「ねえ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは、あの子と戦うの?」
病院の一室。
透はまた、ヤスリの面会に来ていた。
C2バトルに臨む透にとってそれは安らぎの時間であり、苦痛の時間であった。
ヤスリの為に人と殺し合い、ヤスリの為に金を得る。
それは透の精神を確実に蝕みつつあった。
「お兄ちゃん、今日はいったい何があったの?」
「ああ、今日はな。大きな動物を見てきたぞ。こんなにあるゾウだ」
「ゾウ!?いいなー!!」
「ああ、そこで本物のゾウを見ながらカタヌキをしたんだ。やはり本物が目の前にいると違うぞ」
「いいなぁー、見たかったなぁー」
そう、巨大なゾウに変わる敵との戦いだった。
透はそいつをカタを抜くように突き、殺した。
いくら相手を殺しても死なないとはいえ、この手はすでに血にまみれた。
はたしてヤスリの為に戦っていると言っていいものなのだろうか。
「ねえ、最近お兄ちゃんいろんなとこにいってるね。お仕事忙しいの?」
透は言葉に詰まる。
ああ、仕事で忙しいとも。ヤクザとの取引もしているしな。
そんなこと言えるわけがない。
その時だ。C2カードがかすかに熱を帯びたのを感じた。
戦いが始まった。いつしかそれが見ずともわかるようになっていた。
(……こんな時に……!……今は対戦相手がいないはずじゃ……!?)
今は戦いが落ち着いている。だから妹と会っても大丈夫だ。
透は夜魔口組からそう聞いていた。
しかし、想定してしかるべきだったのだ。こうして突然、対戦相手と出会うことも。
ヤスリが危ない。今ならまだ間に合う。一刻も早くここから離れなくては。
様々な思いが透の脳を駆け巡る。
まずは急用ができたとヤスリに語りかけ病室を出よう、そう決めたときだった。
病室の窓ガラスが、割れた。
「きゃぁっ!?」
「ヤスリ……!!」
透はヤスリをかばうように窓の前に出た。
まさか、もうここまで来たのか。
「仙波透だな」
「……ッ!!」
そこにいるのは、黒いツインテールにフリルのついた服。
目つきは少し悪いが、細い手足に小さな体。
窓ガラスを蹴破り、部屋に侵入してきたのは紛れもなく幼女であった。
「私の名は長鳴ありす。幼女道の求道者にしてC2バトルに挑むもの也」
その幼女は腕を組みながら堂々と宣言した。
C2バトル、その名をここで。ヤスリの前で出すか。
透にはもはや逃げ道は残されていなかった。
「C2カードを賭けて、戦ってもらおうか……命を賭けてな」
「……お兄ちゃん?」
透は苦虫をかみつぶしたような顔になりながら幼女、長鳴ありすを睨む。
もはや隠しようもない。ならば。ならばせめて。
「……待て、せめて場所を変えさせてくれ。俺は逃げも隠れもしない。だがここだけはダメだ」
「それは好都合だ」
ありすは淡々と返す。
無慈悲に、冷徹に、一切の感情もないように透には見えた。
「私はこの場でなくては戦わん、この場から離れたいというのなら止めぬぞ。だが、この場にいる誰がどうなっても私を恨まないことだな」
「……何故……!」
「これ以上の問答は無用だ。無抵抗でも構わぬぞ。その方がこちらとしては手間が省けるからなッ!!」
ありすは一気に透との距離を詰める。
そして、そこから放たれるその動きはまるで癇癪を起した幼女のように、しかし、あまりにも強力な上段からの拳の連撃。
その名を幼女拳・だだっこの型:ぽこぽこパンチといった。
透のその腕の職人気質はありすの拳を固く受け止める。
ぽこぽこぽこと鳴るまるでおゆうぎのようになる音とはまるで違う、あまりにも重い拳だった。
そしてその動きの向こうのありすの表情はまるで、虫を淡々と殺す幼女のようであった。
「やめろ……っ……せめて……この場で戦わせるな……ッ!!」
透は一瞬の隙をついてありすの腕を受け止め、一本背負いの要領で病室の扉へと向けて投げ飛ばした。
扉を破壊しながらありすは病室の外へと投げ飛ばされた。
「はぁ……っ……はぁ……っ!!」
今のうちだ。今のうちにこの部屋から引き離し、そこで勝負をつけよう。
透は急いで廊下へと向かう。
「お兄ちゃん」
「……ヤスリ……!」
見るな。その目で。俺を見ないでくれ。
そんな透の願いとは裏腹に、ヤスリはまっすぐと透を見つめていた。
「ねえ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは、あの子と戦うの?」
「……ウ……」
「あの子、なんなの?ちっちゃい女の子に見えたけど……お兄ちゃんと戦うって」
「……すまない、ヤスリ」
確かに相手がC2バトルの参加者である以上、勝つことも目的のうちだ。
しかし、わざわざこの病室に入り込んでヤスリを危険な目に合わせる相手を放っておくわけにはいかない。
例え相手が幼女の姿をしていようと関係などない。
透がすべきことは、例えこのような状況であろうと、いや、このような状況だからこそひとつしかなかった。
「俺は……俺は最低の殺人者だ。何を言っても許してもらえないと思うが、これだけは、せめて言わせてくれ」
「……お兄ちゃん」
「俺は、ヤスリを危険な目に合わせるやつを、絶対に許すわけにはいかない」
透はそのまま、振り返らずに病院の廊下へと飛び出した。
「……どこへ行った……!?」
廊下へ飛び出した透だが、ありすの姿は見当たらない。
いったいどこへ……すぐに彼女は見つかった。
「遅かったな。逃げたのかと思ったではないか」
「……貴様ッ!!」
そこにはまるで肩車をされるように病衣を着た男性の頭に乗っているありすの姿があった。
しかし、その男は泡を吹きながら傾き、倒れていく。
足で敵の首をがっちりと掴み窒息を狙う、幼女拳:おゆうぎの型派生・ぷろれすかたぐるまであった
「無関係の人間までお前は……!」
「言っただろう。この場にいる誰がどうなっても恨むなと。
だいたいお前の関係者はあの部屋の娘だけだろう。何を貴様が怒る必要がある」
「ふざけるな……!」
このような奴がC2カードをもって戦っているだと。
「いったいなんの騒ぎで……うわッ!?」
「邪魔だ」
足に絡みつかれた病院のスタッフはあっという間に地に倒れ伏した。
幼女拳:どうぶつの型・へび。
それは瞬時に相手の足や腕に絡みつき全身で関節を決める幼女拳。
へびのようにからみつく幼女の姿は微笑ましさすら感じさせるはずであるが、透はそんなものはまるで感じなかった。
とどめとばかりにありすは幼女拳:おゆうぎの型・とびばこをそのスタッフに食らわせる。
跳び箱を飛ぶ要領で敵を足場にして跳躍、高所からさらにストンプする幼女拳である。
数秒とかからぬ間にスタッフは気絶まで持ち込まれた。
「やめろ!!」
「戦いの邪魔となるものを排除しているだけだ。何が悪い」
「お前の目的は俺だろう、これ以上不必要に暴れるというなら……」
「どうするというのだ」
ありすは冷たく語りかける。
「一介のカタヌキ職人が、いったい何をどうするというのだ」
「それは……ッ」
「狂気に満ちた殺し合いだぞ。この戦いは」
「……」
そうだ。自分だって今までに一体何人と戦い、何人を殺してきた。
ヤクザの指示に従いながら、金を手に入れて、ヤスリを助けるという名目でいったい何人の人間を。
「今更この戦いに甘さを求めるか。何を犠牲にしても勝つ気はないというのか」
「……」
「今更きれいごとを抜かすか。その手でいったい何人を殺してきた」
「俺は……」
そうだ。今更何を考えている。
もはや引き返せないところまで来ているというのだぞ。
この戦いに参加すると決めた時点でそんな甘い考えは捨て去ったはずだ。
ヤスリの目の前で始まった戦いのせいで心が揺らいだか。
自分はもう戦うしかない。どんな汚い手を使おうと勝たなくてはならない。
ヤスリを助けるために、もはや手段など選んではならない。相手の戦い方など気にしてはならない。
ただ、勝つ。
ただ勝って、その金でヤスリを治す。
その事だけを考えるんだ。
「……俺は、無差別に人を傷つけるお前のような奴はどうしても許せない」
だが、透の口から飛び出した言葉はそんな考えとは全く逆の言葉だった。
透は一瞬、自分自身の言葉を疑った。
しかしその言葉は止まることなく透の口から出続けた。
瞬時にありすが透との距離を詰める。
「あまりにも甘い、まるではちみつキャンディーに練乳をかけたように甘いな」
ありすが透の右腕に組みかかる。
「確かにそう思うさ、今更あまりにも甘い考えだ。俺が今までやったことを考えればとんだ戯言だ。
だがな、お前のような無差別に人を傷つけるような奴に……
ヤスリを傷つけかねないような奴に、俺は絶対に負けない、負けたくない!!」
透は自らの右腕を叩きつける勢いでありすに殴り掛かる。
「金の為に人を殺してきた奴にそんなきれいごとが吐けるとでも思っているのか!」
ありすはひらりと腕から離れ、透は自らの右腕を叩いた。
まるで金属のような音が鳴り響く。
「黙れ!!」
透は左腕で殴りつけた右腕を、そのまま一緒に床を叩きつける。
カタヌキにて削る範囲が広い際、より多くの範囲を崩すための技術のひとつである!
「そうだ。俺は金の為に人を殺している。今更それを否定するつもりはない!だがな!!」
地面が大きく崩れ、よろめくありすの一瞬の隙を逃さず、職人気質で効果させた指で一点を突く!
一点集中、相手の腕を、体を爆発させる勢いでありすの体を貫く!
「せめて、妹の前でだけでも、俺は優しい兄でいたいんだッ!!」
そうか、これが自分の本音か。
透は言い切ってから、気付いた。
そしてその気持ちを乗せたまま、ありすの体の中心を突いた。
ありすの体は貫かれ、一撃で霧散……
「……違う……ッ!!」
「気付くのが遅かったな」
声は透の真下から聞こえた。
目の前のありすはゆらりと揺らめくと幻のように消えた。
それは、幼女闘気によって作られた残像だった
「その想いを胸に秘めたまま、倒れるがいい」
「く……そぉ……ッ!!」
幼女拳:たいそうの型派生・さかだちかべばしり。
逆立ちの形から相手の体を走るように、全身を蹴り上げる幼女拳。
それは殴り掛かった透自身の体重を利用し、より強く蹴り上げる捨て身に近い技であった。
(ヤスリ……済まない……俺は……俺はこんな奴に……ッ!)
思い空しく、急所をくまなく蹴り上げられた透は意識を失い、倒れ伏す。
最後の瞬間に、ぐえ、と幼女のつぶれたような声が聞こえた。
C2カード記録
"長鳴ありすVS仙波透"
遭遇地形:病院
勝者……長鳴ありす
……ちゃん、お兄……
……お兄ちゃん……
ヤスリの声が聞こえてくる。
もうヤスリに合わせる顔がないというのに。
いっそこのままずっと眠り続けてしまおうかとも考えた。
……お兄ちゃん……お兄ちゃん……こらー!おきろーねぼすけー!
話す時間が減るぞー!お兄ちゃん野郎ー!
いい加減に起きないと顔を引っ張ってたてたてよこよこまるかいてちょんするぞー!
「お、落ち着けヤスリ、わかった。起きる。起きるから」
気付いた時には思わずそう叫んで飛び起きていた。
目の前にはヤスリの顔があった。
そして……ここはどこだ。見慣れない場所だ。
病院ではないのか?
「目覚めたか、妹不幸者」
透は目を見開く。
この声は、あの幼女だ。
目をやると、壁にもたれかかりタバコ……いや、ココアシガレットをかじる幼女の姿があった。
「貴様……ヤスリから離れろ……ッ……」
C2カードの効果か体の痛みはもうすでにない。
既に決着がついた今、戦ってももはや無意味だ。
だがそんなことは関係ない、これ以上こいつに妹を……
しかし、その怒りは考えてもいなかったヤスリの言葉に鎮められることになる。
「お兄ちゃん!ありすちゃんをいじめちゃだめだよ!!」
「な……っ……は……?」
「……む、しまった……ここは病院か」
ありすは再び安全に戦える場所を求めていた結果、いつのまにか病院にたどり着いていた。
こんな場所が戦場になってはいけない。ありすはすぐさまこの場所を離れようと考えていた。
「あれ?あなたどうしたの?迷子?」
「うっ」
そこに声をかけたのは、調子がいいから、と少しだけわがままを言って外の景色を見せてもらっていたヤスリであった。
最初は適当にごまかしてその場を去ろうとしたが、律儀に自己紹介をされた際に聞いたその苗字は聞き覚えのあるものであった。
ありすは気付いた。仙波。仙波透。
S2バトルの参加者にいたはずだ、と。
「ありすちん、ありすちん、言われたこと調べてきたよー」
「ああ、ありがとうのんたん」
そうして話す彼女は52歳にして幼女道・皆伝、かつ、くのいちとしても活躍しているのんたんであった。
二児の母でありながらいまだに現役として活躍している彼女にはありすも一目置いている。
「やはり、そうか」
仙波透。夜魔口組のヤクザと共に量橋叶を倒したS2バトルの参加者。
素性はともかく、戦いの理由はあの病弱ではあるが快活な妹の姿を見れば自然と推測できた。
「一体どうするのありすちん?」
「ああ、少し冒険をしてみようと思ってな」
「冒険?よくわかんないけど楽しそうだね!というかなんか、ありすちゃん負けたのになんか顔つき変わった?」
「幼女は一秒一瞬で成長するものさ」
「ヤスリ。君の兄はおそらく危険な戦いにその身を投じている」
「お兄ちゃんが……?」
病院内の大冒険の末、ありすはヤスリの部屋に見つからずにたどり着くことに成功した。
そして、彼女が目覚めるのを待ち、C2バトルのことを話した。
やはり彼女はそれを知らないようであった。
それを勝手にばらすのは悪いことなのかもしれないが、ありすには確信があった。
これだけ幼女性の高い彼女が信頼を置く相手であれば、信じるに値する男であろうと。
「君の兄がどういう気持ちで戦っているのかを知りたくはないか」
「……」
ヤスリはしばらく真剣な顔で考えた。
おそらくさまざまなことを考えたのだろう。
それをありすはある程度察することはできるが完全に理解はできない。
兄と妹の関係は、複雑なものだ。
「……うん、私。知りたい。お兄ちゃんが、どうして戦ってるのか」
「そうか、ならば、私は一芝居うつことにする」
「どうするの?」
ありすは懐からココアシガレットを取出し加えると、ヤスリに向かって微笑みかけた。
「あくやくごっこ」
「そうしてお前と戦った後、このろりいた庵にお前を連れてきたというわけだ」
「それじゃあお前は……わざとヤスリの前で戦いを仕掛けたっていうのか」
「言っただろう。私はこの場でなくては戦わんとな」
透は力なくうなだれ複雑そうな表情でありすを見る。
つまりはヤスリはあの時点で既にC2バトルのことも、あの場でありすと戦うことも知っていたのだ。
しかし、だからといって、あまりに乱暴なやり方ではないか。
「ちょっとくらい暴れたほうがかえって見やすくなるのもあるものだ」
ありすはそういうが、透はいまだに納得しきれない。
「じゃあ、あの病人やスタッフを襲ったのはなんだったんだ」
「あれはお前たちを監視していた変装ヤクザだよ」
「なんだって……」
「このろりいた庵にならヤスリを置いておいてもやつらはそう簡単に嗅ぎつけられまい。故に先にヤクザをすべて片付けておく必要があった」
じゃあ、わざわざヤスリをヤクザの目から遠ざける真似までしたというのか。
自分の大事な場所が襲われるかもしれないことを覚悟した上で。
なぜそこまでするのかと透は尋ねた。
「私はこの戦いで迷いが吹っ切れてね。私は特に金が必要なわけでも、かなえたい願いがあるわけでもない。
それならば同じように迷っている者もどうにかしたいと考えただけさ」
「それだけで……」
透はただうなだれた。
そうは言われてもやはり完全に信用することはできなかった。
ありすはそれでいい、と言った。
妹を守りたいと思う心さえあれば、それでいいと。
「ねえお兄ちゃん。お兄ちゃんが私を危険な目にあわせたくないって言ってくれたの、うれしかったよ」
「だが、ヤスリ、俺は……」
「お兄ちゃんは、お兄ちゃんだよ。私の優しいお兄ちゃん。それは全部知った今でも変わらないよ」
「……ヤスリ」
透はそのヤスリの笑顔に救われる。
こんな自分でも、妹は受け入れてくれるのだと。
「それに、こんなことも言ってくれたしね」
ヤスリはレコーダーを取り出すと再生する。
『せめて、妹の前でだけでも、俺は優しい兄でいたいんだッ!!』
「……なっ!!」
「ありすちゃんが録っといてくれたんだよ」
透が真っ赤になったのを見てヤスリはいたずらっぽく笑う。
「やさしいおにいちゃんだよねーヤスリー」
「ねー、いいでしょーありすちゃーん」
「ねー」
「ねー」
微笑みあうヤスリとありすを見て、透は思った。
やはり、ありすを許すわけにはいかないと。
こんな辱めを受けて、許してやるものかと
「……この……クソガキー!!」
「ははは!こう見えて私はお前より年上だがなー!!」
ありすはいたずらっぽく笑い、舌を出しながら透から逃げていった……