第三回戦SS・沿岸その1

 旧家、という単語は『古くから続く由緒ある家』を指す一般名詞であるが、それが『九家』という歴史用語から転じた語である事は、あまり知られていない。
『九家』とは古くから日本を席巻した九つの名家の事である。『五色』を中心とし、他に『七坂』、そして『九鬼』『千四田』などがあった。
 そう、過去形である。彼らの多くは戦いで身を立て、それゆえに戦いが『家』から『公』のものになる明治維新前後に少しずつ姿を消していった。
『九鬼』は『久喜』に、『千四田』は『千代田』に。数字を捨てる事で武に拠り立つのを辞めたという事実を彼らは示した。
 もちろん、全ての九家が数字を捨てた訳ではない。五色は揺るがぬ日本史の中心であり、七坂は戦いを商いにして生きると決めたゆえ、その数字を捨てず、武に拠り存在し続けた。





 静岡、熱海。七坂グループの保有する海岸療養所(プライベートビーチ)にて。
 夕陽が輝くオレンジの空の下、七坂七美はパラソルの下に開いたビーチベッドに横たわっていた。布地の少ない三角水着である。周囲には誰もいない。常に彼女に付き従うセブンカードの姿もなし。
 そこへ、麦わら帽子を被った人の影が差した。人影はクーラーボックスを脇に、背を曲げながらも歩みはしっかりとしている。
 人影は七美の傍らで立ち止まる。
「お嬢ちゃん、クッキーサンド・アイスクリームはいるかい」
 七美は体を起こして応じる。
「丁度良い。ちょうど冷たいものが欲しい所でした。ここまで歩いていらっしゃるのは大変だったでしょう……少しおやすみになって行って下さい」
「これは親切なお嬢さんだ。老いぼれには辛い旅路でね。ちょっと休ませてもらおうか、っと」
 ビーチベッドの脇にクーラーボックスをどっしと置くと、人影はそこへ腰掛ける。七美はくすりと笑って言った。
「あら、おじいさん。それではアイスを食べられません」
「……なあおい、いつまでこんな茶番をするんだよ、七坂の」
「まあひどい」
 微笑む七美に対し、人影――久喜朔隆の面持ちは依然険しかった。


 C2バトルも折り返しにかかる頃、朔隆は"ナインオーガ"の行動力と担当官に向けられる古巣からの監視に窮し、いよいよ七坂を頼った。かつての九家のよしみで、"ナインオーガ"の追跡と拘束を依願したのだ。
 七坂七美も快くこれに応じた。C2バトルに敗北したタイミングなのが良かった。あの一敗により、七坂七美がC2バトルによって最強を認められる事はもはやないであろう。であれば、中長期的・浸透的な『国民の武装義務化』という理念に向けた行動を視野に入れねばならない。それには旧い親交を温めるのも重要になってくる。
 そこで、七美は敗北後、C2カードによる回復の際に体調が崩れたという事にして、療養を名分にこの密会所へやってきた訳である。どうせ本社の方では技術開発管理部同士でのあの敗北の責任のなすりつけ合いで忙しかろう。傍から見れば『特別武装群(七つの美徳)の不調による敗北』というショッキングな結果から彼らに立ち直ってもらうには、喧々諤々と相互に殴り合ってガス抜きをしてもらうのも手の一つだ。


 数分間、二人は言葉を交わす。
「事情はおおよそ分かりました。あの"ナインオーガ"を打倒した上で拘束すれば良いのですね」
「おう。戦法なぞは説明する事はないな?」
「把握しています。こちらのやり方でやらせていただきましょう」
 ビーチコートを羽織って朔隆のクッキーを噛りながら、七美はその味にほうと溜息をつく。やはり美味しい。それに七美の病を癒やす力はないが、純粋な活力、元気にはなる。
「そいじゃ俺はご無沙汰させてもらうかね。まあ、上手い具合にやってくれや」
「あら。海はお嫌いですか?」
「海は好きだが、家族一緒で賑やかなのが良い。ッたく、わざわざプライベートビーチにアイス売りの恰好で来いなんて条件を出されなきゃ、こうはしなかったぜ」
「でも、もう少しゆっくりしていっても良いと思いますよ」
 七美はコートのポケットからC2カードを取り出してみせた。朔隆はうっそりとした顔をそちらに向け……目を(みは)る。
 "ナインオーガ"の名が、そこには浮かんでいる。次の対戦相手として。
「七坂の情報網に、依然揺るぎはありませんとも」
 その言葉と同時、海が二つに割れ、鋭利な木刀が七美の胸目掛けて飛来した。





 クッキーが万能なる生命の宝石である事は広く知られているが、そのクッキーにも暗黒面がある事はあまり知られていない。
 それに人を幸せにする甘みはない。サクリとした香ばしさはない。一たび口にすれば水を失い、命を吸われる暗黒の一枚。バターとチョコの合間に禁忌の一摘みを織り交ぜる事で生まれる、死の一撃。害意そのもの。
 人はそれを、ソルト()クッキーと呼ぶ。


 自身の亜空間に無限に備蓄された空気を用いて(クッキーを焼くのに空気が必要だなんて事は言うまでもないだろう!)太平洋沿岸を進んでいたナインオーガは、仕留めるべき相手の隣に彼、久喜朔隆の姿を認めて、ソルトクッキーという禁忌の武器を抜いた。
 どうして彼がそこにいたのかは分からない。しかし、彼と顔を合わせたくなかった。彼の声を聞きたくなかった。だからこそ外法の一打を放ったのだ。
 だが、C2カードは未だそこに対戦相手の名を残している。仕留め損なった。何故? オーガは七美に狙いをつけた時と同様に潜望鏡型クッキーを用いて(砂糖の結晶を鏡として用いている)その様子を伺う。
 巨大な多脚機械が、ソルトクッキー木刀を受け止めていた。


「七坂の技術の粋を結集せし特別武装群(七つの美徳)。その一片をご覧に入れましょう」
 唖然とする朔隆に一瞥もくれず、七美は砂浜の中から姿を現した多脚機械の上方に腰を下ろす。C2カードを通じてそのバトルを観覧する、全てのものに向けて。
「喚ぶは寛容を司る第二。その刻銘を『ポールフリ2』」
 七美愛用の電動車椅子の名を冠するそれは、あらゆる地形に対応した個人用車両である。高さは2メートルほど。圧縮酸素ブースターと硬性スクリューの仕込まれた多脚によりいかなる悪路も走破し、酸素タンクを搭載した超硬性プラスチックドームの中ならば、理論上は宇宙空間ですら12時間の連続機動が可能な一台である。
「では、おじいさん。どうか巻き込まれないよう」
「な……あ、待て!」
 朔隆の制止も聞かず、七美は操縦桿を繰り砂を噴き上げ前進する。海上戦を仕掛けようというのだ。

 七美の目的は三つ。
 一つに、朔隆の目の前で彼の介入なく望む結末を引き出し、彼に貸しを作ること。
 一つに、七鬼の力を借りずに戦う様を世に見せる事で、敗北分を返上できるくらいに七坂の武装の優秀さを見せつける事。これは朔隆のクッキーの助けを見越しての選択だが、読みは外れなかった。
 一つに、勝利する事。


 オーガの判断は早かった。
 足下にぴったり自分の手が嵌まる穴の空いた巨大クッキーボードを作り、その穴に手を嵌め、亜空間の空気を放出する事で緊急浮上。海面に上がり、七坂七美を、彼女の搭乗するポールフリ2を直接視認する。それは依然変わらぬ速度で海面を滑り、自分に迫っていた。
 ならば当然、打つべき手は変わらない。ここは海。材料()はいくらでもある。杭状のソルトクッキーを焼き上げ、射出。クッキーの暗黒面、人を傷つけるために生まれたソルトクッキーは、オーガが操るまでもなく攻撃性を発露し、標的へ突撃する!
 対する七美は依然直進。飛来するソルトクッキー杭はポールフリ2の外装が弾く。鋼鉄並の硬度を持つそれらを、当然のように!
「これは広告なので、種は明かしておきましょう」
 オーガとの距離がいよいよ詰まる。七美はポールフリ2の前方脚を攻撃的に振り上げ、硬性スクリューを回転させながら振り下ろした。当然オーガは咄嗟に生成した木刀で押さえ込み、更にあらゆる機械の弱点、すなわち関節部を狙ってソルトクッキー手裏剣を放つ。だが、弾く!
「忍耐を司る第五。その刻銘を『白金硬電装衣(ミスリルチェイン)』と云います」
 ギュルギュルという音と甘い芳香を放ちながら、オーガの木刀が削れていく。白金電硬装甲(ミスリルチェイン)は、身につける事で特殊電流による防御膜を張る、言ってみれば不可視の鎧の発生装置だ。その硬度はカタヌキに用いられるオリハルコンにも匹敵し、一朝一夕に破れる物ではない。
 無論、弱点はある。激しい電力消費に、小型化による持久力のなさ。その問題は本来人間に用いるそれを大型機械に用いている事で助長されており、稼働時間は五分を辛うじて上回るくらいだ。
 だが、七美にとってそんな事は問題にならない。いつもだって、彼女が全力で健康に動ける時間は七分しかないのだから。
(とはいえ、逃げに打たれて手間取るのはよくない)
 七美の魔人能力『七欲七聞』により、ナインオーガの考えはリアルタイムで聞き出せている。いかなる攻撃を撃ち、いかに攻撃を捌くか。その考えを聞きながら、七美は手慣れた操縦桿でポールフリ2を操ってやれば良い。
 いよいよ木刀が折れたと思った瞬間、オーガは更に二本の木刀を繰り出しスクリューを押さえ込んだ。もちろんその間もソルトクッキーによる自動攻撃は緩めない。
 ぐらり、とポールフリ2の姿勢が揺らいだ。重ね続けた攻撃が通ったからではない。もう片方の前足を持ち上げ、今度はそれを横薙ぎに払い、オーガの胴を狙ったのだ。オーガはそちらへソルトクッキー散弾を放ちつつ、片手の木刀を向けて防ごうとする。だがそれにより、前足に対する防御が崩れる!
「ここ……!」
 仕掛けどころと踏んだ七美は一気に両の脚でオーガを挟み込みにかかった。いかに強固な木刀だろうと、防御を崩されれば意味がない!
 しかし、ポールフリ2は急に前足の駆動を停止させた。バランスを崩して前方、そして海の中へとつんのめる。七美は操縦桿をガチガチと動かすが、操作を受け付けない。
「海中班、状況を」
『ズームします』
 海中戦闘に備えて海中待機させていたセブンカードの一人に、ポールフリ2を撮影させる。送信される画像データを見て、七美は感心した。
「固定しましたか」
 攻撃に用いた二本の前足が、一本のスティッククッキーによって固定されているのだ! 察するに、両の木刀を分解した上で、両脚を巻き込むような太い棒状で再生成したのだろう。
「拘束への対応が困難だというのが白金硬電装衣(ミスリルチェイン)の弱点だと聞いていましたので、まさかこのポールフリ2を拘束はできないだろうと、このように用いたのですが、なるほど」
『解決すべき事項ですね。……クッキーに血がついています』
「多少は巻き込めたようですね。敵の位置特定を急いで」
 いかに鋼鉄の硬度を持っていようと、クッキーは水に浸かればふやける(柔らかくなる)。脆くなったスティッククッキーを強引に折り、そのまま海中を進む。
 七欲七聞の範囲を広げているが、オーガの思考は引っかからない。歩く以上の速度で距離を取ったか。何のために。駆動時間が短い事を期待しての事か? だとすれば相手の期待は正しい。
(仕切り直しを見るべきですか)
 こうなっては仕方がない。椅子に深く腰掛け、一旦その場を離れる事にする……だが、速度が出ない。
「……?」
『七坂CEO、いけません』
「何がです」
『海流です』
 海中のセブンカードの声には、動揺が滲んでいる。
『敵は沖に出て海流を起こしています』





 オーガは敵機械の両脚によって骨まで断たれ、もはやぶらぶらとつながっているだけとなった左腕を庇いながら全速で沖へと向かっていた。
 正面からやり合うべき相手でない事は重々に分かった。忌まわしきソルトクッキーまで抜いたのに打ち合って勝てないだなんて。
 傷口をクッキーで塞いだオーガは、浮上した時と同様に巨大クッキーボードとそこからの空気放出により海中へと潜った。水深15メートル。それから、海水を取り込み始めた。

 久喜依織の魔人能力『クッキークリッカー』。
 材料とさえ認識できれば、どんなものでも(・・・・・・・)己の保管庫たる亜空間に収納できる――たとえば水、たとえば塩!

 海水が亜空間に収納される、つまり失われる事で、その隙間を補うべく海水が流れ込む。再び失われる。それらの繰り返しで、一帯には渦潮のような海流のうねりが生まれ始めつつあった。
 敵の機械が見えた。海流に翻弄されている。やはりそこまでの馬力はないらしい。
 しかしそれでも、敵機械との距離は縮まってくる。先程のような格闘戦に持ち込まれれば、片腕を失ったこちらが敗北する事は目に見えている。
 だから、決着を着ける。一撃だ。
 クッキーボード空気放出で再び海上に上がったオーガは、新鮮な空気を一杯に吸う。これより焼き上げるクッキーは、躯伎最大の一つ。
「はっ……」
 オーガは依織として気を放つ。そして、その奥義名(メニュー)を叫ぶ。
「オベリスクッキー!」
 声と同時に生成されるのは、巨大な柱形碑(オベリスク)じみたクッキー! 全身のクッキープラントが焼けるように熱い。だが、自分ならできる。自分ならば!
 果たして彼女は生成と同時にそのオベリスクッキーを荒れ狂う海に向かって突き立てた。ちょっとした潜水艦くらいなら一撃で仕留められる威力のそれならば、不可視の鎧に守られた七美のポールフリ2も容易く粉砕するだろう。
 もっとも、C2カードはオーガの懐で戦闘の継続を示していた。狙いをつけない巨大質量の一撃は、七美を仕留めるには到らなかったのだ。
 オーガはそれを確かめない。
 彼女にとっても、オベリスクッキーは布石でしかない。


 海底に突き立てられた巨大なクッキーを頼りに、ポールフリ2は海面へ急速浮上する。
(回避は成った……!)
 今までにない規模の攻撃をぎりぎりで回避した今こそが反撃の、そして決着のチャンスだと七美は確信していた。だから浮上する。オーガを目指して。
 海を抜ける。オーガの姿はなく、クッキーはまだ上空へ伸び続けている。オーガは恐らくこのクッキーの頂点にいるだろう。七美は上空を見据え――
「…………」
 絶句する。
 それは、クッキーだ。
 直径5メートル、高さ25メートル。先端は鋭く尖り、表面に浮いた塩の結晶が夕陽を受けてきらきらと輝く、ソルトクッキー巨大粉砕杭(ディストロイパイル)

 ――ナナサカ、ナナミ、カ?

 誇りか、命か、どちらを差し出すか。追い詰められた七美への問いかけは、死刑宣告のように思えた。絶句していた七美は、しかし、
「……そう」
 それ(・・)を聞いて、奮い立った。自動姿勢制御操縦プログラムを入力し、超硬性プラスチックドームを開き、ふらつきながらも、立つ。
 そうしてようやく、オーガの姿が見えた。ソルトクッキー巨大粉砕杭の上の影は、ひどく小さく見えた。
「私が、七坂七美。七坂グループの当主。七坂の血を継ぐものの中でもっとも優れ、それゆえに七坂の家を継ぐものとして選ばれたもの――」
 高らかに宣言するように、オーガの影を見据えて。
「――あなたの敵です。来なさい!」
 吹き荒ぶ風が髪を乱す。潮の匂いが、どこか懐かしい。
 ソルトクッキー巨大粉砕杭が放たれる。七美は両腕をクロスした。格闘戦に置ける基本的なガード態勢である。もちろんそんなもので、敵対者を食らう殺戮の権化たるソルトクッキー巨大粉砕杭を防ぐ事はできない。
 普通ならば。





「……何故逃した」
 憮然とした朔隆の問いに、七美は目を細めて答える。
「気持ちがわかったから」
「気持ち?」
「聞こえてしまったからです」


 果たしてソルトクッキー巨大粉砕杭は、オーガの攻撃意識のままに七美を貫こうとした。愚直に、その巨体を一直線に心臓に向けて迸らせたのだ。
 だから七美は防ぐ事ができた。最優たる特別武装群(七つの美徳)『セブン』によって、ソルトクッキー巨大粉砕杭の質量攻撃は完全に無効化された。
 その後、ポールフリ2の自動操縦により愕然とするオーガへの距離を詰めた七美は、決着の一撃を振り上げ、言ってやった。
(ソルト)に頼らなければ、あなたは勝っていた」
「……!」
 仮面の向こうで少女が息を呑む。
「あなたはクッキーに塩を混ぜるという外法に手を染めたけれど、その事はあなたの望みを叶える事はなかった」
「……」
「東京に、行くんでしょう? ……彼には上手く言っておいてあげる」
「……」
「だからその前に、あなたの望みともう一度向き合いなさい」
 そして、戦いの幕は降ろされた。


 戦いの最中に七美が奮起したのは、死刑宣告を受けたからではない。七欲七聞により、仮面でその顔を隠した少女の叫びを聞いてしまったからだ。
「都市伝説を騙って、全てを傷つけて、恐ろしい戦いを乗り越えて……それでも、叶えたい願いを聞こえてしまったから」
「……やはり、奴は」
「大丈夫です。このC2バトル以外で、みだりに人を傷つける事はしないでしょう。彼女はただ、自分を認めて欲しいだけだから」
 久喜依織の欲望はひどく単純だ。彼女は純粋にクッキーを愛するゆえに継承権争いのしがらみから自ら逃れた。だがそれゆえに、本家の敷居を跨ぐ事を許されなくなった。
 最初はそれでも良いと思っていた。しかし、時を重ねて耐えられなくなってきた。自分のクッキーを、最高のクッキーをもっと知ってほしいと思ってしまった。
 だから、彼女はC2バトルに参じた。自らの存在を宣伝し、賞金を稼ぎ、東京に辿り着き――


 ――オーガーさんのクッキーやさん(自分の店)を持つために。


「……そのためにああまでするかねえ」
「お菓子屋さんは女の子の夢ですもの。私だって、子供の頃は。だからつい、応援したくなっちゃって」
「全く……」
 苦笑しながらも、少女が泳いでいった先、東京に視線を向ける二人。
 夕陽は眩しくも暖かく、その先の空を染めていた。

最終更新:2016年09月18日 00:06