第二回戦SS・山岳その2

 戦いを終えたありすは再び山中に身を隠していた。
 今度は迷わないように道にパンのかけらをまいてきたので大丈夫だろう。
 ありすが山に戻ってきた理由は、やはり出来る限り自分の戦いに人を巻き込みたくはなかったからだ。
 前回は偶然人が殆どいなかったとはいえ、必ずしもそうとは限らない。
 もちろんずっと山中に隠れているのは限界がある。
 いずれは出なくてはならないだろう。
 その時もまた、なるべく人がいないところで戦えることをありすは祈った。

「……どこまで進めるものか……」

 ありすは自らの手を見た。
 そのぷにぷにとした小さな手はまさしく幼女の手であった。
 勝利したとして、敗北したとして、自分は最後まで幼女として戦えるのか。
 "オーガーさん"には自分は人生に切羽詰ってないとは言った。
 だがそれが強がりでなかったなどといえるのだろうか。
 これから先も幼女として生きていけるか不安がっていた自分に対して、本当に。

「……今は迷うな。迷いは敗者への侮辱となる」

 ありすは懐から棒状のお菓子を取り出し、それを咥える。
 ロリポップキャンディーだ。
 ありすはそのまま手近な木に登り、器用に木の枝の上で寝転ぶ。
 幼女道においていかなる場所でも休むことができる基本スキルのひとつ……ひみつきちだ。

「次の戦いに備えなくてはな」

 そんなありすのいる木の幹に一本の矢が不意に突き刺さる。
 ありすは動じることなくその矢を引き抜き、結ばれていた手紙を開いた。
 そこには各地で起こったC2バトルの結果、そして彼らがどのような戦い方をしたかがクレヨンで描かれていた。
 それは非常に抽象的かつ崩れた文体で描かれている為、幼女でなければまず解読できないだろう。
 幼女道・皆伝の同僚、くのいちののんたんによる情報である。
 彼女は52歳にして幼女道・皆伝、かつ、くのいちとしても活躍しているが詳細はここでは割愛しよう。

「ふむ……」

 ありすはざっと情報に目を通す。
 気になる情報はいくつかあったが、もう夜の八時だ。
 反芻するのは夢の中でにしよう。ありすはそのまま大きな葉っぱを布団にして眠った。







「夢さん、夢さん」

 薄暗いその店内で本を読んでいた黄連雀夢人は不意に肩をとんとんと叩かれた。
 振り向いた彼の頬に()の感触。
 そして視線の先には夢人の肩に置いた指でつっかえ棒をしている真砂()が微笑んでいた。

「……真砂さん」
「ふふ、たまには童心に帰っていたずらなどしてみました」

 夢人は少し照れくさそうに微笑むと本を閉じる。
 真砂は人差し指を立てたまま、机の上に置かれたC2カードをゆっくりと指した。

「今度の行先にあてはあるの?」
「いやあ。いくら傷が治ったとはいえ、私はもう少しゆっくりしていたいんですけどね」
「のんびり屋さん。それじゃあ次の本が読めるのがいつになるかわからないじゃない」

 真砂はぷくっと頬を膨らませ怒ったふりをする。
 そしてC2カードを指でいじりながら、いいことを考えたとばかりにころっと微笑んだ。

「そうだ。今度は私が行先を決めてもいい?」
「真砂さんが?」
「ええ、この前は海。なら今度は……山」







 長鳴ありすは山岳カブトに幼女拳・ねこの型:ねこキックを叩き込み、残心した。
 山岳カブトはダンジョンの中でも初心者殺しとして有名な、非常に硬度の高い殻を持つカブトムシである。
 ダンジョン初心者はこいつに攻撃がなかなか通らず、逆に強力な攻撃に蹂躙されてしまうのだ。
 しかし、ありすにとってはほんの雑魚に過ぎない。

「……おかしい」

 ありすは首をかしげた。
 パンのかけらが何故かきれいさっぱりなくなっており、ありすは再び迷ってしまったのである。
 幼女道においてパンのかけらで道を示すのは常套手段であるがその実、成功例はとても少ないのである。
 それでもありすは諦めずにこの手段を使ったのだがやはり今回も失敗してしまった。

「しかもはぐれダンジョンに迷い込んでしまうとはな……」

 世界各地に点在するはぐれダンジョンだが階層が浅いことが多く、いまや宝もすでに取り尽くされていることがほとんどであるため探索する意味は薄い。
 そこにいるモンスターもありすの敵ではなく修行の場としても見込めまい。

「今までほとんど意識したことがなかったが……もしや私は方向音痴なのではないか……?」

 ありすはがくりと下を向くと、偶然足元に紙屑が転がってきた。
 拾い上げ、それを読むと《いともった?》とだけ書かれている。
 ダンジョンを探索する道に進む幼女も多いとは言うが、ありすはあまりそちらの方面には詳しくない。
 その文章もきっとなにかしらのダンジョン用語なのだろうが、ありすにはさっぱり意味がわからなかった。

「……身をひそめるにはちょうどいいとはいえ、さすがにこのような辺鄙な場所に人が、さらにC2カードを持った者が来ることなど……」

 そう言いながらC2カードを眺めていたありすは途中で表情を変える。
 C2カードに名前が表示されたのだ。
 その名前は、黄連雀夢人。
 奇しくもありすと同様に、ひとつの試合に勝利した参加者であった。







「夢さん見て。対戦相手の名前だわ。たまには女の勘を信じるものでしょう?」

 無邪気に笑う真砂に夢人は目を細めた。
 先ほどまで険しい山道で疲れた顔をしていたというのに元気になるのも早いものだ。

「この長鳴ありすって子、テレビで見たわ。幼女拳の子」
「ええ、私も見ましたよ……二度も対人戦の達人にあたってしまうなんて私も運がありませんね」
「本当にそう思ってる?」

 実際のところはなんとも言えなかった。
 確かに達人であることは間違いないだろうが、地の利は間違いなくこちらにある。
 だからといって勝てるとは限らない。夢人はそこまで慢心出来るタイプではなかった。

「まあいいわ。ええと、確か1km以内に入ってから10分間経つと名前が出るのよね。だとすると……どこにいると思う?」
「ここには前に来たことがあります。その距離でこの時間ならおそらく……場所は……さて、あちらの方でしょうか」

 夢人は迷いなく歩みを進める。
 真砂はそれを険しい山道の中、足音もなく追いかけていった。







 ありすは再び木の上に登ってあたりを見回していた。
 人の姿があればまず間違いなくそれが対戦相手であろう。

「……それにしても何故このような場所に……偶然……なんらかの情報を掴まれた……もしくは拠点のひとつ……」

 さまざまな可能性を考えるが、どれも確信には至らない。
 しかし、相手が自分と同じように迷ってきたわけではないとするならば、自分よりも地の利がある可能性が圧倒的に高い。
 こちらが先に相手を発見し、主導権を握らなければ地の利のないこのダンジョンの中で勝つことは難しいだろう。
 幼女の体にとって隠れる場所はそれこそ山のようにあるのが不幸中の幸いといえるだろうか。

「だが、本当に1km以内にいるのか……?それらしい影はどこにも見当たらなッ」

 思考の最中、風を切るような音がした。
 ありすは咄嗟に幼女拳・おてての型:ぶんぶんを放つ。
 腕を振り回して相手を叩く幼女のその動きは全方位をカバーすることが出来る。だが今回は悪手であった。
 ありすの手にあたったそれ……布袋はばふっと大量の砂をまき散らし、ありすに襲い掛かった。
 比喩表現ではなく、砂がありすに襲い掛かったのである。







「彼女もやはりダンジョンは初心者のようですね」

 夢人は『ザントマン』の砂を操りながらそうつぶやく。
 ダンジョン熟練者の彼にとって、敵に見つからないように歩くことなど当然のように持ち合わせているスキルであった。
 たとえそれが高い木の上から監視をしているような小さな相手であろうと、見つからずに近づく事など造作もないことだ。

「申し訳ないけれど、このまま眠ってもらうとしましょう」
「夢さんったら、小さい子相手にあくどいのね」
「小さい子相手だからですよ」

 いくら魔人であるとはいえ、幼女である彼女が『ザントマン』に耐えられるキャパシティは低い。
 先制で砂を浴びせて、眠らせる。それで終わりだ。
 それで終わり?
 終わりではない。
 幼女であっても彼女は戦いの達人だ。
 戦いたくない。
 戦ってはならない。
 戦う前に。
 戦わないうちに。
 まだ笑っている
 夢を。
 まだ起きている。
 良い夢を。
 まだ立っている。
 悪い夢を。
 まだ。
 夢を。
 ただ夢を。
 夢を。

 砂を吸い込んだありすが木から落ちる。
 夢人は、落ちたありすに近づきブラックジャックを振りかぶった。







「く、これは……これ、は……」

 砂がありすに襲い掛かり、口から鼻から、その体に入り込む。
 じゃりっという感触と共に少しずつ眠気が増していく。
 油断した、などという言葉では片付けられない。
 相手がどのような手だんにでるか、もっとかんがえるべきだった。
 あたまがふわふわする。
 ねむい。とてつもなくねむい。
 おちる。きからおちる。
 おちた。いたい。
 いしきがどんどんうすくなる。
 あいてがみえる。ぼんやりと。
 ひとり?ふたり?
 ふたり?ひとり?
 わからない。ただねむい。
 ねむってしまおう。いまなら、とても、きもちよく。





「ししょーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」






「ししょーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」

「な……!?」

 夢人にとってそれは想定外であったし、おそらくありすにとっても想定外であっただろう。
 金髪ロングストレートの幼女が全速力でありすと夢人に向かって飛び込んできたのである!

「ししょー!!危ないところでした!!でも私が来たからにはもう安心ですししょー!!ししょー!!」

 あまりにも想定外であったが故に、そしてあまりに集中しすぎていたが故に夢人の目にはそう見えてしまった。

『夢……さ……』

 その幼女が、真砂に飛び込んだように。
 真砂はまるで砂で作った城を崩すように掻き消えてしまったように。
 幼女が、真砂を消してしまったように。

「貴様ぁぁぁぁぁああああああああッ!!」

 夢人は思わず、標的をありすからその幼女に変えた。
 ブラックジャックを振りかぶり、その幼女に殴り掛かる。
 幼女はうめき声をあげながら吹き飛んだ。

「お前は、お前は、真砂を、まだ、まだ私は、私はああああッ!!!」

 普段ならば。普段ならば真砂は幻であると判断を切り替えることもできたはずだ。
 しかし、その時の夢人は砂を操ることに集中し、相手を倒すことに集中し、完全に『ザントマン』の術にかかって(トリップして)いた。
 そして、彼にはもう一つ誤算があった。

「……いじめるな」
「……!!」

 夢人は振り向く。
 幼女が立っている。
 長鳴ありすが立っている。
 長鳴ありすは見たこともない構えをした。
 夢人は完全に主導権を握られた。

「めこを、いじめるなー!!」

 長鳴ありすは純粋な幼女ではない。
 無理矢理幼女のような体をとっているだけで、その体は大人のものと大差ない。
 故に、完全に眠らせるには砂の量が足りなかった。
 幼女拳:ねおきの型・睡拳(すいけん)
 寝ぼけた動きから本人もどのような戦い方をしているのかよくわかっていない。眠ければ眠いほど強くなる幼女拳の裏奥義。

 それが今回の勝負の決まり手であった。

 C2カード記録
 "長鳴ありすVS黄連雀夢人"
 遭遇地形:山岳
 勝者……長鳴ありす







「夢さん、夢さん。大丈夫?」

 真砂()が夢人を揺り起こす。
 夢人はその顔を見て、ひどく狼狽えた。

「……生きているのですか?」
「それはこっちの台詞ですよ」

 そうだ。死ぬはずがないのだ。
 だって彼女は幻なのだから。
 そして死んだのかどうかはわからないが、少なくとも負けたことだけは理解できた。

「負けちゃいましたね」
「……」
「大丈夫ですよ。まだまだこれからです。ね?」
「……そうですね。今回は私が甘かった」
「帰ってゆっくり休みましょう?夢さん」
「……はい」

 夢人はひとり(ふたり)、神田古書店街への帰路へついた。







「んん……」

 長鳴ありすは目を開く。
 まだ朝の6時だ。起きるには少し早い。
 不思議な夢を見ていた。
 不思議なダンジョンの中で対戦相手、黄連雀夢人と戦う夢だ。

「ししょー……もう食べられないです……」

 そんな自分の隣には実際の黄連雀夢人の戦いでも勝利の立役者となった芽衣子が顔を腫らして眠っていた。
 どうやらのんたんに居場所を聞いていてもたってもいられなくなって来てしまったらしい。

「全く……愚かな生徒だ」

 ありすは芽衣子に葉っぱをかけなおすと、自分も再び夢の中へと落ちていった。

最終更新:2016年09月10日 23:55