第二回戦SS・自宅その2

  ● 天国を探すのに疲れた人々へ

 人間は疲れている、理想を追い求めることに。言語という道具が作られて何千年、考古学研究で更に昔のことも知ることができる。
 我々は過去の理想追求の歴史を知ることができる。

  人は誰でも幸せ探す旅人のようなもの。理想でなくても、せめてもの幸福を手に入れようと、人々は足掻く。

 幸せ、人がそれを本当に手に入れられた例が結局どれだけあるだろう。一定の幸福を手にした者は、現在の幸福を失うことを恐れ、そこで満足しようと努力する。
 手にした幸福を手放すことに怯える日々が続くなら、それは本当に幸福と言っていいものなのか。
 今でもなお理想を信じ、それを叶えようと追い続けている者はどれだけいるのだろうか。
 理想という言葉にマイナスのイメージが付きまとうことも少なくない昨今、それを追い続けるというのは非常に難しい。

 理想を追い続ける人達のために、夢を叶えるのを恐れている人達のために、あらかじめ終着点となる完全な幸福を用意することができるならば。
 誰であろうと恒久的、永続的に満足させることのできる場所、それが理想都市の抱く理念である。

  ● 理想都市より


  ◎ パン屋 


 「お薬はしっかり飲みましたか?」
 「うん。飲んだよ」
 「それでは今日は早く寝てください。久々の人混みは疲れたでしょう」
 「君こそ大丈夫? 寂しかったり辛かったりして、また泣いたりしない?」
 「ええ、大丈夫だと思いたいです。仮にまた泣きそうになったとしても、泣きながら勝ちます」
 「分かったよ。でも、本当に無理はしないでね、おやすみ」
 「はい、おやすみなさい」

 娘は寝室へ歩いていった。途中で立ち止まる気配もあったが、最終的には自分のベッドに潜り込んだようだ。
 傀洞グロットは先の祭、C2バトルの第一回戦の敗北と、流した涙のことを思い出していた。

 あの試合で敗北した時点で、この大会の優勝の目はもうほとんど無いと言える。現在C2カードを所持している魔人のメンツに、これ以上入れ替わりは無いだろう。
 リサーチの結果、今参加している戦士達と戦ってでも、新規参入しようとしている人間の姿は見つからず、その兆候も無い。
 つまり、勝敗数は基本的にこのまま固定され、勝者と勝者が勝数を競い合うことになるだろう。

 しかし、優勝できなければ『カナン・コンプレックス』の能力者を見つけられないというわけではない。彼の武器は人脈、それも三百万人を越える仲間とその知人達を味方に付けられる。
 そこに集まる情報を駆使すれば、目的の魔人を見付けられないことも無いだろう。
 前回の試合は、三百万の仲間達の期待を裏切ったにも等しい。また、この世界での依り辺を失う不安で、自分を信じる者に情けない姿を見せてしまった。
 このような所で諦め、期待してくれる者たちの幸福を逃すわけにはいかない。

 大食いで膨れ上がった腹は、C2バトル運営がもとに戻した。
 体調も悪くはない。今からでも、挽回するのだ。

 グロットは、理想都市の人間は、幸福に対して何より貪欲だった。そして、諦めるのは苦手だった。
 だからこそ、片手に電話、遠くにに念話を飛ばし、彼は次の試合に挑むのだ。

 とはいえ、これからかれがしなくてはならないのは住人の勧誘。信用が必要とされる仕事だ。
 不意打ちで寝込みを襲う訳にもいかず、眠い相手に迷惑をかけて不機嫌にしてもならない。

 グロットは、とりあえず今電話しても怒られなさそうな参加者を探した。


  ◎


  ○ 大原家


 大原吉蔵83歳、彼は今、これまでの半生で味わったことのない気分でカツ丼をムシャリムシャリやっていた。
 既に白米は固まり、卵は冷たくなっている。
 もちろん、妻の知代子が吉蔵に丼を手渡した時には、まだアツアツフワトロの絶品だったのだ。
 今日は珍しく、胃の調子が年齢相応以上に悪い。

 何も言わずに帰宅して、だんまりとしたままの吉蔵にカツ丼を作ると、知代子は近所の婦人集会へと行ってしまった。
 長年連れ添った夫婦だ。吉蔵が何も話したくないほど落ち込んでいるのを、察したのだろう。

 それこそ世界の危機とも呼ばれるような危険に何度も立ち向かい、どこまでも強くなってきた彼が、その半分も生きていない筈の若造に死後退位せしめられた。
 お気持ちでは負けていなかったはずだ。彼の戦った青年も最強を目指していたようだが、吉蔵は最強を体験してきたのだ。

 何故敗北し、何故無様な姿を晴らしたか。

 分からなかった。

 カツ丼が胃を責め苛む。ため息をつき、老人は中身が半分以上残っている丼にラップをかけて、冷蔵庫にしまった。
 ポケットには、前の試合に出場したことで、運営のおなさけで支払われた五十万円。
 競馬にでも突っ込んでしまおうかと、刹那的な思想が姿を見せかけたが、友人や妻のことを思い出すと、どうもやりきれなかった。

 『優勝したら、吉っちゃんの奢りで、ハワイ連れていってくれ』

 そう、そんな約束もしていた。
 しかし、既に優勝への道は閉ざされた。この負け老犬の姿を、友人達も見ていたのだろう。
 テレビを見るように言いだしてしまったのは、他ならぬ吉蔵自身だったのだから。

 放心してリビングのソファに背中を預け、口を開けっ放しにしてテレビニュースを見ていると、据え付けの電話の着信音が聞こえた。


  ~~♪  ~~♪


 一度無視しても、留守電に音声を吹き込むでもなく、続いて着信音が鳴り響いた。そんなことが二度三度続くと、不気味な気分になってくる。



  ~~♪  ~~♪


 仕方なくソファから腰を持ち上げ、疲れた老戦士は受話器を取った。

 「もしもし、そちらは大原さんのお宅でしょうか」
 「はいそうです。何の御用で?」
 「申し遅れました。僕は傀洞グロット、貴方と同じ、C2バトルの参加者です」

 吉蔵の身体に、戦士の気が纏われた。電話前は枯れたようにも見えた肌にも、幾分か生気がみなぎっている。

 「ヌゥ……何の用じゃ」
 「貴方の願い、優勝時の報酬は何です? 場合によっては僕にも叶えられるかもしれませんよ?」
 「何を言うとる…… ワシがそんなもん欲しがっているとでも思うておるのか?」
 「願いを叶えるのが参戦動機というわけではないのですか? では何のために」

 受話器を握る手に、グッと力が入った。
 無意識の反応、戦士の本能だ。

 「無論、最強の称号よ! ワシの血が。炎が。そいつを求めている 」
 「しかし、負けてしまいましたね」
 「うるさい! ワシとて分かっとるわ!」

  カッと体が火照った。恥ずかしさと、怒りがごちゃ混ぜになる。

「僕も負けたので、他人のことは言えないんです。大食いで負けたんですよ、笑ってしまいますよね……」
 「ふむぅ…… そうかい。それで、どうした。さっき願いを叶えられるかもしれないと言っていたが、それはどういうことじゃ」
 「ああ、僕も千代田茶式とは別方向に顔が広いので、どうにか望みを叶えられるような魔人を探せないかと思いましてね…」
 「ほお、それで、願いを叶えてもらった場合、何か代償はあるのかね」
 「鋭いですねえ、まあそうです。代償というより、むしろこちらが本当のプレゼントのようなものですが……
 何よりも素晴らしい都市の住人となり、そこの発展に力を貸して貰えると、嬉しいですね」
 「何より素晴らしい都市…… もう少し具体的な説明は無いものかのう」
 「すみません、それはきっと、生まれてからずっと点滴で栄養補給してきた人に、グルメ漫画の説明をするぐらいには、難しいと思います。
 その都市での条例と祝福は、既存の言語から大きく外れた物なのです。それでも、あらゆる知的生命体を満足させることはできるはずです。
 分かりづらくてすみません」

 何だか不思議な条件だが、電話の相手は最強の一角、その背後にはこちらの想像し得ぬ世界が広がっていてもおかしくないだろう。
 吉蔵とて、何度も世界を救った身、これまでに理解の範疇を超えた存在と何度も対峙した経験がある。
 あるいはその老練故か。絶対に存在しないと言い切れるものは無い、彼の中には諦観とも悟りとも言えない、愉快な感覚が根付いていた。

 「よし、面白い。その話に乗ってみるのも良いかもしれん」
 「わあ嬉しい。信じてくれるんですか?」
 「おう、よかろう。 ただし条件がある」
 「なんでしょう」
 「お主も最強の一角であるならば、ワシと戦え。 ワシが再び最強の戦士としての自覚を取り戻せたならば、短い余生をよく分からんとこで過ごしてもいい。
 あ、そうじゃ。婆さんはそこについて行っていいのかね?」
 「貴方ほどの魔人なら、市長に頼めば許してくれると思いますよ。それで、大原さんの願いの確認です。
 僕は接待試合をすれば良いのですか?それとも……」
 「本気でかかってこい!!」
 「かしこまりました」

 電話が切れ、直後C2カードに、『名前:傀洞グロット 性別:男』の文字が表示された。
 リビングのテレビニュースが、いつのまにかC2バトル生中継に変わっている。

 拳が、燃えた。


  ○


  ▲ 闘


 郊外の一軒家、大原家を取り囲む群衆あり。
 その一部の者は明らかに記者じみた格好をし、一部の者は夏休み中の学生を思わせる格好をし、また一部の者は……

 ガシャン

 と家の内側から音がなり、外の群衆はとっさにそちらの方を向いた。
 しかし、そちらに注意を向けた群衆の中、ヘルメットに防弾チョッキ、拳銃を装備した数人は、次の瞬間首を跳ね飛ばされた。

 鮮血! 肉飛沫!! 音も無く外に飛び出した吉蔵は、全身強化の効果がある白い炎を身に着けていた。

 閃光! 轟音!! 吉蔵を攻めるのは、感覚器官を破壊せんとする近代兵器。

 熱気! 衝撃!! 記者や学生が鈍った感覚のまま周囲を見回すと、吉蔵は姿を消していた。敵の攻撃から身を隠したのか?

 否、隠れたのでは無い。二本ほど向こうの辻にて、新たな首三本を抱える老戦士の姿がある。炎に推進力を持たせて移動し、閃光弾を投げ込んだ敵を瞬時に屠ったのだ。

 吉蔵が索敵を始めた。炎が生命探知の機能を持ち、陰から彼をつけ狙う輩の位置を指し示す。彼は追尾効果持ちの凶炎を解き放ち、怪しい動きをする人間を燃やし尽くした。

 複数の断末魔が鳴り響き、静寂が住宅地を支配する。しかし、カードは未だ試合の終了を認めていない。グロットなる青年はまだ仕留められていないらしい。

 生命探知の範囲を広げ、索敵を再開した吉蔵、その目を、不意に光が貫いた。レーザーポインターというものだろうか。瞬時に失明はせずとも、視力は落ちる。

 そして!!動きを止めた彼を囲むのは、ヤカン、ヤカン、ヤカン!!!

 熱々の熱湯の込められたヤカンだ。これには彼も我慢できず、索敵用の炎も途切れる。

 用意周到なグロットは、基本的に敵が再利用しにくい武器ばかりを利用している。熱湯入りのヤカンは消費武器というわけだ。

 古戦士は癒しの炎で火傷と眼を治療しながら、ヤカン飛び交う通りを大急ぎで駆け抜けた。そして彼は見た、近所の家の中から、ヤカンが投げつけられるのを。

 「近藤さん!! 何やってんね!!」

 「近藤って誰よー」

 違う、家の中にいるのは、大原家によくお裾分けをしてくれる近藤老夫婦ではない。それに、近藤夫婦に子はいなかったはず。それでは、この若者は近藤家と関係ない?
 思考の罠にとらわれようとしていた吉蔵に向かって、知らない若者はアツいヤカンを振りかぶる。

 「『ボルトストライク』!!!」「『ダークボイド』!!!」

 電光と闇が、知らない無礼な若者を消し去った。そして、この魔人能力は……!!

 「重ちゃん! 貞ちゃん!!」

 ゲートボールの時と変わらぬ、二人の友人の姿があった。

 「なんかごめんなあ、吉ちゃん。優勝したら、なんて言ってプレッシャーひどかったじゃろ」

 「思い出せ、吉ちゃん。世界を救った時は、いつだってワシらがおったじゃろう」

 そう、最強なのは、吉蔵一人ではない。彼と、彼を取り巻く友人たちだった。

 「……なるほど、グロットとかいうガキンチョめ。たしかにワシが最強である所以を思い出したわい……」

 「ところで、ハワイより良い所に行けるって聞いたんじゃが……」

 「貴様らまた裏切る気かーーーーー!!!!!」 

最終更新:2016年09月11日 00:06