第3話
「えっと、ど、どうもー」
少女、芹臼ぬん子は逃走中であった。
金の切れ目は縁の切れ目という、ヤクザに追われているのである。
謂れもない借金でお風呂に沈みたくはなかったのだ。
こう見えても純情な乙女なのだ。
「お、おう」
男、飯綱火誠也は走り込みの最中であった。
たとえ優勝を逃したとしても、たとえ最強の座を掴み取れぬとしても。
日々の鍛錬を欠かすことはない、それが桐華への誓いだと思っているからだ。
『飯綱火誠也、男』『芹臼ぬん子、女』
C2カードが告げた身も蓋もない戦いは。
逃げるために人通りを避けていたぬん子と。
ロードワークには人通りが少ないところが適していただけの誠也との。
この不景気で潰れた、町工場前の道での。
邂逅で始まった。
一流の格闘家は戦いへの切り替えの早さを持つという。
誠也とてその例に漏れるはずもない。
能力による強化がなくとも、その一撃は鋭く、強い。
しかし誠也は、そこに手加減をすべきでないと考える。
女であっても一流の戦闘者である人物への礼儀だ。
そこに偽りがあってはならない。
その思考は瞬く程の間。
肉体を強化し、一瞬で間合いを詰める。
踏み込んだ足の筋肉が膨らみ地面を踏み砕く。
飯綱火誠也の魔人能力『LIMIT UNLIMITED』は制約をを受け入れた人物の任意のパフォーマンスを引き上げる能力。
聴覚を犠牲に、凄まじい加速とともに間合いを詰め。
その勢いを殺すことなく蹴りを放つ。
脚力の強化は、攻撃に最も秀でている。
「フッ!!」
短い呼気を吐き出し。
誠也のローキックがぬん子の腹に突き刺さった。
「うにょわっ!?」
ドスッ!!
間抜けな悲鳴と、鈍い衝撃音と共に芹臼ぬん子はコンクリートの壁を突き破り、廃工場のなかに叩きこまれた。
誠也が能力を解除する。
「これは」
妙な感触だった。
まるで、脂肪に囲まれた重量級の相撲レスラーに打撃を打ち込んだかのようか感覚。
「これで終わるほど、甘くはないってことか」
誠也は目を細めて精神を整える。
べちょり。
工場の中に白い塊が転がっていた。
その塊が溶けるように無くなり。
中から女の子が這い出してくる。
「ゲェーホ!ガハゥ!な、なんやの、もー」
完全な不意打ちであったが、周囲5mはぬん子の領域だ。
熱エネルギー(カロリー)を脂肪に変える、彼女の魔人能力『カロリー☆メイク』は。
ぬん子の肉体を脂肪の鎧で包み込んで攻撃のダメージを受け止めたのだ。
少し血の混じった吐瀉物を吐き出し。
少女は走り出した。
芹臼ぬん子は魔人陸上部のマネージャーである。
エステ同好会の会長でありながら陸上部に所属し続けているのには理由がある。
彼女にとって肉体の美しさは能力によって保つ物ではなく、あくまで自身の鍛錬があってこそという意識、それと単純に走るのが好きだったからだ。
中学時代は魔人枠の中という制約の中ではあったが県大会上位に入るほどのランナーだった。
今でも走ることはやめたわけではない。
ただ選手であるには友人の壁が大きすぎたのだ。
「えひゃ!!うひょひょ!!」
あんなに楽しそうに(ちょっとどうかとは思うが)、そして何より速く走れる存在がいる以上、ウチが選手である必要はあらへんよなーと思ったのだった。
だがそれは、ぬん子が肉体的に劣るということではない。
むしろ、彼女は普通の魔人に比べても走る事にかけては負ける事はないのだ。
工場内を一直線に走る。
障害物も乗り越えて走る。
「大体や!!メロスのアホに情けをかけたんが悪いんや!」
工場内を走りながら周囲を見回していく。
「ウチのアホ!」
「なあ!アンタ、アンタや兄ちゃん」
工場内に声が響く。
どこからなのか、誠也にはわからない。
放送設備を使っているのか。
反響を利用しているのか、わからない。
誠也の対戦相手には声を基点とする能力者が居た。
砂を使う相手には敗れもした。
戦いにおいて、無為に敵の術作に嵌るのは愚行だった。
砂、そして声。
C2バトルで戦ったどの相手も自分の領域を持つ能力者だった。
「なんで戦うんですかァ、ええやないですかこんなアホなことせんでも」
誠也は応えない。
感覚を研ぎ澄まし相手の位置を探る。
「お金ですかァ!?でも1000万くらいやったら、真面目に働けばどうにかなると思うん
やけど。ハハ…まあマトモに働いてもどうもならんこともあるんやけど」
知覚の強化に伴う制約は重い。
今の誠也は子供程度の身体能力しか持たないのだ。
しかし、1対1という状況下で。
相手との距離を見計らえば、使い方は最適である。
それを以て相手を捉える事が誠也の基本的な索敵法である。
「見つけた」
二階の一室に生き物の気配を感じる。
空気の振動がそこから発せられている。
間違いはない。
(瞬間移動能力を持つ相手の可能性は?―ない)
この工場内で逃げ場は少ない、外に逃げられば厄介な相手ではあるが移動が通常の移動の範囲内であるなら追い詰めることは可能だ。
「んのわ?真っ直ぐこっちにくるん?!」
ぬん子は熱を操る魔人だ。
それゆえ熱を察知する感覚を持つ。
広範囲での知覚は精度こそ落ちるが、人のいない廃工場での人の動き程度なら問題ない。
「んもう!!なんでやの!なんで、どいつもこいつももー!戦うことしか考えてへんのよ!」
走りながら様々な場所に仕掛けを施してきた。
「工場の持ち主さん、すんません!たぶんバトルの運営とかの人がなんとかしてくれると思うんで!あと、対戦相手の人!ごめん!!」
ぬん子は、目の前の電力ブレイカーを。
入れた。
沢尻圧縮寸断運動解体エンターテイメント。
かつてこの工場はそう呼ばれていた。
解体とスクラップ処理を旨とした企業で。
社訓は「楽しい解体エンターテイメント」である。
爆破!切断!圧縮!
S沢尻A圧縮S寸断U運動K解体Eエンターテインメント。
ガコン!!
ばきんばきんばきん!!
おおっとぉ!二枚の鉄板が鉄くずを圧縮する!
これぞSASUKE名物“迫り来る壁”!!
物理的に迫り来る二枚の壁が誠也を紙っペラにすべく猛進するゥ!!
ヒャッハー!!ミンチになれェー!
「なんだッ!?」
おおーっと受け止めた!!
誠也、受け止めた!!
はちきれんばかりの筋肉!!
裏格闘技で鍛えた、マッスルが鋼鉄の壁を受け止めるゥー!!
人間は鍛えればこれほどの筋肉を得られるものであろうか!
「この程度は、彼女の激しい攻撃には遠く及ばない!!スピードを犠牲にパワーを強化!」
ゴキ!
誠也は鋼鉄をまるでダンボールのように握りつぶす。
なんという指の力!
これは最早人間の領域ではなぁーい!!
ぎゃり!
ぎゃりがりぎゃりぎゃり!!
天井から吊るされたワイヤーの先端に備え付けられた円刃!
これぞ、無数のスクラップを切断したローリングヘル!!
鋼鉄の肉体もこれでバラバラかぁー!うひょー!!
「なんだとォ!?」
なんと、これは尋常ならざる瞬発力!!
これぞ悪夢の如き反復横跳び!
人間の限界を超えた反射神経のなせる技か!!
これぞジェットマッスル!!
「見えない無数の攻撃を避けてきた俺には通じない。瞬発力と知覚を強化し痛覚を倍加」
なんというギリギリの反則技!
ヒールマッスルモンスター!
痛覚の強化でより感覚を増すという制約殺し!
敗戦を乗り越え、チャンプが戻ってきたァ!
ボグン!バゴン!
爆裂するシャフト!!
ニトロチャージにより放たれる爆裂パイルバンカー!
無数の高層ビルを解体してきたドラムバンカー改!
鉄球もセットでサイドワインダー!!
これぞ精神と肉体の破壊者に相相応しい!
これでさすがのチャンプもあの世行きかァ!?
潰せぇー!ヤツを潰せぇー!!ヒヒィー!
「戯言だ」
ただパワーを強化するだけではないのかァー!
そのパンチが巨大鉄球を打ち砕く!
なんという破壊力!
打ち出される鉄杭を掴みへし折る!
平成の牛殺し、いや虎殺し!
いやドラゴンスレイヤーといっても過言ではなぁーい!
「機械による単調な動きだ、トレーニングにもならない」
だがしかぁーし!
それでもこのファイナル!
地上25mから振り下ろされる神の鉄槌!!
モンスターハンマー!いやゴッドハンマー!!ゴッドクライム!!
重量20tの落下には耐え切れまヒィ!
死ね!潰れろ!クズ肉になぁーれ!
ず、ずん!
ヤッター!!
この重量では助からなーい!!ひゃー!
「受ける必要はない」
なんという非道!!
避けた、というか下に来いよ!受けろよ!
このド外道!!クズ!!
スポーツマン精神はないのか?
「随分、面白い所だ。トレーニング場所にしても良いかもしれない」
誠也は工場内の機械をくぐり抜け。
歩みを進める。
「ごめんなさい、ごめんなさい、多分保険とかかかってると思うんで!」
カッ!!
誠也の周囲の機械群が突如爆発した。
解体現場に使用される爆発物。
ダイナマイトを残しておくのはどうかしている。
しかし、残された爆薬を配置し、その着火装置に電源が入るとともに遠隔から能力を使用。
あらかじめ設置しておいた能力で生み出された脂肪分と、工場内の可燃物を組み合わせた発火装置は。
電源を入れられた熱でじわじわ溶け出した脂肪による時間差のスイッチ起動で見事に爆発した。
機械の動きは、無論これでの殺害ができるのならば、それを狙ったものではあるが。
これで最高クラスの戦闘魔人を倒せるとは、ぬん子は考えなかった。
あくまで場所の誘導である。
力で止める、避ける、破壊する。
相手の動きを、そうあるべく順番に動かし、相手の動きを誘導する。
工場内の監視カメラで相手の動きを見て、それに合わせて電源を入れ、切る。
ヤのつく自由業のぬん子の先輩曰く。
「ありゃ、追い詰めりゃ最強なんだ。頭の回転も早い、能力もヤバい。甘くなけりゃーな!」
「そんなこと言うて、また地獄見させるつもりちゃいます?嫌やよ?そんなん、あ、先輩?何笑ってはるんです?先輩?せんぱーい!」
と言わしめるほどに、ぬん子の戦闘センスが抜きん出ているのだ。
で、あっても。
飯綱火誠也の能力もまた。
ずば抜けているのだが。
皮膚が焼け焦げている。
だが、生きている。
右腕が引きちぎれた
だが生きている。
右足が潰れた。
だが、生きて、いる!
(ここで死んだところで、生き返れるんだろう。でもそれでいいのか?そんな事でいいのか?)
「それで桐華ちゃんに笑って報告できるのか!」
寿命を制約に、肉体を強化。
思えば、志津屋桐華の手に入れた力も同じだったのか。
爆発で吹き飛んだ腕を認識する。
鉄骨に押しつぶされた足を認識する。
透明の腕と足。
ただ一本ずつ。
「まだ、君のところには届かないね」
失った片足と片腕を透明な腕に置き換え。
飯綱火誠也は立ち上がった
「これでも立つって、スゴイ根性やね」
「ああ、正直キツイ」
「ごめん」
「謝らなくてもいい、様々な強さを乗り越えてこその最強だ」
崩れた工場の一角で。
瓦礫の山の上で。
男は夕日を背に立つ。
(光で視覚を制限するのも、それほど効果があるとは思えないだが)
シュッ!!
「ゴボぅ!?」
誠也の見えぬ拳がぬん子を捉える
(浅いッ!)
後転をキメ、ぬん子は立ち上がる。
「近づかれへんのズルないです?」
シュッ!!
「んぎゃ!?」
見えぬ足がぬん子の足を払い態勢を崩す。
誠也は理解している相手が油断ならぬ能力者であることを。
うかつに油断せず進む。
この戦い方は桐華の戦い方の一つだ。
自分のものではない。
でも、いつか物にしてみせる。
この力が最強であると今は示すことは出来ないかもしれないが。
いつか必ず。
体力が限界に近い、寿命と血液を制約とした事で、戦える時間は限られている。
感覚の強化の果てに得た、無いものを実感として得る力。
(ああ、桐華ちゃん。たぶん俺たちは同じ能力を持っていたんだ)
見える拳は誠也の。
見えぬ拳は桐華の。
「限界を超えろ!LIMIT UNLIMITED!」
二つの拳が螺旋に絡まり必殺の技となった。
必殺の拳は届かなかった。
ぶよぶよとした巨大な肉壁にめり込んだのだ。
「痛っ、なんも。無駄に爆破しまくったわけやないんよ」
いつの間にか焼け焦げでいたはずの工場はひんやりとした空気に包まれている。
熱エネルギーを脂肪に変化する能力。
そのすべてを最高に発揮すれば巨大な壁すらも作り出せる。
「柔らかい、優しい拳。きっとそれは、君の大切な物なんよね」
誠也はそのぬん子の恐るべき強さを認識した。
「強いな」
「おおきに、でもコレ。格闘技とちゃうから」
圧縮された肉塊が誠也を押し包む。
「だが、まだ」
諦めるわけにはいかない。
トン、と誠也の旨に優しく手が触れた。
脂肪の壁の中をすり抜けるようにぬん子が誠也に触れる。
「体、無茶してるんやろ?無理したらアカンて」
ズキン…
心臓が痙攣し誠也の体は動きを止めた。
「心臓の弁に詰め物したけど、戦いが終わったら治るから、堪忍な」
芹臼ぬん子の魔人能力は他人の体に脂肪を注入することもできる。
「お前、本当に邪悪だなあ」
「邪悪てなんですかァ、あのお兄さん、あのまま最強になって死ぬつもりやったんですよ」
「へー」
「へー、て。そんなんアカンでしょ。この戦い自体ようわからんのに、優勝するのも無理なんが無茶してどうなるんです」
やれやれと首を振ってヤクザのお姉さんはため息をついた。
追いかけてはいたが即座に風呂に沈めるということはないらしい。
「でも心臓麻痺は酷いだろ」
「いやだって窒息よりはええかなって」
「外道か」
笑いながらお姉さんはタバコを吸う。
ぬん子はミックスジュースを飲んだ。
「アイツはな。飯綱火誠也ってな。裏の格闘技じゃ名の知れたやつだ。幼馴染を生き返らせる夢があったそうだ。でもそりゃもうかなわねえ願いだ」
「せやったら」
「だがなー。男には意地があるんだよ、死んだ女にでも見せたい意地がよ」
「ウチにはそんなんわからんもん。生きててくれてほうがその子も喜ぶのに」
「だよなー、バッカだよな男」
スハァーと煙を吐き出し
「そうそう、今日のメロスニュース!」
「ぎゃー、聞きたないんですけどォー!」
「お前が戦った工場な、エンタメ破壊の」
「あれ何してる会社やったんです?」
「まあ、解体屋だ、ただ解体をエンタメにしてる会社でな、解体現場でのスポーツ工業もやってたらしい」
「へぇー、おもろそうやん」
「それを潰したのがメロスだ」
「はがっ?」
「まあ一参加者だからな、普通に参加してすべての関門を突破して賞金を持ち帰った」
「やるやないの」
「まあ、そのついでに壊さなくてもいいビルを破壊したんでな、その責任を取って倒産だ」
「それで賞金は没収、さらに借金の一部もメロスに来たわけだがな」
「まさか、また。ウチに?」
「いや、今回はそういう事はねえけど」
「な、なんや驚かさんといてくださいよ」
「まあ、単純に今回壊した建物の損害はお前持ちだな、放置された工場だからそこまでじゃないが」
「んにゃー!?」
「戦い方は選べよ」
「うわーん、メロスのせいと言うても過言やないけど」
「風呂?」
「ノー!」
「じゃ、頑張れ。今回の賞金でとりあえずそれはチャラになるようにしといてやるから」
泣くぬん子の肩をポンと叩いてヤクザのお姉さんは立ち上がった。
夕日がもう沈む。
「負けたよ」
肉体は再生しつつある。
だが、誠也は悩んでいた。
その腕と、足をどうするのか。
「優しい拳だってさ、桐華ちゃん。あんなに無茶苦茶な強さなのに、褒められたよ」
自分の技と桐華の技を組み合わせてみるのも悪くないかなと。
夜空の星を見上げて誠也は静かに目を閉じた。
第3話 「SASUKEを破壊しろメロス、あっ違う、そっちじゃない。そのビルは新築だ!」
おしまい