第二回戦SS・空港その2

【9/9 8:43】


「よう、仙波。元気してるか」

 スーツ姿の女性が、右手を上げ透に声をかけた。
 前回、ぬん子との戦いをプロデュースした、ヤクザの女性である。

「……あなたの後輩と戦って、死にましたよ」

「ああ、そうだな」

 女性は、透のねめつけるような視線をさらっと流して、一枚の名刺を差し出した。一人の占星術師の名前が書かれたそれを、透が受け取る。

「こいつが、次のお前の相手だ。C2バトル参加者、占星術師 量橋叶。場所は、私が設定する。戦い方も教えてやる」

「前回に比べて、随分手厚いですね」

「当然だ。我々としては、こいつは殺したい人材だからな」

 透の眉間に、皺が寄る。女性は構わず、言葉を続けた。

「こいつに、うちの事務所が一つ、警察にリークされて潰れた。C2バトル中は死なないらしいが、報復はしなければならない。それを、お前にやってもらう」

「……俺に、また組のために働けってんですか」

「そう怖い顔をするな。勝つまでの戦略はある。だから、お前に声をかけた。ぬん子にはできない」

「俺は足を洗った」

「知っている。だが、金を手に入れたとはいえ、お前は前回負けている。勝利が必要だろう」

「断ったら?」

「お前の妹は、うちの組が守っている」

 透が、一瞬硬直した。夜魔口組は、今も妹の病室を24時間監視している。彼女がその気になれば、いつでもヤスリを手にかけることは可能だ。
 だが、透の心中に怒りはなかった。この女性に対し、ある程度の信頼はある。一度した約束を、さっさと反故にするような人ではない。彼女にも、理由があるということだろう。

「嫌になったか? ヤクザと契約なんかするからだ。馬鹿め」

 彼女は、笑いながら言う。本気なのか、冗談なのかわからない。
 それでも俺は、この人を頼るしかない。

「報酬は」

「成功失敗に関わらず、出す。どちらに転んでも、損はさせん」

 透は、肩をすくめた。

「ヤクザってやつは、ほんと信用ならねえ」


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≪The Great Gig in the Sky≫

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【9/10 12:55】

 ハネダリアン空港。東京都に位置する日本最大の空港であり、異世界への玄関と言われている。
 その3階。空の下、飛行機の滑走路が一望できる展望場。親子連れや、飛行機マニアらしきカメラ小僧。カップルなどが散見されるこの場所のベンチに、黒い日傘を差した量橋叶が、携帯電話を耳に当てながら座っていた。

「ええ……。ええ。はい、変わりありません。13時です。それでは、手筈通りに。くれぐれも、お気を付けください」

 会話を終え、携帯電話を切る。ふう、と一息ついた。
 今日の13時。この場所で、C2バトルとは別件の仕事の報酬を受け取る。そのための電話だ。
 C2バトルをしているからと言って、普段の仕事をおろそかにはできない。いつもならば店に来てもらうのだが、今日依頼主が日本を離れてしまうということで、この場所を待ち合わせ場所に指定してきたのだ。

(そろそろね……)

 叶が腕時計を確認し、辺りを見回す。展望場の端から、スーツにサングラスをかけた男性が、銀色のアタッシュケースを手に持ち、叶に向かって歩いてきた。
 その距離。約10メートル。叶は立ち上がり、声を張り上げた。

「止まって」

 男が一瞬耳を傾げ、そのまま近づいてくる。叶が手を前に出し、止まれと合図をすると、その場で止まり、アタッシュケースを下して、ジャケットの内側を見せるようにまくった。武器は持っていない。
 さらに叶は、自分の耳を指さす。通信機等をつけていないかの確認……ということにしているが、実際には、自分の能力『逆巻く星占い(ホロスコープ)』対策に、耳栓をしていないかどうかを確認するためのものだ。
 男は、耳を見せる。詰め物がないことを確認した叶は、手招きをして、スーツ姿の男性を近寄らせた。

「ご苦労様」

 ねぎらう叶に、男が無言でアタッシュケースを差し出した。大きなケースを突き出すように持っているので、男の体全体が叶の視界から隠れた。ケースを持つ、男のごつごつとした左手だけが、印象的に見える。

 その左小指は欠損していた。

 その瞬間 男の右手がアタッシュケースを貫くように、突き出された。狙うは無論、その先にいる叶。威力、タイミングとも申し分ない。その右手は、叶の体を無慈悲に貫く

 はずだった。

「初めまして。仙波透くん」

 叶は、はるか後方に飛んでいた。まるで、攻撃が来ることを知っていたかのように。


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【9/10 13:01】

「失敗だ!」

 スーツ姿で、サングラスをかけた透が叫んだ。その瞬間、周囲にいた家族連れや、カップルたちが、一斉に服を脱いだ。その中には、真っ黒なダブルのスーツ。着用するサングラス! 盛り上がる胸筋! そう、ヤクザだ!

 この空港での報酬の受け渡し自体が夜魔口組の罠だった。夜魔口組は、受け渡し場所である展望場に、私服に偽装したスーツを着込む戦闘型ヤクザを配置し、その上で変装した透を叶に近づかせたのだ。
 そのヤクザの数、実に15人! 叶一人では、とても対処しきれぬ戦闘型ヤクザの数! それが、一斉に拳銃を取り出したのだ。強い!

「死ねオラーッ!」

 ヤクザたちが叫んだ。透は既に、全身の皮膚を固めて防御の姿勢だ。流れ弾に当たることはない。あとは、叶をハチの巣にするだけだ。

 銃声が響いた。

 そして、ヤクザたちは倒れた。

 ヤクザの背後の家族連れや、カップルや、カメラ小僧たちが、ヤクザに硝煙が燻る銃口を向けていた。彼らが、一斉に服を脱ぐ。その中には、青色のパワードスーツ。着用するフルフェイスヘルメット! 6個に割れる腹筋! そう、警察だ!

「動くなー! 全員逮捕だー!」

 警察たちが、一斉にヤクザに向かって走り出した。慌てるヤクザたち。そして、透。

「警察への通報は、市民の義務ですからね」

 この場で叶だけが、涼やかな笑いを浮かべていた。

 叶は、衛星による情報収集により、夜魔口組が自分を狙っていること。今回の報酬の受け渡し自体が罠であることを知っていた。
 叶の能力ならば、多数の戦闘型ヤクザ相手にもまず勝てるとはいえ、何か間違いがあってもつまらない。そこで、事前に魔人警察に通報していたのだ。

「情報の扱いで、私に勝てると思わないでください」

 叶が、勝ち誇るかのように言い、そのまま駆け出した。警察とヤクザの取っ組み合いに巻き込まれるつもりはない。
 透は、焦っていた。サングラスをかけている上、万一のため顔の一部を歪ませたまま皮膚を硬化させている。顔から身元がばれる心配はない。だが、このまま捕まっては当然まずい。何より、叶を倒さねばならぬ。
 視界の端では、警察官とヤクザの取っ組み合いが始まっていた。ヤクザたちは、追え、と目線をくれる。警察官は、彼らが必死に抑えてくれている。逆に、今動けるのは透以外にいない。
 撃たれる銃弾を、皮膚を硬化して防ぎながら、透は叶を追いかけた。


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【9/10 13:10】

 叶は、駆けながらも自分のC2カードを確認する。『仙波透 男性』という表示。先ほど銃弾を防いだところから見て、何らかの能力を使用したニセモノではないと判断する。
 追いかけてくる透に対し、叶は走りながらも声をかける。

「あなた、カタヌキ師なんですってね。大変なお仕事よね。指を切ったり、オリハルコンゴーレムに挟まれたり、跳弾が当たったりしたこともあるんじゃない?」

 カタヌキにおける、頻発事故のベスト3だ。しかし、叶の問いに、透は答えない。
 おそらく、質問に対して答えることで発動する能力だということを知られているのだろう。まったく、前回の戦いが公開されたことによる損害は計り知れない。今後、非常に仕事はやりにくくなるだろう。
 だが、それでも依頼が減ることはない。それだけ、私の能力は強力だ。

(そうよ。誰にも邪魔はさせない)

 仕事をして、金を稼ぐ。そして、宇宙を人工衛星でいっぱいにする。そうすれば、私が世界を管理できる。争いのない、素敵な世界にできる。
 好きなように殺し、好きなように生かし、秩序を保つ。それこそが、私の夢だ。
 希望崎学園の先輩を思い出す。無敵の魔人能力、『超高潔速攻裁判』を使って学園の平和を維持しようとした男。私が、ずっと片思いをしていた彼。しかし彼は、失敗した。
 それはなぜか。力がなかったからだ。金という力が。

(所詮、彼は高校生だった)

 私は、違う。私には、金と、それを稼ぐ力がある。この力を以て、私の力で世界を平和にするのだ。
 ド正義卓也。愛する彼の遺志は、私が継ぐのだ。


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【9/10 13:13】

 叶が展示場のフェンスを乗り越え、2階の踊り場に飛び降りる。この辺りに人がいないことは、衛星ですでに確認済みだ。
 同じく飛び降りてきた透に、立ち止まった叶が掌を突き出し振り返った。

「交渉をしましょう!」

 透が立ち止まる。その距離、約15メートル。

「警察や、ヤクザからは離れたわ。ここなら、あなたが私とどんな会話をしても、奴らにばれることはない」

 透は、左肩を出し半身を切りながら、ゆっくりと距離を詰める。それに対し、叶もまたじりじりと後退し、一定の距離を保った。

「聞きなさい。私は、あなたの妹の病気を、治すことができる」

 叶の表情に、透は歩みを止めた。本気の交渉をしているということが、表情からもわかった。右手を握りしめ、その小指があった場所が熱を持つ。

「私の能力は、過去の特定記憶、特に体の状態を具現化することができる。それはつまり、健康な状態も具現化することができるということ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 透は、またじりじりと近づいてくる。表情に動揺はない。しかし、確実に心は揺れ動いているはずだ。
 そもそも、相手は妹のためにこの戦いに挑んでいるのだ。妹の病気を治すことが、至上の命題のはず。ならば、この交渉を蹴るということはあり得ない。

「あなたがこの場でC2バトルを降参するというのなら、その足であなたの妹を治しに行きましょう。もちろん、代金はいりません。私がこれほど譲歩するなんて、珍しいことだと思ってほしいわ」

 なにしろ、勝利報酬があるのだ。ただ働きというわけではないし、この勝利の先には願いをかなえるという報酬もある。損ではない。

「さあ、悩む必要はありません。私の星は、あなたも等しく見守ってくれるでしょう」

 叶は、笑顔で右手を差し伸べた。透も、無表情を崩し、破顔する。小指が欠損した、ごつごつとした右手を差し伸べ、一歩ずつ歩み寄ってくる。

 叶は、確かな違和感を覚えた。

 仙波透の指の欠損は、左手ではなかったか(・・・・・・・・・)

「ほふぁっふぁふぁ(終わったか)」

 透が、ふっと息を吹いた。透の口から飛び出したそれは、叶の右目に直撃し、眼球を抉った。

「あ、ああああああ!」

 叶が叫び、右目を押さえる。己の眼窩に突き刺さった棒状のものが、眼球ごと零れ落ちる。叶は、残った左目でそれをみた。

 そこにあったのは、透の小指だ。

 透は、叶を追いかけている最中に、硬化した状態の右手の小指を切り、口に含んで飛ばしたのだ。

 カタヌキ師の仕事は過酷だ。忍耐力と集中力を以て、どのような状況下でも型を抜く。猛暑であろうと、極寒であろうと、それは変わらない。たとえ火の中水の中、場合によっては、海中15メートルでカタヌキをすることもあるのだ。
 当然透はその訓練をしており、肺活量がすごいからすごいのだ! 口に含んだ指を、吹き出す息で飛ばすことなど、造作もない!

 叶は、眼球が落ちた右目を押さえながら、絶叫する。

「何故、何故交渉に応じない! 妹がどうなってもいいのかあああ!」

 右手を固めて突っ込んでくる透は、そのまま叶の心臓を貫いた。
 崩れ落ち、膝をつく叶。透は、僅かに苦虫を噛み潰したような表情を見せ、口を開いた。

「何言ってんのか聞こえねーよ」


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【9/9 9:02】

「……とまあ、段取りはこんなもんだ。それで、問題の相手の能力だが……。詳しくはわからんが、相手のした質問に起因する能力らしい。事前に耳栓か何かをしておけばいいと思う。まあ、相手もプロだ。対策はしているだろうがな」

「……対策しようがなければいいんだな」

「何か、考えがあるのか」

 透は、右の人差指を、自分の耳に近づけた。

「鼓膜を潰す」

「……マジで言ってんのか」

「一番確実だろう。なるべく、相手の身振りとかに合わせて聞こえてるふりしとけば、チャンスも生まれるかもしれない。まあ、そっちは不発でも、相手の能力が効かないなら関係ないしな」

「よくやるな……。まあ、いい。それなら不要なアドバイスになるとは思うが、相手は裏社会でも有名な、情報戦のプロだ。形勢不利となれば、必ず交渉をかけてくる。それには絶対に乗るな。まず間違いなく罠だ。むしろ、不意打ちのチャンスと思え」

「……むしろ、相手には、俺に交渉をする手札があるのか」

 スーツの女性は、にやりと笑った。

「ない。完全なブラフだ。聞く耳を持つな」


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【9/10 19:05】


「ヤスリ、入るぞ」

 透がノックをして、病室の大きな引き戸を開ける。窓の外は、もう真っ暗になっていた。
 ヤスリは、すうすうと寝息を立てて、目を閉じていた。普段の騒がしさが嘘のように、涼しげな顔をしている。
 日に日に、ヤスリが寝ている時間は長くなる。
 透がため息をつき、棚に飾られた花瓶を手に取った。水を替えるため、手洗い場に足を進めようとした時。

「お兄ちゃん」

 むにゃむにゃと間の抜けた声を出しながら、ヤスリが目を覚ました。

「起きたか」

 起こしたか、とは言わない。ヤスリにとって、起きている時間だけが、病魔から解放されている時間だから。

「ん……、今何時?」

 目の前の時計を見もせず、目をこすりながら時間を聞いてくるヤスリに、透は少しほっとする。
 いつも通りの会話。いつも通りのやり取り。それがまだ消えていないということが、今の透の支えだ。

「午後7時。もうすぐ面会時間終わる」

 ヤスリが、目をカッと見開いた。

「えー! 大変大変! お兄ちゃんとお話しする時間なくなっちゃうよう! ほらほら、花瓶置いて、座って座って! 水なんか替えてる場合じゃないよ!」

「はいはい」

 ヤスリが、自分が眠るベッドの端をポンポンと叩く。透は、不満そうな声色を出しながら、言われるがままに花瓶を棚に戻し、ベッドの端に座った。
 いつも通りハイテンションなヤスリに、いつも通り不愛想な言葉をかける透。こんなやり取りが、今の透には心地よかった。

「えっとね、えっとね。じゃあ、今日はお兄ちゃんから話す番ね! 今日、なにしてたの?」

 透の眉間に、皺が寄った。
 ヤスリが、ニコニコと猫のように笑いながら、透の膝にのしかかる。その表情には、これから話される透の日常への期待が色濃く表れている。
 だが透には、その見開いた目が、自分を責めているかのように思えた。
 透が、ぎこちなく笑う。

「今日、仕事の関係でハネダリアン空港に行ったんだ。飛行機、すげえデカかったぞ」

「ほんとにー? すごーい!」

 ヤスリがぱちぱちと手を叩きながら、笑い転げた。透は、奥歯を砕きそうなほど噛みしめる。
 C2バトルに参加しているなど、言えるわけがなかった。ヤスリのために戦い、人を殺してきたなどと、言えるわけがなかった。

 お前のせいで、俺がこんな目に合っているのだと、言っているようなものだから。

最終更新:2016年09月11日 00:05