第二回戦SS・自宅その1

傀洞グロットにとって、理想都市の完成とは自身が生み出された理由であり、生涯をかけて達成されるべき大事業だ。
C2バトルの優勝によって『カナン・コンプレックス』の持ち主を住人として取り込む――それはあくまで最短の手段であり、目的ではない。理想都市完成のために必要なピースは、他に幾らでも補うことができる。
必要なのは、究極の幸福を実現するための歯車たりえる存在――強力な魔人能力の持ち主だ。優勝の望みが途絶えたとしても、C2バトルがグロットにとって千載一遇のスカウトの場であることには変わりない。
あのC2バトル放送で五色那由他と激闘を繰り広げた老人――大原吉蔵もまた、そんなピースの一つとなりえる存在である。



夜中の一時、グロットが拠点とするパン屋の一室――隣の部屋では、娘がまだ眠っている。

『市長補佐殿、所定の位置につきました』

「了解です。180秒後、突入してください」

通信端末から響く声。大原吉蔵の家を包囲させた精鋭『市民』たち、約50名――その指揮を執る、軍隊経験を持つ男。

一回戦は思わぬ形で落とすことになった。ここからの試合、もう自分に慢心や手抜かりは一切ない。
なんの特殊能力も持たない人間が何千、何万と束になったところで、あの老人には敵わないだろう。ならば、グロットが取るべき戦術は一つ。
大原の家族を人質に取り、『転出』の同意を取ること。
昨日の夕方のC2バトル放送で、大原は沖縄で半魚人カラテを使う魔人と戦ってこれを下していた。今は家にはいない。

果たしてC2カードを持ったものが『転出』された場合、何が起こるのかグロットには予測できない。
自分の能力が『カナン・コンプレックス』に打ち克ち、大原を住人として永久に引き込むことができるのか。
カードの力が『凡百の尖兵』による追放をダメージと見なし、何もかもなかったことになるのか。
あるいは理想都市に引き込んだ大原とカードが情報的に再現する大原、二人の大原がこの世界と理想都市にそれぞれ存在することとなるのか。
手元にあるC2カードは一枚――実験することはとてもできなかった。だが少なくとも、試合には勝利した扱いとなるはずだ。

C2バトルのマッチングは、偶然の遭遇というだけには依らない。運営の裏工作により、勝者同士がぶつけられるという噂がある。つまり勝ち上がれば勝ち上がるほど、有用な人材と出会える確率は高くなる。
この戦いも、負けられない。

『5、4、3、2、1――突入!』

通信機の向こう側で、パァン、と弾けるような音がした。理想市民たちによる威嚇射撃。
パンッ、パンッ、パンッ――乾いた銃声が連なる。
大原吉蔵の帰りを信じて眠る、妻の美代子――老いた女性を怖がらせてしまうことに、一抹の罪悪感はあった。けれど。
グロットはひととき目を閉じ、在りし日の娘の笑顔を瞼の裏に浮かべた。それで迷いは掻き消えた。

「隊長。遠慮は要りません。殺しさえしなければ、多少痛めつけても――」

『『『『『――ギャアアア!!!!』』』』』

いくつもの悲鳴が重なって響いた。老婆のそれではない。むしろ屈強な男たちが発するような低い声。まるで自分が送り出した、戦いの心得を持つ精鋭市民たちのような――

「隊長?」
『――あらあら、あなたが指揮官さん?』

グロットの全身が、一瞬にして粟立った。隊長に代わって通信に応えたのは、優しげな女性の声だった。

『こんな夜遅くに、賑やかな方たちなのね。おかげで私も――うふふ。国際エージェントだった頃の血が騒いだわ』
『『『『『『ギャア!』』』』』』
一つの銃声に六つの悲鳴――『人間レベル』であらゆる知識を備えるグロットには分かる――装填した全弾を一瞬で撃ち出す、早撃ち(クイックドロー)の神業!

『市長補佐殿! 犬が! 犬が……うわぁぁぁぁ!!!』
『キャンキャンッ!』
 繋がっていた別の通信機から響く断末魔。副隊長がやられた。

「……何が起きているんです」
『大丈夫、全員急所は外してあります――チャッピー、ステイ! これはお肉じゃありません!」
グロットは決して、感情が希薄な人間ではない。平静さを装うには、一呼吸が必要だった。
「……そうですか」
『ところであなた、意外と近くに住んでいるのね。このパン屋さん、前に行ったけれどとてもおいしくて――』
ハッキング――グロットは反射的に通信を切った。全身から汗が噴き出ていた。


prrrr、prrrr――店の据え置きの電話機が鳴る。グロットは恐る恐る、受話器を持ち上げた。
「もしもし」
『夫が今、そちらに飛んでいるわ。良かったら焼きたてのパンを――』
グロットは受話器を叩きつけた。電話機は魔人腕力に耐え切れず、ガシャァァンッ! と猛烈な音を立てて粉砕された。
「ハァーッ! ハァーッ! ハァーッ!」
理想都市の市長代理――あらゆる長所を兼ね備えた、理想存在たる男・傀洞グロット。
いまやその呼吸は乱れ、表情筋はぐにゃりと歪んでいる。

ああ、なんたることだ――グロットが事前に調べた情報では、老女が一人とトイプードルが一匹いるだけだったのに!




万が一を想定していなかったわけではない。保険は掛けている。
グロットが大原への人質を取るべく送った刺客は、知代子に向けた50人だけではなかった。

まだ望みはある。たとえば、大原に近しい二人の友人たちとか――

『『『『グワァァァ!!』』』』
『やれやれ、ワシら舐められたもんじゃな、貞ちゃん』
『おう重ちゃん。こりゃ敬老精神ってやつを叩き込んでやらにゃあならんの』

――あえなく失敗。



大原の息子――会社勤めのサラリーマン。今日は会社の飲み会からの帰りで、追跡班によれば泥酔しているはずだ。

『『『『『ウギャアアア!!!!』』』』』
『し、市長代理殿、このハゲ親父、只者では……フギャッ!』
『誰がバーコードハゲだァァァ!!!……うぃ~~……ヒック……かあさん、今帰るぞぉ~~……』

――失敗。



大原の孫――正真正銘、ただの非魔人。運動部にすら入っていない、どこにでもいる平凡な男子高校生。彼にはグロットの配下の中でも最も腕の立つ、いわば切り札たる理想市民を送った。

『他の者どもは失敗したようですね。ですがご安心ください市長代理様。この理想都市随一のアサシン、静ヶ峰マリーに掛かればあんな冴えなさそうな男……キャーッ!?』
『うわっ、なんだきみ、急に窓から……!? ん? この柔らかいのって……』
『……!! ちょっと、胸触らないでよっ!!』

~~~~~~
十分後。

『し、市長代理さま……あたし、どうすれば……こんな気持ち、初めてなんです……こいつ、あたしなんかのことを綺麗だって言って……胸が苦しくて……どうしよう……!!』
『こんな女の子に暗殺者をさせるなんて、どうかしてる!』
どうかしてるのはお前らだ。どうしてそうなった。




グロットは覚悟を決めた。逃走はありえない――大原吉蔵は悪人ではないと思うが、自分は報復されても当然の戦術を取った。彼女を一人残しては逃げられないし、遠くまで逃がす時間もない。

ここで大原を正々堂々と迎え撃ち、決着をつける。自分さえ討てば怨恨を残さず去ってくれるであろう――あるいは、逆か。グロットが一対一で、大原を討つ。
グロットは店の玄関を出て、通りで拳を構えた。シュッ、シュッ、とキレのいいパンチワークで、対大原吉蔵のイメージを固める。

不思議な気持ちだった。策略が徒労に帰し、無謀な戦いに臨もうとしている――だからこそ湧き上がってくるのであろう想いがあった。
きっとこれは、傀洞グロットが理想都市の市長代理としてでなく、この世界に生きる感情ある一人の人間として、どれだけ強くなったかを量るための試練なのだ。大原吉蔵といういわば最強の一個体に、自分の力がどれだけ通じるのかを試す機会を、天がグロットに寄越したのだ。

そんな非論理的思考に身を委ねるぐらい、つまり、グロットは精神的に参っていた。

やがて南西の空から一条の光が、パン屋の方へと近づいてくる――否、それは光ではなくジジイだった。両掌からジェット状の白炎を噴射し、上空を恐るべき疾さで駆け、ついにはグロットの眼前にアスファルトを砕きながら着地した。

「……お前さんが次の対戦相手というわけか。のう……ばあさんたちが随分世話になったようじゃのぉ~~~」
「ええ、謝罪します」
獅子のごとく猛る吉蔵を前にして、グロットはただ拳を構えた。吉蔵はほう、と小さく頷き、同じく拳を構える。

「闘りましょう、大原吉蔵」
「その意気や良ぉしッ!」

大原の動き出しを、グロットは捉えようとした。そこまでだった。

0コンマ02秒――大原の全身を白炎が覆い、身体能力を跳ね上げる。
0コンマ11秒――初撃は 肝臓打ち(レバーブロー)。常人ならばそれだけで致死の一撃。グロットには吐血の間すら許されない。
0コンマ28秒――肘打ち。
0コンマ47秒――体当たり。
0コンマ71秒――脛蹴り。
おお、この目にも止まらぬ連打・連打・連打、これはまるで――!

(ワシはまだまだ強くなる――お前さんが十七条の拳法、一度に十七度殺すならば――!!)

「これがワシの――」

(ワシは一度に十八度殺す――!!)

十 八 条 拳 法 !!

人間の限界を超越した目にも止まらぬ連打が、グロットの全身の骨を砕き、
バァァーーーーン!!!! と強烈な音を立て噴き上がった火柱が、既に息絶えたその亡骸を容赦もへったくれもなく焼き尽くした。

「……ホッホッホ、ワシ、また強くなっちゃったかの」

敗戦を糧にしてさらに強くなる。大原吉蔵の進化は止まらない。


【傀洞グロットvs大原吉蔵/勝者:大原吉蔵】



「あら、おじいさん。おかえりなさい」
吉蔵が家に帰ると、何やら見知らぬ男どもが知代子の指示に従ってぶるぶる震えながら家の壁を補修していた。
「うむ、ばあさん。すまん、沖縄土産は買えんかった。コレ」
そういって吉蔵は紙袋をテーブルに置く。まだ温かい焼きたてのパンが、袋の隙間から香りを漂わせていた。

「あらあら、さすがおじいさん。ちょうど買ってきてほしかったのよ、以心伝心ね」
「うむ、当然じゃ」
「それで、その……おじいさん、この間の試合、残念だったわね」
「いいんじゃ」
てっきり拗ねているとばかり思っていたのに、応える吉蔵の表情は偽りなく穏やかで、知代子には意外だった。

「なあばあさん。ワシ、100歳なっても最強目指すぞ」
「あら、素敵ね」
きっとこの夫なら、有言実行してしまうのだろう。知代子はそよ風のように笑った。

最終更新:2016年09月10日 23:54