第二回戦SS・空港その1
量橋叶は、空港ターミナルの屋上に、ただ佇んでいた。
宇宙(そら)の高さには程遠くとも、空に近いこの場所は、少しだけ彼女の心を和らげる。
「世界は広くて、世界は狭いわね」
100時間超の持久戦・物量戦の末に七坂七美に敗北し、彼女がこのC2バトルに於いて優勝賞金200億を手に入れるチャンスは失われた。
つまり、その瞬間、彼女が戦う理由は失われた。
「……それでも、戦い続けなければならないのね」
そう寂しそうにつぶやき、C2カードに表示された名前を見遣る。『仙波透』。次の対戦相手。
ファイトマネーは1000万円。その程度の端金ならば、彼女は数件の依頼で稼ぎ出せる。
つまり、戦う意味はもう無い。だから、
「だから、あとは、ただ楽しむためだけに費やせる」
量橋叶の顔には、凶悪な笑みが浮かんでいた。彼女の天空の眼は、既に対戦相手の姿を捉えていた。
「仙波、そろそろ次の戦いだろう。相手の情報を持って来たぞ」
仙波透の前には再び、スーツ姿の女性が立っていた。
どうもこの戦いに足を踏み入れてから、嘗て縁を切った世界に足を絡めとられそうになっているような気がする。
型を抜いて生きてきた自分が、カタに嵌められそうになっているというのは、なんとも皮肉なものだ。
「……すみません、またお世話になります」
「いいってことさ。次は、かなりヤバい相手だ。うちもテコ入れしないと、商売が成り立たん」
商売というのは、賭け事のことだろう。
妹を助けるには、まだまだ金が必要だ。今は彼女に頼る他無い。
「次の相手は、誰なんですか?」
「量橋叶。占い師だ」
スーツの女は、そう話を切り出した。
(……量橋叶)
仙波は回想する。ヤクザの女が伝えていた対戦相手の情報を。
人工衛星を使った能力。過去の再現。説明された内容の半分も理解出来なかったが、対策だけは心に留めている。
「彼女の言葉に耳を貸してはいけない」
そうヤクザの女は言っていた。だから、今の仙波は耳を塞いでいた。耳たぶを押し込み、皮膚を硬化させて塞いだのだ。
対戦が終わるまで解除する気はない。これで彼女の言葉は届かない。そして、もう一つ。
「彼女は私兵を抱えている。だから、人混みを盾にしろ」
この二つだ。幸い、空港は人混みには事欠かない。仙波透は似合わぬスーツ姿で、空港ターミナルを闊歩していた。少しでも見つかりづらくするための策だった。
このスーツも、あの女が誂えてくれたものだ。こんな服装をしていると、どうしても昔のことを思い出してしまう。無くした指の傷が疼く。
(先ずは展開させているはずの私兵。次に本丸)
戦うならこの順だ。『職人気質』の硬化能力なら銃弾を防ぐことは容易い。彼の動きが何処と無くぎこちないのは、慣れないスーツだけによるものではない。既に、関節を除いた身体の表面を能力で硬化させているからだ。
辺りをキョロキョロと見回す仙波。空港警備員が既にマークしていることを、彼は知らない。
『……現在、空港の一部でテロ対策のための演習が行われております。空港をご利用の皆様は、屋上展望台付近にお立ち寄りにならないよう……』
そして彼は、電光掲示板に表示されたメッセージに目を留めた。
「屋上展望台……」
人混みを盾にしろ、というアドバイスからは外れてしまうが、向かうならそこだ。
「……それでは、ゲームを始めましょう」
叶は屋上でただ囁く。手元の端末には、空港監視カメラの映像が流れている。仙波透の動きは自身の衛星を使うまでもなく、手に取るように分かっている。
彼女の人脈を以ってすれば、この程度は容易い。政府系機関には幾つも貸しがあるのだから。
これから起こるかもしれない戦いも、既に演習として偽装を済ませてある。
叶の周囲は私兵部隊が囲んでいる。七坂七美に切り崩された反省から、人選からやり直してあるため練度は劣るが、精兵だ。
「3……2……1」
屋上に続く扉を、仙波透の手が突き抜けた。
屋上へ侵入した仙波を目掛け、対魔人用AP弾の一斉射。仙波は扉を盾にしたまま叶に突進する。扉がチーズの如く細切れになり、全身を硬化させながら疾走する仙波の姿が露わになる。
射撃は続く。防弾仕様のスーツが焦げ、破れ飛ぶ。その下から覗いたのは、灰色の作業着。
「クソ、一張羅を……!」
「御機嫌よう、仙波透」
銃を構えた兵士。その向こうに気怠げに佇む、日傘の女。量橋叶。だが、彼女の言葉は仙波には届いていない。
「スゥーッ」
仙波は深呼吸し、全身を改めて硬化させる。
彼の手は刃で。彼の足は蚤で。全ては、金属(オリハルコン)を抉る術である。
一回戦の時とは違う。この相手となら、躊躇なくやれる。彼は、己の仁義を通すと決めたのだ。
「グベッ!」
情けない声を上げて、私兵の一人はなぎ倒された。他の兵も、微かに怯えが滲む。
「……やっぱり、練度が足りないわね」
叶が再び、口を開いた。
仙波はその間にも剣林弾雨を跳ね除け、私兵をなぎ倒す。鋸と化した足によって、人一人が宙に舞う。
そして。
遂に、型抜きのために練り上げた鋭利な手刀が、叶の胸を貫いた。
「ようやく、届いた」
それでも、叶は微笑み続ける。
「……大人しくカードを渡せ」
手刀を引き抜き、血飛沫が舞う。彼を近づかせた時点で、彼女は負けていた。
嘗ての鉄砲玉として働く彼を。
屋上にはもう、動くものは叶と仙波しか残されていない。その片方の彼女も、既に息絶える寸前。
「……これは、あげられないけれど」
叶は、C2カードを取り出した。彼女が何を口にしているのか、彼にはわからない。
「せめて、最後に……聞いてくれないかしら?」
叶は指を指すジェスチャーをする。その願いを聞き届けられない程、仙波の心は。その身体程には研ぎ澄まされては居なかった。
彼は耳朶の硬化を解いた。音が戻ってくる。
「……ありがとう」
叶の口からは、血が滴り落ちる。C2カードを握る手も、既に弱々しい。
「貴方には、病気の妹さんが居るそうですね」
「それがどうした」
ヤスリ。彼女は今、あのヤクザの女に紹介された病院に居る筈。
「そのことに、ついて」
「まずは、カードを貰おう」
「ああ、そうね……」
だが、その瞬間、異変が起きた。
「思い出しなさい。『己の過去を』」
叶の力ある言葉と共に、逆回しの如く身体に血が戻っていく。傷が塞がっていく。
C2カードの力ではない。彼女自身の能力だ。
彼女の能力は、過去の身体の状態を再現する。それは、自身も例外ではない。だから僅かに過去の自身を再現すれば、致命傷以外は理論上復元可能だ。
この能力の欠点は、自身が何者なのか、暫くの間悩むことになることか。
仙波は再び構える。
「でも、私なら、治せると言ったら。どうするかしら?」
叶の魔人能力は、過去の肉体を再現する。
……本当なら、この能力は。そういったことに使うためのものだ。
「……それでも、駄目だ」
仙波の答えは、決まっていた。
「……やっぱり、降りられない、でしょうね」
理由は簡単だ。夜魔口組は既に、彼と彼の妹のために投資をしてしまっている。だから戦い続ける他無いことは、彼も彼女も理解していた。
ヤクザは簡単には、足抜けを許さない。金づるならば尚更だ。
「それでも本当に足を洗う気になったら、私のところを訪ねて来なさいな。私はもう、勝ち上がる意味は無いのだから」
優勝賞金を得るチャンスを失った今、叶はもはや戦う意味を勝利に置いていない。だから、彼女はその気紛れを起こした。
「ねぇ、仙波透。貴方は、一体何のために戦っているのかしら?」
簡単な問いだった筈だ。妹のため。
そのためだった筈だ。だが、今の彼には。その確信が持てない。
「……その答えに詰まるなら。貴方も、『過去を振り返ってみては如何かしら』」
その瞬間、叶の能力が発動した。彼女の能力が、仙波の身体を過去へと巻き戻す。
まだ、彼の妹が健康だった頃。その手が硬くなかった頃へ。
「そんな……」
馬鹿な。研ぎ澄ませた筈の力が、オリハルコンを切り裂くまでに鍛え上げた力が、発動しない。
そして仙波の背後で、蠢く者がある。彼に撃退された筈の私兵達。死んだふりをしていたのだ。
私兵達が、銃を構える。今や、彼の背中は無防備に晒されていた。
全ては、妹のためだった筈だ。
自分は、もしかすると、何かを間違えたのかもしれない。
仙波透は、ヤスリとの思い出に包まれながら意識を失った。
「……すみません、また、負けちまった」
「仕方ねぇな、今回は相手が悪かった」
目を覚ましたのは、空港の屋上。顔の前には前と変わらずヤクザの女。
「クソッ……俺が、もっと強ければ」
「そういう次元じゃない連中もいるさ。一回戦の第五試合見たか?もうバトルなんて次元じゃなかったぞ?」
「でも」
「大丈夫だ。妹さんは、カタギの病院でしっかり預かってる。戦いに集中すれば、次は勝てるさ」
仙波の心に、叶の言葉が思い起こされる。
「それは、人質ってことですか」
仙波の微かな苛立ちは、言葉になって現れた。
「相手に何か言われたのか?」
仙波は何も答えなかったが、ヤクザの女は肯定と取ったようだ。
「占い師なんて連中は、人を言葉で手玉に取るのが商売だ。あんまり気にするな」
「そんなもんすか」
「戦って勝てば、あんたは金が手に入る。うちは儲かる。それだけさ」
だが、仙波透の心には、小さな不信感が育っていた。
「痛かったけれど、楽しかったわ」
叶は再び、衛星越しに仙波透を見つめる。彼は今、苦悩している。何を信ずるべきか。誰が己を利用しているのか。
それを見て、彼女は目を細める。
その苦悩だけが、叶の求める世界にあるものだった。
最終更新:2016年09月10日 23:53