黄連雀夢人に敗れて数時間後、母から電話がかかってきた。
「アンタ、やっぱり桐華ちゃんを生き返らせるつもりだったの?」
飯綱火は少しおどろいたが、母から見て自分の参戦動機として一番に浮かぶのはそれで、母にとっても志津屋桐華は息子の幼馴染なのだ。
最後に話したのは葬式の時だったのを思い出す。
「……ん、まあ」
「そう……」
死人を生き返らせようとした。そのことについて母は何も言わなかった。
この魔人社会においてそれを望まない者はいないだろう。刑法では殺人に次ぐ重罪とされ、恐らく一定数いるであろう死者蘇生能力者も表立って明かすことは決してない。
禁忌だが、悲しい罪でもあった。
「もう、生き返らせられないんだよね」
「ああ」
初戦で敗北。世界で2番目に強い、とか「格闘の素人には負けない」とか大口を叩いておいてだ。
自分がこれから全勝したとしても優勝はあり得ない。
黄連雀夢人の能力で見せられたあの夢は、現実になり得たはずだったのだ。
「まだ、戦うの?」
「……わからん」
一筋の希望は潰え、志津屋を失ったところに戻ってしまった。
この先、何を糧に戦っていくのか。志津屋には失望されそうだが。
母には近いうちに帰って来なさいよ、とかお姉ちゃん結婚することになったの、とか聞かされ、久々の親子の会話は10分ほどで終わりを告げる。
「危ないんだから、やる気ないなら降りなさいよ」と最後に言われた。
母がそんなに好きではない飯綱火だが、その言葉はもっともだと思った。
それでも運営に棄権を伝えたり他者にカードを譲渡したりという気にならなかったのは、自分がまだ戦いというものにしがみついていたいからだろうか。
鮎坂千夜と接触したのは、病院でのことだった。
C2カードを持っている今、病院に出向く用もない。ただ、そこは志津屋桐華が最期を迎えた場所だった。彼女の病室彼女のベッドにも今は別な患者がいるのだろう。
外から眺めているだけのつもりだった。もし彼女の幽霊でも出てきたら、自分を叱るかな、と思う。
病院をぼうっと見ていると、C2カードが反応する。
鮎坂千夜、女性。
自分と同じく先の試合に敗れた少女だ。
アリア・B・ラッドノート(及びその下僕を名乗る少女)と動物園にて対戦し、実は吸血鬼だったという彼女の使役するシンリンオオカミに襲われて敗北している。
あたりを見回すが、特に誰も見当たらない。病院に目を向け、中に入るとそこに千夜の姿があった。
自分よりも背が高い少女ということで遠目にもすぐわかる。
「あ……! 飯綱火誠也さん!?」
「ああ」
オオカミに喰われた時は相当に惨たらしい状態となった彼女だが、今は当然傷一つない。
「お姉ちゃん、行っちゃうのー?」
「ごめんなあみんな」
ロビー前にはちょっとしたキッズスペースのような広場があって、彼女は入院患者らしき子どもたちと遊んでいたようだった。絵本のようなものを手にしている。
「えっと、ここで始めるんです?」
「いや、出よう」
親指で外を指す。どこで戦うかアテはないが、ここで始めるわけにはいかない、ということで両者合意らしい。先の試合を見ても手段を選ばないというタイプではないはずだった。
「場所はアンタが決めたところで構わない」
「ん、それじゃあ……」
千夜は病院の外より屋上を指定した。学校の体育館くらいの広さなので壊さなければ戦っても迷惑はかかりにくいだろう、と。お互い広範囲に及ぶわけではない能力なのが救いだった。
2人揃って階段を昇る。戦いの場へ赴く割に、ひどく緊張感のない調子だ。飯綱火は一応、何か仕掛けられていないか、五感を強化し探ってみるが特に何も感知できなかった。
すぐそばの千夜当人も探ってみるが、心拍数も体臭も「ふつうに緊張している人間」の範囲を出なかった。
――この子がそれっぽいこと言ったら攻撃すりゃいいだけの話だ。
前回の試合、彼女が語った参戦動機の背景となる姉とのエピソードに相手の少女2人はボロ泣きしていた。
自分も映像で見てちょっと泣いたが、多分直接聞いてるとはいえほぼ見ず知らずの相手にあれは泣き過ぎではと思った。
いやどうだろう中学の女子とかすぐ泣いてた気がするしよくわからなくなってきた。
とにかく、それ以外千夜が起こした現象で不可思議なものはなかった。あれが魔人能力だろう。語る言葉を通じて相手の感情に干渉するといったところか。
しかし泣いていたアリアが逡巡したとはいえシンリンオオカミをけしかけているのを見ると干渉力は絶対ではなく、ほとんど抵抗せず喰い殺されたところを見ると、千夜に戦闘手段はないようだ。
能力は使い方次第では相当厄介かも知れない。ただそれは相手に情報が知られておらず、相手をハメる準備が十分ならの話だ。
この状況で彼女が自分に勝てる要素はほとんどないように思われる。
――話して来たら即攻撃、いや……。
最善の手を取ることに迷いがあった。彼女にそこまでしなくても勝てるとか言うより自分自身のことだ。
俺はそこまで勝ちたいのだろうか。
「私の話って、もう、聞かれちゃってます?」
自分が考えていた件に触れられ、ぴくりと反応する。拳に軽く力をこめるが、まだ仕掛けない。
「ああ。映像で流れてたからそりゃあ」
「はは、ちょっと恥ずかしいですねえ」
ぽりぽりと頭をかく。その反応は、演技なのだろうか。少しあざとい気がしないでもなかった。
「飯綱火さんって、何で参戦したんですか?」
「俺は……」
何かまずいかも知れない。自分でも思った。思ったが、語りたくなったのだった。
「幼馴染の、その人を……うん、すごいわかります」
「ありがとう」
「恋人……だったんですか?」
「ちがう!」
飯綱火は気づくと志津屋桐華との関係をやや早口で語ってしまっていた。
自分よりも強い魔人格闘家だったが志半ば、この病院で命を落としたこと。自分は彼女の繰り下がりのような形で出場権を得たこと。
彼女を生き返らせることを望んでいたが、敗れることになったこと。一生人に話さないだろうと思っていた、黄連雀夢人に見せられた夢のことまで語ってしまっていた。
「じゃあ、もう……その、桐華さんには会えないんですよね」
「ああ」
「それじゃあ、戦う理由って、なくなっちゃってませんか?」
「……そう、かもな」
屋上。
志津屋桐華との語りはいつしか千夜の語りへと移り、そして千夜がすぐ目の前に突っ立って異様に密着していても、飯綱火は気にしなかった。
「ごめんなさい飯綱火さん、私、調べて知ってました」
千夜が小声で囁く。
語りとは、自分が語ることのみでない。相手に語らせること、相手の物語に反応すること、言葉を介したおよそあらゆる営みが語りとなり、千夜は介入する余地が生まれる。
千夜の細い指が自分の懐へと伸び、まさぐろうとする。何も答えず、飯綱火はなすがままとなっていた。
別に構わない。志津屋桐華を生き返らせるのが不可能になった今、自分が戦う理由なんてもうないのだ。
最強なんてものにしがみつく必要はもうない。
姉に再会する、という確固たる目的のある彼女に譲ってやった方がいいはずだ。
――……そうか?
心の奥底で声がした。
お前は本当に、志津屋桐華のためだけに戦うのか。お前が目指した最強は彼女と=なのか。
――いや……。
志津屋桐華を生き返らせるのは目的だった。目的は大事だが、目的を果たすために自分は戦ってきたのか。
そうじゃない、ちがう……。
思うことは色々あったが、しかし千夜の語りに浸かり過ぎた。
抵抗の意志がないでもない。けれどそれら全て押し流してしまうのが彼女の能力らしかった。
やはりこのまま自分は終わりなのか、いや……少しでもしがみつく理由があるなら、全力で。
LIMIT UNLIMITED発動。
「がっ!!」
「っ!?」
だらりと下がっていた飯綱火の拳が放たれた。
千夜の腹に命中し、数m吹き飛ばす。
千夜は受け身を取ることも叶わずごろりと転がって血反吐を吐いた。
「っ……!」
LIMIT UNLIMITED――敵意の強化。膨れ上がった千夜への敵意が『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』の精神的な束縛を上回り、攻撃することができたのだ。
制約は体力の消耗、パンチ一発放っただけの飯綱火は全身汗だくになり、息もあがっている。
危機を脱した飯綱火だが、自分が殴り飛ばした千夜の姿には苦しげな顔をさらにゆがめた。
――ダメだな俺は。
何もかも半端だと思う。
能力を自身の感情に向ける――これまでやらなかったことをして、それで相手をいざ殴ったらまたこれだ。
膨れ上がった敵意もその姿に急速に萎えていくのがわかる。
「いや」
敵意は保て、過剰になったり憎んだりしてはいけない。でも今この場では、この子は敵だ。
自分が未熟だから、能力で自分の感情をコントロールして
「息吹」という呼吸法で乱れた息を整えながら、飯綱火は少女を見る。
倒れて擦り傷だらけになった体をどうにか立て起こし、口から血を零しながらこちらを睨む。
姉に会いたいのだという少女。
アリアは決意を曲げない彼女を喰い殺させた。
「ねえ、ねえ飯綱火さん。ダメですか? 私に勝ち、譲ってもらえないですか?」
卑しいとも言える懇願。もちろんこれも能力の一貫だろう。
さっきまで能力に落ちていたことを思えばまだ十分効果が期待できるのかも知れない。
実際、心中に迷いが生じ、拳の握りも無駄な力がこもる。
飯綱火誠也は油断するとすぐにかっこ悪くなる。
自分の心も自分で整えられない。
数瞬、強く唇を噛んで答えた。
「ダメだ」
「なんで?」
「俺は、最強になりたい」
自分の中の最強、と志津屋桐華は今はまだ不可分だけれど、それでも、彼女がいなくても最強を目指す自分になりたい。
かっこよくありたいなら、無理をしてでもそうしろと、自分で自分に言い聞かす。
その言葉に千夜が何らかのリアクションを見せたが、それが何か飯綱火は認識することがなかった。
一気に間合いを詰め、頭部を殴りつける。勝負は決まった。
鮎坂千夜が目を覚ますと、脇に飯綱火誠也が座り込んでいた。
もとから半端な戦意しか持たずにここへ来た男は、しかし途中急にやる気になって自分を倒した。全く腹立たしい。
それで少し睨んでやるとバツの悪そうな顔をするのでなんだかこっちが気が引けてしまう。
「鮎坂さん、俺の魔人能力の話をしよう」
そう言って彼は、自分自身の能力『LIMIT UNLIMITED』の詳細を明かす。
映像を見た限りではなんか自己強化っぽい、と思っていた彼の能力だが、実態を聞かされるとびっくりするほど都合のいい能力でびっくりする。
「俺の能力は相手の了承があれば他人の内面まで強化できるし、ぶっちゃけ、『制約』ってことで特定の記憶を思い出せなくすることもできる。
制約の方が目的だと効果もクソしょぼくなるけど」
「……」
本当に都合のいい能力だなと思ったが、彼の言わんとすることはなんとなくわかった。
「私のお姉ちゃんへの記憶、消さないかって話ですか?」
「消しはしなくても、君の中でその比重を軽くしたりは使い方次第でできるだろう。トラウマへの耐性を強化するとかもありだ。だから……」
「飯綱火さん」
名前を呼ぶと黙り込む。すっと息を吸い込み、叫んだ。
「ナメんなぁーーっ!!」
千夜の叫びに飯綱火は目を丸くし、どてんと尻餅をついた。
「アナタ本当にアレですね!? 私がそんなことして欲しがる子に見えてるんですか!?」
「ごめん。……けど、それが救いになる人も、多分いるんじゃないかって」
急に真面目な顔になって彼は言う。
たしかにその言葉も間違ってはいないだろう。自身の精神的な問題に苦しんでいる人など大勢いるし、医学的な治療を施して救われることもある。
嫌な記憶がずっと鮮明なままだったら困るというのもわかる。千夜だって日々々の記憶で苦しんでいるところも大きい。
「でも私、忘れたくないです」
「そっか」
「私とお姉ちゃんの物語なんです。苦しいこともたくさんあるし、こっからどうなるかわからんし、嫌になりも全然するんやろけど。
でも、飯綱火さんに頼んで、外からがーってしてもらったら、楽なのかも知れないけど、やっぱり私は自分で自分の物語が、惜しいなって思っちゃう」
「そっか」
物語、自分の言う最強と似たようなものなのかなと勝手に思った。
ここにいる自分自身を少し離れた、自分を鑑賞しているような自分がどこかにいる。そいつに対していいかっこしたい時が、きっと誰にでもあるのだと。
思えば、彼女の能力が有無を言わさぬ支配能力ではなく(もしそうなら自分はあのまま負けていただろう)、あくまで「聴いていたくさせる」程度なのもそういうことなのかも知れない。他人に対しても「外からがーって」したくないのだと。
「それに、私まだあきらめてませんから。C2カードを集めんの、別に優勝が絶対条件ってわけでもないでしょ?
あの変な人も具体的に何枚で交換だなんて言っとらんかったし、まだまだ行けますよきっと」
「ああ、そうだな」
その変な人というのは少し怪しんだ方がいいのではとも思ったが、彼女のポジティブさが飯綱火にはうらやましかった。
自分も、思えばこれ以前にも何度も何度も負けてきた。
それでも最強だなんて言っていいのか。いいのだ。
「悪かったな。失礼なこと言って」
「いえいえ、でも飯綱火さん、断られたのにうれしそうですね」
「そうかな」
きっとそうなのだろう。千夜はそういう子ではなかった、と思いたい。
「お互い、がんばりましょ」
「おお」
「全部終わったら、お互いの話でもしましょうよ」
それはなんかまたハメられてカード取られそうだなと思ったが、口には出さなかった。
また戦おう。とりあえず、他の連中の動画でも見よう。きっとかっこよく戦っているんだと思う。