぶる相手の勢いを利用し、渾身の投げを決めた。
視界が一回転した。一瞬、何があったのかと思った。地面に叩きつけられ、投げられたのだとわかった。頭のすぐ横に尖った岩がある。彼はぞっとし、すぐに自分と相手の位置を把握すると、起き上がりざまにブラックジャック+1を振るう。それは、攻撃を押し返すような不思議な動きで捌かれた。砂を足元に撒き、転倒を狙うが、軽やかに避けられる。
病み狂いかけているとはいえ、彼にはまだ多少の迷いがあった。さすがに、この見た目この体格の幼女を殴りつけるというのはいかがなものかと。だが、遠慮はいらないとわかった。殴る。殴って殴り抜いて、最後に砂を食わせて終わりだ。
彼は曲がった眼鏡をかけ直した。再び、攻撃に転じる。
ろりいた庵を遠く離れ、ありすには、改めて心密かな迷いがあった。C2バトル。庵を飛び出してはきたが、自分の進退にすら疑問を抱いている彼女がそのような場に出て良いものなのか? めこに相談などすれば、きっと「なにいってるんですかししょー!」と押し切られてしまっただろう。だが、彼女は迷っていた。
ぴょん、ぴょん、岩場をジャンプしながら相手の攻撃をかわす。かえるさんの型:ぴょんぴょんジャンプだ。よく似たうさぎさんの型を使用しなかったのは、曇った天気の湿り気に合わせてのこと。誰より真摯に幼女を追求するありすならではのこだわりだった。
だが、当のありすは未だ迷いの淵にあった。いずれ幼女ではなくなるかもしれない自分が幼女にしがみつく理由とは。そもそも、幼女とは、何だ?
素早い。跳ねるような動きは、ダンジョンの水辺で稀に遭遇する巨大カエルの動きに似ているようにも思えた。その戦いぶりは、先に対戦した飯綱火誠也とは全く異なる。むしろ、自分の戦法に近いかもしれない。
であれば、その軌道を予測することはできる。
夢人は次にありすが跳躍する先と思しき空間にブラックジャック+1を伸ばした。ありすが目を見開く。当たる。
ぺちん。気の抜けた音がした。確かに一撃は当たったのだが、ありすは全く堪えていないようにも見える。もう一度振るう。ぺちん。
夢人は困惑する。威力が吸い取られてしまったようだ。これは何だ。幼女拳とは、一体どんな技なのだ。そもそも、幼女とは、何だ?
げんきの型:いたいのとんでけ!が上手く発動できた。攻撃のタイミングに合わせて身体をぶれさせることで、威力を減少させる技だ。ありすはさらにこれに幼女闘気を使用して精度を高めている。
あとは、こちらが攻める! リーチを伸ばし、跳び、掴んで、投げる! 黄連雀夢人は地面に転がる。ちょっとおねえさんの型:ぶざまねで追い打ち。小さな足で踏みつける。黄連雀は彼女を跳ね除けるようにして起き上がる。
(だが、この男もこの程度か)
彼女は慢心はしない。冷静な気持ちでそう踏んだ。まだ彼女は一度もまともに攻撃を食らっていないのだ。
黄連雀が、眼鏡越しに彼女を睨んだ。悪いが、攻め続ける。幼女闘気を迸らせ、ありすはすっ、と構えを変えた。両手を上に上げた、より攻撃的な構え『がおー!』だ。そして、今度は一時的な分身に闘気を使う。
「「いやーっ!!」」
二人のありすが、やや時間差で黄連雀の胴を打つ!
(これで倒れればいいが)
眉根を寄せる。黄連雀の足元はふらつき、武器を取り落しかけるがまた立ち直った。しぶとい、と思った。まるで……。ありすは思う。
(まるで、私みたい、だ)
幼女とは縁もゆかりもないはずの成人男性が、不意に自分に重なって見えた。だが、この男にはこの男なりの勝利にしがみつく理由があるのだろう。自分は、どうだ? 負けず嫌いというだけで、本当にいいのか? 先ほどから足元に空いていた穴が、急にぽっかりと大きくなったような気がした。
それを機と判断したか、黄連雀が、一気に距離を詰めた。そしてそのまま、腕でありすの小さな身体を運ぶようにして打ち据える。
そして、彼女は、その痛みよりも、勝負の最中に意識を飛ばした恥よりも、驚愕で一瞬動けなくなっていた。
(待て。これは……! だいすきの型:どーん!では!?)
動きを止めたありすを、黄連雀はそのまま木に叩きつける。背中を闘気でカバー、ダメージを減らす。
(やはりだ。これも、だいすきの型:かべどん!)
まさか、と思った。まさか。これは。
この男には、幼女の素質があるというのか? 独力で幼女の一片にたどり着いたというのか? 変身能力もおそらくはない、生まれて一度も幼女であったことのないであろう、この男が! この男は幼女なのか?
ありすは顔を上げた。嬉しい。そう思った。全く新しい才能が、今ここにある。自分と相対している!
何を迷っていたのだろう。この男が幼女なら、自分だってよほど幼女だ。私はやれる。まだ幼い。戦える。勝てる!
来なさい、と指導者の心で思った。黄連雀が腕を伸ばす。そうだ。ありすは頷いた。
奇妙な感覚だった。彼には特定の師匠はいない。基礎こそ父親に教わったが、あとはダンジョンの魔物そのものが師匠だった。だが、今は、耳元で指導を受けているような気持ちがする。どのような技を出すべきかがわかるのだ。
伸ばした腕は払われたが、脚でさらに払い返す。隙が出来たところで襟を掴み、払い投げる。ころころとありすの身体は坂を転がり、ぱっと起き上がってはまたやって来る。まるで、子犬が遊びをせがんでいるかのようだった。
しばらく、そうして攻防が続いた。二人はただひたすらに打ち合った。やがて、体格の差から相手の身体が開く。そこに、追いすがるようにブラックジャック+1の一撃を放った。
ありすは避けなかった。まるで……彼の攻撃を受け入れるかのように腕を広げた。彼は目を疑い、しかしそのまま殴り抜けた。
夢人は知る由もないが、これを幼女拳、ひいては幼女道では『ママの境地』と呼称する。
それはひとつの魂の到達点でもあり、同時に幼女としては非常に危うい精神の状態でもある。
長鳴ありすは、己の強すぎる包容力に灼かれた。
ありすは、ころころと地面に転がり、長い間そのままうつぶせていた。夢人は相手の出方を待ち、あまりに長いその時間に訝しさを覚えた。そして、対戦相手はしばらくすると土だらけの顔を上げ、晴れ晴れと笑った。
「参りました」
二人は礼を交わした。無言の交流が、そこにあった。灰色の雲を割り、一条の陽の光が差した。
「正式に、C2バトルにおける負けを認めよう」
夢人は目を細める。これで、彼の悲願に一歩近づく。
「……ありがとう。黄連雀さん」
「え?」
「私には少し、迷いがあった。だが、あなたのおかげでどこか、晴れ間が見えたような気がする」
「……礼を言われるほどのことは」
彼の視界は未だ醜い悪夢に満ちている。景色は酷い色彩に、人の顔には黴が生えて見える。だが。この幼女の笑顔は、なんだか、とても尊いもののように思えた。
「そこでだ。黄連雀さん。幼女道に入門する気はないか?」
「……」
夢人は、一瞬何を言われたのかと思った。
「は!?」
彼は思わず素っ頓狂な声を上げる。
「私の見込みでは、あなたには幼女の才能がある! あなたなら新しい時代の幼女の星を掴むことができる気がするんだ。どうだろう! まずは週一から……うぐげほっ!?」
ありすがやたらな勢いで迫ってくる。彼は迷うことなく砂を手から生み出し、ありすの口に投げ込んだ。彼女はそのまま昏倒する。身体が小さい分、砂も少量で済むのが幸いした。
黄連雀夢人は、そのまま逃げ出すように駆け出し、山を降りていった。自分のアイデンティティに危機を覚えたのだ。
ありすは、いつもと同じように、ろりいた庵で門下の幼女たちに指導をしている。
いつもと違うのは、彼女の手足がすらりと伸び、少女と呼んでも差し支えのない姿になっていること。また、中に明らかに見た目が幼女ではない人物が何人か混じっていること。初老の紳士、OL風の女性、肉体労働者風の男性……その姿は様々だ。
見た目がなんだろう。時間がなんだろう。私は幼女だ。そう彼女は思った。魂が幼女であり続ける限り、人はいつだって幼女なのだ、と。
門下 の ぶ が 。
彼女 し笑 ぶ。
な は 。
夢
「それで、逃げてきたってわけ」
『連雀庵』。赤い着物の幻の女、真砂はほとんど突っ伏すようにして笑いを堪えている。
「お、おかしい。おかしいわ夢さん」
「笑ってもらって結構」
憮然とした顔で、夢人は言う。
「あんなに調子を崩されたのは、久しぶりです」
「……でも、それほど嫌ではなさそうね」
「……そう……」
顎に手を当て、やや考える。
「……子供が、少し苦手ではなくなったような気もしますね」
「いいことよ」
真砂が笑う。夢人はその表情が、あの時の晴れ晴れとしたありすの顔と、どこか似ているような気がした。